昼食の次はおやつ。おやつのあとは夕食。
食事をとる以外、なにもすることがなく、自室と食堂を行ったり来たりするだけで夜になってしまった。
それでも満足してしまうのは、料理がどれもこれも美味しすぎたせいだろう。
一流のシェフを雇っているそうで、大人たちとあまり変わらない量を振る舞われたにもかかわらず、すべての料理を平らげてしまった。
昼からはろくに動いていないのに。
(毎日これだったら、すぐに太りそう……)
せめてもの抵抗として、夕食後に招かれた談話室では、飲み物だけをお願いした。
利奈とフランはレモネードを飲んでいるが、ほかのみんなは軽食を摘みながらお酒を嗜んでいる。
スクアーロは背もたれに腕を預けながら、長いソファに足を投げ出していた。揺れる銀糸の髪は女性的であったが、水のようにお酒を呷っているさまは男性的だ。仕事が終わったからかお酒が入ったからか、楽しそうに口元を緩ませている。
レヴィは昼間と変わらず仏頂面であったものの、一杯目のビールを一息で飲み干してしまったし、二杯目のビールももうすぐ飲み干しそうだ。背を丸めて静かに酒を楽しんでいる姿には、一般人には出せない渋みがある。
ルッスーリアはというと、面白い話題をみんなに提供しながらも、慣れた手つきで水割りを作っていた。くるくるとマドラーを回してから、小さくなった氷を補うように新しい氷を追加している。
(なんていうか、大人の世界……)
中学生の利奈には、十年は早い光景だろう。
場違いなところに入りこんだ気持ちになって、隣の二人に目をやった。
カエル帽を被ったフランはストローでレモネードを飲んでいるし、ルッスーリアにお代わりを作ってもらっているベルは、ビスケットに手を伸ばしている。
こちらはとても親しみを感じる光景である。
「……なんか、すごく失礼なこと考えられてる気がするのですがー」
「同感。なに見てんだよ、泣き虫」
「泣きっ――別にー?」
泣き虫発言に食いつきかけた利奈だが、それこそベルの思う壺だと思い、顔を背ける。
みんなの前で泣き顔を晒してしまったのを思い出し、じわじわと集まる顔の熱をレモネードで冷ました。
「そうだ。さっき聞いたんだけど、貴方、よりにもよってボスの部屋に入っちゃったんだって?」
ベルに水割りを渡しながら、ルッスーリアが眉を下げる。
厳密に言うとべスターに追い詰められたせいなので、運が悪かったというしかないが、許可もなくXANXUSの部屋に入ったのは事実である。
「もう二度と行っちゃ駄目よ。
ちゃんと話してなかったけど、ボスは気性が荒くてすぐに暴力振るうんだから。
私たちですらビクビクしてるのよー!」
「……はい」
「でもよかった、無事で。どこも怪我してないのよね?」
「はい」
身体は無事だ。――心に瀕死のダメージを負ったが。
「まあ、主な被害者は作戦隊長なわけですけど。あんなに物ぶつけられて、よく死にませんねー」
「あ゛あ?」
喧嘩を売られていると判断したのか、スクアーロが三白眼で睨みつけてくる。
するとフランはすかさず利奈を指差した。
「ってこの人が思ってそうだったんで代弁しましたー」
「うえっ!? ちょ、やめてよフラン! 私そんなこと思ってないし!」
そもそもその場面を見てないのだから、そんな想像をする余地すらない。
(あっ、でも朝もなんか濡れてたっけ。まさかあれ、ボスに水を掛けられて!?)
――実際にはグラスを投げつけられてだが、知らないほうがいいこともあるだろう。
利奈は体を震わせながら、二度と最上階には近づかないでおこうと固く決心した。
ずっと黙っていたレヴィが、ふんと鼻を鳴らした。
「ボスの意に沿わぬ言動を取るからだ。それでよく、作戦隊長が務まるな」
「あ゛あ? それは任命すらされなかった人間の僻みか? それとも、今ここで俺に三枚に下ろされたいって願望か?」
スクアーロが上半身を起こすが、レヴィは動じずにジョッキを呷った。
任命されなかった云々のところで髭がピクリと動いていたから、そちらが理由だろう。
(ギスギスしてきちゃったな……。しかも、私の話題がきっかけで)
よくあることのようで、ほかのみんなは二人のやりとりをあまり気にしていない。
ベルなんかは、殴り合いに発展するのを期待してか、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
若干名除けば円になるボンゴレ守護者とは違い、ヴァリアー守護者はなかなかに屈折した関係を築いているらしい。
「あの、スペルビさん」
空気を読まずに声をかけると、二人の険悪な視線がこちらに向いた。
それに気付かないふりをしながら、話題を切り替える。
「私って、いつごろ日本に帰れるんでしょうか。
私の保護も依頼だったって聞きましたけど、それっていつまでですか」
依頼で請け負っているのだから、期限が定められていないはずがない。
しかしスクアーロの答えは、利奈の求めるものとは違っていた。
「期限はまだ決まってねえ。とにかく早く救出しろ、詳細は追って連絡するとだけしか書かれてなかったからな。
そのくせ、あいつはすぐにミルフィオーレの雑魚なんかに――」
「スクアーロ」
「えっと、つまり?」
ルッスーリアが窘めると、スクアーロは言葉を切った。
利奈は察しが悪いふりをして続きを促す。
「しばらくは無理だ。
撹乱するために、ブラックスペルの人間が連れ出したように見せかけたしなぁ。
ねぐらを突き止めたと知られたら、やつらが場所を変えかねねえ」
黒い制服を着ていたのにも意味があったらしい。
基地の場所を変えられてしまったら、入手した基地の情報が無駄になってしまうだろう。
「それに、お前の救出の件は、俺たちヴァリアーと沢田綱吉しか知らねえ極秘事項だ。
日本支部の連中は、いまだにお前がミルフィオーレに捕まっていると考えて動いているはずだ」
「はー、なるほど」
まるで今知ったようにフランが頷く。
フランも詳細は知らされていなかったのだろうか。
「それじゃあ、この人はここで預かり続けるしかないですね。
どこの陣営に存在を知られても面倒なことになりますし」
「そういうことだ。あいつも、それを見越して俺たちに依頼したんだろうしなぁ」
(えっ、どういうこと? なんであっちのみんなにも隠すの?)
――現在、ミルフィオーレファミリーでは、利奈が行方不明になった件で諍いが生じていた。
ホワイトスペルは、手柄を横取りされたブラックスペルが人質を奪い返したと思い込んでいて、そしてブラックスペルは、人質を擁しているはずのホワイトスペルが人質を逃がしたうえに、あらぬ言いがかりをつけてきたと認識しているのだ。
それに関して、ボンゴレサイドが変わらずに人質の解放を訴えていることが、ボンゴレに人質が戻っていないというなによりの証拠となっている。
つまり、利奈が行方不明であるこの現状が、ミルフィオーレ内部での軋轢を生みだしているのだ。
とはいえ、情報と理解力が足りていない利奈には、とにかくここから出るわけにはいかないらしいという結論しか残らなかった。
「深く考えないで、ちょっと海外旅行しに来たと思えばいいじゃない。
ほら、せっかくこんな豪華な屋敷に招かれたんだし」
自慢するように腕を広げるルッスーリアに従って、室内を見渡してみる。
壁にはシカの剥製がかかっているし、冬なら火が焚かれていただろう、立派な暖炉もある。そして、もうとりたててどうとも思わなくなってしまった高級な家具たち。
メローネ基地の殺風景な部屋に閉じ込められていたときと比べれば、破格の厚遇である。
「さっ、お菓子も食べて食べて。
この時代のあなたが好きだったクリームチーズとビスケット」
「わあ……」
クリームチーズがたっぷりと乗せられたビスケットに歓声をあげる。
どちらもとくに好物というわけでもなかったけれど、ジャムや小さな葉っぱで彩りが足されているのがお洒落でかわいかった。
一口で頬張った利奈は、初めて食べる未知の美味しさに破顔した。
「美味しい……! これ、ここで食べた料理のなかで断トツ好きです!」
「よかった。貴方、いつもこれを食べながらワイン飲んでたものね」
「ワインなんて飲めるんだ!? 大人の私」
二十五歳ならお酒くらい飲むだろうけれど、まさかワインまで飲めるようになっているなんて。十年後の自分の成長度合いに驚く。
「この時代の私って、どんな感じだったんですか?」
「どんなってそんなに変わってないと思うわ。
今の貴方よりは大人っぽくて……仕事がなかなか優秀だったくらい?」
「へえー!」
「あと、たった一人でヴァリアー基地に乗り込んでくる度胸はあったぜ」
「ええ!?」
挟み込まれたベルの言葉に目を見開いた。
どれだけ窮地に追いやられればそんな行動を取れるのだろう。
「ああ、それと射撃の腕もそこそこだったわね。射撃場で試し撃ちしたりもしてたけど」
「ええ……」
日本で働いていて、どうして射撃の腕を磨く必要があるのか――いや、わかっている。わかっているから聞きたくない。
未来の自分がマフィアに近しい道を着実に歩んでいると知り、利奈は肩を落とした。
優秀と言われるのは嬉しいけれど、そんな度胸と特技は欲しくない。
(で、でも未来は変わるかもだし……!)
「ルッスーリアさんとも、よく会っていたんですか? 仕事とか、そういうので」
「ええ、仕事以外でもよく話したわ。私より、ベルの方がよくちょっかい掛けてたけれど」
「え゛」
思わずベルを窺うと、ベルはニシッと笑みを浮かべた。
「だってお前、反応面白かったし」
「……」
それだけで、どんな目に遭わされてきたかが伝わってくる。やっぱりベルは性格が悪い。
「ほら、そっちの二人も黙ってないでなにか言いなさい。少しはあるでしょう、エピソード」
「あるわけねえだろ。
ボンゴレの、しかも雲の守護者の部下だぞ。接点がまるでねえ」
「スクアーロったら、そっけないわね! ならレヴィ、とっておきのを!」
「むおっ!? そ、そうだな……?」
「あ、無理しなくて大丈夫です。だいたいわかりました……」
全員と親しかったわけではないと知って、少しだけ安心する。
とはいえ、暗殺部隊の幹部と面識があり、交流があるというのも妙な感じだが。
「でも、そんな話聞くと将来が怖くなるような……。なんか長生きできなそうですし」
もうひとつビスケットを摘む。
(んー、やっぱり美味しい! 帰ったらお母さんにおねだりしてみよっと)
ひそかに算段しながらビスケットを飲み込んだ利奈は、妙に生温い視線が自分に集まってるのに気付き、戸惑った。
全員が利奈の顔を見つめているのだ。
「な、なんですか?」
「お前、知らねえのか?」
「知らないって……」
用心深さを前面に出したスクアーロの表情に、胸の奥がざわりと波打った。
「……貴方、もしかしてこの世界のことをなにも聞かされてないの?」
――聞かされてはいないが、知っている。
ボンゴレファミリーとミルフィオーレファミリーが抗争していて、ミルフィオーレファミリーは白蘭がボスで、ブラックスペルとホワイトスペルがあって――いや、彼らが言っているのは利奈個人の話だ。
(未来の、私は?)
雲雀恭弥の部下。伝えられた情報はそれだけだ。
でもそれは肩書きであって、未来の利奈を表す言葉としては不十分である――と言うことを、今、察してしまった。
それを彼らも悟ったのか、苦い沈黙が場の空気を満たした。みんな、利奈の言葉を待っている。
「……私」
一度疑念を抱いてしまったら、もう止まらない。
利奈はひきつり笑いを浮かべながら、彼らが知っているであろう事実を吐き出した。
「……私、もう死んでるんですね?」
考えてみれば、引っかかるところはあったのだ。
この世界のだれ一人として、この世界の利奈がどうなっているのかを心配していなかった。
入れ替わりで利奈がここに来たのだから、この世界の利奈は十年前の世界に行っていることになる。
十年前の綱吉たちに大人の利奈を保護する力はないだろうから、大人の利奈には頼れる味方がいない。
それなのに、だれもその身を案じてはいなかった。
当然だ。十年前の世界にはだれも行っていないのだから。
(じゃあ、みんなが優しくしてくれたのって……)
綱吉たちがいろいろと世話を焼いてくれたのを、利奈はずっと親切心での行動だと思っていた。あるいは、この時代に巻き込んでしまったことへの罪滅ぼしだと。
でも、それだけではなかったとしたら。
優しい気遣いも、向けられた温かな眼差しも、死んでしまった利奈を偲んで与えられたものだったとしたら。
なにも知らずにいた利奈を、彼らはどんな気持ちで見守っていたのだろう。
――それからどうやって部屋に戻ったのかは覚えていない。
だれかに促されたのか、自分で戻ると言ったのか。
ただ、だれかが隣に寄り添って、部屋までついてきてくれていたのは覚えている。
最後に頭を撫でてくれたのも。
時は戻らない。そして待たない。
利奈の心の整理を待つことなく――翌朝、ボンゴレから暗号通信が届いた。