新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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朝の一幕

 

 現実世界への帰還のきっかけは、ドアノブが乱暴に引っ張られる音であった。

 わずかにまぶたを上げた利奈は、眼前にある壁紙の複雑な模様の線をなんとはなしに目で辿った。

 

 壁紙との距離が目と鼻の先になっているのはいつものことだ。

 寝ているとベッドの端に寄ってしまう癖があって、壁側じゃなかったときは、寝起き早々ベッドから落ちそうになることもある。

 

(……だれか入ってきた)

 

 鍵の解錠音とドアの開閉音。それから絨毯を踏む足音が聞こえてきた。

 いつものように、ミルフィオーレ隊員が朝食を運びにきてくれたようだ。

 寝たふりでやり過ごした方が楽なので、うつらうつらと思考を彷徨わせながら目を閉じる。

 

(まだ暗いし、もう少し寝ててもいいよね。今日は持ってくるのすごく早いけど、なにかあったっけ。

 まあ、なにかあったらルッスーリアさんが起こしにきてくれる……かも……だけど……?)

 

 ――ここはミルフィオーレの基地ではない。

 だから朝食が部屋に運ばれたりはしないし、部屋にいるのもミルフィオーレ隊員ではない。ついでに内側からちゃんと鍵を掛けていたので、相手はそれを知ったうえで入ってきた不法侵入者である。

 

 そこまでを一気に悟り、利奈はドッと冷や汗をかいた。

 侵入者はまだ室内にいるようで、耳を澄まさなくても身じろぎの音が聞こえてくる。

 

(お、おおおお、落ち着こう!

 もしかしたらルッスーリアさんとか、フランとか、隊員さんとかが様子見に来ただけかもだし――最悪でも、悪戯しにきたベルかもしれない!)

 

 前者三人なら大声を出すのは失礼だし、後者一人なら驚くのは損だ。

 ヴァリアーに殺された被害者の霊である可能性も否定できなかったが、その可能性はひとまず置いておく。

 

(……顔動かしたら、気付かれちゃうかな)

 

 まずは相手がだれなのかを確認しなければならない。

 しかし、下手に動くと相手に目覚めていることがバレてしまう。

 

(っていうか、私がいるのわかってるのかな。

 さっきから全然こっちに来ないし、もしかして私のこと見えてない? それならこのままジッとしてれば出て行ってくれるかもだけど――違ったら困るし)

 

 目をつむって悶々としている利奈には伝わらなかったが、何者かは靴を脱いでいた。

 丈の長い編み込みブーツの紐を面倒くさそうに解き、すでに脱ぎ捨てた上着のそばに放り投げる。

 物音は利奈の耳にも届いていたが、利奈はピクリとも身体を動かさなかった。

 

 ――その判断は賢明だったといえよう。侵入者は剣を手にしていた。

 

「あー、ったく……」

 

 声は男のものだった。

 手に持っていた剣をベッドの枠に立てかけ、男は雫の滴る髪の毛を鬱陶しそうにそうにかきあげる。

 ついでに顔にかかった髪を耳にかけると、手袋に触れた無線機を耳から外した。

 

(今、机になにか置いた)

 

 ベッドに近づいてきたときにはヒヤッとしたが、男はすぐに後ろに下がっていった。

 様子を見ていたにしてはあまりにも短い時間だったし、やはり男は利奈の存在に気付いていない。

 

 ならば、仕掛けるべきは今だろう。先手を取った方が優位に立てるはずだ。

 利奈は素早く起き上がるために手足に力を込め――意を決して飛び起きる。

 

「……っ!?」

 

 しかし利奈の思考は停止した。

 まさか男が服を着ていないとは思っていなかったからだ。

 

 勝手に部屋に入ってきた半裸姿の男に目を見開く利奈。

 いきなりベッドの中から姿を現した寝間着姿の少女に目を剥く男。

 

 そのとき、双方ともに不審者に対しての警戒よりも驚愕が勝った。

 そして驚きから覚めたのは男が先だった。

 

「チッ!」

 

 武器となる剣は、利奈が寝ていたベッドの枠に立てかけてられていた。

 男はすぐさま剣に手を伸ばしたが、利奈からすれば、男が自分に飛びかかろうとしているようにしか見えなかった。よって、大口を開けて息を吸う。そしてなんの躊躇いもなく、肺に溜めた空気を、悲鳴とともに一気に吐き出した。

 

「きゃあああああああ!」

「う゛おっ!?」

 

 男は利奈の悲鳴に怯みながらも剣を掴み、飛びのくようにして距離を取る。

 利奈は布団を搔き集めて男を睨みつけた。

 

「だれだ、テメエは!」

「そっちこそ!」

 

 鞘はまだ抜いていないが、男は剣を構えている。

 あちらも利奈を敵と認識したようだ。

 

「近づかないでよ! 近づいたらもっと叫ぶから!」

 

 乙女の寝室に侵入してきた男に慈悲などない。

 枕を盾にただ叫ぶだけの利奈を脅威とは思えなかったのか、男は剣を抜くことなく眉をしかめていた。

 

「ちょっと何事!?」

 

 悲鳴を聞きつけたらしいルッスーリアの声が、ドア越しに聞こえてきた。

 ドアノブの回される音がするが、ドアは開かない。

 

「ルッスーリアさん、助けてください! 部屋に変な人が!」

「あ゛あ!?」

「変質者!? ちょっと待ってなさい!」

 

 ちょっとどころか、一秒も待たずにドアが蹴り破られた。

 ドアが吹っ飛んでいく光景に利奈は若干怯んだが、片足立ちして構えるルッスーリアの姿が見えると、枕を投げ捨てて一目散に駆け寄った。

 そして背後に回り、半裸の男を指差して叫ぶ。

 

「こ、この人が! この人が勝手に部屋に入ってきて……!」

「おいルッスーリア! こいつはいったい何者だぁ!」

「……あらー」

 

 男の顔を見て、ルッスーリアが構えを解いた。

 状況が理解できたのか、困ったような声を漏らしている。

 

「なんなんですかー、こんな朝っぱらからー」

 

 先ほどの悲鳴で起きていたのか、あるいはドアが蹴破られる音で目覚めたのか、寝間着姿のフランがやってきた。

 そしてルッスーリアにしがみつく利奈と、くの字に曲げられて吹っ飛ばされたドアと、髪を濡らした上半身裸の男を順に目で追って、動きを止める。

 

「え、なにこの状況」

 

 あまりに驚いたのか、フランの口調が狂った。

 

「ちょっとした入れ違いがあったみたいね。

 スクアーロ、この子が昨日の作戦で奪還したボンゴレの子」

 

 男はスクアーロという名前らしい。この様子だと、彼もヴァリアーの人間のようだ。

 

「あいつらの仲間か! んで、なんでそいつがこの部屋で寝てやがんだぁ!?」

「それは――おかしいわね、違う部屋の鍵を渡したはずなんだけど」

 

 二人の問いにはフランが答えた。

 

「ミーの部屋の鍵がパワハラ先輩に盗まれたから、部屋変わってもらったんですよー。

 で、なんで隊長はここに?」

 

(隊長?)

 

 そういえば、ルッスーリアもフランもベルも、この辺りの部屋を使っている人たちはみんなヴァリアーの幹部だった。

 となると、この部屋に入った彼も幹部なのだろう。

 

 雲行きが危なくなってきたと冷や汗を流す利奈に、さらに追い打ちがかけられる。

 

「なんでもなにも、ここは俺の部屋だ!」

 

 その言葉で利奈は部屋を見渡した。

 昨日は一目散にベッドに向かったために一切目を向けてなかったが、確かに空き部屋のわりには物が多い。住人がいたことは明らかだった。

 

(わ、私!? 私が悪いやつ!?

 どうしよう! 空き部屋じゃなくて、空いてない部屋使っちゃった……!)

 

 しかも、部屋の住人を変質者扱いしてしまった。破壊されたドアという物的損害まで出しているし、事の大きさに唇の温度がどんどん下がっていく。

 

「ごめっ、ごめんなさい! 私、よく見てなくて! それで、その……!」

「はいはい、大丈夫よ。

 こんな時間に男の人が部屋に入ってきて怖かったでしょ。もう少し休むといいわ。

 フラン、この子をほかの部屋に連れて行ってあげて」

「はーい。さ、行きましょー」

 

 フランに腕を引っぱられるが、このままだと悪い印象だけが残ってしまう。

 利奈は足を踏んばり、室内の男に深く頭を下げた。

 

「本当にすみませんでした! あの、私、過去から来た――」

「はいはい、もういいから。鍵をかけてなかったスクアーロが悪いんだから、気にしなくても大丈夫。

 私たちで後片付けやっておくから寝なさい。まだ四時よ」

 

 せめて自己紹介だけでもと思ったのに、ズルズルと部屋から引き剥がされてしまう。

 後ろ髪を引かれながらも、利奈は先導するフランに目を向けた。

 

 フランは帽子を被っていなかった。

 利奈の腕を握っていないほうの手で帽子を抱えていて、抱き枕を抱いているようにも見える。

 

「それ、なんで持ってきたの?」

「列車でも言ったじゃないですかー。ベル先輩に見つかるとめんどくさいんですよー」

 

 先輩命令とやらで被らされている帽子は、帽子というより、もはや着ぐるみの頭部並みの大きさである。

 

「急に破壊音が聞こえたから、またあのボスがバイオレンスなことしてるのかと思ったんですけど、まさかこんなことになっていたとは。驚きですー」

「私も驚いたよ……。

 だって、絶対不審者だと思うじゃん、鍵かけてたのに入ってくるし」

「まあ、そこは鍵かけずに部屋出たのに鍵かかってることに疑念抱かなかった隊長が悪いと思いますよ。

 ルッス先輩の言っていた通り」

「うん……」

 

 フランとルッスーリアは利奈を庇ってくれるが、あの三白眼の怖そうな人は許してくれるだろうか。激怒して利奈を追い出そうとはしないだろうか。

 暗殺対象に認定されでもしたら一大事だ。自分から出て行かなければならない。

 

「そんなに恐がらなくても、あの人そこまで恐くはないですよー?

 あの声で鼓膜破壊されるかもっていう恐怖はありますけどー。

 しょっちゅうボスに物投げつけられてるくらいですしー、扱いは雑で大丈夫です。なんなら全員、雑に扱うくらいがちょうどいいと思いますー」

「……それはそれでどうなの?」

 

 同等の立場であるフランなら許されるだろうが、利奈が同じことをすれば、待っているのは死だろう。

 ルッスーリアは優しいし、ベルはアレだからいいけれど、一線は守らなければならない。

 ここは風紀委員とは違うのだ。

 

「ところで、どこ向かってるの? こっち部屋なくない?」

「……通り過ぎましたね」

 

 どうやらフランも半分寝ぼけていたようで、話しているうちに廊下を曲がってしまった。

 この先にあるのは昨日の談話室である。

 

「戻りましょうか……あ」

「あ」

「ん?」

 

 談話室からベルが出てきた。

 昨日と同じ服装のベルは、前髪に隠した瞳で二人を一瞥する。

 

「お前ら、なにやってんの? こんな朝っぱらに」

「先輩こそ、まだ部屋に戻ってなかったんですかー? つか、鍵さっさと返せよ」

「ここ来るまでお前らに合わせて早寝してやってたんだからいいだろ、別に。

 あと、小声で言っても聞こえてんだよ。部屋ん中めちゃくちゃに荒らしてやろーか?」

 

 今日も今日とて二人はギスギスとしている。

 挟まれるこっちの身にもなってほしいと、半ば添え物のように立っていた利奈だったが、ベルの次の一言で一変した。

 

「それにしても、そんな恰好でよく部屋から出たな。なに狙ってんの?」

「え? ……ああああー!」

「え、今さらですか?」

 

 フランの言った通り、今さら利奈は自分のとんでもない服装に気が付いた。

 

 ただのパジャマ姿ならともかく、今の利奈はリボンやフリルがたくさんついたピンクのネグリジェを身に着けている。

 しかもサイズを間違えていたとはいえ、ルッスーリアが着るはずだった服だ。

 大きすぎて、肩やら胸元やらがかなり露出している。

 

(待って待って。フランとベルだけじゃなくて、ルッスーリアさんやあの人にも見られたよね!? 

 こ、こんな格好で私、私、なにやって……!)

 

 込み上げてきた羞恥に耐えきれなくなって、胸を隠すように肩を抱きながら蹲る。

 ベルはそれを好機と捉えたのか、焦らすようにゆっくりと足を踏み鳴らした。

 

「なに今さら恥ずかしがってんだよ。遅いって」

「こ、来ないで……!」

「俺の部屋そっちだから。

 見られたくないんならさっさと部屋戻ればいいじゃん。歩いてさ」

 

 立ち上がれるわけがない。立ち上がったら全身を見られてしまうのだから。

 それをわかってて言っているのだから始末に負えない。

 フランはというと、ベルのえげつないやり口にドン引きした顔をしている。

 

「べつにそんなに悪くないんじゃね? 俺の趣味じゃねーけど、好きな奴は好きそうな格好だし。

 もっと見せてみろって」

 

 こうなるとスクアーロよりもベルのほうが脅威だった。

 この状況では、いくら詰ったところでベルを喜ばせるだけだろう。

 

(あのナイフ持ってたらまさに今、投げ返してたのに……! こうなったら――)

 

 フランに視線で合図を送ると、フランは小さく頷いた。

 

「シシッ、お前が慌てるなんて超レアじゃん。

 フラン、せっかくだからカメラでこいつ撮って――」

 

 ベルの注意が利奈から逸れ、その瞬間、フランが手に持っていたカエル帽を利奈へとパスした。

 

「ちょーしに、乗るなー!」

 

 絶妙なタイミングでパスされたカエル帽を、勢いそのままにベルの顔へと投げつける。

 

「うおっ」

 

 いくらヴァリアー幹部といえども、至近距離の奇襲は防げなかったようだ。

 重量のある攻撃をまともに顔に食らい、ベルは床に倒れこんだ。

 

「早く! 逃げるよ!」

「オッケーでーす。

 ルッス先輩とスクアーロ隊長にチクりましょ。そしたらたぶん、こってり叱ってくれますよ」

「よっしその手だ! 覚悟しなさい、バーカ! バーッカ!」

 

 結局、二度寝はできなかった。

 

 

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