ヴァリアー邸での初めての朝食は、ぎこちない空気のなかで始まった。
先ほどの一件が尾を引いていたからだ。
利奈はベルの振る舞いのせいですっかり機嫌が悪くなっていたし、スクアーロも気まずそうに黙りこんでいる。
ほかの三人はとくに変わりない態度をとっていたが、ルッスーリアしか喋らないので、話が空回りしていた。部屋が広いせいで、より一層空虚である。
(ほんと、最悪)
ネグリジェ姿を見られたのはいい。
ほかのみんなにも見られていたし、あの格好で部屋を出たのは自分なので、そこに文句をつけるつもりはない。
だが、見ないでほしいと言っているのに、わざわざ近づいてきたのは許せなかった。
そのうえ、からかいの言葉まで口にしていたのも罪深い。
(わざわざ正面に座ってくるし。本当に質が悪い)
隣に座らせるつもりはなかったし、そうなるとふたつ隣か前の二席しか残らないけれど、どうしてよりによって正面の席を選ぶのか。
スクアーロと向き合ったほうがまだマシだった。
「失礼。食後のデザートはヨーグルトとフルーツ、どちらがよろしいですか?」
サラダを食べていたら、ヴァリアーの隊員の一人にそう尋ねられた。
幹部のみんなは私服だけど、彼らは黒い制服を着ている。
「フルーツって、なんの果物ですか?」
「キウイとリンゴがあります。お望みでしたら、両方とも持ってきますが」
「でしたら、両方ともお願いします」
食事はすべてヴァリアーの隊員が用意してくれた。
椅子に座って待っているだけでパンも飲み物もサラダも出てきたので、貴族かなにかにでもなったような気分になってくる。
(てっきりルッスーリアさんが作ったりするんだと思ってたけど……ルッスーリアさんも偉い人だもんね)
朝食の席についている人たちは全員幹部である。
身の回りの世話をする人がいてもおかしくないくらいだし、本来なら、利奈の世話を焼くのも平隊員の仕事だったはずだ。利奈が、この時代の人間であったならば。
「そういえば、スクアーロは今日が初めて?」
平隊員とのやりとりのあと、すかさずルッスーリアが声をかけてきた。
小さく頷いて、そろそろ会話に参加するかとパンを飲みこむ。
「初めてです。会ったことあるのはベルとルッスーリアさんと、あとマーモンだけでしたから」
そういえば、まだマーモンの姿を見ていない。
ベルとフランが利奈を奪還しに日本まで来たように、マーモンもどこかで任務に当たっているのだろう。
十年経っているから、今のマーモンは利奈と同じくらいの年頃であるはずだ。
「ってことは、初めて見たのが裸なんですねー。
なかなかにショッキングなファーストコンタクトでトラウマ確定、おめでとうございますー」
「う゛お゛ぉい! だれが裸だ、だれが! ちゃんと下は履いてただろうが!」
「そうでしたかー?
ミー、ちょっとしか見えてなかったんで、全裸で女子供に剣向けるヤベー奴にしか見えなかったんですけど」
それが本当だったら、偶然の産物であろうが、同じ食卓にはついていない。
とはいえ、あちらからすれば勝手に人のベッドで寝ていたうえに、叫び声まで上げた失礼な子供である。
どちらも落ち度があったのだし、ここはお互い様だったと割り切るしかない。
「せっかくだから自己紹介済ませちゃいなさいよ。
しばらくは同じ屋敷内で生活するんだから」
「あっ、じゃあ私から」
胡乱げな目をスクアーロから向けられながらも、利奈は背筋を伸ばした。
何事も始めが肝心である。――もう始めではないかもしれないけれど。
「相沢利奈と言います。十四歳で、中学二年生。十年前の、リング争奪戦? でちょっとだけ関わりがありました。
この世界だと、ヒバリさんの部下になってたみたいです。詳しくは聞けてないんですけど」
「ほら、ボンゴレの雲の守護者との仲介役の子よ。貴方も何度か顔合わせてるでしょ」
「……ああ、あいつか」
(えっ、仲介役までやってたの?)
仕事内容までは聞かされていなかったので、完全に初耳である。
でも、あの恭弥が自ら人とかかわりを持とうとするとは思えないし、何人かと面識のある利奈が橋渡し役にされていたとしても、なにもおかしくはない。
リング争奪戦でのいざこざも、十年のうちにどうにかなったようだ。
「俺はスペルビ・スクアーロ。
独立暗殺部隊ヴァリアーの幹部であり、ナンバー2。剣帝にして最強の剣士だ」
「自己紹介盛りこみすぎだろ」
ぼそりとベルが呟くが、確かに初対面の挨拶にしては過激である。
これから戦う敵へと叩きつける口上のようだ。
しかしだれ一人としてスクアーロの発言を咎めるものはなく、ナンバー2なのも最強の剣士であるのも公認らしい。
となると、やはり朝の件についてはきちんと謝っておかなければならない。
ヴァリアーのボスに、詫びもしない失礼なやつだったと報告されたら大変だ。
利奈はぎゅっと唇を引き結び、姿勢を正した。
「朝は勘違いして騒いでしまって、申し訳ありませんでした。これからは気をつけます」
「いや、いい。部屋の鍵をかけ忘れた俺の落ち度だ。こっちこそ驚かせて悪かった」
こともなげにスクアーロはそう答える。
(よかった、あんまり気にしてないみたい……)
よく怒鳴るから怒りっぽい人なのかと思っていたけれど、意外と寛容だった。
ホッとした利奈は、安堵の息を漏らしながらスクアーロに笑いかける。
「私も大丈夫です。ありがとうございます、スペルビさん」
「グフッ」
スープを噴き出したのは隣のフランだった。
びっくりして身を引くと、口からスープを垂らしたフランが、恨めしそうな目を向けてくる。
「え、なに? 私が悪いの?」
「どう考えてもそうでしょう。なにしれっとファーストネームで呼んでるんですか」
「ええ……?」
戸惑いながら他の人に目を向けるが、ベルどころか、呼ばれたスクアーロまでもが口元を引きつらせていた。
ルッスーリアだけは料理に舌鼓を打っている。
「お前さ……距離の詰め方どうなってんの?」
「え? え? だって、ほかのみんなも名前で呼んでるし……一人だけ苗字って変だと思って」
ベルの言葉に戸惑ってしまう。
スクアーロよりも年上だと思われるルッスーリアだって名前で呼んでいるのだ。
苗字を知らないというのもあるが、だからといって一人だけ苗字呼びにするのも違和感がある。
「でも俺たちはスクアーロって呼んでただろ。そっちに合わせろよ」
「それはみんなの呼び方だし……」
「なら俺をベルって呼ぶのもおかしいだろ」
「え、だってベルはベルじゃない」
「……俺の名前、ベルじゃねーけど」
「ええ!?」
十年越しに明かされる衝撃の事実――ではないが、すっかりベルという名前だと思い込んでいた利奈は、目を丸くした。
「うそ!? 本名は!?」
「ベルフェゴール。苗字は捨てた」
「ベルフェ――だからベル!」
知らなかったとはいえ、ずっと馴れ馴れしくあだ名を呼んでしまっていたらしい。
外国の名前だから、ニックネームであることに気付けなかった。
「ごめん、全然わかんなかった! どうしよう、だったらこれからベルフェゴールって――」
そこまで言ったところで、利奈はむぐりと口を押さえた。
ベルと喧嘩している最中だったのを思い出したからだ。
不自然に会話を切ったせいで、食べ始めと同じくらい食卓が静かになる。
「ねえ、朝食食べ終わったら、私と一緒に過ごさない?」
フランの頭越しにルッスーリアから声をかけられる。
長身だから、カエル帽で遮られていても顔がよく見えた。
「貴方、怪我してるでしょう。その手の怪我だけじゃなくて、腕にも」
手に負った傷は傷口が深くなかったので、目立つものだけ絆創膏を貼っている。
包帯だと一人で巻けないし、一度フランにお願いしたら指ごと全部ぐるぐる巻きにされた。
「ほんとは昨日のうちに治してあげたかったけど、疲れてるみたいだったし。その怪我、すぐに治してあげるわ」
「ありがとうございます」
傷に効く薬を塗ってくれるのだろうと思って利奈は礼を言ったが、ルッスーリアの言葉の意味をよく考えていなかった。
ルッスーリアは、傷を治すと言ったのだ。
だから、ルッスーリアに言われるがままに絆創膏を外し、包帯を取り、怪我口をすべて晒した利奈は、ルッスーリアが手にしている小さな箱を見て首をひねった。
「……それ、なんですか?」
「あら、もしかして匣知らない? リングとセットで使う物なんだけど」
「リングは知ってます。ミルフィオーレの人も欲しがってたので。
……そのなかに、武器が?」
小ぶりな箱は、ルッスーリアどころか、利奈の手のひらにもすっぽりと収まってしまうだろう。
とても武器なんて仕舞えなさそうな大きさでも、十年バズーカが存在している以上、ありえないとは言い切れない。
「んー、ほとんど正解ね。
でも、これに入ってるのはそんな武骨なものじゃないわ。見てて」
ルッスーリアが指で狐の形を作る。
すると、その指に嵌められていた指輪から光が漏れだしてきた。
(黄色い光――違う、黄色い炎!)
ルッスーリアの表情からすると、熱くはないようだ。
まじまじと炎を見つめていると、ルッスーリアは子供に手順を教えるように、ゆっくりと小箱――匣に空いていた穴に当てて、炎を注入した。この前の時計と仕様が似ている。
「さあ、出ていらっしゃい!」
箱が展開した。
その中に納まっていた小さな光が、質量を増やしながら床に足をつける。
嘴を振り、背中に広がる羽を優美に広げるその姿を、利奈は写真で見たことがあった。
「く、孔雀!?」
「そう、私の匣、パヴォーネ・デル・セレーノのクーちゃんよ」
「パヴォーネデルセレーノ……って、意味は?」
「日本語で、晴の孔雀。晴属性の孔雀よ」
「晴属性?」
そういえば、ボンゴレファミリーでは守護者を空模様に見立ててリングを用意していた。
恭弥は雲で、ボスの綱吉はそのままずばり大空である。ボンゴレの晴の守護者は――たぶん了平だろう。
「これは未来の武器なの。
武器が出てきたり動物が出てきたり、ほかにもいろいろ出てくるんだけど――原理や仕組みは研究者本人じゃないからわからないわ。
とにかく、マフィアで代々受け継がれているリングに反応して展開するの。
属性ごとに特徴があって、晴は活性化。クーちゃんは回復専門なのよ」
「へえー……すごくきれい」
晴孔雀というだけあって、見た目もただの孔雀ではない。
背中の羽はまるで太陽を反射しているかのようにキラキラと輝いていて、宝石みたいにきれいだった。
「そうよね、やっぱり見惚れちゃうわよね!
ペットは飼い主に似るっていうけど、この子も私に似て豪華で優美で気高いの! 自慢の匣なのよ!」
利奈の反応にすっかり気をよくして、ルッスーリアが声高にペット自慢を始める。
否定する気はなかったので、利奈は頷きながらまじまじと晴孔雀を見つめた。
人には慣れているようで、利奈を警戒する様子はない。
「っと、いけない! 怪我の治療だったわね。クーちゃん、お願い!」
ルッスーリアの呼びかけに応えるように、クーちゃんはより一層背中の羽を広げた。
すると羽全体が光り出し、黄色の光が、利奈の身体に降り注いだ。
「わっ、なに!? ……温かい」
身体を射す光にわずかに身をすくめた利奈だったが、その光の温かさにすぐさま力を抜いた。
春の木漏れ日にも似た、微睡みたくなるくらいの温かな光だった。
しかし、この光はただただ温かいだけのものではない。
(あれ、傷が……あ、こっちも!)
光に当てようと前に出した手のひらの傷口が、見る見るうちに塞がっていく。
茶色く痕が残っていたところは消え、まだ残っていた傷口も茶色くなって同じように消えていく。
「肩の傷も光に当てて。すぐに治るから」
すぐに利奈は言われたとおりに肩を突き出した。
塞がりかけては開いていた傷口も、まるで早送りでもしているかのように治っていく。
それと同時に、ある部位にも変化が訪れた。
「髪の毛が……」
肩にかかっていた髪の毛が、いつのまにか胸元にまで伸びていた。
束を摘もうと手を伸ばしたらその爪も伸びていて、利奈は慌てて全身を確認する。
「ああ、体の細胞を活性化させて傷を治すから、光に当たると髪とか爪も伸びちゃうのよ。
傷が治ったら、爪と前髪は切ってあげるわ」
「ありがとうございます。なにからなにまで……」
「これくらいお安い御用。こっちに来てからいろいろと大変だったでしょう。
ゆっくり羽を伸ばしてちょうだい。……あら」
自分に言われたと思ったのか、クーちゃんがその優美な羽をさらに伸ばす。
そんな愛らしい姿に和みながら、利奈はゆったりと太陽の温もりに身を委ねた。