新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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同時解決

 

 立てかけた鏡の前に、身支度道具を並べていく。

 黄色の櫛にいつもの髪飾り、黒い髪ゴム、数本のUピン。

 鏡を見ながら念入りに髪をとかして、とかしながら髪の毛をまとめていく。首の角度を変えて、歪んでいないかのチェックも忘れない。

 櫛を置いた手で髪ゴムを取り、頭の高い位置できつく束ねる。その束ねた髪をゴムの周りでくるりと巻いて、髪飾りで刺して固定。

 

(よし、ここから……)

 

 Uピンはビアンキにもらったもので、使うのはこれで二回目だ。

 走るときに髪が揺れて重いと話したら、髪をまとめるときに使いなさいと渡された。

 指先に神経を集中させて髪を固定するけれど、鏡に映らないから、きれいにできてるかはわからない。

 

(昨日は走ってる途中に壊れちゃったからなあ。

 きつく留めておかなくちゃ)

 

 ゆさゆさと髪を揺すって髪飾りがずれないことを確認し、ようやく鏡の前を離れる。

 今日も今日とて走り込みだ。

 

(雨だったり寒かったりしないのはいいけど、ずっと同じ景色なのは飽きるよね。

 何周目だかわかんなくなっちゃうし)

 

 武とも昨日、入浴前にそんな話をした。

 毎日の走り込みは欠かしていないけれど、グラウンドの土の感触が恋しくなるらしい。

 

(バットの代わりに刀振ってるって言ってたな。あれってどっちの意味だったんだろ。

 バットみたいに振ってるってこと? 竹刀みたいに振ってるってこと? たぶん、竹刀みたいに振ってるんだろうけど)

 

 そんなことをぼんやりと考えながらストレッチを終え、部屋を出る。朝でも夜でも空気の質は変わらない。

 みんなが寝ている階層で走り込みはできないから、だれもいない、長い廊下のある階で走っている。

 武は別の階なので、人と出くわしたりはない。はずだったのだが――

 

「……なにやってんの」

 

 待ってましたと言わんばかりに壁に寄りかかっていた隼人に、エレベーターの中から声をかけた。立ち姿からして、今来たばかりでないのは明白だ。

 とりあえずエレベーターから降りると、無言で近づいてきた隼人に頬を摘まれた。

 

「いひっ」

「お! ま! え! お前のせいでひどい目に遭ったじゃねえか!」

「いひゃひゃひゃひゃいひゃはぅい!」

 

 ぐいっと引っ張りながらねじられ、利奈は甲高い悲鳴を上げた。

 

「あんときいなかったやつらに、どんな目で見られたと思ってんだ!

 説明しようにもあの芝生バカが邪魔するわ、姉貴で腹が痛いわ!」

「ごめ、ごえんなひゃい、手やめ、いひゃい!」

 

 ぐいぐいと顔を近づけながら間近で睨みつける隼人は、相当怒っているようだ。つねる力も容赦がない。

 

(ほっぺた! ほっぺた取れる!)

 

 痛みに耐えかねてつねっている手を叩くが、隼人が手を放す気配はない。

 利奈はやむを得ず、空いている右手の腹を水平に脇腹に打ちつけた。

 

「グフッ!」

 

 うめき声とともにようやく隼人が手を放し、利奈は一歩下がりながら左頬をさすった。

 

「いったあ……手加減してよ、もう!」

「それ、お前が言うのかよ……!」

 

 脇を押さえながら隼人が訴えるが、先にやったのは隼人だ。反撃に備えなかったのが悪い。

 レヴィだったら空いている手で弾くか、腹に力を込めて攻撃をやり過ごしていただろう。

 

「私のせいっていうけど、あれは獄寺君が大声出したせいじゃん。私がかばう前に倒れちゃうし。なんで倒れたの?」

「だから、それは姉貴が――」

「ビアンキさんが?」

「……はあ。もういい」

 

 説明が面倒になったのか、引き下がられた。

 それにしても、文句を言うためにわざわざこんなところで待ち伏せするなんて。

 みんなの前でやればまた騒ぎになっただろうが、根に持ちすぎではないだろうか。

 

「ちゃんと女子には私が悪かったって説明したから。

 私が先に叩いたことも言ったし、二人とも納得してくれたから、それでいいでしょ」

「……殴った理由はなんて言ったんだよ」

「だから殴ってないって。

 嘘つくのあれだから、なにも知らないんだから黙っとけって言われてムカついたって言っといた」

 

(ムカついたくらいで人叩いたりしないけど、それ以上は言えないし)

 

 説明するたびに簡略化していくせいで、理由がどんどん単純化してしまっている。

 恨みがましく隼人を見つめるが、隼人は何事かを考えていて目が合わない。

 

「獄寺君」

「……んだよ」

 

 呼びかけてやっとこちらを向いた。

 人に話だけ振っておいて、返事もなく黙り込むのはやめてほしい。 

 そのうえ、話を切り上げようとすれば食い下がってくるのだから厄介だ。

 

「……」

「だからなんだよ」

 

 こうなったら耐久戦だ。無言のまま、隼人の言葉を待つ。

 

「おい」

 

 じっとりとした視線を送り続ければ、隼人は眉間に皺をよせた。

 ぴくぴくと眉を動かし、口元をひきつらせ――

 

「……だあっ、クソ! 言えばいいんだろ!」

 

(あ、勝った)

 

 わりと簡単に折れてくれてよかった。

 隼人はグシャグシャと髪を乱しながら、観念したように口を開く。

 

「いいか、一度しか言わねーからな! この前言ったことは訂正する!」

「……どれ?」

「どっ――お前が今言ったやつに決まってんだろうが!

 お前は無関係じゃねえし、俺たちに関わる筋合いがある! それで文句ねえだろ!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴る隼人は、怒ってるのか恥ずかしがってるのかよくわからない。

 一度しか言わないと言われたからよく反芻して、そして利奈は首を傾げた。

 

「……謝ってくれてるの?」

「んなわけねーだろ! ふざけてると果たすぞ!」

 

 違ったらしい。

 でも、早朝からこんなところで待ち伏せてまで言おうとした言葉がそれならば、それはもう、謝罪と言っていいのではないだろうか。

 それを言ったらまたこじれそうだから、言わないけれど。

 

「……わかった。じゃ、その話もう終わりにするね」

「あ? お前が勝手に決めんじゃねえ」

「続けるの?」

「……ふん」

 

 憎々しげに鼻を鳴らして隼人が去っていく。

 エレベーターが閉じる前に手を振ってみたら、すかさず親指を下に向けられた。調子に乗るなといわんばかりに。

 

 こうして、二日前の喧嘩は解決した。

 そしていいことというのは重なるもので、調理場に向かった利奈は、そこで和気あいあいとする四人の姿に目を瞬くこととなった。

 

「クロームちゃんって黒曜中学校なんですよね! どんな学校なんですか?」

「……わからない。私、通ったことないから……」

「そうなんですか!?」

「黒曜中学校の制服、おしゃれでかわいいよね。ブレザーでもセーラーでもなくて、ちょっと兵隊さんみたいな」

「わかります! ボタンが左右にあるのいいですよねー。男性用は学ランですけど、一目で黒曜中学校のだってわかります。

 そういえば、クロームちゃんの服はおなかが開いてますよね。あれはいったい?」

「……わからない。最初からああだったから」

「制服の形が選べるのかな。夏だったら涼しいかも?」

「はひい、ハルはちょっとおなかが開いた服は……お父さんに怒られちゃうかもしれません」

 

 食事の支度をしながら談笑している。

 二人はいつもと変わらずで、クロームは少し縮こまりながらも、二人と目を合わせて会話をしていた。

 それを眺めながらトマトのへたを取るイーピンと、まだ寝足りなかったのか、椅子の上でうたたねをしているランボ。

 和やかな光景ではあるが、いつのまに二人はクロームとの距離を詰めたのだろうか。

 

(昨日の歓迎会はそんなだったし……私が走ってる間に?)

 

 クロームが誘ったとは思えないから、二人が朝食の準備に誘ったのだろうか。

 若干の疎外感を感じながら近づくと、イーピンがいち早く振り返った。

 

「利奈!」

「あ、おはよう、利奈」

「おはよーございます!」

「おはよう……」

「みんな、おはよー」

 

 みんなに合わせて腕をまくる。

 美味しそうな味噌汁の匂いが立ち込めていた。

 

「来るの遅すぎた? そろそろご飯作る時間かなって思ってたんだけど」

 

 ほうれん草は茹で上がってるし、ウインナーと目玉焼きもすでに皿の上。

 あとは料理を机に並べて、ご飯と味噌汁を盛りつけるだけだろう。

 

 京子がクロームに目をやって、クロームが小さく俯いた。

 

「クロームちゃんが先に来て、やっててくれてたから」

 

 クロームを見ると、より一層クロームは縮こまった。

 彼女から歩み寄ったらしい。

 

「昨日の片付けするから来なくていいって言ったのに」

「朝ご飯は違うでしょ。私、たぶん昼は出掛けちゃうだろうし」

「そうなんですか? あれ? 出掛けるって、どこに?」

「ヒバリさんの――あー、覚えてる? 遊園地でハルを説教した先輩」

 

 それを聞いた瞬間、ハルがキュッと唇を引き結んだ。

 どうやら、しっかりと覚えていたようだ。

 遊園地で地面に正座させられたのだから、忘れようとしても忘れられないだろうけれど。

 

「ヒバリさんに手伝い頼まれてるの。

 この時代のヒバリさんは草壁さんの上司で、ついでに未来の私の上司だったんだって。

 一回ちらっと見ただけで、もう入れ替わっちゃってるんだけど」

「へえー! 利奈、ヒバリさんと同じ会社で働いてたんだ」

「それより、ヒバリさんもこの世界に来ているんですね。初めて知りました……!」

 

 にわかに背筋を伸ばしたハルに、京子が不思議そうな顔をした。

 恭弥の名前を聞いて動じずにいられるのは、京子くらいだ。

 そんな京子だからこそ、風紀委員になった利奈にも優しく接してくれたのだろう。

 

(うんうん、沢田君が好きになるのもわかるよ)

 

 京子ならきっと、綱吉たちの事情を知っても受け入れてくれる。

 ハルだってそうだ。ただの同級生だった利奈ですらどうにか受け入れられたものを、綱吉に好意を寄せているハルが拒むわけがない。

 それに、彼女たちは覚悟を決めている。

 

(うん、だから大丈夫。だから、いいよね)

 

 利奈は二人の背中を押した。最大限、二人の要望に応えると約束した。だから――

 

「そういえば、部屋の壁と同系色の布、見つかったんです。

 あとは内側に持ち手を縫い付ければ、隠れ身の術用マントが完成しますよ!」

 

 ――だから、彼らがこれから使うであろう部屋の場所と、入室方法。

 それから、隠れられそうな場所と気配の消し方などを二人に伝授した件については、ご容赦願いたい。

 

(ちょっと協力しただけだから! 悪いとは思ってるから! みんながちゃんと話したら謝るから!)

 

 昨日は眠くなるまで二人の部屋にお邪魔していた。

 そのとき、二人が潜入計画を立てていると聞いて、ついつい知っている情報を話してしまったのだ。

 隼人が夕食時に謝ってくれていたら、部屋の場所を伝える程度で終わらせていただろう。

 タイミングの悪さと隼人への後ろめたさで、利奈は話してしまったことを若干後悔していた。

 

 

__

 

 

(結局話さなかったな、みんな)

 

 京子たちに前持って伝えておいたとおり、午前から午後まで風紀財団で書類と格闘していた利奈は、彼女たちがストライキを始めたことを、綱吉の口から聞いた。

 ストライキについては入れ知恵していないけれど、途方に暮れる綱吉に、罪悪感をチクチクと刺されはした。

 

 一方で女子チームはというと、こうなることを想定してみんなが修業をしているあいだにお弁当を作っていたので、今日は京子たちの部屋でキャッキャとご飯を食べた。

 大人の男性たちもこちらのチームに入っているそうで、弁当は彼らにも配られている。

 自分たちのボスを差し置いて食事を確保しているのだから、大人はズルい。

 

 そして調理に参加しなかった利奈は、その代わりとして大人たちから弁当箱を回収する仕事を請け負った。

 ジャンニーニとフゥ太、ビアンキ、そしてリボーンからは回収している。残るはディーノ、スパナ、正一だ。

 

(ディーノさん、また食べ物こぼしてなければいいんだけど)

 

 恭弥の修業が落ち着いたのか、朝食時、ようやくディーノがこちらに姿を現した。

 そして一緒に朝食の席に着いたのだけど、そのときのディーノの散らかしようはすごかった。

 箸で掴んだ先からウインナーが飛んでいくし、ご飯も口に運ばれる前に大半が机に落ちた。口をつけて飲めばいいだけの味噌汁のワカメですら飛び出したし、ディーノの口に入ったものより、机に落ちたものの方が多かっただろう。

 ランボだってここまでひどくはない。

 

(ハルがお箸使いづらいですよねってスプーン渡してたけど、それでもこぼしてたもんね。

 お弁当はおにぎりとか唐揚げとか手で摘めるやつだけど、持った瞬間に落としてそうで怖いな……)

 

 綱吉が、ディーノは部下がいないとドジになると言っていたけれど、あながち冗談ではなさそうだ。

 すっころんで砂まみれになったり、牛乳をこぼしたり、エンツィオをプールに投げ飛ばしたりと、思い当たる節はいくらでもある。

 日本に来るまでは絶えず部下がそばにいたけれど、もしいなかったら、日本に到着できていなかったかもしれない。

 

「失礼しまーす」

 

 ディーノは修業部屋にいた。

 そこにロマーリオの姿もあって、利奈はほっと胸を撫でおろす。

 

「おお、利奈か。どうした?」

「お弁当箱の回収に。もう食べました?」

 

 弁当箱はふたつ置かれている。

 だれもロマーリオについて触れていなかったから、ふたつともディーノのぶんだったのだろう。恰幅のよいジャンニーニも、弁当箱はふたつだった。

 

「食べ終わってるぜ。うまかったって伝えておいてくれ」

「俺もつまみ食いもらった。ごちそうさん」

「はーい」

 

 弁当箱を受け取る。

 これで弁当箱は七個になったけれど、どれもからっぽなので重さは感じなかった。

 困るのは重さではなく大きさだ。

 

「持てるか?」

「はい、ここまでは。スパナたちからももらわなきゃいけないんですけど」

 

 ミルフィオーレ基地跡を掘削する目途が立ったようで、彼らはアジトで開発を続けている。

 ここにいてくれれば三食届けられるから、ちゃんと食事をとっているかの心配をしなくていい。彼らも男子チーム側な気がするけれど、この件には関係がないから気にしないでおこう。

 

「スパナ――技術者か。ちょうどいい、俺もちょっと顔を見せておきたい。

 付き合うぜ」

 

 そう言って、ディーノは利奈の抱える弁当箱を全部取り上げてしまった。

 

「持ちます! ディーノさんもヒバリさんと戦って疲れてるのに」

「気にすんな、これくらいどうってことねーよ。重さもほとんどねーし」

 

 カチャカチャと箱を鳴らしながら、ディーノは先に部屋を出て行ってしまう。

 こうなったら、お言葉に甘えるしかないだろう。

 

 ここに残るらしいロマーリオに頭を下げてから部屋を出た利奈は、床に這いつくばるディーノと散乱する弁当箱を見て、額を押さえた。一瞬でも部下がいないとだめなのかと。

 


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