相沢利奈。享年二十四歳。
あの日のことは、よく覚えている。
彼女が襲撃されたのは、ボンゴレファミリーがミルフィオーレファミリーの標的になった矢先の出来事だった。
ボンゴレ本拠地があるイタリアでは抗争が始まっていたものの、日本ではまだ衝突は起きていなかった。ましてや、厳密にはボンゴレに所属していない、そのうえ非戦闘員の利奈が襲撃を受けるなど、だれが予想できただろう。
相沢利奈死亡の知らせを聞いた瞬間、綱吉は全身が凍りついたような感覚を味わった。
まさか、最初の犠牲者が中学生時代からの付き合いの彼女になるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
「襲撃者は二名。どちらもこちらの隊員が現場に到着する前に、始末されています。
素性を探るには時間がかかりそうですが、ミルフィオーレの人間であることには間違いないかと」
報告を持ちこんできた部下は、殺された利奈が綱吉の顔馴染みであることを知らなかった。だから、淡々と必要な情報だけを綱吉に伝えていく。
隼人が仕事に出ていてよかった。でなければ、こんなに早く気持ちを立て直せなかっただろう。部下の報告を受けながら、車に乗って彼女のもとへと向かう。
犯行場所は並盛町商店街近くの河原。
騒ぎを聞きつけてこちらの部下が駆けつけたときには、後処理すら終わっていたそうだ。残っていたのは、草むらが焼かれた痕跡と、夥しい量の血の痕のみ。
それを聞いたときはさすがに平静を保てず、綱吉は膝の上で拳を握り締めた。
遺体は並盛中央病院に運ばれていた。
この病院は、十年前から恭弥の息がかかっている。病院に到着すると、すかさず現れた看護師によって、霊安室へと案内された。
霊安室のドアを開けた綱吉は、思いもよらない人物の姿にわずかに身じろいだ。しかし、それ以上の反応はせずに後ろ手でドアを閉める。
霊安室には、利奈のほかに二人の人物がいた。
どちらも綱吉がよく知る人物だったが、この二人が同じ空間にいて、互いを牽制しあっていないのを初めて見た。それだけ、失ったものは大きいのだろう。途方にくれたあとの虚無感がその場を覆いつくしていた。
ドアを閉めたきり動けずにいた綱吉に、二人のうち一人、骸が顔を上げた。その顔に表情はない。
「お早いおつきですね。ボンゴレのボスが自ら来られるとは」
「お前もな。どうしてここに?」
利奈と個人的な交友があるのは知っている。しかし、それにしても到着が早すぎる。
「聞いてないんですか? 僕も騒ぎを聞きつけてその場に行ったんですよ。彼の部下よりは遅くなりましたがね」
そう言って骸は恭弥に目を向けた。その瞳に宿っているのは憎悪であり、その憎悪を受けてなお、恭弥は顔を上げなかった。恭弥は、ただ一点のみを視界に入れている。
恭弥と骸のあいだを遮るように置かれた白いベッドの上には、顔に布を掛けられた利奈が横たわっていた。
ゆっくりと近づいて、その全身を検分する。服装に乱れはなく、身体に傷も見当たらない。骸が顔の布を外しても、外傷は見当たらなかった。
死因はまだ聞いていなかったが、現場の血痕は襲った側のものだったのだろうか。
「到着したときには、もう手遅れでした。この僕でさえ、手の施しようがないほどに」
骸がそう言うのなら、ほかのだれがその場にいても彼女は救えなかったのだろう。幻術にも限界があるし、晴の炎も万能ではない。
ミルフィオーレの二人は匣を所持していたが、匣の制御すらできないレベルの人間だった。匣から噴き出た炎は、周囲を完全に焼き払ったそうだ。
だから、その場に駆けつけた骸が、恭弥の部下に代わってその二人を屠った。命乞いすら許さずに。
「二人とも殺してしまったのは僕の失態です。言い逃れるつもりもありません」
「……」
「……今更、反省しています。じわじわと嬲りながら、生まれてきたことを後悔させてやればよかったと」
恭弥は利奈を見つめたまま、まったく体を動かさなかった。もしかしたら、綱吉が室内に入ってきたことさえ、気付いてなかったのかもしれない。
あのときの沈黙の重さは、まだ肌に残っている。
当然、その件についてはミルフィオーレ側に抗議文を送っている。
しかし、『隊員が独断で行動した結果であり、その隊員を処罰しようにも、そちらで片をつけてしまったのならどうしようもない。そもそも、当事者が全員死んでいるのでは事実確認もできないではないか』などと書かれた回答文が返ってきただけだった。
のちの調査によると、その隊員二人は、本当に独断で行動していたらしい。手柄を得ようと欲を出して、引っ込みがつかなくなった結果があれだ。
彼女の死に理由はなく、彼女の死に意義はなかった。それがなにより彼女を侮辱している。
(言えるわけ……ないじゃないか)
感傷を抜きにしても、今の利奈に伝えられるはずがなかった。
骸も口ではああ言っていたが、実際に利奈に伝える段階になれば、考えを改めたに違いない。未来に夢を持った、屈託のないまっすぐな瞳を前にしてしまえば。
骸たちが去ったあと、綱吉は応接室で一人、客人を待っていた。
実際に利奈を見たことで満足したのか、骸たちは驚くほどあっさりと帰っていった。もしかしたら、これから来る人物に見当がついていたのかもしれない。
あの事件以来、二人は一度も顔を合わせていないはずだ。どちらもこれからの戦いに備えて準備を重ねていたし――会ってしまえば、失った空白をいやでも思い出してしまうだろう。過去の利奈が現れたところで、彼らの隙間は埋まらない。
「待ってましたよ、ヒバリさん」
ドアが開き、綱吉は立ち上がった。
ソファを薦めようと伸ばした手を無視して、恭弥が綱吉の正面に立つ。今度は戦闘の意思はないようで、両手は胸元で組まれていた。
「で、言いたいことは?」
睨めつける瞳は、朝とは打って変わって冷え切っている。しかし込められた圧に変わりはなく、綱吉は慎重に口を開いた。
「……すみません、独断でやりました」
「……」
そんなことは聞いていないとばかりに恭弥が眉を動かす。組んだ腕が解かれそうになったが、思い直したようでまた組み直される。
「……なんで、相沢を連れてきたの」
恭弥の質問は真っ当なものだった。
計画では、利奈は連れてくるメンバーに含まれていない。十年前の段階では、守護者のだれにとっても守るべき存在ではなかったからだ。
「君の計画では、最初がリボーン。次に君自身だったはずだろう。それがなんで」
よりにもよってという言外の抗議を感じながら、綱吉は笑みを浮かべた。それが恭弥の苛立ちに火をつけるとわかっていながら。
「相沢は僕の組織の人間だ。君が勝手に使っていい人間じゃない」
「亡くなっていてもですか?」
視点が回転する。恭弥の足が、綱吉の足を薙ぎ払ったのだ。
さすがに何度も崩れ落ちるわけにもいかないので、すぐさま体勢を立て直す。
恭弥は腕を解いて追撃を入れようとはしなかったが、じっとりとした目で綱吉を睨んだ。
「よけいな挑発はやめてくれる? 話が進まない」
どうやら朝よりも冷静さを取り戻しているらしい。
いっそ好戦的であってくれた方がよかったのだが、それはそれで綱吉の身体が持たない。こんなところで匣を開匣されでもしたら。工事日程が大幅に延びてしまう。
「で、どうなの。僕に恩を売っておきたかったとか?」
「違います。それは絶対に」
「じゃあ、なに」
「……」
納得のいく理由は挙げられそうにない。納得するつもりもないのだろうから。
それならば、こちらはもっともらしい口実を口にするしかない。
「本番前の実験です。死んでしまった人間でも、正確に召喚できるかどうか。
リボーンはどうしても失敗できないので、相沢さんで実験させてもらいました」
「……」
結果は大成功。死んだ人間でも任意の場所に召喚できることが証明された。
リボーンは外の世界では生きられない。なんとしても、転送先はここでなければならなかった。
「彼女なら失敗しても問題がありませんからね。おかげで、計画の不安要素が払しょくされました」
「……」
「もちろん、あちら側の許可は取ってあります。同じ条件での実験は必須でしたから、反対はされませんでした」
利奈は単なる実験台で、それ以上の意味はない。リボーンと同じ状態にあったから利用しただけ。
その言葉に恭弥の腕が動き、綱吉はひっそりと身構えた。しかし、恭弥はその手を上にあげず、むしろ下に降ろした。
「赤点」
「……はい?」
呆れ顔でため息を漏らす恭弥に、綱吉は目を瞬いた。
「もうちょっと捻りなよ。そんな理由で人を好き勝手扱えるほど面の皮厚くないでしょ、君」
「……」
見透かされてしまっている。挑発に乗ってくれればうやむやにできたのだが、仕方ない。
「俺、前に言いましたよね。人は守るべき存在があれば、限界をたやすく超えられるって」
「それはあくまで君の持論だ。だれにでも当てはまるわけじゃない」
「ええ。だから彼女はメンバーに入れていませんでした。でも――」
感情は理屈通りにはならない。
十年前の恭弥にとっては取るに足らない存在だろうが、この時代の――今の恭弥にとっては、特別な存在であったはずだ。でなければ、綱吉を殴るためだけに、あの扉が開くことはなかっただろう。
続きを言わない綱吉に、恭弥はむすっと口元を引き上げ、背を向けた。
「戻る。あとは勝手にやっといて」
「相沢さんはどうします? そちらに――」
「本気で言ってる?」
本物の殺意を感じ、綱吉は反射的に身を引いた。これ以上は危険だと、本能が信号を出している。意趣返しのつもりはなかったが、逆鱗に触れてしまったらしい。
どうしたものかと冷や汗を流していたら、通信機から信号が流れた。綱吉はすぐさま起動させる。
「どうした、ジャンニーニ」
『っ、大変です! 大変なんですっ!』
声が聞こえたのか恭弥が振り返る。
ジャンニーニの大変のレベルは知っているが、この声色は最大級の緊急事態だ。
「……どうした」
相当の覚悟をして問いかけると、ジャンニーニのひび割れた大声が耳の中で響いた。
『ランボさんが! ランボさんが、ミルフィオーレの襲撃を受けています!』
綱吉の手から、通信機が滑り落ちた。
その反応でランボの同行者に合点がいった恭弥が、落ちた通信機をひったくる。
『ど、どうしましょう! まさか襲撃を受けるなんて! しかもですよ、精製度の高さからいって、ミルフィオーレの――』
「場所は」
『はい!? あ、貴方はどなたで!?』
「場所だけ言って。早くしないと咬み殺す」
『ひいっ!? ば、ばばば場所はですね』
パニックに陥ったジャンニーニを恫喝して、恭弥がランボの居場所を聞き出していく。
投げ返された通信機を手に、綱吉は強く唇を噛みしめた。