たくさんの方に読んでいただけで、感想も貰えて、評価もしてもらえて、本当に感無量です。
……さて、わざわざ前書きにこれを書いた理由はおわかりですね?
覚悟を問う
久しぶりに見た日本の空は、透き通るような青色をしていた。
イタリアで見た空よりも近く感じたのは、利奈が日本人だからだろうか。
対ミルフィオーレ大規模作戦終了とともに帰国が許された利奈だったが、ある問題をすっかり失念してしまっていた。――違法入国者であるという事実を。
密輸船に乗って日本を出てきたので、当然パスポートなんて持っていない。
持っていたところで十年後の、しかもすでに故人となっている人間のパスポートが使えるはずもなく。
裏の力で、偽造パスポートを用意してもらった。
そして意気揚々と日本に戻ってきたのだ。
それは覚えている。並盛町に帰れる。自分の知っているみんなに会えると、胸を膨らませていたのだ。
それなのにどうして、この手は狂気を手にしてしまったのだろう。
「落ち着いて、ゆっくりと呼吸をしてください」
息が荒い。胸が痛い。ドクドクと脈打つ鼓動が、カチカチと鳴る歯の音が、異常を告げていた。
「やだっ、もうやだ……! もう、だれも――」
(殺させたくない)
ただそれだけだったのだ。それだけだったのに。
「落ち着いてください、相沢殿! 拙者の手を見てください、炎を」
「……はっ……はー、……」
きれいな炎。青い炎。炎なのに優しくて、青いのに熱くない。
リングに点る炎を見つめながら、利奈はゆっくりと口を閉じた。
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ディーノとロマーリオに連れられてボンゴレアジトに戻った利奈は、そこで大きな肩透かしを受けた。
「え、みんな外出中なんですか?」
なんと、過去から来た全員が留守だったのである。
メローネ戦、そしてイタリア戦での敗北により、ミルフィオーレファミリーは日本の兵をすべて引いていた。
だからこそ、なんの警戒もなくボンゴレアジトまで地上を歩いてこれたのだ。
しかしそれはあくまで一時的なものである。
後日、ボンゴレ守護者とミルフィオーレ守護者による対決が予定されているが――ひとまず、今は休戦状態だ。戦いに明け暮れただろう彼らが、自宅を見ておきたいという気持ちはわかる。
そんなわけで、感動の再会は持ち越しとなった。
代わりにジャンニーニとはまた言葉を交わせたし、フゥ太という青年ともスピーカー越しに挨拶をしたし、バジルという同い年の男の子とも初対面を果たした。
バジルも十年前から飛ばされてきた人だった。このアジトに着いたのも今日で、外出前の綱吉たちとも、少し話ができただけらしい。
ディーノは綱吉たちを追って外に出たけれど、利奈は自分の荷物を部屋に運ぶことを優先した。
キャバッローネでもあれやこれや買ってもらったので、ボストンバックのほかに、キャリーケースまで増えてしまった。海外旅行から帰ってきたかのような――あながち間違ってはいないけれど――そんな出で立ちだったのだ。
寝起きで体力が有り余っているというバジルに荷物運びを手伝ってもらい、流れで一緒にジャンニーニたちに直接会いに行った利奈は、そこでうれしい情報を得た。
メローネ基地でいろいろと気を配ってくれたあのスパナが、ボンゴレ側に寝返ったという情報である。
だから、スパナに会いに行こうと思ったのだ。
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唇が冷たい。指先が痺れている。
青い炎の熱がじんわりと広がってくる。
「拙者の雨の炎で彼女を落ち着かせます。入江殿はそれまで退室していてください」
「……わかった」
心残りを感じさせる足音が遠ざかっていく。
去った脅威に安堵することなく、利奈は右手を握り締めた。もうなにも握っていないのに。
「もう大丈夫です。ここには拙者と、スパナ殿しかおりません。
ですから、もう怯えなくていいんですよ」
違う。怯えてなんていない。怯えない訓練は受けてきた。
脅威に怯えているわけではないのだ。
「……正一がそんなに怖い?」
スパナの声に首を振る。
違う、そうじゃない。
震えているのは、恐怖を感じているのは――自分自身に対してだった。
__
バジルは、CEDEFというボンゴレの門外顧問組織に所属していた。
平たく言うと、ボンゴレを外側から守っている組織らしい。
平常時には別の組織として機能しているものの、非常時にはボンゴレに手を貸しており、この前のリング争奪戦でも、バジルは綱吉の修行に協力していたという。
そのすぐあとで未来に飛ばされ、イタリアからここまで、たった一人でミルフィオーレの隊員と戦いながらやってきたのだから、驚きである。
伊達に綱吉の修行を手伝っていない。
そんな話を道中で聞きながら、利奈はメローネ基地の跡地へとやってきた。
メローネ基地はこの時代の、なんかすごいテレポート装置によってどこかへと転移させられたそうで、跡地にはぽっかりと空洞が広がっているだけだった。
あんなに広い地下施設が突然になくなったら、地面が割れて地上の建物が落ちて行ってしまいそうなものだけど、今のところ、影響は出ていないようだった。
スパナは白い装置の前で作業をしていた。
何台ものパソコンに取り囲まれているスパナは、足音でも顔を上げないほど集中していた。
「スパナ」
「……」
「スパナ」
二回目の声掛けで、キーボードを打つ手が止まった。
ぱちぱちと瞬きをして、呆けた顔を利奈に見せる。想像上の生き物を発見したみたいな顔だ。
「……解放、されてたの?」
「違うよ。脱獄したの」
「脱獄?」
スパナの目が背後に向く。
バジルが折り目正しく頭を下げ、スパナの視線が再び利奈に移った。なんとなく理由がわかったらしい。
「そうか、脱走してたのか。
停電中にあんたがいなくなったって聞いたけど、外に出てたとは思わなかった」
「スパナはなんでこっちに? なんでミルフィオーレからこっちに移ったの?」
「……んー」
答えを探すようにスパナは天井を見上げた。
どう説明するか考えて首をひねり、それから顔を戻す。
「ボンゴレに協力して、殺されかけたから」
「……うん?」
それはただの裏切り行為である。
殺されかけたからスパナがボンゴレに寝返ったのでなく、ボンゴレに協力したからミルフィオーレに見限られたと言ったほうが正しい。いわば自業自得だ。
「なんでそんなこと。私が言うのも変だけどさ」
「ボンゴレのX BURNERに興味がわいたから。
ウチ、組織とか興味ないし、作りたい物が作れるならどこでもいい」
「ふうん」
(でもそれって、ほかのことに興味がわいたらボンゴレファミリーもすぐ抜けちゃうってことだよね)
仲間に数えていいのか微妙なところだけど、ファミリーではない利奈に口を出す権利はない。
「まあ、いっか。スパナが敵じゃなくなってよかったよ」
世話になった人物に危害を加えたくはない。できることなら。
「ところで、今はなにやってるの? こんなにパソコン使って」
「ああ。今はこの一台以外はそんなに使ってない。掘削ルートも確定したし」
「掘削? 掘削ってなに?」
「地面を掘るルート。この装置、隠さなきゃいけないでしょ」
親指で白い装置を示される。
なにに使う物かはわからないけれど、大きいからきっと重要な装置なのだろう。
なんとなく眺めていたら、第三者の足音が遠くから聞こえてきた。
「お待たせ! 嵐モグラは順調……に……」
部外者を目にしてか、第三者の声が途切れた。
ボンゴレの関係者が作業しに来たのかと顔を上げた利奈は、男の顔を見るなり固まった。
(どうして……!)
「君は、えっと、バジル君だよね? よかった、ちゃんとここまで来れたみたいで」
「初めまして。拙者をご存じなのですか?」
「うん、まあ。そろそろだと思っていたけれど――ああ、僕は入江正一。よろしく」
悪夢でも見ているのだろうか。
なにもなかったような顔でバジルとあいさつを交わす入江正一の幻が見える。いや、いる。
(なんとかしなくちゃ)
バジルは正一の正体を知らない。
彼がミルフィオーレの人間であることも、白蘭の腹心の部下であることも知らない。
このままだと、バジルが騙されてしまう。
(私がやらないと)
立ち上がろうとした利奈だったが、スパナに腕を掴まれ、動けなくなる。
無表情のまま振り返ると、スパナが静かに首を振った。
「それは駄目」
なにが駄目なのだろう。
脅威は排除しなければならないのに。今の利奈にはそれができるのに。
やはりスパナも敵なのだろうか。それならば、彼も排除しなければならない。
「それは駄目。貸せない」
「貸……す……?」
なんのことだろう。
スパナの瞳を見つめ返すけれど、スパナの手の力は緩まない。
握りしめた拳がほどけそうになって、利奈はもう一度強く右手に力を込めた。物体の角が手のひらに食いこむ。
(あれ。私、物なんて持ってたっけ)
スパナから視線を外して、自分の手元を見る。
その瞬間、平静を保っていたはずの心臓が大きく跳ねた。
(っ! なんで私、こんなもの――)
右手には金属製の工具が握られていた。
ペンチのような形をしているが、ペンチよりも大きく、ずっしりと重い。
これで人を殴れば、軽傷では済まないだろう。
「それ、プライヤ。うちの工具。うちにとって工具は手足も同然。間違った使い方する人に手足は貸せない」
(間違った使い方?)
使い方なんて決めていない。だって、手に握られていたことすら知らなかったのだから。
(私が持ったの? これを? なんで――っ、そんな、違う、そんなつもりじゃ!)
使い方なんて、決まっている。
正一を排除するために手に取ったのなら、使い道はひとつしかない。
「ん? ちょ、ちょっと!」
「相沢殿!?」
二人の声が聞こえる。こちらの様子に気付いたようだ。
焦ったような声が、しでかそうとしたことを責めているかのようで、利奈は体を震わせた。それでも、工具が手から離せない。
――武器はなにがあっても手放すな。最後まで抗え。諦めたら待っているのは死だ。
「いったいなにがあったのですか!?」
「それ、離して」
「……!」
離せない。無理だ。
死にたくない。殺されたくない。離したら諦めてしまう。諦めたら死んでしまう。
不意にスパナの手が離れた。
反動で後退すると、スパナが両手を上にあげながら利奈に言った。
「うちを信じて」
「……っ!」
工具が、床に落ちる。
それと同時に、利奈は膝から崩れ落ちた。
(――私、なんてことを)
長いようで短い数分を味わい、ゆっくりと目を閉じる。
炎の残像がまぶたの裏でチラチラと揺れて、焚き火のような温かさに胸が安らいでいく。
「だいぶ落ち着いたみてーだな」
この場にいる人物からは発されそうにない高い声が聞こえ、利奈は目を開けた。
「……リボーン君?」
「ちゃおっす」
いつのまに現れたのか、リボーンがこちらを見上げていた。
へたりこんでいる利奈を見上げているのだから、彼も十年前から来た人なのだろう。
「リボーン殿! ご無事そうで!」
「ちゃおっす。バジルも元気そうだな」
「なんで、ここに……?」
綱吉たちも来ているのかと入り口に目をやるが、そちらから人が出てくる気配はない。
「これはホログラム。本人はここにはいない」
「ホログラム……?」
スパナに言われて目を凝らすが、背景が透けているような様子はない。
触ろうとすればわかるのかもしれないけれど、今は人に触れるのが恐ろしかった。
「いきさつはたったいま正一に聞いた。ツナの死の原因が自分にあると、白蘭に洗脳されたらしいな」
「白蘭に!?」
「……」
洗脳なんてされていない。綱吉を殺したのは白蘭だ。
抗議の視線で見つめると、リボーンはふっと笑った。洗脳されているという誤解は解けたようだ。
「これは先に正一のことを説明しておかなかったジャンニーニが悪いぞ」
『およっ!?』
スパナが先ほどまで座っていた場所から、ジャンニーニの声が聞こえた。
そこに小さなスピーカーが置かれている。
『それなら、僕も同罪だよ。その子が入江さんたちと面識があった可能性を失念していた』
フゥ太の声も聞こえる。アジトとここで通信が繋がっていたようだ。
「……みんな、あの人がだれだか知ってたの?」
「当然だ。奇襲作戦のとき、俺たちは打倒入江正一を掲げていたからな」
「それじゃ、なんで――」
バジルに目をやるが、正一の名前すら知らなかったのを思い出し、リボーンに向き直る。
「いろいろあって、味方だったことがわかったんだ。
そのことを最初から知っていたのは、この時代のツナとヒバリだけだったみたいだがな」
「ヒバリさんが?」
いや、それ以前に正一が味方だったとはどういうことだろう。
「直接は聞いてねーが、正一はそう言っていた。あいつも戦いの最中に十年前の姿になっちまったからな」
「ヒバリさんもここに来ているんですか!?」
そういえば、ディーノは恭弥に会うことをやたらと楽しみにしていた。
この時代の恭弥のことだと思い込んでいたけれど、あれは十年前の恭弥のことだったのか。そうなると、会う意味が変わる。
(ディーノさんがここに来たのって、ヒバリさんの修行のため?
匣兵器なんてのもあるし、ヒバリさんと稽古できるのディーノさんくらいだけど……そっか、ヒバリさんも来てるのか)
すっかりいつもの調子に戻って考え込むが、三人の視線は利奈に注がれたままになっている。
「あとは本人の口から聞いたほうが早えーだろ。
正一を呼び戻してもいいか?」
「……それは」
正一が入り口付近に待機しているのは気配でわかる。
これだけ距離が開いていれば、こちらの会話は耳に届いていないだろう。
「安心しろ、あいつは武器を持っていない。
いざとなったらバジルがボッコボコのけちょんけちょんにのしてくれるぞ。な、バジル」
「えっ、は、はい! もしそのような兆候がありましたら、拙者が責任を持ってのしますので、ご安心ください!」
「……わかった」
髪飾りのガラス細工に触れながら承諾した。武器はまだ残っている。
バジルが呼びに行って、強張った顔の正一が、鈍い足取りで戻ってきた。
前に見たときと顔つきが違う気がするが、今はそれはどうでもいい。
利奈は感情をこめないように心掛けながら、口を開いた。
「……ひとつだけ。最初に、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
戸惑いの眼差しを受けながらも、利奈は臆することなく続けた。
「貴方はあいつを殺せますか? 白蘭を、その手で」
正一という男を、見定めるために。