新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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後編と言いながら、骸の過去短編です。
時系列はエストラーネファミリー壊滅後で、ランチアのファミリーに入る前の出来事。

勘のいい方は時系列で察知されると思いますが、あえて先に言いましょう。シリアスであると。


白は染まらない

 その組織は、エストラーネオファミリーとともに禁弾を開発していた。

 その組織は、エストラーネオファミリーが崩壊したあとも、秘密裏に禁弾の研究を続けていた。

 標的に選んだ理由は、それで十分だろう。

 

 情報屋から仕入れた情報によると、研究所はボスが所有している別荘の地下にあり、そこに入れるのは研究員を除けば幹部とその配下のみ。全員を始末するだけなら造作もなかったが、研究データの保存場所、および、関わった組織の情報を得るためには、組織に潜入して自分で情報を入手する必要があった。

 

 とはいえ、禁忌とされていた禁弾を研究している組織が、新入りの人間、それも子供を研究所内に出入りさせるわけがない。骸は数週間かけて組織の情報を集め、作戦を練った。その甲斐あって、組織に入ってわずか数日で、骸は地下への階段を降りることになる。

 

 鍵になったのは、ボスの娘である。

 ボスには骸と同じ年頃の娘がいて、彼女の教育係を探していた。そこに年が近く、教養のある新入りが組織の門を叩いたのだ。彼にとって、渡りに船だったろう。それは骸にとっても同じだった。

 

(僕は運がいい。娘が普通の人間だったならば、僕はだいぶ遠回りをさせられていたかもしれない)

 

 娘の部屋は研究所と同じく地下にあった。

 茶色の壁に赤い床。窓がない代わりに壁に絵画が飾られているが、廊下が薄暗いので絵の輪郭がぼやけて見える。長い廊下を歩いていると、案内役の男が振り返った。

 

「これからボスの娘と対面するわけだが。いいか、娘の前でボスの名前は出すなよ。娘はなんも知らねえんだ」

「はい」

「それと、娘がなにをしでかしても声荒げたり手をあげたりするんじゃねえぞ。ボスの娘なんだからな」

「了解です」

「それと……あー、先に言っておくが、あいつは相当変わってる。ボスの娘でなければ、イかれてるって言ってたところだ。奇妙な声あげながらしょっちゅう廊下を出歩いてるし、なんつーか、もうあれはどうしようもねえんだろうな」

 

 幾度となく手を焼かされたのだろう。見下ろす男の視線には骸への同情が滲んでいた。それには気付かないふりをして、骸は実直な少年に見えるように表情を引き締めた。

 

「役目を全うできるように頑張ります。えっと、意思の疎通は可能なんでしょうか?」

「どうだろうな。話そうとしたこともねえ。使用人の呼びかけには応えてたし、ある程度はできるんじゃねえか?」

「そうですか」

 

 それならば問題ない。意思疎通が可能ならば、まだ使いようがある。

 

「お待ちしておりました」

 

 ドアの前で使用人のメイドが頭を下げる。

 

「んじゃ、俺は戻るわ。あとは頑張れよ、新入り」

「はい、頑張ります」

 

 手を振って去っていく男に深く頭を下げ、そしてメイドに向き直る。佇まいからして、彼女もこの組織の一員なのだろう。

 

「お嬢様はぬいぐるみ遊びの最中です。今日は機嫌がいいみたいですから、ぬいぐるみが飛んでくることもないでしょう」

 

 娘の気質を匂わせながら、メイドが部屋のドアを開ける。地下の薄暗さに慣れていた骸の目に、一面の白が突き刺さった。

 

 部屋のなかは白一色で塗りつぶされていた。

 壁や床はもちろん、調度品もすべて白一色。ソファに散らばっているぬいぐるみの色はさすがに白ではなかったが、そこにばかり目が引きつけられてしまったせいで、その横の白い少女の姿に、束の間骸は気付かなかった。

 

 少女はソファでひっくり返っていた。

 白い肌に金色の瞳。波打つ白金の髪は、細く柔く絨毯にたなびいている。体を覆うドレスはレースが幾重にも広がっていて、少女の身体をこれでもかと白で塗りつぶしていた。そして、少女の目はこちらを捉えていない。彼女からすれば目の前にあるだろう天井の明かりを、うつろな瞳で見つめている。

 

 メイドはなにも言わない。一歩下がって骸の入室を待つ。

 試されているのだとわかって、骸はすぐさま室内に足を踏み入れた。乳白色の空間に、一点の黒が混ざりゆく。

 

(言葉は理解できるはずだ。ならば、正攻法で)

 

 絨毯に膝をついた。それでも少女の顔は骸よりも低かったが、これ以上は頭を床にこすりつけねばならなくなる。

 

「はじめまして。お嬢様」

 

 瞳が揺れた。いや、音に反応しただけで声として捉えられていない。

 どうしたものかと考えていたら、膠着を予期したメイドが骸の背後に立った。

 

「お嬢様」

 

 今度こそ、少女の目がこちらに向いた。どうやら、聞き馴染みのある声は声として認識しているらしい。

 

「お嬢様。こちらはお嬢様の教育係です。これからお嬢様の勉強を見てくださる方ですよ」

 

 メイドに促されて少女の焦点が骸に定まった。人というよりは野生動物の目つきである。

 

「お嬢様、はじめまして。お目にかかれて光栄です」

 

 少女の瞳が骸の左目に向いた。次いで右目へと視線がずれる。

 手術痕がはっきりと残っているために眼帯をつけているのだが、それが気になるようだ。

 

「僕はセイと言います。以後、お見知りおきを」

「……セイ」

 

 口が動いた。喉に張りついた声は抑揚がなく、彼女の不気味さを駆り立てる。まったく動かない表情筋と伴って、機械人形を相手にしている気分になってくる。

 

(これはなかなか手強いが――操り人形にはちょうどいい。白なら何色にでも染められる)

 

 黒い心情を隠しながら膝をつく骸は、見目だけならば姫に傅く騎士そのものであった。

 

__

 

 それから骸は、毎日その部屋へと通い始めた。

 

「お嬢様、おはようございます。……お嬢様」

「……」

 

 一応は教育係なのだが、初めの頃は反応してもらうだけでも一苦労だった。言葉がまったく届かないどころか、存在すらも認知されない。いきなり席を立って徘徊を始めるし、一日中奇声をあげ続ける日もあった。

 

「あーあー、うー」

「……」

 

 人体実験で気が狂ってしまった子供たちを何人も見てきた骸でさえ厄介だと思ったのだから、大人たちはもっと面倒に感じていただろう。ボスの愛娘でなければ、すぐさま病院送りになっていたに違いない。

 

「これが花。これは草。あれは木。お嬢様が手にしてらっしゃるのは花ですね」

「はあーな」

「そう、花です」

 

 一般常識を身に着けさせるにあたって、赤子程度の知能を幼児程度にまで引き上げるべきだと、骸は次々と物の名前を娘に教えこんだ。

 娘は鍵のかかっていない部屋ならどこにでも入れたのだが、地下庭園が好きなのか、自身の部屋にいないときはだいたいそこにいた。

 

「それはレモンですね。食べるととても酸っぱいです」

「すっぱ……?」

「今度、それを使ったお菓子を用意してきます。楽しみにしていてください」

「お菓子」

「好き、でしょう?」

「好き」

 

 そんな娘の関心を引いて、なおかつ物の名前を覚えさせるのには、並々ならぬ忍耐力が必要とされた、しかし、これも犬を――動物の犬をしつけるようなものだ。

 

「お嬢様、おはようございます」

「ごきげんよう。あれはなに?」

「あれは……薔薇ですね。ようやく咲いたようで」

 

 つぼみの頃を覚えているのか、娘は不思議そうに薔薇を見つめた。そして別の場所に咲いている花を見やって、こくりと首を傾げる。

 

「花みたい」

「花ですよ。薔薇の花です」

「薔薇? 花?」

「薔薇であり、花です。僕は人ですが、セイという名前も持っているでしょう? 薔薇という名前の花なんです」

「……わかりません」

 

 彼女は自分の名前を知らない。

 物の名前を教えるにあたって、真っ先に覚えさせるべきは彼女自身の名前だったのだが、骸も彼女の名前は知らなかった。知っているのはボスだけで、そしてボスは娘の名前をけして口にしないという。

 

 構成員たちもわざわざ好き好んでボスの機嫌を損ねようとはしないし、そもそも彼らはボスの娘にそこまでの関心を持っていない。娘が使用人以外に一切興味を示さなかったのも、自分が同じ扱いを受けていたからなのだろう。

 下手に一人称を覚えさせてそれを名前だと思われても困るので、骸もうまい手を思いつけずにいる。

 

「……おっと、いけませんよ」

 

 隙をついて薔薇に近づこうとするので、娘の手を取って制止した。

 さすがにもう手当たり次第に花を引っこ抜こうとはしないだろうが、薔薇の花には棘がある。一緒にいたのに怪我をさせてしまったら、骸の評価にも関わってしまう。

 

「あれは棘があります。痛いですよ」

「いい」

 

 少女にも痛覚はある。痛みを避ける本能は備わっているのに、娘はその白い腕を薔薇へと伸ばしていた。その腕には、骸が贈った銀製の腕輪が巻かれている。

 

「駄目です。お嬢様が怪我をしたら僕の責任になりますから」

「いい」

「お嬢様」

 

 言葉尻を強くしながら体を押さえつけると、彼女はやっと諦めて腕を下ろした。従わなかったら、担いで部屋まで運ばなければならなかったところだ。

 

「棘はとても痛いんですよ」

「……痛いの、いい。薔薇触る」

「貴方はいいでしょうけど。僕が困るんです」

「こま?」

「困ります」

「困ります」

 

 いろいろと苦労があったが、意思の疎通が言葉でできるようになったのは大した進歩である。まだ不完全ではあるものの、オウム返しに言葉を繰り返していただけの頃に比べれば雲泥の差だ。

 

「貴方は怖いものがなくていいですね。うらやましいくらいです」

 

 自身を脅かすものがなければ人はここまで愚鈍になれるのかと、無表情な少女を見下ろした。

 そのうち表情も覚えさせなければ――と思ったところで、その必要はなかったかと思い直す。彼女の教育係も、あと少しで卒業だ。

 

「怖い、ない」

 

 骸の独り言を質問と捉えていたのか、少女が首を振る。そして反対に、丸い瞳で骸の顔を覗き込んだ。

 

「セイはありますか? 怖い」

「……どうでしょう」

 

 醜いものはいくらでも目にしてきた。恐ろしいものも、いくらだって。

 しかしそれらに恐怖を抱いたことはないし、これからも抱くことはないだろう。骸の歩むべき道は、それらを蹂躙し、踏みつぶしていく道なのだから。

 目の奥に澱んだ光を宿す骸を見てなにを思ったのか、娘はいつになく真剣な顔で骸の腕を掴んだ。そして宣言する。

 

「私がしてあげます」

 

 ――それは、初めての一人称だった。

 

「私が、します。セイの怖いもの、私が消してあげる。怖いないから、セイの怖い、壊してあげる」

 

 彼女がこんなに長く喋ったのも初めてだった。まっすぐな瞳と引き結ばれた口元からは意志というものが感じられ、骸は言葉を失った。

 人形だと思っていた少女が、ここにきて人間らしさを覗かせたのだ。動転しながらも骸はなんとか表情を取り繕う。

 

「ありがとうございます。では、そのときはお願いしますね」

 

 彼女は人形だ。都合のいい、操り人形だ。人形に心を乱されるわけにはいかない。

 

「でしたら、お礼に名前を差し上げましょう」

 

 彼女は駒だ。番外に打ち捨てられていた、白色の駒。駒にも、名前がいるだろう。

 

「僕の名前を差し上げます。今日から、貴方がセイです」

 

 Sei――『六』

 数字でしかないその偽名を、名前もない駒へと刻みつける。骸の言葉に、少女は瞳を光らせた。

 

「セイが、名前? 私の?」

「ええ。でも、人に言ってはいけませんよ。二人だけの秘密です」

「秘密」

 

 言ったところでだれも気に留めないだろうし、名前なんてつけたところで、なんの意味も持たないだろう。彼女たちにもう時間は残されていないのだから。

 

__

 

 仕込みの時間が長かったからか、終わりはあっというまに訪れた。思っていたとおりに物事が進みすぎたせいで、物足りなさすら感じてしまう。

 

「……ジュ、リア?」

 

 だからだろうか。もてあました時間を消費するように、骸は少女を弄んでいた。

 いつもの地下庭園で、いつものように骸は少女――セイを見下ろしていた。

 いつもと違うのは燃え盛る炎の音と、ここまで届く煙の臭い。そして――真白なドレスを染める、真紅の血。その血は今しが息絶えたメイドの胸から流れ落ちていて、その胸に打ち込まれた弾丸は、骸の手にした銃から放たれたものであった。

 

「……?」

 

 ゆさゆさとメイドの身体を揺するセイには、彼女の死すら理解できていないだろう。当たり前だ、教えていないのだから。

 

「……セイ」

 

 呼んだのは骸のほうだった。

 油断なく銃の照準をセイの頭に合わせながら、セイが振り返るのを待つ。血と土で汚されたドレスのせいで、いつもの人形らしさは感じられない。

 

「セイ、僕を見なさい」

「……」

 

 骸を見上げるセイの目に、非難の色はなかった。いつもと同じ、ガラス玉の色合いだ。

 

「改めまして、ご挨拶を。僕は六道骸。マフィアを心から憎む者です。なにが起こっているかは、わかってますか?」

「……わからない」

「そうでしょうね」

 

 骸は口元に笑みを張りつけながら、操り人形を見下ろした。

 地下に幽閉されていた、憐れな娘。だれにも知られずにひっそりと生かされ、そして死んでいくだけだった娘。

 

「貴方は、じつにいい玩具でしたよ」

 

 彼女に『せい』を与えたのは骸だ。ならば、奪うのも骸であってしかるべきである。

 

「本当に素晴らしい働きでした。貴方がいなければ、こんなに簡単に事は起こせなかった」

 

 セイの腕に腕輪はない。だれからも警戒されない彼女は、情報収集役にはうってつけだった。与えた腕輪に仕込んでおいた盗聴器のおかげで、計画は速やかに進められた。この場にいない犬と千種は、研究の犠牲になろうとしていた被験者たちを解放している。

 

「これで僕の野望にまた一歩近づいた。貴方には感謝しないといけませんね」

 

 生き残っているのは一人だけ。引き金を引けば、もうだれもいなくなる。メイドの死体に縋りついていたセイは、ゆっくりと首を傾けた。

 

「……なんで?」

「なんで?」

 

 彼女からすれば、骸の意図なんてまったくわからないだろう。

 わからなくていいのだ。わかったところで、死ぬことに変わりはないのだから。

 

「理由なんてありません。憎いだけですよ。マフィアも、この世界も」

「違う」

 

 セイの声が響く。迫ってきた火の手に瞳の光をちらつかせながら、セイは骸をまっすぐに見つめ続ける。

 

「どうして、泣いているの?」

「は?」

 

 もちろん泣いてなんかいない。そもそも泣くなんて言葉、教えた記憶がない。

 

「泣いてなんかいません。見間違いですよ」

 

 しかしセイの瞳は骸を逃がさない。

 

「……なんで? なんで、泣く?」

「だから」

「なんで?」

 

 セイが身を乗り出した。そのまま這って近づこうとしてくるものだから、耐えられずに骸は叫んだ。

 

「動くな!」

 

 銃を構えるが、その行為が意味をなさないことはわかっていた。彼女は銃を知らない。死を知らない。恐怖を知らない。ならば、脅したところで無駄である。

 

 しかしセイは、骸の指示に従って動きを止めた。彼女は賢く、そしてどこまでも愚かだった。信じてはいけない相手を信じ、すべてを失った。彼女の存在を知っている人間は、もうどこにもいない。骸を除いて。

 

 腕の震えは興奮のせいだ。骸の顔を知っているセイを始末すれば、ほかのマフィアに追われることもないだろう。始末しなければ、憂いが残る。それなのに、引き金を引けない自分がいて、骸は大いに戸惑った。その動揺が、銃を持つ腕を重くさせる。

 

「……怖いの?」

 

 身じろぎひとつせずに尋ねるセイの声に憂いはない。平坦で、機械みたいで、それでも、人間の声だった。いつから、人形を人間に育て上げてしまったのだろう。

 

「骸が怖いの、セイ?」

 

 その問いに、骸はとうとう視線を逸らした。白い少女は、それだけですべてを理解したようだ。

 

「……わかった」

 

 乾いた発砲音が響き、骸は顔を跳ね上げた。

 

 まるで悪夢のようだった。

 後ろに倒れこんでいくセイの身体も、伸ばした自分の腕も、すべてがゆっくりと動いて――

 

「セイ!」

 

 ――すぐに、動かなくなった。

 

 広がる赤が、もう一度白を汚す。呆然としながら、骸はセイの傍らに膝をついた。その手に握られているのは、金色の拳銃。

 

「……護身用」

 

 いつから身に着けていたのかはわからない。しかし、彼女が自分自身を撃った原因はわかっている。わかっているからこそ、骸は立ち上がれずにいた。

 

 彼女は約束を守ったのだ。生まれて初めて自分から口にした約束を、躊躇いもせずに。

 

「……お前は本当に愚かでしたね。セイ」

 

 後悔はない。どうせ、だれからも必要とされていなかった人間なのだ。ここで生き残ったところで、彼女の未来に光はなかっただろう。

 それでも骸は立ち上がれずにいた。何色にでも染められるだろうと思っていた白は、何色にも染まらないまま、消えてなくなった。――骸の心に、一点の白を残して。

 

 

 

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