新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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迷える子羊

 

 なんだか魔法にでもかけられた気分だ。

 だいぶ伸びてしまった後ろ髪を弄りながら、利奈は階段を降りる。

 

 切ってもらったのは前髪だけで、後ろ髪は手つかずだ。

 後ろ髪を切るにはちゃんとしたハサミが必要だったし、伸びた髪の毛を早々に切ってしまうのももったいない。これだけ伸ばすには、何か月もかかるだろう。

 

 髪と爪を切ってもらいながらいろいろと雑談をしたけれど、ルッスーリアは任務で外に出て行ってしまった。

 ミルフィオーレとの抗争中で、本来なら利奈の相手をしている暇などなかっただろう。

 それでもルッスーリアは一緒にいるあいだ、ほんの少しも時間を気にするそぶりは見せなかったし、最後に入浴まで薦めてくれた。

 

(まさか、海外でお風呂に入れるなんて思ってなかったな。

 こっち来てからずっとシャワーだったし)

 

 海外では入浴はシャワーで済ますのが一般的らしいが、来日したときに入った銭湯をみんながいたく気に入り、この屋敷にも作ったそうだ。

 サウナや岩盤浴まであるというのだから驚きである。

 

 怪我の治療で細胞が活性化されたので、皮膚も新陳代謝で古くなっているらしい。

 しっかり洗ってしっかり浸かって、汚れを落とさなければならなかった。

 

(お風呂の場所聞くの忘れてたけど、隊員のだれかに聞けばいいよね。

 私はボンゴレ関係者の家族だって説明されてるんだし)

 

 利奈の正体は、味方内でも秘匿されなければならないものらしい。

 今は共闘状態とはいえ、ボンゴレ雲の守護者の部下がヴァリアーの本拠地に滞在するのは好ましくないのだろう。たとえ、十年前の姿だったとしても。

 

 階段を一段一段、数えながら下っていく。

 防衛上の理由か、階段は一階層ごとに場所が違うようで、一番下までまとめて降りることができない。

 一階分降りるたびに階段を探して廊下を歩かなくてはならなくなるので、すぐに現在地はつかめなくなった。

 

(これ、あとでちゃんと帰れるかな。

 適当に上っていけば同じ階に戻れるだろうけど……)

 

 なにもすることがないから、時間だけはたくさんある。全箇所総当たりしていれば、そのうち自室に戻れるだろう。

 でも、風呂場が何階にあったのかくらいは聞いておいた方がよかったかもしれない。

 

(来たのが夜だったから、どんな屋敷なのかもちゃんと見てないんだよな。

 たぶん私なんかじゃ想像もできないくらい、おっきくて立派な屋敷なんだろうけど)

 

 廊下の端に下り階段を見つけ、利奈は小走りで駆け寄った。

 さらに都合のいいことに、階段を上がろうとする隊員の頭が柵越しに見えた。

 

「む」

 

 さすが暗殺部隊の人間なだけあって、男はすぐに利奈の気配を察して頭を上げた。

 

(うわ、すごく殺し屋っぽい顔……!)

 

 一言でいえば極悪人面だ。鋭い眼差しに厳つい顔つき。揃えられた髭は左右に跳ね上がっている。

 こちらが見下ろしているはずなのに、異様な圧力を感じた。

 しかし、この顔には見覚えがある。

 

(……そうだ、ケーキ食べてるときに見た人だ)

 

 マーモンにケーキをご馳走してもらっていたときにやってきた人だ。

 ベルやルッスーリアと同じく、十年経っても見た目がほとんど変化していない。

 

「お前は――」

「初めまして」

 

 初めましてでいいはずだ。

 あのときは一言も話していないし、利奈は幻術で姿を変えられていた。

 この時代の利奈とは面識があるかもしれないが、今の利奈とは初対面ということになるだろう。

 

 柵越しに見下ろしたまま挨拶はできなかったので、利奈はすぐさま階段を降り、男の前に立った。二段分の高さがあっても届かないほどの長身だ。

 

「幹部の方なら、私がだれだかご存知ですよね。

 これからお世話になる、相沢利奈です。よろしくお願いします」

 

 深く頭を下げる。

 

「……なぜ、俺が幹部だと?」

「えっと……」

 

 それはもちろん、十年前のリング争奪戦のときに対戦者側の人間だったからだ。

 十年前に幹部だった人間が、幹部から降ろされてこんなに貫禄のある顔でいられるわけがない――が、それを言ったらマーモンに迷惑がかかるかもしれないのでやめておこう。

 

「雰囲気でわかりました。ヴァリアー幹部だというオーラが滲み出ていたので」

「ほう……!」

 

 嘘はついていない。

 たとえ初対面だったとしても、幹部の一人だと推測できたはずだ。

 ベルやフランと違って、いかにも極悪非道の限りを尽くしてきた人間の面構えなのだから。

 

 それに、わかりやすくおだてたおかげか、眼付きがとても友好的になった。

 道端の野良犬を見る目から、自分に尻尾を振ってきた犬を見るような目に。

 

「それで、貴様はここでなにをしていた。一人か」

「はい。さっきまでルッスーリアさんと一緒だったんですけど、仕事で。

 それでお風呂に入ろうとしたんですけど、場所がわからなくて探していたんです」

「そうか」

 

 利奈を警戒する様子はない。

 ヴァリアー幹部ともなると、目の前の人間が敵か味方か、嘘をついているかついていないかもたちどころに見抜けるらしい。

 今後のため、ぜひとも伝授していただきたい能力である。

 

「レヴィ様」

 

 階段の下、幹部の彼の背後に三人の人影が現れた。

 三人とも揃って膝をついており、彼は緩慢に振り返る。

 

「任務、滞りなく終了いたしました」

「わかった。俺はこれからボスに結果を報告する。お前たちは待機を――いや」

 

 一瞥され、利奈は硬直した。

 ただ横目で見られただけなのに、本能が危険を訴えたのだ。

 

「ウーノはこの娘を風呂場まで連れて行ってやれ。ボンゴレからの預かりものだ」

「はっ!」

 

 それだけ言って、階段を上っていく。

 それを見届けてから階段の下に目を向けると、ウーノと呼ばれた男以外の姿がなくなっていた。現れたとき同様、まさに電光石火である。

 

「こっちだ」

「はい」

 

 それにしても、壺やら絵画やら、この屋敷には調度品が多くひしめいている。

 うっかり触って壊したりでもしたら大変だし、廊下の真ん中しか歩けそうにない。

 それでも道を探さなくてすむぶん、利奈はあちこちに目をやりながら廊下を歩いた。

 

「風呂は全部で四箇所。一階にシャワー室、二階に大浴場。どちらも男女に分かれている。

 どちらがいい?」

「あっ、大浴場でお願いします」

 

 風呂は男女に分かれているようで、とりあえず安心した。

 今のところ男性にしか会っていないが、女性隊員もいるようだ。

 

「さっきの幹部の方はレヴィさ――レヴィ様というのですか?

 初めて会ったんですけど、お名前聞けてなくて」

 

 ウーノたちはレヴィと呼んでいたが、あだ名や通り名の類である可能性は捨てきれない。ベルという前例がいる。

 

「ああ。レヴィ・ア・タン様だ。

 ヴァリアーの雷の守護者で、俺たち雷撃隊を擁しておられる」

「ありがとうございます。私は――」

「名乗らなくていい、知っている。

 それと、簡単に正体を明かすな。相手が何者なのかもわからないうちは、とくに」

「は、はい」

 

 咎めるような言い方ではなかったが、有無を言わさない口調に素直に頷く。

 メローネ基地同様、ここでも気は抜けないようだ。

 

「依頼を受けた以上、お前の身の安全は最低限保証されている。

 だが、XANXUS様やレヴィ様に失礼があった場合――その最低限がどの程度のレベルのものなのか、お前は知ることになるだろう」

 

 そこでウーノは利奈に視線を向けた。

 牽制の目配せには本物の殺気が含まれていて、利奈は思わず足を止めた。

 

「知りたくなかったら、身の程をわきまえることだ。いいな」

「わかり、ました……」

 

 また前を向いたウーノは何事もなかったように殺気を解いたが、利奈は生きた心地がしなかった。

 彼の発する殺気は、恭弥の発する殺気よりも強かった。

 

(……朝のあれは、いいんだよね? ベルだもんね?)

 

 ベルに帽子を投げつけたことを思い出したが、その行為がセーフなのかアウトなのかは聞かなくてもわかった。

 彼の言葉にベルが含まれていないことを幸運に思うしかない。

 

(この人は、レヴィさんの部下なんだろうな)

 

 ボスと幹部と言わず、ボスと雷の守護者と指名したあたりで予測がついた。ここまで部下に慕われているのなら、レヴィの実力は折り紙付きだろう。

 風紀委員会で例えるなら、XANXUSが恭弥でレヴィが哲矢――いや、レヴィは幹部だからここは大木か。

 

 そんなことを考えているうちに、大浴場の前についた。

 日本をリスペクトしたのか、入り口にはちゃんと赤と紺の暖簾がかかっている。

 

「必要な物はすべて中に入っている。なにかあったら更衣室の内線を使え」

「わかりました。あ、ありがとうございました!」

 

 足早に去ろうとするウーノに急いでお礼を言う。

 ウーノはなんの反応も返さなかった。

 

(怖かったけど……それだけ慕われてるってことだよね、レヴィさんもボスも。

 ボスはまだ会ってないけど)

 

 ウーノは人に名を明かすなと言っていたが、ヴァリアーのボスであるXANXUSには挨拶をしておくのが礼儀だろう。

 むしろ、まだ挨拶をしていないこの状況こそが無礼以外の何物でもない。

 

(ルッスーリアさんもなにも言わなかったけど、そういうの気にしない人なのかな。

 顔……あんまり覚えてないけど)

 

 モニターに映し出されている姿は何度も見たけれど、顔がアップになっていなかったからそこまでよく覚えていない。

 レヴィとは違うタイプの悪人面だったような気もするが、暗かったので迫力が倍増されていた可能性もある。銃を乱射していた絵面もイメージダウンに拍車をかけていた。

 

 脱衣所にはだれもいなかった。

 ほかの人の衣服もないので、利奈は身ひとつで風呂場へと入る。

 

(……日本?)

 

 なんというか、普通に旅館の大浴場だった。

 家族旅行で入った温泉に似ているのでそこまで感慨はなかったが、日本の温泉がそのままイタリアにある時点で驚いてよかっただろう。

 シャンプーなどは海外産のために表記が全部アルファベットになっているが、それ以外は本当に日本の温泉だ。

 

「独り占め……!」

 

 がらんとしているのは少し寂しいけれど、泳ぐように動き回ってもだれにも見咎められないのはいいことだ。

 バシャバシャと水飛沫を上げながら、風呂を満喫する。

 

(これから毎日このお風呂入れるのかあ……だったら、ちょっとくらい長くてもいいかも)

 

 そんな現金な考えを浮かべながらも、思考を占めるのはこれまでの激動の数日間と、自分の知らない十年間の出来事だ。

 ヴァリアーのみんなに会ってから、より一層十年後の自分への興味がわいた。

 

(この時代の私のこと、沢田君たちに聞いておくんだったな……。

 聞く前にこんなことになっちゃったんだけど)

 

 思い出してみると、いろいろとわからない点がある。

 上司だったにもかかわらず、不自然なほど無関心を貫いていた恭弥。

 姿が変わったというだけで駆けつけてきた骸。クロームの涙。

 

 わからないまま置いてきてしまったから、どれもこれも迷宮入りになっている。

 過去のことならとにかく、未来のことじゃ思い出すこともできやしない。

 

(ここじゃどうしようもないし、帰ってから考えればいっか。あー、お風呂気持ちよかった……)

 

 たっぷり温泉気分を堪能できたが、ひとつ問題が残っていた。

 言うまでもなく、帰路がまるでわかっていないという点である。

(お風呂見つける前からそうだったけどね。

 雰囲気は覚えてるし、すぐに戻れるでしょ)

 

 方向音痴特有の得体の知れない自信を抱きながら、来た道を引き返す。

 レヴィやウーノと会ったところまではすぐに戻れたが、そこから先はまったく覚えていない。

 

(迷路だって、ずっと左に歩いていれば辿り着くんだし。最上階から順に探していけばいいよね)

 

 どこもかしこも似たような部屋ばかりだが、寝室のある区域はドアが等間隔に並んでいた。ようは、そんな区域を見つければいいのだ。

 

 意気揚々と歩く利奈は、その作戦の致命的な欠点にまるで気付いていなかった。

 組織のボスというものは、最上階に君臨するものであるということを。

 

 そして利奈は思い出さなかった。

 かつて、不用意に禁断の場所に迷い込んで、散々な目に遭った過去を。

 

(天井がちょっと違う。ここが最上階かな)

 

 踊り場から見える天井が高くなり、最上階であることを知る。

 小窓から外を覗くと、鬱蒼と茂る庭の樹木や噴水が見えた。わずかに見える赤色は薔薇だろうか。

 

(……私の部屋からだと、噴水こんなに低くなかったよね)

 

 朝も自室から噴水を見下ろしたが、そのときの噴水は距離も高さも近かった。

 となると、一階分降りて噴水のある側へと向かえば部屋に戻れるはずだ。

 

(この階にはなにがあるんだろう。作戦室とか会議室とかかな)

 

 メローネ基地にはビリヤード台が置いてあったし、幹部御用達の娯楽部屋なんかもあるのかもしれない。

 どうせこの階には下りの階段しかないので、利奈はそのまま廊下を進んだ。

 

 最上階だけあって、階下の喧騒はまるで聞こえない。

 窓もすべて閉まっているようで、自分の立てるかすかな足音と、衣擦れの音だけが耳に入る。

 

(だれもいないのかな……)

 

 昼前だから、休みの人以外はみんな外で任務に当たっているだろう。

 ここは海外で、銃の携帯も認められている。日本などとは比べ物にならないほど抗争が激化しているはずだ。

 

 点々と続く窓越しに外を眺めていた利奈は、背後に感じた何者かの気配に息を止めた。

 

(だれ? ……違う、なに?)

 

 人の気配ではなかった。

 わずかに呼吸音が聞こえるが、それも人ではなく動物――獣の吐息である。重量感のある足音も耳に届き、肌が粟立つ。

 

 番犬か、あるいは匣アニマルか。どちらにしても人ではない。

 正体を知りたければ振り返ればいいのだが、反射で振り向くには時間が経ちすぎてしまっている。

 

 だんだんと距離が近くなってきたので、利奈は意を決して振り向いた。

 

「!?」

 

 そこにいたのは大型犬でも猫でもなかった。

 

「あ、えっ、ひえ……!?」

 

 ひきつった声が喉から出てくる。

 なんでこんなところにこんな動物がと目を疑うが、足は本能に忠実でじりじりと後ろに下がった。

 

 そこにいたのは、獲物を屠るための爪と牙を持った肉食獣。――百獣の王、ライオンだった。

 

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