夕食の後片付けは単純作業の積み重ねだったので、二人に引け目を感じることなく作業をやり終えられた。
二人は食後の紅茶を用意していたけれど、利奈はリボーンから呼び出しを受けている。クッキーを一枚だけ摘まんで食堂を出た。
「来たか」
呼び出された場所はトレーニングルームだった。
なぜかみんながジャンニーニからバイクの講習を受けている。
「……なんでバイク?」
「機動力を上げるための手段だ。次の戦いは広範囲のフィールドで行われるみたいだからな」
「へえ……」
てっきり、匣の訓練をしているものだと思っていた。授業みたいにみんなが標識を勉強している姿には違和感がある。現実的な光景のせいで、かえって現実味が感じられなくなっているような。
視線を落とすと、帽子の上にいるカメレオンと目が合った。
「私にはちゃんと話すんだね。戦いの話」
「お前はもうこっち側の人間だからな。で、話ってのは白蘭のことだが」
ぞわりと肌が粟立つ。名前を聞くだけで、胸の炎が揺らめき燃える。
この感覚は、きっと一生消えることはないのだろう。存在が消えない限り。
感情の波をやり過ごそうとする利奈を、いつのまにかリボーンが見つめていた。
「お前がそんなになったのは、あいつのせいか?」
「そんなって?」
わざとおどけて尋ねるが、リボーンの表情は変わらない。変わらずに利奈の顔を見上げている。
「一目見てわかったぞ。
お前、晴の炎を大量に浴びたな。髪がそんな長さになるまで、何回も」
「……あー」
なるほど、それならあらかた察せるだろう。
髪の長さに気付いたのは、京子だけだと思っていたのに。
利奈は無造作に右手を後ろに回し、髪留めを引き抜いた。
ばさりと落ちた髪の束から無色のゴムを外し、頭を振るって髪を広げる。
「結構頑張ってセットしたんだよ、これでも」
「似合ってたぞ。それも似合ってるけどな」
「ふふ、ありがとう」
伸びすぎた髪の毛を隠すために、編んだ髪を念入りにしまいこんだのだが、リボーンには通用しなかったらしい。
ほかのみんなはまったく気付いていなかったから、まったくの無駄というわけでもなかったのだろうけれど。
「それに、手にまめができてる。刀を振るってできるまめだ」
「見ただけでそんなこともわかるんだ」
「家庭教師だからな」
これでも、晴の炎でだいぶましになっているのである。
今まで一度も木刀なんて振るったことがなかったから、一日目で駄目になってしまった。
「あのとき、お前は正一に言ったな。
私は白蘭を殺せる。殺すなと言われても殺すと。それは本心か?」
「……違うって言っても、わかっちゃうんでしょ」
彼に嘘は通用しない。
マフィアのボスの家庭教師を務めるリボーンに、ほんの少し暗殺のイロハを教わった程度の利奈が、太刀打ちできるはずもなかった。
「私ね。初めて人を殺そうと思ったの。
殺されるかもって思ったことはたくさんあったけど、殺したいって思ったのは初めて」
髪留めを強く握りしめる。
「ツナの仇討ちのつもりか? だったらお前が背負い込むことはねえぞ」
「え?」
「ツナは死んでなかった」
どういう意味かと目で尋ねる。
「ツナは白蘭がああすると読んでいたらしくてな。
銃の弾に細工して仮死状態に陥っていただけだ」
「……そう、なんだ……」
沈黙が下りる。遠くにいるジャンニーニの声が耳に届く。
ジャンニーニの合図で立ち上がった綱吉がこちらに気付き、ギョッとした顔になった。
笑みを浮かべて手を振ると、頭を軽く下げ、ぎこちなくバイクへと向かっていった。
「……それでも、気持ちは変わらねえか?」
「……そうみたい」
綱吉が殺されたから、ではないのだ。
綱吉を殺したと、あんなに愉快そうに、面白そうに笑っていたからなのだ。
もはや存在自体が赦せなかった。
「お前がどんな仕打ちを受けたか、なにを見たかは知らねーし聞かねえ。
説明できるくらいのものなら、そんな覚悟を固めたりしねーだろうからな」
そうなる前に助け出せなかった俺たちが悪いと、リボーンは呟いた。
「だが、家庭教師としてはお前のやり方に反対させてもらう。
お前の考え方には未来がない」
「……未来?」
隼人がバイクにまたがっている。
運転した経験があるのか、ゆっくりとだが、危なげなくバイクを走らせていた。
そして綱吉はこけている。
「もし仮にお前が白蘭を殺せたとして、それでお前はどうなる」
どうなるもなにも、それで終わりだ。
復讐を果たせさえすれば、この胸の炎も消えてなくなるだろう。
「そう、終わりだ。
人を殺して復讐をやり遂げて、それでお前のやりたいことは終わる。そのあとはどうする」
「どうするって……どうもしないよ」
元の時代に戻って、前のように生きるだけだ。
中学生の利奈にはやるべきこと、できることがたくさん広がっている。
「それは無理だな。
殺意のままに人を殺した人間は、もう元には戻れねえ。闇に染まるか、自分の炎に身を焼かれるかだ」
なんとなく、六道骸が頭に浮かんだ。
彼も自身の目的を復讐と言っていたが、復讐をやり終えたあとに彼がどうなるのかは想像ができない。
「いいか。殺意に振り回されんな。
お前は自分の未来を守るために生きなきゃなんねーんだ」
この時代の自分はもう死んでいる。
それを覆せるかどうかはこれからにかかっている。そしてそれは、殺意を抱えた利奈の手にではない。
綱吉がまたこけた。バイクに押しつぶされて悲鳴を上げている。
いやそうに顔をしかめながらも、及び腰ながらも、またバイクにまたがった。あの運動音痴で運動嫌いな綱吉が。
「今、ツナは死ぬ気で戦ってる。仲間の未来を守るために、必死こいてな。
その仲間には当然お前も入ってるんだぞ」
「……私も」
綱吉なら、全部を守ろうとするだろう。
ヴァリアーとの戦いでも、みんなを守るために、あのXANXUS相手に一人で立ち向かっていた。利奈は近づくことすら避けたXANXUSに。
「だから、お前もこいつらに賭けてみろ。
世界最強のヒットマンに育てられてるんだ。勝ち目はあると思うぞ」
ニッと笑うリボーンの顔は自信満々で、綱吉たちに全幅の信頼を寄せているのが伝わってくる。だからこそ、彼らもそれに応えられるのだろう。
「……そうだね」
今までずっと一人だった。
だれといても、共有できない感情があった。でも、もう一人じゃない。
「わかった、賭けてみる。沢田君だけじゃ頼りないけど、ほかのみんなもいるしね」
「ああ。ツナもこれからもっとビシバシ――」
とてつもない轟音がリボーンの言葉を飲み込んだ。
「うわああああああ!」
運転手の悲鳴が尾を引くなか、二人が目で追っていた先でバイクが壁に激突した。
「十代目ーーーー!!」
隼人の叫び声がこだまする。
みんなが練習を中断して集まっていくのを、利奈とリボーンは無言で眺めていた。
「……やっぱ、考えなおそっかな」
「キャンセルは利かないぞ」
「ええ……」
綱吉は起き上がらない。気絶してしまったのだろうか。
「十代目! 十代目ー!」
「め、目立った外傷はないようです。気を失ってるだけだと」
「沢田! これしきで気を失っていては白蘭に勝つことなど――沢田ぁ! 聞いているのかぁ!?」
「うるっせえんだよ、芝生野郎! 気を失ってるっつってんだろうが!!」
「起きろ沢田! グズグズしている時間はないのだぞ!」
「黙れつってんだろ! 十代目はデリケートな御方なんだぞ!」
やはり選択を間違えたのかもしれない。
気絶する綱吉の前で掴み合いを始めた隼人と了平の姿を、利奈はなんともいえない目で見つめた。
__
夜のバイク練習は、綱吉が意識を取り戻したのと同時に終了になった。
続きは明日の朝からで、明日は一日ずっとバイクの練習に費やすらしい。
「ほんとびっくりしたよ。目の前で交通事故が起きたんだもん」
「俺も驚いたぜ。小僧が一回見本のためにわざとツナに壁に突っ込ませたんだけどよ、まさかまたぶつかるなんてな」
「二回目だったの?」
しかも一回目はわざとである。
とんでもないスパルタだが、綱吉に賭けた手前、リボーンのやり方に文句はつけられない。
「沢田君と笹川先輩は転んでばっかだったけど、山本君はあんまり転ばなかったね。すごい」
「いや、けっこう転びそうになってたぜ。でもグイっと体を動かしてスーってしたら戻ったし」
「うん……? あっ、自転車とかも慣れると転ばなくなるよね。あれ不思議だと思わない?」
「そうだな。なんかいきなり乗れるようになるよな」
夜も遅くなったからと、武に部屋まで送ってもらっている。
アジト内を歩くのだから一人でいたって危険はないのだけど、静まり返った廊下を歩くよりは、友達と喋りながら歩いたほうがいい。
「後ろ乗せてくれてありがとね。すごく楽しかった」
「ならよかった。せっかくバイクがあるのに、見てるだけなんてつまらねーよな」
みんなはこの時代の免許証があったけれど、利奈の分はなかった。
私有地だから免許がなくても乗っていいそうだけど、綱吉の事故を見たあとでは、ハンドルを握る気にはなれなかった。
「まさか、未来に来てバイクに乗れるようになるなんてな。外で乗れたらもっと気持ちいいんだろうけど」
「そうだね。でも、このおかげでバイクの免許すぐに取れちゃうんじゃない?」
「んー、どうだろうな。免許って筆記試験もあるんだろ?」
「あー……」
いや、武ならなんとかなりそうだ。学校のテストと教習所のテストはまったくの別物だろうし。
アジトの廊下は相変わらず資材であふれている。
現状では工事を進めることができないのだろうが、このままだと白蘭を倒すまで放置されてしまいそうだ。
「女子と男子で部屋の場所ってけっこう離れてるんだね。部屋は二人ずつで使ってるの?」
利奈が最初に使っていた部屋は一人部屋だったけれど、京子たちの隣の部屋に移動したら、ベッドが二段になっていた。
京子はハルとイーピンの二人と一緒の部屋だと言っていたし、一人部屋のほうが数は少なかったのかもしれない。
「ああ。獄寺と二人で使ってる。
最初はツナと獄寺が二人部屋だったらしいけど、俺が一人部屋でツナが二人部屋になるくらいならって獄寺が」
「また獄寺君か。だったら、みんな一人部屋にすればいいのに……」
「俺は二人部屋でよかったからさ。なんか合宿みたいで面白いし」
「アハハ、山本君らしい」
武はいつもと変わらず自然体で、張り詰めたところがまるでない。
ほかのみんなが身体に力を入れている分、安心感が強い。
(この時代の山本君にも会ってみたかったな。そんなに変わってないだろうけど)
綱吉は劇的進化を遂げていたけれど、隼人はわりと変わりなかったし、ベルなんてほとんどそのままだった。案外、十年の月日なんて、そんなものなのだろう。
十年後の利奈を知っている人たちも、少しの違いは口にしたものの、それ以上は言及していなかった。
「ん?」
武が足を止める。
それに合わせて足を止めたところで、背後からとてつもないプレッシャーがのしかかった。
「ヒバリ? なんでここに」
「――!」
一度大きく跳ねた心臓が、続けざまにドクドクと早鐘を打ち始めた。
身体が鉛のように重くなって、振り返ればわかる恭弥の顔を、利奈は見ることができない。
――振り向きたくない。振り返ったら、きっと――
足音は響かず、距離は縮まらない。
待っているのだ。利奈が振り向くそのときを。
「相沢?」
異変に気付いた武の呼びかけに、利奈は答えられなかった。
指向性の殺気に、指一本すら動かせないのだ。
顔面蒼白で微動だにしない利奈を見て、武が困惑気味に恭弥に向き直る。
「ヒバリ。せっかく来てくれたとこ悪いけど、相沢、体調が悪いみたいで――」
「君に用はないよ」
近づいてくる。衣擦れの音が聞こえる。
反応せざるをえない状況にぎこちなく身体を動かすと、間近に迫った恭弥の瞳が利奈を射抜いた。
(っ避け――!)
瞳の冷たさに身構えたときには、もう恭弥の右手は消えていた。
振り抜かれた右手に握られていたトンファーは、利奈の左頬を的確に打ち抜き、利奈の身体はあっけなく廊下を転がった。