教室に戻ってきたところを迎撃するのも悪いので、利奈は教室を出て隼人を探した。
みんなに見られている状態だとなにか口走った時に繕いようがないし、授業前なら分が悪くなってもチャイムの音で逃げ出せる。なにが起きるかわからないんだから、作戦の立て方が小賢しくなるのは仕方ない。
(あ、ちょうど戻ってきた)
ポケットに手を突っ込んで歩く姿は、顔の良さを鑑みても十分に柄が悪い。
利奈は心の中で何度か深呼吸して、隼人の前で足を止めた。
「ねえ、獄寺君」
「あ?」
返事まで柄が悪い。
頭のてっぺんからつま先まで見下ろした隼人の目が、左腕の腕章を捉えてすがめられる。
どうやら、風紀委員に悪印象を抱いている側の生徒らしい。畏れを抱いていてほしかったが、それは望みすぎだったか。
「なんの用だ」
高圧的な声に、怯みそうになる。
潜在的に感じる恐怖は恭弥がはるかに上回るが、隼人も十分に恐怖対象だ。
恭弥は次になにをしでかすかわからない危うさで、隼人は目に見えるわかりやすい脅威である。
わかりやすく例えるなら、いつ引っ掻いてくるかわからない家猫と、だれ相手でも噛みついてくる野良犬。
「ちょっと、お願いがあって」
「断る」
なにも言ってないうちから断られ、取り付くしまもない。しかし、ここでめげたら、クラスメイトになにを言いふらされるか、わかったものではない。せめて、風紀委員が口頭で注意していたという既成事実を作っておかなければ。
利奈はそう決意して、眉間に皺の寄っている隼人を見据えた。
「とりあえず、真面目に授業受けてくれないかな」
「……」
隼人はなにも言わないまま、利奈の横を通り抜けた。利奈はあわててそのあとを追う。
「ちょっと待って! 少しだけ、話聞いてもらえない?」
後ろから声を投げるも、隼人は振り向きもしない。足を止めさせなければと気が急いた利奈は、とんでもないことを言い放つ。
「獄寺君、前から態度が悪いよね!」
「ああん!?」
――授業態度が悪いと言いたかったのだけど、うっかり大事なところを端折ってしまった。
そのせいでただの暴言を吐いただけの利奈に、隼人はぐるりと振り返った。その凶悪な表情に、自分が喧嘩を売ってしまったと気付いても、今更だ。
「なんだてめえ! やる気か、果たすぞ!」
「うわわ、ごめん、間違えた! そういうんじゃなくて、授業中すっごく柄悪いよねって話で――」
「ああ!?」
自分の言い繕いの下手さに嫌気がさす。
しかし、隼人の授業態度の悪さは折り紙付きだ。机に足を引っかけて授業を受けていたりするし、別に間違えたことは言っていない。でも、言い方というものがあった。
「なんでてめえにそんなこと言われなきゃなんねえんだ、喧嘩売ってんのか!?」
「あああ違くて! 私、風紀委員で!」
「ってことはヒバリの差し金か!? 上等だ、あいつ呼んで来い!」
「うええええ……」
話を飛躍され、利奈は女子にあるまじきうめき声をあげる。
呼びに行っても恭弥は喜びそうな気がするけれど、物事を大きくしたくない。それに、これだとまるで、風紀委員から戦闘を仕掛けたみたいになってしまう。
(多分、ヒバリさんの圧勝になるけど――クラスメイト、しかも獄寺君ボコボコにさせたら、女子に一生恨まれちゃうって!)
なるべく穏便に解決したいのだけれども、既に隼人は戦闘モードに入っている。放っておいたら、勝手に応接室まで行って恭弥に戦いを挑みそうだ。
善良な一般生徒はすぐさま教室に引っ込んでいて、顔だけをこちらに覗かせている。
(ど、どうしよう)
そんな一触即発の空気のなか。なにも知らずに教室から出てきた男子生徒が、利奈の腕章に目を止めて声をあげた。
「相沢さん、ちょっといい?」
(どこが!?)
どこにそんな要素があるのかと振り返るが、目が合った男子はホッとした顔で歩み寄ってきた。ガンを飛ばす隼人が、視界に入っていないのだろう。
どうしたものかと横目に隼人を見るが、その隼人が驚愕の表情で固まっていたので、ギョッとする。
「じゅ、十代目!」
(十代目? なんの?)
疑問に思う利奈が眉を顰めるが、そんな利奈は眼中にないのか、隼人は近づいてくる男子生徒に視線を釘付けにさせている。
(そういえば、仲がいいんだっけ、この二人)
「君、朝助けてくれたよね! 本当にありがとう!」
隼人の存在には気づかないまま、男子生徒は利奈に礼を言った。
つい一時間ほど前に、遅刻をごまかしてあげた相手だ。
「えっと、同じクラスの……」
申し訳ないが、名前はまだ思い出せていない。
「あっ、俺は沢田綱吉。ずっとお礼言いたかったんだけど、話しかけるタイミングがなくって!」
どうやら、ほかの生徒に囲まれている間、ずっと機会を窺っていたらしい。
三百六十度囲まれていたからか、まったく気付けてなかった。
「あー、やっと言えた。朝からずっと気にしててさ。
その、なにか言われなかった? 大丈夫?」
「うん、大丈夫だった。わざわざありがとう」
「いやいや、本当に助かったから。ちゃんとお礼言えてよかったよ」
ほっとしたように言う綱吉に表情が緩むが――今はそれどころではなかった。
恐る恐る振り返るが、うつむく隼人の表情は探れない。
「……十代目」
うめき声に近い声音で隼人が声を出す。
それで綱吉も隼人の存在、それとこの場を包んでいたピリピリとした空気に気が付いて、困惑気味に表情を曇らせた。
「え、なに? 獄寺君、どうしたの?」
「……その女に助けられた、とは?」
ギギギと持ち上げられた顔は、眉間に皺が寄っているものの、威圧感は皆無だった。
なぜだろう。地を這うような低い声なのに、まったく恐くない。利奈はすぐにその理由に思い至った。
(これ、怒られそうになってる子供と一緒だ)
攻撃ではなく、防御の構え。
そんなこととは露知らずに、綱吉は利奈を掌で示し、
「今日の朝、この子に助けてもらったんだ。本当に、ギリギリ助かったよー」
安堵の声とともに、満面の笑み。
その表情を見せられた隼人は、ショックを受けた顔で思考を張り巡らせた――かと思うと、いきなり床に両手両膝をつけて頭を落とした。
「申し訳ございませんでした、十代目ー!」
(土下座!?)
予測してなかった隼人の行動に、利奈と綱吉は同時に身を引いた。綱吉のほうがリアクションはでかい。
「え? え!? ど、どうしたの、獄寺君」
「俺は、俺は――十代目の右腕だというのに、命の危機にその場にいなかったなんて! 右腕失格っす! 面目ない!」
ダンっと床を殴りつける隼人。
状況についていけない利奈は、疑問符を浮かべているしかなかった。
さっきまで抱いていた隼人のキャラが、高速で塗り替えられてしまっている。
「いやいや、命の危機とかじゃないから! ただの遅こ――」
綱吉が事情を説明しようとするが、それを待たずに隼人は立ち上がり、油断しきっていた利奈の手を掴んだ。いや、両手を握りしめた。
女子の悲鳴が響くが、隼人の顔がグッと迫っていなければ、利奈だって悲鳴を上げている。
「お前、十代目の命の恩人なんだな!?」
「えっ――いや、そんなんじゃ」
「恩人なんだな!?」
「……たぶん?」
念押しに負け、控えめに認める。
風紀委員に捕まったあとのことを考えると、まったくの出鱈目というわけでもないのかもしれない。さすがに、命のとまでは言えないけれど。
しかし隼人は目を大きく見開かせると、利奈の手を離して、数歩下がった。
「ちょ、ちょっと獄寺君! どうしたの一体」
状況が呑み込めないなりに、綱吉が間に入ってくる。利奈だって呑み込めていないのだから、二人のやり取りを見ていなかった綱吉には、まったくもって意味不明な状況だろう。
すると今度は、間に入った綱吉に向けて、隼人が腰から上を四十五度に折り曲げた。
「申し訳ございませんでしたー!」
(最敬礼!?)
教科書に載せてもいいレベルの、完璧なお辞儀である。
「実は俺、十代目の命の恩人とは露知らず……っ! こいつに、とんでもない真似を!」
「えー!?」
なにされたの!? という顔をされるものだから、利奈は正直にありのままを伝える。
「注意して――逆ギレされた?」
とんでもない真似と言っても、たったそれだけである。
しかし綱吉は大げさに驚いて、アワアワと周囲の壁に目をやった。まるで爆発物でも取り付けられているかのような反応だ。
「すみませんでした! 十代目の顔に泥を塗るなんて、俺はなんてことを!」
「獄寺君が風紀委員に喧嘩売ったあ! 相沢さん、大丈夫!? 怪我してない!?」
「あ、うん、大丈夫だけど」
むしろ、二人に大丈夫かと問いたい。
隼人はひたすら綱吉に詫びているし、綱吉は利奈の背後にある風紀委員会に怯えている。心配しなくても、告げ口をするつもりはないから、安心してもらいたい。
収拾がつく前にチャイムが鳴って、話の続きは次の休み時間に持ち越された。
隼人がすっかりおとなしくなったので、称賛と畏怖の視線が利奈に降り注ぐ。
どうやら、さきほどのやりとりで、利奈が隼人を改心させたという誤解が生まれたらしい。
(あれ、ただ落ち込んでるだけなんだけど……)
授業中なので、誤解を解くこともできない。
ちなみに綱吉も、動揺のあまり授業を聞いていなかったのか、先生に指されて見事に声を裏返らせていた。
(んー、つまり、どういうこと?)
友達の恩人に暴言を吐いたから、と捉えるには隼人の態度は大仰すぎた。あれだと、綱吉との力関係に差がありすぎる。
疑問を抱えたまま、授業終了とともに、三人で人気のない空き教室へと移る。
廊下で話してもよかった気がするのだけれど、綱吉が非常ボタンを見てなぜか首を振ったので、こうなった。話が漏れ聞こえないように、ちゃんとドアも閉める。
「――つまり、授業態度を注意したら、獄寺君に逆ギレされたってこと?」
「そうなるかな。簡単に言ったら」
利奈も失言しているのだが、隼人が一切触れないので、なかったことにさせてもらう。
「十代目の恩人とは知らなかったからな。悪かった」
「う、うん」
素直に告げられた謝罪の言葉に、利奈は曖昧に頷いた。
時間を置いたおかげですっかり元通りになったようだが、塗り替えられたイメージはもう戻らない。土下座が脳裏に色濃く焼き付いてしまっている。
「うーん。でも、相沢さんの言う通り、獄寺君はもう少し普通に授業受けたほうがいいと思うよ。も、もちろん俺は強制しないけど」
「いえ、十代目がそう思われるのでしたら、俺は従います」
(……子分?)
ずっと気になっていたけれど、どうして隼人は綱吉に敬語を使っているのだろう。見た目だと、綱吉のほうが子分なのに。
「いや、俺はそんな。
相沢さんはどうなの? 風紀委員、だよね」
「私も入ったばかりだから……。
とりあえず、普通に座って、普通に授業受けてくれれば文句はないんだけど」
もともとは、クラスメイトたちに焚きつけられただけなのである。
だからつい、機嫌を窺うような口調になってしまうが、隼人は鷹揚に頷いた。
「十代目の命の恩人だからな。今回ばかりは、従ってやる」
(だから、命の恩人とかじゃないんだけど……)
ここだけは、綱吉が一から十まで説明しても理解してもらえなかった。もうめんどくさいので、そのまま通している。
かなり思い込みの強い性格をしているらしい。
隼人があっさりと要求を呑んでくれたので、利奈と綱吉は安堵の息をついた。
「あー、よかった。獄寺君がなにしたのかって、ヒヤヒヤしてたよ」
「ごめんね。本当になんでもなかったの。……まあ、沢田君が来てなかったらわかんなかったけど」
「間に合ってよかったー!
ヒバリさんの恨みなんて買ったら、もう二度と学校になんて来れないところだったよ」
「いやいやいや」
利奈をどうにかしたところで、恭弥は眉ひとつ動かさないだろうが、風紀委員会との全面戦争に発展する事態を、綱吉も恐れていたらしい。余計な心配をさせてしまったのは、申し訳なく思っている。
「じゃ、教室戻ろうか」
「了解っす! バシッと張り切って授業受けますんで、見ててくださいね!」
「いや、そんなに張り切らなくてもいいと思うけど」
早口で呟く綱吉をしり目に、気合十分といった顔で隼人が教室に戻っていく。
利奈がその姿に呆然としていると、慣れた様子の綱吉が乾いた笑みを漏らした。
「あんな感じだけど、獄寺君、そんなに悪い人じゃないんだ。
ちょっと怒りっぽいとこあるけど、根は正直っていうか、まっすぐだし」
「うん。さっきの見たらわかった」
態度の急変っぷりを思い出して、笑いながら答える。
人は見かけによらないというけれど、ここまで相手によって態度を変える人も珍しい。
「ところで、なんで獄寺君は沢田君にあんななの?」
「え!? あ、それは、その――」
「十代目ー! どうかされましたか?」
「なんでもないよ! すぐ行くね!」
高速で目を泳がせた綱吉が、隼人の呼びかけに応えて、逃げるように去っていく。
(どうしてなんだろう)
疑問は残ったけれど、とりあえず、風紀委員としての矜持は果たせた。
風紀活動一日目にして波乱を呼ぶところだったと胸を撫でおろした利奈だが、撫でおろしたのは、明らかに早計だった。
一日は、まだ半分も残っていたのだから。
誤字報告ありがとうございます。すべて訂正いたしました。
それと、昨日の日刊ランキングで三位になりました! ひゃっほい!