新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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煉獄へと至る道

 

 雲雀恭弥に残されていたのは、結末だけだった。

 

 昨日イタリアから帰ってきたばかりの恭弥は、早朝から日本各地にある関係施設に顔を出し、情報収集に当たっていた。

 ――そう。事件が起きたときには、恭弥は並盛町にすらいなかったのだ。

 

 いかに恭弥といえども、距離という物理的な隔たりは乗り越えられない。

 それでも、他人に言わせれば『奇跡』と形容できる速さで戻ってきたのが、もうひとつの奇跡を起こすことは叶わなかった。

 そもそも、恭弥が強襲の知らせを受けたのは、敵がマフィア関係者だと判明してからであり――つまり、敵が匣兵器を取り出してからのことで――どうやったって、間に合うわけがなかったのだが。

 

 並盛町へと引き返すヘリコプターの行き先は最初から病院であり、利奈がいると伝えられた場所は霊安室であった。

 病院の屋上にヘリコプターで乗りつけ、出迎えた院長を置き去りにし、エレベーターに乗って霊安室へと向かう。

 扉の前で待っていた委員が扉を開くと、そこには数人の委員と、六道骸、そして、利奈の姿があった。

 

 利奈以外の視線がこちらに向く。そのどれもが簡単には形容できない表情を浮かべていたが、恭弥が足を踏み入れると、委員たちは一斉に深く頭を下げた。なかには大きく肩を震わせている委員もいたが、声をかけずに利奈の前に立つ。

 

 ――体にも顔にも、白い布がかけられている。

 布がかけられていなくても、この場にだれもいなかったとしても、一目で利奈だとわかっただろう。息をしていなかろうが、気配がなかろうが、利奈は利奈だ。間違えようがない。

 

 体の方の布を外すと、大木がその布を受け取った。

 着ているスーツは昨日見たものと同じだったが、靴の踵の高さが異なっている。そして奇妙なことに、スーツにも体にも、外傷や汚れがひとつも残っていなかった。血の匂いもしない。

 いまだ顔の布は外していないが、原形を保っている以上、そこに致命傷を喰らった可能性は低いだろう。わずかに見える華奢な首にも血の痕はない。

 

「……現場に駆けつけたのは、君たち?」

 

 利奈から目を離さずに問うと、ようやく一同が頭を上げた。

 

「はい。ほかにも二班おりましたが、ほかの班は襲撃者の特定と、近くに潜伏した仲間がいないかの調査に出ています」

「時間かかりそう?」

「特定は少々――なにしろ」

 

 そこで大木は、壁に寄りかかった骸を気にするそぶりを見せた。

 

「顔の判別もつかないほどの外傷だったので」

 

 骸が現場にいたことも、襲撃者を殺害したことも、すでに上空で聞かされている。

 だから、ここに骸がいても疑問は抱かなかった。

 

「わかった。それなら、君たちも出て行っていいよ。

 どうせボンゴレ絡みの襲撃だ。ボンゴレから情報を引き出しておいて」

「……よいのですか?」

 

 委員たちは全員、背後の骸を警戒していた。恭弥を守る壁としてそこに立っていた。

 間に合わなかったとはいえ、仲間を救出しようとした人間に対して礼儀を欠いた行動だが、そうするだけの理由が彼らにはあった。

 恭弥がこの部屋に入ったときから、骸は恭弥に向けて殺気を放ち続けていた。

 

「付き添いは一人いれば十分だ」

 

 今までもそうだったのだから、今だってそうだろう。

 平素なら殺気を飛ばすのは恭弥の役目だったが、今はどういうわけか苛立ちや怒りが湧いてこない。

 

 委員たちが退室してからすぐに、ボンゴレファミリー十代目ボス、沢田綱吉が現れた。

 二人がいると予想していなかったのか、綱吉はわずかにたじろぐ様子を見せた。しかし、なにも言わずに後ろ手にドアを閉める。

 そのままそこで動かずにいる綱吉に骸が声をかけ、綱吉がゆっくりと利奈のもとへと歩み寄ってくる。室内に他人がいないからか、表面を取り繕うような真似はしなかった。

 

 骸が顔にかかっている布を外し、利奈の顔があらわになる。

 

 予想していたとおりの、穏やかな死に顔がそこにはあった。

 擦り傷すらついていないその顔は生前そのままで、今にも動き出しそうなほど、生気に満ちていた。

 これには綱吉も驚いたようで、目を動かしてまじまじと全身を検分している。

 

「到着したときには、もう手遅れでした。この僕でさえ、手の施しようがないほどに。

 意識はかろうじて残っていたのですが、幻術の効果は出ませんでした。ひどい出血で」

 

 目の前の遺体は骸の言葉と矛盾している。

 しかし、骸がそう言うのならそうなのだろうと、綱吉が疑問を口にすることはなかった。

 

「敵は、匣を使ったんだって?」

「ええ。ですが、匣のコントロールすらおぼつかない人間だったようで。

 匣から放たれた炎は仲間も焼き、炎上。あのままでは辺り一面火の海になりかねませんでした。

 僕はちょうどそのタイミングで到着したので、すぐさま二人とも仕留めました」

「……そいつらは、なにか言っていたか?」

「さあ。命乞いの言葉など、耳にするだけ時間の無駄だ。

 ですが、二人とも殺してしまったのは僕の失態です。言い逃れるつもりもありません」

 

 挑むような視線がこちらに向いたのがわかった。

 しかし恭弥は顔を上げず、利奈の顔を見つめ続けた。

 

 ――残されていたのは結果のみ。原因を知ったところで、失ったものが戻るわけではない。

 それならば、なにをするべきか。

 

「ちょっといいかい」

 

 しばらくぶりに声を発した恭弥に、骸が訝しげな眼差しを向けてくる。

 

 恭弥は時間がどれだけ経っているか気にしていなかったが、綱吉はとっくに退室していて、入れ代わり立ち代わり現れた風紀委員の波も絶えた。

 三人だけしかいない室内では、問いかける相手も決まっている。

 

「なんですか」

 

 触れれば凍てつく絶対零度。しかし、熱をなくした恭弥に、その拒絶は意味をなさない。無表情に骸を見据えた。

 

「相沢を元に戻して」

 

 目を見開いた骸が、その反応を取り繕うように口元を歪めた。

 

「……気付いてましたか」

「気付かないわけがない」

 

 死因はまだ聞いていない。

 聞いてはいないが、暴発した匣が草むらまで焼いたのなら、すぐそばにいた利奈が被害を受けないわけがない。最低でも、服や髪に焦げた痕が残っているはずだ。

 その場にいたはずの委員たちがなにも言わなかったのは、遺体がそれほどひどい状態だったということなのだろう。骸の行動を許容するほどの。

 少なくとも、今見せられている利奈は生前そのままの姿だった。この利奈は、まだ生きている利奈を投影したものである。

 

「確かに利奈は炎で焼かれました。近距離で半身を焼かれ、顔なんてとくにひどい有様だった」

 

 利奈を挟んで立っていた骸が、恭弥の隣まで回りこんできた。挑むような光を宿したその目に、色のない自分の顔が映る。

 赤い瞳と青い瞳。どちらも炎のように揺らめいていた。

 

「よくできてるでしょう?」

 

 骸が利奈の頬に手を滑らせる。爪先が触れ、はらりと前髪が落ちた。

 

「あんな姿を衆目にさらすわけにはいきませんからね。完璧に作り上げました。

 こうしておいた方が、貴方がたにとってもいろいろと都合がいいでしょう?」

 

 血色のいい肌に、つやのある唇、寝入ったような表情。そのどれもが作り物であると、骸の表情が物語っている。

 

「こうしてくれって、相沢が頼んだの?」

「僕が勝手にやりましたが、いけませんか?」

 

 すかさず答えた骸の声には熱がこもっていた。

 いけませんかという声の響きには多大に皮肉が込められていたが、そんなことには興味がない。

 

「好きにすればいい。でも、君が作った偽物だけ見て、帰るわけにはいかない。

 早く元に戻して」

 

 睨み合うようにして見つめ合っているが、睨んでいるのは骸だけだ。

 

「……ならば、貴方次第です。本当の姿を見ても目を逸らさない自信があるのならば、一時的に解きましょう。

 ですが、自信がないのなら。このまま大人しく引き下がってください。彼女の前で争いたくはない」

 

 今度は恭弥が即答する番だった。

 

「僕がそんなことをするとでも?」

 

 後悔は絶対にしない。後悔しない選択肢を選び続けてきたのだから。

 だからこそ、焦げた匂いを感じて下を向いた恭弥の瞳が揺らぐことはなかった。

 きれいに取り繕われた虚像なんかに意味はない。どんなに傷つけられていても、最後まで足掻いた実体にこそ意味がある。

 

「……これだけは忘れないでください。

 僕は――雲雀恭弥、貴方を許さない」

 

 もはや灼熱の炎を隠そうともせずに、骸は吐き出した。

 

「相沢利奈を救えなかったのは貴方も同じです。

 貴方は――貴方だけは、なにがあっても彼女を救わなければならなかった。最後まで、救い続けなければならなかった」

 

 右目が爛々と輝いている。

 声は一切荒げていないにも関わらず、触れるものすべてを無に帰す力が込められていた。

 

(そんなこと――)

 

 自分が一番わかっている。

 

 言いたいことを口にして気が済んだのか、ようやく骸は退室の気配を見せ始めた。

 思いついたように骸が利奈の髪に手を伸ばし、利奈がよく使っていた髪留めを外す。

 

「形見分けにこれを頂いていきます。クロームはこちらに来れそうにありませんので」

 

 骸は恭弥の返事を待たずに髪留めをポケットにしまった。

 そして――恭弥には見えていなかったが、泣きじゃくっていた少女を連れて、部屋を出て行った。

 それと同時に、利奈の火傷の痕が瞬く間に消えていく。服の焦げ跡もなくなり、止まっていた時計の針が動き出す。

 恭弥はその時計を手に取ろうとしたが――利奈の手に触れる直前で、こぶしを握り締めた。

 こうなった今、その肌に触れる資格はない。

 

 恨みたいだけ恨めばいい。許されようなどとは思っていない。

 

 赦すことが出来るのはただ一人。

 

 そしてその一人はもう二度と、恭弥に声をかけることすら出来ないのだから。

 




 煉獄:死後、小さな罪を犯したものが向かう場所。天国と地獄のあいだにあり、火によって罪の浄化を受ける。(要約)

 ――いつか必ず救われる。


(短編のあとがきから引用)
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