夢から覚めて
綱吉たちがリングを隠し場所から回収したそのころ。
彼らの心配をよそに、利奈はぐっすりと眠りこけていた。
心身ともに疲弊した状態で気を失った結果、不安や恐怖が完全に遮断されて、一切なにも考えることなく眠りにつくことができたのだ。
ミルフィオーレの基地に連れ込まれても、怪我の治療をされても、床に転がされてもまるで目覚める気配がない利奈に、ミルフィオーレの隊員たちも呆れ顔を浮かべていた。
「ずいぶんと能天気なガキだな。よくこんな無防備な顔で眠れるもんだ」
「さっきは寝言も言っていたぜ。恨むとか恨まないとか」
隊員が話しているあいだにも、利奈の口は寝言を紡いだ。
「……馬鹿って……馬鹿ってなんですか……もう」
それを聞いて隊員たちが笑い出す。
その声の大きさでようやく目が覚めた利奈は、ゆっくりと重たいまぶたを引き上げた。
「……うっ……ん?」
明かりのまぶしさに何度か目を瞬いて、ゆっくりと上体を起こす。昨日の今日なのに、左腕を庇うのがすっかり癖になってしまった。
「ようやくお目覚めかい?」
「っ!?」
呼びかけの低い声に利奈は硬直した。
気を失うまでの記憶がよみがえり、ゆっくりと声の聞こえたほうへと首を動かす。
ソファにふんぞり返るように座っているのは、先ほどランボを襲撃しに来たγである。
一人掛けソファの周辺には、γを取り囲むようにして制服姿の男たちが立っていた。なかには、γよりも年嵩な人も何人か混ざっている。
γは見透かそうとする瞳で、きょろきょろする利奈の挙動を見つめていた。
「ここ、どこ?」
「見ての通り、俺たちの根城さ。男所帯だから、むさくるしいのは我慢してくれよ」
背後の男たちが脅かすような笑い声をあげているが、殺意すら向けてこない人たち相手に今さら恐怖心は抱かない。
彼らにはまったく頓着せず、利奈はゆっくりと部屋のなかを見渡した。
根城というよりは、店みたいだった。
お酒がたくさん並んだバーみたいなところにはカウンター席があるし、利奈のすぐ後ろには長方形の足のないテーブルが――いや、テーブルじゃなくてビリヤード台かもしれない。γが襲撃時に持っていたキューがいくつも壁に並んでいるし、椅子がひとつも置かれていない。
(むさくるしいっていうか……お酒臭い。煙草の匂いもするし)
窓がないせいで匂いが充満している。
座っていてこれなら、立ったら咳きこんでしまうかもしれない。とりあえず、いざとなったら酒瓶を武器にしておこう。
(あっ、私の荷物)
γの足元には利奈の購入した衣服が散らばっていた。リングを探すためにぶちまけたに違いない。
そのなかに一着だけ血で汚れた服を見つけ、利奈は再び体を硬直させた。
(ま、まさか……)
ゆっくりと視線を下げる。
腕の怪我があるからゆったりとした裾の服を選んだけれど、今着ている服は、服屋で着替えた服ではない。
水色のシャツが黄色のパーカーに変わっていて、たまらず利奈は絶叫した。
「きゃああああ!? うわ、うわあああああん! だ、だれ!? 脱がせたのだれ!」
じりじりと後ずさって、ビリヤード台を壁にする。右手で体を庇う利奈に、男たちは動揺の気配を見せた。
「腕の止血をしてやったのにその態度はねえんじゃねえかあ?
ちなみに服を脱がせたのはこいつだ」
一人の男が親指を動かすと、指差された相手はギョッとした顔で隣の男を睨んだ。
「は、はああ!? てめ、なにしれっとバラして――ちょっと待ってくれお嬢ちゃん、ほんとにやましいことはしてねえんだから、そんな目で俺を見んなよ。
隊長もなんか言ってくれって!」
「全員、あんたが脱がされてるところを笑って見てたぞ」
「はああああ!?」
「きゃああああ!」
γの悪意しか感じられない一言に、一同が絶叫した。
利奈にいたってはもはや半泣きである。大勢の男たちに裸を見られたとあっては、もはや生きてはいられない。いや、生かしてはおけない。いざとなったら酒に火をつけて燃やしてやろう。
「うぐっ、さいてっ、最低! 馬鹿ぁっ! 変態っ……ぐすっ」
「泣いちまったぞ、おい!」
「……マジかよ」
さすがに泣くとは思っていなかったのか、γの顔から血の気が引いていく。
悪意のある告げ口をされたこともあって、周りの隊員たちの目も冷ややかだ。
「かわいそうに」
「いくらなんでもあんまりだ、謝ってやれ」
「いいい、言っとっけど俺は見てねえぞ! 後ろ向いてたからな! なあ、太猿兄貴!」
「そうだったか?」
「兄貴ぃ!」
よくよく見れば、太猿というガタイのいい男はまったく慌てていない。
反対に、彼を兄貴と呼んだまだ年若い長髪の少年は一番焦っていて、利奈と目が合うと一瞬で視線を逸らした。
やり取りを眺めながらグスグスと泣いていたら、いたたまれなさを感じたのか、隊員たちからハンカチを何枚か放り投げられた。
それで涙を拭いているうちに、立ち上がったγが利奈の前にしゃがみこむ。ヒッと喉が鳴る。
「泣いてるところ悪いが、そろそろ本題に入らせてもらおうか。
いったい何者なんだ、あんたは」
「……」
なにも言わずに涙の溜まった瞳で睨みつける。こんな辱めを受けたあとに質問に答える女の子がいるわけがなかった。
無言の訴えが通じたのか、γは大きくため息をつく。
「だんまりは得策じゃないぞ。素性がわからないやつをおいそれとは解放できないからな。
あんたがボンゴレと関係のない娘だっていうんなら、なにもせずに帰してやるよ」
「……」
ふいっと顔を逸らす。
拗ねた態度を装ったが、心の中は冷や汗ものだった。
(それじゃ、話したって帰れないじゃん!)
γの口ぶりからすると、利奈を一般人だと思い始めてくれたらしい。
しかし、十年後の利奈は雲の守護者の部下だ。見逃してもらえるとは思えない。
(いっそ正直に、十年前の世界から来てなにもわからないって言ってみようかな。
……ダメだ、そしたら元に戻るまで監禁するとか言い出すかもしれない。
変なこと言って沢田君たちに迷惑かけちゃったら大変だし、やっぱり言わないでおこう……!)
この時代のことはよく知らないけれど、ボンゴレファミリーの地下アジトの存在は知っている。その情報が彼らの手に渡ってしまったら、そこにいる全員が危険に晒されてしまうだろう。
怪しまれて出られなくなったとしても、口を噤んでいるしかなかった。
「Ok,わかった。俺とはどうしても喋りたくないんだな。
それじゃ、だれと話したいか自分で選んでくれ。より取り見取りだぞ」
「……」
「さすがに全員却下はなしだろ。こういうときは一番好みの男を選べばいいんだよ。
そうだな……年が近い野猿にするか?」
「はあ!? ちょ、やめてくれよ兄貴!」
(え、兄弟?)
先ほどの長髪少年が今度はγを兄貴と呼んだ。
三兄弟にしては、全員髪色も顔つきも異なっている。利奈は三人の顔を順繰りに見比べた。
ビアンキと隼人もあまり似ていない姉弟だけど、ここまで違ったらさすがに実の兄弟ということはないだろう。太猿にいたっては肌の色さえ違う。
利奈の視線に気付いて、太猿が半円を抜け出した。
これ以上警戒させないためにか、γよりもずっと距離を取ってしゃがみ込む。
「太猿だ」
自己紹介を受けて、利奈は小さく会釈した。こんなときでも、礼儀というものは守ってしまうものらしい。
背が高くて、筋肉質で、色黒で、目つきが鋭い。初めて見るタイプの極悪人面だったので、ついまじまじと見つめてしまった。
「あんたの名前は?」
「……」
「そろそろ、名前くらい聞かせてくれてもいいんじゃねえか?
名前を知らなきゃ、手紙の宛先も書けやしねえ」
「手紙?」
「ん? あー、なんだったか……恋文だ、恋文。宛先なしの恋文も変だろ」
「ふふっ」
気障な台詞がくるとは思っていなくて、利奈はつい噴き出してしまった。
見た目はとても厳ついのに、言っていることは面白い。
(下の名前くらいなら……大丈夫かな?)
そこまで珍しい名前でもないし、苗字まで教えなければ特定はされないだろう。
「私――」
「失礼します!」
太猿に絆されて口を開きかけた利奈だったが、間一髪とでもいうのか、外からの声がそれを押しとどめた。
(だれか来た?)
一斉に全員の視線が斜めに流れていくけれど、利奈のいる位置からは台が邪魔になって、訪問者の姿は見えない。
しかし、彼らにとって歓迎される人物でないことは確かだ。
訪問者を見ているのであろう彼らの顔は、一様に険しかった。最初に利奈に向けられた視線よりも、ずっと。
「だれだ? ……ああ、これはこれは」
緩慢な動作で立ち上がったγだが、訪問者の顔を見るなり、大きく腕を開いた。
「メローネ基地へようこそ。ええっと、名前は――」
「入江正一です。ホワイトスペル第二ローザ隊A級隊長の」
「ああ、そうだった。俺はγ。ブラックスペル第三アフェランドラ隊隊長だ」
(……アフェランドラってなんだろ。外国語? っていうか、この名前、日本人?)
顔の見えない人との会話を聞きながら、空気を読んでじっとしておく。
敵なのだからあえて空気を壊すという手もあるけれど、とりあえずは様子を見ておいたほうが得策だろう。耳に入る情報は多い方がいい。
「お前らも頭下げとけ。ここの最高責任者だぞ」
いまだ睨みを利かす仲間に念を押しながら、γが入り口があるだろう方へと歩いていく。
「いえ、そんな! 電光のγの武功に比べたら、僕なんか……」
「謙遜なんてしなくていい。ボスにもっとも信頼されているんだろう? 俺たちにとっちゃ、上司も同然だ。俺たち第三部隊は、いつでも第二部隊に協力する」
そのわりには口調が馴れ馴れしい。敬語を使わないタイプの人なのだろうが、敬う姿勢は感じられなかった。部下がいる手前、わかりやすく下手には出られないだけかもしれないけれど、部下たちも似たような態度である。
反対に、相手の正一は恐縮しきりと言わんばかりの声音だ。これではどちらが上かわからない。
(それより、ボスってこの組織のボス? ここ、なんの組織だっけ)
こうなるんだったら、根掘り葉掘り綱吉たちに質問しておくべきだった。
ボンゴレファミリーの敵であるのだから、ほかのマフィアファミリーになるのだろうが、名前すらわからない状態だと居心地が悪い。ブラックスペルとホワイトスペルという単語が出てきたけれど、それがファミリー名というわけでもないだろう。それだと、ふたつファミリーがあることになってしまう。
「それでは、ひとつ話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか。
ボンゴレの守護者を襲撃した件について」
「――っ!」
間違いなくランボの件だ。そして、利奈に関連することでもある。
幾分か声を硬くして、正一は続けた。
「貴方たち第三部隊は、ほかの部隊に一切相談することなく、ボンゴレの守護者を襲撃しましたね。情報筋から情報があがってきています」
「いい情報屋を雇ってるみたいだな」
「情報はこれだけではありません。貴方たちが部外者を運んでいるのを見たという報告もあがっています。これは基地の隊員からの報告ですが」
「逐一報告を欠かさないのはいい部下の条件だな。隊長は部下にも恵まれているようで」
「はぐらかさないでください」
(私の話してる……)
正一とγがどんな顔をしているかはわからないけれど、向かい合って火花を散らしているのは想像に難くない。
ずっと同じところに立っている部下たちもはぐらかす気満々なのか、だれひとりとして利奈に目をやらなかった。まるで透明人間にもなったような気分である。
「そんな怖い目で見ないでくれ。
俺たちは少しでもあんたの計画の助けになればと尽力したまでだ」
「……計画とは?」
「ん? そりゃ、ボンゴレファミリーを殲滅する計画だよ。いったいなんだと思ってたんだ?」
「……いえ」
(ええ!?)
「殲滅!?」
衝撃のあまり立ち上がった利奈だったが、その行動は幸か不幸か、その場の空気を一変させた。
苦々しげに振り返るγと、目を瞠る正一――やはり日本人だった――と、仮面越しに感情のない視線を向けてくる二人の女。さらに言えば、背後の隊員たちからも視線が突き刺さる。
「……彼女は?」
「あー……お客様だ」
「なるほど、彼女が」
「おい」
こちらに近づこうとする正一をγが体で塞ぐが、すかさず正一の部下二人が割って入る。
その隙に正一がビリヤード台を回りこみ、利奈の前に立った。
眼鏡越しの瞳に見つめられ、利奈も負けじと見つめ返す。
声で想像した通りの若さだが、このファミリーのボスの右腕なら、見た目と違って相当強いのだろう。ランボをボコボコにしたγよりも偉いのだから。
「こんな年端もいかない子供を拉致するなんて……」
「拉致したとは人聞きが悪いな。手も足も縛ってないだろう。
俺たちは倒れた彼女を助けて治療してやっただけだ。ついでに二三、情報を聞かせてもらえればとは思っていたけどな」
(しっらじらしい!)
物は言いようというが、肝心なところが抜けている。
倒れた原因はγたちにあるし、そもそも、追いかけられなければ傷口だって開かなかったのだ。それに、手足が拘束されてなくったって、大人数に囲まれている状況そのものが拘束である。
言ったってどうせ意味がないのと、隊員たちの視線もあって、口に出して抗議はしなかった。それでも正一には充分伝わったようで、非難の眼差しをγに向けている。
「独断で行動されては困ります。
この基地に敵の仲間を連れてくるなんて――そもそも、彼女はボンゴレファミリーの人間なんですか? 僕にはただの中学生に見えますが」
当たっているようで当たっていない。ただの中学生だったなら、今頃取り乱して泣き叫んでいただろう。いや、もう取り乱して泣いたあとだけれども。
「だから、それをこれからじっくり聞こうと思っていたんだよ。
そいつはボンゴレリングと思われるリングを持って逃走したからな」
「ボンゴレリング!?」
音が出そうな勢いで振り向かれるが、利奈は視線を明後日の方向に向けた。
六の球は緑色だった。
「それは本当ですか? ボンゴレリングはとっくの昔に今のボンゴレが処分したと聞いていますけど」
「だから。それを吐かせようとしていたところだ。
どうだ、俺たちにとって有益な情報だろ?」
腕を広げるγはどこまでも嘘くさい。
こんなふうに、俺はお互いのために尽力していたんですよとアピールしてくる人ほど、信用ならないものはない。
本当にそのつもりだったら、行動する前に相談しているはずなのだから。
(この人、絶対騙されてる……)
この組織も一枚岩ではないらしい。そもそも、同じ制服で色を変えている時点で、ある種の区別をつけてしまっている。ブラックスペルが黒服で、ホワイトスペルが白服だろう。わかりやすい。
正一はγの言葉に束の間逡巡したものの、すぐに唇を引き結んだ。
「とりあえず、この子の身柄は僕が預からせていただきます。
君たち、この子を連れてってくれ」
「はっ!」
「おいおい! 手柄横取りするつもりかよ!」
聞き捨てならないとばかりに野猿が吠えるが、そんな野猿に正一は冷え冷えとするような眼差しを向けた。
「……手柄?」
先ほどまでの控えめな態度からは打って変わって、その声はどこまでも高圧的だ。
マフィアとしての一面を垣間見せられられ、利奈は臆した。
「冗談じゃない。君たちが勝手に行動することで全体にどれだけ迷惑がかかるか、考えたこともないだろう。
処罰を与えないだけ、温情だと思ってほしいくらいさ」
「なんだと!?」
「やめろ、野猿!」
今にも掴みかかりそうな野猿をγの鋭い声が抑えこむ。
兄の命令は絶対だったようで、即座に野猿は身を引いた。しかし歯を噛みしめる姿は猛獣そのものだった。
「悪いな。腕は立つんだが、なにしろ血気盛んな年頃で」
「……ちゃんと指導しておいてください。好き勝手されると、本当に困るんです」
「ああ、そうだな。……少し前に、ボンゴレ関連組織の人間に手を出して、返り討ちにあった人間もいたっけか」
「……?」
そんなこともあったらしい。
それ自体はそこまで興味がなかったが、正一の目がこちらに向いたのは、偶然だろうか。
話がまとまったところで、正一の部下が利奈に迫ってくる。
仮面で目元は隠れているとはいえ、瓜二つな女に迫られ、利奈は身を固くさせた。
「あ、あの、ちょっと待って――」
無理やり連れて行かれることに恐怖を覚えた利奈が後退ると、利奈と女を割くようにして野太い腕がビリヤード台を掴んだ。
「……どういうつもりで?」
「おい、太猿」
手を伸ばしたのは太猿だった。
「邪魔をするつもりか?」
女の平坦な声かけに、太猿は緩く首を振った。
「まさか。だが、このお嬢さんは左腕を負傷していてな。
できれば、両側から挟み込むような連れていき方はしないでやってくれ」
その言葉に正一が気遣わしげに左腕を見たのを、利奈は見逃さなかった。
その動作だけで、利奈は彼が悪人でないことを察知した。本性というものは、ふとした一瞬に現れるものだ。
「体は拘束しなくていい」
「かしこまりました」
台から手を離した太猿は、利奈にだけ伝わるようにウインクを飛ばしてきた。本当に、見た目のわりにおちゃめな人だ。
お礼に頭を下げて、抵抗はしませんとばかりに自ら二人に歩み寄る。
表情のわからない彼女たちについていくのは不安だが、正一は悪い人ではなさそうなので、ここにいるよりは安全だろう。
少なくとも、出合い頭に攻撃してきたγよりはマシなはずだ。
「やれやれ、まだ名前すら教えてもらってないんだがな」
通り過ぎざまに肩をすくめるγ。
利奈はベッと舌を出してそれに答えたが、正一は違う答えを出した。
「それは難しいでしょう。
名前を口に出したりなんかしたら、それを媒介に芋づる式に情報を入手されるんですから。この情報社会ではね。
では、失礼」
(言わなくてよかったー……!)
太猿にしてやられるところだったのに気付き、利奈は冷や汗を流した。
まったく、マフィアというやつは油断も隙もない。
報告活動のアンケート、七十話投稿時に締め切ります。
二週間後ですね。