伊吹萃香もどきが行く   作:葛城

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ああ~生き返るわ~(エアコン)
さすがに37℃は体に堪えるぞ。でも、ポッチャマは知っているゾ。こうしている今も、皆はこういう話を執筆してくれているってことを……迫真空手部の絆を、ポッチャマは信じているゾ


ウチも、やったんだからさ……みんなも、こういう感じの話を投稿してくれよな~頼むよー(懇願)



第五話:謎の強盗たちと鬼娘

 

 

 

 自然保護の観点から、人の手が全く入っていない道を歩く二つの影。お世辞を入れてすら歩き難い場所だと断言される自然の中で、金髪少女のビスケと、コンテナを掲げたまま歩く彼女。

 

 傍目から見れば異様としか言い表せられない奇妙な組み合わせに、野生の獣も怯えているのかもしれない。幾度となく首を傾げて周囲を見やるビスケを他所に、彼女は鼻歌混じりにビスケの後に続いた。

 

 どすん、どすん、どすん。そうしてから、幾しばらく。手伝おうかと差し伸べられたビスケの手を笑顔と共に払いつつ、コンテナを掲げたまま歩くこと、幾しばらく。

 

 目的地までは数十分の距離だが、黙って歩くのも退屈だし息が詰まる。なので、彼女は話題がてら、自らを襲った男たちについて話し始めることにした。よりにもよってそれかよと思われそうだが、致し方ない。

 

 こういう時は芸能人の話だとかニュースの話だとかを話題にするのがベターだが、あいにくと、彼女はその両方とも関心が薄い。うろ覚えな話題から話が広がっても結局黙るだけになってしまうので、彼女としても挙げられる話題はそれしかない。

 

「……話を聞く限り、そいつはかなりの使い手とみて間違いないわさ」

「へ?」

「今更な話だけど、さっき話した割符の件……あなたの話を聞いて確信したわさ。やはり、それらは盗まれたとみて間違いないわね」

 

 結局は、到着するまでの暇潰し。多少ぎこちないことになろうとも、退屈なまま歩き続けるよりはマシだろう。そう思ったからこそ話したのだが、思いのほか食いついてきたビスケの反応に、彼女は目を瞬かせた。

 

 それを見て、何故かは知らないがビスケも思うところはあったのだろう。「……この際だから、もう全部話しておくわさ」少しばかり迷う素振りを見せたが、一つため息を吐いてすぐ、ビスケは自分たちの現状について語り始めた。

 

 そうして聞いたビスケの話を要約すると、だ。

 

 まず、ビスケは確かにプロのハンターだ。しかし、今回の調査団においては正式なメンバーというわけではない。ビスケの仕事はあくまで護衛が主であり、簡単な力仕事も業務上必要なら請け負う……という契約の下、調査団に同行しているに過ぎないということなのだ。

 

 故に、調査の行程については助言こそするが、最終的な判断は調査団の人達が行う。今回の『二本角への依頼』に関しても提案したのはビスケたちだが、依頼することを正式に決定したのはこの調査団の人達である。

 

 なので、依頼書や割符は調査団の者たちが管理しており、ビスケ達はそれらをどのように保管していたかは知らない。盗まれたことが分かったのだって、直前になってだ。

 

 いちおう、食料を始めとしたサバイバルに必要となる物資の最低限の管理は口出しさせてもらったが、それ以外は全て調査団の判断に一任。続行するも撤退するも、調査団が決める。その結果、想定していた以上に苦労する事態に陥っているらしいのだ。

 

 何とも阿呆な話ではあるが、結局は肉体が資本であるハンターと頭脳が資本である学者。互いの常識の擦り合わせ不足から来る不必要な衝突でしかなかったが、特にビスケたちに苦労を強いたのは……依頼主である調査団の無鉄砲さであった。

 

 彼ら彼女らにとって、自らの研究が認められるというのは最上の誉れ。それ故に、その可能性が目の前にあると分かれば、平時であれば見向きもしない賭けに乗り出し、命の保証はないというビスケ達の再三に渡る忠告すらも無視して事を進めようとするのである。

 

 その最たる物が、『二本角』への依頼だ。『魔獣が好む餌』とて、行程通りに事を進めていれば、予め用意していた物だけで事足りたのだ。わざわざ依頼する必要もなく、予定を超過しても10日間は長く滞在出来るように計画していたのだ。

 

 それを、学会に認められるという餌(可能性)に釣られて、賭けに出た。命を天秤に掛けた上で彼ら彼女らは無理を通し、滞在日程の延長を強行したのである。

 

 ビスケ達も、それは危険だと進言はした。何故なら、食料等の問題もそうだが、何よりも不用意な計画の変更は、予測の付かない事態を招きかねないということを経験上知っていたからであった。

 

 しかし、調査団はビスケ達の進言を聞き入れなかった。いや、聞き入れないというよりは、無理をする理由が、無理を押してでもしなければならない理由があった。

 

 何故なら、調査団の目的は『特定の時期にのみ姿を見せる魔獣の生態について』。予定通りであれば何かしらの発見が得られたところなのだが、運が悪いのか……未だ、成果らしい成果を出せないままであるからだ。

 

 調査団の彼ら彼女らとて、酔狂で危険を冒しているわけではない。今回の調査に当たる旅費もそうだが、ビスケ達を雇う費用の大半は、スポンサー……つまり、外部の援助によって賄っている。言い換えれば、何かしらの成果を見せなければ、援助は打ち切られてしまうのだ。

 

 それすなわち、調査団の解散と同じ。志が高かろうが金が無ければどうにもならない以上、彼ら彼女らはやるしかない。ビスケ達からすれば引き返すところでも、追い詰められた調査団にとっては……致し方ない選択であった。

 

 しかし、気力を幾ら奮い立たせても、だ。常人をはるかに上回る身体能力を持つプロハンターであるビスケ達ならともかく、調査団の人達は(こういった調査に慣れているとはいえ)体力的には常人の域だ。

 

 数日間食事を取らなくても平気なように鍛えている者たちに比べて、その消耗具合は激しい。現地調達にしても食用となる生物の数は少なく、また、体力の回復具合一つとっても……遅い。

 

 即刻、撤退するべきだ。ビスケ達は再三に渡って進言したが、それでも調査団はそのまま調査を続けるというのである。『今を逃せば次が何時になるか!』と強く言われてしまい、説得は断念。故に、ビスケ達は条件を調査団に呑ませた。

 

 それは『依頼した物資が来ず、かつ、調査の続行が命の危機に直結するとビスケ達が判断した時点で、調査は終了。全員気絶させてでも強制的に引き返す』というものであった。

 

 ビスケ達からすれば、それは最低条件。本当なら状況に応じて即時撤退を条件にしたかったのだが、今は雇われの身。理不尽な注文であったとしても、出来うる限りは応えようとした結果、そういうことになって今に至る……と、ビスケは話を終えた。

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………いったい誰に同情すべきかは一先ず置いといて、だ。

 

「……まあ、あんたたちがどういう状況に陥っているのかは分かったよ」

 

 しばしの沈黙の後。ビスケの話を頭の中で反芻させた彼女は、でもそれはそれとして、とビスケに疑問を投げかけた。

 

「どうしてそれを私に話そうと思ったんだい? あんたが私を信用しているというのは、あんたの態度や素振りを見ていれば分かる。でも、何故私を信用したのか……まず、それを聞いておきたいね」

 

 信用してくれるのは、単純に嬉しい。しかし、一般的に考えれば、理由もなく一方的に信用されるのは嬉しいを通り越して、不気味さすら覚えるのが普通だ。

 

 何故なら、そういう不自然な信用から生み出されるのはたいてい、嘘に塗れた打算であるからだ。信頼や信用と呼ばれるものを生み出すには、担保が不可欠なのである。

 

 鬼である彼女には分かってしまう。目の前の少女、ビスケは、何一つ嘘を付いていないということを。担保がないのに、ビスケは彼女を心から信頼している。

 

 その事実の理由が分からないからこそ、彼女は尋ねた。それはビスケを疑って……というわけではない。純粋に興味から来る好奇心によるもので、それが例え打算であったとしても良いと彼女は思っていた。

 

「そりゃあ、あんたが気色悪いを通り越して不気味に思えるぐらいに素直だからなのが一目で分かったからだわさ。おまけに相当に強いみたいだし」

「えぇ……」

 

 とはいえ、まさか真っ向から気味の悪いやつと断言されるとは、さすがの彼女も思わなかった。

 

「私自身が嘘つきの捻くれ者だからよく分かるんだわさ。あんたみたいなやつを相手にするときは、良くも悪くも同じぐらいに素直になるのが一番だわさ」

 

 加えて、打算云々を語るよりも前に罵倒されるとは彼女も思っていなかった。いや、これは褒めているのだろうか。いまいち分からない彼女が真意を尋ねれば、「そのまんまの意味だわさ」同じ言葉を返された。

 

「経験上、あんたみたいな手合いは常人よりもずっと心が広い。でも、だまし討ちとか相手を罠に掛けたりして状況を有利にする行為を人殺しよりも嫌悪する。他人に対して絶対的に正直であることを強制する、性質の悪いタイプだわさ」

「ああ~……否定できない」

「ほら、こうして私の言葉を一切否定もせず誤魔化しもせずに肯定するあたり、まさにソレだわさ。付け加えるなら、そういうやつは得てして勘が鋭い。それこそ、余計な小細工を使わず本能的に察知してしまうぐらいにね」

 

 ジッと、ビスケは彼女を軽く睨んだ。

 

「『嘘』と『秘密』は似て非なるものだけど、秘密はたいてい嘘を纏ってしまう。だから、あんたには素直に話すのが一番。そう思ったから、私は包み隠さず話そうと思ったんだわさ」

 

 ――下手に『嘘』だと判定されて、敵意を持たれたら物凄く面倒だし。

 

 そういってビスケは深々とため息を吐いて、これでこの質問に関してはお終いと話を打ち切った。

 

 それを見て……考え出したら坩堝に嵌りそうだ。ひとまずそう己を納得させた彼女は次いで、もう一つの疑問に話を移した。

 

「それじゃあ、どうして私に頼んだんだい? 私のことを知っていて教えたのなら、私がどういう仕事をするかは分かっていただろう?」

 

 それも、彼女からすれば当然な疑問であった。

 

 何故なら、彼女に頼めばほぼ確実に依頼した荷物を届けてはくれるが、受けるか受けないかは彼女の気紛れによるもの。達成率こそダントツだが、『二本角』を知っているのであれば、今回のような緊急性の高い状況で依頼なんぞしないはずだからだ。

 

 実際、窓口であるマフィア・コミュニティから彼女に依頼が届くまでのタイムラグと、実際に彼女が依頼を承諾するまでのタイムラグと、現地到着までのタイムラグを合わせれば、相当に時間を必要とする。

 

 全てが最速で行われたとしても、だ。依頼のリストアップやら何やらを纏めて彼女の下に届くまで、2日。タイミング良く彼女がソレに目を通し、承諾された依頼の物をマフィアが用意するまで、半日から数日。そこに、ここに到着するまでの時間を入れれば……最短でも七日は掛かる。

 

 今回、彼女がこの仕事を引き受けたのだって、偶然だ。気紛れで彼女がリストに目を通した際、目に止まっただけのこと。たまたまソレが期日内であっただけで、優先的にこの仕事を選んだわけではない。

 

 それらを踏まえたうえで言うなれば、ビスケたちは『明日必要となる物を七日後に届くかも分からない』ようにしたのだ。今回は実際にタイミング良く彼女が目を通し、すぐに依頼を受注した形にはなったが……それは結果論。

 

 危険な場所に運んでくれる『運び屋』の数が限られているとはいえ、だ。『運び屋』は何も彼女だけではない。それこそ、金さえ積めば即日配達即日到着を可能としている『運び屋』は実際に存在している。

 

 相応の金額を要求されるが、今を逃してなるものかと豪語する依頼主に、仕事に取り掛かるのが遅い(一度取り掛かれば早いが)『運び屋』をわざわざ選んで教える……その理由が、彼女には分からなかった。

 

「そりゃあ決まっているわさ。あんたが依頼を受けないで、私たちが依頼主を気絶させて撤退する。そうなってほしいから、あんたのことをギリギリになって調査団に教えたんだわさ」

「――えっ」

「でなければ、『二本角』に依頼なんかしないわさ。まあ、あまり褒められたやり方ではないわね。でも、どうせなら成功してほしいとも思っていたから、到着してくれた点については有り難いのは事実だわよ」

 

 だから、当の相手からそう言われた彼女は……ぽかん、と目を瞬かせる他なかった。対して、ビスケは何ら気にした様子もなく、「それに、そういう『運び屋』は完全前払い制だから、教えたってあいつらには料金を払えないわさ」軽く伸びをしながらあっけらかんと答えた。

 

 ……ぶっちゃけてしまえば、だ。

 

 ビスケ達は既に今回の仕事に見切りを付けているらしく、『二本角』である彼女を呼んだのは、つまるところ延長をさせないように仕組んだ事だとビスケは続けた。

 

「私個人としては、あの人たちの志は尊重するわさ。でも、ソレとコレは別。仕事して欲しいなら金払え、金が払えないならそこでお終い。プロを雇うってのは、そういうことだわさ」

 

 正論だ。そう、率直に彼女は思った。

 

「今回のように、依頼主の仕事達成によって得られる金銭を当てにしていた場合は、もう色々と最悪だわよ。場合によっては逆切れして誤魔化したり裁判起こしたりするから、普通ならさっさと見捨てて帰るところを、こうして残ってあげているだけでも感謝して欲しいところだわさ」

 

 ――まあ、その場合は文字通り二度と表社会に出られない身分へと法的に堕としたうえで搾り取るけどね。

 

 けけけ、と可愛らしくも恐ろしげに笑みを浮かべるビスケは、そのままぽんと地を蹴って……十数メートルの川を飛び越える。見た目とは裏腹に、ビスケもまた大概な身体能力のようだ。

 

 数歩遅れて、彼女もしゃららんと鎖を鳴らしながら跳ぶ。1トン近いコンテナを掲げているとはいえ、その程度は重しにもならない。どずん、と地面を陥没させながらも気楽な様子で歩き始める彼女に、ビスケは呆れた様子ではあったが……話を続けた。

 

 いや、話というよりは、それはもう愚痴であった。

 

 出会って間もない相手をそこまで信頼してくれるのは嬉しいが、聞いていてあまり気持ちの良いものではない。しかし、そういう気持ちは『彼』を通じて理解していた彼女は、黙って愚痴を聞き続け……その最中にて、彼女はビスケについて考える。

 

(嘘つきでひねくれ者……ねえ)

 

 確かに、ビスケは嘘つきだろうと彼女は率直に思った。何がどう嘘を付いているのかは分からないが、分かる。鬼としての本能が、ビスケはこの場において何一つ嘘を吐いてはいないが、自称している通りなのだろうと察してしまう。

 

 けれども、彼女はビスケに対して特に何か思うところはなかった。何故なら、それでもなお出来うる限り誠実であろうとしているのが、何となくだが分かったからだ。

 

 ビスケからは敵意や悪意といった感情が伝わって来ない。伝わってくるのはあくまで、未知の相手を前に情報を集める狩人の如き感情。そして、小さな打算だけ。でもそれは、こういう荒事においては致し方なく、まだ彼女にとっては許容範囲であった。

 

 見た目もまた、そうだ。見た目と中身が一致しない相手とは何度も応対したことはあるが、やはり見た目は大事。『彼』の部分としてもそうだが、嘘つきでひねくれ者ではあっても誠実に振る舞う相手を前に……彼女は、悪感情を持てなかった。

 

 いや、むしろ逆だ。気づけば、ビスケに対してある一定の好意すら覚えているのを彼女は実感し、必要なら仕事を手伝ってやろうかという思いすら抱き始めているのを認識していた。

 

 何故そうまでビスケを信用するのか。

 

 それは単に、ビスケが強いというのが感じ取れたからだ。鬼としての本能のおかげか、ビスケが相当の実力者であるというのが何となく分かる。そんな人物から誠実な態度を取られれば、むしろ好感情を覚えるのは鬼として当然であった。

 

 なので、彼女はあえてビスケの嘘(というよりは、秘密か?)を突こうとはしなかった。

 

 それよりも気になるのは、そのビスケが撤退するよう強く進言したという先ほどの話。おそらく、物資以外の別の理由があるのだろう。

 

 そちらに目を向けた彼女は、半ばダメもとで尋ねてみた――。

 

「ああ、それ? それならさっきの件……無くなった割符や依頼状に話が繋がるんだわさ。というか、元々それを話そうと思っていたんだわね」

 

 ――すると、拍子抜けするほどあっさり、ビスケは教えてくれた。

 

 実は……ビスケを含めた護衛達。紛失した割符等の問題とは別に、この『危険地区』に足を踏み入れる少し前から、何処からともなく注がれる妙な視線を感じ続けていたのだという。

 

 最初は獣のソレかと思ったが、それにしてはあまりにしつこく、常に一定の距離を保ち続けている。こちらから『脅し』や『威嚇』を掛けても反応はなく、絶えず付き纏う視線。加えて、割符や依頼状まで紛失となれば……ヤバいとビスケ達は思ったらしい。

 

 というのも、ビスケ達が『危険地区』に滞在しているのはかれこれ数十日だが、その間一度として視線を感じなかった時がない。それすなわち相手は複数か、あるいはそれだけの間、気力を保ち続けることが出来る実力者に他ならない。

 

 ビスケ達がやってきたのは、あくまで対猛獣(魔獣)を想定した護衛体制だ。人間への対処も出来なくはないが、想定外なのは同じこと。

 

 それを抜きにしても、ビスケを含めた護衛たちは常に調査団の傍にいた。つまり、割符等を盗んだ奴らは……それらを掻い潜って、誰にも気付かれることなく事を成したということになる。

 

 ビスケ達が執拗なまでに撤退を進言した一番の理由が、コレであった。

 

 さすがに四六時中監視していたわけではないし、夜間にもなれば昼間よりも周囲への索敵範囲は狭まる。それを踏まえたうえで、何時、何処で、どのようにして盗み出したのか……それが、全く分からないのである。

 

 それだけでも、相手が相当な手練れであることを示唆している。加えて、その目的が見えないうえに、何者なのかも分からない。だが、相手側は常にこちらの動向を監視し、情報を得ている。その事実に気付いた時のビスケ達の驚愕ときたら、相当なものだ。

 

 ビスケ達だけなら幾らでもやり方を変えられるが、護衛対象を抱えたままでは不可能。だからこそ、ビスケ達は何度も何度も撤退を提案したのだが……無視された、というわけである。

 

「阿呆らしい話だけど、調査団の人達は私たちの話を全て撤退させる為のでっち上げだと思い込み始めているみたいでね……不審な気配があると話したら、それを確認するのが護衛の仕事だろと来たもんよ」

「……いや、仕組んだのは事実でしょ?」

「結果的には御破算したからいいのよ」

 

 被害が割符等の紛失だけというのがまた、調査団の不信を仰いでしまったようで。護衛する側としてはどうかという話だが、一人二人負傷する事態になったなら納得したかもねと零したビスケの顔には、苦笑の色がはっきりと浮かんでいた。

 

「それで、その監視しているやつらを確認しには行かないの?」

「それは下策よ。相手の構成員はおろか目的もはっきりしないのに、こちらから打って出るのはリスクが多過ぎるだわさ」

「ふーん、そういうものか」

「そういうもんよ……ほんと、割に合わない仕事だわよ」

 

 そう、ビスケは吐き捨て、小石を蹴っ飛ばした。かつかつかつん、と転がって傍の茂みに入る。直後、成人男性を大きく上回るサイズの熊が顔を覗かせたが、「あぁん!?」可愛らしい顔立ちからは掛け離れたビスケの眼光に、熊は可愛らしい悲鳴を上げて茂みの向こうへと消えた。

 

 熊を眼光一つでビビらせる金髪少女……は、まあ置いといて。ビスケは、よほど鬱憤を溜めているのだろう。怒りを露わにして歩調が荒くなっているビスケの後に続きながら、彼女も苦笑を零したのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そんなふうに、のんびり後に続く彼女は気付いていなかった。背を向けて前を行く当のビスケが、どんな表情を浮かべていたかということに。

 

 今の今まで彼女に見せていた不機嫌顔はもう、そこにはなかった。あるのは、僅かに滲んだ脂汗を額に浮かべた、緊張に強張った顔。全身の末端にまで広がっている緊張を歩きながら慎重に解しつつ……ビスケは、軽くため息を零した。

 

 そう、彼女は気付いていなかったが、ビスケは気力を振り絞って平静を装っていたのだ。表情一つ、所作の一つに至るまで彼女は徹底的に演技をし続け、彼女の……『二本角』の性質を読み取り続けていたのだ。

 

 ――何故そんなことをしたのか。

 

 それはビスケ自身、上手く言葉に言い表せられないことであったが、強いて言葉を当てはめるとするならば……危機に対する本能。そう、ビスケは彼女に対して、強い怖れを抱いたのであった。

 

 いったい、何がそこまでビスケに危機感と怖れをもたらしたのか。それは単に、昔に教えられたとある話が関係していた。

 

 ……ビスケット・クルーガー。そう名乗って簡単な自己紹介をしたビスケだが、彼女に対して話していないプライベートなことが幾つかある。

 

 それは……ビスケが、『心源流』と呼ばれる流派の門弟であるということ。その流派において師範の位置に就き、大勢のひよっこ共を育て上げた凄腕の達人であるということ。

 

 その心源流はかつて彼女(伊吹萃香)と戦った男……アイザック・ネテロが総師範を務めていた流派であること。そして、彼女は知る由もないことであったが、実はビスケはネテロより『彼女』について幾つか話を聞いていたこと……であった。

 

 とはいえ、ビスケも詳細に『彼女』について聞いたわけではない。

 

 あくまで、そういう存在がいるということ。『彼女』に敵意はなく、放っておけば良いということ。不用意に喧嘩を売らなければ何もしてこないということ。『彼女』の存在自体が『V5』にて極秘とされた監視対象であるということ。

 

『彼女』について教えられたのは、この四つだけである。

 

 なので、名前・年齢・性別もそうだが、『彼女』がどんな姿をしているのかをビスケは知らない。その拳は大地を砕き、灼熱の中ですら活動する怪物という、ふわっとしたイメージでしか捉えておらず、今の今まで記憶の底の隅っこに捨て置かれて忘れられていた程度のことでしかなかった。

 

 無理もない。何せ、ビスケがネテロよりその話を聞いたのは、かれこれ20年は昔のことだ。独自に調べはしたが、国家機密ランクAAA(トリプルA)に属される情報であるということが分かり、手を引いてから……それだけの時間が流れている。

 

 当然、『二本角』が『彼女』であることをビスケは知らなかった。ビスケが知る『二本角』は、先ほど彼女に話した通り、それ以上もそれ以下もない。名が知られるぐらいだから相応の実力は持ち合わせているだろう……その程度の認識しかなかった。

 

 だからこそ、彼女を目にした瞬間のビスケの驚愕と来たら、言葉で言い表せられるものではなかった。

 

 例えるなら、人の形をした巨大な山脈だ。雲を突き抜け、星の外へと届く程の巨大な山を、そのまま人のサイズにまで凝縮し、それが動いて活動している存在。

 

 ビスケが彼女に対して抱いた率直な感想が、それだ。存在感……そう、存在そのものが根本から異なっている。そんなやつを前に、表面上だけでも平静を保てたのは我ながら感嘆ものだと、内心にて自画自賛したぐらいであった。

 

(あんの糞爺……まさか、こんな怪物とやり合ったってーの? 同じ穴のムジナとはいえ、正直引くわさ……)

 

 昔は『最強』を目指して遮二無二突っ走っていたが、それはあくまで昔の話。現在はストーン・ハンター(宝石を始めとした鉱物を主に探究するハンターのこと)として活動しているし、そもそも今は護衛の内の一人として雇われの身。

 

 なので、強い相手を見つけたからといって手合せをしようとかはビスケは考えていない。さすがに、相手の迷惑を無視して突っ走れるだけの若さがもう、ビスケにはないからで……若かったとしても戦うかと問われれば微妙なところだが……まあいい。

 

 しかし、だ。ビスケ自身はあまり良くは思っていないが、根っ子は未だ武道家のソレであった。応対した相手を観察し、総合的な戦闘力を経験から推し量り、敵か味方かを判別する前に、勝てるか否かを判断するという癖が未だに残っていた。

 

 その癖が……かつてない程明確に、それでいて力強く判断したのだ。こいつとは戦うな、敵対するな……と。

 

 だからこそ、ビスケは己が培ってきた経験と勘を総動員させて注意深く観察した。裏表はあるが、どこまでも明け透けで自然体のままに行動している節が見られた彼女の性格と性質を読み取り、何気ない会話を交えつつも、彼女を把握することに全力を注いだ。

 

 その結果、分かったことが四つと、得た物が一つ。

 

 分かったことは、彼女の性質は悪ではなく、どちらかといえば善であるということ。自分に対しても他人に対しても異常なまでに正直であることを強制すること。

 

 しかし、拒否したり嘘を吐いたりしたからといって即攻撃、即敵対はせず、ある程度は許容してくれるということ。そして、本能的レベルで相手の嘘を見破るということ……この4つ。

 

 そして、得た物は……彼女からの信頼であった。

 

 何が彼女の琴線に触れたのかは分からないが、少なくとも好意に近い感情を向けられている。これは山積みされた札束よりもずっと価値があるとビスケは思った。

 

(上手く事は運んだけど、寿命が縮むとは、このことだわさ……帰ったらエステ行って飲みに繰り出さないとやってられないわよ)

 

 とりあえず、ビスケはそう己を慰めつつ、背後より感じ取る彼女の気配に細心の注意を配りながら、ビスケはまた軽く息を吐く。川を飛び越えた手足の感触から、肉体に溜まった疲労は戦闘に支障が出ない程度に回復しているのは把握出来た。

 

 ……さあ、ここから先、どうしたものか。

 

 後ろを歩く彼女に愚痴を零しつつ、頭は冷静に思考を巡らせる。彼女に話したことも、まだ話していないことも含めて、改めて現状を顧みたビスケは頭を働かせた。

 

(『二本角』が来た以上は、即時撤退は無理。まあ、ここまで来たら最後まで面倒見てやりたい気持ちもあるから、それは良い。そういう巡り合わせだと思って諦めよう)

 

 でも、問題なのは……奪われた割符の件……いや、少し違う。ビスケの思考の網に引っ掛かったのは、割符そのものではなく、奪われたという事実……ソレであった。

 

 自慢ではないが、ビスケは己の実力はハンターの中では相当なものだと位置付けている。さすがに最強を自称するほど自惚れてはいないが、それでも上位には位置しているだろうと思っている。

 

 それ故に、割符が無くなったと知った時、ビスケが最初に考えたのは……メンバーの中に紛れたスパイの可能性であった。

 

(学者なんかの研究成果を専門に盗んだり隠ぺいしたりするやつらがいるってのは聞いたことあるけど、仮にそいつらだとしたら……何故、割符を盗む?)

 

 腑に落ちない……ビスケは首を傾げた。

 

(わざわざ私たちがいる時を狙わなくても、契約を終えて別れた後を狙えばいいのに……そもそも、それが狙いなら現時点では何の成果も出ていないのは掴んでいるはず。ここで『二本角』を妨害したら、そいつらにとっても損にしかならないのに、なぜ……?)

 

 まだ誰にも話していないが、可能性としてはスパイが一番高いとビスケは思っている。何せ、彼女を襲った何者かが、その紛失したはずの割符を持っていたからだ。

 

(私の警戒網を掻い潜って盗み出すだけの実力がありながら、当の私を一切無力化しない。それどころか、無関係の運び屋を優先的に襲う――意図が読めないのは気持ち悪いわね)

 

 落ちていた割符をたまたま拾い、偶然にも待ち合わせ場所にて鉢合わせした。そんな偶然、まず起こりえない。護衛たちの内の誰か……あるいは、調査団の誰かが手引きしたと考えた方が妥当だろう。

 

 ……だが、しかし。

 

 仮にスパイが紛れているとして、その目的は何だろうか。金や物品が狙いならば相手を間違えているし、研究成果ならばタイミングを間違えている。狂信的な博愛主義ならば……やり方がまどろっこしい。

 

 金や物品ではなく、成果でもなく、思想ですらない。何だろう、謎かけだろうか。だが、何かがあるはずだ。そのどれもに当てはまらない、相手にとってはこれ以上ないぐらいに魅力的な何かが……はて、待てよ。

 

(……そういえば、魔獣の調査ってぐらいしか話を聞いていないけど、いったい魔獣の何を調査しているのかしら?)

 

 それは、唐突であった。袋小路に入り掛けていたビスケの思考がするりと、『敵』から依頼主である調査団へと動いた。

 

(考えてみれば、いくら今回の調査に大金が掛かっているとはいえ、こうまで強行して調査を続行しようとするのは何故かしら?)

 

 学者のやることだからと思って見過ごしていたが、改めて目を向けると不自然な点が他にもあることにビスケは思い至る。例えば……護衛として雇った人たちの人選もそうだ。

 

(雇用条件はたしか……『魔獣100体以上が襲って来ても返り討ちに出来る者』だったわね。ずいぶんと吹っかけた条件だわと思っていたけど……もしかすると、今回のような事態を想定していた……?)

 

 腕っぷしの強さを雇用条件とする依頼は、そう珍しいものではない。いや、むしろ逆だ。一般人にとっては馴染みがないので驚くだろうが、こういった危険な場所に赴く際の護衛条件に『強さ』を入れるのは当然のことであった。

 

 確かに、ビスケはハンターの中でも上位に位置する実力者だ。強さを第一条件としたならば、けして間違った人選というわけではない。しかし、魔獣を始めとしたそっちの分野は素人に毛が生えたようなものでしかない。

 

 ただ追い払うだけなら、得意だ。しかし、今回は魔獣の調査だ。悪気なくやった行為が目的の魔獣に……場合によっては、調査そのものに影響を及ぼしかねないことをしたとしても、ビスケには分からないのだ。

 

(どうせ雇うとするなら、猛獣や魔獣だけでなくサバイバルにも精通したビースト・ハンターなどを雇うのが普通。わざわざ畑違いのプロハンターを雇うメリットは何かしら?)

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………駄目だ、分からない。そもそも、ビスケはこういったことは得意ではない。とりあえずは保留という形で疑問を捨て置くと、次いで、ビスケの思考は……背後にいる彼女へと向いた。

 

 単純に、彼女が付いて来てくれるのはビスケにとっては有り難い。最初はこんな怪物と連れ添うのかと思ったが、見方を変えればかなり楽なことにも気付く。

 

 考えてみれば、彼女がやらなければ、コンテナを運ぶのはビスケの仕事だ。出来ないわけではないが、そんな重労働なんて真っ平御免だ。なので、運んでくれるという点においては、素直にビスケは感謝した。

 

 おまけに、彼女の存在自体がある種の威嚇になっているのだろう。テントがある場所まで数回ぐらいは魔獣に遭遇すると思っていたが、今の所遭遇したのは……あの一度きり(しかも、ただの獣だった)だ。これも、楽が出来ているので正直に有り難い。

 

 後はこのままコンテナを運んで、それでお終い……という感じで終わるのだろう。彼女もそう思っているのかは分からないが、流れとしてはそうなるだろう。

 

 けれども、それでは勿体無いともビスケは思った。

 

 付け狙う相手の目的は読めないが、この場合においての彼女はまさしく異分子(イレギュラー)だ。想定していない第三者……プラスにもマイナスにも傾く天秤となり得る存在。

 

(……上手くいけば儲け物だわね)

 

 チャンスは一度きり。二度目は相手も警戒してボロを出さなくなる。だから、警戒心が薄い初回に賭ける。そう結論を出したビスケは、彼女へと振り返りながら……人知れず、覚悟を固めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……案内された調査団の滞在地は、草原の真っただ中にぽかりと開かれた土肌の上。少しばかり他所よりも盛り上がった丘の上に、依頼主である調査団(と、ビスケの仕事仲間に当たる護衛たち)の姿があった。

 

 一目で、調査団の学者たちとそれ以外の見分けはついた。

 

 体格や恰好もそうだが、気配が違う。片や机上に並べられた資料を前に戦う者、片や暴力や欲望を前に立ち向かう者。どちらかが優れているというわけではなく、その世界に生きる者特有の気配と目つきをしていたからであった。

 

 護衛を務めるだけあって、ビスケの仲間たちは誰もが只者でない雰囲気を醸し出している。これはそこらの猛獣は近寄らないだろうなあ、と彼女が思うぐらいに、その気配は独特であった。

 

 そんな学者らの傍に立ち並ぶテントは全て長方形であり、数は三つ。調査団が二つと、護衛たちが一つ。大きさは同じだが、まあ、報酬が低いと聞いていた辺り、そこらへんも削ったのだろうということは想像がついた……あっ。

 

 ふと、学者たちを守る様に取り囲んでいる護衛の内の一人が、彼女の方に視線を向けた。いや、どちらかといえば彼女ではなく、仲間のビスケにかもしれないが、とにかく彼女たちに気付いた護衛たちの内の一人の男が向かってくるのが見えた。

 

 ……どうしようか。

 

 そう思って隣を見やれば――

 

「あ、そうそう。突然で悪いんだけど、今からあんたのことを利用させてもらうわよ」

 

 ――そう、言われた。利用……嫌な言葉に少しばかり思うところはあったが、素直に話してくれたことに苛立ちも消え、代わりに好奇心が湧いてくる。

 

「構わないけど、何をさせるつもり?」

「大したことじゃないわさ。ちょっと、嘘つきな蛇をあぶり出すだけだわさ」

「……嘘つきな蛇?」

「そうよ。おそらく、護衛たちの中に内通者が紛れ込んでいると思うの。あんたには、それを炙り出してほしいんだわさ」

「色々と気になる点はあるけど、まずさ……どんだけあんた達は互いに疑心暗鬼になってんの?」

 

 いったい、どういうことなのだろうか。

 

 そう思って尋ねれば、「ちょっと、ここで待っていて」ビスケはそういって駆け寄ってくるその男の下へと向かった。結果的に焦らされる形となった彼女は、ふむ、とビスケ達から……その奥にいる学者たちに目を向けた。

 

 遠目からなので正確には分からないが、何やら忙しないのが見て取れる。魔獣の研究……をしているのだろうか。『研究』には漠然としたイメージしか持っていない。

 

 薬品なんかの研究ならばある程度イメージできるが、魔獣の研究とはいったい何をするのだろうか。やっぱり……解剖したり食べたりするのだろうか。

 

 今の今まで興味を持ってはいなかったが、むくむくと好奇心が疼くのを彼女は実感した。と、いった辺りで、ビスケから手招きされた。男はまた元の場所に戻ってゆく……どうやら説明は終わったようだ。

 

 手招きに従って向かえば、一斉に護衛たちの視線が注がれる。敵意ではない。しかし、友好的というわけでもない。歓迎はしつつも警戒心が見え隠れする視線の中を進んだ後、ほいっ、とコンテナをテントの隣に下ろした。

 

 ん~……数時間ぶりに荷物を下ろした彼女は、ぐりぐりと肩を回した。特に疲れたわけではないが、気分がそうさせる。じゃらじゃらと身体から伸びる鎖が音を立てる。大きく吐いた溜め息と共に脱力した彼女は、改めて……己を見つめる者たちを見やった。

 

 この場で確認出来るだけの人数は、4人。ビスケを除けば3人で、女性が二人に男性が一人。眼鏡を掛けた黒髪ボインな女性と、青い髪をポニーテールのように纏めた女性と、金髪碧眼の優男。この優男は、先ほどビスケに真っ先に話しかけにいったやつで……といった具合の三人であった。

 

 ……何だろう、場違いという印象を最初に覚える。まあ、ビスケの例もあるし、そもそも己とて見た目は少女と幼女の中間みたいなものだ。一般人みたいな姿であっても、特に思うところはない。

 

 考えてみれば、ビスケなんて外見だけなら御嬢様だ。こんな砂埃だらけの野生溢れる場所でバチバチやり合うこともあるなんて、初対面の者なら笑い飛ばすぐらいに場違いに思うぐらい……話を戻そう。

 

 それよりも、だ。彼女の興味を引いたのは、ビスケ以外の護衛たちの実力であった。

 

 はっきり言ってしまえば、強いのだ。正確にいえば、強いというのが何となく分かる。だが、分かるからこそ……違和感に彼女は首を傾げた。

 

 例えるなら、ライオンが仮面を被って狸のフリをしているかのようなものだ。ビスケも似たような印象を覚えたが、ビスケのライオンはある種の清々しさというか、悪意というものを感じなかったが……この三人は違う。

 

 一言でいえば、へばり付くような悪意だ。ヘドロの底、澱み、言葉には言い表し難く、何かに例えるにも難しい汚濁。そんなモノに長年身を浸していたかのような……そんな印象を、彼女は三人に覚えた。それは、『彼』の部分でも同じであった。

 

 いや、むしろ、『彼』の部分は三人に対してより強くそれらの印象を覚えた。もはやそれは嫌悪感すら覚える程であり、珍しく『伊吹萃香』の部分がストッパーになるという不思議な状態にすらなっていた――と、いうか、だ。

 

(……こいつら、もしかしなくてもあの三人の仲間じゃね?)

 

 漠然としながらも、どこか確信にも似た直感を覚えてしまった彼女は、しばし言葉を失くしていた。

 

 それは、恐怖から来るものではない。純粋に、彼女は驚いていたのだ。例えるなら、通勤途中で遭遇したマナーの悪い男が、その日の取引先相手だった……といったところだろうか。

 

 視線に潜む悪意だとか、滲み出る何かだとか、明確な根拠としては弱いのだが、どうしてだろうか。どうも眼前の3人が、あの3人とは無関係には思えない。むしろ、仲間だと考えた方が色々としっくりくる。

 

「……あの、俺たちが何か気に障るようなことしたかな?」

「いや、何も」

「……あ、そう」

 

 辛うじて表情には出さなかったが、雰囲気には出てしまったのだろう。何処となく困った様子の優男と、何処となく警戒心を見せ始める青髪の女性を尻目に、彼女は深々と……それはもう深々とため息を吐くと、ビスケへと視線を向ける。

 

「護衛って、この3人だけ?」

「他にも何名かいるけど?」

「この調子だと、あんたを除いた全員かもね」

「――嘘でしょ?」

 

 1オクターブ低くなった声。それが地声なのかなと気になりつつも、彼女は素直に答えた。

 

「私が嘘を言うと思うかい?」

「……ああ、もう」

 

 凄まじい説得力に、ビスケは堪らず頭を抱えた。

 

「全員はさすがの私も想定外だわさ……」

 

『あ~、マジか~』、と言いたげに幾分か頬を引き攣らせたが、受け入れたようだ。彼女に引けを取らないぐらいに大きくため息を零すと、「――基礎修行からやり直しだわさ」小走りに依頼主たちのテントへと向かった。

 

 それを見て、訝しむ3人。残された彼女を前に、幾ばくかの警戒心を抱いたのかもしれない。「それじゃあ、俺たちはここで……」そう言って離れようとした3人に、彼女は特に気負うこともなく……尋ねていた。

 

「あんたらってさ、あいつらの仲間?」

「……えっと、どういう意味?」

 

 ――が、主語が足りなかった。

 

 何を言ってんだこいつ、と言いたげな3人の中でも、一番頭が良さそうな感じの優男が苦笑しながら聞き返して来た。気分は、この場を代表して……ということなのだろう。

 

「いや、さ。ここに来る途中、ちょいと襲われてね。何か雰囲気というか、気配というか……似ているんだよね、そいつらとさ」

「その、襲われたとか色々と初耳なのもそうだけど、僕達って初対面だよね? 会って早々言い掛かりを付けられても困るんだけど?」

 

 優男の語気が幾分か強くなる。優男の言い分は、尤もである。事実、3人と彼女は初対面であり、名前すらお互いに知らない。そんな関係で、いきなり強盗犯の仲間と疑われれば、気分を害して当然であった。

 

「根拠はあるよ。なんていうか、臭いが同じなんだよね」

 

 けれども、彼女は気にした様子もなく断言した。「……臭い?」これには優男たちも気になったのか、衣服の胸元を捲って己の臭いを確認し始める。特に女性陣の反応は顕著であり、少しばかり距離を取るぐらいであった。

 

 まあ、不穏な気配を放っているとはいえ、『女』であることには変わりない。一般的な女性よりも平気なのかもしれないが、女であることを完全に捨てているわけでは――ん?

 

 日影が差したと認識すると同時に、背後に気配を覚えた。おまけに、臭いも。何だろうと振り返れば、己を見下ろす毛深い大男と目が合った。

 

 大男は、縦にも横にも一回り以上大きかった。つい数時間前に遭遇した(彼女の感覚では、アレは襲われた内には入らない)大男よりも、腕も胸も足も大きい。

 

 だが、デブではない。丸太が可愛く思えるぐらいの、太い手足。傍目からでも発達しているのが分かるぐらいに隆起した筋肉はともすれば威圧感を与える程で……その、彼女の頭よりも大きな拳が静かに振り上げられ――。

 

「……なーんか、前にもこんなことがあったような――」

 

 ――そう呟いたと同時に、どでかい拳が頭部へと一直線に落とされた。ごどん、と。拳と頭部が奏でたとは思えない重苦しい打突音が響くと共に、彼女の足元がひび割れ、地面が砕かれる。当然、直撃した彼女の身体は、その威力に従って……地中の中へと押し込められた。

 

 臓腑の奥底にまで響き渡るほどに、振り下ろされた拳は凄まじいの一言であった。常人であれば地面にめり込む前にミンチ肉になっている程の衝撃。それをまともに受ければ、絶命は必至である。

 

 当然、彼女に一撃を落とした大男……の仲間である3人も、その威力は知っていた。「――あの子も、始末しないとね」、なので、誰一人彼女の死を疑うことはなく、気安い態度で依頼主の下へ向かった……ビスケを始末しようと動いていた。

 

「……お前たちは先に行け。俺は、こいつを始末してから行く」

 

 ただ一人。彼女に拳を当てた、大男を除いて。「――え?」大男が零した言葉に驚いた三人が振り返る。それは奇しくも、地面の中へと埋没していた彼女が……何の負傷もなく大地を突き破って躍り出た瞬間でもあった。

 

 驚愕に目を見開く3人もそうだが、当の大男もこれには驚いた。何故なら、大男は己の腕力がどのようなモノなのかを誰よりも知っている。手応えから致命傷を与えていないのは察していたが、全くの無傷であるとは考えていなかったからだ。

 

「そーら、お返しだ」

 

 それ故に、反応が遅れた。

 

「――ぐぉ!?」

 

 弾けて飛んだ土砂が降り注ぐ中、軽い調子で放たれる、小さな拳。しかし、轟音と共に繰り出された拳は、反射的に両腕をクロスさせて防御した大男の身体を、「ぐっ、おぅ!?」十数メートル先まで後退させる程の破壊力が込められていた。

 

「――ウボォー!」

 

 ここに来て、ようやく彼女の危険性を理解した3人が一斉に彼女へと迫る。その動きはやはり、護衛ではなく殺しの術。先ほどまで被っていた表の顔はそこにはなく、ただただ冷たくも暗い眼差しだけが変わらずそこにはあった。

 

(……さて、どうしようか?)

 

 しかし、彼女の前では無意味であった。

 

 常人なら腰を抜かすどころか失禁してもおかしくない殺意を一斉に向けられながらも、彼女は何ら気圧された様子はない。トーストに塗るジャムを何にするかという程度の気楽さで、迫り来る前後を待ち構える。

 

 大男……ウボォーと呼ばれた大男を狙うべきか、それとも3人を狙うべきか。頭を振って、角にこびり付いた泥を振り払いながら、考える。まあ、どちらを選んだとしても、彼女にとっては大した違いはなか――ん?

 

 突然、グイッと。いきなり片手が頭上へと引っ張られた。

 

 何だと思って見上げてみるも、そこには何もない。何だ何だと目を瞬かせた途端、今度は残った手足があらぬ方向へと引っ張られ……気づけば、彼女は空中にて大の字に固定されていた。

 

 まるで、蜘蛛の糸に絡め取られた蝶のよう。魔法でも使われたのかと目を瞬かせていると、黒髪の女が眼前に来た。何かを振り上げる素振りを見せ、下した。瞬間、ごつんと脳天に衝撃が走って視界が揺れた……が、それだけであった。

 

 続けて、3人の内の一人……背後へと回っていた優男の攻撃が、延髄にぶち当たった。なるほど、今の攻撃はこの為の布石か。しかし、威力という点ではウボォーの拳には遠く及ばず、延髄であっても全くのノーダメージであった。

 

「――刺さらない!?」

 

 それは、優男自身も分かっているはずだ。なのに、どうしたことか。攻撃が通らなかったにしては、妙に驚いている。刃物でも使ったのかは位置的に見えなかったが、それが通るなら先ほどの拳でも攻撃は通っているはずなのだが……まあ、いい。

 

 何かに拘束された手足を、彼女は無造作に引っ張る。「――この、野郎!」途端、青髪ポニーテールの女がたたらを踏んだ。それを見て、なるほど、と彼女は理解した。

 

(――こいつらも、見えない攻撃をするやつなのか)

 

 それは、『念能力』と呼ばれる超常的な現象をも引き起こす力で、彼女を拘束したのもその力の一つであった。しかし、彼女は『念能力』というのを知らない。かつて、ネテロと戦った時と同じように、ただ『見えない攻撃』という程度にしか認識していなかった。

 

 あれから数十年近い月日が経つというのに、どうして未だ理解していないのか。それは単に彼女自身にやる気がないのと、『見えない攻撃』に対する興味が欠片もないこと。そして、彼女にそれを教えてくれる相手がいなかったからだった。

 

 原理は分からないが、そういうものがある。何をどうやっているのかは見えないし、分からない。だが、彼女が何かを行っている。そして、この拘束は青髪女にも少なからず影響が出る……それが分かれば十分であった――っと。

 

「――うぉぉりやぁあああ!!!」

 

 先ほど殴りつけたウボォーがお返しする、振り下ろされる渾身の右ストレートパンチ。体格に見合う怒号と共に放たれた拳は寸分の狂いもなく彼女の芯を捉え、その身体を大地へと突き刺し……大地を抉った。

 

 その破壊力足るや、ミサイルを優に超えていた。拳が突き刺さった大地を中心として土砂が吹き飛び、地表が砕かれ、クレーターが生じる。発生した衝撃波は周辺に設置されていたテントを軒並み吹き飛ばし、中にいた人間たちを空の彼方へと追いやる程であった。

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうして、舞い上がっていた砂埃が落ちるに連れて。静まり返った最中、クレーターの中から姿を見せた大男……ウボォーは、大きく息を吐いて立ち上がった。

 

 辺りは、酷い有様であった。周辺の草木は根こそぎ消滅し、立ち並んでいたテントは一つもない。小型の核爆弾が落ちたなら、こうなるだろう。無事な場所は一つもなく、常人が傍にいたなら例外なく絶命したであろうことが想像出来る、悲惨な光景が広がっていた。

 

「――ウボォー!」

 

 悠然と佇むその背中に、怒声が浴びせられた。呼んだのは当然、常人ではない彼の仲間である3人の男女。多少なりとも砂埃で汚れている彼らは、振り返らないままの彼に「少しは手加減しろ!」声を荒げた。

 

 彼ら彼女らが怒るのも、尤もな話であった。しかしそれは、自分たちに危険を生じさせる攻撃を行った……というわけではない。怒っている理由は、ウボォーの常軌を逸した渾身のパンチによって舞い上がった、砂埃であった。

 

 と、いうのも、だ。既に分かっていることだが、ここは大自然のど真ん中。率直に述べるならば、身体を洗う入浴設備なんてものはない。せいぜい身体を拭うタオルを温めるぐらいで、基本的には町に戻るまで我慢しなければならない。

 

 その町に戻るのだって、相当な時間を要する。ここから徒歩で数時間かけて入口へ。そこからさらに車で数時間走らせなければ、ホテルがある町まで辿り着けない。それを知っているからこそ、3人はウボォーに対して怒ったのであった。

 

 ちなみに、いくらミサイルと見間違う威力があるとはいえ、だ。3人は、仲間の攻撃で負傷するような馬鹿ではない。完全な不意を突かれる形だったならまだしも、先ほどは狙ってやったこと。あれで怪我をするのであれば、それは怪我をした方が悪いので、その点については誰も気にしていなかった。

 

「やれやれ、お宝を盗るまではこのまま我慢しなくちゃ……」

「…………」

「……どうした、ウボォー?」

 

 けれども、だ。何時まで経っても返事どころか反応一つ返さないウボォーの姿に、3人は訝しんだ。お喋りというわけではないが、こういう殺し合いを終えた後は普段よりも饒舌になることを知っているからこそ、「ずいぶんと無口じゃないか?」今の彼から放たれる雰囲気は異様としか言い表しようがなかった。

 

「もしかして、最初の一撃で倒せなかったのが意外とショックだったとか?」

 

 そういって、優男がウボォーの背中を叩いた。途端、ハッとウボォーギンが振り返った。「……本当に、どうしたんだ?」その反応に驚いた3人を見て、ウボォーはバツが悪そうに視線を逸らしながら謝ると……悔しそうに、ポツリと呟いた。

 

「くそったれ……仕留めきれなかったぜ」

「――は?」

 

 この場にいる誰もが、今の言葉を聞き間違いだと思った。目を瞬かせる3人を他所に、「俺の拳も、まだまだってことだ」ウボォーは心底腹立たしいと言わんばかりに歯軋りをした。

 

「俺の超破壊拳(ビッグバン・インパクト)じゃあ、あいつを殺せなかった。もうここにはいねーみてえだが……あいつ、まだ生きていやがるぞ」

「――え? え? ちょっと待て。仕留めきれなかったって……当てたんだよね? 直前に避けられたとかじゃなくて?」

 

 それは暗に何かしらの念能力を用いたのではないか……という問い掛けであった。「いや、当てた。手応えは確かにあった」だが、ウボォーは首を横に振って否定し……ふん、と鼻息を荒く吹いた。

 

 ……信じられない。

 

 その言葉を呟こうとした優男は、寸での所で堪えた。それは、他の二人も同様であった。

 

 優男たちは、ウボォーが己の力について絶対的な自信を抱いていることを知っている。頭はけして良くはないが、事実を事実のままに受け入れる性格であることも知っている。

 

 そんな彼に対して、下手な慰めは逆効果。この場においてのそれは、頑強な肉体に裏打ちされた自信を虚仮にするにも等しい行為でしかなく、しばらくそっとしておくのが一番だと判断した優男たちは、話題を変えるかのように辺りを見回し……こちらに向かって近づいてくる男を見付けた。

 

 黒髪に黒マントの男の背は、低かった。だが、眼光は鋭く、遠目からでも一般人でないのが見て取れる。まあ、このような場所でそんな恰好をしている辺り、普通なわけがないのだが……まあいい。

 

「――フェイタン! そっちはどうだった!」

 

 呼ばれた男……名は、フェイタン。察しの通り、彼は優男たちの仲間である。呼ばれたフェイタンは、少しばかり小走りになった。近寄ってくるその姿に、優男たちは手を振った……が、その手はすぐに止まった。

 

 何故なら、コートから伸びている片方の腕。その部分のコートが破けており、剥き出しになった腕が……遠目からでもはっきり分かるぐらいに、ぐきりと折れ曲がっていたからだ。

 

「……何があったんだ?」

「後始末しようとしたら、邪魔してきたやつにやられたね」

「邪魔を……あの子か。相当な使い手なのは予想していたけど、予想以上だったか」

 

 自然と、優男の声色は低くなった。それも、彼らにとっては当然であった。

 

 フェイタンは見た目こそ小柄で威圧感に欠けるし語尾に『ね』を付ける変な癖があるけど、ヤクザ1000人掛りで襲って来ても、無傷にて全員の首を落とすだけの実力を持つ。そんな彼の腕がへし折られる辺り、予測が甘かったと優男は思った……だが、しかし。

 

「少し違うね。私の腕を折ったの、あの子じゃないね。あの子は爺共を殺すのを邪魔しただけで、折ったのは別のやつね」

 

 優男の考えていた相手ではなかった。「他にもあの子に仲間がいたのか?」想定していなかった情報に目を剥く優男を他所に、フェイタンは深々と……「さあ、仲間かどうかは知らないね」苛立ちが込められたため息を零した。

 

「ただ、どちらも相手にしたくはない相手なのは確かね。どちらも私では相性が悪い、あれはどちらもウボォー向きな相手ね」

「ふむ……分かった。それで、腕を折ったやつの特徴は?」

「背は私よりも低い、女の子ね。身体に鎖を巻きつけた変な恰好をして……そういえば、角みたいなものが頭に付いてたね。何者かは分からないけど、相当な――」

「いや、そこまででいい」

 

 優男は、フェイタンの説明を強引に打ち切った。その事に機嫌を損ねた様子のフェイタンは眉根をしかめていたが、「一旦、作戦中止だ」優男は構うことなく言い切った。

 

「不確定要素が多過ぎる。理由は追々説明するから、とにかく今は俺の指示に従ってほしい」

 

 そういうと、優男はこの場を離れ始める。青髪ポニーテールの女性も、黒髪眼鏡の女も、その後に続く。納得いかない様子ではあったが、フェイタンもその後に続き……そして。

 

「…………」

 

 最後に、ウボォーが無言のままに後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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