新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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前門後門どちらも一緒

 檻や液晶越しにしか見たことのないライオンが、すぐそこに存在している。

 ルッスーリアから匣アニマルを見せられていなければ、白昼夢を疑ったのちに発狂していただろう。

 

 とはいえ、冷静でいられるほどの余裕はない。

 彼が匣アニマルだったとしても、匣の持ち主がいなければ制御はできない。

 そしてライオンは、利奈を侵入者と認識して睨みつけている。

 

(とにかく逃げなくちゃ! どうにかして隠れないと噛み殺されちゃう!

 ライオン、えっと、ライオンなんだよね……?)

 

 最初、利奈はその動物がなんの動物であるのかがわからなかった。

 性別を雄と限定できる、ライオン特有の雄々しいたてがみがあったのにもかかわらず、だ。

 

(クーちゃんも羽がキラキラしてて変わってたけど……真っ白なライオンなんて)

 

 アルビノのライオン。

 安全が確保されていれば見惚れるほどの神々しさだ。

 しかしその美しいライオンに敵意を向けられているとなると、逃げるしか選択が存在しない。

 今のところ飛びかかってきそうな様子はないが、追い詰めるようにゆっくりと距離を詰められている。一刻も早く逃げなければ。

 

 階段は使えそうにない。

 一番近くにある階段はライオンの後ろだ。

 人が何人かすれ違える広さの廊下でも、さすがにライオンをやり過ごせるほどの広さはなかった。

 下の階に降りる階段も無理だ。

 このぶんだと、廊下の端に辿り着く前にライオンに追いつかれてしまう。

 

 となると、どこかの部屋に閉じこもるしかない。

 利奈は目についた部屋のドアを引いた。

 

(開かない!)

 

 ライオンが二歩進み、利奈はドアノブから手を離して同じ歩数後ろに下がった。

 一歩の大きさに差があるので、どうしても距離が稼げない。

 

(早く、早く開いてる部屋! あー、ここも鍵かかってるー!)

 

 どこもかしこも鍵がかかっていて、叫び出したくなってくる。

 しかし声を出した瞬間に飛びかかられそうで、利奈は暴れ狂う恐怖を必死に押し殺しながら、ドアを引き続けた。

 

(なんでこんなに鍵閉まってんの!? そんなに重要な部屋ばっかなの、ここ! だったらライオン放し飼いになんかしないでよー!)

 

 泣きそうになりながらライオンから逃げる利奈。

 邪魔者を排除せんと唸り声を上げるライオン。

 

 絶体絶命な危機的状況で、利奈はふと、自身の過ちに勘づいた。

 

(このドア、押して開けるんだったっけ?)

 

 至極簡単な話だった。日本と海外ではドアの開け方が逆になっている。

 この屋敷のドアを自分で開けたのは寝る前の一回きりだったのでよく覚えていないが、全室に鍵がかかっていると考えるよりは、ありえる話だろう。

 

 物は試しとドアを押しこむと、今までの苦労が嘘のようにすんなりと内側に開いた。

 

「なにやってんの、私!」

 

 抑えきれずに吐き出した言葉に反応して、ライオンが吠えた。

 利奈は悲鳴を上げながらドアの隙間に身体を滑りこませ、そしてすかさずドアを閉めた。

 

(ひい、すぐそこにいる! ドア押してる!)

 

 ドアから振動が伝わってくる。

 しかし体当たりされているわけではないようで、両手で押さえたドアはびくともしなかった。

 

 いくらライオンといえども、ドアをぶち破ったりはできないだろう。

 あとはこのまま、ライオンが去るか、あるいは飼い主が来るかを待てばなんとかなる。

 深いため息をつきながら、利奈はドアに背中を向けてもたれかかった。

 

 まさか、ライオンが野放しになっているなんて思ってもみなかった。

 知っていたら、一人で部屋を出ようとなんてしなかっただろう。 

 

(……ここはなんの部屋なんだろう)

 

 ムッとするような酒の匂い。棚に飾られた酒瓶。壁に張られた見覚えのない地図。

 窓にかかった緋色のカーテンは重く、陽光をほとんど通していない。電気もついていないので、室内は廊下よりもずっと薄暗かった。

 

 部屋のなかを順繰りに見送っていた利奈は、部屋の奥に目をやった瞬間、ビクッと体を震わせた。

 重厚な造りの机を挟んだ向こう側に、人の姿があったのだ。

 よほど背の低い人が座っているのか、それとも椅子が低いのか、頭しか見えていない。

 

(だ、だれ……?)

 

 知らない人物であるのは明白だった。

 髪の色は先ほどあったレヴィと同じ黒だが、髪型がまるで違う。レヴィは髪の毛を逆立てていたはずだ。

 

 かなり荒々しくドアを開け閉めしたはずなのに、反応が一切ない。眠っているのだろうか。

 となると、頭しか見えていないのは、椅子に深くもたれかかっているからなのか。

 

(多分、あの人がボスのXANXUSさん、だよね? 最上階だし、部屋がゴージャスだし)

 

 幹部の部屋がこの下にあるのだから、ここはボスの書斎、あるいは自室のひとつなのだろう。

 となると、最奥の椅子に座れる人物は一人しかいない。

 

 様子を窺うために男に近づこうとした利奈は、背後で鳴ったドアノブの音で動きを止めた。

 振り向くと、ぐるりとドアノブが回っていた。

 

(そういえば鍵掛けてなか――うわああああ!)

 

「うわああああ!」

 

 心の声がそのまま口を突いて出てきた。

 隙間からライオンが顔を出したからだ。

 

(ライオンってドア開けられるの!? マジで!?)

 

 利奈は心の底から驚いたが、ドアノブを回せばドアは開くのだから、簡単だろう。

 今さら自分の愚かしさを呪っても手遅れである。

 ドアを押し返してライオンにぶつける勇気はなく、利奈は近くの壁に張りついた。

 

 ライオンはまるでこの部屋の主であるかのように、じつに悠々とした態度で入ってきた。

 そして、己を締めだした不届き者に対し、咆哮を浴びせてくる。

 

「ひっ!?」

 

 利奈は小さく悲鳴を上げてへたり込んだが、ライオンは容赦せずに牙を剥いた。

 

 獅子は兎を狩るのにも全力を尽くす。

 哀れな兎に制裁を加えるべく、重心を落として飛び掛かろうと狙いを定めたそのとき――

 

「ベスター」

 

 今までこちらに一切反応を示さなかった男が、一言呟いた。

 

 たったそれだけで、ライオンは表情を変える。黒目が細まり、牙と爪が仕舞われる。

 少しのあいだ名残惜しげに利奈を睨んだが、やがて興味をなくしたように顔を背けて、扉の前に横たわった。

 

(たす、かった……?)

 

 助かった実感はないが、ライオンはもう利奈を見ようともしていない。

 利奈は唖然としながら、ライオンから男に視線を移した。

 へたりこんでしまったせいで頭すら見えなくなったのに、とてつもないプレッシャーが肌を刺した。

 

 眠っていたなんてとんでもない。

 一切を歯牙にかけていなかっただけのことだ。――反応するにも値しない人間だと、断定されただけ。

 

 身体の震えを押さえるべく、利奈はグッと奥歯を噛んだ。

 

 ――この男は危険だ。

 ヴァリアーに所属している人間は皆そうだが、XANXUSは別格である。

 姿すら見えていないのに、プレッシャーで立ち上がれない。

 

 本能は早く逃げろと急かし、這ってでも部屋を出たいものの、ライオンが扉の前に鎮座している以上、脱出は不可能だった。

 それに、男はライオンの行動を止めはしたものの、それ以上の干渉をしてきていない。顔は見えないが、こちらなど見向きもしていないだろう。

 ライオンに殺されずに済んだものの、事態はいまだ膠着状態である。

 

(……話しかけられるのを待とう。私から声かけたら、殺されそう)

 

 そう判断して、利奈はその場で膝を抱えた。

 呼吸を落ち着かせて、時計の秒針が鳴る音を数える。

 時折聞こえる軽やかな音は、グラスが置かれたときに氷が立てる音で、液体が注がれる音も、静まり返った室内ではよく聞こえた。それと、漂う濃厚な酒の匂い。

 

 XANXUSはこんな昼間からずっと酒を飲み続けていた。そして利奈は膝を抱え続けた。

 しかし、限界は訪れる。

 

(――っもう、ぜんっぜんこっち気にしてくれないんだけど!?

 それにライオンも寝ちゃってるんだけど!?)

 

 男の飲むペースは変わらず、ライオンは寝息を立てている。

 そんななかで部屋の片隅で膝を抱える利奈は、第三者から見たらさぞかし滑稽だろう。

 自分でもそう思えてしまうのが惨めで、怯えているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。

 

(どうしろっていうのよ! どうすればいいの! ライオン乗り越えて出てけって言うの!?)

 

 このままだと、夕方になっても部屋から出られない。

 カーテンがかかっているせいで外は見えないが、時計の長針はすでに一週回りきっていた。

 絨毯が掛かっているとはいえ、床に座り続けたせいでお尻も痛い。

 じっとしていても埒が明かないのなら、もう玉砕覚悟で突っ込んだ方が精神的にマシである。

 

「おい」

「はいぃっ!?」

 

 突如声をかけられ、利奈は反射的に起立してしまった。

 そしてやっと、ボスの顔を視認する。

 

(こっわ! え、こっっわ!)

 

 一度、リング争奪戦で見た顔だ。

 しかし実際に肉眼で見るXANXUSの顔は、想定以上に迫力があった。

 いかめしさでいえばレヴィの方が上だが、顔の造形とは関係なく、纏う雰囲気が凶悪だった。

 命乞いしてしまいたくなるのをなけなしの根性でこらえながら、利奈は決死の思いで口を開く。

 

「なんでしょうか!」

「……酒」

 

 XANXUSは乱暴に机の上に空の酒瓶を置いた。

 机がへこんでしまうのではと思うほどの乱暴さだ。

 

(えっと、お酒のお代わりをここから選べってことだよね?)

 

 利奈のすぐそばには、酒瓶の飾られた棚があった。

 観賞用ではなく、飲酒用だったようだ。

 

 命令されることに慣れている利奈はすぐに棚に目を滑らせたが、ボスが置いた酒瓶と同じ銘柄の酒は見つからない。

 

「え、あの……」

「るせえ」

「……ど、どのお酒がいいですか?」

 

 XANXUSの言葉にもめげずに尋ねるが、XANXUSは返事をしなかった。

 それどころか、さっさとしろと言わんばかりにねめつけてくる。

 

(怖いぃ! ヒバリさんのほうが数十倍マシなんだけど!?)

 

 こんなことでマシと言われても、ちっともうれしくないだろう。

 でも、恭弥のほうがまだ話が通じる。

 

 自分で選ぶしかないようなので、利奈はビクビク震えながらも棚を物色した。

 すぐそばにライオンがいるので、あまりそちらに近づかないようにしなければならない。

 

(あの人が飲んでるのは茶色いお酒だから、似てるお酒にしよう。

 ……これとか、どうかな)

 

 表記はすべてアルファベットだから、瓶の形と中の液体の色でしか判別できない。

 それでも利奈はなんとか一本を選んで、ボスの元へと歩み寄った。

 近づくのも躊躇われたけれど、ボス自ら酒が欲しいと言ったのだから、無礼者と罵られることもないはずだ。それだけが心の支えだった。

 

(顔に傷がある……)

 

 薄暗がりのなか、椅子にふんぞり返るXANXUSの左頬には、火傷のような跡が見えた。

 さりげなく視線を外し、震える手で瓶のキャップを外す。

 

「どうぞ……」

 

 利奈は酒瓶を傾けようとしたが、ボスはグラスを差し出さなかった。

 それどころか、どういうつもりだと言わんばかりの目で睨みつけられたが、グラスを出してくれないと注げない。

 

「このお酒じゃ、駄目ですか?」

 

 それとも、机越しで注ごうなどとはと憤っているのだろうか。

 ならばと机を回り込もうとしたら、ボスがようやくグラスを突き出した。

 

「……カスが」

 

 あんまりな言い方だが、声に圧は感じなかった。

 なので利奈は若干気を持ち直しながらも、慎重にお酒を注ぎこんだ。

 

 トクトクと音が鳴って、ウイスキーの濃厚な匂いが鼻孔をつく。

 甘い匂いだけれども、相容れない匂いだ。

 グラスを傾けるボスの横顔は険しく、美味しいものを飲んでいる顔には見えない。

 

(今なら、お願いできるかな)

 

 あのライオンがXANXUSの匣アニマルなら、退かすこともしまうことも容易いだろう。

 いい加減この部屋から解放されたかった。

 

「あの」

 

 話しかけた瞬間、XANXUSの持っていたグラスが軋んだ。

 

「だれが口を聞いていいって言った」

「……ヒッ!」

 

 気が付いたときには、身体が後ろに下がっていた。

 心臓が張り裂けそうなほど大きく脈打っている。

 

(なんなの。なんなの、この人……!)

 

 ほんの少し、爪先ほどの殺気を向けられただけ。

 それなのに、全身から冷や汗が噴き出していた。

 話しかけようとしただけでこれでは、ライオンを退かしてくれなんて頼めるわけがない。

 それに、今ので完全に心が折れてしまった。

 

 もうこのまま、ここで一生を終えるしかないのかと悲壮な覚悟を決めかけた利奈の耳に、ドアのノック音が響く。

 

「ボスー、ちょっといい?」

 

 少し開いたドアが、ライオンにぶつかって止まる。

 目を覚ましたライオンは、鬱陶しそうにドアの向こう側を見てから、のそのそと体を動かした。

 そしてベルが顔を出す。

 

「なんの用だ」

「ああ、ちょっと。……シシ、やっぱりここにいた」

 

 利奈を見つけたベルは、得意そうに笑いながら利奈を指差した。

 

「みーつけた。お前を最初に見つけたら勝ちだったんだよな」

 

(探しに来てくれたの?)

 

 口を開いたらボスの機嫌を損ないかねないので、利奈は自分を指差す身振りで尋ねた。

 

「そうそう。昼飯の時間だってのにお前がいないから。

 先に食ってようと思ったのに、スクアーロがお前を探せってうるせーし。あー、腹減った」

「……ご、ごめんなさい」

 

 どうやらスクアーロのおかげらしい。

 ますます朝の一件が申し訳なくなるが、おかげでこの地獄から抜けられそうだ。

 ちょいちょいと手招かれ、利奈は脱兎のごとくXANXUSの元から逃げ出した。

 

「んじゃ、ごゆっくりー」

「し、しししつ、失礼しました!」

「噛みすぎだろ」

 

 九十度以上頭を下げた。

 そしてドアが閉まると、潤む瞳でベルを見上げた。

 

「ベル」

「ん?」

「ありがとう。……本当にありがとう!」

「なにマジ泣きしてんの、キモ」

「ううっ。ありがとね、一生恩に着るから。グスッ、ほんとに殺されるかと……死ぬかと……」

「いや、だからキモいって。泣きながら笑ってんなよ」

 

 もはや悪口ですら笑顔で受け流せた。話ができるだけありがたい。

 

 ――その後、涙を流しながら食堂に入ってきた利奈にみんなギョッとしたものの、XANXUSの部屋にいたと聞いた瞬間、腑に落ちた顔をした。

 そして、利奈のデザートの量が倍増した。

 

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