新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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小さな一歩、大きな一歩

 

 

 

 

 翌朝の目覚めはじつに清々しいものであった。

 寝る前にあんなことがあったから、寝つきも寝起きも最悪になると思っていたのに、びっくりするほどぐっすり眠れた。

 いろいろありすぎて、脳が考えることを放棄していたのかもしれない。

 

(ヴァリアーの一日目よりも、いろんなことたくさんあったもんなあ……)

 

 最低の一日というものは、つねに更新され続けるものらしい。

 まさか最後の最後にトドメを刺されるとは。この世界、一秒たりとも気が抜けない。

 唯一救いがあるとすれば、今日だけは更新されることはないという点だろうか。

 二日続けてあんなに立て続けに事件が起きるとは考えづらい。それに、もし万が一起こったとしても、心の準備はすでに出来上がっている。

 

(まずはこのドアを開けるところからだよね。大丈夫、いけるいける)

 

 根拠のない自信を身に纏い、利奈は一歩踏み込んで部屋のドアを開けた。

 いや、根拠はあるにはあった。なぜなら――

 

「おはよう、クローム。朝ごはん持ってきたよ」

 

 クロームは、友達なのだから。

 

 ――いつもと同じ時刻に目覚めた利奈は、日課の走り込みと筋トレのあと、シャワーを浴びて、それから京子たちに時間を合わせて食堂へと向かった。

 そして今日こそはと、クロームの配膳係を引き受けたのである。

 

 クロームが使っている部屋は、利奈が最初に使っていた部屋と同じ区域にあった。

 ベッドは部屋にひとつしかなくて、そこで寝ていたクロームは、利奈の来襲にすっかり面食らっている。

 

「利奈……? 利奈も、ここにいたの?」

 

 声はか細いながらもはっきりしている。寝転がっていたものの、起きてはいたらしい。

 ずっと部屋から出ていなかったのだから知らなくても無理はないと、利奈は頷いた。

 

「うん、昨日から。でも、私が一番最初に未来に来てたんだよ。ちょっとイタリアとか行ってたけど」

「イタリア? ……そういえば、雲の人が探してた」

 

(雲の人?)

 

 尋ね返そうとしたところで、自動ドアが閉まりかけ、戻った。

 クロームに入室の許可をもらい、おぼんを揺らさないようにゆっくりと足を踏み出す。

 

「これ、朝ご飯。私の分も持ってきたんだ。一緒に食べよ」

「……うん」

 

 頷いてくれたことに心のなかでこぶしを握りながら、ベットに腰掛ける。

 クロームはまだ寝間着姿で、寝間着でもおなかが開いた服を着るんだなとちらりと考えた。よほど寝相がいいに違いない。

 

「好きなのわかんないから適当に持ってきちゃった。嫌いなものある?」

「ない……」

 

 利奈が持ってきたのは野菜スープとパン、それにオレンジだ。

 全然食事をとっていないと聞いたから、たくさんあるなかで食べやすい物ばかりを持ってきた。

 どうしても食欲がわかないようならオレンジだけでも食べてもらおうと思っていたけれど、クロームはパンを小さく千切ると、ゆっくりと口に運んだ。パンは柔らかいのを選んだし、ほんの少しだけ焼いて温めてある。

 

「バターもジャムもマーマレードも持ってきたから。好きなの使って」

「ありがとう」

 

 個包装されたもののなかから、利奈は苺のジャムを摘み上げた。スプーンでパンに塗って一口頬張る。苺の甘みが口に広がって、顔が緩んだ。

 そんな利奈を見たクロームは、同じように苺のジャムを手に取って、やや大きめに口を開けるとパンに齧りついた。そして少し恥ずかしそうに口元を手で隠す。

 

「美味しい?」

「……うん」

 

 スープはコンソメで野菜を煮込んだ具たくさんスープで、二人してふうふうと息を吹きかけながらスプーンですくった。

 今回はちゃんと利奈も携わっていて、玉ねぎを切るときに苦戦した話をすると、クロームは玉ねぎを選り分けて口に運んだ。

 涙ながらに頑張ったから、太さの幅はちゃんと均一だ。

 

「えっ! 昨日、ご飯食べてたの?」

「うん。三つ編みの小さな子が、持ってきてくれて……」

 

 三つ編みの小さな子といえば、イーピンで間違いないだろう。

 クロームは照れた顔で布団を手繰り寄せる。

 

「いつ?」

「夜……。あんまんを持ってきてくれて」

「あっ……あのあんまん」

 

 昨日のデザートはイーピンお手製のあんまんだった。

 やけに張り切って作ってるなと思ったけれど、クロームに渡すためでもあったらしい。

 

「食欲なくても食べなくちゃね。

 ずっと食べなかったら体もたないし。体調悪いのはわかるけどさ」

「……違うの」

「違うって?」

 

 聞き返すと、クロームは爪先を上げて膝を抱え込んだ。

 いつもよりさらに頬を赤く染め、視線を落とす。

 

「……どうしたらいいか、わからなくて」

「なにが?」

「……」

 

 ちらりとこちらを見たクロームが、またゆっくりと視線を床に戻す。

 これ以上急かすとなにも喋ってくれなくなりそうで、利奈は辛抱強くクロームの返答を待った。すると、ぽつりぽつりと話し始める。

 

「三つ編みの子とか、ほかの子とか、大人の人とか……みんな優しくて。

 私、なにもできてないのに優しくしてくれて。それが、なんだか落ち着かないの」

「……困るの?」

「ううん、違う。温かいから……触るのが怖くて」

 

(温かいのに怖い……?)

 

 利奈はクロームの生い立ちを知らない。

 骸たちと行動を共にしているところから、家族と疎遠なのはわかる。でも、それ以上の事情は知らないし、聞く気もない。

 

 ただ、クロームはいつも周りから一歩引いていた。

 犬に理不尽に怒鳴られても、悲しんだり怒ったりしなかった。

 そんなクロームが、好意に怯えている。だったら、利奈にできることはひとつだった。

 

「私はどう? 触るの怖い?」

「ううん」

 

 怖かったら、肩が触れるほどの距離で一緒にご飯を食べたりはしなかっただろう。

 利奈を優しい人間と認識していないのなら話は変わるが、もしそうだとしたら本格的に立ち直れなくなる。

 

「なら、大丈夫だよ。私と話すときみたいにすればいいんだし」

「……」

「……無理?」

 

 クロームは正直だ。できないことをできるとは言わない。

 硬い表情で黙りこくったクロームに、利奈は内心で唸った。

 

(そう簡単にはいかないか……)

 

 初めての場所で初対面の人とすぐに打ち明けろといわれても、人見知りのクロームには難しいだろう。殺人集団にすぐさま馴染めたりするほうが稀有なのだ。

 

「じゃ、ちょっと発想換えてみるとか。

 友達の友達は友達! みたいな」

「友達の友達?」

「うん。京子は私の友達でしょ。あ、京子はショートカットの子ね。

 その子、私の学校の友達なの」

「そうなの?」

「だよ。クラスも一緒で」

 

 クロームの表情がわずかに和らぐ。まったく知らない人よりは、友達の友達のほうが馴染みやすいだろう。

 

「ハルちゃんは学校が違って、どっちかっていうと沢田君たちの友達かな。

 でも、昨日ご飯作ったし、友達って言ってもいいかも」

 

 二人とも明るくて優しいから、快くクロームを受け入れてくれるに違いない。

 あとは、クロームが飛び込むだけだ。そのためのお膳立てなら、いくらでも引き受けよう。

 

「そうだ。今日の夜、歓迎会があるの。

 笹川せんぱ――京子のお兄さんと、バジル君っていう外国から来た男の子の。

 で、私も混ぜてくれるっていうから、クロームもおいでよ」

 

 正確に言えば――と何度も繰り返しているが、敵から逃げ出したのちに避難先から帰国してきたのだから、歓迎会の名目に加えられてもおかしくはないだろう。

 主役だから部屋で待っててねと言われたし、今日は待ってるだけでご馳走が食べられる。

 

 ニコニコしながら誘いをかけると、クロームは視線をさまよわせた。

 

「利奈の、歓迎会?」

「うん。私おまけだけどね」

「……行っていいの?」

「クロームいなくちゃやだよ。来てくれなかったら、泣きながら押し掛けるかも」

 

 もちろん、ご馳走を携えて。

 ひっそりと心中で付け足した言葉は当然クロームには届かず、真に受けたクロームは慌ながら首を横に振った。そして控えめに距離を詰めて、利奈と膝をつける。

 

「行く。……一緒に行ってもいい?」

 

 その答えに、利奈は即座に隙間をなくして、上機嫌に頷いた。

 

「うん、いいよ!」

 

 ほうっとクロームが息をつくのと同じように、利奈ははーっと感嘆の息をついた。

 

 内気なクロームが、一歩を踏み出してくれた。

 このまま二歩、三歩と足を動かして、そのまま歩いてくれればいい。

 友達と友達が友達になったら万々歳だ。

 

「クロームは修行いつから? 沢田君たちはバイクの練習してたよ」

 

 この時代のクロームの運転免許証は、ボンゴレでは預かっていないそうだ。

 そもそもでクロームが車やバイクを運転するイメージがないのだけれど、はたしてこの時代のクロームは免許を持っていたのだろうか。

 

「私は明日からって言われてる。明日になったら本格的な訓練を開始するって、アルコバレーノが」

 

(だれ……ああ、リボーン君か。骸さんもそんな呼び方してたっけ。

 そっか、クロームは明日から)

 

 それならなおさら、ご飯を食べて体力をつけなければならなかっただろう。

 持ってきた食事を、クロームは残さずに食べ切った。温かいものを食べたからか、顔の血色がよくなっている。

 

「修行ってどんなことするのかな。なんかみんな匣とかいうの持ってたけど」

「私もボスにもらった。もらったのはまだ開けてないけど、フクロウの入ってる匣なら開けた」

「フクロウ!? へー、いいね、かわいくて! 沢田君たちはどんなのだろう」

「わからない。……多分、修行は匣を使った戦闘なんだと思う」

「そっかあ」

 

(フクロウを使った修行ってなんだろう……)

 

 一瞬疑問に思ったものの、匣アニマルはただの動物じゃない。晴孔雀みたいな特殊能を持っているのだろうし、クロームには幻術がある。

 きっと利奈には想像もつかない修行が行われるに違いない。

 

(……そろそろかな)

 

 時計に目をやって時刻を確認する。そろそろ後片付けの時間だろう。

 

「それじゃ、もう行くね。ちょっとこれから用事があってさ」

「うん。……? 利奈」

「ん?」

 

 おぼんを持って立ち上がったところで、クロームに呼び止められた。

 振り返ると、眉の寄った表情でじっと顔を見つめられる。

 

「……頑張ってね」

 

 クロームはなにも知らない。

 利奈がいたことすら知らなかったのだから、利奈の身になにが起きて、これからなにをするつもりかなんて、まるで見当がつかないはずだ。

 それなのに質問もせずに応援してくれたのだから、よほど気合の入った顔になっていたのだろう。

 

「……うん、頑張る」

 

 クロームと目を合わせた利奈は、にひっと歯を見せた。

 

(頑張る。……頑張らなきゃ)

 

 廊下に出た利奈は、深く息を吐くと、ギュッと口元を引き結んだ。

 

 今日は最低の一日にはなりえない。最悪はあっても、最低はありえない。

 最悪は覚悟しているけれど、自分から飛び込む火中なら、熱くたって我慢できる。

 

 ある意味、利奈とクロームは同じ境遇にあった。

 引いていた一歩分を踏み込むのと、引かれた一歩分を詰め寄るという違いはあったものの、前に向かうという姿勢は同じだ。

 

 足取りに迷いはなく、視線はただ前を向いている。

 口元には笑みすら浮かんでいたが、その笑みは本能的なものであった。獣が牙を見せるのと同じものだ。

 

(絶対に――絶対に、目に物を見せてやるんだから)

 

 端的に言うと――利奈は、激怒していた。

 


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