Fate/Lyrical cross ☓はやて【凍結中】   作:貫咲賢希

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第1話 運命の夜

 

 けして消えない記憶があるか?

 

 そう問われれば、自分はきっとあの光景を思い浮かべるだろう。

 ただ、その瞬間だけは静寂に包まれていた。

 本当は、何か響き渡る音があったのかもしれない。

 しかし、周りなど一切気に留めることがなどできないほど、自分は目の前の光景に魂を奪われていた。

 この瞬間、間違いなく自分の中にある世界がそれだけしか認識していなかった。

 どの星よりも、どんな光よりも、温かかく、輝きに魅入ることしかできない。

 目を瞑りそうになる眩い光景を、されど遮ることなく真っ直ぐと見惚れていたのだ。

 手に触れたいとは思わない。ただ、この刹那が永久に続けばいいと想っていた。

 

 ああ、きっと。

 

 自分はその瞬間からこの運命を決めていたのだろう。

 

 

 *

 

 雨が降っていた。

 昼にも関わらず雨雲によって暗く、夜のような静けさもなかった。

 嘗ては季節と共に色を変える天空の下で、多くの人々が騒がしていた王都だった。

 だが、その繁栄に満ちた都は、雨音だけが奏でる寂しげな灰色の廃墟と化している。

 

「ありがとう」

 

 雨音の中、一つの凛とした音が混じった。

 それは女の声だった。

 どこまでも澄んだ、まるで空に羽ばたく小鳥の囀りのような響きは、この場所にあまりにも似つかわしくない。

 嘆きの歌なら映えるだろう。

 絶望の言霊なら胸を締め付けるだろう。

 だが、彼女の声には雲ひとつない青空のように陰り一つがない。

 ゆえに何処までも気高く、変わらず美しかった。

 そこは街の中央にある石畳で作られた円形の広場。平日は入り乱れる人で溢れ、休日なら数多くの出店が立ち並び、祭りでは多くの人が踊り逢瀬した場所。そこが彼女にとってお気に入りだった。

 直接脚を運んだことは数えるばかりしかないが、城から見下ろしたときに映るその光景はどんな空の下でも輝いて、愛おしく思えた。

 

 彼女は王であった。

 

 その愛おしいと思っていた場所が、今は王を含めて五人の人影しかない空虚な場所なり下がったことに、寂しいさや悲しみがないと言えば嘘になるが、それでも彼女は心の底から笑っていた。

 何故なら、王が愛していたのは国という場所ではない。そこにいた民草なのだ。

 戦乱の世。多くの国々が消える中、王の国もその炎に焼かれて消える。

 だが、寸前のとこで民は別の国に亡命を果たすことに成功した。亡命の契約を果たした彼の国は大国。必ずしもこの戦乱の世を抜けて、まだ見ぬ時代まで続くとは限らないが、それでも消えゆく国と共にするよりは遥かに良いだろうと、王が判断した。

 多くの民や、臣下たちが、我が身と共に歩もうとした意思を無理やり捻じ曲げて、王はその決断を下し、実行した。

 

「本当に、今までありがとう」

 

 見ればきっと誰もが目を奪われるような眩しい笑顔で、彼女はもう一度、礼を言った。

 他の民が彼の国に亡命する際、敵対国からその命を守るための時間稼ぎ。

 その殿を務めることが王であった。無論、王が民を愛したと同様に、王を愛していた民は残ると決意した。

 しかし、最後には断腸の思いで納得させるまでに至った要因が王の目の間にいる彼等だった。王が感謝の念を送っているたった四人こそがその要因だった。

 四人は王と共に星の数を思えるような戦に赴き、大業を成した。

 むしろ、王と彼の者等を共に在ろうとすれば足手纏いの可能性すらあろう。

 それは紛れもない事実であり、彼の者等と共にすれば、必ずや王は我々と後を追ってくれる。新天地で明日の空を共に眺められる。それが決して叶わないと願いであったとしても、民は祈り、願い、信じて、四人に王を託した。

 四人は大勢の人々にそのような夢想を魅せ、納得させるだけの英雄だった。

 四人がいなければ、未だに多くの民や兵が残り、最悪全ての民が死んだかもしれない。

 

 ゆえに、王である彼女は幾度もこの気持ちを伝えても飽き足らぬほどに感謝の念が溢れていた。

 君たちのおかげで守れた命があったのだと。心から感謝していた。

 

「そして、お前は独りで行くのか?」

 

 彼女ではない別の女の鋭い声がまわりに響く。

 王以外で女性なのは彼女だけで、あと残っている者は男である。

 そして、これは何度もしたやり取りでもあった。

 

「うん」

 

 だからこそ、すぐに王は返答し、女は苦渋の色でその美貌を歪ませる。

 分かっていた言葉ではあったからこそ、女は暗い感情を隠し切れない。

 これから、王と四人は戦いに赴き、その果てに王は命を落とし、四人も消えるだろう。

 

 だが、王にはその先があった。

 国を失い、民を守った王には一つだけ心残りがあった。

 

 その心残りに道連れなどいらない。

 最初は目の前の四人も共に歩もうと意思を示したが、断固として拒否する。

 四人はこれから赴こうとする戦いまでいい。それだけでも充分過ぎるのだ。

 それは長い旅。幾千、幾億、そこまでの時を重ねても辿りつけないかもしれない道。

 何時挫折しても、忘れてしまっても可笑しくはない果てしなく遠い旅路。

 そんなものに誰を道連れにできよう。相手が望んだところでも、これは彼女個人が勝手に決めた小さな約束なのだ。ならば独りでも果たさなければならないと彼女は決めた。

 終わらないかもしれない地獄かもしれない。

 それでも彼女はその願いだけで、その道を歩もう。

 

「来たぞ」

 

 四人のうちの一人が言った。数秒もたたない内に土砂崩れのような騒音が雨音をかき消すようになり響いた。

 

 敵である。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 最初に無言で立ち去ったのは敵の知らせをしたのは無精髭の男。

 無精髭の男は一瞥した後で、すぐに自分の持ち場へと向かった。

 敵は四方からやってくる。一か所に集まればなにかと効率が悪いので、王のものには一人だけ残る手はずだった。

 別れの言葉もないとは、その男らしいと残った者たちは同時に思う。

 

「では、マスター。良い旅を」

 

 狂喜が宿ったような笑みを浮かべながら、もう一人の男が紅いコートを靡かせ先程の男とは別の方角へと姿を消す。

 

「──────」

 

 次に去る番は王以外の女。

 刃のように研ぎ澄まされ、凛とした彼女。そんな普段の様子からは想像も着かないような弱々しく、雨音で消えてしまいそうな声で王である少女の名前を呼ばれたかと思えば、女は王に抱きつかれていた。

 王も苦笑しながら軽く腕を廻す。

しかし、その抱擁は一瞬。

 次の瞬間、彼女は淡い光と共に出現した機械仕掛けの白い鎧に身を包み、灰色の空へと飛び立った。

 

「それじゃあ、俺たちも行くとするか」

「はい」

 

 残った大きなマントを纏う男ともに王は自らの戦場に赴く。

 歩き出す男に寄りそうように、王は共に歩き出す。

 隣に居る相手を意識しながらも、彼女は先に待つ闘いを考えていた。

 これから、この身が果てようとも、この魂は何度も戦場を駆けることになるだろう。

 彼女の目的はそういうものだ。必然とそうなる。

 だが、諦めるわけにはいかない。

 せめて今この瞬間だけは、その誓いが永劫のものだと願う。

 そして、共に歩く男との時間を大切にする。何も語りはしない。声に出せば、弱音が毀れて、逃げ出してしまうかもしれないから。

 それでは駄目だ。

 この世界には泣いている少女がいる。その少女は王にとって大切な存在だった。

 自分が逃げ出せば、彼女は永遠に泣き続ける。だからこそ、逃げ出すことはできない。

 

 ヴァルハラに向かうのはまだ早いのだ。

 

 *

 

「諸行無常に散ってしまえ!」

 

 スパ──────ン!

 名刀・破理閃──────もといい、ハリセンを何処からか抜いて、彼女は相手の頭を思いっきり叩いた。

 

「むごおおおお!!」

 

 何も抵抗もできないまま、叩かれた少年は地面に口付し、そのまま気を失った。

 説明するが、彼女、というよりも少女。まだ七歳の幼い女の子。

 八神はやてという少女は比較的に暴力的な子ではない。

 彼女が話す関西の方面特有の喋り方は、聞く人によれば乱暴に聞こえるらしいが、そんな喋り方をいれても、はやての本質はどちらかと言えば、物腰が柔らかい方だ。

 一見、加害者に見えるはやての行動にはちゃんとした理由がある。

 牽かれた蛙のように、地面で気を失っている少年は、実はすごい美少年だったりする。

 普通ではありえない銀髪に青と紫のオッドアイ。整った顔立ちはこのまま、少年アイドルとして活躍しても問題ないだろう。

 そんな少年がはやてへと一方的に接触したのはつい最近のことだった。

 最初の一瞬は、こんな美少年に声をかけてもらうのは悪い気はしなかった。

 が、すぐにその気持ちは跡形もなく霧散する。

 出逢って間のないはずのはやてに少年はしつこく付き纏ってきたのだ。

 不躾で馴れ馴れしい態度。下品で粘着な視線。やたら頭を撫でようとし、見ていて虫唾が走るような笑顔を見せる。

 そして何よりも、教えてもいないはずの名前を呼ぶことが不気味だった。

 今日も図書館の帰りに遭遇してしまい、疲れてないかと、体が悪いのだからと、はやての意志は関係なしに接触しようとする。

 事実、はやての体は悪い。はやてが害虫でも見下ろすかのように車椅子から昏倒している少年を睨んでいることで一目瞭然だろう。

 物心ついた時から原因不明の下肢麻痺を患っており、車椅子生活を強いられていた。

 だが、そんな辛さは微塵も見せず、人前ではできる限り元気に振る舞っているのだ。

 それにも関わらず、体調が悪いことを、まるで全て知っているかのように振る舞い、本人の同意なしに少年ははやての膝を手で撫で廻した。

 その瞬間、はやての体は無数の虫が這ったような嫌悪感に襲われ、次の瞬間には、何処かから出したのか、防犯アイテムとして所持していた特製ハリセン、名刀・破理閃(定価三千円)を抜き放ち、片手で車椅子の車輪を回し、全体を高速反転させ、その反動を利用し少年の両腕を払い除け、そのまま回転力を加えたハリセンの一撃を少年の後頭部に叩きこみ、今に至るわけだ。

 悲鳴ではなく攻撃という反応は、はやてもなかなかだが、正当防衛なのでしかたない。

 息を切らしながら、はやては虫を見るかのような目で倒れる少年を見下ろし、ハリセンをしまう。

 

「おっ! はやて、どうしたんだ?」

「ちっ!」

 

 その声を聞いてはやては思わず舌打ちする。

 少し前なら、そんなことをする子ではないのだが、最近、様々な嫌な相手との出会いで、彼女は気が立っていた。

 それは、彼女の目の前で伸びている少年然り、新たに現われた少年然りだ。

 新たに現われた少年、目の色以外は、はやての中では気を失っている少年とほとんど同じだった。つまりは、彼も美形で、珍しいはずの銀髪、そして、彼もはやてにつきまとっている一人だ。違いは目の色が赤と黒のオッドアイくらいだろう。少なくともはやてにはそうだった。

 更には他にも、これまた銀髪で、目が深い緑色の別の少年がいて、その少年もはやてに付き纏っている。

 他にも金髪で赤い瞳の偉そうな少年もいたり、爬虫類のように人をじろじろと見る少年がいたり、他にも様々いて、とにかく、最近のはやては異性出会いが最悪だった。下手をすれば男性恐怖症になるかもしれない。はっきり言って、体調のことよりもこっちのほうが気がめいる。

 体の悪いとこは治せばいいだろう。だが、人間関係は簡単にいかない。

 美形率が多いので、言い寄られているのは女としてはむしろステータスだろ、というなら、どうか代わってほしかった。はやてにとってはいい迷惑だ。

 しかも、この集団、数名は互いに認知しており、揃いも揃って、自分以外の相手の事を良く思っていない。はやてからしたらどっちもどっちだ。更にはその集団は彼女以外にも同年代の女の子につきまとっている。

 図書館で別の女の子にも、はやてにからんできた彼らはちょっかいをだしていた。

 ちなみに、それに居合わせたはやては、その絡まれた女の子を相手から連れだして逃げたことがある。

 その時に、その女の子、月村すずかという少女と友達になれたのは、最近では珍しい良いことだ。

 そして、今、はやての目の前には新たな敵が現われた。

 もう一度、ハリセンで叩きめそうと考えたが、すぐに却下した。

 先程のは奇襲、本能的な動作で成功したのだ。

 眼前に対峙して、叩きのめすのは無理である。所詮はやてはただの七歳の女の子。

 ならば、彼女が執る選択肢は決まっている。

 すなわち、逃走だ。

 

 視界確認。長い並木道なため前方数百メートル以上直線であり、横道がないため障害と接触する危険性は低い。

 動作確認。レスポンス良好。システムオールグリーン。電動スイッチON。

 モーターフルスロットル、GO!

 

 新たに現われた敵が、更なる反応をする前に、はやては全力でその場から緊急用のエンジンをかけて逃走した。

 これは咄嗟な緊急事態に対処するため車椅子に備え付けてある高速エンジンである。少々重たいが、これとあるとないとでは安全性が格段に違うのだ。これがあれば例え酔っ払いのトラックが飲酒運転で突っ込んできても、ボタン一つでその場から離脱できる優れ物。このように変質者から一目散に逃走できる。

 勿論、高性能な分、結構お高い値段なのだが、そこは何とかなる事情が八神はやてにはあった。

 後ろから、「ははは、照れて逃げちゃうなんて、はやては可愛いな」という戯言にイラっときたが、我慢し、愛機のスピードを緩めず逃走する。

 

 はやては今日も、平穏な日常を崩されたのだった。

 

 *

 

 八神はやて。

 事故で死亡した両親の残した家で、孤独に暮らす僅か七歳の幼い少女だ。

 更には原因不明の下肢麻痺を患っているなら、単に不幸と呼ぶには筆舌に尽くし難い。

 だが、彼女は穏やかで優しく、七歳とは思えないほどとても物解りのいい頭の良い子だ。

 後者は過酷な境遇な故に、幼くして自分の身を守るための防衛本能ゆえなのか、そうならなければなかったのだろう。

 そして、同じ人間に長く関わらずことを望まず、自身の内面に干渉を避ける傾向があり、どこかで他人を拒絶していた。

 それは幼いながらにして既に自身に対する諦め、未来に対する希望の無さ、同時に弱者として一方的な同情を受けることを嫌っている。最近色々な少年に絡まれている現状を彼女は他人が思う以上に好ましく思っていない。

 だが、それでも彼女は、最初に述べた通り、穏やかで優しい子だ。

 天性的な資質か、今は亡き両親にそう在るように躾けられたのか、これも憶測でしか語れない。

 しかし、このような暗い現状にも歪まずそうでありつづけることは、とても儚く、健気なものであった。

 ゆえに、彼女はそんな彼女で在るが故に、彼女自身の手で物語を紡ぐことになる。

 

 夕暮時、不審者から逃走を果たしたはやては一つの公園の前で思わず車椅子の動きを止めていた。

 それは青空。

 可笑しな話、今の空は茜色に染まっているのだが、彼女がそれを見つけたときは、そう見えたのだからしかたない。

 その正体は公園の中にあるベンチで頭を深く下げ、項垂れている子供だった。

 その子供の髪が、赤みが射しかかっている景色でも尚も解るほど、青天のような空色の髪をしていたからだ。

 だが、単に珍しい髪だけならはやては動きを止めていなかっただろう。目で惹かれていたが、その一瞬の間だけで自分は先を進んでいた。

 その子供が誰もいない公園で独り、座っていた。

 

 まるで世界に独りぼっちになったような孤独が伝わる。

 

 いや、おそらくだが、はやての目の前に映るその子供が自身をその様に感じているのだろうと、はやてには分かった。

 自分もそうだ。両親もいない。脚も動かない。学校に通うことになっても、直ぐに入退院を繰り返し、今や休学の身だ。病院に行けば主治医の先生が良くしてくれる。ヘルパーの人間や遠い親戚の人間もいる。最近では図書館で友達に会える可能性もある。

 だが、基本的には家に変えれば独りだ。生まれてから今まで独りでいることが多かった。

 だからこそ、自分と同じ、あるいは似た様な境遇にいるのだろうと察した。

 その子がどのような境遇にいるのかは分からない。この同情と切り捨てられそうな想いは勘違いという可能性も高いのだ。

 しかし、それでも、彼女は彼女であるゆえに、優しい心を持っているゆえに。

 

「どこか気分が悪いん?」

 

 その姿がほっておけなくて、その子供の前まで向かい、声をかけたのだった。

 声をかけた子供は驚いたのか弾かれたように顔を上げ、その瞳にはやてを写し、はやても瞳を見て、心の中で思わず感嘆する。

 黄金だった。

 正直、最近のはやてのまわりには色彩豊かな瞳を持つ人間が徘徊しているので、珍しくもないのかもしれないが、それでもその黄金の瞳を見てはやては綺麗だと思ったのだ。

 それと同じくらい、寂しそうな瞳だと思う。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「あはは、いきなり声かけてごめんな」

 

 渇いた笑みを浮かべるはやてに対して、その子供は首を横に振った。

 次にはやての姿、車椅子の姿を見てその子供の顔に驚きの色が浮かび上がる。

 その反応をはやては慣れていた。今更、どのように思われてもあまり動じない。

 だが、それは一瞬で、次にその子供は微かに笑ったのを見て、彼女の心が振るえる。

 嘲笑、ではない。憐憫でもない。言葉にするそれは尊敬だった。

 そのような感情を向けられることはないわけでない。

 親も居なく、独りで車椅子生活する彼女を知る人間が敬意を払うことは稀にあったが、それとは別のようなものだとはやては感じた。

 それがなんなのかは流石に分からず、わざわざ相手に訊ねることもしなかったが、悪い気分にはならなかった。

 子供がその口を開く。

 

「気分は悪くないよ。心配してくれて、ありがとうね」

 

 胸に届くような綺麗な声だった。

 年齢は自分と同じぐらいだろうか、顔も中性的な綺麗な顔立ちで服装も男の子物の紺色シャツに黒のズボンだったので正直、はやてにはその子供の性別は分からなかったが、いまの状況にそれは関係ないだろう。

 

「そっか。ほんならええんやけど、もう暗いから家に帰った方がええで。最近は物騒やからな」

 

 はやての言葉に嘘はない。

 昨今、失踪事件や原因不明の事故などが多発している。

 はやては家に居てTVを見る機会が多いため、同年代の子供よりもそのような情報に詳しく、その度に内心脅え、縋る存在がいない彼女は震えた数だけ我慢した。

 

「うん。もう少し、暗くなったら帰るよ」

 

 可笑しな返答が返ってきた。

 

「いや、せやから暗くなる前に帰った方が良いって言ってるやん。あんまニュースとか見てへんから知らんのかしれんけど、ほんまに最近は危ないんねんで」

「それでも、この空の下帰るよりはいいよ」

 

 一瞬、脅えるような目で子供は空を見上げて、直ぐ俯いてしまった。

 理由が分からないが、どうやらこの子供が俯いて座っていたのは夕日空を見たくないからのようだ。

 

「夕日が嫌いなんか?」

「嫌いというより苦手だね。青空よりは断然いいけど・・・・・・」

「青空?」

「うん。青空はもっと嫌いだ。僕の髪に似ている。青い髪、僕はこの髪が嫌いだよ」

「どうして? 私は綺麗やと思うけどな」

「でも、この髪のせいで、僕は、僕の──」

 

 やはり、この子供には何かあるようだ。

 

 しかし、はやてはそれに踏み込まない。

 話せば楽になることもある。

 だが、それを相手が望んでいるかは別だ。おそらく、少年は望んでもいない。

 はやても、自分も辛い部分には勝手に土足で踏み込んでほしくなかった。

 最近では、どこで知ったのか、やたら自分に絡んでくる連中が、そのことに踏み込んできた。

 

 親がいなくて、独りぼっちなんだろ? 寂しいよな。

 

 ああ、確かに自分に両親はいない。昔、事故で亡くなった。今は一人暮らしだ。

 寂しくないわけがない。

 だが、誰でもいいから、人肌を求めているわけでもないのだ。

 ましてや、入ってほしくない場所に平気で入ってくる相手とは一緒に居たくもない。

 同じように、今出会ったばかりの赤の他人の自分が、この子になにかあったのかと聞くのはお門違いだろう。それが、ただ純粋に、なにも察することができず、無垢な良心のみで尋ねるのであれば良いが、はやては察してしまったのだ。

 だがら、なにかあったのかは聞かない。

 しかし、ほっておくのは別問題だ。

 

「なに我慢しとるん?」

「?」

 

 突然、自分に向けられた言葉の意味が分からず、その子供は俯いた顔を上げた。

 

「我慢? 僕が?」

「そや。なんか、本当はしたいことがあるのに、なんか耐えてるみたいやん」

「・・・・・・・・・・・・、我慢なんてしてないよ」

 

 子供は顔を逸らす。

 

「そっか。アンタがそう言うなら別にかまへんけど、な。けどな、そんな顔しとったらお母さんやお父さんも心配すんで」

「・・・・・・・・・・・・、心配なんてしない」

 

 その瞬間、その子供の空気が変貌した。

 

「お母さんたちの仲悪いん?」

「違う」

 

 少年の声色がどんどん冷めていくのをはやては感じていた。

 それでも、はやては言葉を紡げた。

 

「そっか。なら、ええんや。ほな、大好きな家族に迷惑かけたらあかんで」

「君に、君になにが分かる?」

 

 とうとう苛立ったように、少年ははやてを睨んできた。

 正直、怖いとも思った。力強い眼差し。拒絶の感情。きっと自分も同じようなことになれば、目の前の子供と同じ目をするのだろう。

 それでも、黄金の瞳の奥にある、寂しげな想いを感じて、はやては言葉を重ねる。

 

「わからへんよ。アンタになにがあったか知らんし、知るつもりもない。アンタかて訊かれたくないやろ? けどな、これだけは言わせてもらうわ」

「なに?」

「そんな悩み抱えたままやったら、きっと何しても失敗するわ」

「っ────!」

 

 言い返そうとする、が、その前にはやてが次の言葉を重ねた。

 

「せやから、我慢せんで自分の、“本当に一番したいこと”をすればええ。

 それが、今一番せなあかんことでもあんねん。気になること片づけんと、別の事しようったら、気が気でなんでも失敗するわ。でも、片づいたら、それからはきっと、今よりはなんでも上手いこといくと思うで」

「? 本当に一番したいこと?」

「そや。まぁ、人様に迷惑かけんのはあかんけど、私ら子供やもん。ごっつう我慢するよりも、やりたいことやったほうが一番ええねん」

「やりたい、こと・・・・・・・・・・・・」

 

 再び、子供は俯く。

 

「無理だよ」

 

 そして、否定した。

 

「僕は、僕のせいで、大事な人を傷つけた。その人たちに報いることは、僕がしたいことじゃない」

「それは君が傷つけたん?」

 

 踏み込み過ぎたかと、思ったが、はやてはそう尋ねた。

 

「違う。けど、同じようなものだ。僕がいなければ、その人たちは傷つくことはなかった」

「そうか。けど、その人たちは、傷ついて、後悔してたん?」

「え?」

「後悔して、君が悪いって言ってた? 君を責めたん?」

 

 子供は思い返すように無言になり、しばらくして、首を横に振った。

 

「それならええやん。君の言ったことが全部ほんまなら、君のせいで自分らが傷ついたのに、文句を言わん簡単やろ? その人はきっと君のことが大好きやねん」

「!?」

「そんで君もその人が好きや。たぶん、君のしたいことは、その人たちに負い目があって、できひんのやろうな。

 けど、その好きな人たちは、きっと君が本当にしたいことを、我慢せんでしてくれたほうが嬉しいと思うで?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 衝撃を受けたように硬直し────。

 

「泣いて、いいの?」

 

 ────そう呟いた。

 

「僕は、泣いていいの? 悲しんでもいいの? 悪いのは僕なのに、泣いていいの? やっと手に入れたつもりで浮かれて、酷い事になったのに───そんな、資格を、僕は、『私』はあるの?」

 

 はやてはその子がなぜ泣くのを我慢していたのかは知らない。訊くつもりもない。

 だから、はやてはこう言った。

 

「泣いたらええやん。むしろ、泣くべきや。自分の大切な人が傷ついて、泣かん子はちょっと冷たい。けど、君は悲しかったんやろ? だったら、正直に、悲しいから、泣けばええよ。なんとために涙があると思ってんの? 泣くためにあるんやで」

 

 日が沈む。夜が来る。

 夕空と夜空の狭間、はやての背中が夕日で輝いた。

 彼女の顔は陰った。

 だが、その子は確かにその優しい笑みを見た。

 優しい言葉を聞いた。

 

「う、ふぇ───!!」

 

 そして、泣いた。

 ごめんなさいと、謝罪の気持ちともう逢えない寂しさを込めて、

 おかあさんと、おとうさんと、叫びながら、泣いた。

 はやては、なんでその子が泣いたのか分からない。

 それでも、その頭を優しく、あやすように撫でる。

 昔、はやて自身はうっすらとしか覚えてないが、自分が母や父にしてもらったように、泣いている子供を優しく撫でた。

 

 その子供が泣き終わる頃は既に日は沈んだ。

 

「みっともないとこ見せたね」

 

 恥ずかしそうに照れ笑いするその子供に先程の様な陰りはない。

 その顔が可愛らしく、はやても照れてしまった。

 

「ええよ。気にしんといて」

「でも男の子が女の子の前で泣いたのは、僕にとって恥ずかしいことには変わりないよ」

 

 ああ、男の子だったのか。

 性別が発覚したことで、はやては先ほどの光景を思い出し、妙な羞恥心がわき上がった。

 そんなはやての様子に気づかずか、少年が立ち上がり、紳士的な立ち振る舞いではやてに笑いかける。

 

「僕のせいで暗くなったし、遅いから君の家まで送るよ」

「え? さすがにそれは───」

「最近危ないと教えてくれたのは君のほうだ。そんな中、自分のせいで夜道を帰らせるのは申し訳ないよ」

 

 遠慮と拒絶の意志を、少年の言葉が止めた。

 最近、変な出逢いばかりしているせいでどうやら異性に抵抗がある。

 しかし、他人とは深く関わろうとしないはやてだったが、自分が最初にお節介を焼いた手前、相手の好意を無下にすることは気が引けた。

 

「ううん・・・・・・・・・・・・そんならお願いしてええ?」

 

 しばらく悩んだ後でしぶしぶ承諾すると、少年は安堵の表情を浮かべる。

 ここで何かしらの下種な物をチラつかせればと、そこまで悩んではやては即座に反省した。やはり、最近の自分は馬鹿な連中のせいで異性に抵抗があるようだ。

 あの少年たちと彼は違う。

 むしろ、同列に一瞬でもしてしまったことを激しく後悔し、申し訳ないと思う。

 この少年が悪い人間だとは思ってもいなかったのだが、自分の中で僅かな疑いがあったことに自己嫌悪するはやてだった。

 

「どうしたの? もしかして気分が悪い?」

「いや、なんでもあらへんで、あはは・・・・・・」

「?」

 

 落ち込むはやてを心配する少年を笑って誤魔化して、更に自己嫌悪すると同時に純粋に心配してくれたことが少し嬉しく思えた。

 

「平気ならいいけど・・・・・・・・・・・・、それなら車椅子を押してもいいかな?」

「・・・・・・・・・・・・、それなら甘えさしてもらおうかな」

 

 一瞬の間の後、はやてはにこやかに了承した。

 車椅子は乗る者にとって命の手綱だ。

 それを本人の断りもなく、いきなり他人が掴めば恐怖でしかないのだが、知っていて知らずか、少年の一言断りを入れてからの配慮に好感が持てた。

 こういう子やったら、幾らでも仲良くなってもええな。

 そんなこと想いをほんの少し胸を温かくしながら、二人は公園を後にした。

 

 *

 

 二人の帰路は賑やかなものだった。

 何が好きか、どんな本を読むか、そのような取り留めない会話だったが、それでもとても楽しい時間であっという間にはやての自宅の前に到着する。

 

「それじゃあ、僕はここで」

 

 どこか名残惜しそうにしながらも、きっぱりと口にしてはやての車椅子から手を離す。

 その瞬間、なにか抜け落ちたような心寂しさを感じたせいなのか、気づけばはやては次の言葉を出していた。

 

「せっかくやから、家でごはん食べてかへん? あれや。ここまで送ってくれたお礼」

 

 言葉に出した瞬間、はやて自身も驚いた。

 先程出会ったばかりの人間、それも子供とはいえ異性にそんなことを言うのは、幾ら気を許したとはいえ自分でも驚愕に尽きる。

 そんなはやての動揺を余所に、男の子は心苦しそうな顔を浮かべる。

 

「ごめん。ちょっと知り合いのとこから抜け出してきて、その人たちのところにそろそろ戻らないといけないから・・・・・・」

「そっか。そんなら無理に引き止めたら悪いな。バイバイ、え~と・・・・・・」

 

 何やら迷ってる様子のはやてに少年は察したように答える。

 

「ミコト。ミコト・ベルンハルトが僕の名前だよ」

 

 日系のような名前だが、性名はそうでない。

 そのことを不思議に思いながらも、はやてはその名前を胸に刻んだ。

 

「ミコト・ベルンハルト君か。今更やけど、私は八神はやて! 今日は本当にありがとうな!」

「こっちこそ、ありがとう」

 

 笑い合う二人。

 しばらくの間が立ち、再び別れを切り出したのは男の子、ミコトだった。

 

「それじゃあね、八神さん」

「うん、バイバイ───ベルンハルト君」

 

 上の名前で呼ぶか迷った後、いきなり馴れ馴れしいと思われるのも嫌なので下の名前で別れを告げた。

 ミコトは明かりない家の中にはやてが消えるまで、その場で見送った。

 

「さよなら・・・・・・。どうか幸せに」

 

 *

 

「ただいま・・・・・・」

 

 明かりのない家の中、はやては独り言葉を漏らす。

 八神家は大きな家だ。

 両親が十人は暮らせるようにと広々とした造りは、車椅子のはやてにとってはありがたいが、同時に独りである彼女にとってその広さは余計に孤独を感じさせた。

 先程まで気持ちの高まりが嘘のように沈んでしまい、溜息をしてから夕飯の仕度に取りかかった。

 はやては独りでいることから料理の腕がある。最初の頃は当然無理だったが、ヘルパーサービスの女性から手ほどきを受けてからは、車椅子生活ながら今では家事を完璧にこなすことが可能だった。

 そして、できあがった料理を口にするが、その顔は浮かないものだ。

 まずいわけではない。自分でもなかなかのできだった。

 しかし、美味しいはずの料理を口にしても、一向に明るくならない。

 自分で思った以上に少年との帰り道は楽しい時間だったようだ。そこからの独りはなかなか堪える。

 そう思った瞬間、はやては自分を律するように首を横に振って、食事を済ますと、直ぐに就寝の準備をする。

 そんなに寂しいのなら、またあの公園に行ってみよう。またあの子に会えるかもしれない。

 会えないことは考えず、直ぐにベットに潜り込もうとするが、その前に、はやては本棚から一冊の本を取り出した。

 

 それは鎖に巻かれた古い本。

 

 何時の間にか自分の傍にあった不思議な本のことを自分は良く知らない。

 だが、古くて中身も見られないような呪いの本みたいなものを普通は不気味な代物を、はやてはとても大切な物ように扱っている。

 理由は解らないが、はやてはこの本を触っていると不思議と孤独感が拭い去れ、満たされるのだ。

 だから、この本ははやてにとって大事な宝物だった。

 はやてはその本を抱きしめながら、ベットへ眠りにつく。

 願わくは、楽しい夢が見られるように。

 

 *

 

 はやてが眠りをついてしばらくしたその時だった。

 

 空間が歪んだ。

 

 そう思った瞬間、歪んだその場所から一人の女性が現われた。

 人間ではないのは、その登場の仕方以外でも理解できる。

 一見は黒いスーツの女性。

 だが、灰色の髪の上には猫のような耳があり、臀部から尻尾が飛び出ている。

 

 そして、その女性が現われた瞬間、眠りについたはやてが抱きしめている本が紫の光を放ち──。

 

「落ち着きなさい、闇の──いや、夜天の書」

 

 女性が本に向かってそう言うと、本の反応がピタリと止まった。

 

「お前の主に危害を与えるつもりはないわ。むしろ、助けるためにここに現われたのよ」

 

 女性はまるで怨敵でも出逢ったかのように本を睨みつけるが、その言葉はどこまでも冷静だった。

 

「このままでは主がいずれ遠くない未来死ぬのは分かっているのしょう? そして、また世界の崩壊を繰り返す。私は、いや、私たちは、それを止めにきた」

 

 本は無反応だった。いや、物も言わない本だったが、警戒されていることは女性にも解った。それを理解しながら女性は次の言葉をつげる。

 

「私たちは《天王》と出逢った」

 

 驚愕。本は戸惑うようにチカチカと点滅する。

 

「感謝しなさい。王はアンタたちを助ける術を持っていて、また望んでもいる」

 

 モノの言わないはずの本、否、確固たる意志が存在する夜天の書は戸惑っていた。

 夜天の書とは意志がある曰くつきの存在。

 そして、夜天の書は、自分の主、はやてを遠くない未来殺してしまうことを知っていた。

 嘆いていた。絶望していた。こんな優しい子が死ぬ未来を、そして、それを招いてしまう自分を許せなかった。

 そこに舞い降りてきた突然の朗報。もしも彼女の言葉が真実ならば、自分の優しい主は助かるかもしれない。

 

「迷っている暇はないわよ。その子が主として覚醒する前に事を済まさないといけない。覚醒すれば、もう手遅れ。彼方達は主諸共消え去ることしかできない。私たちがそうする」

 

 夜天の書は息を飲む。彼女の言葉に怒りを感じたが、時間がないのも嘘ではないようだ。

 夜天の書は眠る主に意識を向ける。特別な処置をしているのか、彼女は今だ眼を覚まさず、深い眠りについたままだ。

 

 彼女を救えるのならば──。

 

 覚悟を決めた夜天の書は、はやての腕から抜け出す様に浮かぶと、女の目の前にやってきた。

 女は夜天の書を手に取ると、眠るはやてに一瞥してから、現われた時と同じようにその場から消えていった。

 

 *

 

 そこは街外れの公園だった。

 

「来たか、アリア」

「ああ」

 

 夜天の書を持ってきたアリア、本名、リーゼアリアは双子であるリーゼロッテに対して、軽く言葉を交わす。

 リーゼロッテの姿形は髪が少し短い以外はほとんど双子のリーゼアリアと同じである。ただし、中身は性格やその技能まで全く違う。

 

「結界の調子はどう?」

「時間がかかったけど、マズマズのできだね。アリアがすればもっと速くできたんだろうけど」

「仕方ないよ。万が一、闇の、いや、夜天の書が暴走した場合、肉弾戦が得意のロッテよりも、“魔法”に長けた私のほうが対処しやすい。準備に時間がかかるのは想定内のこと。それよりも性能が大事だけど」

「ああ、それに関しては大丈夫さ。人払いも、硬さも時間をかけただけはある。構成魔力にはこいつも手伝ってくれたしな」

 

 くい、と右の親指で後ろ指し、リーゼアリアはその先の、ミコト・ベルンハルトに眼を向ける。

 

「魔力を使って大丈夫なの?」

 

 それは少年に対しての心配ではない。

 これから、この少年が行おうとすることに支障がないかの懸念だった。

 

「問題ないです。この時代に生まれてこの方、殆どこの魔法の練習しかしてませんから」

「そう────」

 

 自虐のような笑みに対して、リーゼアリアはなんとも言えない顔になる。

 だが、余分な感情は斬り捨てる。

 これから、この少年がすることを終えれば、次は自分たちの番だ。他人の心配なんてする余裕などない。

 それでも、それが理解していても、目の前に少年に対して、思うことがあるのは、彼女にも他人を想うことができる感情がある証拠だ。

 

「では、始めましょう────」

 

 切り出したのはミコト・ベルンハルトだった。

 その言葉に反応して、リーゼアリアの手から夜天の書が抜け出し、ミコトの眼の前に浮かぶ。

 

「久しぶり・・・・・・・・・・・・いえ、初めまして、と言うのがいいかな?」

 

 ミコトは遠い眼差しで夜天の書を見つめる。

 長かった。

 終わりの見えない旅で、ようやく目的の場所まで辿りつけた旅人のような顔をミコトはしていた。それは十歳も届かない子供がするような顔ではない。

 ミコトは首元から、水色の宝石が埋め込まれた、両刃剣の形をした白銀のネックレスを取り出す。

 

「ニーベルング」

 

 

 その名をミコトが口にしたとき、彼が取り出したネックレスが発光すると、一気に巨大化し、一振りの大剣となって、ミコトの両手に握られる。

 そして、巨大な剣先を夜天の書に向けるように構える。

 

「もう、誰も、君たちも、そして・・・・・・あの子も悲しませないように、全て終わらせよう」

 

 *

 

 

 助けて────。

 

 はやてはその言葉で眼を覚ました。

 起き上がり、周りを見渡すと誰もいない。いつもの自分の部屋だった。

 幻聴か? と、はやては首を傾げ、寝直そうとしたが――。

 

 助けてください───。

 

「え?」

 

 幻聴でない。耳、いや、はっきりとはやての頭の中に、その言葉が聴こえた。

 その現象だけなら、不気味と感じたが、不思議とその声にそのような嫌悪を感じはしなかった。

 

 どうか、助けてください───。

 

 また聴こえた。女の声だった。どこか儚く、綺麗な声だった。

 その声が悲愴な思いで自分に訴えかけている。

 

 御身に助けを乞うのは騎士として恥だと解っております。でも、どうか、貴女様の力を貸していただきたい───。

 

「だ、誰? いったいなにが起きてるん!?」

 

 泣いているような声を聴いて、はやては胸が苦しかった。

 ほっておけなかった。なにかしないといけないと、いや、この声の相手のためになにかしたいと思った。こんな悲しい声をさせてはいけないと感じた。

 はやての問いの答えは返ってこない。その声は申し訳ながらも必死に助けを求めるばかりだった。

 はやては急いで身支度をして、車椅子に乗り外へ駆けだした。

 不思議なことに、はやてにはこの声の主がどこにいるか把握できる。

 どこか何時もよりも体調が良いことにささやかな幸運を感じながら、はやては車椅子で夜の町を駆ける。

 

 そして、辿りついたのは町外れの公園だった。

 海の傍にある公園は、休日なら人も賑わっているが、今は誰もいないゆえなのかとても静寂に包まれていた。

 はやては、幾ら体調が良くとも、家からここまではさすがに体力に限界を感じ、しばらく息を整えるのに時間をかけ、そして、息を飲んで、改めて前に進んだ瞬間───。

 辺りの景色が一変した。

 一見すれば同じ風景だが、世界がズレたのような感覚がはっきりと自覚できる。

 

「なんやの、これ?」

 

 はやては戸惑いながらも、恐る恐る先を進む。

 

 GOOOOOOOOOOOOOON!!

 

「え!? なになに!?」

 

 いきなり、花火が弾けたときに聴こえる爆音の何倍か大きくしたような轟音に、はやての戸惑いと恐怖が膨れ上がった。

 

 そして、音が聴こえた場所、空を見上げた。

 

 そこにいたのは、まさに化け物だった。

 

 形容しがたい形状。蛇や鰐、蜥蜴や蝙蝠、いろいろな生き物が、まるで粘土で無理やり混ぜて、くっつけたような姿だった。

 その化け物の周辺を青い二つの光が舞う。

 はやての肉眼でははっきりと確認できないが、二つとも女性のようだ。

 一方の女性が化け物に対して、砲弾のような飛び蹴りを放ち、続いてもう片方が、手から青い光を生み出して、その光を機関銃のように化け物に向かって放つ。

 どうやら、戦っているようだ。

 

 あまりにも現実ばなれした光景にはやては我を忘れた。

 

 助けてください───。

 

 だが、再び聴こえたその声に、はやては己を取り戻した。

 さっきよりも感じるその声。どうやら、あの戦いの下に、声の主はいるようだ。

 恐怖はある。いまにも逃げ出したい気持ちも確かに存在した。

 それでも、はやては車椅子を動かした。

 

 *

 

 リーゼロッテの打撃で相手を怯まし、リーゼアリアの魔法で肉を消炭にする。

 二人のコンビネーションは完璧だった。

 現われた“それ”に対して、一歩も引かず、優勢に立ちまわれた。

 勝てる。そのような確信は、数分前に消し去られた。

 

「くそ! また再生しやがる!」

 

 二人が現われた“それ”はリーゼアリアが失わせた部位を数秒で元通りにした。

 これでは切りがない。

 “それ”を倒すには、全ての肉片を吹き飛ばし、その上で核となるものを破壊しなければならない。

 だが、それには一手足りない!

 “それ”の全ての肉片を吹き飛ばすことなら二人で協力すれば可能だろう。

 だが、残りの一手まで、核たる部分を破壊できなければ何度も再生し、同じ状態になるだけだ。

 いや、むしろ、時間をかければかけるだけ、状況は悪くなるだろう。

 自分たちは疲弊し、相手は周辺の魔力を吸い取り、更に力を強める。

 いずれは自分たちも叶わないほどにだ。

 本来の予定では、現われた“それ”を二人で蹂躙し駆逐することだったが、その策は既に不可能だと判断する。

 だが、そんなことも想定内だ。

 そのような事態を予測して、控えている存在がいる。

 彼は自分たちの主であり、恐らく存在する中でまさしく強者と呼ばれる存在だ。

 彼は万が一のため、離れた場所で待機していた。彼が到着すれば、一気に決着はつく。

 それまでの時間稼ぎをすればいい。正直辛い現状だが、必ず成し遂げてみせる。

 二人はそう意気込んだときだった。

 

「え?」

 

 最初に気づいたのはリーゼアリア。

 ここは人払いの結界を張っていた。だが、そこに侵入者が現われた。

 自分たちの主ではない。これは──。

 

「アリア!!」 

 

 自らの片割れの叫びに、彼女は己の失態に気づいた。

 気づいた時は──既に遅かった。

 

 *

 

 ミコトは黙ってその戦況を見守っていた。

 二人が戦っている“それ”を呼び出したのは、結果的に語るならば、ミコト自身だった。

 だが、そうなることは予想されており、今、戦っている二人もそうなることを了承していた。

 あとは私たちに任せなさい。

 彼女たちは笑って自分に言った。

 その言葉を思い出し、ミコトは自分の不甲斐なさを嘆き、白銀の大剣、ニーベルングを握る手を強めた。

 本当は自分も参戦したい。

 だが、足手まといになるのは明白だった。

 自分はただ、見ることしたできない。

 あの時と同じように────。

 ガサリ、その草を踏む音で、ミコトは自分の近くに誰かが来た事を悟った。

 そして、その場にいてはならない人間、いや、いてほしくなかった人間の姿を眼にして、ミコトは驚愕して、その次に起こった事態で、彼の感情は弾けた。

 

 *

 

 現状を誰よりも把握していたのは彼女だった。

 彼女は“そこ”から全てを視て、判断し、このままではまずいと結論をだした。

 “自分の中から抜け出したそれ”を対峙している二人はまさしく強者であり、彼女たちの考えも理解できた。理解できた上で、無理だと判断できた。

 彼女たちは後から来る自分たちの主とともに“それ”を打倒するつもりのようだが、それでは足りない。自分の長年かけて積まれた知識がそう語っている。

 第一に、彼女たちだけでは“それ”を守る外壁を消せない。彼女たちの主がきて、やっとそれが叶い、次にしなければならないことができない。

 そして、更なる増援を求めたとしても、今からならば時間がかかる。

 そうなれば、この世界は、最悪、自分を助けてくれた少年や、自分の愛する少女諸共消し飛ぶだろう。

 

 そんなことは許されなかった。

 

 何度も泣いた。何度も嘆いた。何度も■した。それを繰り返した自分は■■べきだ。

 しかし、それに誰かを巻き添えすることはどうしても許されない。

 何より、自分の大切な人間と恩人など以ての外だ。

 長い年月で自分自身なくなったであろう、

 その感情は意地。それが、彼女の中で溢れだした。

 まず必要なのは、圧倒的な火力で殲滅できる力。

 その条件を満たし、そして、この場にやって来られる人材は一人しか該当しなかった。

 

 どうか、助けてください────。

 御身に助けを乞うのは騎士として恥だと分かっております。

 でも、どうか、貴女様の力を貸していただきたい────。

 貴女には優しい世界にいて欲しかった。ずっと安らかな時を過ごしてほしかった。

 その時を壊してしまう私は如何なる罰もお受けします────。

 でも、どうか、今だけ、今だけは、貴女様の力をお貸しください────。

 我が主よ────。

 

 彼女の優しい主は、その呼びかけに応えた。

 

 *

 

 そして────。

 はやてはその場に辿りついた。

 なぜ、近くに数時間前別れた少年がいるのか分からなかった。

 上の激戦も解らず、その事の重大さも理解してない。

 いつの間にか自分の目の前に浮かぶ、見知った本が浮かんでいる理由も分からない。

 分からない事ばかりだ。

 

 だが、これだけは、解る。

 

「ああ、泣いてたんあんたやったんやね」

 

 まるで、全てを包み込む母のように、はやては自分の目の前に浮かぶ本に触れる。

 

「ええよ。私になにができるか分からへんけど、泣きやんでくれるんなら、頑張ってみる」

 

 *

 

 事態は加速する。

 

 はやての突然の登場に気を取られたリーゼアリアは“それ”から放たれた四方八方に放たれた禍々しい光を放つ光線をまともに浴び撃墜され、リーゼロッテもまた片割れの撃墜に動揺して、光線の直撃を受ける。

 更に、四方八方に放たれた光線は当然の如く、地上にいたはやてたちにも襲いかかる。

 

 その瞬間、ミコトの感情が爆発した。

 自身の身の危うさに危機を感じたわけではない。

 このままでは目の前の少女が危ないという事実に激怒した。

 なぜ、彼女が傷つかなければならない?

 彼女がこの場にいたから? 彼女が■■の■の■だったゆえの業か?

 瞬間、脳裏にフラッシュバックするかのように記憶が疾走した。

 

「せやから、我慢せんで自分の、“本当に一番したいこと”をすればええ。

 それが、今一番せなあかんことでもあんねん。気になること片づけんと、別の事しようったら、気が気でなんでも失敗するわ。でも、片づいたら、それからはきっと、今よりはなんでも上手いこといくと思うで」

「? 本当に一番したいこと?」

「そや。まぁ、人様に迷惑かけんのはあかんけど、私ら子供やもん。ごっつう我慢するよりも、やりたいことやったほうが一番ええねん」

 

 その笑顔と────。

 

 私たちに後悔はない。

 そう自分に伝えながら、抱きしめられる温もりが重なった。

 

 脚が動く。しかし、空か来る無数の光が、檻のように自分と彼女を阻む。

 届かない。ならば、諦めるか?

 違う、断じて違う! 自分がいまするべきことは、したいことは、彼女を救うことだ!

 

 ドクン、と握った剣が脈打つ。

 

 諦めきれないか?

 知らない声に疑問を持つよりも、すぐに肯定した。

 

 このまま動かない方が楽だと思うが、それでも何かをなそうとするか?

 当たり前と即答した。

 

 自身が無力だと悟りながら、無謀で無意味な行為に身を滅ぼすか?

 それでも、しないよりはいい。

 

 ならば、私も手を貸そう。どうやら君のような戯けは相も変わらず見過ごせぬようだ。

 

 一つの煌きが起こった。

 

 はやてたちがいた場所が白く、赤く、青く、紫と四色の色が混じり合った閃光に包まれた。夜の空は、地上に現われた光によって、一瞬昼よりも明るく照らさせる。

 強力な力の波、近くに人工的に設置された木々たちが今にも折れそうほど靡き、突然の出来事に空中のリーゼロッテや撃墜し、なんとか地上で立て直そうとしたリーゼアリアも、そして、いまだ空で蠢く“それ”も制止した。

 

 硝子が割れたかのように、光が弾け、雪のように舞う、白い光の粒の中、はやてとミコトの前にそれぞれ人影が存在した。

 

 はやての目の前に立つのは女性だった。

 まず目を奪われるのは風に靡き、煌く銀色の長い髪。紫のライン入りのロングスカートにスリットがある黒いチャイナドレス風の衣装に身を包む体は例えようのない造形美、胴周りは細いのに、胸と局部は激しく主張している。同姓から羨まれる体の上には、小さな顔の中に宝石のような赤い瞳。その両目がはやてをじっと見つめていた。

 

 対するミコトの前には、背を向ける長身の男。百八十は軽く超えている体には黒いインナーの上に、赤い外套。焼けたような褐色肌は服の上からも鋼のように鍛え抜かれたと分かるほど理想な体形。まるで何かが燃え尽きたかのような灰に似た白い髪と、すべてを射抜くような眼光。どれをとっても彼が普通の存在とは思えないだろう。そんな彼は背を向けたまま、ミコトを覗き視るように視線を後ろに移す。

 

「夜天の書、管理人格。他、守護騎士ヴォルケンリッターの代わりに馳せ参じました。この身、主のために尽くします。

 主よ、私の声に答えてください感謝します」

「救済騎士ヒルフェリッター。魂の呼び声によって召喚された。

 自己紹介はそうだな、とりあえずアーチャーと名乗っておこう。さっそくだが、空に居るあの気色が悪い物体――倒してしまってもかまわないだろうか?」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

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