新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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本音は率直に

 人の顔を思い切りひっぱたいたのは、昨日が生まれて初めてだ。

 叩いたときの乾いた音や、ジンと痺れた手の感触。なにより、炎のように燃え上がった怒りが記憶に色濃く残っている。

 

 自分のしたことに後悔はない。

 それだけのことを隼人は言ったのだし、あのときはああしなければ気が収まらなかった。

 

(――のは、間違いないんだけど)

 

 叩いた側の利奈はそれでいい。

 しかし、叩かれた側の隼人ははらわたの煮えくり返るような思いでいただろう。

 

 現に隼人は仏頂面だし、視線は斜め下に向いている。

 それなのにどうして目の前――いや、背後に現れたのか。

 

(ただの偶然?)

 

 隼人は空の皿を手にしていた。

 利奈がいると知らずに片付けにきて、運悪く鉢合わせただけかもしれない。

 

「……食器ちょうだい」

 

 引っ込めた手を戻すと、隼人は無遠慮に皿を突き出してきた。

 その態度にいささかムッとしながらも受け取って、先ほどと同じ要領で汚れを落としていく。

 

(えー、戻らないの……)

 

 いまだ感じる気配に若干身構えつつも食器を片付け終えた利奈は、備えられたキッチンタオルで手を拭いて振り返った。

 わざと時間をかけて終わらせたのに、隼人は身じろぎもせずにそこにいた。

 

「……なにか用?」

 

 声が強張る。

 

「べつに」

 

 隼人の声も硬い。

 しかし、用が済んだのにみんなのもとに戻ろうとはしなかった。

 

(なにかあるのかな。喧嘩の続きがしたいってわけじゃなさそうだし……じゃあ、あれとか?)

 

「あの……獄寺君?」

 

 一考した利奈は、もしかしたらと見当をつけながら口を開いた。

 

「んだよ」

「えっと……き、昨日はごめんね?」

 

 報復が目的でないのなら残るは謝罪だろうと、利奈は恐る恐る謝罪の言葉を口にした。

 そしたら隼人がやっとこちらに顔を向けたので、これが正解だったかと言葉を続ける。

 

「いきなり叩いたりしてごめん。

 ちょっとやりすぎたっていうか……口喧嘩してんのに叩くのってズルいよね。痛かった?」

「べつに」

 

 やけに食い気味な返事だった。

 腰を入れて振り抜いたからそれなりの威力はあったはずだが、隼人の性格だと痛くても言わないだろう。

 

「ほんとにごめんなさい。もうしないから、許してくれると嬉しいんだけど」

「……許すもなにも」

 

 それだけ言って、隼人はまた目を逸らした。

 微妙な間だけが空いて、みんなのはしゃぐ声が遠く響く。

 

(……あれ、謝ってほしかったんじゃなかったの?)

 

 謝ったにもかかわらず、まだ隼人は立ち去らない。

 どうやらこれもハズレだったようだ。

 

「……私、戻っていい?」

 

 これ以上は思いつかないので匙を投げようとしたら、隼人が大きく舌打ちをした。

 とてつもなく感じが悪い。

 

「お前はいいのかよ」

「え?」

「……お前は俺に言いたいことはねえのかって聞いてんだよ!」

 

(私が?)

 

 そう言われても、言いたいことはすでに伝え終わっている。

 あのとき言ったことがすべてで、叩いたことについては謝るけれど、主張については曲げるつもりはない。

 

 京子が今、了平と笑っていられるのは、事情をなにも知らないからだ。

 兄が戦いに巻き込まれるとわかっていたら、歓迎なんてできるわけがない。

 

 しかしだからといって、事実に蓋を被せて笑顔を守るのは違う。

 京子たちから見て綱吉たちが大人なら、あるいは綱吉たちから見て京子たちが子供なら、まだ納得できるところもある。

 この世界の綱吉たちが事情を隠していたのを、利奈が恨んでいないのと同じように。

 

(でも、今の綱吉君たちはそうじゃない。知られたくないから隠してるだけ)

 

 みんな一緒にこの世界に引きずり込まれて、一緒に生活している仲間なのだ。

 女の子だから。戦うわけじゃないから。マフィアじゃないから。そんな線引きで隠される筋合いはない。

 

(って言ったら、また喧嘩になっちゃうんだよなあ……)

 

 歓迎会の空気に水を差すわけにもいかないから、押し黙るしかない。

 するとそれが気に食わなかったのか、隼人が詰め寄ってくる。

 

「昨日あんだけ言ったくせになんで今日は黙んだよ! お前は理由もなく人をぶん殴るのか!?」

「ぶっ、ぶん殴ってない! 叩いただけじゃん!」

 

 拳と手のひらでは威力も印象もだいぶ変わる。

 そもそも、利奈が拳で殴るとしたら鼻かこめかみを狙うし、その場合、事態はもっと深刻なものになっていただろう。

 

「同じだバカ! 女のくせにめちゃくちゃ鋭い一発放ちやがって! このバカ! 風紀バカ!」

「それはヒバリさんでしょ! ……待って、嘘、今のなし、なしね」

「どうでもいいんだよ、んなこと!」

 

 いや、どうでもいいわけがない。

 風紀委員のだれかに聞かれたら、また頭がへこみそうになる一撃をお見舞いされてしまう。

 

「あー! 獄寺さんが利奈ちゃんイジメてます!」

 

 必死に口留めをしようとしていたら、こちらの様子に気付いたハルが大きな声を出した。

 それによってほかのみんなの視線も集まって、一気に注目の的となる。

 

「獄寺ぁ! お前、また女子をいじめているのか!」

「また!? またってなんですか!? 利奈さんいじめられてるんですか!?」

「あ、ううん、全然――」

「んなわけねえだろアホ女! 言いかがりつけてくんじゃねえ!」

「あ、アホ女!? ツナさん! 獄寺さんがひどいですー!」

 

 誤解を解こうとした言葉が庇う相手に遮られ、そのうえまた新たな火種を巻かれた。

 上級生として場を収めようとしてか、了平がグイっと腕をまくる。

 

「むむ! 昨日も思っていたが、獄寺は女子に対する態度を極限に改めるべきだぞ!

 昨日も相沢の胸ぐらを掴んでいただろう!」

「バカ、それは――」

「そんなことまでしてたんですか!? デンジャラスです! とってもデンジャラスです!

 利奈ちゃん、早くこっちに逃げてください!」

「え、でも――」

 

 了平が火に油を注いでいくせいで、話がどんどんややこしくなっている。

 否定しようにもハルに腕を引っ張られ、利奈はそのまま隼人から庇うように了平の背中に隠された。

 これでは本当に隼人が悪者である。

 

「隼人」

「ウゲッ」

 

 隼人の姉であるビアンキが、サングラスの縁を光らせて隼人を睨みつけた。

 カエルのような声を出す隼人につかつかと歩み寄ると、毅然とした態度で腕を組む。

 

「どういうことか、説明しなさい」

「う、うっせえ! 姉貴は関係――」

「隼人。話しているときは目を見なさい」

 

 目を逸らした隼人に顔を近づけ、ビアンキはゆっくりとサングラスを取った。

 その瞬間、綱吉だけが息を呑んだのだが、それに気付く人はいなかった。すぐさま隼人が卒倒したからだ。

 

「っ、隼人!」

「はひ!? ご、獄寺さんがああ!」

 

 それはそれは見事な倒れ方だった。

 棒のように直線で倒れた隼人だったが、今度は床の上でおなかを抱えて苦しみだす。

 

「獄寺どうした!? 熱中症か!? 今は秋だぞ!」

「ちんだ? 獄寺のアホたれ、ちんだ?」

「大変! 早く医務室に連れて行かなくちゃ! ねっ、ツナ君」

「う、うん……。それよりビアンキ、サングラスを!」

「今はそれどころじゃないわ! 隼人を医務室に!」

「ええ……あ、ちょっと!」

 

 ビアンキが隼人の体を起こそうと手を伸ばすと、隼人は首を横に振りながら後退った。

 トドメを刺そうとする殺人鬼から、必死に逃げているかのようだ。

 

「く、来るな! 来るなあ!」

「こんなときに恥ずかしがってる場合じゃないでしょう。

 ほら、いいからおとなしくしてなさい」

「ぐふっ、そうじゃねえ、そうじゃねえんだよ……!」

 

(なにがそうじゃないんだろう……)

 

 綱吉や武が連れて行くというのも聞かずに、ビアンキが隼人を医務室まで連れていった。

 結局、隼人がなにを言いたかったのかわからずじまいのまま、歓迎会は終了した。

 

 

__

 

 

 さっぱりしない後味が残ったものの、利奈は京子たちと一緒にお風呂に入った。

 クロームにも声をかけようとしたけれど、すっかり疲れ切ったのか熟睡していたから、そのままなにもしないで戻ってきた。

 ランボはいつも女風呂に入っているそうで、タイル張りの風呂場を駆け回っている。

 

「ぐぴゃーん! からのー、どぼーん!」

「ランボ! ダメ!」

 

 水しぶきを上げながら湯船に飛び込むランボは、ひとときも目が離せそうにないくらい危なっかしい。

 つくづく、十年のあいだになにがあればあのランボに成長するのかと、疑問がつきなかった。

 

「利奈ちゃん」

「あ、ごめん」

 

 ついうっかりランボに気を取られてしまった。

 顔にぴしゃりとお湯をかけながら、ようするにとまとめに入る。

 

「私が先に獄寺君叩いて、それで首元掴まれたの。

 だから、京子のお兄さんが言ってたみたいにいじめられたりはしてないよ」

 

 隼人に対する誤解だけは解かねばと、湯船に浸かってから昨日の出来事をかいつまんで説明した。

 叩いてしまった原因については、隼人になにも知らないくせに知ったような口を利くなと言われて頭に来たから、という理由がそのまま使えたのでそのまま使っている。

 

「そっか、そうだったんだ。……もう、お兄ちゃんったら」

 

 むうっと京子が頬を膨らませる。

 

 男子は男子で武が釈明してくれているだろう。

 京子たちを待っているあいだに会ったので、バジルやフゥ太に説明してもらうよう頼んである。

 

「うう、ハルもちょっと勘違いしてしまいました。獄寺さんはなにもしてなかったんですね」

「うん。私が謝ってただけなの。最後ちょっとまた喧嘩しそうになったけど」

「獄寺、ステーンて! ステーンって倒れた! うぷぷ、獄寺ざまーみろー!」

「うん、ランボ君はちょっと落ち着こうね。どうやって浮いてるのそれ」

 

 はしゃぐランボは顔だけが水面に浮いている。

 イーピンも器用に泳いで体を浮かせているけれど、ランボの場合はなにもしていないのに浮かび上がっていた。

 

「あの子、いつも一人だったから人と話すのに慣れてないのよ。

 だから自分から話そうとすると喧嘩腰みたいになるの。勘弁してあげて」

 

 ビアンキはゆったりとお湯に浸かっている。

 このなかで唯一大人の女性なだけあって、服を着ていなくても堂々としたものだ。

 

「はい、それは。私こそ、叩いたりして……」

「いいのよ。あの子は少し痛い目を見ないとわからないでしょうから」

 

 姉らしい寛容さを見せるビアンキ。

 弟がいきなり中学生に戻ったのに、まるで昔からそうだったみたいな態度だ。

 この時代の綱吉たちもそうだったけれど、大人になると大抵のことには動じなくなるのだろうか。

 

「……ねえ、利奈」

「うん?」

 

 京子の方を向くと、京子は戸惑いがちに瞳を見つめてきた。

 

「利奈は、なにも知らないくせにって獄寺君に言われたんだよね。それって、この世界のこと?」

「……うん?」

 

 湯船でだらけきっていた利奈は、急な冷や水に思考が固まった。

 

「利奈は私たちよりも先にここに来てたんだよね。

 だったら、この世界のこともちゃんと知ってるんじゃないかなって」

 

 リラックスタイムでまさかの質問である。

 逃げ場どころか援軍も期待できない状態で、そんな重要な質問をされるとは思っていなかった。

 いつのまにか、ハルもじっとこちらを見つめている。

 

(どどど、どうしよう。なにも知らないって言ったら変だよね!? 嘘ついてるって思われるよね!? そのせいで嫌われちゃったりしたらどうしよう!)

 

 正直に話せないのはわかっているけれど、嘘をついていると気付かれたら二人の信頼を失ってしまう。

 かといって、知っているけれど話せないなんて言ったら、それこそ不信感を抱かれるだろう。

 

 男友達を取るか、女友達を取るか。

 それだったら女友達を取るけれど、利奈が話したせいで二人と綱吉たちの間にヒビが入ったら。いや、そんなことより、二人の心にヒビが入ってしまったら。

 

 突然降ってきた究極の二択に凍りついていたら、ひょんな方向から助け船が入った。

 

「大丈夫よ。二人とも、貴方に説明してもらおうとは思ってないから」

「えっ……?」

 

 ビアンキの言葉に素っ頓狂な声が出てしまう。

 

「この子たちは、ツナたちから聞きたがってるの。

 隠そうとしているのはあの子たちだから」

「そうなの?」

「うん、そうなんだ」

 

 いつもと違う、凛とした京子の瞳に吸い込まれそうになる。その瞳には覚悟が滲んでいた。

 

「みんなが私たちのことを想って秘密にしていることはわかってるの。

 でも、みんながボロボロで帰ってきて、お兄ちゃんも過去から来て。もうなにも知らないままでいたくないの」

「そうです! ツナさんたちを信じて修行のあいだ頑張って家事をしていましたが、一緒に住んでいる以上、ハルたちにも知る権利があります! みなさんだけがつらい思いをするなんて、不公平です!」

「……」

 

(二人とも、すごい)

 

 利奈が思っている以上に二人は強かった。

 こんなに強い意志を胸に秘めていながら、みんなの前ではいつもと変わりないように振るまっていたのだ。

 

「それでね。私たち、明日みんなにお願いしようと思ってるの。この世界のことを教えてって。

 だけど利奈がどう思ってるかわからなかったから、気持ちを聞いておきたくて」

「ですから、知っているのならそれでいいんです。

 ハルたちはあくまで、ツナさんの口から説明してもらいたいので」

「……」

 

 ――二人に尋問されると思ったさっきの自分を叩きたい。

 二人がそんなズルいやり方をするわけがなかったのに。

 

「……ごめんね。私、全部知ってた」

「そっか」

「黙っててごめん」

 

 申し訳なさを感じながら謝ると、お湯の下で京子に手を取られた。

 

「謝らなくていいよ。利奈は話した方がいいって思ってくれてたんでしょ?」

「うん。……え、なんでわかるの?」

「だって、獄寺君を叩いちゃうほど怒ったって言ったから。

 利奈がそんなに怒るのってその人が間違ってるって思ったときだろうから、それで怒ってくれたんだろうなって」

「……あ」

 

 隠したつもりが全然隠せていなかった。

 恥ずかしくなって下を向く。

 

「そうだったんですね……! ハル、感激ですー!」

「わ、きゃあっ!」

 

 感極まったハルに飛びつかれ、湯船の底に沈む。

 

「プハッ!」

 

 息を吐きながら体を起こすと、一緒に沈んだハルが犬のように頭を振っていた。

 頭からタオルが取れて、水しぶきが舞う。

 

「ええい!」

 

 悪戯心が芽生えてお湯を掛けると、ハルはビクッと体を震わせた。

 

「ひゃ。お返しです!」

「それそれー!」

「うふふ、じゃあ私も!」

「ランボさんもやるー!」

「イーピン、も!」

 

 それからお湯の掛け合いが始まった。

 あまりにも大はしゃぎしすぎたせいで、長風呂から上がるころにはビアンキ以外の全員がゆでだこのように真っ赤になってしまった。

 


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