匣が展開して、生き物が飛び出してくる。
予想よりもずっと小さなシルエットに、一瞬、ヒバードなのではという考えが頭をよぎった。しかし出てきたのは、当然ながら違う動物だった。
「キュ?」
小さな塊が鳴いた。
驚きのあまりリボーンの投影機を落としそうになった利奈だが、次の瞬間には機械を握り締め、満面の笑みでその動物を歓迎した。
「わあ、かわいい!」
「キュ!」
利奈の声に反応するように鳴いたのは、手のひら大のハリネズミだった。
今まで見てきた匣アニマルのなかで、一番小さい。
あまりのかわいらしさに利奈は警戒せずにしゃがみこみ――
「ちょっと」
すかさず恭弥によって引き戻された。
「ギュグッ!」
服の襟を引かれたことで気道が塞がれ、つぶれた声が出る。
「……いきなりなにするんですか」
半眼で喉をさする。せっかく上がったテンションが、一瞬にして下がりきってしまった。
「気安く触ろうとしないで。怯えるでしょ、その子が」
その子、もとい、ハリネズミに目を向ける。
恭弥の言う通り、ハリネズミは少し縮こまるようにしてこちらを窺っていた。
人に慣れていないのか、自分よりずっと体の大きい利奈を警戒しているようだ。
「……キュー」
「大丈夫だよ、相沢は君になにもしないから」
「キュ?」
ホント? と尋ねるようにハリネズミが恭弥を仰ぐ。
その仕草がかわいらしくてまた触りたくなったものの、不用意に動いたら次はトンファーで沈められかねない。脳内警告に従ってじっとしておく。
(ハリネズミ、本物初めて。……ちょっと針が大きいけど、そんなのもいたりするのかな)
ここがどこなのか気になるのか、ハリネズミはきょろきょろと辺りを見渡している。
いきなり箱から出されたのだから、戸惑うのは当たり前だ。
恭弥がそっとしゃがみこんでハリネズミと目線を合わせようとしたけれど、ハリネズミはブルッと体を震わせて、そそくさと茂みに隠れてしまった。
(……逃げちゃった。ヒバリさんの匣から出てきたのに)
なんとも気まずい雰囲気が漂う。恭弥がしゃがんだまま動かないから、利奈も動けない。
今まで見てきた匣アニマルは、ちゃんと主人に従っていた。こんなふうに逃げ出したりはしなかった。匣を開匣してからまだ日が浅いとはいえ、この懐き度は低すぎるのではないだろうか。
なんて思っても、言えるはずもなく。
『全然だめじゃねーか』
「ちょっ! リボーン君、はっきり言っちゃ!」
『基地でも暴走したんだろ? ちゃんと懐かせとかねーと、いざというときに問題になるぞ』
「リボーン君! しーっ! ヒバリさんだって気にしてるから!」
「……」
慌てて注意するものの、物理的に口が塞げないのだからどうしようもない。
恭弥は否定も肯定もせず、難しい顔で茂みを見つめている。
「ちょっと! あんたたち、いつまで待たせるのよ!」
ハリネズミにばかり目をやっていたら、険のある声が突き刺さってきた。
顔を上げると、肩をいからせた女性が、ずかずかと足音を立てながら建物から歩いてきていた。
女性は利奈のそばまで近づくと、ぐいっと腰を折って利奈を睨みつける。
「あんたでしょ。あの門揺すってたの」
「は、はい」
女性の剣幕に圧倒されながらも、利奈は頷いた。
この口ぶりからすると、門を開けたのはこの人なのだろう。
利奈の肯定に女性はなお一層眉をつり上げた。
「だったら、まずはここの住人に挨拶するのが筋ってもんでしょ! こんなところでなにぐずぐずしてるのよ!」
「ごめんなさい!」
あまりの剣幕に、利奈は即座に謝った。
「それからあんたも!」
なんと、彼女は怒りの矛先を恭弥にまで向けた。
「部屋のなか覗いといてなんで引き返すのよ! 大体、窓から部屋を覗くなんて変質者のやることだわ!」
「不法侵入者に言われたくない」
(ヒバリさん、それ私たちも)
言ってることがそのまま自分たちにも当てはまってしまっているのだが、恭弥は素知らぬ顔である。
「勝手に入ってきといてなによ、その態度は! まったく、相変わらずボンゴレの人間は品性の欠片もないのね!」
「あっ、私たち、ボンゴレの人間ってわけじゃ……」
「違うの?」
「全然関係ないわけじゃないとは思いますけど」
「なら一緒よ」
決めつけるようにピシッと言い放ったあと、彼女は短い後ろ髪を手で払った。
「あー、もう。怒鳴りっぱなしで疲れたわ」
「あの、貴方はむ、六道さんの仲間の人ですか?」
危うく名前呼びしそうになりながらも尋ねると、彼女はもったいぶった態度で胸を張った。
モデルのような立ち姿だし、着ている服もモデルが着用しているような洗練されたものである。少なくとも、この辺りの服屋では売っていない。
「仲間なんてもんじゃないわ。私と骸ちゃんの関係は、もっとディープで濃密なものよ」
「ええ!? もしかして、骸さんの恋人――」
「だったりはしないので勝手に外堀固めないでくださーい」
利奈が女性の望む言葉を口にしたそのとき、平坦な声があいだに割り入った。
建物からもう一人、のろのろとした足取りで近づいてきていたのだ。
そして利奈はその男性――いや、少年の名前を知っていた。
「フラン!?」
「ちょっとフラン、なにしに来たのよ!」
知り合いの登場にまたもや目を瞬く利奈とは対照的に、女性は噛みつくようにフランに食ってかかった。
剣幕にもひるまずフランは続ける。
「だって、門開けたらだれが来たのか気になるじゃないですか。
不審者の排除は新人の役割だって教わってましたしー」
そこでフランは利奈に向かって腕を振る。
「どうもー。この前ぶりでーす」
「あ、うん、こんにちは」
困惑する利奈には構わず、再び女性に向き直る。
「それよりも、事情を知らない人に嘘つくのはよくないと思いますー」
「……なによ、嘘なんてついてないわ」
ふんっと鼻を鳴らす女性。思い当たる節はあるようで、フランから目を逸らしている。
「いやいや、ディープで濃密って誤解させる気満々の発言でしょ。
姉さんと師匠に深い事情なんてなんにもないんですから」
「え、じゃあなんなの?」
「ただの仕事仲間です」
「ちっがーう! 私と骸ちゃんは特別なの! お子様には男女の機微なんてわかんないのよ!」
「はいはい、続きは署の方で伺いまーす」
この様子だと、おそらくフランの言い分のほうが正しいのだろう。
女性が骸を狙っていたのか、それとも利奈が骸に色目を使わないようにとの牽制か。どちらにしろ、わりとめんどくさいタイプの女である。
恭弥は関わるだけ時間の無駄と判断したのか、ハリネズミしか見ていない。
『話は終わったか?』
今まで空気を読んで沈黙していたリボーンが、利奈の手に座っているかのような体勢で登場した。
その瞬間、女性は思いっきり身を引いた。
「げ、アルコバレーノ……!」
『久しぶりだな。今度の件で話をしに来たぞ』
女性の声には苦さが混じっているけれど、リボーンはいつも通り、平然とした態度である。リボーンの口ぶりだと、十年前の時点で接点のあった人物のようだ。
「よりによってあんたなの……。あんた見てると、あのときのこと思い出していやなのよね」
『お前は相変わらずみてーだな。千種か犬はいるか?』
なにか確執があるようだけど、女性は意外と素直に頷いた。
「ええ、どっちもいるわよ。こんなとこで立ち話なんていやだし、続きはなかでしましょ。
ほらフラン、あんたが連れてきなさい」
「ハーイ」
女性はさっさと先に進んでしまう。
フランはその場でくるんと回転し、利奈たちに軽くお辞儀をした。
「それでは、侵入者御一行様どうぞー」
「言い方。ヒバリさん、行きますよ」
『もしかしたら有益な情報を得られるかもしんねーぞ。いろいろとな』
リボーンの呼びかけで恭弥は立ち上がった。
いつのまに茂みから出ていたのか、その手にはハリネズミが収まっていた。
「ここまで来たんだから、話くらいは通してあげるわ。
通信機は預かるから、あんたたちはここで待ってなさい。フランはこの二人の相手してて」
「ハーイ」
未来の犬と千種に会えると思っていたのに、利奈は恭弥とともに待機を言い渡された。
彼女からすれば得体のしれない相手だから無理もないけれど、楽しみにしていたぶん、ちょっと残念でもある。
(クロームのこととか伝えたかったんだけどな。リボーン君が言ってくれるといいんだけど)
客として扱うつもりはあるようで、ペットボトルの紅茶と粒チョコレートをもらった。
前に来たときもお茶請けはチョコレートだったので、骸はチョコレートが好きなのかもしれない。
恭弥は一切手をつけずソファにも座らず、窓から外を眺めていた。
「ねえ、フラン。あの女の人ってなんて名前?」
チョコレートを口に放り込んでいるフランに尋ねる。
「姉さんですかー? M・Mです」
「エムエム?」
「アルファベットのMふたつでM・Mです。あいだに点が入っているところがポイントだそうでー」
名前を聞いて、まさかイニシャルが返ってくるとは思わなかった。
いっそ偽名を使ってしまえばいいのに。
「いえいえ、偽名は偽名で、定着すると本名みたいなところがありますから。
ミーたちみたいなのは名乗ってる方が珍しいですし、どちらかといえば名指しは控えたほうがいいんですよー。
だからミーも、普段から堕王子とか雷撃変態親父とか呼んでるんですし」
「それはただ悪口言いたいだけでしょ。……えっ、仕事中もそうなの?」
「イエース。でも姉さんをL・Lと呼んだのは失態でしたねー。
ありえないほど怒るし、機嫌取るのにエライ目に遭うので気を付けてくださいー」
わざわざ注意されなくても、あんな怒りやすい人にちょっかいを出す気にはならない。
疑問がひとつ解けたところで、利奈はこちらが本題だと身を乗り出した。
「それで、フランはなんでここにいるの?」
M・Mの前では触れずにおいたけれど、フランはヴァリアーの幹部だったはずだ。
それなのに、ここではなぜか骸たちの仲間のように振舞っている。それも、下っ端みたいな扱いで。
(まあ、向こうでも幹部になったばかりだからってこき使われてたけど。
……そういえば、さっき骸さんのこと師匠って呼んでた)
骸もフランも幻術を使うから、骸が幻術の師匠なのだろう。
M・Mのことも姉さんと呼んでいるし、こちらがメインであることは明らかである。
そして、マフィア関係者がふたつの組織に同時に所属している理由と言えば。
利奈は固唾を飲みこんで尋ねた。
「……もしかして、骸さんのスパイやってた?」
「貴方って、ほんと突拍子もないこと言い出しますよね」
真剣に言ったのに素の声で小馬鹿にされ、利奈はムッと眉を寄せた。
「だってそう思うでしょ、こんなふうにあっちこっちに紛れてたら。マフィアっていったらスパイだし」
「その連想は合ってますけどー。
だとしたら、貴方の前にのこのこ姿現すわけないじゃないですかー。口止めするのも始末するのもあとがめんどいですしー」
「うっ」
「それに、見た目そのまま、名前そのままでスパイやる馬鹿いますー? ミー、幻術で変装は自由自在なんですよー?」
「そ、そうだね。確かに」
あっさりと論破され、利奈は素直に頷いた。
変装できない理由があるにしろ、とりあえず、カエル帽は脱いでおくだろう。初対面の恭弥が、珍妙な物を見る目をしていたくらい目立ったのだから。
「じゃあ、どういうこと? フランは骸さんのなんなの?」
フランと話すのに夢中になって、恭弥がいるのに利奈は骸の呼び方を戻してしまっていた。
どうにもならないと感じたのか、恭弥は半眼で二人の会話を無視している。
「んー、簡単に説明すると、職場があっちでこっちは自宅って感じですかねー。
師匠は師匠だからこっちも立てなきゃっていうかー、ぶっちゃけ、あっちで働いてるのは拉致られたからなんですよね。
今回は師匠を救うために強制召喚されたって感じですー」
「救う? なにかあったの?」
拉致のくだりを通り越して質問を重ねると、どう説明したものかとフランは頭をひねった。
「話すとまた長くなるんですけどー。
師匠、戦いに負けて精神を閉鎖空間に閉じ込められちゃったんですよー」
「ええ!?」
「体は他人のものだから問題なかったんですけどー。
精神捕らえられるって、幻術使いとしてもうおしまいですよねー。いつも偉そうなことばかり言ってても、その程度っていうかー。正直、幻滅したっていうかー。まあ、最初から尊敬はしてないんで幻滅っていっても、評価下がるほど上がってはなかったんですけどー」
「それはいいから! それで、精神はどうなっちゃったの?」
まだまだ続きそうなぼやきを遮って続きを急かす。
独特な語尾伸ばしと平坦な声音で聞き取りづらいうえに、話の脱線が早く、話し手としては恐ろしく不向きだ。
「あー、精神はまあ、ミーがキラーンとかっこよく助け出したんですよ。
でもやっぱりズタボロに傷ついてたので、今は体に戻して休ませている感じですー」
「無事なんだね。よかった……!」
拉致や監禁の経験が多いので、捕まったと聞くと他人事に思えなくなる。
ひとまず胸を撫で下ろした利奈だったが、次のフランの爆弾発言に今度は飛び上ることになった。
「師匠は無事ですよ。奥の部屋で呑気に寝てますし――って、これ言っちゃいけな」
「!?」
バッと窓際に目をやった。
すると恭弥がまっすぐにこちらを見ていたので、利奈は思わずソファに項垂れた。
フランも自分の失態に気付き、口元に手を当てている。
「……これ、ミー本当にやばいことしちゃった感じです?」
「遅い!」
強い口調で窘めてから利奈は慌てて立ち上がった。
ブレーキ役のリボーンもいないし、ここで恭弥が暴走したら大変なことになってしまう。
「ヒバリさん、落ち着いてください!
ここで暴れたりなんかしたら、あっちの柿本君たちが飛び込んできますからね!?」
「ワオ、それは楽しそうだね」
「ヒバリさん!」
全然楽しくないとばかりに利奈は声を張った。
だが、口では好戦的なことを言うわりに、恭弥はその場を動こうとはしない。
すぐにでも飛び出していくものだと思っていた利奈は、それを意外に思いながらも油断せずににじり寄った。
「あの、本当にダメですからね? 相手は怪我人なんですからね?」
「聞いてたよ」
「……行かないんですか!?」
「どっちだよ」
フランがまた素の声で突っ込みを入れるが、驚愕している利奈にその声は聞こえなかった。
骸と戦うためだけにここまでやってきた恭弥が、骸に戦いを挑みに行かないなんて。
どういう風の吹き回しなのかと訝しむ利奈に、恭弥は肩をすくめた。
「病人と戦ったってつまらないでしょう。強くなった彼じゃないと意味がない。
――それより」
恭弥は好戦的な目でフランに狙いを定める。
「君は、強いのかい?」
「……おおっと、今度はミーの貞操の危機です? ミーは暴力反対の平和主義者ですー」
大きく両手を上にあげながら、フランは背もたれに倒れこむ。
恭弥は少し考えるそぶりを見せたが、フランにその気がまったくないと判断して、何事もなかったように視線を外した。
そこでやっと、利奈は肩の力を抜いた。
(ほんっとに闘うことばかりだよなあ、ヒバリさんって。
この調子でミルフィオーレと戦ってくれるんなら、全然いいんだけど)
普段なら厄介な性分だけど、これからの戦いを思えば頼もしい人材だ。
一騎当千の戦闘能力があるから、きっと綱吉たちの力になるだろう。――仲間まで攻撃しなければ。
(うん、大丈夫。そこは空気読んで――くれ――なかったとしても! 勝ったあとなら大丈夫! うん、なんとかなる! きっと! だれも残らなくなるけど!)
恭弥の性格を知っているぶん、全滅の可能性が捨てきれないのが、なんとも恐ろしかった。