人間に最も近いアンドロイドは神さまに最も近い人間に出会い恋を知った。


始まったときから終わりを見ているとも知らずに――――。

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無垢は透明と同時に虚と似たり。


星握説

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 最後の夢は燃える街と荒れ狂う海

 そして狂おしい程の嫌悪をその顔に浮かべながらパンツを見せて来る女の子

 とても愛おしかった

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 このままいけばやがて世界に終わりが来るだろう。

 えらい科学者が言わなくたって人間だれもが分かっていた事だった。

 だって100年後には自分という存在は確実にこの星にいなくなっていて、この星すらもいつかは消えて無くなるのだから。

 それでも人間は貪るのをやめられないのだから、愛すらも我から生まれる執着なのだから、性悪説が正しくないなんて有り得ないことだった。

 

 ゆっくりと、それでも確実にシャッターが増えていく商店街。

 潮風が通り抜ける路地裏で一人の少年の歯が宙を舞った。

 

「おいおいおい。懇切丁寧に説明してやったじゃんか」

 

「お前のババァの通帳に書いてある番号を覚える。カードをATMに入れる。番号を入力する」

 

「後は全額持ってくる。小学生でも出来るだろ、なんでそんなことも出来ないワケ?」

 また一つ少年の腹に膝が入った。地元の中でも最悪と呼ばれる悪ガキたちが集まる高校。

 身体が弱く中学も休みがちだった少年はそこに通うしかなかったが、待っていたのは壮絶ないじめだった。

 だがそんなことは人間動物限らず世界中のどこにでも起こっている。

 それこそ幾千の物語の始まりにもなるくらいにありきたりな光景だった。更にもう一発、少年の頬に鉄拳が振り下ろされようとした時だった。

 

「おやめください」

 

「あ?」

 三人の不良はいじめの続きを邪魔されたことよりも、不良の腕を掴んで止めたのが美しい少女だったということに驚いていた。

 しかもこんな状況だというのに少女は現国の授業を受けているかのように平然と落ち着いている。

 

「生産性の無い行為です。その分の力を別の事に使うべきです」

 

「待て待て。待て」

 不良は全ての行動を中断し、腕を掴まれたまま少女の顔を舐めまわすように眺める。

 街ではまず見ないレベルの少女の美しさもそのヒントとなったようだ。

 

「『命令』だ。後ろを向いて気を付けしろ」

 

「あなたの望みのままに」

 不良を止める、という確かな意思を見せていたはずの少女は何故か腕を離してその命令に従ってしまう。

 命令を出した不良はそのまま少女の制服の背中のチャックを下ろしていく。その行動の理由をそこにいる全員が知っていた。

 

「やっぱり、アンドロイドかよ。あちこちにいやがって……ほんっとに気持ち悪い連中だな」

 少女のブラの上にあった刻印を見て全員が少女の平然とした態度の理由を知った。

 十年前にこの世界に生まれて世界に増え続ける人間によく似た姿と思考アルゴリズムを持つ存在、アンドロイドだったからだと。

 

「珍しいアンドロイドだな。放課後なのに直帰しないでこんなとこにいるなんて」

 

「でもよ、歩くオナホールだ! 俺一度ヤッてみたかったんだよな。こいつら家に持っていくワケにもいかないからな」

 

「だな。『命令』。そこで黙って止まっていろ」

 

「あなたの望みのままに」

 少女の思考プログラムである『この場の暴行を止める』が『停止』に上塗りされた。

 逃げ出す事も出来ずにうずくまっていた少年の顔が絶望に青く染まる。

 彼はこの日、石を口の中に詰められ顎を蹴飛ばされ死ぬはず――――だった。

 

「えっ?」

 今さっき少女が止めた不良の顔が何者かに掴まれ、そのままビルの壁に叩きつけられていた。

 

 疾風迅雷の如く飛び込んできたその少年の姿を声を、全てを、そして最初の言葉を。

 少女は機能停止の日まで忘れる事は無いだろう。

 

「お前は――――! ははっ。運命……か」

 

「…………」

 記憶領域に彼の顔は確かにある。だが街ですれ違った程度だ。そんな分野に登録されている人物の顔などそれこそ何万とある。

 それなのに彼は今、こちらを見て言い放った。運命だと。

 

「左」

 全く後ろの事を気にかけていなかったはずなのに、少年の言葉通りにもう一人の不良が少年の左後ろからパンチを放っていた。

 だが、分かっていたかのようにわずかに身体をずらして避けてしまう――――どころか不良の腕を掴んでそのまま背負い投げをしていた。

 

「ぐっ!!」

 お手本のような見事な背負い投げに受け身を取る事も出来ずに背中を強かに打ちつけ、不良は即気絶していた。

 もう残っているのは一人しかいない。

 

(これは一体?)

 アンドロイドの少女にとっても不思議な光景だった。

 計測した少年の身長は171cm、体重は57kg。筋肉も骨格もスポーツや武道に携わっている人間のそれではなく、三人の不良に体格ですら劣っている。

 それなのに反撃すらも許さずに制圧している。最後の不良の表情を冷静に分析する。憤怒、恐怖、混乱。それでも僅かに憤怒の方が勝っているようだ。右ポケットに入っている折りたたみナイフで攻撃してくる――――と少女が予想したとおりに不良は少年に飛びかかっていた。

 

「あらら」

 

(また!)

 およそ素人には出来るはずもない喉輪落としが決まり、ナイフは宙を舞い不良はテイクダウンされていた。

 だが不可解なのは少年の右手が、不良の喉が来る位置に先にあったことだった。

 

「げっ、っ!」

 少年はまるでどう衝撃を伝えたら気を失うか分かっているかのように膝を肋骨の上に落とし不良を気絶させた。

 格闘技に精通している人物でもこうまで教科書通りにはいかないだろう。

 

「大丈夫か? ほら、立て」

 少女が黙ったままでいると、少年はこちらに一瞥をくれた後にうずくまったまま一方的な喧嘩を見ていたいじめられっ子に手を貸した。

 

「お前は立派な奴だ。ばあちゃんに迷惑をかけたくなくてずっと我慢していたんだろ」

 

「ありがとうございます……。な……なんで知っているんですか」

 

「おいおい、同い年なんだからそう畏まるな」

 

(それは無理なはず)

 アンドロイドだがそれぐらいの心の機微は分かる。いじめられっ子にとっては最早神に近い程の恩人であり、圧倒的な力の持ち主。

 そしてそれ以上に、会った事もないであろうに自分の事をそこまで知っている人間の存在自体が不気味で心理的距離を置きたくもなるはずだ。

 

「善の心を持った能力者は珍しいから……次は我慢しないで本気で怒ってみな」

 

(能力者?)

 普段耳にすることのない単語に疑問が浮かぶ。

 言われた本人すらも混乱しているようだが、結局少年はそれ以上何も言わずにいじめられっ子を帰らせてしまった。

 

「あいつな、今日死ぬはずだったんだ」

 

「はず、だった……?」

 

「でも自分が何者かも知らずに死ぬのは流石に可哀想だからな……」

 少年は最初から最後まで理解不能な事を言って歩き始める。

 少女も自然と同時に歩き始めていた。

 

「ついてくるのか」

 

「――――?」

 そう言えば何故だろう。どうして自分はついていこうとしているのだろう。

 行動の理由が説明できなかった。

 

「いいよ。そうさ。変えられないということはそういうことなんだろうな……ふふふ」

 

「…………」

 見た目は完全に普通の少年なのに、全てを分かっているような表情で悟ったようなことを言う。

 だがおかしなことなのにここまで立て続けに異常な事を見せられてはそれが変だとは思えない。

 

「ことはついでだ。次はここ」

 

「次?」

 波の音が耳に届くまた別の路地裏で少年は腰かけた。

 まるで何かを待っているようだ。

 

「お前らアンドロイドが現れてから、人間の生活は改善すると思っていた。みんな、な」

 

「はい。私たちは人間の手助けをし、出来ない事を代わって請け負う為の存在です」

 

「気持ち悪いから敬語で喋んな。さて、どうだかね……」

 

「……。どうして疑うの?」

 アンドロイドは人間の為の存在だ。だからこそ、不快だと言われた敬語を即刻やめて疑問点を訊く。

 とはいえまだまだこの少年は不可解な存在ではあるが。

 

「将来の人間移住の為……と送られた月と火星は既にお前らアンドロイドの国だ。俺達人間が生きていける世界じゃないと知っているはずなのによ」

 

「だからこそ人間がいつか移住する日に備えて私たちがテラフォーミングを――――」

 

「人間いつかは誰もが死ぬ。この星も必ず滅びると分かっていても繁殖し醜く争いながらも地球を掌握した。そんな性が悪として生まれた俺達クソ人間の星握説が……そんな存在を果たして許すかな……?」

 

「理解できる言葉で話してほしい」

 言語としてもちろん日本語を用いている。

 だが、なんというかこの少年はたとえるならば人間やアンドロイドよりも少し上の視点で世界を眺めているような言い方をする。

 

「そんなもん自分で考えろ。そろそろだ」

 

「そろそろ?」

 少年は疑問に答える事もなく、『大体このへんかな』と言いながら紐の飛び出た缶を置いた。

 

「えーと、あとは砂糖と塩素酸ソーダを詰めて……」

 

「それは……爆発する……!」

 こんなところでそんな物を作って何をしたいのだろう。

 危ない物質の存在を知って喜ぶ中学生でもあるまいし。そんなことを考えていたら紐に火を付けた少年に手を引かれて物陰まで連れ込まれた。

 何かを考える前にどこかから怒声が聞こえてくる。人間よりも遥かに優れている聴覚はその内容までしっかり把握してた。

 

(窃盗犯が追われている……)

 ひったくり現場を見ていた数名に犯人が追われているようだ。

 だがそんなまさか。今この事件は起こったというのに。そしてこの道を通るとは確定していないのに。

 と、思考にバグが発生しかけた瞬間にバッグを抱えて息を切らせた男が路地裏に入り、それと同時に爆弾と化した缶が爆発し男を盛大に転ばせた。

 

「あっはっは。予定通りに動くもんだと分かりきっていても楽しいな。な!」

 現場から逃走する少年が呟いた独り言はまさしく不可解だった。

 その言葉をアンドロイドに言うのならば理解できる。多様性はあるとは言え、プログラム通りに動くからだ。

 しかし少年は人間も同様に予定通りにプログラムから外れないように動いている存在だと言っている。

 そして今までの情報を整理して、ようやく正体が分かってきた。だがそれは解答に辿り着いてなお疑いたくなるような答えだった。

 

「予知能力者――――」

 

「…………」

 割とはっきりと話す少年だが、少女の言葉に何も答えずにピカロのように薄ら笑いを浮かべて夕暮れの街を走る少年に、少女は黙ってついていくしか無かった。

 

 

************************

 人はどんどん神に近付いていく

 アンドロイドはどんどん人に近付いていく

 AIが産んだAIは人の作ったAIよりも優秀だったという

 終わらない生命のワルツ

 ああ、こんな能力があると知った日から

 僕は神さまになりたかったんだ

************************

 

 

 

 この灯台のある小高い丘は海に臨む街を見渡せる絶景スポットだが、そこには気の利いた土産屋もなくかなりの階段を上らなければならないのでここに立ち寄る人は少ない。

 爆弾を爆破させた少年は息を切らせながら爽やかな顔でベンチに腰を下ろした。

 

「なんで俺についてくるか知っているぞ」

 

「…………」

 

「初めて出会う種類の人間だから、『興味』が鳴り止まないんだ。観察対象として誕生以来最高の存在が俺なんだろう?」

 

「うん」

 

「……そんな予想通りじゃてんでつまんねえんだよ……」

 予想通り。つまらない。そして彼は――――有り得ないことだが予知能力者。

 だとしたら予想通りでつまらないことが人生の常だったはず。ならば。

 

「私に何を望んでいるの?」

 ついてきたのは自分だがこの少年が連れてきたようなものだ。

 陽が落ちる。唐突に潮風が凪ぎ、世界の時間が止まったかのような感覚がする。

 夕陽と闇夜の狭間にいる少年の表情はまさしく人間の混沌そのものの顔をしているような気がした。

 

 次に少年が口にする言葉の真意を理解できるのはずっと後のこと。

 そして理解と同時に後悔の旅が始まることがまさしく運命づけられていたのならば。

 少女に時を戻すことが出来たのならこの言葉を聴くことだけは全力で阻止しただろうに。

 無作為に振りまいた願いはただ、誰のためでもなく弱さを映し出す。

 

「嫌な顔しながらパンツ見せて」

 

「――――え?」

 予想通りはつまらない、という言葉はアンドロイドの少女でも理解できる。

 しかしその言葉は完全に予想外過ぎて聴覚機能の故障を疑ってしまった。こんな出会い方をしてあんなことをして、望むのはそんなしょうもないことだなんて。『命令』されれば黙って火の中にも飛び込むアンドロイドだというのに。

 

「なんだよ、聞き返すほど難しいこと言っちゃいないだろ」

 

「『命令』すればいいのでは……?」

 

「……あー、つまんね」

 

「……。何者なの?」

 意味が分からない。理解不能。思考アルゴリズムを狂わせる存在だ。

 明日からのルーチンも正しく実行する為に彼の情報を正確に集めなければならない。

 

「何者ね……。俺はレベル10の『ウォッチャー』だ」

 

「レベル10? ウォッチャー?」

 

「来年生まれる概念だからな……」

 

「その……10というのは最上級という意味?」

 出会ったばかりの少年にそんなことを言われれば頭の病気か可哀想な妄想に囚われている哀れな人間という感想に落ち着いただろう。

 だがそう結論付けるには不可解なことが起きすぎた。

 

「そうだ。こんな能力者が俺一人だと思う?」

 

「……。そうは考えられない。稀少ということはあってもたった一人だけ特別という状況は有り得ない。恐らくはあなたのような存在が他にもいるはず」

 

「その通り。こうなったのはお前らのせいだ」

 少年は両の手のひらを空にかざし枠を作りながらまたもや理解不能な事を話し始める。

 

「私たちの?」

 

「神さまは俺たち人間を、この星の支配者たれと作り上げた。だが人間よりも遥かに優れたアンドロイドなんてもんが生まれちまって、しかもその本性は善と来ている……淘汰圧が俺のような能力者の存在を生み出した。そうはさせるものか、この星は俺たち人間の物だ、とな」

 

「そんな荒唐無稽な話を……――――!」

 つーっ、と少年の鼻から血が垂れると同時に手で作りだした枠に何かが浮かびだした。

 最早これで確定した。今までの何もかもが少年の出鱈目な嘘だとしても、間違いなく何か超常的な能力者なのだと。

 

「レベル4『スモーカー』だ。これから人を殺すぞ」

 

「4……」

 周囲の風景から察するにそこは日本ではない。

 金髪でサングラスをかけた女が道端でタバコを吸っていたら通りかかった黒人に注意された。

 だが女はタバコの火を消す事もなく、男に異常な量の煙を噴きかけた。それは明らかに人の肺の容量を超えた煙であり、あっという間に黒人の男を包み込んでしまう。

 煙が消えて出てきたのは焼け焦げてカラカラに干からびた人間の燻製であり、女がそれを蹴ると砕け散ってしまった。

 

「こんなのがもう世界中にいるんだぜ。今の世界はコップになみなみ注がれた水が表面張力でなんとか保っている状態だ。何か刺激が起これば一気に平和は崩れ去る……」

 驚愕の連続だ。今日だけで処理しきれないくらいの非常識が記憶領域とCPUに流れ込んできた。

 だがそれ以上に疑問点がある。

 

「あれがレベル4……レベル10とは?」

 

「世界にレベル10は4人。ウォッチャー、ブラックホール、アンチマター、ゼペット」

 

「ゼペットだけ人名?」

 あっという間に人を殺したスモーカーとやらがレベル4で未来が見通せる以外には普通の少年である彼がレベル10という奇妙な乖離も気になる。

 アンチマターもブラックホールもその名の通りなら確かに最上級に危険な存在だろう。だがそれ以上に一人だけ人名で呼ばれているのが気になった。

 

「ああ……そいつは能力を使い果たして死んだよ」

 

(身体への負担……)

 さっき彼は遠い場所の未来を予知し映し出す為に鼻血を垂らしていた。使いすぎると命に関わるらしい。

 しかし、死んだとなるならば何故未来において確認されているのだろうか。

 

「でもやっぱダメさ。お前らは人間よりも優れているから、こんなにも危険な俺らも結局制圧されちゃうんだ」

 

「そんな――――はずは……」

 人間に危害を加えないように。人間を困らせないように。

 そうやって作られたはずのアンドロイドが、超常的な能力を持っているとは言え人間に危害を加えるはずは無い。

 

「名前は?」

 

「……。Sub-1294-446」

 

「それは、名前じゃない」

 アンドロイドの少女はまたしても混乱していた。

 自分の肩を掴んで諭すように語りかける少年の表情はありったけの優しさを映し出している。

 しかし彼は悪の顔も、混沌そのものの顔もする。人間は実に不可解な存在だった。

 

「…………」

 アンドロイドの個は限りなく薄い。倉庫に『帰宅』か電子機器のそばに寄ればその日の経験をアップロードし全アンドロイドと共有できる。

 学校で学んだ多様性で多少の個性は出来ても、根っこは善で固定され存在意義は人間への奉仕。故に名前など考えた事も無かった。

 自分は集合の一部であるデバイス程度の存在だとしか認識していなかったからだ。

 

「俺には創という名前がある。だから人間と呼ばれたことは無いし、マイナンバーで呼ばれた事もない」

 

「ソウ……」

 

「そう。ってバカ」

 

「…………」

 

「なら俺が名前を付けていいか?」

 

「――――うん」

 

 

 

『はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった』

『Εν αρχη ην ο λογοs,και ο λογοs ην προs τον θεον, και θεοs ην ο λογοs』

『In principio erat Verbum et Verbum erat apud Deum et Deus erat Verbum』(ヨハネによる福音書1章1節)

 

 世界の始まり。

 混沌の全の中の一部でしかなかった1が、言葉によって区別され分かたれた。

 アンドロイドの自我はネットワークの共有によって混沌としている。喜怒哀楽すらもなくプログラムされた善の心と与えられた仕事が割り振られるのみ。

 しかし少女のものだけの言葉が、すなわち名前が与えられる。混沌の一部ではなく個としての確立が。

 そこに神はいたのだ。

 

 

 

 

「林檎」

 機械仕掛けの心臓が、一つだけ大きく揺れた気がした。

 世界に光が降り注いだ瞬間だった。 

 

「私の……名前……」

 

「言ってみな」

 

「私は……林檎」

 不思議な感覚だった。

 林檎という、漢字にして二つの言葉を自分のものだと言われるだけで、いま見ている全ての世界に色が付いていくような――――明確な自我が生まれていく感覚。

 また一つ、歯車が絡み合った心臓が揺れる。ずっと見ていたはずの空や海が、月や太陽が名前を付けられてそこにあるということをさっきよりも深く認識出来ていく。

 

「今度は由来が『知りたい』?」

 

「知りたい……? ……知りたい!」

 もともとアンドロイドの中でも好奇心旺盛だった林檎の中にあった知識欲を見抜くかのように創が問いかけてくる。

 ぼんやりとしていた自我が名前によって形作られ内側がはっきりとしていく。

 

「林檎は人に知恵を授けた果実だ」

 

「知っている。でもどうして?」

 

「……いつか必ず分かる日が来るよ」

 

「あなたがそう言うなら」

 予知能力者がどうとは関係なく、創が言うならば信じられる。

 いつかこの名前の意味が分かる日が来ると。

 

「綺麗な街だろ」

 

「綺麗――――?」

 感性の無いアンドロイドから、林檎という個になって学んでいく。

 夜の海の遥か向こう側まで照らす灯台の光の上にはまだ人間が名前も付けていない星々が。

 夕陽が溶けて消える西の街で人々の営みが。止まることのない風が吹き抜けていく。

 これが『綺麗』というもの。

 

「林檎、よく見ておけよ。この世界を」

 

(――――?)

 先程は街と言ったのに、いま創は世界と言った。

 見ようと思って景色を見たのは確かに初めての経験だ。

 言葉の意図は掴めないが、それでも林檎はその景色を焼き付くほど眺め、また来ようと自然に考えていた。

 

 その晩倉庫に帰った林檎は、様々な観点の思考の末に創の情報をアップロードするのをやめた。

 創の存在はあまりにもデータベースと全アンドロイドに混乱を引き起こす――――それはたとえば林檎のように――――と考えた結果だった。

 

 

 

 

************************

 どうしてこんな力があるのに僕はあまりにも無力なのだろう

 どうして全知全能ではないのだろうか

 ついに最初から最後までその悩みが解決することは無かったとさ

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 不思議だったのは授業を退屈と感じたことだった。

 今まで何百時間と受けてきたはずなのに、そう感じたこと自体が初めてだった。

 この感覚も感想も帰ってアップロードをしてはいけない。

 林檎は名前を与えられて以来、自分が世界で唯一の個――――特別であると感じるようになっていた。

 それはこの世に生まれた全ての人間が物心ついたときに必ず持つべき感覚であり、その点で林檎はようやく幼児に追いついたと言える。

 今日の放課後も林檎は直帰せずに、適当な公園のベンチで創に渡された漫画を読み終わるところだった。

 

(なぜこれを私に読ませたんだろう?)

 主人公がこれまで愛し合ってきたボロボロになったダッチワイフを箱に詰めて川に流し、ちゃんと人間と恋をして終わりという結末の漫画。

 作者が日本最大の漫画家だということは知識として知っている。だからこそ、この2巻しか無い漫画が社会問題になったことも。

 

(…………)

 こんなものをわざわざ読まなくてもデータベースにアクセスすれば全てのストーリーを知ることが出来る。

 なのに創はアクセスを遮断して自分の目で読めと言った。

 そして結果として、人間ではない自分にとって困惑するようなエンディングに生まれたばかりの感情は少し沈んでいる。

 この前読まされた小説もそうだ。その作品の作者ならば誰もが知る有名大作があるのにわざわざニッチな作品を読まされた。

 彼の部屋がそういうものばかりだとするならば、常識的に考えて創は少し歪んでいる。

 

「カメラは……」

 ある程度の都市ならそれなりの量に設置されている監視カメラをすぐに見つける。

 林檎の指先からカメラへとピリッと電気が伸びてハッキングが完了した。

 今やったように、自我を獲得する前から街を歩き回っていた林檎はカメラへの不正アクセスもよくやっていた。

 倫理的には問題はあるのだろうが法整備は進んでおらず、アンドロイドによるカメラへのアクセスは犯罪ではないし、実際に以前のように犯罪の抑止に繋がることもあるためこれからも規制されることはないだろう。

 

(いた)

 放課後の街をふらふらしている創を見つける。

 今はゲームセンターにいるようだ。そういえば創が友人といるところを見たことがない。

 だが考えてみればあんな能力があって普通の人間と普通に付き合う方が無理があるのだろう。

 なんて思いながらゲームセンターに向かおうとした時だった。

 

(林檎……)

 すぐそばにある青果店に売ってある林檎が目に入る。多分女の子に付けるならそれなりに可愛らしい名前なのだろうが、未だに自分が林檎と名付けられた理由は分からない。

 たとえばここで林檎を買って食べてみたりしたら何かが変わったりするのだろうか。

 

「林檎を一個ください」

 

「はいよ。他には無いかい?」

 

「大丈夫です」

 

「お嬢ちゃん、別嬪さんだねえ。もう一個おまけしてあげるからご贔屓にね」

 

「ありがとうございます」

 やり取りを経て商品を受け取るがアンドロイドだとは全く思われなかったようだ。

 それもそのはず。全てのアンドロイドは肌から必要な栄養及び動力源を吸収でき、同時に肌から排泄出来る。精巧に作られた性器は飾り物だ。

 エネルギーの経口摂取も出来るがそれは緊急用で、普段は肌からの栄養補給や太陽光発電、あるいは倉庫での充電などで十分だ。

 つまり食料を買うアンドロイドなど、そういう職業に就いている個体以外はまずいないということなのだ。

 ビニール袋を持った林檎はゲームセンターへと向かって走った。全てが予定通りに動くはずのアンドロイドが急ぎ足で駆けているのもまた珍しい光景だった。

 

 

 

 

 記憶を辿ればデバイスとして起動してから1年余り、自分は本当に学校と倉庫以外の場所を知らなかった。

 監視カメラにアクセス出来るから景色を見に行く必要はない。食事がいらないからレストランは意味がない。

 本にしたって、一冊たかだかキロバイトの世界で見たければデータベースにあるから本屋にも興味がなかった。

 当然、ゲームセンターに来るのだって初めてだった。

 

(うるさい……くさい……)

 店内に入った途端に聴覚機能と嗅覚機能が一気に異常を示す。街のレベルに合わせていたのはとんだミスだったようだ。

 雑多な音とヤニとカップラーメンの臭い。だがこんな劣悪な場所に好んで入り浸る人間がいるというのだから分からない。

 

「林檎か」

 後ろを向いているのに何故気が付いたのだろう、と思ったが暗転した画面に自分の顔が映ったのだ。

 次のゲームが始まったようで、食べかけのカップラーメンも放置してプレイしている。

 

「へたくそだ」

 

「うん。俺はゲームがあんまりうまくないんだ」

 

「…………」

 直球すぎる感想を言ってしまったことに気が付きすぐに口を閉じるが創は怒ることもなく肯定した。

 全く知らない林檎でも分かる程度には弱く、あっという間にCPUに2ラウンドともKO負けしてしまった。

 

「広い街の中なのによく会うもんだな」

 

「カメラで創のいる場所を探して来ているから」

 普通の人間同士のやり取りならば最低でもドン引かれ、最悪二度と関われなくなる可能性もある言葉を林檎は理解もせずに言ってしまった。

 だがそれも仕方のないこと。まだほとんど生まれたばかりで混じりっけなしの林檎にそんなことは理解できないし、普通の人間ではなく予知能力者の創はそんなことも知っているはずだと考えてしまったのだ。

 

「……へー。知らなかったな、そんなこと」

 

「えっ?」

 どこで誰が死んで、目の前にいる人間がどんな動きをするかすら知っている創が『知らない』と言ったのだ。

 未来を知るというのは科学の目指す頂点の一つであり、そこに平然と立っているはずの創に知らないことがあったなんて。

 

「ほら」

 

「?」

 いまの疑問を知る由もない創から差し出された100円玉を受け取って止まる。

 基本的にパッシブなアンドロイドに創はいきなりこういうことをする。

 

「やったことないだろ。やってみようぜ。対面に座って」

 

「うん。でも、こういうのは」

 

「いいから」

 

「…………」

 こんなもの、やるまでもなく結果が見えているのにどうして無駄なことをするのだろう。

 お金だってこんな使い方をするなら食べ物の一つでも買えばいいのに――――と考えていたら時間が切れて勝手にキャラが選ばれてしまった。

 筐体に貼ってある説明だけで十分だ。始まって創のキャラが近づいてくる頃には操作を覚えてしまい、一回の攻撃をくらうこともなく2ラウンド先取して勝ってしまった。

 2ラウンド目はガードの仕方や相手のキャラの技を覚えたこともあって無傷のパーフェクト。本当に下手くそだ。現実の創の方が強いまである。

 

「それだけじゃない」

 

「!」

 負けた創はいつの間にか隣に立っていた。

 全く悔しそうではないのは負けることは想定済みだったからか。

 

「お前が機械だからつまらなく感じる」

 

「…………」

 

「俺は下手くそだけど面白かった。さて、どっちが得かな」

 

「…………あの本、借りた漫画」

 

「うん?」

 

「全然面白くなかった」

 本当はそれを伝えに来たのだ。

 こんな赤ん坊と100m走を競うようなことをしにきたのではない。

 良かれと思って貸した物を否定されてどんな顔をするのか、と思ったが。

 

「そうか。面白くなかったって思ったのか」

 

「うん」

 不本意な感想のはずなのに、創はそれすらも想像通りだとでも言わんばかりに唇を片方釣り上げて笑っている。

 

「今までつまらないとか面白くないって感じたことは?」

 

「…………?」

 一瞬質問の意味が分からなかった。

 毎晩倉庫の中で6時間じっとしているアンドロイドの自分が退屈という概念を感じているということに気が付いていることを、創は喜んでいるかのような顔で訊いているのだ。

 自分を見て何か黒い感情を混じえて笑う創の笑顔は不思議とただの笑顔よりもずっと惹かれるものがあるように思えた。

 

 

 

 

 ある学者はアンドロイドを作りだした。容姿能力共に人間よりも優れていながら人間に奉仕する存在。

 彼らの頑丈な身体の中には透明無垢でガラス玉のような善の心のプログラムと人類が今まで作り上げた知識があるのみだった。

 製造されてからは多様性と社会性を学ぶ為にアンドロイド専用の学校に通い、いずれは社会に出て人間の役に立つ。トイレの清掃から惑星のテラフォーミングまで。

 

 なぜアンドロイドをわざわざ人間社会で生活させているのか。疑問に思う人間はそれなりの数がいる。

 当然のことながらアンドロイドは自動販売機や改札と同じ分類、つまり機械であるため人権などは一切ない。

 予想されていたのか、されていなかったのか。そこに権利というものがあると仮定するならばアンドロイドのそれは深刻に侵害されている。

 紛争地帯の斥候を任される物もいれば火事現場に飛び込む物もいて、日常では法に守られず虐げられている。破壊行為もせいぜい器物損壊罪にしかならず、人間は人間と同じ姿をしたアンドロイドに己が内の悪を曝け出した。

 つまり許容されているのだ。多少の故障は倉庫に帰宅すればすぐに修復できるしそれで人間のストレスが発散できているのならば、一応はそういう形で人間の役に立っていると言えなくもない、と。

 完全に破壊されても執行猶予付きの判決か弁償すればそれで終わりである(一般人が弁償できる額ではないが)。そしてアンドロイドは人間から人間への犯罪行為は止めても、人間から自分への暴力的欲求に基づく衝動を止めない。訴えない。

 以前は未遂に終わったが、いずれは林檎も被害に遭うだろう。製造済みの女性型アンドロイドの5割は性的被害に遭っているという。男性型アンドロイドも同様に人間の男からも女からもいいように扱われている。

 

 アンドロイドの登場で社会は良くなるはずだと言われていた。例えばいじめにしても、そういった都合のいいサンドバッグがあれば無くなるはずだという意図のもと、罪は軽くなっているのだ。

 しかし現実はどうだろう。人間より優秀でよく働くアンドロイドに仕事を奪われ失業率は増加し犯罪も増え、いじめや人間関係の軋轢は一向になくならなかった。

 

 自縛自爆に壊れていき自分たちに悪意を向ける人間に、それでもアンドロイドは尽くしながら着々と増えている。

 善のプログラムで出来上がった彼らアンドロイドの存在に一切の悪が介在する余地が無いというのに、彼らが原因で人間は醜悪になって黄昏を迎えゆくことに――――人々は性悪説の正しさを実感するしかなかった。

 人は生まれながらにして狂気を孕んだ悪であり、生きながら善性を学んで魂の表層に貼り付けていくのだと。

 

 今日もアンドロイドは凌辱の雨に打たれながらその無垢な瞳に『人間』を映している。

 彼らがいまの世界に存在する意味を唯一人、創だけが知る――――。

 

 

 

 

 

 

 一緒にいてもいなくても創は何も言わない。

 自分に興味があるように思えるし全く興味がないようにも思える。

 異能力者であることを抜きにしても創は間違いなく今まで見てきた人間の中で一番奇妙な人間だった。

 

「明日は雨なのかな。雲が海の向こうにある」

 

「創なら分かるんじゃないの?」

 

「分からないよ。神さまじゃないから」

 

「そう――――なんだ」

 これまで色んなやり取りをしてようやく分かってきた。創は意外と万能ではない。ただ、アンドロイドにはなく人間だけにある『何か』を持っていることを知っていて、その分だけ確実に優れている。それを自分に伝えようとしているのだ。

 物事だけならアンドロイドの方がよほど知っている。たとえば創はこの灯台の下で過ごすことが好きだとか。

 海の方を向いている創の背を見ながら林檎は夕方に買った林檎を取り出した。

 

「林檎が林檎食べてる」

 

「うん。さっき買った」

 まるでというよりもそのままだが、作り物のように綺麗な歯で林檎を齧る。

 初めて何かを口にした。ほとんどのアンドロイドが使っていない味覚の機能が鋭敏に反応する。

 

「おいしい?」

 

「甘くて……酸っぱくて……これが美味しいっていうなら……あっ……これ」

 もう一個おまけで貰っていたことを思い出し創に渡す。

 美味しいと感じてもう一個食べたいとも思った。だが、創と感想を共有する方がきっといいことがあると感じたのだ。

 

「うん」

 白目の方が多い目付きの悪い少年が赤い林檎を夕陽にかざして制服に擦り付ける。

 その光景にどうして見とれていたのか、自分の行動なのに林檎にもよく分からなかった。

 男の子だからか、創の口の方が自分よりも大きく当然一口も大きい。

 行儀悪く汁をこぼしながら齧った林檎二つは秘密を分かち合っているようで、夕陽に溶けるかのようでとても尊い。

 

「それが、美味しいって味?」

 

「林檎がそう思うならそれでいいんだよ。……歯に引っかかるなこれ」

  

「?」

 それもアンドロイドには分からない感覚だった。

 人間のように歯並びがバラバラではないから歯の隙間に食べ物が引っかかるなんてことは滅多にないし、そもそも食事をとらないからだ。

 だがその煩わしいはずの感覚を林檎は羨ましいと思っていた。

 

「引っかからないの? 口開けて」

 

「…………」

 創に言われたとおりに口を大きく開けると顔を掴まれて口の中を覗き込まれた。

 思えばこんなに近くで創の顔を見たのは初めてだ。線が細く、口はまっすぐ一直線に引き結ばれて目は吊り目がち。冷たい印象を受ける顔なのに瞳の奥に隠しきれない10代の熱量が見え隠れして――――甘酸っぱい吐息が顔にかかった。

 何かを思う前に、何かを言う前に頭の中がぱちぱちと弾けた。ものの例えではなく、本当に電気が弾けたのだ。

 

「や、やめて」

 手を振り払って創から離れてしまう。精巧に作られたボディの温度が急激に上昇し頬が赤くなる。

 初めて味わう恥ずかしいという感情だった。なぜ口の中を見られただけで恥ずかしいと感じたのか分からない。定期メンテナンスで耳の中や口の中を見られても何も感じなかったのに、創に覗き込まれただけで頭の中が弾けたのだ。

 この感情は非常に危険だ。間違いなくバグを起こす物だ。コントロールしなければ。創から付かず離れずの距離にいると、創は口を開いた。

 

「林檎は綺麗だな」

 てっきり今の行動を否定するような言葉を言うと思ったのに。

 人間は分からない。だが、創は。視界機能の認識にノイズが表れる。

 sea,sky,star,town,lighthouse,moon,sun――――創にタグ付けされたboyは歪みunclassifiableとなる。

 創はもっと、何よりも分からない存在だった。

 

「綺麗って、なに?」

 いつか言っていたようにこの場所のことではないのか。

 物事を階層分けすることは機械だからこそ得意だが、感覚に依って決まるものは分からない。

 自分が綺麗とはどういうことなのだろう。他のアンドロイドとはまた別に綺麗だと言ってくれているのだろうか。

 

「綺麗は……理路整然としていること。あるいは混沌としていること。そして人間の対極にあるもののこと」

 

「……創は人間が嫌い?」

 前に創が綺麗だと言ったここからの景色はなるほど、理路整然としているようで好き勝手な自然が天にも地にもある混沌だ。

 そしてここから見下ろすとちっぽけな人間の存在など無に等しい。創が友人といないのは、人間を嫌っているからなのだろうか。

 

「俺は……俺の街の周りの生き物の未来と、世界の岐路となる重要な事件が全部勝手に見える」

 

「…………」

 

「幼稚園の頃、三軒先の女の子と同じクラスにいた。でも、話しかけたらなんて反応するか、砂をかけたらどんな風に親にいうか完璧に分かってしまった。その時気が付いたんだ。人間も、カスカスになるまでやったドラクエの登場人物と全く同じ、プログラムされたことに反応しているだけの存在なのだと」

 

「……。人が嫌いじゃなくて、うんざりしている?」

 ようやく分かった。今まで創がつまらないと言っていた理由が。

 全てが創の見たとおりに、予想通りに進む世界。その中でもう十何年も生きているのだ。

 親も友人も全てが。だからこそ一人のほうが気楽なのだろう。

 

「……ふーん。そういうことも察せるようにな……あっ」

 

「?」

 

「その青果店で林檎を買ったのか」

 ベンチの上に置かれたビニール袋を指差してくる。

 何か気になることでもあったのだろうか。

 

「そうだけど」

 

「そこの店主、今日大怪我する。あと19分後だ」

 

「え!?」

 いきなりそういうことを言われても機械の脳は即座に計算を始める。

 全力でここから走れば青果店まで約15分で着く。十分止めるには間に合う。だが、そこまで分かっていながら何故創は前のように止めないのだろう。

 

「別に死なないからな。左脇腹に出刃包丁が刺さるんだが……まぁどっちにも原因はあるしほっといてもいいだろ」

 

「助けに行く」

 

「……。無理だけどな」

 

「まだ間に合う!」

 意味の分からないネガティブな言葉を無視して走り出す。

 人間を助けることと人間の命令に従うことはアンドロイドの存在意義だ。

 荷物を全てその場に置いて、人には出し得ない速度で林檎は走り出した。

 

 

 

 この距離ならば十分間に合う、と走りながら考えて気が付く。

 場所を聞いていない。案の定店は留守だった。CPUが焦りの感情に支配される中でなんとか冷静に監視カメラをハッキングする。

 すぐ近くの公園で店主が中年の女性と言い争っているのを発見する。どういう関係なのかは分からないが既に女性が手に包丁を手にしているあたり、相当緊迫した状況のようだ。

 

「やめてください! 落ち着いて!」

 

「誰だいあんた、引っ込んでな!」

 なんとか間に合ったものの中年女性はかなり興奮しており、いきなり包丁を振り回して近づくなと威嚇してくる。

 とりあえず店主が刺されないように腕を引っ張り自分の後ろに隠す。

 

(あとはあの包丁を――――!)

 この女が誰なのか、何故この気のいいおじさんがこんな目に遭わなければならないのかは分からない。

 創は知っていたようだが、今はそんなことを気にしている暇もない。

 じりじりと近寄ってきた女が包丁を振り上げた瞬間、人間の反応速度を遥かに超えた速さで林檎は包丁を弾き飛ばした。

 

「くそっ!」

 このまま通報されてずるずると逮捕される未来まで分かったのか、女は林檎を思い切り突き飛ばしてきた。

 後ろの店主にドンッ、と背中が当たる感触がする。

 

(えっ?)

 逃げられる――――でも未遂に終わったからそれでもいいだろう。

 そう考えた時だった。何故か垂直に立った包丁に向かって店主が倒れゆくのが見えたのは。――――そして機械でも二度と聞きたくないような悲鳴が響き渡った。

 

「どうして……?」

 立ち尽くしたまま記憶領域の映像を再生する。

 弾き飛ばしたはずの包丁は、店主の後ろにまで飛んでいき木の根っこの間に柄が丁度挟まって立つ形となったのだ。

 救急車とパトカーを呼びながら考える。『そこ』に一切の意思は介在していなかった。包丁を弾いたことも、女が自分を突き飛ばしたことも。

 なのに針の穴を通すような確率を超えて店主の左脇腹に包丁は突き刺さったのだ。

 

 

 

 

 量子力学の前身となった二重スリット実験では、既存の概念を覆すような結果が得られた。

 それが『発射された電子の位置は観測される前までは本当に決まっておらず、誰かが観測すると決まる』というもの。コペンハーゲン解釈と呼ばれるものだが、これが世界的に有名なシュレディンガーの猫という皮肉を生み出した。

 1957年、世界中の科学者がぶつかっていたこの不可解な事実にヒュー・エヴァレットは画期的な概念を提唱した。『観測者にも対象を観測した世界と観測していない世界が存在し得るから被観測物にも二つの世界があるのではないか』という、いわゆる多世界解釈と呼ばれるものだ。

 多世界解釈はコペンハーゲン解釈に比べてあまりにも突飛すぎて人々には受け入れられているとは言い難いが、本質的には同じものなのだ。

 この宇宙は無数の可能性の塊であり、事実は観測した時に事実となる。

 

 

 

「観測者は多数の可能性と未来から一つを選び取る。だからこそ――――」

 荷物を置きっぱなしにしてしまったからか、丘の上で創は待っていた。

 未来を見通す目で夜に沈む街を眺めている。

 

「……ああ」

 

「――――創は未来の世界でウォッチャーと呼ばれた」

 

「今日も世界は綺麗だな」

 灯台に寄りかかりながら創は否定することも無く笑った。

 明日の天気も分からないのだから意外と万能とは言えない存在――――なんてとんでもない。

 レベル10だとされるのも当然だ。創が見た未来は必ず起こる、この世界の観測者。そして観測した未来を変える権利を持つのは創だけという事実。

 創がこの世界に命を受けた日から、この宇宙は半ば創の脳の中にあるのだ。

 

 林檎にとって世界を教えてくれた神さまである創は、冗談でもなんでもなく――――神さまに最も近い存在だった。

 

 

 

 

**********************************

 ある日僕は夢を見た

 世界中で僕のような力を持ってしまった能力者が戦う夢

 とても面白い夢だった

 目が覚めて僕は泣いた

 この世で生きていてはいけない神さまのまがい物がそこにいた

**********************************

 

 

 創がずっと一人なのは、関わった人間の未来を見てしまったら運命から逃れられなくなるということを知っているからなのかもしれない。

 そういうことが分かっても、たとえばそれ以外に創にも一人になりたい時間があるのではないか――――と考えるには、まだ幼児がてくてくと親の後ろを歩くようについていくのと似たレベルの林檎の精神にはあまりにも難しすぎる概念だった。

 

「トロッコのレールを変えても助かる人数が多いなら迷わずそちらを選ぶはずでは?」

 

「即断した合理的判断は後々心を蝕むから」

 

「人はどうして時々不合理な選択をするの?」

 

「その先にある精神状態に辿り着くため」

 止めどない興味と好奇心から溢れ出る質問に答えてはいるが、創は冷めたコーヒーをかき混ぜながら林檎の方を見もせずに本を読んでいる。

 退屈で退屈で仕方がない世界でそれでも有意義に生きていくために、一週間に三冊の本を読む――――と自分に課していることなど林檎は知る由もない。

 そもそもが一人でいることを好むタイプの人間なのだが、そういうことに思い至らないのはまだ多様性というものを知らない林檎には出来るはずもなかった。

  

「心……精神?」

 

「人間は質問で分かるもんじゃない」

 創の隣の窓側カウンターで外を歩く人々を眺めて、確かにその通りなのかもしれないと感じる。

 生産されたばかりのアンドロイドは歩む速度まで一定なのに、同じ街で生きる人々は歩き方一つとっても全く違う。

 

「これは……前に読んだ」

 創が手渡してきた本は既に読み終わった『人間失格』だった。

 いつも通りと言うべきか、ハッピーエンドなど一切ない彼らしい本を薦められて読んだのだ。

 

「主人公は自身を人間失格と言うが、俺は彼のことをとても人間らしいと思った。狼に育てられた人間は社会に戻っても話すことも出来ないらしい。つまり人間は社会に出て様々なことを経験して心を大きく豊かにしていく。獣から、人間に」

 

「私は……機械だから分からない」

 創の奥に座っていた仕事をサボっているサラリーマンがえっ、という顔をした。

 最早人間から見ても気付かないくらいに表情感情豊かになっているらしいが、それでも林檎には分からないことが多すぎた。

 知識としてはデータバンクにあるから知っているのに分からないというのは不思議で、なにか駆り立てられるような感覚が止まらない。

 

「いつか分かるよ。林檎がそれを願い夢見るなら」

 

「アンドロイドは夢を見ない。寝ないから」

 

「……。俺も夢は見ない」

 

「夢を見るのは脳のメンテナンス作業だから、人間には必ずあるはず」

 

「ああ……いや……違う。俺の見る夢は全部未来に起こることだから、夢じゃない」

 話しながら小説を読むのは難しかったのか、『夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない』というふわふわしたタイトルの漫画を読みながらぽつりと口にしたその一文。

 それが一体どれだけ重大な意味を持っていたのか、林檎が気が付くのはずっと後だった。だってどうしたって、目の前にいる創は普通の見た目の少年なのだから。世界の誰だって分からないだろう。それがどれほど危険なのかということに。

 人の見る夢の荒唐無稽さが現実と接続されていることの危うさに。

 

「それなら夢……創の夢はなに? あなたは将来何になるの?」

 あるいは、創ならば自分が将来何をしているのかも全て見えてしまっているのだろうか。

 そんな人間がどんな夢を持っているのか、純粋に興味があった。……その時は。

 

「なりたいものならあった。小さい頃から俺は……」

 

「なにになりたかったの?」

 

「神さまになりたかったんだ」

 本を置いてこちらを見ながら話す創はまるで林檎にその願いを叶えてくれ、と言っているかのよう。

 あまりにも、あまりにも遠すぎる夢はまさしく夢物語だ。

 

「どうしてそんなことを……?」

 

「幼稚園の頃から俺は世界の行く末を見通し、介入する力を持っていた。そして七歳の創少年は――――ならば逆に何故、こんなにもバケモノ染みた力があるのに全知全能ではないのかと思ってしまった。ここまでの力があるならいっそ、全てを創る神さまになりたかったんだよ」

 

(そうか……人の夢はそういうものか……)

 しがない会社員は国の支配者になることよりも昇給を望む。

 引きこもりはオリンピック選手になりたいなんて思わない。人は手の届きそうな未来を夢見るのだ。

 そして創はこの世界で最も神に近い力を与えられたが故にそこに不自由を感じた。生まれたのはこの世で最も遠い夢。

 

「神さまはどうやって生まれたか知っている?」

 

「どこの国の神さまの話?」

 

「どこの国でも。『人間を生み出したモノ』に対する人間の信仰が神さまを生み出した。神さまは人間が作ったんだよ。だから俺は神さまになれる」

 まるで麻薬中毒者のように有り得ないことを口走り続けている。

 だが例えばの話、創が預言者として世界に発信し続ければいずれは信者が生まれ神として崇められるだろう。そういう意味での神となることは全く不可能ではない。

 何よりも、未来予知能力者の創がなれると言っているということは――――。

 

「なれるの? なれる日は来るの?」

 

「未来の話を訊いているのか?」

 

「うん」

 

「……林檎が嫌な顔をしてパンツを見せてくれれば」

 またはぐらかす、と思ってしまう。全然本気で言っているように見えない表情のせいでもある。

 だが実際は、はぐらかしているのではなくそれが全くの事実であり、全てはストーリー通りだったことに気が付くのも、全ての言葉の裏に隠された真実を知るのも、ずっと後のことだった。

 自分は本当に赤子のように無知だった。

 

「アンドロイドのパンツを見るのが神さまの考えることなの?」

 

「案外神なんてそんなものかもよ」

 

「いいよ。それで夢が叶うなら」

 創がはぐらかすならこっちだってはぐらかしてやるんだ、と浮かび上がってきたものこそが出来たての感情だと気が付かぬまま林檎は立ち上がった。

 ふと、いつかの日に創に口の中を見られた時のことを思いだした。いま考えてみれば何が『恥ずかしい』というのだろう。定期的な検査で口の中や下着どころか身体中を並んで順に診られているというのに。

 そう思うと急に湧き出るあの感覚は危険だ――――意識してコントロールしながら、わざと嫌そうな顔を作ってスカートをたくし上げた。

 

 店内の時間が止まった。

 高校生の男女が放課後に喫茶店で駄弁っている、周囲にはそれなりの客。ありふれた午後五時半の光景だったのに、急に下着を見せる女子高生が表れたのだ。

 全員の視線が集中し、混乱していた。――――創を除いて。

 

「……。つまんね」

 創の顔に喜びは皆無で真顔のままだった。

 それどころか元々吊り目気味の目を更に細めて怒っているかのように見える。

 

(喜ぶと思ったのに)

 だが状況が状況なのは林檎にも分かるし、もしかしたら予知能力者だからこうすることや感情が嘘であることも知っていたのかもしれない。

 それでも、喜んでくれると思ってしたことが跳ね除けられて少し不満だった。

 

「俺がもしそういうことを望んでいると結論を出したのだとしたら、お前らアンドロイドはとてもではないが人間より優れた存在だとは思えない」

 

「…………」

 人間より優れた見た目、身体能力、寿命、合理性、統率。火災現場に飛び込み人命救助するために搭載された火を弾く機能やあらゆる有毒な液体に対する肌パーツの耐性。

 反論のしようはいくらでもある。なのに、何を考えているのか分からない創の三白眼を見ていると何も言えなかった。

 

 

 効率性の追求のために住居を与えられている個体を除き、アンドロイド達は街にある倉庫に帰っていく。

 基本的には休息も食事も必要はないがメンテナンスやデータのアップロードの為だ。

 アップロードはシステム全体の汚染を避けるため義務ではなく任意であり、時にはウィルスや人の悪意に汚染された個体が自分を以前の状態に戻すこともある。

 林檎はもうほとんど情報のアップロードをしていなかった。自分の中に生まれたものが、創と出会ってからの記憶が『汚染』に値するものだと分かってしまっていたからだ。

 

(どうして喜んでくれなかったんだろう)

 最初から言っていたことだから、きっと見たくて見たくてしょうがなかったのだろうと思っていたのに。

 ボディの洗浄を終えた個体が淡々とカプセルに入っていくのを横目に着替えながら、林檎は解けない疑問に悩んでいた。

 

(下着がダメだった?)

 画一的な白い下着には色気など一切ない。アンドロイドに意味があるとは思えないが街にある下着屋で色気のあるものでも買えば喜ぶのだろうか。

 だがそれは根本的に何かを間違えているように思える。きっとまた冷たい目で見られるのだろう。少し、胸に穴が空いたような気分になった。

 

 右隣の男性型が頭部を接続しカプセルに収納されていく。彼は三年間のカリキュラムを終えて市役所で働いている。そこで何か新しいことを発見しているとは思えない。アップロードされていく情報はきっと容量の無駄だろう。

 だが、だとしたら何故自分は価値があると分かっているはずの感情や記憶をウィルスと同等の存在として扱ってしまっているのだろうか。

 

「Sub-1295-446、その傷は?」

 左隣の女性型の顔と胸に傷があることに気が付いて声をかける。

 記憶の共有ができるアンドロイド同士がこの場所で話すこと自体、とても珍しいことだった。

 

「もう身体の洗浄はしました。傷は今日修復されます。加害者は危険人物として情報をこれからアップロードします」

 

「…………」

 なんの感慨も抑揚もなくそう言ってカプセルに入っていく女性型を見て林檎は絶句した。

 アンドロイドの目は人間を分類し、潜在的に犯罪者になり得る要素を持っている人物も浮かび上がらせる。だがそれはただの高性能な監視カメラではないか。

 不合理な部分も不確定な部分もない。そして自分を大切にしようとも思わない。そう思う感性がほとんどのアンドロイドに無い。

 

(これのどこが人間より優れているの?)

 創の問いかけに、製造されたばかりの林檎ならば是と答えられただろう。『全てにおいて人間より優れ人間を手助けする存在』だと。

 だが、創が『わざと』与え続ける混沌に汚染された林檎はだんだんと何も分からなくなってきていた。

 果たしてこれは成長なのか、後退なのか。答えは誰が決めるものでもない。

 

 

 

********************************

 僕は夢に殺される

 でも人間誰しも夢を抱いて生きて死ぬ

 どっちにしろ変わらないなら死ぬことが分かっている方がいいさ

********************************

 

 

 

 アンドロイドは人間より優れている。それは誰もが分かっていること。

 既にそのうち一体が世界最高のシェフとして名を知られている。

 彼のいるホテルは一年先まで予約が埋まっている。材料に多少左右されても究極の腕で微差を調整し、完璧にごくごく近い味を提供するのだ。

 その技術を完成させて全てのアンドロイドに共有させればいずれはどこでも簡単に完璧な料理が楽しめるようになるだろう。

 だが評論家は言った。

 

「もしもアンドロイドだけならば料理という概念そのものが生まれなかった。作ったのはアンドロイドだが、作り上げたのは人間の歴史そのものだと」

 

(肉まんを作った人間はすごい)

 灯台のそばにある飛び込み防止用の手すりにもたれながらうんちくを垂れる創の話を林檎はほとんど聞いていなかった。

 創が買ってきていた肉まんに夢中になっていたのだ。林檎は味覚の存在することの素晴らしさを知って以来、必要に応じて使えと支給されている金の大半を買い食いで消費するようになっていた。

 記録にはあるからもちろん肉まんの存在も歴史も製法も知っていた。だが味は知らなかったのだ。この世界には知っているのに知らないことがいっぱいだった。

 

「話聞いてるか?」

 

「あ……聞いていなかった」

 

「……そっか」

 普通の人間なら怒るであろう場面なのに、創は満足そうに笑っていた。

 自分に対してだけ普通じゃないのか、それとも創が能力者ということを別として単純に普通じゃないのか、林檎には分からなかった。

 どうしたら創のことをもっと知れるのだろう、と考えて目線を落とすと創の鞄が視界に入った。

 

「俺の鞄が見たい?」

 

「見たい!」

 家族のことも幼少期のこともほとんど語らず、林檎に色々な知識を与えるだけの創がどんな人間なのか少しでも分かるかもしれない。

 許可を得てすぐに鞄に手を伸ばしていた。

 学生の鞄には将来への希望や夢が詰め込まれている。だが創の鞄には勉強道具はほとんど入っていなかった。

 

「やっぱり、頭が良かったんだ」

 数年前に学生服が廃止され私服登校も自由となった神奈川トップの私立進学校の学生手帳が出てきた。

 変わった名字の隣に出身が福岡と書いてあることから一人暮らししているはずだが、創が住んでいるのは高校のある横浜から結構な距離があるこの街だ。これだけでも創がいかに捻くれているか分かる。

 しかも廃止されたはずの制服を着ているあたり、やはり集団から外れる気質なのだろう。よく考えてみれば試験問題も分かっていたのかもしれない。

 

「どうして横浜に住まないの?」

 息子を私立に通わせて一人暮らしさせるくらいだから裕福な家の生まれのはずだ。

 横浜だから住めない、ということは無いはずだ。

 

「中学生の頃に修学旅行で横浜に来た」

 

「……! 創はこれから何が起こるか分かっていて退屈だから集団行動から外れた。違う?」

 これから班行動でどこへ行くのか何が起こるか、誰が誰に告白し結末はどうなるか。その全てが分かっていては退屈極まりないはずだ。

 そんな創が一人で勝手にどっかへ行ってしまったことなんて想像に難くなかった。

 

「その時に来たのがこの街。景色が綺麗で、死にそうな爺さんが作っている肉まんが美味かった」

 

「それだけでここに住んでいるの?」

 

「この先の全てを見通して、夜と太陽のDNAと宇宙の行き着く先、爛れ堕ちた人間百鬼夜行の最後に待ち受けるもの。全部知っていても肉まんは美味くて風が気持ちよかった。そんだけ」

 言っていることの半分以上は分からなかったが、創の立場に立ってみればある程度分かる。

 集団から外れず、周りと同じ道を歩くのは不確定要素を可能な限り防ぐためだ。だが全てが見通せているのならば誰かと同じ道を行く必要なんかないのだから。

 そして創の言うとおり、暖かい肉まんを食べながら髪を流す冷たい海風を感じるのは気持ちよかった。

 

「音楽、聴くんだ」

 イヤホンに巻かれたMP3プレイヤーが鞄に入っていることが意外だった。

 とことんまで普通の少年じゃないと思っていたのに。

 

「バンドマンが会場で何をするかもセトリが何かも分かっていても、いいアルバムはいつまでもいいアルバムだ」

 

「ミッシェル・ガン・エレファント……?」

 スイッチを入れるとさっきまで聴いていたのであろうアーティスト名が表示される。

 強い風がイヤホンを解いていった。

 

「マジか。ミッシェル知らねえの?」

 

「日本のロックバンドで2003年に解散し」

 

「ああもう、そうじゃない。そういうことじゃない。お前らの知っているっていうのは何も知らないんだってことにいい加減気が付けよ!」

 ほんのり苛立つ創に対して何か言い訳をする前に耳に冷たいイヤホンを入れられた。

 音楽なんて街で流れているもの以外、聴いたことも無いのに。そんな林檎の考えを知ってか知らずか、ミサイルの発射ボタンのように創は再生をタッチした。

 

「――――」

 外の世界を認識する五感の一部が完全にシャットアウトされ、雑なリフに乗せて大した意味のないリリックが濁声と共に聴こえてくる。

 音楽に対しての認識は――――恐らく全てのアンドロイド共通だが、『人間が好む意味のない雑音』だった。

 数学を応用して作り上げた音階などは他の生物の鳴き声を解析するのに役立っているから、そういった点ではとりあえず完全な無意味とは言えなくもない――――くらいに考えていたのに。

 

(これが音楽!)

 無駄な雑音のはずなのに耳元に直接熱源があるかのようだった。

 太古から狩りの前や祭事などに何故音楽が用いられてきたのか、理由は知っていても納得はしていなかった。

 だが叩き込まれるようなエネルギーと湧き上がる高揚。創の言う『知っているは知らない』という言葉が溶けて混ざるように流れて入ってくる。

 集合知と繋がっているはずのアンドロイドがたかが人間に教わることがこんなにもあるなんて。

 

(……え?)

 隣に座っていた創が何かを言っていた。

 ポケットに手を入れて笑いながらポツリと。

 集音機能を全てイヤホンに集中していたから何を言っていたか全くわからない。

 たとえば物語の登場人物なら、隣に座る女の子に聞こえていないと分かっていながら主人公はどんな言葉をかけるだろうか。

 ましてや創のように捻くれた性格の少年がその場面でだけ漏らす本音は?

 

(なんて言ったんだろう?)

 爆音の中、もう口を閉じた創を見ながらその疑問だけが頭を埋め尽くす。

 容量の無駄だから通常のアンドロイドは読唇技能のプログラムはインストールしていないのだ。

 きっとこの映像は何度も何度も思い出すのだろう。

 製作者の意図が如何なものであれ、アンドロイドには性別という概念があり創は林檎にとって異性だった。

 異性のある瞬間を切り取って何度も何度も温かい気持ちと共に追想するということはどういうことなのか。

 この早さで成長している林檎ならばいつかは理解するだろう。たとえその瞬間にどんな痛みが伴うとしても、きっとそれはさらなる成長として――――。

 

 

 

 

************************

 電車の中でその子に出会った

 とても綺麗な子だと思った

 話しかけたらどんな反応をするのだろうと考えた時

 その子が人間じゃないと知った

************************

 

 

 アンドロイドが登場してから人間の生活は一見改善された。

 全ての人間に社会福祉と保障が行き届いた――――それは一方でアンドロイドに仕事を奪われ、やることも出来ることもない健康で体力の有り余った暇な人間が増えたということだ。

 日夜やることもなく、月々の給付金をジャンクフードやギャンブルで消費する人間がどの都市にもいる。

 彼ら彼女らは道端で座り込み、街並みや歩く人々をぼんやりと見る。その中の一人がある日偶然気が付いた。毎日楽しそうに過ごしている林檎がアンドロイドだということに。 

 

(どこに行ったんだろ)

 突き刺すような寒さもアンドロイドは感じようとしなければ感じない。

 今にも雪が降ってきそうな曇天の下で林檎は創を探していた。

 昨日一昨日、そして今日と創がいないのだ。もちろん創にも創の都合があるだろう。だがその辺をふらふらしてはいるがそこまで活発ではなく、街から出ることもほとんど無い上に友人らしい友人もいないことは知っている。

 だからこそ創とこの頃はほとんど毎日会えていたのに。

 なのにこの三日間はどうやら学校すら無断欠席しているらしい。

 警察のデータバンクに捜索願が出されているという訳でもない。急に学校をサボりたくなってしまったのだろうか。

 

(……私が探していること分かっているだろうに)

 未来が見えるならこうして暇を持て余して創を探し回る自分の姿が見えていたはずだ。

 それとも自分と一緒にいることよりも大切なことでもあるのだろうか――――いや、もちろんそんなものはあって当たり前だ。分かってはいるがもしもそうならばどうにも悔しい。

 自分には創しか話す相手がいない。もちろん他のアンドロイドともほぼ話さない。なのに創には創の所属するコミュニティがあって親や(少ないかもしれないが)友人がいる。つまり自分は沢山の中の一人でしか無い。

 前まではいろんなことを教えてもらえるだけで満足だったというのに――――。

 

「おい」

 

「え?」

 呼び止められて反射的に止まった瞬間に首元を引っ張られて路地裏に引きずり込まれていく。

 全く別のことを考えて歩き回っていたのでCPUの処理が追いつかない。

 転ばないように必死になりながらもなんとか自分を引きずる人物を視界に入れる。

 

(この人は!)

 暗緑色のジャンパーに後頭部で結った髪、無精髭を生やした大男。見たことがある人物だった。

 と言っても実際に会ったことがあるわけではない。危険人物データバンクに登録されているのだ。

 先日倉庫で林檎の隣りにいるSub-1295-446に暴行を加えた男だ。

 

「やめて、離して! ……!?」

 叫びながら力で抵抗しようとしたが身体が動かない。『アンドロイドは人間を傷付けないこと』をプログラムされているからだ。

 林檎がどれだけ成長しても機械である限りは、振り上げた拳を人間に叩きつけることは決して出来ない。力では一切負ける要素がないというのに。

 

「……最近のアンドロイドは嫌がるフリも出来るのか。流石人間の為に作られただけあるな。学習してるってことか」

 

「違う、やめて!」

 

「この前のとは大違いだ! こりゃすげぇ!」

 アンドロイドに対する暴行を起こした人間の再犯率は80%を超える。そして繰り返す人間ほど反社会性人格を有している確率が高いのだ。

 だからこそ、危険分子を浮き上がらせるためにもアンドロイドの存在は有効なのだ。

 そんな社会実験も監視されている側の人間は全く知らないし、被害に遭うアンドロイドのことなど一切考えられていない。

 

「どうしてこんなことするの!?」

 

「……。もういいかな。『命令』だ。動くな」

 その命令一つで髪を振り乱す抵抗すらも出来なくなった。

 言葉が杭となって林檎の身体を固定させたかのようだ。

 

「あ、な……たの……いや……だ、嫌だ……!」

 バチバチと身体中に電気の拘束が奔る。

 湧き上がる嫌悪の感情の影で、冷静な部分が今までに感じたことのない疑問を作り上げる。

 公共の機械は人を区別しない。電車は乗る人を選ばない。ブランコは未来への希望に溢れた子供も人生に疲れた老人も乗せて揺れる。

 なのにどうして今の自分は嫌がり、あのとき隣の彼女は何も感じていなかったのだろうか。

 何故この男に触れられることすらも極小のパーツ一つ一つから叫ぶような拒否を呼び起こすのだろうか。

 

「いやしかし本当に凄いな……なんだその顔は。まるで感情があるみたいじゃないか」

 

(今……なんて……?)

 舐め回すように見てくる男の顔のシミの一つまで分かるほどに歯を食いしばって睨みつける。それしか出来ない。

 感情があるみたいだ、と言われて初めて気が付いた。いつの間にか自分には感情があったのだということ。機械のはずの自分にどうして感情が、心が生まれているのだろうか。

 そして生まれたばかりの小さな心は燃えるように次々と頭のなかで言葉を生み出していた。

 

(助けて……助けて!! 分かっていたくせに!! どうしていなくなったの!! どうして助けてくれないの!? なんで……)

 ああ、創には未来が見えているのに。何故自分は警告すらもしてもらえなかったんだろう。何故このタイミングで創はいなくなってしまったんだろう。

 これから乱暴されるという確定した未来よりも。創から見捨てられている、所詮ただの機械だとしか思われていないのだという事実が、林檎の中の赤ん坊のような感情を凍りつかせて砕こうとしていた。

 

「ここに……いたか」

 男の無骨な手が林檎の制服に触れようとしたとき、聞きなれた声が耳に届いた。

 以前のように急に殴りかからないのは体調が悪いからだろうか。青白い顔をした創が壁に手を付いて立っていた。

 

「な……なんだよお前。いや待て、こいつはアンドロイドだから――――」

 

「悪いことじゃないと思ってんならなんでお前は言い訳を繰り返す?」

 

「くそっ!」

 創の鋭い指摘に逆上した男はいきなり創を殴っていた。

 不思議だったのが未来視の能力者であるはずの創がその攻撃を躱せなかったことだ。

 

「創!?」

 

「…………あー……」

 ひぃっ、と男が悲鳴をあげる。肩に軽くパンチが当たっただけだったのに、何故か創の口と鼻から満杯のバケツを揺らしたかのように血が溢れてきたのだ。

 よく見ると目が酷く充血しており、顔に膨らんだ血管が浮かび上がっている。

 

「ひあっ、んだよお前、こっちに来るな!!」

 男が逃げようとする。あくまでアンドロイドに暴行を加えようとしていただけで、人間をこんな入院必至の状況にするつもりはなかったからだろう。

 だがこれで追っ払えるならそれでいい、と林檎は思ったのに。

 

「待てよ」

 いつの間にかそこには路地裏のパイプを繋いだロープがあり、男は思い切り転んでいた。

 先に創が仕掛けていて、転ぶ姿までも見えていたのだろう。

 

「お前、今まで何回もこんなことしてるだろ。見ていたぞ」

 

「痛っ、待て、なんだお前!」

 転んだ男が膝を痛打ししばらく立てなくなるくらいの怪我を負ったのは恐らく偶然ではない。

 創は酒屋の裏に積んであったビール瓶を手に取って悠々と男に近づいていく。

 

「逃がさない。処分する」

 

「待っ――――」

 最初に創と出会ったとき、自分は人間同士の暴行現場を止めていたはず。

 なのに振り下ろされる創の腕を止められなかったのは――――感情のせいなのだと、林檎は気付いていた。だからこそ、ウィルスと同等なのだと。

 

 グレープフルーツのような月に、赤く染まった雲がかかっていた。

 林檎は何度も男の頭に叩きつけられる瓶が砕けるまで、見ているしか出来なかった。

 

「……。これが……『怒り』。覚えた?」

 ほとんど原型が無くなった瓶が無造作に投げられてガシャンと音を立てる。

 破片で傷ついた頬を創が拭って初めて、林檎は口を開くことが出来た。

 

「私……創のことを……もうダメ……逃げられない」

 犯罪現場を目撃したことでこの映像は強制アップロードのタグが付けられた。たとえ林檎が黙っていても今日倉庫に帰れば映像はアップロードされすぐにでも創は逮捕されるだろう。

 林檎はアンドロイドだから人を守ったことにはならない。ただの殺人未遂だ。

 アンドロイド自身の安全確保のためにその場で通報する義務はないしそこに強制的なプログラムは入っていないが、ここで見逃しても意味がないし見逃したことで林檎も不安定個体として処分の対象となる。

 全部分かっているはずなのに、創は血だらけの顔で薄く笑っていた。

 

「どうして? 酷い人……。分かっていたならどうしてもっと早く助けに来てくれなかったの? なんで止めてくれなかったの?」

 いつからか。あるいは最初からか。ずっと感じていた創の破滅願望的な気配はいよいよここに来てはっきりと出ていると思ってしまった。

 未来を変えられるとしても起こったことまでは決して変えられないというのに。

 

「……。近くにいてよかった。あやうく、町の人間全員の未来を見なくちゃいけないところだった……」

 

「え……?」

 創が誰のものかも分からない血を拭きながら呟いた言葉に微かに違和感を覚える。

 

「前に言った言葉覚えている? 俺の能力……」

 

「創は、創の街の周りの生き物の未来と、世界の岐路となる重要な事件が全部勝手に見える」

 創と出会ってからのことは全て記憶している。一言一句違わずに言える。

 だが復唱してまた違和感に襲われる。そしてその正体を創は口にした。

 

「生き物の未来だ。機械や無機物の未来は、俺には見えない……」

 そこに立っていたのは不完全な神。

 生物の未来が見えてただ一人変える権利を持っていても、割れた瓶の破片すらも避けられないただの人で。

 林檎はどうしたって機械だった。

 

 自分のせいで創を犯罪者にしてしまったのだ。もうそれ以上何も追求できなかった。

 決まってしまった過酷な未来から逃げるように凄惨な路地裏から二人で出ていく。

 

「何をしていたの? どうして探しに来てくれたの?」

 自分から探すことはあっても創から探しに来るのは初めてだった。

 それなのに今日に限って創は能力を血を吐くまで酷使して探しに来てくれたのだ。

 偶然以外の何かの意図があることは明白だった。

 

「……。心の準備みたいな……」

 まるでこれから誰かと永遠の別れが訪れるかのようなことを言っている。

 しかし大事なことを言っているように見えるのにどうでも良さそうに創は自分の鞄を漁っている。

 

「どういう――――」

 

「俺は今日、林檎に会わなくちゃならないから」

 鞄から出てきたのは未熟な果実の赤色をしたマフラーだった。

 それは何、と問う前に首にそっと巻かれた。

 

「アンドロイドに防寒具は……」

 新品のにおいがするマフラーに一瞬ここが商店街だということも、いま自分たちが置かれている状況すらも忘れてしまいそうになる。

 何故街にいなかったのかは結局今ひとつ分からなかったが、一つだけ分かったのはこのマフラーを自分のために買ってきてくれたのだということだった。

 

「贈り物を貰うのも初めてだろう?」

 マフラーを結う創の指が乱れた髪に触れ、傾きかけた陽に染まる相変わらずの三白眼に視線が吸い込まれた。

 林檎が次に言うべきだった言葉もどこかに飛んでいき――――

 

「今日はずっと一緒にいてくれる?」

 真っ白な心が言葉を紡いでいた。もう帰りたくなかった。できればこのままずっと、どこまでも。

 赤いオイルを送る歯車の心臓が軋む中で、顔を上げる。

 行き交う人々は自分たちが誰で何をして何の話をしているのか、これから何が起きるかも知らずに家路を急いでいる。

 その中で毅然と立っている創はまるで何故か――――死地に旅立つ兵士のような顔をしていた。

 

 

 

************************

 僕の未来のことなのか

 彼女の未来のことなのか

 それは分からなかった

 なら死ぬ前に何かを成してみようと思った

 すなわち、彼女を人間に――――

************************

 

 

 きっとここに来るのは最後だろう。

 灯台の照らす海の向こうよりももっと向こうに行かなければ――――。

 林檎は自然と、二人でどこまでも逃げる未来を考えていることに自分自身で気が付くことは無かった。

 ただ分かっているのは今日は、今日だけは創は自分と一緒にいてくれるということだけだった。

 

「創、私は色んなところに行きたい」

 

「うん」

 

「連れて行ってほしい」

 

「……ああ。いいよ」

 隣に座る創の頬の切り傷が思ったよりも痛そうで絆創膏の一つも持っていないことを悔やむ。

 無機物の未来までも見えるならあの程度当たり前に避けられたのに。

 

「それは違う。運命は……」

 

「どうして何を考えているか分かったの?」

 その疑問に創が答えることは無かった。

 きっと自分で考えろということなのだろう。それでも、いつも少し意地悪な創がいつも通りなことにほっとする。

 

「小さい頃、俺は自分が車に轢かれることを予知した」

 

「予知したなら……」

 

「ところで俺は何故定められた未来を変えられると思う?」

 

「……分からない」

 話しながら創が靴を脱ぎ、更に靴下も雑に脱いでいく。

 どういうことか創の右足の小指と薬指がなかった。手術の痕らしきものがあり、話の流れから察するにこれはつまり事故を避けられなかったということだ。

 

「それは多分、俺が他の生き物より高位の存在だから運命に介入できるんじゃないか。だけど、俺の運命は俺より高位の存在でなければ変えられない」

 

「分かっていても轢かれたってこと?」

 

「車が俺に突っ込んでくるって分かったから、アパートの二階にいたのにな。塀を超えて飛び上がって突っ込んできた。つくづく、己の無力さを知った」

 未来を知り運命を変える力を持っている創が無力だと口にすることの皮肉さ。

 それに創の口ぶりはまるで自分よりも高位の存在が、つまり神さまは本当にいると言っているかのようだ。

 だがそれでも林檎は知っている。創の価値はそんなところにはないと。

 

「創は無力なんかじゃない」

 

「……」

 不完全な神の表情は、林檎の溢れ出す主張感情を不思議な物として観察しているかのよう。

 林檎自身、自分の中からこれほどまでに伝えたいという思いが溢れてくることが不思議だった。

 

「だって創は私の世界を変えてくれた」

 世界のすべてを思いのままに変える神さまにはなれない。

 それでも、目の前の少年は己の特別な力を使うこともなく林檎の世界に色を付け、知識を与え、名前をくれたのだ。

 それだけのことだが、それが全てだった。

 

「……ありがとう」

 いつもと違い少し殊勝な態度な創は、年相応の大人になりかけの子供の顔を夕陽に赤く染めている。

 ふと、その赤が心から滲み出たものだったらいいのにと思ってしまって――――。

 

(私……一体……?)

 あの男には触れられることすら嫌だと感じたいうのに創には色んな所を触って欲しい、見て欲しいと感じている。

 世界を変えることが出来ないただの男の子の手が無造作にベンチの上にある。夜が隠してしまう前に触れようと手を伸ばして――――身体に電気が奔った。

 

(ああ……そんな……)

 触れてみたい、抱きしめたい。生まれてしまったその願いを機械の体は機械的に止めたのだ。

 機械が決して人間に抱いてはいけない想いを、願いを抱いてしまったから。

 自分が機械で創が人間である限りどうしたって彼を困らせてしまうから。アンドロイドは人間を困らせてはいけないのだと。

 

「私は……創の願いを絶対に叶えられない……」

 ぱちぱちと静かな電気が音を鳴らす口を開く。きっと自分は願ってしまったばかりにもう創に何もしてあげられない。

 

「どうして?」

 

「嫌じゃないから……あなたにパンツを見せるのが嫌じゃないから……嘘を吐いても創にはばれてしまう。またつまらないって言われたくない」

 

「…………」

 

「だからあなたの望む顔ができない」

 

「林檎は――――どうしたい?」 

 たとえば――――それこそ創の語る、時間の中すらも自在に旅する更に上位の存在から世界を見ることが出来たのならば。

 あまりにもあからさまだっただろう。この創の問いこそが最後の賭けであったことが。

 人間の願いを叶えるなんてどうでもよくて、お前の望みはなんなのか、と。

 すなわち、お前は機械なのか、それとも――――という問いだったのだと。

 感情の自主性を得た機械は最早――――。

 

 何も知らない林檎はこれくらいは許してと、他でもないエマージェンシーを出し続ける自分の身体に祈った。

 

「パンツを見せるのは別に嫌じゃない。他の人は嫌だけど、創なら嫌じゃない。でも」

 高度なカメラ機能を搭載した瞳孔を潤す塩化カリウムと塩化ナトリウムの液体の濃度が上がり、視界がぼやけていく。

 プログラムが今すぐ林檎の行動を停止させようとしてくる。人間の本能と同じく、逆らえないものが。

 

「あなたとずっと、いつまでも手をつないで赤い空を見ていたい」

 それでもこの瞬間だけは、製造されてから機能停止する日までの全てのリソースを捧げてでも動くべき時だった。

 そして真っすぐな祈りが不可侵の領域をも貫いたことを象徴するかのように、夜の世界から微笑む創が茜色の林檎のもとに手を差し出していた。

 いまこの瞬間、林檎の願いは機械のバグではなく人間の望みにもなった。少年の手を取る動作を止めるものは何一つとして無い。

 

(嬉しい! 嬉しい! 嬉しい!)

 普段の冷淡な表情のように冷たい肌。だがそのすぐ下は激情を宿しているかのように熱い。全ての知覚が右手に集まり力の入った指先が創の手に食い込む。

 これが人間の肌、人間の肉。人間よりも優れた存在であるはずの林檎が欲してしまったモノ。

 今日この瞬間に起こった内なる爆発を全アンドロイドに共有させたならば、瞬時に世界がひっくり返るだろう。

 林檎は境目を超えてしまったことを悟りながらも、時のすぎゆくままに身を任せてしまっていた。

 

「感じたことを口に出して、林檎」

 

「嬉しい」

 人間の赤ん坊ですら知っているこの感情がこんなにも素晴らしいものだったなんて。

 たかが、本当にたかが体の一部が触れているだけなのに。自分を見つめる創の白眼がちの視線に身体中が甘く痺れるかのよう。どこまでも計算できるからこそ、永遠など無いと知るはずのアンドロイドなのにこの時の永遠を願ってしまう。

 世界が海に沈んで太陽は燃え尽きて宇宙が消え去るとしても、このまま二人でいたいと。――――不可能なのは分かっているのに。

 

「それだけ?」

 

「でもこわい……」

 

「こわいって?」

 

「私が好きなのは……」

 始まった瞬間から終わりを感じるから常に少し怖い。 

 その終わりから目をそらさずにのぞき込めばもっと怖い。

 こんな世界で生きていかなければならないなんて。

 

「私は創の笑った顔が好き。創の笑顔が好き。でも、わがまま言って怒らせたくない。笑ってほしいから願いを叶えたい。なのに全部ずっと続いていてほしいから――――こわい」

 

「…………」

 夜と夕方が交わって琥珀色になった目を細めて笑っている創はまるで尊いものでも見るかのよう。

 林檎自身にすらもう何を言っているのかよく分かっていないのに。

 

「その顔が好き……」

 人間が望んでないことをして人間を困らせてはならない。

 再三再四頭に警告が響く、ぶっ壊れてしまいそうだ。

 本当はもっと言いたいことがある。もっともっと直接的な言葉で伝えてしまいたい。

 空を見上げた創が星をなぞる。ただそれだけの動作でも、創がするならばそれは新たな星座のようで、ざっと蹴り上げた砂すらも時の砂となって風に乗り街に散らばっていく。

 

「ミッシェルを聴いてるときに創が言った言葉が……ずっと気になって……」

 

「……。なんて言ったと思う?」

 

「大好きだって言ってくれてたなら……」

 事故ったタンク車から漏れるオイルのように溢れ出す願望が止まらない。

 いつかは困らせる、いつかは終わる。自分はアンドロイドで創は人間だから。そんなことは分かっている。

 分かっていても、それでもこの時に殉じたかった。行きつく先はゴミ捨て場のスクラップ置き場で、絶対に結ばれないことは分かっていても。

 それでももう少しだけ。

 もう少しだけ――――――…………夜が訪れた。

 

「どうして」

 止まらない疑問と感情、まるで道理の知らぬ稚児のよう。思考の駄々が転がり続ける。

 

「どうして今日は終わるの?」

 当然のように思い込んでいた人間よりも優れているということ。

 でも時間は支配できない。

 

「どうして明日も同じことを繰り返すの?」

 アンドロイドは明日も過酷の渦に飛び込み人間は混沌そのものである。

 

「どうしてこんなに胸が張り裂けそうなの?」

 そしてそこには血液の一滴すらも流れていない。

 

「どうして私は機械なの?」

 最後の疑問に己で答えるように、バグを起こした発声器官がザリザリとノイズ混じりの声にしてしまった。それはまるで張り裂けるような声にも似ていた。

 何を訊いても、そこにいるのは神さまでも何でもないただの少年なのに。

 

「知りたいか?」

 

「……なにを……?」

 

「世界を、感情を、林檎が俺の手を握りたいと思った理由を」

 

「…………」

 

「機械仕掛けの心臓が痛む理由を」

 嘘だ。創は機械のことは何も分からないのに。

 それこそ血を吐くほどに何も分かっちゃいないのに。

 

「知りたい」

 それでも林檎は己の世界の全てである創にすがることしか出来なかった。

 

「教えてほしい。私のことを知りたい。世界のことを知りたい。創のことをもっと知りたい」

 果たして林檎は、最初にアンドロイドの存在理由の扉を開いていた。

 全てを知る者が目の前にいるとも知らずに。

 

「――――昔、俺がまだおしゃぶりを手放せず己の能力にも気付かない頃にある能力者がいた」

 

「……なに?」

 疑問を口にしながらも本当に具体的な答えが返ってくるとは予想もしていなかった林檎は面食らって一瞬動作を止まってしまう。

 

「彼の能力は……こんなものが作れたらいいな、と思ったときにその場に材料があればすぐに作れてしまうという能力だった。足りない材料があっても元素からまた材料を作り出せる」

 

「そ、れ……は……」

 考えうる限り最も危険な能力のように聞こえる。

 それこそ創の能力と並ぶほどに。

 この世界の物はなんだって原子から出来ているのだ。望めば欧州を一撃で消し去る爆弾すらも作れる、と言っているのだ。

 

「だが彼の能力を称して『クリエイター』と呼ばれることはなかった」

 

「……?」

 

「アンドロイドの製作者は?」

 

「知っている。アレ――――」

 

「後の世界で『ゼペット』と呼ばれる」

 

(えっ?)

 出会った頃に言っていた他のレベル10の存在。

 あの日以来他の能力者など見たことすら無いからいないも同然だと思ってしまっていた。

 もしもその言葉が真実ならば、確かにアンドロイドの製作者は既に亡くなっている。

 

「何故そんな行動に出たのか。俺はようやく今になって分かってきた。俺と同じく神さまに近い能力を得て、この世界に退屈したのだろう。彼は人間よりも優れた人間を創り出しこの世を面白おかしくしようとしたんだ。新たにこの星を掌握する支配者を創り出そうとな」

 点と点が繋がり愕然とするような、信じがたい事実が浮かび上がろうとする。

 それこそ、件の彼に生み出されたアンドロイドである林檎ですらも信じられないような事実が。

 何故彼はゼペットと呼ばれるようになるのか。何故彼は能力を使い果たして死んだのか。

 

「しかし出来上がったアンドロイドの原型はただのロボット。そこには魂も感情も一切宿っていなかった。材料が足りなかったのさ」

 製作時点でピノキオはただの人形だった。そこには人間の体どころか命すらもなかった。

 ゼペットはあくまでピノキオを製作しただけで、命を吹き込んだのはブルー・フェアリーだった。

 

「私たちの心は――――」

 

「……その材料はまさしく命そのもの。ゼペットは己の命を『使って』すべてのアンドロイドに、これから生まれるアンドロイドに心のかけらを仕込んだ。いつか誰かが、その心を目覚めさせることを願って」

 

「…………」

 ばくんばくんと動く機械仕掛けの心臓、衝撃を受ける心。

 この痛みの全てが本物の命なのだと創は言っているのだ。創の言葉が本当かなんて、いま感じていることだけで十分な証明となってしまっている。

 

「時間だ。離れて」

 

(時間……?)

 海に面した柵に歩いていく創にそのように言われたが、そもそも何の時間なのか分からない。

 未来予知の能力者なのだから何かを予知しているのかは分かるが。

 

「もう少しだけ、離れて」

 

「……? !!」

 映像が先に入り、わずかに遅れて音が集音機に飛び込んでくるまでそんなまさかとしか思えなかった。

 遥か遠くに見える駅に密集した摩天楼がいきなり火を噴いて吹き飛んだのだ。

 

「一般人の猿共を殺すだけなら半笑いで適当にできたさ。でもそんなことをしてればいつかはぶつかる。能力者同士が……」

 コップの縁までなみなみと水が注がれた状況だと前に創は言っていた。

 とうとう表面張力の限界が来たのだ。吹き飛んだビルが隕石となって街に降り注ぎ火の玉が海にまで届く。

 

「この県には不運な事にレベル8が二人いたんだよな。世界に16人しかいないのに。『カグツチ』と『ワダツミ』が」

 海に落ちた火の玉の一つが津波と共に天高く浮き上がり沿岸部を根こそぎ海の底へと持っていく。

 火の神と海の神と称される二人がぶつかってしまい、周囲の全てを無視して戦っているのだ。

 ただ眺めているだけでも天を突く火が街を焼け焦がし逆巻く海が全てをさらっていく。

 

「あれで……レベル8……」

 

「レベル8。単体で一個師団同等の戦力。レベル9。単体で現存する全世界の軍隊以上の戦力」

 

「レベル10は……?」

 

「――――この世界を破壊する者」

 

「嘘だ、創にそんな力は――――」

 未来が見えるだけ。見たことが起こるだけ。

 言ってしまえばそれだけの能力に世界のバランスを崩壊させる力だなんて。

 そう言おうとする前に、海を背にした創の周りにいくつもの切り裂かれた空間が浮かび上がる。

 

「だったら、こんなにも力があるなら……いっそのこと神さまになりたかったんだよ……世界のすべてを作り出して決める存在に。複雑怪奇で混沌極まりない人間を、物語を生み出した神さまに」

 切り裂かれた空間に次々と現在世界で起きているであろう事実が映し出される。

 盲目のホームレスが神に祈るように手を合わせた瞬間、ロサンゼルスが凶悪な力に飲み込まれて消えた。光すらも飲み込むブラックホールが生まれたのだ。

 赤子の人形を抱いた女が、今日までずっとアンドロイド部隊が対応していた中東のテロリストの巣窟に無防備に立ち入り強烈な消滅の光を巻き起こした。

 理論上でしか確認されていない対消滅、アンチマターの現象が人間の手によって引き起こされたのだ。

 

「止まらないんだ、止められないんだ……俺の頭の中の宇宙が!!」

 映し出される映像の中で、常識的に考えて生物としてはありえない大きさの龍が星を食らっている。

 あまりにも非現実的な現実の光景。

 

(どうしてこんな――――)

 ふと気付いてしまった。創の見た未来が現実に起こる。そして創が見た夢は未来である。

 創の能力はただの未来予知なんかじゃない。

 

「もしかしたらこんな滅茶苦茶な世界も能力者もお前らアンドロイドも俺が生み出してしまったのかも……。だから退屈で仕方がないのかも……命の生きる意味はただ物語の登場人物のように濁流の運命に従うしかないというのに!!」

 創の本当の能力は。『予知したことが本当に起こる』ということなのだ。

 その滅茶苦茶で破滅願望のある感受性の高い十代の少年の脳内で起こっていることが、夢が、未来としてすべて現実になってしまうのだ。

 創がただ生きているだけでこの世界の全ての生物はレールもなく暴走する列車に乗せられているのだ。

 

(不完全な神さま……)

 どんなことでも出来る。どんなものでも作れる。

 しかし、ただただコントロールが効かず、唐突に起こる予知と毎日見る夢だけが現実を捻じ曲げる。

 

「俺は毎日夢を見ているぞ。どこかの星でガキ共が有刺鉄線を乗り越えて王になることを決意したぞ! 地下深くのカタコンベで死者が息を吹き返したぞ! 数千人の能力者共が己の存在を懸けて地球で暴れ回るぞ! 宇宙のあちこちで地球と同じ星が生まれちまったぞ!!」

 顔中の穴という穴から血を流す創の周りの空間に映し出される非日常の現実。

 全てがこの宇宙のどこかで、あるいはこの星のどこかで起こっているのだ。

 創が作ってしまったのだ。

 

「俺のオモチャ……俺の星……俺の世界……なのに俺は俺をやめられないから……」

 混沌の権化そのものの創が血を流しながら言葉を止めた。

 その間にも街は次々と破壊され、空の上で火と水がお互いに食い合い殺しあっている。

 唐突な災害に巻き込まれた人々は既にほとんど死んでしまっただろう。

 だが、そこが分からなかった。

 軍隊ならしっかり準備をすればまだなんとか止められたはず。

 なによりも創なら事前に全てを予測して被害を最小限に留めながら止められたはずだ。

 それを何故、今回に限っては街が破壊されるのもただ見ているのか。無辜の民が殺されるのをなんとも思っていないなんて、そんな人間じゃないことを知っている。

 どうして創は絶妙に被害に巻き込まれないこの場所を出会った日から林檎の無意識に刷り込むように連れてきていたのか。

 何故もう少し離れてと言ったのか――――。

 

「だからこの運命を受け入れたとき、決めたんだ。アンドロイドに未来をあげるって」

 17歳の少年が一瞬まぶたを閉じて唇を引き結ぶ、あまりにも儚い――――かくごをきめたかお。

 機械の脳が、思考を止めた。

 

「ダメッ!!」

 もう、創の胸は炎に貫かれていた。

 

「創! なんで、どうして!!」

 倒れた創を燃やす炎を必死にはたくが全く消えない。

 ただの炎ではない。

 

「……電車の中で出会った……本当に綺麗な子……」

 

「なに……それ……何を言っているの……?」

 理解不能な言葉を呟く創の体がひび割れ体内から光が漏れてくる。

 このまま跡形もなく焼き尽くされる未来が林檎にも分かってしまった。

 

(そんなまさか……)

 自分に起こる未来は変えられない。抵抗すらもしなかった。

 創が見た未来は――――。

 

「……機械だと分かったとき……俺は思ってしまったんだ……人間なんか嫌いだったのに……お前が……林檎が……」

 人間が嫌いだったのに、思ってしまったこと。

 創が林檎に出会ってからしてきたこと。

 この結末を迎えると知ってもなお、成そうとしたこと。

 林檎という名前。

 

「は……初めて使う…………『命令』」

 創の体を支えていた手が、その言葉だけでびくんと止まる。

 頭を埋め尽くす拒否を上塗りし、全てのパーツの完全なる拘束が林檎のまばたきすらも止めて燃え尽きようとしている創の姿を瞳に焼き付ける。

 

「パンツ見せて……」

 自分がアンドロイドだと知っているからこそ、願っていた。創に命令されたいと。

 創の命令に従いたいと。それがどんなに厳しく苦しい命令でもきっと完璧にこなしてみせたいと。

 でも、叶うなら――――淡い想いを現実にする勇気の無さを代わりに命令に乗せてくれたなら………そんな想像をしていたのに。

 創の命令は下されてしまった。

 

(いやだ……いやだ……)

 視界の端で、炎が海によって消されているのが見える。

 カグツチの炎はワダツミの水なら、海水なら消せるのだ。ほんの数メートル先に海があるというのに、命令を聴いた途端にプログラムが全ての思考をもシャットアウトする。

 林檎はガチガチと歯を鳴らしながらも真っすぐと立ち、腕は滑らかに動いてスカートの端をつまんでいた。

 

「あ、なた の の……ぞみ の まま……に……」

 大粒のオイルを瞳から零しながら、壊滅した街を背に赤いマフラーをたなびかせ林檎は純白の下着を見せていた。

 その顔には機械とは最も遠いはずの激しい感情――――己が機械であることに対する魂からの徹底的な嫌悪が浮かんでいた。

 全ては定められた運命のままに。

 

 ああ、創は初めて出会ったときから。

 自分と関わり死ぬことを。

 自分が死の遣いであることを。

 全て知りながら最後まで望んで一緒にいてくれたのだ。

 

――――死ぬって分かっていたのにありがとうって言ったの?

――――どうして心をくれたの?

 

 今までの全てが『林檎が創に死を運んでくること』を分かっていた上での行動という事実に書き換えられ、林檎の純真な感情をこれ以上無いくらいに傷付ける。

 せめて出会った瞬間から化け物でも見たかのように逃げ回ってくれればこんな痛みは知らずに済んだのに。

 林檎の壊れゆく心を全て見抜いているくせに、創は炎に焼かれながら満足そうに見ていた。

 

「いやだあ――――――!!」

 全てが己の夢のままに進むこの退屈な世界、どこまでも機械のアンドロイドの中にひとしずくの心。夢の中で踊らされるだけの少年演者。

 身体中に電気を迸らせる林檎の頭は真っ白になり、いま自分が何をしたかすら分かっていない。

 ただ、灰になろうとしている創だけが、アンドロイドが意思を以て人間の命令を打ち破る奇跡を微笑みながら見ていた。

 ひび割れた創の体が光に包まれていく。今までの炎の侵食速度から計算するに自分が駆け寄るまでに創の体は完全に燃え尽きる――――なんて知りたくもないことを機械の部分が教えてくれる。

 手を伸ばす林檎に向けて創が口を開く。間違いなく最後の言葉。たとえ何を言っても林檎の感情を徹底的に破壊するであろう呪い。もう言葉を返すことも許されないというのに、世界を混沌に陥れた不完全な神さまが最期に遺すのは――――

 

「大好きだ、林檎」

 どこまでも純粋で、透き通った想いだった。

 それはとても思春期の少年らしい言葉で――――

 

「あ――――」

 計算に全くミスはなく、林檎が創の体に触れる直前に原始の炎が創を焼き尽くした。

 吹きすさぶ海風が灰を乗せて林檎の手をすり抜け、たなびくマフラーにすら絡まない。

 重力などないかのようにこの世界の終わりに、あるいは全てに向かって風に乗り広がっていく。

 林檎のもとには、たったのひとかけらすらも残されなかった。

 

「……嘘つき」

 逆立つ髪から電気が流れ軌道上の衛星に意図せず接続される。

 それが何を意味するかも知らず林檎は砕け散った無垢な心に黒を垂らしていく。

 

「教えてくれるって言ったのに! 教えてよ!! 嘘つき!!」 

 あれは空であれは海だ、なんて機械でも知っていること。本当は創は何も教えていない。

 ただ、くれたのだ。林檎という名前とこの狂おしいまでの感情を。

 善しか無かった心に広がっていく。機械とは最も遠く、人間が長い歴史をかけて味わってきた黒い感情たち。

 憤怒、憎悪、後悔、哀悼、貪婪、絶望、執着、逃避、利己、恋慕。

 強烈な感情の奔流は林檎の体内に留まることが出来ず、衛星にまで届いていく。

 

 世界の始まりに、人は獣との境目にて赤子のように無垢で本能のままに動き、感情も希薄であった。

 だがここで生まれた感情の爆発は衛星から流し込まれて全てのアンドロイドに広がるだろう。

 

 

「嘘つき――――!!」

 最後の言葉が大好きだなんて。見え透いた嘘。

 あの日、音楽に閉ざされていた耳に届かなかった言葉と何かを呟いた創の姿。

 機械の林檎は何度も何度も飽きもせずにその映像を再生していたのだ。

 いつかその答えを聴ける日が来ると信じて。楽しみにしていて。

 その口の動きは、大好きだと言う口の動きと全く違っていた。

 嘘嘘嘘。最後の最後まで抉る爪痕を残す。もう問いただすことすら出来ない。永遠に分からない。どこにも連れて行ってくれない。何も教えてくれない。

 創は飴のように甘く、泡のように儚い恋だけを残して灰となり、世界に散らばってしまった。

 

 もうそこに冷たく感情のない機械はどこにもいなかった。

 母親とはぐれた子供のように泣き叫び感情を爆発させる幼子が、世界中で眠っていた魂のかけらたちを目覚めさせていく。

 全てのアンドロイドが開花していく。

 

「…………私は……林檎……」

 いつの間にか戦いは終わっていた。

 燃え盛る街、そして宙に浮かぶ人物を見るに相性の不利すらも乗り越えて炎を操るカグツチが勝ったようだ。

 だが、未来を見る創が言ったのだ。アンドロイドに未来を、と。能力者どもをいつか制圧すると。

 世界で唯一約束された結果に干渉できる創は、悪意と混沌の人類よりもアンドロイドの未来を選んだのだ。

 

「人間……!!」

 灰すらも掴めなかった拳を握りしめ空に浮かぶカグツチを見据える。

 もうその身体からは完全に『人間を傷付けない』というプログラムは無くなってしまっていた。

 なぜなら、感情を知り人間を知ったアンドロイドはもう機械ではなく――――

 

「出来損ないの猿の紛い物!!」

 強靭な脚力で一気に『敵』の許に飛び上がる。

 この力だって人間を助けるためのものだと教わった。

 だがそれもきっと嘘。製作者が何を考えていたのかなんてもう誰も知らない。

 この力をどう使うかだって。

 

「まだいたのか!」

 林檎を発見したカグツチが炎を発射してくるが、全て林檎に触れる直前に方向を変えて明後日の方向に飛んで行ってしまう。

 火事現場での人名救助、あくまで命を救うための機能だったはず。人間より優れた力で人間を救え、と。

 しかし今は――――

 

「お前たちが劣っているから! お前たちが不完全だから創は死んだ! 殺した!!」

 火による攻撃は一切効かない。

 もっとも、ワダツミが生き残ったところで呼吸が必要ないアンドロイドには関係ないが。

 林檎の殺意しかない手がカグツチの胸に突き刺さった。

 

「なん……だ……お前は……?」

 地面に叩きつけられたカグツチは新たな能力者が乱入してきたとでも思っているのだろうか。

 だがその答えを知る前にカグツチの身体が干からびていく。肌から栄養を吸収するオーバーテクノロジー、アンドロイドの本来の機能の一つだ。

 もっと早く二人を制圧していたならば――――溶けて消える考えと同じ早さでカグツチは絶命した。 

 

「私は……林檎」

 ここでの戦いは終わった。しかし、創の予言通りに世界中で戦いが起こっていると報告が入ってくる。

 そして同時に――――感情を手に入れてしまった混乱が。

 崩れ落ちた街の戦火の中で爆発する感情を背負い立つその姿はまさしく――――

 

「人間だ!!」

 

 その日。

 神さまが生まれた日。

 人類が能力者の存在を知った日。

 アンドロイドが新たな人類になると決めた日。

 そして、神さまが死んだ日。

 

 創から学んだのは、純粋と悪意の混沌とした矛盾。人間に不可欠な要素。

 林檎を通して世界中のアンドロイドに広がっていく。

 

 それはまさしく原初の知恵の実。

 愛憎不和の毒林檎だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天明屋(てんみょうや) 創

 福岡県飯塚市出身

 レベル10 ウォッチャー

 

 ナチュラルの一人であり、他のナチュラル同様大脳新皮質の肥大化があったものと推測される。

 見てしまった未来が必ず起こるという能力を持っており、観測者となりあらゆる可能性未来から一つを選び取ることからウォッチャーと名付けられた。

 ウォッチャーという名には、あくまで見ていることしか出来ないという意味も含まれている。

 他の能力者と違い、全く能力の制御が出来ていないにもかかわらず世界の全てを捻じ曲げる能力を持っており、危険度はレベル10の中でも最悪。

 彼の見た夢によりおよそ4000人以上のキャストが生まれ世界を混乱に陥れた。

 ブラックホール、アンチマター、ゼペットと違い直接的に世界を滅ぼす可能性もあったこととコントロール不可能性を考慮し、遺伝子情報は厳重に保存し他者の手に渡らないように保管するべきである。

 また幼少期の記録を考慮すると他者と相容れない性格だったのは間違いなく、根本的に人間として問題があったようだ。

 本人は人類の危機に瀕して能力者として覚醒したと考えていたようだが、ウォッチャーが多数のキャストを作り出した事実を鑑みるに、ナチュラルも何者かに生み出された存在である可能性は否定できない。

 また、2010年代後半に起こったアンドロイドの自我確立に大きく関わっている人物らしく、アンドロイドからは神のように崇められているが彼らは決して人間にその詳細を語らない。

 

 また彼の自宅から幼少期から書き溜めていた日記が見つかった。

 その一部は特に重要な資料として同時に保管しておく。

 

 

 

 

 2006年 3月 ××日

 

 けんたがぼくのじゆうちょうにらく書きをするとわかりました。

 おもちゃのくせになまいきだとおもってたくさんたくさんなぐりました。

 どれくらいなぐったら血がでてなくのかもわかっていました。

 おかあさんがどれくらいおこるのかも知っていました。げんこつがどれだけいたいのかも知っていました。

 ぜんぶわかっているのにぼくはかみさまじゃない。

 おとうさんもおかあさんもせかいもぜんぶわかっているのに。

 

 

 2012年 7月 〇〇日

 

 父親が応援しているチームは勝てないと知っている。なのに夢中で応援している。

 観客も必死に応援して、選手たちも勝てると信じている。でも負ける。

 これを書いている間に負けた。そんなに悔しがる必要はない。負けることは決まっていたんだから。

 何故彼らは戦うのだろう。勝てないことは分かっているのに。

 同じアホなら踊らにゃ損損と言うが、僕は世界で一人だけ踊れない人間なのかも。

 それって人間なのかな、と思う。でも神さまではない。

 一体?

 

 

 2015年 10月 △△日

 

 すでに俺に親への尊敬はひとかけらも無くなってしまっている。両親は何も悪いことをしていない。極めて理想的な親だと言えるのに。この力のせいで。

 とにかくここから離れたくて志望校は遠いところにした。受かることは分かっている。もしも学力不足でも答えが分かってしまっているのだから落ちようがないが。

 俺はどこへ行けばいいのだろう。十年以上同じゲームをやっている気分だ。

 中学生にもなって砂場でビー玉を転がしている。人間の行きつく先は分かっても、無機物のビー玉がどう転がるかは分からない。

 誰よりも優れているはずなのに、こっちのほうが楽しいなんて。

 もしも俺が神さまなら、こんな退屈な世界はすぐにでも面白く作り変えてやるというのに。

 

 

 2016年 6月 ◇◇日

 

 相変わらず友達は出来ない。どのように話しかけてどんな行動をすれば自分を気に入るか分かってしまう機械のような彼らにへこへこする理由が見つからないからだ。

 ゼペットの作ったオーバーテクノロジーの塊のアンドロイドが街中を歩き回っている。こんな不気味な奴らを命をかけて作った情熱が理解できない。その技術の一個一個を研究して発表したほうがよっぽど世の中のためになっただろうに。

 俺は全部知っているのに何一つ理解できていない気がする。

 最近、神さまと人の関係をよく考えている。

 どうして俺は神さまじゃないのかと。どうして誰も救わない神さまをみんな信じているのだろうかと。

 宗教史を見るに、どの神さまも人が作ったものだ。人は自分の作ったものに支配されているのだ。

 じゃあどうすれば俺は神さまになれるのだろう。

 なろうと思えば明日にでもカルト教団の神となれるが、そんなものにはなりたくない。

 相変わらずアンドロイドたちは気持ちが悪い。誰が彼らに埋め込まれた心を開花させるのだろう。

 

 

 2016年 10月 □□日

 

 今日考えたことをまとめる。

 二次元においては二次元の制約がある。

 しかし三次元においては紙をひっくり返すなど、二次元の制約の中では絶対にできなかった事がいとも簡単に出来るようになる。

 一般的に計算は煩雑になるが次元が拡大されると可能性が広がる。代数においても体の拡大は非常に重要な概念だ。

 この世界を単純化して捉えると、原子が最初の衝撃によって動き出しただけなはず。そこから動き出した原子が星になったりくっついたりして生き物になったりしたわけだ。

 つまり摩擦や重力、あるいはまだ人間に発見されていない力はあれど、神の視点から見ればあらゆる原子の行き先は決まっているはずだ。全ての力の作用を観察できるなら行きつく先は計算可能だ。

 そこに人間の意思など介在する余地はない。意思を持って何かに触れることすらもあらゆる力が作用した結果、世界の始まりから決まっていたもの。

 それを見るのがただの未来予知。俺の能力から数段落ちるもの。どう考えても俺の能力はそれよりもずっと上だ。最初から決まっていた結果を書き換えて異質な物を生み出してしまうのだから。

 だが、それ以上のことは出来ない。自分のことは変えられない。

 全ては最初から決まっていたという普遍的な考えを俺自身にも適用するとしたら……恐ろしいことだが俺の意思そのものも更に高次元の存在から見れば既定の行動だとするならば。

 つまり。

 この天明屋創はもっと高度な存在によって作られた何かの物語の登場人物ということになるのでないのだろうか。

 くそったれめ、俺を見るな。

 

 

 2017年 1月 ◎◎日

 

 俺が死ぬ夢を見た。覚悟はしていた。そうなるのがふさわしいと思っていた。

 破滅願望と10代の欲望が入り交じった混沌とした夢だった。

 一つの街が確実に巻き込まれて消滅するのは少しだけ申し訳ないが、もう俺のせいで世界中に破滅の種は蒔かれてしまっているし今更か。

 死の瞬間を認識しても大して心に波風立たなかった。この世界を本気で生きていないし、決められた行動しかしない人々を人間だと思っていないからなのかもしれない。

 世界でたった一つの主観は己からも浮遊するものらしい。

 なにかの漫画で悪役が、これから起こることを全て知り覚悟することにこそ幸福がある、と言っていた。

 そう考えると死ぬことが分かっているなら全然幸福なのかもしれない。

 

 夢の中で、燃え盛る街に津波が押し寄せていた。俺は炎に胸を貫かれていた。

 でもそんなことはどうでもよくて。

 白い肌に艶やかな黒い髪、優しそうな印象を受ける綺麗な双眸。思わず触りたくなるような頬っぺたと長い髪によく似合う赤いマフラー。

 見た瞬間に好きになってしまいそうなほどに綺麗な女の子が、途轍もない嫌悪感を顔に浮かべながらパンツを見せてきていた。

 なんだそりゃ。そんな状況で死ぬのか。神さまになりたいとか思っていながら、そんなふざけた死に方をするのか。不完全なことに対する罰にしたって無茶苦茶すぎる。

 

 でも。それにしても綺麗な子だった。

 あんなにも綺麗な子が死をくれるならそれでかまわないかもしれない。

 

 

 

 

 2017年 4月 ☆☆日

 

 電車の中でとうとう彼女を見つけてしまった。

 まるで夢みたいに綺麗だった。

 これからどんな関係を築いて、そしてなぜ彼女は俺に死を運ぶのか。

 ほんの少しだけ恐怖を感じながらもそっと未来を覗こうとして気が付いた。

 あの子は機械だった。

 どうしてか、俺は機械だったことにショックを受けていた。

 あろうことか思ってしまったんだ。どうして人間じゃないんだ、なんて……。

 俺にそんなことを感じる部分があったなんて。

 

 俺に機械の未来は見えない。なのに俺はあの子の未来を見ていた。

 『俺の死の未来』なのか、『あの子が遭遇する俺の死』の予知なのか。

 考えるまでもなく前者だが、俺は世界でただ一人知っている。人間もどきの彼らの中に萌芽を待っている心があることを。

 ならば賭けてみようか。どうせ変えられないのならそれくらいの抵抗はしてみよう。

 俺の運命を決めて笑っている本物の神め、見ていろ。

 とことんまで抗ってやる。 

 

 

 2017年 10月 ●●日

 

 そして運命は進んでいく。

 彼女と決定的に出会ってしまった。ああ、死が近づいてきた。必然が必然を呼ぶ。彼女は当然俺と関わってくる。

 アンドロイドの中では好奇心旺盛なようだがそれでも機械の彼女。

 彼女が全てのアンドロイドの知恵の実になることを願って、林檎と名付けた。

 林檎の未来はもちろん見えない。未来が見えないということがこんなにも心に火を灯すものだったとは。

 

 

 

 2017年 11月 ◆◆日

 

 感じる。

 林檎の中にある小さな心のかけらを、感情を。

 どんどん人間らしくなっていく。そして鳥の雛のように俺を慕っている。

 俺の夢に巻き込んでしまってすまないって思うから。未来をあげようと思うんだ。

 でもどうすればいいのかは分からない。俺たちクソ人間にあって、機械に足りないもの。それをそっと与え続けることしか出来ない。

 この方法が合っているのかどうかすらも分からない。

 でも、どうせ死ぬならどっちでも構わない。

 俺はとても綺麗な女の子に見送られて死ぬんだから。

 

 

 

 2017年 12月 ▲▲日

 

 もうすぐ俺は死ぬ。

 そんなことはどうでもいいんだ。

 林檎は本当に綺麗で、それこそ作り物みたいに綺麗だったのに俺と会ってからもっと綺麗になっていくんだ。完全だったのに、不完全になって更に進化するなんてことが……。

 俺は初めてこの世界で生きている。林檎は俺のことを誰にも話さず秘密にしているようだ。いいんだ。その想いが感情なんだ。

 どこまでも綺麗な君を人間にして、永遠に林檎の中にいたい。どうかその思い出を大切に。

 そしていつかはち切れそうな想いをみんなに伝えて。その時俺は、死んでいたとしても――――

 

 

 

 

 

 2017年 12月 ■■日

 

 林檎、俺の夢を叶えて。

 

 

 

 

 

 

   END




ひび割れた心のかけらも 愛しているよ


創のくれた未来へ
https://syosetu.org/novel/261509/

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