果たして彼女は何者なのか。
ズーン……ズーン……
閑静な住宅街に轟音が響き渡る……
現時刻は午前5時30分、こんな朝早くから轟音を鳴らすのは一人しかいない。
「どっせーい!」
小さい女の子から発せられているとは思えないような声が聞こえてくる。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「うるさぁぁい!」
あまりにもうるさいのでついに注意してしまった。やばい。
「唯ちゃんは私の稽古を邪魔するのかしらァァァァッ?」
「い……いえ、まだ早いので私は寝てます……」
「あら?一緒にやりましょうよ♪」
このうるさく、むさい女の子は琴吹紬ちゃん。私たちの間では親しみを込めてムギちゃん、と呼んでいる。
「せい!せい!せい!せぇぇぇぇぇい!」
家が揺れ、柱が軋む、どうやらツッパリの練習をしているようだ。
私たちは私立桜が丘高校に通う、高校生だ。
私とムギちゃんは桜が丘高校の軽音部のメンバーで、あと3人いる。
今日は軽音部の合宿でムギちゃんの家に泊まりにきたのだが、ムギちゃんの家は伝統ある相撲の名家らしく、そこの一人娘であるムギちゃんも朝早くから相撲の練習をしているわけだ。正直言って、うるさい。
「ふー……朝の稽古終了ね♪いい汗かいたわ♪ちょっとお風呂入ってくるわね♪」
「お……お疲れ様~」
やっと終わったようだ、私はこの轟音の中でも起きなかった律ちゃんたちを尊敬する。
私はお風呂場へ急ぐムギちゃんを尻目に、2階にある寝室へ戻っていった。
「あ~、終わりましたか?唯先輩?」
この子は梓ちゃん、私たちの後輩だ。私よりも先に起きていたのだが、勇気がなく、布団の中で怯えていたようだ。
「終わったよ~、あずにゃん」
「ふぅ……こんな早くに起きる予定じゃなかったのに……唯先輩、私はもう一度寝ますけど先輩はどうします?」
あの凄まじい轟音で起こされたのだ、あずにゃんが眠くなるのもしょうがない。
「私はもう眠気とんじゃったよ~、このまま起きてる。」
「そうですか……ふあぁぁぁぁ……おやすみなさい……」
さて、私はギー太の手入れでもすることにしよう。
下の階から低く、それでいて揺れを伴う轟音が聞こえる、どうやらムギちゃんが四股を踏んでいるようだ。
「こんな朝から……よくやるよね……」
私はもう一度時間を確認してみた、時刻はもうすぐ午前5時45分になろうとしている。
「ふぅぅぅぅ!いい湯だったわ~♪」
「あ、ムギちゃんおかえり~」
「あら?まだみんな寝てるの?」
このむさい女は自分が非常識な時間に起きたことを分かってない様子だ、迷惑すぎる。
「そ……そうみたいだね~……」
適当に相槌を打っておく。
「みんな、たるんでるわ……この際、起こしちゃいましょう♪」
「と……時計見てよ~普通はまだみんな寝てる時間だよ~?」
「そうなのかしら?私の家はこれが普通だから勘違いしてたわ♪」
もっと常識を知ってもらいたいものだ……これがお嬢様というやつか。
「そ……そういえばムギちゃん、お風呂で四股踏んでたよね?お風呂でも稽古するの?」
「そうよ?人生常に精進あるのみ、よ♪」
さも当然であるかにようにムギちゃんは答えた。
ということは毎日やってるのか……近所迷惑も甚だしい。
「ん~、唯~何話してるんだ~?」
「おはよう……みんな……」
そんなことを話しているうちに律ちゃんと澪ちゃんが起きてしまった。
「――そうかぁ、そんなことがあったのか……」
「そうなんだよ、律ちゃん。」
なんで律ちゃんはあの状況で起きなかったんだろう……合宿は後二日ある、眠くて死にそうになる前にその秘訣を教えてもらいたいものだ。
「やっぱり稽古とかしてるんだな~、あの足の筋肉凄いなぁとは思ってたけど……」
「その辺の陸上選手なんかを軽く凌駕してる足だよね~あれは……」
正直なところ、なぜムギちゃんは軽音部に来たのだろう?と思っている。表向きはピアノをやっていたから、らしいが……相撲部に入ればよかったのに。
今更嘆いても遅い、実際ムギちゃんのキーボードは相当な腕前なのだから。
しかし、キーボードが壊れそうなくらい強く弾くのはやめて欲しい、本人は力こそが正義よとかいっているが、キーボードが可哀想すぎる。
「唯ちゃん、律ちゃん、何話しているの?」
横からあの筋肉女が話しかけてきた。横に来るな、筋肉が移る。
「ムギちゃんの足すごいな~って」
「あら?そうかしら?まだお父様やお母様には敵わないわ♪唯ちゃんも10年くらい修行したらこうなるわよ♪」
誰が10年もするか、この脳筋女が。
「え……遠慮しておくよ~。」
「あら、残念。」
ムギちゃんの瞳が一瞬睨みつけてきたような気がしたが、すぐに気のせいだと思った。
――朝ごはんを食べ終わった頃、あの脳筋女がまた話しかけてきた。
「食後のランニングへ行きましょう♪」
ランニングか……それくらいなら合宿らしくていいな。と思い承諾した。
しかし、内容は軽音部の合宿とは程遠い、地獄のようなものだった。
よく話を聞かされずに承諾した私たちは、すぐに後悔することになった。
「ムギ……はぁ……ちゃん……これっ……はぁ……何キロ……走るの……?」
「そうねぇ……あと10キロくらいかしら?」
既に5キロほど走っていたのだが、返ってきた答えがこれだ。これでは軽音部じゃなくて駅伝部ではないか。全く、どこまでも脳筋女だな、こいつは。
――やっと終わった……何回か三途の川を見た気がする……
「ふぅ……やっと終わったわね~、みんな遅いわよ?」
当たり前だ。合計15キロを軽く走れる女の子はそうはいないぞ、お前がおかしいだけだ、この脳筋女。
すっかり疲れてしまった、今日はもう動く気がしない……
「ねえ……これ、毎日……やってるの?」
「当たり前じゃない♪」
「学校の日も?」
「?愚問よ、唯ちゃん。」
こんな質問をした私がバカだったようだ……そんなことを思いながら私は気絶した。
頭が痛い……吐きそうだ……トイレはどこだ……
目を開けると、私の頭を鷲掴みにしながら私の名前を大音量で叫んでいる脳筋女の姿があった。こいつのせいか……
「ム……ムギちゃん……私大丈夫だよ~。」
「唯ちゃぁぁぁぁん!」
うるさい、鼓膜が破れるかと思った。なんで最後の最後で一番でかい声で叫ぶんだこいつは。
「唯ちゃん……本当に良かった……」
こっちは良くない、正直言ってさっきのが一番ダメージでかかった気がする。
本気で一瞬、お花畑と川の向こうで手を振っているおじいちゃんが見えたからな……
「……他のみんなは?」
時計を見る。今は午後6時。結構気絶していたようだ……
「みんなは焼肉をするために外に出てるわよ♪」
律ちゃんたちも15キロを一緒に走りきったはずだ。……あいつらも脳筋女の仲間か。
その時、お腹が鳴り始めた。ちょっと恥ずかしい。
「あらあら?お腹が減っているのかしら?唯ちゃんも外へいってらっしゃい♪」
「ム……ムギちゃんは?」
「私は食前の稽古が終わってないから♪」
……呆れた。こいついったいどこまで筋肉でできてるんだ……
「そ……そうなんだぁ~。」
「じゃあ、また後でね♪」
ムギちゃんは走ってどこかへいってしまった。まだ走る元気があるのか……こっちは這い蹲るので精一杯だというのに……
私はナメクジのように這いながら、やっとのことで外へ出た。
「ごっちゃんです!」
――なにか物凄く普通の家なら不自然だが、ここなら逆に自然な声が聞こえる……
「――あっ!唯!大丈夫だったかぁ?」
「う……うん……それよりも、この人たちは?」
私は律ちゃんの下半身の筋肉を眺めながら尋ねた。
「ごっちゃんです!」
「ムギのお父さんの知り合いの相撲部屋の人だってよぉ~」
……なんだろう、この状況をおかしいと思わなくなってきた自分に嫌気がさしてきた。
「こ……こんにちは。」
「ごっちゃんです!」
……また頭が痛くなってきた。それしか喋れないのかこいつは……
「しかし、運が良かったな~唯は!」
「え?」
「この人、あの有名な寿の山なんだぜ?サインもらえよ!」
「ごっちゃんです!」
いいからお前は黙ってろ。
「へ……へぇ、そうだなぁサインもらおうかな!」
「ありがとうございます!」
「普通にしゃべれるのかよっ!」
律ちゃんがすかさずツッコミを入れる。それは私のセリフだ。
――その時、あの低く揺れを伴った轟音が近づいてくるのに気づいた。
「おーい、ムギ~早くこいよぉ~!」
「ちょっと待ってください♪」
四股を踏みながら近づいてくるムギちゃんを見ながら、私は自分が所属しているのは軽音部なのだと言い聞かせていた。
「ん?どうしたんだ?唯?」
「……いやなんでもないよ、律ちゃん。」
「?そうか」
「ふーっ……ご飯にしましょう♪」
違和感なく混じってくるこいつの存在が怖くなる。
「ごっちゃんです!」
……もうそれはいいから。
「――ふぅ、食った食った!」
「律ちゃん食いすぎだよ~太るよ?」
「唯~お前言うようになったなぁ~……」
私が言っているのは決して冗談などではない。1時間前、この場には200Kgは確実にあるであろう、肉の塊が確かに2、3個ほどあったのだ、ちなみにその肉はもうちょっとで無くなろうとしている。それもこれもあのごっちゃん野郎と脳筋女、そして律ちゃんのせいなのだ……
「いや~、冗談じゃなくて……」
「ん?へんな唯だな~」
もしかして私がおかしいのか?私が小食すぎるだけなのか?
あずにゃんと澪ちゃんのほうを見てみる。ほら、あの3人が異常なだけだ……ろ?
あ……あれ?澪ちゃんとあずにゃん……だよね?
「どうしたんだ?唯?」
「ほんとにどうしました?唯先輩?」
――そこでは、1時間前までは可憐な美少女、だった脂肪の塊が、2つ並んで肉を取り合っていた――
……はっ!一瞬気を失いかけていた……
横には、あずにゃんだったと思われる脂肪の塊が1つ、いた。
「ゆいせんぱ~い、今日は本当におかしいですよ?マラソンの後でも気絶してましたし――」
……どうやら、この非常識な脂肪の塊でもあのランニングがマラソンと呼ばれてもおかしくないことに気づいていたらしい。
「そ……そうだね、今日はお休みすることにするよ~」
「それがいいです!ゆっくり寝て、明日のために力を蓄えて下さい!」
「私から律先輩や、澪先輩に言っておきますから!」
「ありがとう、し……おっと、あずにゃん!」
危ない。見た目があまりにもあれだったもので本音を出してしまうところだった。
筋肉痛で悲鳴をあげている体を引きずりながら私は寝室へと戻っていった――
――今何時だろうか。あれから結構時間がたった気がするけど……
ズーン……ズーン……
時計を見ると、午後8時だった。
ズーン……ズーン……
今朝と同じような轟音が鳴り響いている……
「またあの脳筋女か?」
おっと、声にだしてしまった……誰もいないし、大丈夫だろう。
私はこの家の地下にあるという、土俵へ行ってみることにした。
ズズーン……ズズーン……
近くに行くにつれて音が大きくなってくる。
「……っせい!せい!せぇぇぇぇぇい!」
今朝と同じ掛け声だ。脳筋女か……いや、おかしい、音は複数鳴っている……脳筋女の親か?
「どりゃァァァァァァ!」
「押し出し!寿の山の勝ち!」
「私が勝てないなんて……流石ね!」
「いえ、ムギさんこそ……女の子なのに、ここまでできるなんてッ!自分、一瞬負けるかと思いましたよ!」
……あの脳筋女はプロの力士と対等に戦えるらしい。もうどんなことが起こっても驚かないぞ……
さて、土俵のある部屋の前へついた。些か勇気がないが、あの寿の山が苦戦しているところを見てみたい。あの力士は横綱間違いなしと言われているからな……
思い切ってドアを開けた
「……!?」
そこでは驚くべき光景があった。
「な……なにしてるの?律ちゃん?」
道場の隅で先程の取り組みを回想しながらだべっている、脳筋女と寿の山の横に、その驚愕の事態は起こっていた。
「え?ドラムの練習だけど?ってか唯、やっと起きたか!これでセッションできるぞ!文化祭まであまり日がないからなぁ」
……ドラム?私は目を疑った。
目を擦ってみたが、何回擦っても目の前の状況は変わらない。頬をつねってみても、やはり変わらなかった
――律ちゃんは、床にバスドラや、シンバルをおいてその上で四股を踏んでいた
「り……律ちゃん?スティックは?」
「スティック?あるだろ?」
律ちゃんはおもむろに足を上げだした。足の裏にスティックがガムテープでくっつけてある。
「スティックって手に持つものじゃ……?」
「唯~もうちょい寝てたほうがいいんじゃないのか?手にスティックなんか持ったらどうやって四股踏むんだよ?」
「おかしいでしょ?ねえ、あずにゃ……!?」
私は、この驚愕の事態から目をそむけるように、あずにゃんの方を向いた。
――あずにゃんは、ギターに対して張り手を連発していた
私はこの地獄から逃げるように、澪ちゃんを探した。
「ね……ねぇ?澪ちゃんは?」
「澪~?澪なら向こうの部屋に行ったぞ~?」
私は律ちゃんが指さした方向にある部屋へと、全力疾走で駆けて行った。
「ねぇ、みおちゃ……!?」
扉を開けると、そこには
――ベースを四方投げで投げている澪ちゃんがいた
「おお、唯!やっと起きたのか~、本当に心配したんだぞ?」
「み……澪ちゃん、何してるの?」
「何って、ベースのチューニングだよ、昨日やってなかったからな。」
澪ちゃんはそういうと、部屋の出口に行って、律ちゃんたちが居る方を向き、
「おーい!唯も起きたんだし、そろそろやろうよ!」
と叫んだ。逃げようか。
私は、この場からなんとか脱出しようと思い、さっきの部屋へ戻ったが、すぐに考えを改めることになった。
「あら~?どこへ行くのかしら?私も楽器とってきたばっかりなのに?」
……この脳筋女がいたからだ。
「わ……私も楽器取ってこないと……」
「その必要はないわよ?もうこっちにあるもの。」
そういって脳筋女が指さした所を見ると……ギー太が置いてあった。逃げることは出来ないらしい。
「おーい、こっちは準備できたぞ!」
私はいつも通り、ギー太のネックを首に掛け、ギー太を手に持った。
「唯~、そんな持ち方してどうやって弾くつもりだよ~……?」
「あ……あはは、ちょっとしたギャグだよ!」
取り繕うことはできたが、心の中では酷く動揺していた。
どうやって弾けば良いんだろう……
そういえば、澪ちゃんやあずにゃんは手にピックを持ってなかった。どこにあるのだろう?
「あ……あずにゃん?ピックはどうするんだっけ?」
「ピック?ピックですか?ピックは手のひらにくっつけて……って唯先輩?大丈夫ですか?」
「い……いや、念のために聞いてみただけだよ。」
「そうですか?では初めましょうか?律先輩!どうぞ!」
律ちゃんが四股を踏み始めた。
――私たちは今、あの夢の武道館へ来ている。念願の武道館ライブがついに開催されるのだ。私たちはこの日まで10年間必死に活動を続けてきた、その成果がやっと……やっと実るのだ。
「放課後ティータイムさん!そろそろ出番ですよ!」
スタッフさんが呼びに来る。さて、いかなくちゃ!
「唯、澪、梓、ムギ。良くここまで着いてきてくれた。本当にありがとう。」
「律ちゃん~そんなのらしくないよ~!」
「そうですよ律先輩!」
「さて、そろそろ行こうか!」
私たちは、夢の舞台へと進み出した。いや、もうすでに夢などではない、これは現実なのだ。
「こちらです!」
スタッフに誘導されて、舞台袖まできた。柄にもなく緊張している。
「私たちの実力を出し切れば大丈夫ですよ!頑張りましょうね!」
既に満員の観客席からは、雷鳴にも勝る激しいラブコールが聞こえている。
「どうぞ!」
スタッフの合図で私たちはステージへ飛び出す。ちなみに、楽器のセッティングは既に済ませてある。
「どうも~!放課後ティータイムで~す!」
ヒートアップしていた観客席から、更に熱い熱気が漂ってきた。
「じゃあ、1曲目、聞いてください!Sikohume!GIRLS!」
律ちゃんが目配せしたあと、四股を踏み始める。
――そう、夢の舞台はこれからなのだ
<終了>