滞在の長期化が決まり、利奈専用の部屋が用意された。
専用といっても、ゲストルーム化していた空き部屋の一室が与えられただけなので、変わりはない。
模様替えする余地もないから、手持ちの服をクローゼットに入れただけだ。
(ルッスーリアさんも、欲しいものがあったら気兼ねなく言ってって言ってくれたし。
使用人の人にあとでお願いしておこうっと)
とりあえず、普段使っている生活必需品を揃えてもらおう。
ほかにも欲しい物はたくさんあるけれど、いつだれに請求書がいくかもわからないうちは、必定以上求めないのが賢明である。うまい話には裏があるのだから。
与えられたこの部屋も、豪華すぎるから最初は辞退したくらいだった。
人が二人眠れそうなベッドと、二人掛けのソファがふたつ。それでもなお空間が余る、高級ホテルのような部屋。自宅の利奈の部屋の四倍はありそうな広さだ。
幹部が使う部屋だったからこんなに豪華なのだろうけれど、居候の利奈が使うのは申し訳なさすぎる。
ルッスーリアにもっと小さな部屋でいいと言ったけれど、襲撃があったさいに、すぐ護衛できる部屋はここだけだと理論的に返されてしまい、受け入れざるを得なくなってしまった。
そんなわけで、身分に合わない部屋を与えられた利奈は、これまた高級感漂う黒壇の机に積まれたナイフを拭く手を止めて顔を上げた。
「そんな感じで、レヴィさんに暗殺の仕方を教えてもらうことになったの」
昨日の経緯をそう締めくくる。
すると、ソファの背もたれに背中をつけたベルが、理解できないとでも言いたげに肩をすくめた。
「いや、そこでなんであのひげ親父選ぶんだよ。
話の流れでスクアーロ選ぶってんならわかるけど、そこはルッスーリアとか普通そうなの……いや、あいつも普通じゃねーけど」
「えー、だって結局みんな普通じゃないじゃない」
「おい」
「だったら思い切って一番すごそうな人選ぶでしょ。一番強そうだったし」
あの強面はただものではない。
部下からも慕われていたし、なにより、あの人なら容赦なく利奈を鍛えてくれそうだった。
「よかったよ、オッケーもらえて。どうせ無理かなって思ってたから、ちょっとびっくりしちゃった」
レヴィには、白蘭から受けた仕打ちを打ち明けた。
口にするだけでもあのときの憎しみが蘇って手が震えたけれど、レヴィはなにも口を出さず、慰めも言わず、ただ平然と受け止めてくれた。
それだけで救われた。この人なら同情も憐憫もなく、自分をしごいてくれると思った。
そのあと、なぜ自分に打診したのかと聞かれて、ベルに言ったことをだいたいそのまま伝えたら、わりと簡単に了承してもらえた。
わかりやすく口元が緩んでいたから、誉められるのに弱い人なのだろう。
「で、早朝に走り込みして、隊員の特訓を見学して、みんなが使ってたナイフ磨いてるの。
最初は人の動きを観察したりとか、道具の手入れを覚えたほうがいいっていうから」
「ふーん」
回りに回ったけれど、これでベルが部屋に来て最初に尋ねた、なんでナイフ磨いてんだよという問いに答えられた。
それよりも、人の部屋に気軽に入ってきたが、ベルには遠慮というものがないのだろうか。いや、ないと知っているけれど。
(うん、きれいになってる)
特訓は野外で行われていたために、最初はどのナイフも土やら草やらでひどく汚れていた。
刃こぼれしたものなどは別に回収されたが、そのうち刃物の研ぎ方も教わることになるだろう。
風呂場で汚れを洗い流してからこの部屋まで運び、乾いた布で水分を拭いた。そして今は最後の工程として、刃物用の油を刃に塗っている。
結構な量を預かったので脱衣所で作業を続けたかったけれど、風呂に入ろうとする人がいたらびっくりしそうだったので、頑張って部屋まで持って帰ってきた。
今のところ風呂場でだれかに会ったことはないし、今日も女性隊員は見かけなかったけれど、どれくらい所属しているのだろう。
「さあ。覚えたってすぐに人数変わるから覚えてねえよ。
いちいち顔とか覚えとく義理とかねえし」
「感じ悪……」
やはり十年経ってもベルはベルである。
でも、そんなにすぐに入れ替わり――死別してしまうのなら、そのほうが傷を負わなくていいのかもしれない。
殺す側の人間は、いつ殺されたっておかしくないのだから。
「まあ、仲間内で殺し合ったりも余裕でするけど。目障りなうえに弱いやつとか、殺すのが常識だろ」
「ごめん、その常識はわかんない。
手元狂うからあんまそういう恐いこと言わないで」
ただでさえよく切れるナイフなのだ。
お目付け役だったトレにも、くれぐれも指を切らないようにと釘を刺されている。
「そうだ、私の修行……特訓? は、雷撃隊の人たちが見てくれることになったの。
レヴィさんは忙しいから」
「だろうな」
「ベルはいいの? サボってて」
本来なら、ヴァリアー幹部がこんなところで雑談している暇などないだろう。
スクアーロなんて、夜も明けないうちに任務で出て行ってしまったそうだ。
「幹部が全員出て行ったら、格好の的にしかなんねえじゃん。
ボスなんか、よほどのことがなければ部屋すら出てこないし」
「うん、それは助かってる」
XANXUSと廊下で鉢合わせたりなんかしたら、端によって、いなくなるまで床に手と足をつかなければならなくなる。大名行列だろうか。
「それに、俺たちはボスから直々に命令されない限り、好きに任務選べるから。
王子が汗水垂らして働くとか、ありえないだろ?」
王子が暗殺者をやっている時点でその問いは意味をなさない気がしたけれど、とりあえず利奈は頷いた。
しかしベルは不満げにソファに寝そべる。
「……ベル?」
「いや、ほんとありえないけどよ。ボンゴレ本拠地が襲撃されてるせいで、仕事断ってもいられない状況っていうか? わりと汗水垂らしてるなって。あー、ダリい」
「ちょっと、靴なんだから踏まないでよ」
ソファを汚されてはたまらないと文句を言うが、ベルは知らんぷりで顔を背ける。
「で、仕事は?」
「……んー、お前の護衛?」
「……」
手に持っているのがナイフでなければ、投げつけているところである。
朝になる前から働いているスクアーロを見習うべきだ。
無言でナイフを磨き続けていたら、やがてのっぞりとベルが体を起こした。
「そろそろ行くわ。これ、ついでに油塗っといて」
「ちょっと!」
ジャラジャラと見覚えのあるナイフを出され、さすがに利奈は声を荒げた。
先に引き受けたナイフと同等の量である。
「それも修行なんだろ? 王子のナイフに触れるんだから光栄に思えよ」
「思うわけないでしょ! 持って帰ってよ!」
なんなら、ついこのあいだまで持ち歩いていたものである。
一目で特注品だと思えるこのナイフは、小柄なわりに切れ味が鋭い。
「わかったわかった、ちゃんと手入れできたらご褒美やるよ」
「……なにを?」
抗議をやめて尋ねると、ベルはふふんと鼻を鳴らす。
「王子直々のナイフ投げ指導。頼まれてもやらねえし、やったとしてもS級並の報酬もらうやつだぜ?」
「……」
利奈は無言でベルのナイフに手を伸ばした。
__
「それで、ベルのナイフ磨いてからウーノに毒薬の講座を受けたの?
頑張るわねー」
「……はい……」
いそいそとスコーンにジャムを塗るルッスーリアを見上げながら、利奈は二文字を発した。
アフタヌーンティーのお菓子は、三段になったスタンドの上に乗せられている。利奈の視点からは一番上のショートケーキしか見えない。
(私みたいに力が弱い人は、銃とか毒とかそういう小道具に頼るしかないから。
毒を使うには専門の知識を身に着ける必要があるって、それはもうみっちりと)
「そうねー。銃と違って腕は必要ないけれど、効能とか管理とか、いろいろめんどくさいものね。
ここにも薬品庫があるけれど、そこの毒を使ったの?」
目前に出されたスコーンの欠片を、利奈は口を開けて受け取った。
匂いは甘ったるいのに、味はほとんどしない。
――毒草の説明を終えたあと、部屋を出たウーノは、お盆にみっつのティーカップを乗せて戻ってきた。
それぞれ透明な黄色い液体が入っていて、ハーブの匂いが鼻をくすぐった。
カップが人数よりもひとつ多くなければ、そして教わった毒が毒草でなければ、休憩の時間だと思えたかもしれない。もちろん、そうは思わなかったけれど。
「このみっつのカップのうち、ひとつに今教えた毒草のどれかが入っている。
毒ではないと思ったものを飲み干せ」
冷や汗をダラダラ流す利奈に、ウーノは容赦なくそう促した。
(まさか、初めての授業であんな怖ろしい目に遭うなんて思わなかったです……)
「さすがレヴィの部下ってところかしら。
私の匣で治してあげたいところなんだけど、あの光は外傷にはよく効くかわりに、そういう毒とかとの相性が悪いのよね。
代謝は上がるけど、それでかえって毒が回っちゃったら大変だし」
それには及ばない。
ウーノによるとただの神経毒だそうなので、時間が経てば全快するそうだ。
ちなみに、利奈は毒草入りを飲み干してはいない。みっつのうちどれが毒草入りか、口をつけながら考えているうちに、時間が経って効果が表れてしまったのだ。
いわば不戦敗であり、ハズレを選ぶよりも情けない負け方だった。
「初めてならそんなものよ。
毒のある食べ物って案外味がイケてたりするから、それぞれの味をちゃんと覚えておくことね。多分、毎回飲まされるわ」
十中八九そうなるだろう。
にしても、発言をすべて聞き取ってしまうルッスーリアには驚かされる。
身体が痺れているせいで、呂律がほとんど回っていないのに。
(上から見下ろされるのはちょっと怖いんだけどね。
さっき、ウーノさんにアレされたばかりだし……)
ルッスーリアに言うのは憚られたので胸に隠しておいたが、利奈が恐怖を覚えたのは毒を飲まされたことではない。
毒を飲ませたあとのウーノの行動だ。
毒が回り身体を丸める利奈を、ウーノは軽々と抱き上げた。
そしてそのまま利奈をベッドに乗せると、痙攣する利奈にまたがり、冷え冷えとした瞳で見降ろしたのだ。
「このように、毒を盛れば簡単に標的の身動きを封じられる。
非力な子供でも、大の男を簡単に抑えつけられるだろう」
ウーノの言う通り、利奈は指一本動かすことができなかった。
目だけで恐怖を訴えるも、ウーノは一切意に介さず、利奈の首元に手を這わせた。痺れていてその感触がほとんど伝わらなかったのが、唯一の幸運だろう。
「この状態なら致命傷を狙い放題だ。
銃があれば頭を打ち抜くのが一番だが、ナイフの場合は頭蓋骨に阻まれる。
よって、太い血管を切り裂いて出血死を狙う。まずはこの頸動脈。次に――」
淡々と講義を続けながらその部位に触れていくウーノ。
声も出せず身動きもできずにされるがままになっていた時間は、数分だったのに何十倍も長く感じた。
おかげですべて暗記できたが、できれば二度とやられたくない。
ひそかに体を震わせる利奈には気づかずに、ルッスーリアはのんびりとティーカップに口をつけた。
この調子だと、ティーポットのなかの紅茶はすべてルッスーリアの喉に流し込まれそうだ。
「今回はあれだけど、訓練で怪我を負ったら私のところに来てちょうだい。
重傷じゃなければすぐに治せるし、重傷でもなんとかなると思うわ」
「あり、がと、ざいます」
「でも、さすがに致命傷は治せないから無理はしないのよ。
そんなヘマ、レヴィが許しはしないだろうけど」
怪我をしても治してもらえるのはうれしいけれど、できれば怪我はしたくない。
しかしそんな甘えた考えで白蘭を殺せるわけがないから、やっぱり死ぬ気で頑張るしかないのだろう。覚悟を決めるということはそういうことだ。
「それ聞いたら、ますますスクアーロが頭抱えるでしょうね。
私は止めたりしないけど、あまり無理しちゃだめよ。貴方はお客様なんだから」
なぜスクアーロが頭を抱える事態になるのかはわからないけれど、利奈は小さく頷いた。
残念ながら、暗殺者に指導を頼んだ時点で、ほどほどになんてできるわけがなかったのだが。
自粛したサブタイトル:暗殺教室
ベル「約束通り訓練つけてやるよ」(ナイフ技術)
フラン「師匠に言われたんで手伝いますねー」(幻術耐性)
レヴィ「手が空いた。見てやろう」(拷問知識)
スクアーロ「だああ、しょうがねえ! こうなったら責任取って稽古づけてやる!」(剣術指導)
ルッスーリア「みんなが教えるのなら私も――ねえ、これ大丈夫なの?
このメンツで鍛え上げたら、一年もしないうちにとんでもない化け物に育ちそうなんだけど」(体術指導)