Fate/Lyrical cross ☓はやて【凍結中】 作:貫咲賢希
ほんと早く更新しないと駄目だなぁU
例えばの話。
なにかしらの事情によって、一つの森に獰猛な獣が放たれたとしよう。
その獣は他の生き物を蹂躙し、一つの世界を狂わせる元凶になっただろう。
それが一匹のみならず、多数放たれたのであれば、世界の寿命はすぐさま消え失せる。
だが、それでも、その世界が、あるがままの平穏を保っていたとしたら?
数多の凡人たちによる己が考えられるだけの最強の生物を蔓延らせて、なおもその世界が変らず存命したとしたら、その原因とはいったいなんなのだろうか?
そんなものは決まっている。
その世界により強いモノが最初から存在した。それだけの、くだらない話だ。
*
猫に刃を突き立てようとした光景にミコトは叫んだ。
そのミコトの制止の言葉に少年は動きを止める。
そして、彼はその黒い瞳をミコトに向けた。
ミコトはその瞬間、なにも感じなかった。
彼に威圧感を感じない。恐れを感じない。それが異常だと、気づいたミコトは頭の片隅で警鐘を鳴らす。
そう、彼に見られたとき、ミコトは先程まで感じていた憤りがどこかに吹き飛んだ。いや、飲み込まれたのだ。彼のその視線一つで。
まるで虚ろのような瞳だ。
なにも感情も出さず、だからといって無害ではない。まるで全てを吸い込むブラックホールのような、どこまでも暗い闇。
その視線で完全にミコトは硬直した。蛇に睨まれた蛙どころの話ではない。圧倒的な虚無の目の当たりにして、全ての意識を彼方まで飲み込まれた。
彼は無反応になったミコトを数秒見つめてから、くるりと元の態勢に戻る。そして、彼が傍らにいる猫へ手に握った刃を振り落とそうとした時、ミコトの意識が覚醒する。
なにを呆けているのだ、自分は!? いま、あの少年が無害な猫へ一方的に危害を加えようとしているのだぞ!
自分に叱咤し、今度は言葉を発さず、無我夢中でミコトは彼に飛びかかった。
ズドン! と、重たい衝撃を腹に受け、蹴られたボールのようにミコトの体が地面に転がる。
「げっほ!」
ミコトは蹲りながら買って貰ったばかりの服を土で汚し、噎せり上げる。
ミコトが少年に飛びかかった際、彼はミコトのほうを振り向きもしないまま、刃物を持った逆の手で、ミコトの腹部に裏拳を打ちこんだのだ。
「……、この猫はお前の家族かなにかか?」
蹲るミコトを再び視線を向けて、初めて少年は口を開いた。
以外にも子供らしい声、といえば当然なのだろう。彼の見た目はミコトと変らないほど幼い子供だ。黒い髪に黒い瞳。綺麗な顔立ちだが平均的な子供らしい体格。
しかし、普通の子供ではないことは明確だろう。それもとびっきりのだ。
そもそも、普通の子供は、同じ体格の相手を、よく相手も視もせず、拳一つで吹き飛ばせることなどできない。できるというならば、それは何かしらの技術や訓練を受けている、普通ではない子供だ。
「違う。けど、君がその子を傷つけていい事とは、関係ない!」
野良などを含めれば、猫の一匹や二匹、どこかの道端で死んでいても可笑しい世の中ではない。
だが、そうだからといって、自分の目の前で、小さな命が明らかな誰かの手によって奪われることは断じて許せない。
生きているのだ。自分たちと同じ魂を持った生き物なのだ。それが、どういった事情であれ、簡単に摘まれること間違っているとミコトは思う。
ならば、見も知らない猫一匹のためにもミコトは全力を尽くす。
どうやら、相手は子供なりにも強いらしい。だが、それは自分も同じだ。
自分には魔法という力がある。魔法や、それに類する力、あるいは似た力を持たない相手にそれを振るうことは愚かなのかもしれないが、小さな命を守れるなら、そんな道理などミコトは斬り捨てるだけだ。
自分の首にかけている待機状態のニーベルングを服越しに握りしめると、少年は、ふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「傷つける、か。確かにそうだろうが、お前はコイツの状態を見て同じことを言えるのか?」
「え?」
その言葉でミコトは彼の近くに横たわっている猫を見る。
グレーの毛並、首輪もないことから野良猫なのだろうか? ただ、酷く衰弱している。
ミコトは少年が虐待した原因だと思ったが、目立った外傷も見当たらないので直ぐに考えを改めた。
なにかの病気なのか? と、思ったとき、少年が明確な答えを告げる。
「コイツは死にかけだよ。けど、死に切れず苦しんでいる状態が今だ」
一瞬、少年の言葉が出鱈目だという可能性が出たが、ミコト自身でそれを一蹴する。
確かに、あの猫からは活力を感じられない。なによりも、ミコトは魂を見て、その命が消えかかっていることが解った。
寿命なのだろうか。ミコトの内心を見抜いたように少年が言う。
「どうやら気づいたか。お前がコイツを助けようと俺に挑んだ心意気は買うが、生憎とそれはお角違いだ。
俺はただ、介錯をしようとしたに過ぎない」
介錯。切腹という自傷の際に、本人を即死させて死の負担と苦痛を軽減するための行為。
その言葉を思い出したミコトは、はっと、少年と猫を交互に見る。
つまり、この少年は苦しむ猫を楽にさせるために殺そうとしているのか?
そんな馬鹿な、少年の勝手な行為だと叫びたいが、肝心の猫が委ねるようにして彼の傍で横たわるままだ。
その瞳を見た時、どこか自分に対して憐れみを向けているようにも感じた。それは錯覚だろうが、仮に猫が生きることを望むなら、死力を尽くしても、まさに今、少年がミコトに視線を向けている隙にでも逃げ出すだろう。
ならば、この猫自身も死を受け入れている。彼の行為を甘んじて受けるつもりなのだ。
そのことにミコトは愕然とした。
死の苦痛から逃させるために殺す。そんなことが許されるのか?
いや、もはや道徳の問題ではないのだろう。既に両者の上で合意のことなのだ。
それが、いきなり割り込んできた部外者でミコトが邪魔していいものではない。自分がしていることは逆に、猫の苦しみを伸ばす行為なのだ。
言葉の失ったミコトを最後に一瞥して、再び少年は猫に振り向く。
「待たせたな」
返る言葉などないのに関わらず、律義に少年は猫に詫びる。
当然、猫に反応らしい反応はない。しかし、なぜか笑っているような気がした。
少年は刃先を横たわる猫に向ける。微動だにしない猫を見つめる少年の瞳。
その瞳が――――。
「待って」
再び、ミコトは制止の言葉を投げた。
改めて少年はふり向く。先程まで感情らしい感情を少年からは感じなかったが、今の少年は明らかに苛立っていることが分かるほど眉間にしわを寄せミコトを睨んでいた。
さきほどとは違った圧迫感。明確な敵意だ。
しかし、ミコトはそれに怖じ気づくことはなく、しっかりと少年を見る。
「まだ、早い」
ミコトは立ち上がり、一人と一匹に近づく。
自分のやっていることは命の引き延ばし。苦しみの継続。国を治めた人間の生まれ変りなのにも関わらず、なんとも子供じみた愚行なのだろう。
だが、それでも、ミコトはやはり我慢ができなかった。
一つの命が苦しんでいる。助からない。だから、死を持って終わらせよう。なるほど、それも確かに救いの一つなのだろう。
しかし、ミコトはそれを選べない。
なぜなら、死んだらそれまでだ。次の生があるなど保証もない。転生、生まれ変わりなど奇跡の産物であり、願って起こしていいものではない。魂を扱い、実際転生したミコトが言えた義理ではないことなど重々と彼は承知している。
それでも、いや、そうだからこそ、ミコトは止める。
死ぬことがどんなものか知っているから、今を生きられないことがどんなに悲しい事か知っているから、ミコトは諦めきれなかった。
どんなに足掻いても、見っとも無くても、苦しんでも、辛くても、涙を流しても、それでも明日を手に入れるならその方がずっといいとミコトは思う。
この考えは押しつけなのだとミコトを知っている。
けど、それは相手も同じだ。ミコトに対して自分たちは終わりたいと、ミコトに押しつけている。
だからこそ、ミコトも意地を通す。
なにもできないかも知れない。けど、なにかできるかも知れないのだ。
諦めることを諦めてしまったらそれで終わりなのだから。
揺るがない意思を宿した瞳を、真っ直ぐに向ける。このまま少年が無視して行動するつもりなら、ミコトは文字通り、全力で止めるつもりだ。
その覚悟を感じ取ったのか、少年は顔を歪める。勇ましいミコトに恐怖したわけではない。先程のような虚ろのものとは違う。明らかに、嫌悪したように、ミコトを凝視した。
「ちっ!」
感情を吐く様に少年は舌打ちした。
そして、懐から手に握っている刃物を普段納めている鞘を取り出し、その刃をしまう。
「五分だ。なにかしたいならすればいい。それ以上は待たない」
少年はそうやって体を避けさせ、ミコトに猫を見させる。
「ありがとう」
「……………………」
少年はミコトの言葉を無視する。
少年は気を改めた訳ではない。
ただ、ミコトに思い知らせたかっただけだ。この世には何もできないことがあることを。
存在しているなら、いつかは必ず消える、その道理を。何をするつもりなのかは知らないが、無知で無垢な子供にその事実をつきつけてやろうと思った。
ミコトはそんな少年を余所に、猫の傍にしゃがむ。
改めてミコトは猫を見て、その違和感がした。
そう、この猫は普通ではない。
魂の質が変っているのだ。生まれてこの方、ミコトは猫を見たことがないわけではない。
魂の判別。それによって感じる違和感にミコトは活路を見つけたのだ。普通の猫でないのならば、この猫の寿命が普通では必然であるのならば、助かる方法があるかもしれない!
この猫…………。
この猫の魂。猫であることには間違いないのだが、やはり普通と違う。
しかも、この微妙な違いを、以前にもミコトは感じた憶えがあるのだ。
どこかだ? 猫。猫といえば、自分たちを手助けした管理局のギム・グレアム。その使い魔も猫だった。
ん? 使い魔?
「まさか、この子!?」
もしやと思い、別の観点からミコトは猫の様子を探った。
ある、魔力が、自分たちと同じ魔力がある! リンカーコアを感じる!
習いたて、拙い魔法技術ながらも、ミコトはそれが理解できた。
なるほど、どうやらこの猫は誰かの使い魔のようだ。しかし、自分やアーチャー。はやてとリインフォースに感じられるラインのようなものを感じない。
使い魔は術者の存在に依存する。この猫がなんらかの形で契約を破棄され、存在するための魔力を供給できないのであればこの状態でも納得がいく。
なぜ、はぐれ使い魔がこんな場所にいるかなど、今はどうでもいい。問題はその使い魔が魔力枯渇によって死にかけていることだ。
どうすればいい? 自分の魔力を他者に供給する方法?
自分の知る技術の中ではそれが思い浮かべられない。存在するにはするだろうが、ミコトは知らないのだ。
ミコトは自身の異能たる魂の魔法以外では、まだ基本的なものしか知らない。
どうする? 一度連れ帰ってアーチャーに見てもらうか? しかし、それをこの少年にどう伝える? 魔法も知らない人間にどう説明する? そもそも、この猫の使い魔はそれまでに持つのか? 危険な状態だ。自分がそうこう悩んでいる内に時間が無くなっている。
考えろ。自分が今できること。
自分ができこと。基本魔法。魂の魔法。それだけだ。
いや、それ以外にも情報がある。自分は天王の転生者だ。ならば、天王であった頃の記憶の中に役立つモノがないか?
ミコトは思考する。呼び起こす。
前世の記憶を呼び覚ます作業はミコトにとって、実は綱渡りだ。今の自分が自分でいられないような感覚。簡単に言えば、過去のデーターで現在のデーターを上書きしてしまうような、そんな危うさもある。
今よりももっと幼い頃、ミコトはそれに悩まされた。その度に両親に励まされたが、今は自分一人しかこの場にいない。だから、自分だけで自己を保ち、必要な情報だけ算出する。
幸いな事に目ぼしい記憶が直ぐにあった。
「君! さっきの刃物貸して! それでなんとかなるかもしれない!」
ミコトの要望に少年は怪訝するも、彼の必死な顔に打たれるものがあったのか、なにも言わず、鞘に納められた刃物をミコトに手渡す。
ミコトは刃物を鞘から抜き、改めて自分の中にある得物を見た。
ナイフというには長い。刀長は二尺よりも僅かに短い、小太刀と呼ばれる刀だ。
なぜ子供がこんな物を持ち歩いているのかと思うが、ミコトも縮小しているとはいえ、これよりも巨大な大剣であるニーベルングを携帯しているので人の事は言えない。
ミコトは鋭い刃渡りを見て唾を飲むも、覚悟を決めて自分の手の平をその刃で斬った。
少年はその突然の自傷に目を少し開くものの、それ以上驚いた様子は見せずに黙ってミコトを見守る。
切り裂いた手の平を握るとポタポタと血が流れた。それを猫の口に流し、飲ませる。
血には魔力が宿る。人間に対してこれをした場合、衛生上など様々問題を孕むが、使い魔相手ならば問題はない。おそらくだが。そんな曖昧な知識にミコトは頼るしかないが、結果は二人の少年の目の前ですぐに現われた。
猫の活力が徐々に増える事が分かった。最初、猫は驚いたように体を震わせたが、徐々に受け入れ、少なかった脈動も少しずつ大きくなる。
ミコトはそれが嬉しくて、助けようとした命が助かることを喜び、痛かったが自分の拳を強めて更に血を猫に与える。
「馬鹿が。貧血になるつもりか」
そういって少年はミコトから小太刀を奪い取り、自身も手の平を斬った。
「え?」
ミコトは少年の行動に驚くものの、少年はそれを無視し、ミコトと同じように猫の傍にしゃがんで自分の血を与えた。
呆然と自分を見ているミコトに対して少年は面倒そうに呟く。
「二人でやれば無駄に消費することもないだろうが」
少年自身これがどういった行為であることを詳しく把握しているかミコトには推し量れなかったが、少なくとも自分の手伝いをしてくれようとことは解った。
申し訳ないと思いながらも、一応ミコトは確認すると少年にも魔力を感じる。
質に関しては残念ながらミコトのほうが上だが、少年の血にも十分意味がある。
しばらく、二人して猫に血を与える。傍から見ればなんの呪術なのかと思うだろうし、実際それに類ずる行為をしているのだが、二人は真剣だった。
「これならもう大丈夫かな?」
そうやってミコトは血を流すのをやめ、少年もそれに続く。
どうやら、猫の使い魔の様子は大丈夫そうだ。
猫は動けるよなったのでむくりと起き上がると、じっと二人を見ている。
「使え――」
と、少年はどこから出したのか清潔そうな黒いハンカチをミコトに渡した。見れば少年の手には既に別のハンカチが捲かれている。
「うん、ありがとう」
ミコトは受け取り、切った手の平をそのハンカチで捲く。
すると、猫が心配そうにハンカチの捲かれたミコトの手にすり寄ってきた。
「大丈夫だよ」
ミコトは猫を抱き上げてから、その体を優しく撫でる。
触ってみてもちゃんと鼓動を感じる。自分が体を撫でるたびに猫が気持ちよさそうにニャア、と鳴き声を出すと自然と顔が綻んだ。
「良かった……」
少年は言葉を失った。
その一瞬、初めて少年はミコトの姿をちゃんと見たのかもしれない。
僅かに揺れる空の青のような髪の隙間から覗かせる、まるで星の光のような黄金の瞳は緩やかに細められる。
感極まった様に目じりから微かに涙が浮かべ、美しき瞳を更に煌びやかにさせた。嬉しそうに猫にすり寄るその姿はまるで可憐な乙女にしか見えない。
彼の姿が、あまりにも温かく、眩しく、純粋で、幻想的な美しさだった。
それだけで自分がしたことに価値があったのだと思えるほど、少年はその姿に心を奪われた。
だが、次の一瞬で我に返り、馬鹿馬鹿しい思考だと自身で唾棄し、相変わらず無邪気に猫と戯れるミコトに声をかける。
「それで、これからどうする気だ?」
「え?」
ミコトがきょとんとした顔でこちらを振り向いたので、思わず少年は溜息をした。
「そいつが普通の類じゃないことくらい理解できる。ならば、この後、助けたその猫はどうするつもりだ? このまま野に放すのか?」
「あっ」
その言葉で現実に戻り、途端、さっきとは打って変わり暗い顔になる。
この猫ははぐれ使い魔だ。それは間違いないだろう。
そして、いまこのまま別れてしまうと先程のような事態が再び起こってしまう。
ならば、自分の家に連れていくこともことを考えて、更に躊躇う。あそこは下宿さしてもらっているだけで、本来は自分の家ではない。ましてや、どこの誰のかも分からない使い魔を簡単に招き入れることを良しとするだろうか? 家主である八神はやては心良く受けいれてくれそうだが、リインフォースや、ミコト自身の騎士であるアーチャーは警戒して了承してくれそうにない。
もちろん、しぶしぶ承諾する場合もある。
だが、もしも最悪の事態になったらどうする?
具体的な例は考えるのが恐ろしいので打ち切り、家に連れていくことは最終的な候補として別の方策を考える。
隠れて、自分の使い魔にする。無理だ。自分はまだ使い魔の契約方法を知らない。救済騎士ヒルフェリッターの召喚すら、天剣ニーベルングの半自動のようなもので、アーチャーの召喚は偶発的に起きたものだ。自分が使用と思ってできるものでは、少なくとも今のミコトではできない。
仮に契約したとしても、アーチャーが気づくのではないか? 使い魔と術者に関するプロセスはまだ理解ことばかりで、自分が学んでいない個所で、アーチャーが自分以外に主と契約した存在を知るかもしれないのだ。
具体的な今後の方策が見つからないミコトは、再び前世の知識を頼ろうかとしたところで、少年が本日何度目か分からない溜息をした。
「俺が預かる」
「え?」
「俺が預かると言ったんだ。生憎と実家は怪異の類に縁がないわけがない。一匹ぐらい何かしらの理由をこじつけて連れ込むことはできるだろう」
「え、怪異? あれ? え?」
知らない単語が出てきて混乱するミコトに対して、少年はまたしても溜息をした。
「まさか、俺を未だに一般人だと思っているのか? 色は違えど、俺もその世界の住人だ」
「ええと、つまり?」
「馬鹿か。貴様が魔術師やら退魔師、陰陽師、あるいはそれに近いなのかは知らんが、俺もそういう類の人間だと言っているのだ。そもそも、普通の人間なら、猫に血を与えた気の狂った行動を見た瞬間止めるだろう」
「うぅ…………」
もっともな言葉を言われてしましい、たちまちミコトは落ち込んだように項垂れる。
すでにミコトはこの世界が一般的にそういった「力」が「日常的」ではないこと知っている。たまたま、この少年が偶然その道の人間だっただけで、この世界での普通の人間からしたらミコトがしたことなど奇行にすぎないのだろう。
軽率な行動をとってしまった事を自覚したミコトはどんどん顔を暗くさせる。
「馬鹿か?」
再び少年がミコトに罵声を投げる。今度はどんなことを言われるのか、ミコトは暗い顔のまま少年を見ると、なぜか少年は口をへにして、そっぽを向いていた。
「そこまで落ち込むことはないだろう。貴様の行動が、そいつを助けたことには変わりない。過程はどうあれ、胸を張っていい結果だろ」
そう言いながらこっちを見ようとしない少年をミコトは不思議そうに見つめる。
ぶっきらぼうな言い方だが、もしかして自分を励ましているのだろうか?
元々、事実であれ貶したのは少年なのだが、それは別として、ミコトはまた顔が緩むのを自身で感じていた。
「君は優しいんだね」
「はぁ?」
信じられないものを聞いたかのように少年はふり向くと、そこには満面の笑みを浮かべたミコトがいた。
「この子を助けるのも手伝ってくれたし、僕を元気づけようともしてくれた。そもそも、君が最初にこの子を助けようなとしていた」
「なにを馬鹿な事を。俺はこいつを――」
「うん、殺そうとしていた。でもそれは、殺したいからではなく、助けようとしたからだよね。君自身が、直接的じゃないけど、そう言っていた」
「…………」
「正直、僕はそのやり方は好きじゃない。でも、その真ん中にある心はとても、温かいものだと思うんだ。そんな君ならこの子の事も任せられるよ」
そう言いながら、ミコトは自分が抱いていた猫を少年に差し出した。
しばらく間があってから、少年が手を伸ばすと、まったく抵抗もなしに猫はミコトの手から、少年の腕の中へ移動した。
「お前も、こいつも、馬鹿だろ」
「ははは、君にはかなり馬鹿馬鹿て言われているね。実際その通りだろうから返す言葉もないよ」
ミコトは苦笑し、猫は馬鹿だと言われたのが不満だったのか抗議するように鳴く。
その一人と一匹の様子に少年は再び溜息を吐き、少年は猫を抱きあげて自分の左肩に乗せると立ち上がった。
「俺はもう帰る。貴様もさっさと帰れ」
時刻はそろそろ日が落ちかける頃。しばらくもしない内に、空は夕日色に染まるだろう。
確かにそんな時間ならば、あまり子供が一人でいるべき時間帯ではない。
「この辺りは最近物騒だからな。せいぜい変質者に襲われないように気をつけろ」
「うーん、男の子を襲う変質者は更にかなり特殊だと思うけどな」
そう言いながら立ち上がると、少年は本当に驚いた様にミコトを凝視していた。なぜか彼の肩にいる猫も一緒に驚いているように青い瞳を大きく見開いている。
「貴様、男か?」
「え? 今まで女の子だと思ってたの?」
「まぁ、そんな面じゃな」
ミコトは心外そうに顔を顰めるが、それも女の子が拗ねているようにしか見えなかった。
「うう、君だってどちらかと言うと女顔ぽいじゃないか?」
「一般的にはそうだろうが、貴様よりはマシだ」
少年も綺麗な顔立ちではあるが、ミコトのほうが明らかに良くて中性的。人から見れば、少年の同様、女の子だと勘違いされても不思議ではない。むしろ、男であるほうが不思議を思う人間のほうが多いだろう。
「まぁ、せいぜい身を大事にしろ。ある程度心得はあるみたいだが、それだけじゃ自分の身すら守れないぞ」
そう言い残して立ち去ろうとする少年を「あっ! 待って!」と、ミコトが呼び止めた。
面倒臭そうにしながらも、少年は脚を止めて、ミコトに振り向く。
「僕の名前はミコト・ベルンハルト。君は?」
名を教え合おう、ということなのだろう。
少年にはそれにどんな必要性も感じなかったが、拒む理由も特に思いいたらなかったので、直ぐに告げる。
「佐津間至祈」
「サツ、マシキ?」
「佐津間、至祈。至祈が名だ」
「シキ!」
なぜか嬉しそうに自分の名前を言うミコトを少年、至祈は訝しむように見るが、そのまま立ち去るようにして足を進めた。
すると、背中から見なくても分かるほどの元気な声がやってきた。
「シキ、またね!」
何がまたのだろうか? 背後で手を振っているミコトに今度は振り向かず、至祈はそのまま帰路についた。
その二人の様子の黙って見ていた人間がいた。
にやりと嗤い、交互に二人を見てから、片方が進んだ方角へ自身も足を進める。
*
すでに夕暮れは過ぎた。
しかし、至祈は家に帰っておらず、薄暗い人気のない道を進んでいた。
周りには明かりもない和式の屋敷が並んでおり、時刻はまだ寝静まるには早い時間だと言うのに、生活の活気というものがどこからも感じなかった。
ここは古い家が並んでいる場所で、周りは空き家、もしくは老人ばかりが住み、彼らは早くも寝ている時間なのだ。
ふいに、至祈の足が止まる。
自宅に到着したわけではない。彼が住む屋敷はこの古い住宅地の抜けた先にある。
猫が、自身が不安なのか、それとも至祈を按じているのか、警戒するように鳴いた。
至祈はそれに応じず、黙って視線を真っ直ぐと向けている。
その先、しばらくしてから、ゆらりと、数メートル離れた先に、人影が至祈の前に現われた。
年齢は至祈よりも上。ただ、大人ではなく、十代半ば頃の少年。血の様に赤い瞳に、体は骨と皮だけでできているように細く、その髪と肌は白い。
「おい、そこのガキ」
品の一欠片も感じさせない声が白髪の少年から発せられるが、至祈は反応しなかった。
「無視かよ? それともビビってるのか?」
可笑しそうに白髪の少年は笑うが、相変わらず至祈の反応は無反応。
「まぁ、どちらでもいいや。おいガキ。その猫、こっちに渡せ」
「断る」
即答。先程まで無反応だった至祈が断固として拒否した。
白髪の少年は一瞬眉を寄せるが、直ぐに笑みに戻る。その笑みはまるで、獲物を見つけた獣のようだった。
「なんだ喋れるじゃねぇか。で? なにふざけたこと言ってんだ? この俺様が命令してんだぞ? いまなら半殺しで許してやるから、さっさと寄越せよ」
「阿呆が。断ると言ったのが聴こえなかったのか?」
「あん?」
白髪の少年は青筋を立てながら睨みつけるが、至祈はまったく怖じ気づいた様子もなく相手を見据える。
「これは俺が預かったもの。貴様如きにくれてやる理由がない。見たところ、こいつの本来の飼い主というわけでもない。なら、とっとと、ここからいなくなれ。今なら、まだ、この世にいれるぞ」
遠まわしながら、至祈のそれは明らかな挑発だった。
ぶちり、と血管が切れてそうなほど男は顔を歪める。
「てめぇ、餓鬼がなめんなぁ!!!」
獣が吠えた。
瞬間、白髪の少年の動きが加速する。
数メートルあった距離は、白髪の少年が一歩踏み出した途端、まるで足にジェットエンジンでもついていたかのように、白髪の少年の一瞬の内で至祈の眼前に移動した。
獰猛な笑みを浮かべて白髪の少年は無造作に手を伸ばす。型もなにもない、打撃ともよべない、まるでじゃつくだけのように、至祈の体に向かって手を伸ばす。
それを至祈はまるで予め分かっていたかのように表情一つ変えず、一歩だけ自分の体を後方に移動させる。
誰もいない場所を白髪の少年の手はそのまま掠め、そのまま地面に指先を触れる。
ボゴン、と、まるで爆弾が爆発したかのように地面が破裂した。四散し土や石は男と至祈双方に降りかかる、が、何故が男に向かってきた石は奇妙なことに白髪の少年の肌に触れた瞬間、逆方向の至祈へと向かった。
結果として至祈は土埃と石礫の散弾を一身で受ける羽目になり、肩に乗せていた猫を右脇で抱え直し、重心を左側にしてから左腕で顔を庇うようにしやり過ごそうとする。
体の到るところに土と石が当たる。怪我をするレベルではないにしろ、十分な痛みを与えるそれを、至祈は表情一つ変えず、強く地面を蹴り、更に後方へ自身を移動させながら、まだ地面へ手を伸ばしている白髪の少年を見据えていた。
最初の距離間まで至祈が離れると、ようやく白髪の少年が体を起して、面白そうに至祈を見た。
「へぇ、まぐれで避けるとぁ、運いいじゃねぇか?」
白髪の少年は至祈の動きが偶然によるものだと思ったのか嘲笑していた。
そんな白髪の少年の言葉に一切反応することなく、服についた土埃を軽く払いながら、脇に抱えていた猫を地面に離す。
意を察したのか、猫は至祈と距離を取る、が逃げることはせず、ある程度さがったら、二人の様子をじっと見ていた。
そして至祈は懐から小太刀を取り出し、その鞘から白刃をさらけ出す。
「あん? なに? やる気? ていうか最近のガキは刃物なんて持ち歩いてんのか? 怖いねぇ」
至祈が小太刀を出したことに、男は僅かに動揺したが、すぐににやり笑って威勢を張る。
刃物がなんだ? 自分にはそんなものを通じない。
白髪の少年が心中で呟いたそれは事実であり、仮に四方八方にマシンガンを構えた人間に発砲されようが、次の瞬間には撃った側の人間を逆に虐殺させることが可能なのだ。
それが男が手に入れた《能力》。この世界に生まれてから得た最強の力だ。
なんでもできた。気に入らない相手がいれば叩きつぶし、ずっと自分の私欲を満たしてきた。今回もそのために使う。
おそらく、この目の前の少年を殺すことになるだろうが、白髪の少年は躊躇わない。人を殺すことはなにも初めてではないのだから。
自分の同じようになにかしらの力を持った人間も出逢った。何かしらの戦いの技術を持った人間と戦った。その度に男は自分の持っている最強の力で敵を葬った。
この少年も、もしかしたら、なにかしらの力を持っているのかもしれない。だが、なんであろうと無意味だ。物心ついてから今まで殺してきた百人ほどと同じように、無残な最期遂げるだけ。
至祈が動いた。男は悠然と立ったままで動かない。相手の動きなど意識もしない。
最初の一太刀は黙って受けるつもりだ。
だが、なにもハンデではない。少年が持った小太刀の刃が自分の体に触れた瞬間、彼の腕はへし折られるだろう。
そうなったら、あの澄ました顔も苦痛に歪むだろうか。子供らしく泣き叫ぶかもしれない。命乞いでもするかもしれないが、当然無視だ。至祈を殺すことは彼の決定事項であり、覆すことはない。相手が異性だった場合は、多少の猶予の時間を与えるのも考慮するが、その場合はひと思いに殺された方がマシだったという結果に変貌するだけだ。
気づくと、至祈の刃は彼が無防備にさらけ出している左手に迫っていた。どうせなら結果は変わらなくても、首ぐらいは狙えばいいのにと心の中で馬鹿にする。
ぐちゅりと肉が斬れる音、絶叫が夜空を木霊した。
思わず両膝を地面につけ、焼けるような痛みをする場所に手を伸ばすが、ない、ないないないないないないない。そこにあるはずの自分の手がない。
わけがわからない。なぜこうなった。痛みの中、顔をあげ、自分をこんな状態にした相手を見上げる。
赤い瞳があった。
しかし、感じたもの闇。まるで何処までも続く底なし沼。
全てを飲む込むブラックホール。闇はどこまでも広がり、その先にあるのは完全なる虚無の空間。威嚇されたわけでもない。死の宣告をされているわけでもない。ただ、そこにあるだけ恐怖を感じさせる静かな不気味さがあった。
赤い瞳、黒から赤く輝く瞳に変貌させた至祈は、地面に蹲る白髪の少年に刃を向ける。
「あ? あああああああああああああああああ!!!」
無我夢中だった。
白髪の少年は恐怖を振り払う様にして至祈に向かって残った手を伸ばす。
が、そりよりも先に少年が伸ばした手を至祈が手首から蹴り上げ、骨折させた。
「ぎゃああ! いたいたいたあああああああいいいやああ!?」
泣き叫びながら、少年の頭の中は恐怖と疑問で一杯だった。
なぜだ? なぜ自分は傷ついている? 四肢をもがれた虫けらのように地面で喘いでいる? 無様姿している? 自分には最強の力があるのではないのか?
「なんで、なんで《反射》がきかねええんだよ!?」
そんな少年の叫びを聞き、至祈は得心したように頷いた。
「なるほど、それが貴様の力か。それなら、七十六人の犠牲者を出しておきながら今の今まで自由に闊歩できたのも理解できる」
さっきまでとは違ったものを芽生えさせ、少年は至祈を驚いたように見る。
この子供は自分を知っているのか?
「なんだ? 自分は世間では知られていないとでも思っていたのか? 阿呆が。表向きでは貴様が仕出かしたことは原因不明の変死体として処理されていたが、生憎と世界はそんなに甘くない。簡単に言えばこの国の暗部では貴様程度周知されている」
その言葉に少年はある程度納得できるものがあった。
実際、ある時期から自分を捕えようと、どこかの組織の人間が何人もやってきた。
その度に彼は相手を返り討ちにしてきたが、つまりは自分よりも明らかに年下の子供もその人間なのだろう。
だが、それで全て納得したわけではない。一番重要なことが理解できない。
白髪の少年は力があった。それこそ、血や死体の中で生きる裏の世界の人間を何度も殺してきた、まさに最強と呼べる力を持っていたのだ。
なのに、なぜこの力がこの子供には通じない? 一番考えられるのは、あの赤く輝く瞳だ。しかし、それはどういったものなのだ。
そんな自分の瞳をじっと見ている視線に至祈が気づく。
「この瞳は特別性でな。これで見たもの、なんでも消せる。それこそ、“そこに存在するなら、神様すら消してみせる”」
消せる。俄かに信じ難いことだが、つまりはこの子供の目はどんなものも消せる。
少年の体を切り裂き、骨を砕いたのも、その目の力で、少年が持っていた力を打ち消したゆえの所業なのだろう。
少年の顔が引きつる。なんという力だ。まともにやれば、勝つ見込みを今の少年では見いだせない。
つまり、残る道は撤退。復讐をするのであれば、その後で相手の能力を見極めてからではないと駄目だ。
なによりもこの場を直ぐ逃げ出したい。命の危険を感じ取った少年は自分に力を流す。
彼の能力はベクトルの変換。人体に触れれば、血流を操作して肉体を破壊し、自分の傷つけるようなものは、その肌に触れた瞬間、相手に脅威をそのまま返す。
また、自分自身にかけることで、最初に見せたような高速移動が可能だ。
目の前の子供の先程の動きを見るからに、凄まじいものだが、自分が能力を使い全力で逃走すれば追いつかれることもないはずだ。
しかし――。
「?」
力を使用しているのにも関わらず、少年の体は微動だにしない。
むしろ、本当に力を使っているのすら疑問が――。
「なんだ? もしかして、さっきみたいな動きで逃げようとしたのか?」
困惑する少年へ、至祈は更なる事実を突きつける。
「あの動きが力の応用なら、無駄だぞ。なぜなら貴様の力は“すでに消えているのだから”」
「へ?」
間抜け顔をする少年に対して至祈は鼻を鳴らす。
「言っただろ。俺の目はどんなものでも消せる。お前の力は最初の一太刀で消した」
至祈が最初に少年の左手を狙った理由。それは、そこに何かしらの力を発動させる点が見えたから、斬り、消したのだ。
ゆえに少年が至祈向かって手を伸ばした時、彼は躊躇もせず、その無害になった腕を手首から蹴り砕いたのだ。
「本当ならこういった能力を消せる場所は簡単に見えないがな。努力や才能で身につけたものじゃなく、誰かに貰ったような力は分かりやすい位置あるらしい」
「は……………」
そこでようやく、少年は自分が無力な存在になり下がったことを理解した。
「おい、どこへ行く」
「!?」
少年の腹を至祈が踏みつぶす様にして蹴り、そのまま地面に圧しつける。体格差は二倍使くあるのにも関わらず、まったく少年は動けなかった。
「逃げられると思っているのか?」
どうやら少年は無意識に逃げようとしたらしい。当然と言えば当然だ。生命の危機を感じ、本能的に動くことは正しい。しかし、至祈はそれを見逃さない。
刃が向けられる。明らかに至祈は少年を殺そうとしているのが分かった。
「や、助け――」
「阿呆。貴様はそうやって命乞いした相手を見逃したか?」
「そ、それは――」
言葉につまる。彼はそんなことをしていない。助けを請われたことは何度もあった。だが、その度に彼はその想いを踏み砕き捨てた。
そんな今までの自分の立場が変ったのは、まさに因果応報なのだろう。
「どの道、貴様のことは“佐津間の家”にそろそろ依頼が来てもいい頃合いだった。ようは、遅いか早いかの違いだ」
「ひ、人殺し!」
「そうだ、俺は人殺しだ」
無意味な罵りを至祈は受け流す。
至祈の家。佐津間は暗殺の生業をしている。至祈はその実行者だった。
だから、少年の言葉も間違いではない。至祈自身が認めたように、彼は生まれた瞬間から今までで一万以上の命を消してきたのだ。
殺すことに感傷も湧かない。それが役目であり、当たり前のことだから、容赦なく至祈は動く。
「い、いや、いやだ!! 死にたくない! まだ、死にたくない! 助けてください! もう二度とこんなことしません! おねぇがいしまず! たのみます!」
そこで少年の理性がとうとう弾けた。
彼の力は偶々貰ったものであり、今までのことも死線を潜り抜けた、戦いをしたというにはあまりにも一方的なものだった。ゆえに精神は一切鍛えられておらず、力を無くした哀れな少年はどこまでも脆弱だった。
最初の威勢の欠片も存在せず、顔は涙と鼻水と恐怖で見っともなく歪み、混乱したように呂律が回っていない言葉を叫ぶが、至祈は相も変わら澄ました顔で相手を見ている。
「阿呆。その恐怖も痛みも貴様自身も――」
至祈の小太刀が、少年の体に喰い込んだ。
「今、全て消えた」
次の瞬間、少年の声はこと切れたように聴こえなくなった。それどころか、さっきまで至祈の足元にあった少年の体がどこにもなかった。
至祈は、その目の力を使い、少年を肉体ごとこの世からまるごと消したのだ。
そこにも一切の感情を出すこともなく、疲れた素振りも見せないまま至祈は小太刀を鞘に納め、懐にしまった。
至祈はくるりと振り返ると、そこに先程まで自分を抱えていた猫を見つける。
猫は自分を見ていた。だが、その小さな体が震えているのは見間違いではないだろう。
「これが俺だ。気に入らなかったら、今からでもアイツを探せ。向こうの事情は知らんが、最終的には俺といるよりマシだと思うぞ」
そうやって至祈は身を翻し、自分の家に帰ろうとする。
至祈は自分が異常であることは理解していた。
家は古い歴史を持ち、今は暗殺を生業していることもそうだが、至祈自身もこの瞳が異常の中でも群を抜いていることを把握している。
事象消滅の魔眼。
誰かがそう名付けたこの瞳は、現在起きている、あらゆる現象、法則を感知し、 それらを一瞬で消滅させる「場」や「点」を視ることができるのだ。
その気になれば簡単に隣人を殺せる。
そんな危険な人間など誰も近づきたくはないだろう。
しかし――。
至祈は後ろから着いてくる気配を感じ取り、ちらりと確認すると、自分が預かろうとした猫がついて来ていた。
あの猫が普通の猫ではないのは知っている。人間に近い、あるいは同等かそれ以上の知能すらある可能性すらあるのだ。
そんな存在が、一度は委ねたとはいえ、こんな自分と一緒にいようとする理由は至祈には分からなかった。
変わった奴だと不思議に思う。
そこでふと、至祈は今日出会った可憐な乙女のような少年を思い出した。
自分とは違い、分かりやすく怒り、悲しみ、泣き、笑う奴だった。
あの少年は、自分のこんな姿を見てどう思うのだろうか?
*
夕食、八神はやては不思議そうに目の前の少年を見ている。
隣ではアーチャーが作った料理をリインフォースが美味しそうにほうばって、その様子をアーチャーがにやりと笑って見たことに気づくと少し不満そうにしながらも「これで許したわけではないぞ」と言葉よりほど棘のない声色で小言を言っている。この二人は少し喧嘩をしていたらしいのだが、どうやら仲直りはできているようでなによりだ。
それよりも、今はミコトだった。
自分がリインフォースと病院から帰って来た時、ミコト見た瞬間驚いた。
買ったばかりの服が土で汚れていて、手の平も刃物で切ったような怪我をしていたのだ。
その怪我も今は見覚えのないハンカチを捲いている状態から包帯に変わり、服も綺麗なものに変わっている。しかし、彼の表情はどこか明るいままだった。
服を汚したことや、怪我をして心配をかけたことに申し訳なさそうにしていたが、それを差し引いて、ミコトの表情は晴れやかだ。なんだか楽しそうな顔にはやては少しだけ引っかかるものを感じ、それが何故そんな楽しい顔をしているという疑問からきたものだと思い、すぐにはやては何があったのかと訊ねた。
曰く、知らない子と怪我した猫を助けたそうだ。傷や服の汚れはその時にできたもの。
部分部分ではぐらかしているのか、うまく説明できてないのかで詳細が今一分からないが、概ねそんなことがあったようだ。
そんなことあり、今も機嫌をよくしているミコトへ、はやては夕飯そっちのけで再び何度かしたような質問をする。
「なぁなぁ、ミコトくん。そんなに良い子やったん?」
「シキのこと?」
これだ。いまだに自分のことは名前で呼んでくれないのに、今日あった子は名前で呼んでいることが、少しだけはやてには不満だったが、ミコトの気を悪くさせたくないので、自身の小さな嫉妬を隠し、小さく頷く。
そんな少女の様子に気づかず、ミコトは楽しそうに話す。
「うん。少しだけ乱暴だったけど、優しい子だったよ」
「そうなん。よかったね」
そんな楽しいそうに笑うミコト見て、はやても自然と笑う。
「うん。今日は良い友達ができたよ!」
*
ミコトのことを考え、至祈はその思考を打ち止めした。
無駄な事だ。気にしても仕方ない。
なぜなら、彼と自分は友人でもないのだから・・・・・・・・・。