「嘘だ」
治療のためにと連れられた医療室にて利奈は嘆いた。
医療室といっても高度な医療器具などはなく、学校の保健室とそんなに変わりがない。ベッドや棚、座っている丸椅子なんかも、いたって普通の市販品だろう。
「嘘だ」
腕の治療のためには、どうしても服を脱ぐ必要があった。でも、いくら怪我の手当てのためといったって、男性二人の前で下着姿になんてなれるわけがない。
しかしそこは綱吉も考慮していたようで、医療室に入ると同時に彼はベッドのシーツを抜き取って利奈に差し出した。
なので利奈は今、素肌の上にシーツをまとい、左肩から先だけを外に出している。
肩紐は見られてしまうけれど、隠すために紐を外して露出を増やすのも変だったので、そこは妥協した。
それに、気にしているのは利奈だけで、大人になった二人は礼儀として気を遣っているだけだ。その証拠に、振り向いた二人の表情は、まったくもって平静そのものだった。
「嘘でしょ」
包帯を巻いてくれたのは隼人だが、彼の手際は見事なものであった。消毒液はかなり染みたけれど、包帯の巻き方は迅速なうえに均一で、彼の元来の几帳面さがにじみ出ていた。
「嘘に決まってる」
――初対面に思えた彼らが成長した隼人と綱吉であるということは、もう受け入れていた。受け入れるしかなかった。
隼人は顔も声もそっくりそのまま本人が成長した姿だったし、なにより、利奈の負っている怪我の原因と、利奈が戦いに参加した本当の理由まで言い当てたのだ。
怪我の原因は、あの戦いを見ていればだれでもわかるだろう。
しかし、戦いに参加した理由――クロームの救出という骸からの依頼は、だれにも話していない。あの時点ではだれも知らなかったはずの情報だ。それを一発で言い当てられてしまえば、未来の隼人であると認めざるを得なかった。
そして、目の前の人物が隼人であると認めてしまえば、もう一人が綱吉であると受け入れるしかない。
声も顔つきもまるで別人とはいえ、隼人が十代目と呼ぶのは綱吉だけだろう。教室で見慣れていた隼人の態度だけが、綱吉を綱吉だと認識させていた。それを聞いたときの綱吉のなんともいえない表情は、少し面影を感じたけれど。
しかし、そこからが問題だった。
利奈は彼らに、二人はどうして過去に来たのかと尋ねたのである。
この時代にタイムマシンはないし、技術の進化を考えれば、未来の彼らが利奈の時代に来たと考えるのが筋である。なにせ、利奈はタイムマシンになど乗っていないのだから。
しかし彼らは、気まずそうに顔を見合わせ、そして、同情の眼差しを利奈に向けたのである。そのときからいやな予感はしていたが、よくよく思い出してみれば、おかしな話だったのだ。
夜道を歩いていたはずなのに、いつのまにか真っ暗な部屋に移動していて。
利奈はここがどこだかわからないのに、二人はこの場所を知っている。
つまり、逆なのだ。彼らが利奈の前に姿を現したのではなく、利奈が彼らの前に姿を現した。
つまり、時空を超えたのは――
「嘘だって言って……!」
続く沈黙に堪えきれなくなって頭を抱えようとしたが、上げようとした左腕に激痛が走り、あえなく悶絶する。かといって、右手をシーツから離したらとんでもないことになってしまう。
頭を抱えることすら許されないのかと利奈はまた嘆いた。
「残念ながら、ここは君にとって十年後の世界だ」
利奈は口元を引きつらせながら顔を上げるが、綱吉はまじめな顔で利奈を見つめ返す。
(……頼むから、そのまじめな顔のままでもいいから、実は嘘ですドッキリですって言って)
そうだ、これはなにかの罠だ。
風紀委員の利奈に目をつけた何者かが、利奈を利用するためにたちの悪い罠を仕掛けたに違いない。
利奈の同級生に似た人物を二人用意し、ここは十年後だと嘘をついて利奈を監禁――したところでいったいなんの利があるのか。それに、目の前の二人は利奈の知っている二人に間違いないと、認めたばかりではないか。
(信じられない。信じたくない。もう全部夢だったらいいのに……)
いっそ、骸から電話がかかってきたあたりから、すべてが夢であったなら。
しかしこれが夢でないとわかっている以上、願えば願うだけ虚しくなるだけだ。そんな利奈の心情を汲んでか、綱吉は同情の眼差しを送る。
「相沢さん、ランボにはもう会ってる?」
「ランボ君? 知ってるよ、さっきも一緒にいたし」
なぜランボの名前がと首をひねりつつ、利奈は頷いた。頷きながら、十年後のランボの姿を思い描いてみる。あの天然パーマはそのままの毛量なのだろうか。
「ランボが持ってる武器に、撃った人を十年後のその人に入れ替える武器があるんだ。十年バズーカって言うんだけど」
「十年バズーカー」
語尾を伸ばしながら復唱した。なんというか、そのままズバリな名前をしている。
(えっと、だからつまりあれで、その十年バズーカってのに撃たれて私が入れ替わったってこと? じゃあ、あっちには十年後の私が行ってて、私は十年後の世界に来てるってわけで――)
「ちょっと待ってください」
しばらくぶりに隼人が口を開く。
十年のあいだに右腕役がすっかり板についたらしく、今の今まで、完璧に綱吉の補佐に徹していた。
「十年バズーカに当たったのなら、もうとっくに元のすが――元の世界に戻っているのでは? あれの入れ替わり時間は、五分間でしたよね?」
「え!?」
つい時計を探してしまったけれど、時間を確認するまでもなく、とっくに五分以上経過しているだろう。あの部屋から出るだけでも五分くらいかかっていたのだから。
「俺もそれは考えたけど、あれしか考えられないよ。
もしかしたら、十年バズーカが故障していたのかもしれない。ほら、獄寺君、体だけ小さくなったことがあったでしょ」
隼人が苦虫を潰したような顔をする。
「そういや、そんなこともありましたね……。となると、今回もそんな感じで」
「そうかもしれない。俺は相沢さんがリング争奪戦のときに学校にいたことも知らなかったから、なんとも言えないけど」
「そういえば話してませんでしたね。いや、確か利奈が話すなと――」
(……なんか、眠くなってきたかも)
二人の声がだんだんと遠くなってきた。
日付はとっくに変わっているし、普段なら絶対に眠っている時間帯だ。
ここが未来であるというショックで眠気はある程度吹き飛ばされたものの、学校で動き回ったせいもあって、かなり疲労も溜まっている。未来でも過去でもどうでもいいから、早くベッドに横になって休みたい。
うつらうつらと意識が遠ざかっていくなかで、ドアの開閉音がわずかに耳に届いた。
重たいまぶたを押し上げた利奈は、そこに立つ同じ年頃の少年の姿に、目を丸くする。
(男の子だ。こんな夜中にどうしたんだろう――って、わっ、やだ!)
少年の視線が利奈の顔から下に移ったのを見て、利奈はバッと前かがみになった。
大人二人が真面目に話し合っていたから忘れていたけれど、今の利奈はとても人に見せられる格好ではなかった。一瞬で頬と耳が熱くなる。
「ランボ。お前、こんな時間にどうした」
綱吉が庇うように前に立ったのが気配で感じられた。
さすが大人、さりげない気遣いである。
「水を飲もうと部屋を出たところ、侵入者の話を聞きましてね。まあ、すぐにボンゴレの顔見知りの少女らしいと判明したのですが。
ボンゴレの顔見知りなら、俺も知っている人物かと思って様子を見に。……予想ではイーピンだったのですが」
迫る足音に利奈は身を震わせた。初対面の人に来ないでなんて言えないけれど、今は近づかないでほしい。
「ああ、怯えないでください。これを渡そうと思っただけなので」
床しか見えていなかった利奈の視界に、黒い服が映りこむ。
「ありあわせで申し訳ないですが、とりあえずはこれを。そんな恰好でいたら風邪を引いてしまいますから」
少年が着ていた上着だろう。利奈はもぞもぞと右手をシーツから出して、ほのかに体温が残るそれを受け取った。
「あ、ありがとう……ございます」
「どういたしまして。お嬢さん」
お礼を言うために顔を上げたけれど、少年はすでに背を向けていた。それに倣ってほかの二人も再び背を向けたので、利奈は左腕を庇いながらもなんとかジャケットを着用した。片手でボタンを留めるのは手間だったけれど、これでようやく体を起こせる。
「着たよ」
三人が向き直り、改めて少年と対面を果たす。
パッと目を引いたのは緑色のたれ目だ。彫りの深い顔立ちをしているし、日本人ではないのだろう。
そして次に目を引いたのは肌の露出。着ている服は普通だけど、胸元のボタンを二、三個多く開けすぎている。寝間着代わりに着ていたのならおかしくはないけれど、男性の身体を見慣れていない利奈には刺激が強かった。なんというか、色気がすごい。
(……あれ、なんかこの前会った人に似てない?)
十年後の世界の住人と面識があるというのもおかしな話だが。十年前の世界では彼は子供だったはずなのに。
(十年、前?)
利奈はもう一度目の前の人物を観察した。
緩い天然パーマ。緑色の瞳。牛柄のシャツ。十年前では幼児だった。
「あー! わかった!」
「あ、俺もわかりました」
利奈は勢い良く立ち上がったが、彼は軽い調子で手を鳴らす。
「利奈さんですよね。雲雀氏の部下の」
「大きくなったランボ君でしょ! 私だよ、私! この前会った! ……って、え?」
「……え?」
二人のあいだにはかなりの温度差があった。
ランボがあまりにも他人行儀だったので、前のめりになっていた利奈は引っ込みがつかなくなる。
「私、ヒバリさんの部下になってるの……? じゃなくて、この前も会ったよね? ほら、何日か前に」
たった今思い出したけれど、骸が応接室で好き勝手やってくれた日に、利奈はこのランボと対面を果たしている。
あのときの綱吉は自分の友人だとごまかしていたけれど、そういえば、そのちょっと前に子供のランボが頭の中からバズーカを取り出していた。あれが十年バズーカなら、この十年後の世界で、あのときの彼が現れたことにも納得できる。
(やっぱりここ十年後なんだ! すごい、漫画みたい!)
だが、ランボには忘れられている。
「転んだ私に手を貸してくれたでしょ? 覚えてない?」
「はて……。こんなかわいいお嬢さん、一度見たら忘れないはずなのですが」
「忘れてるじゃん……」
十年前の世界での出来事とはいえ、入れ替わった彼自身にとっては何日か前の出来事であるはずだ。それなのに、ランボは利奈を顔を見てしきりに首をひねっている。
「そもそも、ここ最近は十年前には行っていませんよ? 夏ごろに肝試しに巻き込まれたくらいで」
「夏!? うそ、だってあれ数日前だよ」
「おい」
いまいち繋がらない二人のやり取りに痺れを切らしたのか、隼人が会話に割って入ってきた。
「お前が十年前に行ってないわけないだろ。リング争奪戦はどうなってんだよ」
「リング争奪戦……? いえ、記憶にございませんが」
「ああ? お前、寝ぼけてんのか? すぐに二十年後に変わったからっていくらなんでも――」
「ちょっと待って」
混乱してきた場を収めるように、綱吉が右手を上げる。
「細かい話は明日にしよう。もう夜も遅い」
このまま話していたら、夜が明けかねない。
疲労の貯まっている利奈にとってはありがたい提案である。一も二もなく頷くと、隼人がこれ見よがしにため息をついた。今は二人に比べれば子供なんだから、そこは大目に見ておいてほしい。
「とりあえず、相沢さんには空き部屋を使ってもらおう。服を用意してあげたいけど……相沢さん、今日のところは我慢してもらえないかな」
「うん、大丈夫」
部屋を用意してもらえるだけでもありがたい。なんなら、すぐ横にあるベッドでもいいくらいだ。
「それなら、俺の服を貸してあげますよ。その恰好でいるよりはましだと思います」
「ほんと? ありがと」
「それなら、あとはランボに任せるよ。隣の部屋が空いてただろうし、俺たちもいろいろと話があるから」
「二人ともまだ寝ないの?」
「お子様と違って大人は忙しいんだよ。ほら、ランボ、連れてってやれ」
「わかりました。さあ、どうぞ」
同級生から子ども扱いを受けながらも、ランボのエスコートで医療室を出る。
ドアが閉まる前に振り返ったときの二人の顔には、とても複雑そうな表情が浮かんでいた。