新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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沈黙は語らない

 

 医療室を出てからの記憶はおぼろげだ。

 眠気と疲労でいっぱいいっぱいだったし、とにかく一日のあいだにいろんなことがありすぎた。ランボに借りたシャツに着替えた利奈は、ベッドに潜りこむと同時に深い眠りへと沈んでいった。

 身動きひとつせずに熟睡できたのは幸運だろう。

 無造作に寝返りを打ったりしたら、激痛に苛まれて飛び起きることになっていたに違いない。

 

(……ん)

 

 ぱちりと目を開けた利奈は、寝る前とまったく同じ部屋の暗さに驚いた。

 ぐっすりと寝入ったつもりでいたのに、室内にはまったく日の光が差しこんでいない。

 

(今、何時だろ……うわっ)

 

 目覚まし時計を手に取ろうと伸ばした手が、棒状の柵に触れる。

 冷たい鉄の感触に驚きながら手を引っこめた利奈は、昨日の出来事を鮮明に思い出して、顔を枕にうずめた。

 

(……そうだ、ここ、家じゃなかった)

 

 現実はいつだって非情である。今は現在ではなく、未来だ。それを裏付けるように、左腕がズキズキと痛みを主張し始める。

 利奈はため息をついてベッドから起きあが――る前に二段ベッドの下段にいたことを思い出し、滑るようにしてベッドを降りた。床の冷たさが直に伝わってくる。

 

(ケータイ、どこ置いたっけ。真っ暗で全然見えない……)

 

 寝る前のことだからはっきりとは覚えていないけれど、そんなに広い部屋ではなかったはずだ。昨日と同じように暗闇をさまよった利奈は、見つけた携帯電話で視界を照らして、無事に明かりのスイッチを入れた。

 

(六時。いつもと同じ時間)

 

 寝間着代わりのシャツを脱いで、新しいシャツに着替える。両方ともランボから借りたものだ。

 ランボはシャツとズボンのふたつを貸してくれようとしたけれど、ズボンはサイズが合いそうになかったから断った。制服のスカートもそこまで汚れていなかったし、だぼだぼのズボン姿をみんなにさらすのも気が引けたからだ。

 シャツも大きかったけれど、長い袖をまくり、余った裾をスカートに押しこんで着替えを終える。前開きのシャツは片腕が使えなくても着られるから楽でいい。

 

 ランボは幼いころ同様牛柄が好きなようで、借りた服はどちらも白地に黒の牛柄の服だった。同じように見えて微妙に差異があるあたり、彼なりにこだわりがあるのだろう。

 

(朝になったら部屋に来てって、昨日言ってたっけ……)

 

 時間の指定がなかったということは、利奈の起きた時間に合わせるということだろう。

 そんなわけで、利奈はランボの部屋の前に立った。

 

「ランボ君、おはよう! 起きてる!?」

 

 物が落ちる音がした。いや、音の重さからすると、ランボがベッドから落ちた音だろう。

 出てくるのを待っていたら、機械式のドアが左右に開いた。まだ覚醒しきっていない顔のランボが、うつろな目を利奈に向ける。

 

「……朝、早いんですね」

「朝型なの」

 

 早朝の委員会活動に慣れてしまったせいで、すっかり朝型人間になってしまっている。いや、前の学校でも運動部に入っていたから、朝練のために早起きしていたけれど。

 

 ランボはイメージ通りに夜型の人間だったようで、眠たげに頭を掻いている。

 大胆にはだけられた胸元と、けだるげな眼差し。さらには寝起きの低音ボイスという色気駄々洩れなランボだったが、利奈の心はまったく乱れなかった。

 どうしても子供のランボが脳裏にちらついてしまうからだ。なんというか、時の流れは恐ろしい。

 

「まだ寝る? 寝るんだったら部屋で待ってるけど」

「いえ、女性を待つことはあっても待たせることは……ふわぁ。

 大丈夫、ちゃんと起きてますよ。すぐに着替えますので、ここにいてください」

 

 やけに口調がゆったりとしている。

 

「うん。ごめんね、ゆっくりでいいから」

「いえ、すぐに済ませます。女性を待つことはあっても、待たせることは……」

 

 同じ言葉を繰り返すランボに若干の不安を抱いたものの、ランボは言葉通り、手早く着替えを済ませて部屋から出てきた。

 

「さて、ボンゴレに朝の挨拶をしに参りましょうか」

「沢田君の部屋に行くの?」

「いえ。最近は自室で休む時間すらないようで」

 

 とても重要な案件を抱えているらしく、ここにいるときはほとんど作戦室に閉じこもっているそうだ。

 マフィアの抱える重要案件という響きにきな臭さを感じながらも、利奈はランボとともにエレベーターに乗りこんだ。そして、上部に表示されている階数表示の文字に目を丸くする。

 

「え、B……? 地下なの!? ここ」

「そうですよ」

 

 なんで今さら、みたいな顔をされるけれど、あの二人から聞いていないのだから仕方がない。もっとも、ここが未来であるという発言のあとでは、なにを言われても耳をすり抜けたかもしれないが。

 

 ランボがB5Fのボタンを押す。

 奇しくも、その階層は一番初めに利奈がいた階層だったのだが、当人は知らずに光る階層ボタンを眺めていた。

 

「地下五階には、風紀財団に通じる通路もあるんですよ」

「……風紀財団」

 

(なんだろう、初めて聞く名前なのにものすごく聞き馴染みを感じる……)

 

 ランボに説明を求めるまでもない。間違いなく恭弥が設立した会社だろう。そして、十年後の自分はそこで働いている。

 

(ちょっと待って! 昨日はスルーしちゃったけど、私、そんなわけのわからない会社で働くの!? わけのわからないっていうか、なにしてるのかはだいたいわかるけど! え、ほんとに!?)

 

 名前からして、風紀委員でやっている後ろ暗い仕事を、そのまま引き継いだ会社なのだろう。しかし、それはもはや暴力団と遜色ないのではないだろうか。

 マフィアの会社と通路がつながっている時点で、紛れもなく黒であり、裏である。裏会社を牛耳るボスとしての雲雀恭弥が脳裏に浮かび、利奈は顔を青くした。

 

(未来のヒバリさんがそんな仕事してても違和感ないけど……でも私もやってるんでしょ!? なんで!? 馬鹿なの!?)

 

 ――未来の自分の正気を疑う利奈だが、それは現在の利奈にも言えることであった。

 今の仕事を会社として行うのは犯罪だというのなら、中学校の委員会活動で同じことをやっている今のほうが、よほど犯罪なのである。しかし、利奈はその点に思い至らない。

 

「通路があるといっても、使ったことは一度もないそうです。お互い、相手には干渉しないというスタンスだそうで」

「なんで作ったの……」

 

 使わない通路になんの意味があるのだろうか。いざというときの避難経路にでもするつもりなのか。

 

(……それよりも、地下にそんなのたくさん作っちゃっていいの? ヒバリさんは許されるだろうけど、沢田君はいったいどんな取引を……。

 そうだ、地下っていったら地下商店街の工事が始まってるんじゃ)

 

 話が過去、つまり利奈にとっての現在に飛んでしまうが、並盛町では、地下商店街を作る計画が始まっている。並盛町の活性化になると恭弥も賛同していたけれど、まさか、そのときから地下組織を作る計画を練っていたのだろうか。帰ったら、それとなく聞いてみるのもいいかもしれない。

 

 エレベーターを降りて、資材が置かれたままになっている廊下を歩く。工事中のわりには作業員の姿が見当たらない。

 

(……そもそも、工事終わってないのにもう使ってるのも変だよね。

 工事終わるの待つ時間もないとか?)

 

 とても重要な案件があるとランボが言った。

 マフィアの抱える重要案件なんてなにかの取引か抗争しか思い浮かばないけれど、そうでないことを祈るしかない。すくなくとも、元の世界に戻るまでは。

 

「広いね、ここ。部屋いっぱいで迷子になりそう」

「慣れればそこまででもないですよ。作戦室は大きいからわかりやすいですし……ああ、そこです。そこに財団の通路……が……」

「あれ?」

 

 ランボの言ったとおり、廊下の角には別の場所に通じる通路が存在していた。

 しかしこの場合、通路が通路であると認識できること自体が異常なのである。通路は閉じていればただの扉で、通路とは認識されないのだから。

 

「通路、開いてるね?」

「開いてますね……」

 

 ごつごつとした扉の奥に、こことはまるで違う様式の廊下が広がっていた。

 日本人の利奈にとっては馴染み深いはずの純和風な廊下だが、庶民の利奈には縁遠い、高級旅館のような佇まいをしている。点在している欄間はひとつひとつ細かい細工が施されているし、障子の張られた丸窓は空間に奥行きを与えていて趣深い。さらによくよく見ると、壁の下部には模様まであしらわれていた。なにひとつ妥協を許さない、匠のこだわりが感じられる和の空間だ。

 

 そして現状、その完璧さが見事に仇となっていた。

 工事中とはいえ、デザインには力を入れていないこちらの建物とつながっているせいで、なんともいえない不自然さ、でこぼこさ、歪さを感じてしまう。名画を質素で安っぽい額縁が縁取っているような残念さだ。開けっぱなしにしただれかの代わりに扉を閉めたくなってしまう。

 

「変ですね。ボンゴレがあちらに出向くときすら、開けることのなかった扉なのに」

「じゃあ、あっちからだれか来たんじゃないかな。ヒバリさんとか」

 

 縄張りを侵食されるのは嫌うけれど、他人の縄張りに踏みこむぶんには抵抗はないだろう。となると、恭弥が綱吉を尋ねにこちらに来ているのかもしれない。

 

(十年後のヒバリさん……想像つかないな)

 

 隼人と同じく声変わりは済んでいるから、声に変化はないだろう。しかし、どれだけ身長が伸びて、どれだけ容貌が変わったかは、実際に対面してみなければわからない。せっかく未来に来たのだから、恭弥の顔くらいは拝んでおきたいものだ。

 

(ほかのみんなだったら意味ないんだけどね! 元から老け顔だから!)

 

 ほかの仲間たちも全員在籍しているだろうことを確信しながら、前を歩くランボの天然パーマを見つめる。幼少期は肩幅よりも広がっていたモジャモジャ頭も、十年経ってかなり落ち着いたようだ。

 

「……おや」

 

 ノックするまでもなく開いた作戦室の扉だが、期待した人物の姿はなかった。

 恭弥どころか綱吉もいない。というか、室内にはだれの姿もなかった。

 

「いませんね」

「いないね」

 

(なかにいたのが沢田君でもヒバリさんでもなくて、まさかの山本君! ……とかだったら面白かったのに)

 

 だれもいませんでしたでは、肩透かしもいいところだ。

 

「先にご飯食べに行っちゃったとか?」

「その可能性もありますね。

 食堂に行きましょうか。朝食を用意しますよ」

「ほんとに? ありがとう」

 

 ほどほどにおなかも空いてきていたところだ。

 元来た道を引き返そうと下がった二人だったが、なにかが倒れたような音に、足を止めた。

 

「……?」

 

 音は作戦室から聞こえたものではなかった。二人のすぐ後ろにあるふたつの部屋、その左右どちらかの部屋から聞こえた音だ。

 

「今、なにか落ちた?」

 

 どちらの部屋も扉は完全に閉まっている。それでも落下音が聞こえたのだから、それなりに大きな物が落ちたに違いない。

 

「えっと……そこには応接室がありますね」

「応接室……」

 

 利奈にとっては馴染みのありすぎる室名である。

 風紀財団との連絡通路といい、応接室といい、先ほどから委員長の顔が浮かぶ単語ばかり出てきている。

 

「沢田君、接客中なのかな。お客さんっていうか、こう、黒服着た強面の人と」

「こんな時間に? それに、アジトによその人間入れていたらアジトの意味がなくなると思うんですが」

「それもそっか」

 

 しかし、物音がしたからには人がいるに違いない。

 

「見ていきましょうか。もしかしたら、ソファで仮眠をとっているのかも」

「かもね。ヒバリさんもときどき寝てた」

 

 ランボの予想通りなら、今の音は綱吉がソファから転がり落ちた音だろう。抜けたところがあるからやりかねない。

 軽い気持ちで応接室の扉を開けた二人だったが、その予想は、思ってもみない形で裏切られた。

 

 応接室の扉が開く。

 黒いスーツを着た男が、背中を向けて立っている。その髪色は茶色ではなく黒色で、立ち姿からも綱吉とはまるで違う雰囲気をまとっていた。

 すらりと伸びたその体躯に見覚えはない。見覚えはないが、既視感はあった。本能か直感か、利奈は後ろ姿だけでその人物がだれなのかわかった。しかし、そんなことはどうでもいい。

 

「ヒッ」

 

 隣のランボが息を呑んだ。利奈も驚きのあまり、身を引いた。

 

 この世界で四番目に出会った人物――雲雀恭弥は、ボンゴレファミリー十代目ボスである沢田綱吉の背中を、革靴で踏みつけていた。

 

(なに……どういうこと!?)

 

 衝撃的な光景に固まる二人をよそに、恭弥は足を振り下ろす。容赦なく靴の踵を落とされ、綱吉がくぐもった声をあげた。

 一度、二度、三度。機械のように足を動かす恭弥に恐怖を覚えるが、声をかける隙はないし、ランボも完全に怖じ気づいてしまっていた。床に伏した綱吉に反撃の機はなく、恭弥の暴力にただただ蹂躙されている。

 

「……っ」

 

 体重はあまりかかっていないが、いくらなんでもやりすぎだ。

 これ以上は見ていられないと、利奈は勇気を振り絞って口を開いた。

 

「ひ、ヒバリさん!」

 

 一瞬、恭弥の背が揺れたような気がした。

 三拍ほど間をおいてから、彼がゆっくりと振り返る。隣のランボはそれだけで悲鳴をあげた。

 

「……」

 

 無表情な目を向ける彼は、紛れもなく恭弥だった。

 髪は多少短くなっているけれど、顔かたちはほとんど変わっていない。隼人と同じく、順当に成長したらしい。

 そして十年経っても変わりのない――いや、以前より冷めた瞳に、利奈は困惑した。恭弥にこんな視線を向けられる覚えはない。

 

(私がだれかわかってない……?)

 

 いや、それはないだろう。彼の眼差しに疑念はない。

 それなら、咬み殺すのを邪魔されたからだろうか。違う、それなら敵意を利奈に向けるはずだ。こんな、無機質な瞳にはならない。

 

「……あ、あの」

 

 なにか言わなければという衝動に駆られるが、言葉が出てこない。

 綱吉を踏みつけていたときの恭弥は、ただただ恐ろしかった。苛立ちをぶつけているようにも、享楽に耽っているようにも見えなかった。

 暴力をふるっている恭弥に恐怖を感じたのは久しぶりで、利奈は戸惑いを覚えていた。

 

 不意に、恭弥が目を逸らす。利奈から目を逸らして、短く息を吐く綱吉を見下ろす。

 

「……また来るから」

 

 それだけ言って、恭弥は部屋を出た。

 

 物問いたげな利奈にはなにも言わず。視線すら向けず。まるで赤の他人であるかのように無関心に。

 そこに強い拒絶の意思を感じた利奈は、追いかけることもできずに立ち尽くす。――委員会に入る前の二人に、戻ったかのようだった。

 

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