艦隊これくしょん -南雲機動部隊の凱旋-   作:暁刀魚

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『25 半人前の一流提督』

「それじゃあ、いただきましょうか」

 

「そうだね、いただきます」

 

 赤城と、それから満の声、窓越しに日が差した、司令室に二人の会話が広がる。それから少し沈黙が合って、広がるのは感嘆をこめた溜息であった。

 

「あぁ……おいしい」

 

「そうですね」

 

 二人が口にしているのは、いわゆる『間宮のアイス』だ。日本海軍の士気の源とも言われる絶品の氷菓。あまりに人気が有るためにあらゆる基地――どころか一個艦隊までも――を動きまわり、中々満の鎮守府に訪れる機会はない。

 今回それが実現したのは、この間宮納涼祭が他の基地と協議の末開催されたためだ。

 あまりに人気が有るため、そもそも真夏に開催出来たのは幸運という他ない。なお協議とはいうが、決定方法はくじびきである。

 

 去年は初夏の頃に開催されたこの鎮守府における納涼祭は、好評では合ったものの、満足の行くものではなかった。無論、納涼祭はいわゆる“定番”であるため、それらは満足不満足は、風物詩の範疇ではあったが。

 

 白の山脈、山頂には添え物のように葉が置かれ、ひんやりとした温度はスプーン越しの手のひらにも伝わってくる。冷気は空へ、司令室の無骨な天井へと消えていった。

 

 程よく溶けかけの氷菓子は、スプーンを差し込むことでたらりと皿へ汁を垂らして、雪融け水のようにそれが拡がってゆく。

 柔らかな感触は、スプーンだけではない。舌にそれを載せた時にこそ進化を発揮する。爽やかに広がるアイスは、甘味よりも先にひんやりとした冷たさを告げる。舌が凍りつくかのような感触。溶けて消えてゆく氷は、喉を潤し下っていった。

 甘味は、その実感のようにあとに残る。純粋な、バニラ味の菓子は雪融けの終わった春を告げるかのように、温かみを持って舌に残った。

 

「よく冷えた糖分だ。あとに残る感じが心地いい。爽やかなのに、それ以上に味を感じる。あぁ、僕はアイスを食べているんだね」

 

 満の率直な感想に、隣に座る赤城も素直に頷く。

 現在、満達は執務用の机にはいない。司令室に備え付けられた、喫茶店のテラスに並ぶような白色のテーブル。同じ白の椅子に、それぞれひとりずつかけているのだ。

 普段であれば金剛がいつの間にか持ち込んだティーセットが近くにあるのだが、今日は隅に追いやられている。

 

「それにしても赤城、たったこれだけのアイスで君は足りるのかい? もっと頼んだ方がいいんじゃあ」

 

「いいのですよ。……初めて、提督から――私を初めて率いた提督のことです――いただいた想い出の菓子なので、がっつくのは少し、想い出を汚してしまう気がするのです」

 

「……ふぅん」

 

 とはいえ、赤城の食べるスピードはゆっくりと味わうタイプの満とは比べ用がない。すでに、解けたアイスに染まった底が思いの外見えていた。

 

 そうしてそれも、あっという間に終わってしまうと、最後に丁寧にそこの融けたアイスを掬い上げ、ゆっくり口の中で楽しむ。

 惜しげにスプーンを口元から話すと、いつもより柔和な笑みで、赤城は淡い嘆息をした。

 

「……、」

 

 それを、満は無言で見つめる。何と言ったら良いだろうか、満のそれは、果たして普段の彼とは違う瞳に思えた。

 

「どうかいたしましたか?」

 

 ふと、赤城がそれに気が付き問いかける。なんでもないよ、と満は返そうとして、しかしふと目線を落とす。

 

「――一口、食べるかい?」

 

 何気ない問いかけだったかもしれない。そうではなかったかもしれない。自分でも思わずといったふうに飛び出した言葉に満は内心驚きながら、しかし努めて笑ってみせた。

 赤城は、

 

「食べます」

 

 一も二もなく応えて返し、二つ返事で頷いた。

 

「……ん」

 

 差し出されたスプーンにいざ、と勢い紛れに食いついて、その冷たさを赤城は堪能しているようだ。満の頬に、朱が指していたことは、きっと彼女は気が付かない。

 

「あぁ……美味しい」

 

 敬語も、気遣う言葉も何一つ無く、赤城の口から本音が漏れた。満に向けたものではない。それがわかっていても、なんとなくそれを満はうれしく感じるのである。

 

「それで……赤城が始めて指揮下に入った提督、か。どんな提督だったの?」

 

「誰からも慕われる、優しい提督でした。普段はとても寡黙で、けれども良く艦娘たちのことを見ているんです。それに、堅い信念のある提督でした」

 

「信念……か。それは艦娘を沈めない、とか。無茶をさせないとか、そういうものではなくて?」

 

「はい。それはきっと決意というのではないですか? だとすれば違います。決意は、誰にだってできますから」

 

 決意は、誰にだってできる。明日をもっと良い日にしようと考えて、決意して。しかしそれを実行できるかは話は別だ。一瞬前にしないと誓ったことを、いつまでも続けられるはずもない。

 それくらい、決意は弱く、脆いものだった。

 

 ではどうか、満に果たして決意はあるか。あるに決まっている。提督としてしなければならないことをする。そんな決意を胸に満は邁進し、道を歩いてきたはずだ。

 しかし、それ以上に今の彼には、信念と呼べるものはない。決意を信念と確かめたのは、きっと信念が自分にないとわかっていたからだろう。

 

「それに……そうやって決意した提督は、とても弱いのではないですか? 自身のミスで艦娘を沈めてしまった時、心を真っ直ぐいられますか?」

 

 ――海の上で戦う少女たちは、戦場にいながら、しかし存外に“死ににくい”存在である。提督が判断を間違えなければ、いつまでも艦隊は運用できる。

 だからこそ、死なせないという決意はいかにも凡庸で、単なる一つの思いでしかない。

 

 アタリマエのことなのだ。誰もがそれをしなくてはならず、続け無くてはならない。そしてそれを心の根に据えてしまった者は、もしも艦娘が沈んでしまった時、平常でなどいられない。

 

「結果、意思が狂い提督を辞する人は多くいます。時にどのような犠牲を払おうと、勝利をもぎ取る執念、いかなる災いが見舞おうと、ただ一人立ち続ける信念。それを持って、人は初めて司令を“一人前”と認めるのです」

 

「……犠牲は、得るものを計算できなければ払えない。得を判断するのは知識。損を判断するのもまた知識。そして、信念を持つための行動指針、その土台を作るのもまた――知識」

 

 すなわち赤城がいうところの“一人前”は、提督として必要なもの。“一人前”と呼ばれるための条件。知識であると言っているのだ。

 一つ頷いて、赤城は言葉を引き継ぐ。

 

「それらを持っての一人前。……けっして決意という世迷い言が、提督の素質を決めることはありません」

 

「それは……!」

 

 反論する。その尻声は自然と強さを増していた。胸のつかえるような思いはきっと、赤城の言葉でも、その中身でもなく、それを納得できてしまう自分に向けたものだろう。

 

「それは、つまり、提督として一人前に慣れない軟弱者は、そんな軟弱者の決意には、価値なんてない、――ということですか!?」

 

「有り体に言えば、そうです」

 

 その一言は、一切のよどみもなく。ためらいもなく。感傷もなく。決められたプログラムのようにあくまで淡々と、決め付けるように、言い放たれた。

 

「でも――」

 

 言葉を返そうとして、しかし続かないことにすぐ、満は気がついた。反論できない。反論するような材料が、無い。

 一年半という時間の中で、満は提督としてあらゆることを学んできた。そう言い張ることはできる。しかし、赤城の持つその三倍以上の経験と知識は、それをはねのけるに十分なほどだった。

 

「――――ですが、提督としての素質を測る物差しは、決してそれだけではありません」

 

 それこそ、人の性質がひとつの方向性では測れない立方体であるのと同じようなものだと、赤城は言う。

 

「結果を、残しているのであれば話は別です。結果を残し続ける限り、それは周囲の評価となります。すなわちそれは、“一流”と呼ばれるものです」

 

「一流……」

 

「提督、貴方はこれまで、多くの海戦をくぐり抜け、戦艦を賜るに至りました。今やこの鎮守府は南西諸島沖を巡る戦いに於ける主力です」

 

 黙りこくる満に、赤城はさらに言葉を続けた。

 諭すように、繰り返すように。

 

「かのレイ沖海戦で奪われた制海権も、ようやくこちらの手に収まろうとしている。それを為したのは提督、貴方なのですよ」

 

「それは……」

 

「一流とは、つまりそういうことです。誰もが認める事を為す。為し続ける。結果をそのまま信頼にするだけの実力を持つことが、一流。それは間違いなく、一人前と呼ばれる領域とは別の話です」

 

「――まったく君は、人をおだてるのが本当に上手いね。下げて上げる。こっちの気持ちは君の手のひらか」

 

 言い切った赤城の言葉に、体中にたまった我慢を吐き出すように、満は大きく吐息を漏らした。膿のように沈殿した感情が、急速に冷却されていくのを感じる。

 

「艦隊旗艦というものは、得てしてそういうものです。ここ最近は……この鎮守府に来る前の間は、後方で味方の鼓舞と制圧殲滅が主な仕事でしたから」

 

 誰かを思い出すように、赤城は言った。――だれか、この場合それは艦娘で、きっとその中でも日本の中心に座する、聯合艦隊旗艦。名を、長門といったか。

 満はこの世界にきてその名を知った。かつての日本の象徴であり、今この世界における、日本の全てであることを、初めて知った。

 

「半人前の一流提督、か。だとすればもっと僕は知識を得るべきだ。君の言うように、英雄の如き戦果をもたらす一流はきっと素晴らしいものだろうけれど、同時に大きな慢心にもなる」

 

 ただ結果に信頼を寄せられるのであれば、それはきっと、大きな挫折を呼び込むだろう。信頼を失い、破滅する時が来るだろう。その時、“ソレ”が半人前の提督であれば、もはや価値などどこにもない。見捨てられるのが、関の山だ。

 

 狂ってしまうのが、関の山。

 

「そんなものに、僕はなりたいとは思わない。だとすれば、だ。犠牲を必要とするに――最も必要な物は何だと思う? 赤城」

 

 満はそうして、赤城に問いかけた。一人前の提督に必要なもの、犠牲を得てでも何かをつかむ執念。それを、行うに足る条件を、赤城に問いかけた。

 答えはなかった。一瞬の間、その直後にすかさず満は言葉を続けたからだ。

 

「――勝利だよ。そして、勝利は結果だ。僕はそれこそが、提督に必要な物だと考える。勝利を得るために犠牲がいるなら、僕には勝利を見届ける、“義務”があるんだ」

 

 一度でも犠牲を払ってしまえば、それはつまり信頼の失墜に変わる。だが、それでもなお犠牲を選んだ人間には、その犠牲の行く先を見届ける義務がある。そう、そのために、たとえ醜くとも、提督としての居場所にしがみつく、必要がある。

 だからこそ知識は、失った信頼を、最低限の信用で補うチカラとなるのだ。満のたどり着いた結論とは、つまりそこに在る。

 

 繰り返すように、満は言った。

 最後を“飾る”ように、満は言った。

 

 

「提督はすなわち、獣だ。常に執念のごとく結果を欲する、化け物じみた狼だ」

 

 

 それは満にとって、提督の有する執念であり、満が心に決めた信念でもあった。

 

「今はまだ、僕がそれを体現できるとは限らない。だから赤城、僕を助けてくれ。僕に必要なあらゆる全ては、きっと僕ではなく君に在る。僕のすべてを支える――一時の歯車となってくれ」

 

 知識は、吸収することができる。そしてその知識の源は、きっと赤城だ。歴戦の艦娘として、下手な提督以上の経験と、知識を持つ彼女であれば、それは間違いなく“適う”ことだ。

 

 かつてその手元を離れるまで、支えとなる存在になってほしい。満は赤城にそれを求めた。一人と一人の関係以上に、提督と秘書艦。その関係を含めて。

 

「――、」

 

 赤城は、それにただ沈黙で返した。

 

 一瞬の肯定も否定も含まない沈黙。

 

 しかし赤城はこの時、今まで見せたこともない。

 

 

 ――とても呆けた、顔をしていた。

 

 

 それから、

 

「……はい、分かりました」

 

 赤城は、

 

 とても、とても嬉しそうな顔をして、とても、柔らかい笑みを浮かべて、何の曇もない笑顔で、そういった。

 

 空に流れる青の風。

 ――クスクスと、楽しげな少女の声が司令室に拡がった、気がした。

 

 

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 10

 

 

 ル級が海に沈んで、赤城達は帰路についていた。

 空に戦闘を思わせる焔の朱はどこにもない。ただ、暁光にそまった白雲のすぎる空は、静かで、どこまでも冷たい。

 全員が、言葉をなくし仕事に励んでいた。

 

 赤城もそして長門も、それを疎かにすることはなかった。

 

「……少しだけ、考えていたことがあります」

 

 久しく続いた沈黙を破ったのは、加賀だった。先ほどのことなど無かったかのように――否、先ほどのことを極力おもいだすことがないように努めて言った。

 

「あそこで現れた戦艦ル級。あれが深海棲艦の狙いだったのではないですか?」

 

「……どういうこと?」

 

 飛龍が、空をゆく彩雲の様子を確かめながら問いかける。加賀はひとつそれに応えるように頷いてから、言葉を続ける。

 

「これだけの大規模な戦力をこのミッドウェイに投入した意味です。おかしいとは思いませんか? 今回の戦闘、あのル級を除けば完全に人間勢力のワンサイドゲーム。深海棲艦は戦力を無駄に投入したとしか思えません」

 

 とはいえ、深海棲艦の戦力に枯渇はない。どれだけ駆逐しようと延々と湧き続けるのが彼女たちだ。また、その思考回路も、よくわかっていない部分が多い。

 

「単純に、飽和した戦力を切り捨てるためじゃないのですか?」

 

「確かに深海棲艦に情はありませんが、だからといってそれはないでしょう。だとすればこんな海の一角ではなく、もっと敵の本拠地に襲いかかったほうが敵を削れるはずです」

 

「そうですねぇ……なるほど、それであのル級、ですか」

 

 飛龍も納得がいったように頷く。

 深海棲艦は海の怨念によって生まれる。その怨念は外の世界からやってくるが、別にこちらの世界でも構わないのだ。よって、恨みを持ってこの世界の海に沈めば深海棲艦になる。逆に一切の恨みもなければ艦娘となることもあるが、それは余談だ。

 

 つまるところ、あの時突如として出現した戦艦ル級は、“深海棲艦の恨み”から生まれた深海棲艦というわけだ。

 

「……一応、兵装は無事か確かめておきましょう。嫌な予感がします」

 

「そうですね、……赤城さんをお願い、蒼龍には私から言っておきます」

 

 この時、海は至って静かであった。しかしその静寂を、当然だと思うものはいなかった。

 ――長門も、陸奥も。

 蒼龍も、飛龍も。

 そして加賀も、赤城も。

 

 しかし、

 

 

 誰もこの時、深海棲艦の本当の目的を、理解しているものはいなかった。

 

 

「……! 電探に反応、さっきのル級と同じで、かなり突然の反応ね。東西南に軽巡を旗艦とした水雷戦隊が大量出現……突破するのに大破艦がでるわ」

 

「やはり、か。となると本命は北……か」

 

 陸奥の言葉に長門が反応する。加賀達もまた、それぞれ艦載機を構え、弓に番える。

 

「赤城さん、行きますよ」

 

「……えぇ」

 

 そうして数秒。水雷戦隊の姿はなく、未だ沈黙は広がっている。それが破られる時が来た。出現したのは小さな米粒、遠くにいくつかの船影が見えた。

 数は――六。

 

「出たわ! 反応は空母ヲ級“フラグシップ”二隻。そして……反応なし!?」

 

 電探は決して現代のような性能の良いものではない。彼女たちは現実における七十年近く前の存在であるのと同じように、電探の性能もまた、およそ七十年前のものなのだ。

 しかし、それでも決して何の遮りもない大海原で、反応がないなどあるはずもない。

 

 考えられる原因は、電探が反応しているのは深海棲艦の“パターン”であるということ。

 

 つまり、

 

「……なるほどな、深海棲艦の本当の狙いはこれか。おかしいとは思っていたが、なるほどこれなら納得だ。何せこいつは“後につながる”」

 

「現行の命名法則により、とりあえずということで名付けるわね、船影の大きさからして、最低でも戦艦クラス、加えて、空母六隻で艦隊を組む深海棲艦の例は今まで無いことから、あれは戦艦」

 

 長門のぼやき、陸奥の嘆息。

 陸奥の言葉を、長門が継ぐ。

 

「出現、……反応は空母ヲ級フラグシップ。そして――――」

 

 カシャリと、視界の前にレンズが用意される。敵を覗きこむための、簡易的なものだ。映るのは、どこかゆったりとした袖が流れるセーラー服。

 青白い顔に、黄金じみた色に染められた瞳の発光。

 

 “フラグシップ”を現す身体的特徴を持つ。

 つまり、

 

 

「“新種”戦艦――タ級、フラグシップ四隻!!」




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、こんにちわ!

言うまでもなく、今回は本作品の転換期なのです。

次回更新は12月25日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!

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