――利奈が気力を取り戻したのは、最上階から降りてXANXUSの殺気から解放され、改めてスクアーロの顔を目にしてからであった。
(な、なんてひどい……!)
グラスが当たったところが盛大に腫れてしまっている。
利奈はほかの隊員に声をかけ、手当用の道具を用意してもらった。
「こんくらいほっといても――」
「たんこぶになってるんです! もしかしたら頭の骨が折れてるかも……!」
「だったらこんなんじゃ治んねえよ。いいからほっとけ」
傷口を覗きこもうとするが、左手が額を隠し、右手が利奈を追い払う。
「だめです、せめてこれを貼っておかないと」
もとはといえば、利奈が部屋の前で呼び止めたせいでXANXUSの機嫌を損ねたのだ。
手当くらいしなければ、顔向けできない。
聞く耳を持たずに湿布をセロハンから剥がすと、スクアーロはため息をつきながら額から手を外した。
目で見てわかるほど腫れているうえに、一部赤黒くなっているのが痛々しい。
「貼りますよ。前髪、押さえててください」
「わかったわかった」
面倒くさそうに髪をかきあげるスクアーロ。
皺がつかないように細心の注意を払いながら、利奈はその広い額に湿布を貼った。
「はい、終わりました」
「おう」
部屋を見渡してゴミ箱を探す。
昨日も入ったけれど、スクアーロの部屋は物が少ない。おかげでゴミ箱はすぐに見つかった。
(うーん、昨日あんなことがあったのに、またここで二人きりになんて変な感じ。
無理やり入っといてあれだけど)
ルッスーリアが蹴破ったドアはすでに修理が終わっていて、今はほんの少しだけ隙間が空いている。
昨日の一件があるからと、スクアーロがわざと開けておいたのだ。またぶっ壊されてはたまらないと軽口を叩かれてしまったが。
「チッ、あの野郎、思い切り投げつけやがって……」
ひどく痛むようで、スクアーロは歯を剥きながらベッドに寝転がった。
長い脚が行儀悪くベッドの端に乗っかっている。
「ルッスーリアさん、呼びましょうか?」
ルッスーリアの匣を使えば、たんこぶくらいすぐに治るだろう。
腕の刺し傷すら傷跡一つ残さず治せるのだから。
「いや、いい」
考えもせずに断るスクアーロだが、痛いものは痛いのか、イラついたように足の爪先を動かしている。
黒い靴が前後に動き、利奈を落ち着かなくさせる。
「その……報告、大丈夫だったんですか? する前に出てきちゃいましたけど」
「ああ、べつに問題ねえ。どうせ、依然変わりなしっていう報告だったからなぁ」
「そうですか……」
それは、いい報告ではないのだろう。
依然変わりなく、ミルフィオーレファミリーが勢力を拡大しているという意味なのだろうから。
じわりと胸に広がる不快感に俯くと、天井に向いていたスクアーロの目が利奈を捉えた。
「お前、これからどうしたい」
「え」
不意の問いに戸惑うと、スクアーロがゆっくりと体を起こした。
「水」
飲み物を求められ、利奈は条件反射のような速さで水差しの水をスクアーロに渡した。
コップを受け取ったスクアーロが、喉を鳴らしながら水を飲み干す。すかさず二杯目を注ぐが、それはサイドテーブルに置かれた。
「ベルの――いや、俺たちの任務はお前の奪還と保護だ。
沢田が死んじまったせいで保護期間はうやむやになった――と思っていたが」
そこでスクアーロの視線が利奈の左腕に向いた。
長袖の下に腕章が巻かれているのを知っているのは、朝にいた三人だけだ。
「あの雲雀恭弥がお前の居場所を知っていて、そのくせ送ってきたのはその腕輪だけ。
つまり、お前にはまだ、ここにいなければならない理由があるってわけだ」
スクアーロの指摘は鋭かった。
腕章を送られていなければ、自分の存在など顧みてもいないのだと悲観しただろうが、
腕章は利奈の腕に戻ってきている。
風紀委員の誇りである腕章を託されたということは、風紀委員として動けという意味に他ならない。
(でも、私は――)
ここに来てからなにも為し遂げていない。
戸惑って、怯えて、泣いて。縮こまってばかりだ。
さっきだって、二人の殺気に気圧されて動けなかった。
こんなことでは、人を殺すどころか、自分の身を守ることすらできないだろう。
どうしたいと聞かれたところで、なにもできないとしか答えられない。
「保護期間の長期化についてはどうでもいい。
お前一人屋敷に置いたところでどうなるわけでもねえし、お前に届いた手紙であいつの考えにはおおよそ見当がついた。
もちろん、ここでの世話代は報酬額に上乗せさせてもらうがなあ」
不適な笑みに利奈は一抹の不安を覚えた。
依頼人の綱吉がいなくなったわけだが、そうなるとその報酬の支払いはだれが請け負うことになるのだろう。
そして、最高峰マフィアの暗殺部隊幹部たちに保護される生活は、いったいどれくらいの値がつくものなのだろう。
顔色が悪くなっていく利奈を見るスクアーロの瞳は冷たい。
利奈という人間の本質を見定めようとしている眼だ。
「そのうえで、今のうちに確認しておきたいことがある。
お前はこの世界で生きていける人間か? お前に、この戦いに携わる覚悟はあるか?」
「……」
利奈は即答することができなかった。
命を懸ける覚悟はあるかと問われて、すぐにはいと答えられるほどの勇敢さは利奈にない。
数秒の沈黙が、永遠のように重く感じられた。
「お前はあいつら――沢田綱吉とその守護者とは違う」
そう、彼らとは違う。
マフィアとしての資質もなければ、現状を打開する力もない。
「戦いに参加しろとは言わねえし、無理にこちら側に関わる必要もねえ。本来なら、守られる側の人間だろう。
依頼を受けた以上、お前の身の安全は俺たちが保障する。だが、お前の心はどうだ?」
心。覚悟。
「ここは戦場だ。いつなにがあってだれが死ぬかもわからねえ。
俺たちだって気を抜けばすぐに死んじまうだろう」
スクアーロの瞳がわずかに揺れた。
「今日見送った奴が明日帰ってくるとは限らねえ、そういう世界だ。
お前に、ここに留まり続ける覚悟はできるか?」
今日はフランを見送った。
でも、それが永遠の別れにならないと、だれが保証できるのだろう。
――あの日、綱吉は笑顔で利奈を見送ってくれた。それなのに、もう二度と会えなくなってしまった。
「ここに留まるのなら、それなりの覚悟と決意が必要だぁ! 泣こうが喚こうがなにも変わらねえ!
どれだけもがき苦しむことになろうが目を逸らさねえ覚悟があるのなら、ここに残れ!」
止まってはいられない。歩き続けなければならない。
与えられた平穏を享受していては、また悲劇を繰り返してしまう。
進むか戻るか。戦うか逃げるか。
その二択を前に、利奈は両こぶしを強く握りしめた。
「――とはいえ、お前に戦う義理はねえ。
関わりたくねえって言うんなら、ボンゴレ関連施設に身柄を――」
「いやです」
やっと声が出せるようになった。
面食らうスクアーロの顔を見据えながら、利奈は選んだ選択肢を口にする。
「ここで戦います。なにがあっても。
じゃないと、殺されちゃいますから」
冗談めかして笑ってみせたものの、心のなかはひどく冷めていた。
ここで逃げる選択肢を選んだら、恭弥に手を下されるよりも先に、自分の心が死んでしまうだろう。受けた屈辱を忘れるわけにはいかなかった。
「……そうか」
重苦しい声音でただ一言呟いたスクアーロは、しかしスイッチを切り替えるように、元の調子に戻る。
「なら、言葉じゃなくて態度で証明しろ! なにかあるたびにビービー泣かれてちゃ堪んねえ」
「……わかってます。
もう、泣きません。……泣かないように、頑張ります」
なにがあっても、だれがどうなっても。
取り乱さないように、かき乱されないように。
「ハッ、それも口で言うのは簡単だ!
せいぜい努力するんだな、未来の情報屋さんよぉ!」
「……? は、はい」
風紀財団ではなく情報屋と呼ばれたことにやや困惑しながらも、利奈は頷いた。
スクアーロの手がグシャグシャと利奈の髪を乱す。
手袋越しの熱を感じる間もないほどの早業に、利奈は身構えることすらできなかった。
スクアーロの言う通り、覚悟を口にするのは簡単だ。
覚悟は行動で示さなければらない。
(戦うんだから、戦えるくらい強くならないと。そのためには――)
利奈の脳裏に、ある人物の顔が浮かんだ。
__
ソファに座り、取り寄せた資料に目を通す。
マフィアの情報網を使えば、個人情報などいともたやすく手に入れられるものであったが―――取り寄せた相沢利奈の資料は、そのほとんどが用をなさなかった。
(風紀財団に所属する前の情報はなし、か……)
あるにはある。
しかし、出生地や出身校、家族構成などの当たり障りない情報を得たところで、相沢利奈の人間性を推測する手掛かりにはなりはしない。
(しいてあげるなら、風紀財団に入る前の相沢利奈は、正真正銘ただの民間人であったという事実が確定しただけか)
資料には、高校進学と同時に風紀財団でアルバイトを始め、大学卒業と同時に入社となっている。
しかし実際には、入社前から風紀財団内で力を発揮していただろう。
その証拠に、入社早々重要なポストに籍を置かれていた。
資料には、外部から見た活動しか書かれていない。
あちらの雲の守護者が立ち上げた会社だけあって、セキュリティーレベルはこちらと同等だ。
ボンゴレの会合などでは雲雀恭弥に帯同している姿がよく目撃されているが、戦いの場に姿を現したことはない。
リングは持っておらず、炎を点したところを見た者もいない。戦闘能力も不明。
ここにいる利奈を見る限り、非戦闘員であったことは明白である。
(これなら、俺でもこいつを狙う)
雲の守護者と距離が近いうえに、戦闘能力は皆無。
むしろ狙ってくれと言わんばかりの立ち位置である。
資料は時系列順に並んでいるため、利奈の死因については最後のページに書かれているだろう。
しかしわざわざ見なくても、ミルフィオーレによる日本初の死亡者として、詳細は記憶している。
あちらの霧の守護者が出しゃばっていたことも。
当時、あの六道骸がわざわざ雲の守護者の部下を助けようとしたことに疑問に覚えたが、フランによると、六道骸と相沢利奈はかなり親密な関係にあったらしい。
となると、なにか特殊な力を所持していた可能性も捨てきれず、依然実力は未知数である。
(……こんなところか)
資料は風紀財団代表としてヴァリアーと交渉をし始めたところに差し掛かっていたが、そこは読まずに机に放り投げた。
調べたかったのは相沢利奈の経歴ではなく、人間性だ。
万が一にも反旗を翻す可能性があるならばと確認してみたが、中学生の相沢利奈にそのような思想はないだろう。
そもそも、この娘が並盛町――沢田綱吉の通う並盛中学校に転入したのは、当人からすれば半年程度。いつ雲雀恭弥と接点が生まれたかは不明だが、こちらの世界については疎いような反応だった。
(見るからにただのガキだったからな。あの振る舞いが演技だったならば、大した役者だが)
いずれにしろ、脅威になりえないのならばどうでもいい。
任務を受けたのはベルとフランであって、自分ではない。娘になにがあろうがどうなろうが、知ったことではない。
そう結論づけて小娘の存在を頭から消そうとしたところで、ドアが叩かれた。
「……なんだ」
「今、よろしいでしょうか?」
上擦った声が娘の緊張を伝えている。
無言のままドアを開けると、利奈は深く頭を下げた。
「お休みのところ失礼いたします、レヴィさん」
ルッスーリアの治療を受けたのだろう。髪が胸元まで伸びている。
こんな時間になんの用だと尋ねようとしたが、利奈の目が自分を捉えた瞬間、その言葉は呑み込んだ。
「お願いがあって参りました」
その目に宿っていたのは、運命を受け入れるだけの怠惰でも、力もないのに運命を捻じ曲げようとする傲慢でもなかった。望みのものを手に入れようとする強欲でも。
図らずも、レヴィがもっとも崇拝している――
「私に、人の殺し方を教えてください」
必ずや敵を討ち滅ぼさんとする、憤怒の炎だった。
スクアーロの言いたかったこと
「戦いが続く限り、またお前の知っている奴が死んだりもするだろう。
この屋敷にいれば必ず耳に入るから、聞きたくないのならほかの施設に連れて行ってやる。だが、それは逃避にしかならねえぞ。
この屋敷に残るのなら、そういう情報が入る覚悟をするべきだし、心を壊さないように努力するんだな」(まあ、厳しく言っとけばルッスーリア辺りにでも頼るだろう)
利奈の解釈
「暗殺部隊の本拠地で暮らすのなら、人を殺す覚悟くらいしてもらわねえとなあ?
人が死んだくらいで泣いたり喚いたりしてんじゃねえぞぉ! この世界で生きるってのはそういうことだ! それがいやなら尻尾巻いて逃げるんだなあ!」
結果
レヴィ「あの娘が人の殺し方を教えてくれと尋ねてきたんだが」(困惑)
スクアーロ「はあああああああああああああ!?!?」(動揺)(驚愕)(疑問)(どうしてそうなった)