遅刻者の取り締まり
――もう二度と訪れるまいと思っていた屋上に、こんなに早く来ることになろうとは。
屋上に集った黒一色のなか、紅一点の利奈はぼんやりと感慨にふけっていた。
扉を開けて強面たちの視線が集まったときは、そのまま閉じてしまおうかとも思ったけれど、混ざってしまえば、意外と恐怖は感じなかった。昨日散々顔を見たあとだから、慣れてしまったのかもしれない。
点呼を取る草壁の隣で、正面に整列する風紀委員の顔を確認していく。
恭弥の言ったとおり、普通の髪型の風紀委員もちらほらといた。しかし、副委員長の草壁が常識外に長いリーゼントにしているからか、だいたいはリーゼントだ。
真っ黒な学ランも相まって、見ているだけで暑い。ズボンも幅広の不良スタイルだが、ひょっとして、夏でも着るつもりだのだろうか。
じりじりと照らす太陽に背中を焼かれつつ、利奈はそんなどうでもいいことばかり考えていた。
昨日体育館裏に現れた風紀委員はこの半数くらいだったと思うけれど、通達が行き届いているのか、どう見ても場違いな利奈を、みんな受け入れている。
恭弥は委員長なのに、この場に出席していない。真面目に点呼を取っていたら、それはそれで違和感があったけれど。
「昨日、風紀委員に入会した、二年生の相沢利奈だ」
点呼が終わり、草壁が利奈を目線で示した。
朝礼の間は、委員長か副委員長に許可された場合にのみ、発言が可能らしい。なので利奈は、全員の視線を受け止めながら、深く頭を下げた。
(……すごく息が詰まる)
そこらへんの不良などでは、太刀打ちできないほどの迫力がある人たちに、凝視されているのだ。できれば、視界に入っている扉から、全力で逃げ出したい。
「相沢には、校門の見張りに入ってもらう。校門担当の班長、前へ」
その言葉に応えて、一人の男が前に一歩出た。どうやら、列の先頭が班長になっているようだ。
運良く、利奈が名前を知っている人に当たってくれた。階段で出会った風紀委員、名前は大木だ。
「本日は五班に新人の教育を任命する。
相沢、五班の列に並べ」
「はい! ――あっ」
うっかり返事をした利奈を、すさまじい殺気が襲った。
そんな失敗に首をすくめながらも、校門前までやってきた。
これから行われるのは、遅刻者の取り締まりだ。遅刻してきた生徒を片っ端から捕まえて、名前と遅刻理由を控えていけばいいらしい。
――生徒の遅刻回数はカウントされていて、一定回数を超えると、なんらかの処置が下されるそうだ。どんな処置かは、教えられていないのでわからない。
遅刻回数は内申にも影響するからか、この取り締まりから逃れようとする生徒もいるらしい。見つけ次第、強制確保だそうなので、校門でじっとしていればいいというものでもない。
校門以外にも、裏門、校庭、校舎外周にも風紀委員は配置されている。どうりで、登校途中にやたらと風紀委員を見かけたわけだ。
今回初参加の利奈は、大木に見学を言い渡された。見学という名の放置に思えるけれど、風紀委員に混ざって仁王立ちするのはまだ気が引けていたから、ちょうどいい。風紀委員と話しているだけでも、一般生徒からの視線が集まっている。
利奈はこれ幸いと校門から出て、ほかの風紀委員の仕事を見学することにした。
時間が経つにつれて、登校する生徒たちの歩みが早くなっていく。遅れている自覚のある人は小走りになっているし、いつもこの時間に通っているらしき人は、歩幅を変えずに歩いている。チャイムが鳴り終わる前に校門を通過していればセーフなので、この時間に校舎付近にいる生徒は安全圏内だろう。
利奈は余裕をもって登校する側の生徒なので、この時間にはすでに着席している。病気で欠席になるのはいいけれど、寝坊とかで遅刻するのは、なんとなく癪に感じるのだ。
風紀委員仲間――と呼んでいいかはわからないけれど、ほかの班の様子を遠巻きに観察しながら、校舎の外をぐるりと回る。
風紀委員の腕章の効果で、すれ違う並中生はもれなく利奈の左腕と顔、交互に視線を送っていた。
効果はそれだけに留まらず、三人組で歩いていたガラの悪そうなお兄さんたちも、食い入るような目で見ながらも、遠巻きに利奈を通り過ぎていく。虎の威を借る狐の気分である。
(これ、教室入るの恐いなー)
授業中も、腕章は嵌めてなければならないのだろうか。聞く勇気がないから、しばらくはつけっぱなしにするつもりだけれども。
生徒の数が減ってきたところで、チャイムが鳴った。これから見かける生徒は、おそらく全員遅刻扱いになるだろう。間に合わないのは確定していても、みんな走って校門に向かっている。
(私もそろそろ戻らなくっちゃ)
これから、チェックのつけ方を教わらなければならない。
引き返す前に、学校を囲うフェンスを見上げる。
先ほどすれ違ったほかの委員に聞かされたが、このフェンスを乗り越えて補導を逃れようとする生徒もいるらしい。確かに、運動神経が良ければ、こんなフェンス簡単に乗り越えられるだろうけれど――
(女子には無理っと)
スカートの下にズボンを履けばなんとかなるけれど、そこまでする女子はいないだろう。
そもそも、フェンスの向こうはそのまま校庭なので、校庭を見張っている別の班に捕まるだけだ。
「あっ、やめたほうがいいよ!」
フェンスを見上げていたら、声をかけられる。振り返ると、遅刻確定の並中生が走り寄ってきていた。
茶色っぽいツンツン頭。気の弱そうな顔つき。
同じクラスの男子生徒だとはわかったけれど、名前が出てこない。
(あだ名は出てきたんだけどなー)
どう考えても、いいあだ名ではなかったので、口には出さないでおく。
「乗り越えるのはやめたほうがいいよ。そこ、登っても捕まっちゃうし、危ないから」
そう言われて、遅刻した生徒と間違われたのだと気付く。
腕章をちゃんとつけているのに、目に入っていないみたいだ。
「うん、やらないけど。やったことあるの?」
「いや、俺じゃなくて――前に踏み台にされたくらいかな、ハハ」
遠い目でつぶやく様子を見るに、しっかり風紀委員に捕まったらしい。踏み台にされたうえに捕まるなんて、自業自得とはいえ、気の毒に思えてくる。
(どんな人だったっけ。話すの、これが初めてだよね)
駄目という単語があだ名に使われるほど、駄目なところが目立つ男子なのだが、一緒にいる友達がクラスでも抜きんでた人たちだからか、みんなからはなぜか一目置かれている。
一目置かれている理由のほとんどは、四月に転入してきた利奈にはわからなかった。
校門に戻るだけなのでのんびり歩く利奈と、遅刻確定とはいえ急ごうとする彼。ずれてくる歩幅に、同級生は焦り顔で利奈を振り返った。
「君、遅刻初めて?」
(……今も遅刻じゃないんだけど)
鞄を持っていない時点でわかると思うけれど、そもそも腕の腕章も目に入っていないのでは仕方がない。
「風紀委員ってすっごく怖いんだよ、ほんと。遅刻届けも早く書けって目で急かしてくるし、見られてると迫力半端ないし。だから、遅刻しててもみんな急ぐんだよ」
「そうなんだ」
聞かされていなかったけれど、遅刻届けも風紀委員が書かせているらしい。それなら遅刻が確定していても、大急ぎで校門に向かうだろう。時間がかかればかかるほど、受ける圧も大きくなるに違いない。
しかしそれを聞かされても、利奈に焦る理由はない。むしろ今行ったって、人が多くて教わるどころではない。だから置いていってくれてもいいのだけど、人がいいのか、同級生は利奈に歩調を合わせている。
風紀委員であることを明かせば済む話だが、風紀委員がいかに怖いかを語っている彼に、私がその風紀委員ですとは伝えづらい。これでもかと、腕章が腕で光っているのに。
「ほら、俺は結構慣れてるんだけど、初めてでそんなの嫌でしょ? 急ごうよ、じゃないと――」
「おい」
後ろ歩きで歩いていた彼の背中。つまり利奈の視点では正面から、野太い声がかかる。
「ひいいいい! 来たー!」
お化けが現れたようなリアクションで彼が慄いた。悪いけれど、そのお化けの正体は、五班の竹澤だ。
竹澤はまず同級生に注目したが、後ろに利奈をいたので訝しげに首をかしげた。
「なんだ? こいつは遅刻者か?」
その質問は利奈に向けられたものである。
しかし同級生は、恐怖の対象である風紀委員に声をかけられたと思い込み、完全にパニックに陥った。
「ひいいいっ。俺、はい、でもこの子は、あー、どうしよう……!」
「お前、うるさいぞ」
「すすすすみません、命だけは!」
「うるっせえつってんだよ! 黙れ!」
「ひゃー! 勘弁してくださいー!」
「だから喋んなつってんだろうが、ボケ!」
「ごめんなさーい!」
もはや言葉の意味もわかっていないようだ。恫喝されて、ガクガクと震えている。
チグハグなやり取りについ噴き出した利奈は、一歩前に足を踏み出し――
「その人、遅刻者じゃないです」
彼を、かばうことにした。
今日は見学だけだと言っていたし、少しくらいズルをしてもいいだろう。
「私が呼び止めたら時間になっちゃって。だから、遅刻者じゃないです」
「……へ?」
彼はポカンと口を開けている。
風紀委員相手に物怖じしない利奈を、キョトンとした瞳で見つめている。
「なんだよ、手間取らせやがって。今度からは、ちゃんと時間を気にしろ」
「はい、気を付けます」
「それと、もう取り締まりは始まってるからな。ふらふらしないでちゃんと見ておけよ」
「はい、すぐに」
一足先に風紀委員が校門へと戻っていく。
「えーっと?」
あとに残され、事のなりゆきがまったくわかっていない彼に、利奈は腕章を引っ張ってみせた。
―――赤地に金文字の腕章。
書かれている文字を読んで、彼は目を瞠った。
「心配してくれてありがとう。私、今日は見学だったの」
「君が風紀委員!? えー!?」
開いた口が全くふさがっていない。
言いたいことは目で伝わってくるから、利奈は苦笑いで受け流した。さすがに理由を一から説明してはいられない。
「じゃ、私も行かなくちゃだから。次は見逃せないと思うから、気を付けてね」
ひらりと手を振りながら追い抜くと、なにか言いたげな顔をされた。
なんて思われたかをを知りたくはなかったから、振り返らずに校門をくぐる。
どうせ、教室でまた会うのだけれど。
(そういえば、苗字思い出せなかったな)
――どうせ、すぐに知ることになるのだけれど。