新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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三章:ヴァリアー邸にて
琥珀の微睡み


 

 日本とイタリアの時差は七時間である。

 日本のほうが時間が進んでいるので、イタリアに向かうと時間が逆行していく。

 

(いっそ、そのまま十年くらい戻ってくれればよかったのにな……)

 

 イタリアと日本の距離は端数を繰り上げて一万キロメートル。

 直行便でも約半日かかる距離を、貨物船に揺られ、海上でヘリに拾い上げられ、列車に乗せられ、丸一日かけて稼いできた。

 

(自分で歩いたわけじゃないから、そんなに疲れないはずなんだけど……やっぱり疲れた)

 

 道中は快適なものだった。

 追手を気にせず旅行気分で景色を眺められたし、食事もおいしかった。

 寝台列車は議論の末に四人部屋になったが、これといった事件も起きず、平和そのものであったと言ってもいいだろう。

 

 しかし、それはそれとして疲労が溜まっている。疲労というか、心労というべきか。

 ミルフィオーレの手から逃れられたという感動が消えたころ、これから暗殺者集団の根城で暮らさなければならないのかという不安が、頭を占拠し始めたのだ。

 

(どれくらいしたら帰れるのって聞いてもわかんないって言われたし……。

 だいたい、なんでアジトじゃなくてヴァリアーに連れて行かれるの! しかもイタリア!)

 

 おまけにパスポートを所持していなかったために、今の利奈は密入国者である。

 強制送還してもらえるのなら捕まってしまったほうがよかったのだが、綱吉の意向だと言われてしまったら、逆らえるわけがなかった。

 

 綱吉はなぜ、利奈の身柄をヴァリアーに預けようと思ったのだろう。

 外敵からは逃れられるだろうが、内の味方が物騒すぎる。

 

(あれ? それって風紀委員と一緒? 敵よりも味方のほうが恐いって、まさに風紀委員なんじゃ?)

 

 それなら今までとなんら変わりない――わけがない。

 暗殺者集団という殺人集団と不良顔負けの風紀委員では、恐いの意味合いがまるで違う。機嫌を損ねたら、その場で殺されるかもしれないのだ。

 

 そんなわけで利奈は、借りてきた猫のようにおとなしく縮こまっていた。

 知ってか知らずか、出迎え役を引き受けたルッスーリアは、目を輝かせて一方的に喋り続けている。

 

「まさかまた会えるなんて思ってなかったから、会えて本当にうれしいわ。

 ふふ、十歳も若いとやっぱり違うわね。初めて会った頃も同じ年頃だったはずなのに、ずっと子供に見えるわ」

 

 やけに親しげなのはルッスーリアも同じだった。

 会って早々ハグされそうになったのは、ベルが阻止してくれた。でなければ、魂が身体から抜け出ていただろう。

 

「あらっ、じゃあ貴方からは私が老けて見えるってことかしら!?

 やだ! やめてちょうだい! 私は年を取るごとに美しくなっていくんだから!

 ますます強く! 気高く! 麗しく! ……ちょっと、大丈夫? 意識ある?」

 

 よく一人でこんなにも盛り上がれるものだなと思えるくらいには意識がある。でも、それを口にするほどの余力はない。

 フランとベルがさっさといなくなってしまった理由がわかったような気がして、利奈は力なく頷いた。

 

「相当お疲れのようね。無理もないわ。

 フランも長旅のせいでぐったりしてたみたいだし……」

 

 ベルと利奈はなんともなかったが、フランは度々船酔いやヘリ酔いを訴えていた。

 酔い止めの薬を買ってからは落ち着いていたけれど、あまり元気そうではなかった。

 今頃さっさと布団に潜って、眠りについているだろう。

 

「ちょっと待ってなさい、飲み物淹れてくるから」

 

 ルッスーリアが席を立ち、利奈は椅子の背もたれに頭を預けた。

 

 暗殺者たちの巣窟だから、きっと殺伐とした住処なのだろうと思っていたけれど、その予想は大幅に外れていた。

 外観を見たときから悟っていたが、座っている椅子も、机も、壁紙も、絵画も、見るものすべてが豪華絢爛な一級品だ。

 見上げた天井にかかっているシャンデリアや天井の装飾さえも美麗で、ヨーロッパ貴族の屋敷に招かれた庶民の気分が味わえた。

 このすべてが暗殺の報酬で揃えられていると思うと、まったく落ち着けない。

 

「普段はこういった依頼は受けていないのよ。

 私たちはボンゴレ直属の暗殺集団で、人質の救出と保護なんて専門外なんだから」

 

 どうぞと目の前に飲み物が置かれる。

 入れ物はどこにでもありそうな普通のマグカップで、利奈は少しほっとしながら飲み物に口をつけた。

 

「貴方をここまで連れてくるのもリスク高いのよ。

 でも、ボンゴレに恩を売っといて損はないし、成功してよかったわ」

 

 飲み物は、味付けされたホットミルクだった。

 喉を通った瞬間、焼けるような熱を感じたが、ミルク自体はあまり熱くない。

 

「とりあえず、それを飲んだら今日はさっさと寝ちゃいなさい。もうとっくに肌に悪い時間よ」

 

 言いながらルッスーリアは机の上に鍵を置いた。

 物語のなかに出てくるような形の鍵で、プレートには番号が書かれている。

 

「この談話室を出て右に曲がったところに寝室があるわ。鍵に書かれてる番号の部屋を使って。

 ああでも、部屋が気に入らなかったら空いている部屋を適当に使ってちょうだい。鍵がかかってない部屋は空き部屋だから」

「はい」

 

 これからお世話になるのだから、どんな部屋でも文句をつけたりはしない。

 隣の部屋の人がものすごくうるさいとかだったら、少しは考えるだろうが。

 

「それと、これは今日の寝間着に使ってちょうだい。

 預かってる貴方の服は洗濯しておくから」

「あっ、ありがとうございます……」

 

 恐縮しながらピンク色の服を受け取る。寝間着のわりに布の量が多い。

 

「私用に買ったやつなんだけど、サイズを間違えちゃってどうしようかと思ってたの。ちょうどよかったわ」

「……自分用?」

 

 突っ込んではいけなそうだが、柔らかい素材とこの色合いはどう考えてもルッスーリアには――いや、突っ込んではいけない。

 

「……ありがとうございます」

「いいのよ、そんなにかしこまらなくても。貴方とは二人っきりでお茶する仲だったんだから。

 なんなら敬語も外しちゃって」

「いえ、そんな。私はまだ二回目なので……」

「二回目? 初対面っていつだったかしら」

「……ベッドで括りつけられてるとこです」

 

 その瞬間、ルッスーリアの眉が大きく吊り上がった。

 

「なにそれ、どういう状況!? ……待って、思い出したわ! あのときね!

 それはカウントしないでちょうだい! あのとき私、意識朦朧としてたしあんなかっこだったし、なによりすっぴんでしょ!? 忘れてちょうだい!」

 

 すっぴんだったかどうかまでは覚えていないが、ここまで恥ずかしがられるのならなかったことにしておいた方がいいだろう。

 いや、ベッドに括りつけられた状態で立たされていた、あの強烈な姿を記憶から消すのは不可能だろうが。

 

 ホットミルクを飲み切るまで、ルッスーリアと他愛ない雑談を楽しんだ。

 カップの片付けはルッスーリアに任せて、利奈は教えられた寝室へと向かう。

 

(なんか、頭がぽわぽわするかも……)

 

 あのホットミルクを飲んでから、どうも思考がまとまりにくくなっている。

 眠気も強くなってきたし、顔が火照って仕方ない。

 

 これならぐっすり眠れそうだと重たい体を動かしていたら、廊下で蹲るフランを発見した。

 足を止めた利奈に気付き、フランが顔を上げる。

 

「なにしてるの?」

「……」

 

 フランは答えない。眠気に襲われている利奈と同じくらい、まぶたが厚ぼったくなっている。

 寝室のドアの前で膝を抱えるフランは、疲れ切った顔でため息をついた。

 

「……堕王子が」

 

 うつらうつらとまぶたが揺れている。

 この屋敷についたときから眠たそうにしていたし、もう限界なのだろう。ぽつりぽつりと呟く。

 

「さっき、堕王子が。ミーの部屋の鍵を奪って、逃げて……部屋に入れないんです」

「ええ……」

 

 旅の途中でもちょくちょくフランに嫌がらせをしていたが、まさか部屋の鍵まで奪うなんて。

 

「ベルってもう大人でしょ……? 大人なのにそんな子供みたいなことするの……?」

「するんですよ。嫌がらせが子供じみてて最悪なんですよね……あのクソ王子」

 

 クソというところにかなり力がこもっていた。

 眠たいせいで怒りっぽくなっているのだろう。

 

「取り返しに行けば? ベルの部屋ってどこ?」

「あっちですけど……下の階に降りていったんで、今いないんですよねー。

 それに、あの先輩の相手する体力、もう残ってないですしー……」

 

 話しながら眠ってしまいそうなほど、声に力がない。

 このままだと、カエルの帽子を枕に廊下で眠りかねない。

 

「んー、じゃあ、空いてる部屋で寝れば?

 鍵のかかってない部屋使っていいって、ルッスーリアさん言ってたよ?」

「それこそ先輩の思う壺なんですよー。鍵持ち出してトラップ仕掛けてくるに決まってますー」

「……かまってほしいのかな」

 

 後輩イジメに余念がなさすぎる。

 ベルの過去での行いに思うところがある利奈は、ベルを出し抜くべく、あまり動かない頭で思考を巡らせた。

 

「そうだ、私の部屋使えばいいんじゃないかな」

「……え?」

「鍵もらってるの。フランはこの部屋で寝て、私が空き部屋で寝ればいいんだよ」

 

 まさかベルも、利奈が使うはずだった部屋にフランがいるとは思わないだろう。

 

「それ、貴方が危なくないですか?」

「商品に傷つけたりはしないでしょ。なんかしてきたら、女の子が寝ている部屋に入ってきた最低男ってみんなに言いふらすから大丈夫」

 

 これでベルを出し抜けるとニコニコ顔で答えると、フランがヒクヒクと頬をひきつらせた。

 

「……ほんと、先輩たちと交友があっただけあって、いい性格してますね」

「いらないの?」

 

 見せつけるようにフランの眼前で鍵を揺らす。一拍遅れながらも、フランは鍵を手に取った。

 それから立ち上がろうとしたが、足に力が入らないのか動きが遅い。

 

「立てる? 手貸そうか?」

「……子供扱いしないでください。ミーよりガキなくせに」

 

 むっとした顔で抗議しながら、フランがよろよろと立ち上がる。

 帽子のせいでずいぶんと背が高く感じるが、帽子の分を差し引いても利奈よりは身長が高い。

 

「じゃ、おやすみ。また明日ね」

「おやすみな――ふわぁ、おやすみなさーい」

 

 帽子に重心を持ってかれそうになりながらも、フランは利奈が使うはずだった部屋へと入っていった。

 それを見届けてから、利奈も空き部屋を探して部屋に入りこむ。

 

(すっごく眠い……着替えるのもめんどくさい……)

 

 ベッドにそのまま倒れ込みたくなる衝動を抑えながら、着ていた服を全部脱ぐ。

 それからルッスーリアに借りた服を広げ、あまりのファンシーさに口元を引きつらせた。

 

(……これはキッツイな)

 

 パジャマではなく、七分丈袖のネグリジェだった。

 パステル調のピンクだから色は控えめだが、袖から肩が出るようになっているし、ところどころついているレースのリボンがファンシーさに拍車をかけていた。

 寝間着にしてはずいぶんと装飾が華美である。

 

(今日一日借りるだけだし、我慢するしかないか。裸で寝るよりはずっとましだし、だれかに見られるわけでもないし)

 

 ネグリジェを頭から被って、すかさず布団に潜り込む。

 ふかふかの羽毛布団を堪能する間もなく意識が遠のいて、利奈は穏やかな寝息を立てながら夢の世界へと旅立った。

 

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