体育館に着いたときにはもう遅かった。ヴァリアーを出し抜こうとした彼らは、そのとき初めて、すでに出し抜かれていたことを知るのである。
『うわああ!』
隼人の悲鳴がモニターと壁の向こう側、両方からこだました。画面のなかの隼人と武の身体に変わった点は見当たらない。しかし二人は恐怖に顔を歪めながら、なにかを振り払おうと必死にもがいていた。
「ねえー、ねえー、あれなーにー? なんの遊び?」
外にいる利奈たちは幻術の範囲から外れているようで、悲鳴以外はなにも聞こえない。そしてモニターにも映っていないから、どんな幻覚を見せられているのか、利奈たちにはわからない。わからないからこそ、恐ろしかった。
「パントマイム? なにしてるか当てる遊び? あれはねー、大きな蛇にぐるぐる巻きにされてるカエル!」
ランボの予想はほとんど正解だろう。首に巻き付いているなにかを外そうと隼人が懸命に両手で宙を引っ張っているが、実体のないものを力尽くでなんとかしようとしても無駄だ。そこになにもありはしないのだから。
(どうしたら――どうすればいいの!?)
幻術をかけられた経験はあるけれど、幻術を解いた経験はない。こういうときは術者であるマーモンを倒すべきなのだろうが、体育館に入れば幻術の餌食だろうし、あちらには中距離攻撃可能なベルがいる。了平は近距離攻撃型だから、どうやったって先手は取れそうにない。
こうなると、クロームの解毒が終わっているのが唯一の救いである。交渉を終える前に死なれてはどうしようもないという打算の上でだろうが、それでも、命を取り留めたことに変わりはない。しかし、それですら希望の光にはなりえなかった。
クロームは腕を縄で拘束されているし、彼女もまた幻術をかけられているのか、苦悶の表情で身をよじっている。このままだと、せっかく助かった命が彼らの手で無残に散らされかねない。
(このままじゃ……!)
戦況は圧倒的に不利。膝をつきたくなるような絶望感のなか、ただひとつの希望が、頼もしく利奈の頭を叩いた。
「下がっていろ。俺がなんとかする」
そう言って足を踏み出した了平は、しかし体育館の入り口へとは向かわなかった。体育館側面の壁に歩み寄りながら、腕の三角巾やギプスを外していく。
(……壁を叩くの?)
敵の注意は逸らせるだろう。外からの呼びかけで隼人たちの意識が正気に戻る可能性だってゼロとは言い切れないし、なにもしないよりはずっといい。
(でも、ベルたちがこっちに来たら私たちまで――ううん、うまくいくかわかんないけど、笹川先輩を信じよう)
ランボを抱きしめる腕に力を込め、指示通り後ろに下がる利奈。
「極限太陽――!」
しかし、了平がそんなまどろっこしい手に出るわけがなかった。
黄金に輝く了平の拳が体育館の壁にめりこみ、まず、壁にヒビが入った。それだけなら驚きもしなかっただろう。
しかしヒビは放射状に際限なく伸びていって、それが壁の端に届く前に中心部から穴が広がる。そのうち天井までもが崩壊していき、利奈が本格的な危機感を抱いたときには、体育館は元の形を残さず瓦礫の山と化してしまった。――なかにいた五人を巻きこんで。
「ヒャー! ぺったんこ! ぺったんこだもんね!」
興奮した顔で身を乗り出すランボ。
利奈はというと、なにも言えないまま体育館だった場所を呆然と見つめることしかできなかった。そして心のなかで叫ぶ。
(笹川先輩は普通だと思ってたのにっ……!)
いっそこれこそが幻術であってほしいというのが本音である。ボクシング部の部長だから実力があるのはわかっていたけれど、拳で建物を崩壊させられるレベルの腕だったなんて聞いていない。これならまだ恭弥の方が人間寄りだ。常人離れした毒耐性を除いては。
「ランボさんも! ランボさんもやる!」
アトラクションかなにかだと思ったのか、利奈の虚を突いてランボが腕から飛び出した。
「駄目だよ、危ないから!」
軽率に体育館――だった場所へと近づこうとするものだから、利奈はランボの肩を掴んで引き留めた。
右手だけでもなんとかランボの動きを止められたものの、利奈の手はわずかに遅れていた。
「あれ? ランボ君、なに持って――」
ランボの両手にあるのはピンの抜かれた手榴弾。それに気付いた利奈が大口を開けたときには、ランボはそれを放り投げていた。――体育館だった瓦礫の山へと向けて。
「ああー!」
利奈の絶叫を合図にして手榴弾が爆発する。そして恐ろしいことに、ランボは次弾を補填しようと髪の毛をまさぐってしていた。
「ランボ君、駄目、もう駄目! あそこに獄寺君とかいるから! 死んじゃうから!」
「獄寺? おっちんだ?」
「死んじゃうから!」
一文字ずつ区切るようにして言い含める。
予想より小規模な爆発だったものの、爆発物は爆発物だ。おおかたリボーンの用意したスパイグッズの類似品だろうが、分別の付いていない子供にこんな物を持たせるなんて、マフィア関係者はどうかしている。
「とにかく駄目! ああいうのは終わり! もう駄目! わかった!?」
ランボはキョトンとしていたけれど、利奈の必死さが伝わったのか、つまらなそうに頬を膨らませた。まったく、無邪気なだけに恐ろしい。
それにしても、本当にチェルベッロは学校を元通りに復元させられるのだろうか。
彼ら――いや、彼女たちも、ここまでの崩壊は予期していなかったに違いないので、その点では同情の余地がある。
咳きこむ音ともに瓦礫の一部が崩れ出した。
ベルたちではと身構えた利奈だったが、下から出てきた馴染みのある顔に、ホッと肩の力を抜いた。ランボは興味がなさそうな顔で指を差す。
「ゾンビだ」
「獄寺君ね」
どうやら二人とも無事だったようだ。
突然の崩壊に目を白黒させているけれど、拳から血を流す了平を見ておおよその事情は察したらしく、安堵の表情を浮かべている。拳ひとつで建物を壊したことについての疑問はないようで、利奈は自分のなかの常識の物差しを真っ二つに折っておいた。少なくとも、級友が空を飛んでいることよりは現実的である。
「っ、アホ牛! お前、目が覚めたのか!?」
ランボが起きていることに気付いた隼人が、掴みかかるようにしてランボを抱き上げる。驚いたランボは暴れるけれど、それにはかまわずに隼人は乱暴に髪の毛を掻きまわした。
「やめろ馬鹿! 痛いぞこらー!」
「お前、今まで意識がなかったくせに平然としてやがって! 十代目がどんだけ心配していたと思ってんだ!」
「うるさい離せー!」
「うっせー! あと、今お前が爆弾投げつけたのはわかってんだからな! 殺す気か!」
「ビクゥッ! ラ、ララランボさんがやったんじゃないよ! 勝手に爆発したんだもんね!」
「んなわけあるか!」
なんだか、とても楽しそうだ。同じ目線に立てている分、隼人はランボとの相性がいいのかもしれない。
「ランボ、目を覚ましたんだな」
武がゆっくりと瓦礫を踏み分けてやってくる。崩壊前に庇ってくれていたのか、その腕はクロームを支えていた。クロームはぐったりとしている。
「クローム大丈夫なの?」
「ああ、無事だ。怪我もなさそうだし」
武がゆっくりとクロームを地面に降ろす。
座りこんだクロームはつらそうに息をしていたけれど、利奈の声に反応して目を動かした。
「……利奈」
意識はあるようだ。骸からあらかじめ聞かされていたのか、なぜ利奈がここにいるのかという問いはない。毒の余韻が残っているせいか顔色は悪いけれど、ほかのみんなと同じように、時間を置けばよくなるはずだ。
「怪我、痛い?」
クロームの視線が、利奈の左肩の負傷に注がれる。
「全然! ――痛いけど、大丈夫。それよりクロームは? 痛いとこない?」
「うん」
「よかった……」
これで守護者全員が集合した。一息つきたくなるところだが、そんな余裕は彼らには与えられていない。戦いはまだ続いているのだから。
「おい、お前ら! ベルたちを見たか」
「俺は見ていない。相沢、どうだ?」
「見てません。……瓦礫の下とか、いたりしないよね? 気絶してたりとか」
「あいつらが呑気に気絶してるわけねえだろ。チッ、崩れる前に逃げ出したか」
おそらく、反対側の出入り口から脱出したのだろう。
暗くて遠くがまったく見えないし、あのときは轟音が鳴り響いていた。暗殺部隊の彼らが素人相手に見つかる可能性のほうが稀有だ。
「獄寺、指輪は? 指輪はあるのか?」
「……触手に巻き付かれたときに落としちまった。あいつらが拾わずに逃げるわけがねえ」
「えっ、それじゃ指輪一個もないの!?」
すべての指輪がヴァリアーに渡ってしまったということは、この勝負、綱吉たちの敗北である。いや――
「まだだ! リングがXANXUSの手に渡る前に奪い返せば!」
「そうだな。ツナが戦っている限りすぐには渡せないだろうし」
「ならば極限に沢田のもとへ向かわねばならぬな! ドクロ、走れるか!」
「待ってください、クロームはまだ――」
「大丈夫」
クロームの手から槍が出現した。それを支えにして立ち上がったクロームの顔はまだ白かったが、強い意志を瞳に宿していた。
「相沢はここでランボを見ていてくれるか? 終わったら迎えに来る」
「うん、任せて」
ランボを戦場に出すわけにはいかないし、利奈も部外者だ。もう襲われる心配もない以上、ここで戦いが終わるのを待っていた方が安全である。
「いいか! 絶対動くなよ! そこでじっと待ってろ!」
「えー、俺っちもツナんとこ行きたーい」
「ハハッ、またあとでな!」
ただをこねられたけれど、こればっかりはどうしようもない。
どうやってなだめようかと思ったけれど、ランボは腕に嵌められたリストバンドに興味を持ったようで、上機嫌に液晶を眺め始めた。少しのあいだはおとなしくしてくれるだろう。そう判断して息をついた利奈だったが、視界の隅にちらついた槍の柄にギョッとして顔を上げた。
「クローム? どうしたの?」
みんな走り去っていったのに、クロームはなぜかこの場に残ったままだった。だれも気付いていないようで、足音が止まる様子はない。
「利奈。聞いて」
「な、なに?」
緊迫した声に、緩みかけていた緊張の糸が引き結ばれる。
やはりまだ体調が戻っていないのだろうかと不安になるが、クロームが去らなかった理由は別にあった。
「今なら、校門から脱出できるの。だから、このまま逃げて」
「……え?」
それは彼らとの打ち合わせと違う。逃げられるものなら逃げたほうがいいけれど、今はランボがいるし、そもそも、校門を出たらチェルベッロに――
「今なら大丈夫。みんなボスの戦いに注目しているし、もう外に危険はないって、骸様が言ってるから」
「骸さんが!? え、いつの間に」
「骸様と私は繋がってるの。だから、利奈がどんな目に遭ったのかも知ってる。今なら逃げられるから、早く」
どうやら骸は、利奈が指示を破ってからも突破口を探してくれていたらしい。指示に従う限り身の安全は保障するという言葉を、反故するつもりはないようだ。
「待って、ランボ君はどうするの?」
「その子には幻術を見せてる。多分、もうすぐ寝る」
「え」
なんとランボは親指を咥えてうとうとと微睡んでいた。たぶん、これも幻術によるものなのだろう。手際のよさに感心してしまうけれど、これも骸の指示なのか。
「行かなくちゃ。利奈、早く」
だいぶ回復したのか、クロームの頬には赤みが戻ってきている。これなら、さっきみたいな目には遭わないだろう。友達が苦しんでいるところはもう見たくない。
「……わかった。骸さんにありがとうって伝えて」
「うん」
「頑張ってね。私、信じてるから」
「うん」
校門を出てしまえば、もうなかの様子はわからなくなる。
できれば決着の場面か勝負の結果を目にしたかったし、それが駄目ならせめて、恭弥が無事であるかどうかくらいは確認しておきたかった。彼のことだから、最後の最後には顔を出していただろう。
しかしクロームを助け出した今、利奈がここに残る必要はないし、ここで退場するのが一番正しい選択だ。あとのことは当事者である彼らに任せるしかない。
(みんな揃ってるんだから、どうにかなるよ。うん、どうにかなる。それに、明日になったらわかるんだし)
――そう、明日になれば。
明日になれば戦いの結果も、みんなの安否も、学校が直っているかどうかもすべてわかるのだ。
「うん……」
明日さえ来ていればわかったのに――
迫りくる脅威に利奈は気付かない。まだ渦中から逃れてはいないことに、利奈は気付けない。
相沢利奈に明日は来ない。永遠に。なぜなら、明日の日付に変わる前に、利奈は――
「……え?」
なにも見えない暗闇。なにも聞こえない静寂。完全なる黒。完全なる無。
そのなかで利奈は、ただ目を瞬いていた。
第一部最終章、最終話終了です。
目標通り一年で第一部を改稿し終えられたのですが、十万字も字が増えるなんて思っていませんでした。改稿するだけだから余裕でしょと思った自分の見通しの甘さ。
お気に入り登録、評価付与、感想、どれも想定以上の量で、アワアワ驚いたり小躍りしたりガクブルしたりしていました。応援がそのまま力になるタイプなので、本当にうれしいです。
応援ありがとうございました!
第二部は未来編ですが、ヴァリアー編をハードモードとすると、エクストリームモードになります。
作者が胃を痛め続けることになると思いますが、これからもよろしくお願いします。