新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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影を落とす赤

 

 細い路地を、利奈はウサギのような俊敏さで逃げ回った。

 右に左に、あるいはまっすぐ。一瞬たりとも迷わずに、一瞬たりとも気を抜かずに。

 まるで辿るべき道のりが決まっているかのような動きだったが、その実、逃げ道についての計画はなかった。捕まらなければそれでいい。

 

 振り返ってみるも、追手の姿はまだ見えていない。そもそも、風紀委員に並盛町で鬼ごっこを挑む方がおかしいのだ。

 

(挑んだのは私だけどね! 陸上部やっててよかったあ!)

 

 正確には元陸上部だが、走り込みの経験が活きているのは間違いないだろう。

 とはいえ、さすがに長くは持ちそうにない。こうなると知っていたら、長距離走を選んでおくべきだった。

 

(商店街の近くだったら、逃げ切れたのに……! この辺、店とかないし、そのうち見つかっちゃう!)

 

 逃げ切れるとは思っていなかった。

 そもそも、ここをうまくやり過ごしたところで利奈に戻れる場所はない。アジトは厳重なセキュリティーで守られているために、ランボがいなければ中には入れない。そもそも、最初の出入り口は、ここからあまりに離れすぎていた。

 

(おなか痛い。腕も痛い。やっぱやるんじゃなかったかな……)

 

 早く走るために大きく腕を振るったせいで、左腕の傷口が開いてしまった。買ったばかりの服に赤いしみが滲んでいる。

 もともと突発的な行動だ。

 あのとき、ランボの持つ指輪に気付いていなかったら。γの仲間たちがわかりやすく退かなかったら。こんな無鉄砲な行動には出られなかっただろう。

 窮地に立たされていたから、降って湧いたチャンスに飛びついてしまった。それだけだ。

 

(とにかく、ボンゴレリングを隠して、あの人たちに盗られないようにすれば大丈夫なはず。私が隠しちゃえば、もうランボ君は攻撃されないし。

 私が狙われるのもいやなんだけどね、本当は!)

 

 しかし、あのまま奪われてしまうよりははるかにマシだ。奪われたら厄介なことになるのは目に見えている。

 それに、昨日あんなに苦労して手に入れた指輪を、今日あっさり盗られてしまうのはどうしても我慢できなかった。たとえ、十年後の世界であろうとも。

 

 その代償として現在追われているわけだが、なにも命まで取られはしないだろうと、利奈は高をくくっていた。

 γは利奈に危害を加えることに消極的だったし、隠したボンゴレリングの場所を知っているのは利奈だけだ。となると、尋問、あるいは拷問のために利奈を生かしておく必要がある。

 さらに言えば、彼らにはあまり時間がない。

 

(沢田君たちが来たら、きっとランボ君は見つけてもらえる。ランボ君は大丈夫。

 私はたぶん無理だけど)

 

 助けてもらうには、あまりにも動きすぎた。

 さすがにブラックスペルの人間のほうが先に利奈を見つけるだろう。もう、彼らの足音まで聞こえてきている。

 一方、利奈は足がもうほとんど動かなくなってきていた。頬を流れる汗に冷や汗が混ざる。

 

 指輪はブラックスペルの人間に見つかってはいけない。一般人に拾われてもいけない。

隠し場所がわからなくなってもいけない。すぐ取れる場所にも置いてはいけない。

 

(捕まったら終わりだと思ってたけど、手はまだ残ってる。私が指輪の在り処を言えなくなればいい。尋問するまでに時間がかかればいい)

 

 できれば使いたくない手だったが、仕方ない。

 利奈は覚悟を決めて口を開いた。

 

__

 

「標的確保!」

 

 隊員の声に、γは小さく息を吐き出した。

 日本には窮鼠猫を噛むということわざがあるが、まさか追い詰めたネズミの逃げ足がここまで早いとは思っていなかった。

 おかげで雷の守護者を拷問する時間が無くなってしまった。

 

(雷の守護者はボンゴレの連中に保護されちまうだろうが、リングさえあればこっちのものだ。マーレリングと同等の力を持つボンゴレリング。その存在が確認できたとなれば――)

 

 しかし、事態は思うようには運ばなかった。

 

「おい、どうした。まさかトドメを刺したのか?」

 

 捕まった少女の四肢からはぐったりと力が抜け切っていた。娘を拘束していた隊員は、γの問いに勢いよく首を振る。

 

「いや、俺はなにも! 捕まえた途端、急に崩れ落ちちまって」

「なんだと?」

 

 動揺する隊員を押しのけて少女の顔色を確認する。

 顔にはびっしりと汗が浮かんでいるうえに、その顔色は蒼白だ。荒い呼吸を繰り返していて、意識もない。

 そして、その手にボンゴレリングは握られていなかった。

 

「チッ、また面倒なことに……」

 

 捕まった恐怖で気を失ったのか、薬でも飲んで昏倒したのか、わざと自身を失神まで追いやったのか。なんにしろ、これでは尋問はできそうにない。

 

 標的が持っていた紙袋は部下たちが漁っているが、出てくるのは買い物袋に入った衣服のみ。

 こうなると、彼女が気絶したのも偶然ではないのだろう。

 

(逃げているあいだにボンゴレリングを隠して、自らの意識を絶ったか。ずいぶんな念の入れようだな)

 

 標的の持ち物には匣やリングはおろか、武器すらも含まれていなかった。

 ボンゴレの構成員ならば、それらしい武器や道具のひとつくらい持っていそうなものである。体つきも、そこら辺を歩いている子供となんら変わりがない。

 そして、どうやら最初から負傷していたようで、少女の指からは血液が滴り落ちていた。服の左袖に血が滲んでいる。

 

「どうする隊長。そろそろ撤退しねえとボンゴレの連中が」

 

 ボンゴレの日本支部はこの並盛町にある。

 雷の守護者が奇襲を受けたとなれば、ほかの守護者がすぐさま駆けつけてくるだろう。雷の守護者も発見されているころに違いない。

 

「撤退するか? ガキがこれじゃ、リングがどこにあるのかわかんねえし」

「呑みこんでんじゃねえのか? 吐かせてみたらわかるだろ」

「とにかくさっさとずらかろうぜ! 大事になるとあとが面倒だ!」

 

 独断で動いている以上、事を荒立てすぎるわけにはいかない。

 ここで抗争を起こしたりなんかしたら、ミルフィオーレ内でのブラックスペルの立場も危うくなってしまう。

 

(ボンゴレリングの在り処を知っているのはこの娘だけ……。ボンゴレ連中よりも先に俺たちが見つけ出せれば、今後の戦いが有利に運べる)

 

 γは標的の少女を抱き上げた。

 せめてもの情けで、腕は心臓よりも高い位置に上げておく。

 

「ずらかるぞ。もたもたしていたら他の守護者が来るかも知れねえ」

「その娘も連れて行くのか?」

「腹に隠してる可能性もあるんだろ? 基地に戻ってからじっくりと調べればいい。

 娘の荷物もすべて回収しとけよ」

「おう!」

 

(さて。ホワイトスペルの連中に嗅ぎつけられる前に、事を終わらせねえとな。

 この嬢ちゃんが簡単に口を割ってくれればいいんだが……本当に面倒なことになったもんだ)

 

 思わぬ拾い物に嘆息しながらも、γ率いる第三部隊はその場から撤退した。

 

__

 

 γたちの撤退から間もなく、綱吉たちは現場に到着した。

 

 傷だらけの状態で倒れ伏したランボと、姿を消した利奈。

 そこから推測できる最悪の展開に、綱吉はきつく拳を握り締める。どうしていつも間に合わないのか。

 

「十代目」

 

 隼人の声に、綱吉は右手の拳を解いた。今は後悔に打ちひしがれている場合ではない。

 

「ランボの容態は?」

「わりとマシな方です。骨も折れてないようでしたし、意識が戻るのを待つだけだと」

「そっか、よかった」

「ただ、持たせていたリングがなくなっていました。敵に強奪された可能性が」

 

 そこで隼人は綱吉を慮るように眉を下げた。

 

「利奈は、見つかりましたか?」

「……いや」

「そうですか……。でも、大丈夫ですよ。あいつ、なかなかしぶといですから」

「うん、そうだよね」

 

 元気づけるための笑みを浮かべる隼人に、綱吉は頷いた。

 

 まだ希望はあるはずだ。

 彼女が殺されたのならその死体が残るはずで、死体がこの付近で見つからなければ、利奈の生存度が高くなる。

 こちらの陣営の人間がいつ駆けつけてくるかわからない状況で、守護者でもない利奈を殺害していくメリットはないだろう。

 

「ちょっといい?」

 

 姿を現した恭弥に二人は身を固くした。

 状況確認のために出遅れた綱吉たちとは違い、恭弥は一人先行してこの場に訪れている。

 

「見つかったのか?」

 

 利奈が無事な姿で見つかったのか、それとも、違う姿で見つかったのか。

 身構える二人に恭弥は緩く首を振った。

 

「相沢は見つかってないよ。でも、痕跡を見つけてね。こっち」

 

 恭弥の言葉に従って、閑散とした道を歩く。

 ランボを発見したところからずいぶんと離れたところで、恭弥がその歩みを止めた。

 

「ここ。血がついてる」

「なんだと!?」

 

 言われてみれば、道路の真ん中に真新しい血痕が残っていた。靴かなにかでこすられてはいるが、紛れもなく血の痕だ。

 

「これ、相沢のじゃない? 分析してみないとわからないけど」

 

 恭弥の声は冷静だ。自分の部下、それも、一度失った部下の窮地にもかかわらず、微塵も揺らぎが感じられない。

 

(ここに相沢さんの血がついてるってことは、ここまで逃げて、捕まったってことか……)

 

 それならば彼女の身柄は今、ミルフィオーレにあるに違いない。

 

 しかしここで重要なのは、結果ではなく経過である。

 彼女がなぜ彼らに追われ、そして攫われたのかを考えなければならない。ミルフィオーレの人間はなぜ、いま再び彼女に価値を見出したのか。

 

「もしかして、相沢さんが攫われたのは……」

「なにか心当たりが?」

「もしかしたら、あの噂のせいかもしれない」

 

 いつのまにか、まことしやかに囁かれていたあの噂。

 途中からは意図的に流していったが、あの噂を信じてミルフィオーレがランボを襲ったのだとしたら。

 

「ボンゴレリングの噂を!? だからって、なんで利奈まで狙われるんですか!?」

「それは……」

 

 眼差しで恭弥を追うと、恭弥が仕方なさそうに口を開いた。

 

「相沢がリングを持って逃げた。そうとしか考えられない」

「あいつが!?」

「うん。アジトに逃げるつもりなら方角が違うし、なにも持たずに逃げたのなら、ミルフィオーレが拉致していった理由に説明がつかない」

「でもあいつはリングのことを知らないはず――いや、リング争奪戦のあとなら、知ってるか」

 

 この世界でのリングの扱いは知らないだろうが、十年前の世界のボンゴレリングについては知っていたのだろう。

 どういったやり取りがあったかはわからないものの、彼女はリングを守ろうとして、そしてここで捕まった。

 

「それなら、どこかにリングが隠されているかもしれないってことですね。

 利奈がリングを持っていなかったから、在り処を吐かせるために拉致したと」

「そういうことだと思う」

 

 リングは小さく、その気になればどこにでも隠せる。敵も、ボンゴレリングがかかっているとなれば、目の色を変えて探し出そうとするはずだ。

 そんな物、とうになくなっているというのに。ボンゴレリングにまつわる噂は、紛れもなくデマであった。

 

「リングを隠した。あるいは、目の前で呑みこんでみせたか。

 さすがに十年前の相沢じゃ、そこまではできないだろうけど」

「いえ、リングを持って逃げただけでもすごいですよ」

 

 ランボがそんな指示を出すとは思えないし、利奈が自分で考えて行動したのだろう。さすが、中学生とはいえ風紀委員に属しているだけある。

 

(リングは、ランボがいた場所からここまでのあいだに隠されているはず。おそらく、だれにも見つからないようなところに)

 

 早急に見つけなければならない。でないと、利奈から隠し場所を聞き出したミルフィオーレの人間に先を越されてしまう。

 ボンゴレリングの偽物として用意しただけあって、あのリングの精製度はそれなりに高い。なにより、利奈が体を張って隠してくれたリングを、おめおめと敵に渡すわけにはいかなかった。利奈の努力が水の泡になってしまう。

 

(でも、いったいどこに隠したんだろう。どんなルートを辿ったかもわからないし)

 

 きょろきょろと辺りを見渡してもヒントはない。

 しかし恭弥が動き出したので、綱吉は隼人と目配せをしあってそのあとに続いた。

 

「おい、なんか心当たりあんのかよ」

「……」

 

 スタスタと歩く恭弥の足取りに迷いはない。風紀委員ならではの符号でもあったのだろうか。

 

「相沢が隠しそうな場所はいくつか見当がついてる。彼女は物に頼ることが多い」

「物?」

「これとか」

 

 そう言いながら恭弥は自動販売機の口に手を入れた。じっくりと中を探るが、見つけられずに手を引き抜く。

 

「それに、わりと用心深い。念には念を入れた行動を取るから、かえってわかりやすいくらい」

「なら、さっさと見つけろよ」

「獄寺君」

 

 やはり、逃げた道のりがわからないと時間がかかりそうだ。犬の匣をだれかが持っていれば手っ取り早いのだが、そんなに都合よく事は運ばない。

 恭弥は束の間立ち止まって考えこみ、そして顔を上げた。

 

「……もしかしたら」

「うおっ」

 

 くるりと踵を返した恭弥に隼人が驚くが、それには構わずに恭弥は隼人と綱吉の間をすり抜ける。

 その表情の険しさに、恭弥がこの世界の利奈を思い出しているのだと綱吉は察した。

 

「これ。この中に入ってる」

 

 立ち止まった恭弥が、確信を持った声でそう告げた。

 その眼前には、鮮やかな赤色のポストがあった。

 

 


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