南西諸島周辺の海域は、日本にとっても、深海棲艦にとっても重要な地域であることは語るまでもない。かのミッドウェイは、現在深海棲艦の超巨大艦隊が存在するとされ、そこへたどり着くための重要な足がかりが、南西諸島海域とされているのだ。
そして、現在北方海域からのみ航行できるとされるアメリカ大陸への、もう一つの航路を作るという意味もある。
現在南西諸島沖には非常に細い、敵艦隊の航路の隙間とされる部分を塗った渡航ルートがある。これはレイ沖海戦以前からなんとか死守してきた日本の虎の子であり、前年に満がコレを防衛するべく空母ヲ級と初めて会敵したこともある。
今回の作戦は簡単だ。この航路を南雲機動部隊がとり、敵艦隊の主力をおびき寄せる。敵は沖ノ島周辺に陣を張っているとされ、その周囲を空母一隻に戦艦一隻という大規模な艦隊で横切れば、無視する事はできないだろう。
要するに、全面的な正面衝突である。
これに奇策じみた戦略は用いない。これまでの出撃で、十分策略としては手を打ってきているのだ。オリョール海周辺の通商破壊を始め、これまでの出撃は沖ノ島周辺の主力艦隊を“浮き彫り”にさせるための戦闘だ。
無論、それでも彼女たちには、そんな包囲網を突破するための戦力があるのだろう。しかしそうであっても、南雲機動部隊がそこを叩けば応戦せざるをえないほど、彼女たちには後がない。
だからこそ、何の策もなく叩くのだ。全力で、全開で、相手に何の策も用いる隙を与えず。徹底的に、壊滅的に。
「皆、聞こえているかい? これは僕達が始めて経験することになる総力戦となる。そのために必要なことは全て行ってきた。後は出せるチカラの全てを振り絞って、あらん限りの全霊を持って、敵艦隊を撃滅するだけだ」
司令室。虚空に向かって、海の向こうの仲間たちに向かって、島風たちへ声をかける。それは決してがなり立てるようなものではなかった。
ただ心の底を震わせるように、胸の奥底に鎮められた、烈火の魂を吹き上げさせるように。
対する島風達もそれははっきり認識しているようで、返す言葉も、重く、力を“纏わせた”ものになった。
『任せてください提督。私が――島風が、提督に勝利をお届けしますから』
『ウチらにまかせておけば全部問題ナッシングやで。おまかせあれ、や』
島風と龍驤の声が聞こえる。複数の無線から、声が重なって聞こえた。すぐ近くに彼女たちがいるのだろう。同時に金剛が、大声を張り上げて満に思いをぶつけてきた。
『コレが最後になるからもう一度言いまスッ! 提督、大好きデース!!』
“最後になる”その意味に、悲壮なことなど何一つ無い。その真意は、推して知るべし。
『愛宕っち、コレが終わったら、ちょっと会って欲ほしい人がいるんだ。だから、絶対に生きて帰ろうね』
『そうね。わかっているわ北上さん。それに、提督や皆と共にいれるこの居場所を、守るのが私の役目です』
北上の言う“会ってほしい人”。きっと、すでに艦娘としての役目を終えた、“もう一隻の”重雷装艦の少女であろう。大井といったか――艦娘としての名前と、人間としての名前が同一であるかどうかはよくわからないのだが。
慣例上、艦娘としての名前をある程度受け継ぐと、戦艦榛名要する北の警備府司令が言っていた。大井という苗字はそこまで珍しくもないだろうから、大井某といったところか。
「じゃあ、任せるよ赤城。勝利を頼む」
最後に――満は促すように赤城へと言葉をかけた。
待っていたと言わんばかりに、即座に赤城が答える。
ただ一息に。
『赤城――行きます』
そう一言を。
満に、告げた。
♪
引き絞られる弓。はためく布。
赤城と、そして龍驤の手元から幾つもの艦載機が飛び立ってゆく。
「第一次攻撃隊、全機発艦!」
「赤城はんの後につづいてや。上から一気に叩きつけい!」
空をかき乱すロケットのような、直線上に打ち上がる艦載機。引きずり周囲に残されていく残響は、やがて海に溶け、艦娘達の駆動音に掻き消える。
海が白の泡に染まり、青く染まった己を忘れてしまうかのようだ。島風を始め艦娘たちが、列を成して敵艦に接近する。
敵艦隊の内訳は、重巡リ級エリート。雷巡チ級エリート。雷巡チ級二隻、駆逐ハ級二隻。
南西諸島周辺を統括する主力艦隊に属する一遊撃部隊といったところか。敵艦隊は待ち構えるでもなく、南雲機動部隊とここで衝突したことは、ある種の偶然であろう。
ただし、この周囲には警備任務に付く艦隊が多く点在しているため、この周辺で一戦を交えることは、ある程度想定されたものだった。
「さー、二十射線の酸素魚雷、二回行くよ!」
北上の言葉の直後、空を切り裂く龍驤の爆撃が、敵艦隊主力、リ級エリートの砲塔を叩いた。噴煙を上げるリ級エリート。副砲による火力に寄って補正された高い練度を誇る艦爆は、容赦なく敵旗艦を爆撃――轟沈に追い込む。
「やっりぃ! 一番星、もろたで!」
「それを言うなら一等星じゃない? いや、それもなんか違うかな」
島風の茶々入れ。航空戦から砲撃戦へと移行する一瞬の間。龍驤の顔が少しだけほころんだ。しかし即座に、きつく眉を結んだ表情に変わる。
北上の魚雷はチ級無印のうち、一隻を沈めた。そして駆逐ニ級一隻を、赤城が。残るは駆逐ニ級一隻と、チ級、エリート無印各一隻。
砲撃戦開始直後、金剛の砲塔が唸りを上げる。地獄の隔壁を粉々に粉砕するかのような轟砲だ。死を招く。敵の死を、無慈悲な鉄槌を、駆逐ニ級に申し渡すのだ。
砲火はひとつではなかった。幾重にも重なり、中距離の射程に入れば、愛宕、そして北上が後に続く。
返す刀の如きチ級二隻の砲撃。赤く染められた空中は、そのまま駆け抜け、どことも知れぬ海へと消える。
同時にチ級の船体が揺れた。不規則に、幽鬼のごとく。そのすぐ後を追うように、北上の主砲がチ級が先ほどまでいた場所を跳ね上げ、振り上げ、飛沫の柱を作り上げる。
「あぁもうごちゃごちゃと! 雷巡ってこんなすごかったっけ!?」
「自画自賛もそのくらいにしないと、逆に自分がやられちゃうわよ?」
北上達の愚痴もそうではあるが、とにかく一撃が決まらない。湯水のごとく注がれる砲撃の群れを、チ級は“接近しながら”回避しているのだ。つまるところ狙いは単純。金剛達の射程が届かない場所、超至近距離から敵艦隊を殴ろうというのである。
「あぁう! 外れマシタネ! 次弾、装填間に合いまセン!」
副砲に拠る一撃が、チ級エリートの右舷をかすめた。轟沈には至らない。どころか、それは損傷ですらない。金剛の言葉に、若干の焦りが含まれた。
直後、そのエリート後方から爆煙があがる。無印チ級を愛宕が仕留めたのだ。しかし、それと同時にエリートを狙った北上の砲撃は横にそれ、駆け抜け消える。あとに残るのはもう、一人だけ。
そう、島風だ。
彼女の身体が右方に大きくそれる。回避するための、ほぼ全速力だ。
「この距離なら!」
両者の主砲が大きくブレた、爆発を伴い、海に幾重にも渡る波を作り上げる。しかし双方の一撃は狙いをつけた相手の横を駆け抜けていった。お互い、外したのである。
島風がそうであったように、チ級もまた回避のための行動をとっていた。高速で旋回する両者には、狙いのつけようなど無かったのである。
360度、円を描くように距離をとった両者は、やがてチ級が速力を低下させたことにより、遠く離れて行く。チ級が狙いを変えたのだ。後方に交代するように、速度を極限まで落とし、対応する。
狙いはすでに割れていた。この場で、島風を差し置いてチ級が狙うような、速度の遅く装甲の薄い艦など一つしかない。
島風の声が、大きく張り上げ海に響き渡る。
「――龍驤ッ!」
友人、そして僚艦たる少女の名を呼び振り返る。
状況は大詰めを迎えている。龍驤と、そしてチ級エリート。だれかが主砲を放つよりも、このどちらかが行動を起こす方が、きっと速いだろう。
どちらにせよ、チ級はこれで轟沈する。その時、彼女が果たして島風達に何を残すか。
それが、この一瞬で決まる。
島風が、金剛が、龍驤へと即座に振り返る。北上が、そして愛宕が装填の終わらぬ主砲の砲塔へ、目線を落として歯噛みする。
赤城は、見定めるように龍驤を見ていた。しかし、艦載機を伴う弓には、すでに新たな矢がつがえられていた。
ただ、龍驤だけがチ級を見ている。まっすぐと、揺れぬ瞳で。
「残念やけど」
チ級はすでに主砲を龍驤へと向けている。島風達も同様だ。しかし彼女たちの砲撃がチ級に届くよりも前に、チ級の主砲は火花を散らすことだろう。
どちらにせよ、この場で行動できるのは、チ級が狙う、軽空母龍驤――のみ。
その彼女が、大きく右手を振り上げた。人差し指を天に突き上げ。つぶやく。繰り返すように。
「――本当に、残念やけどさ」
くるりと、その指が円を描く。
そして、
「キミの攻撃“ウチ”には全然、届かへんよ」
――――龍驤は空母だ。その本質は空にあり、艦載機にある。つまり、単なる発着点に過ぎない彼女は本当の“艦娘”としての――兵器としての本体ではなく。単なる媒体の一つに過ぎない。
だからこそ、“届かない”。龍驤を狙うチ級の一撃は、ほんとうの意味では、一切龍驤に届いていない。そも、彼女のチカラが、チ級に砲撃を、許すことすらしていない。
最初から、想定していたのだ。チ級が、中距離射程、つまり愛宕達の射程に入った時点で狙いは定めていた。それが今この瞬間まで行われなかったのは、龍驤が手を下すまでもなく、だれかの砲撃でチ級が沈む。そんな可能性が大いに存在していたからだ。
――そして、その人差し指が、断頭台のように振り下ろされる。
誰よりも早く、誰もの砲撃よりも遅く、降り注いだ爆撃はチ級を襲い、海の中へと――還していった。
♪
一戦目終了後、島風達は北東へと進路を取った。直進するように、敵主力艦隊へと向かうのだ。続く会敵は戦艦ル級一隻を伴う水上打撃艦隊。
その内訳はル級一隻、重巡リ級二隻に軽巡ト級エリート一隻。駆逐ハ級エリート二隻だ。
内エリート軍団。ハ級二隻は龍驤及び赤城の空爆により轟沈。そしてト級エリートも北上の雷撃により、轟沈。残るは無印、今まで相手をしてきた雑魚と、さほどその面容は差異のないものだった。
そして、
「ふふふ、撃ち合いなら負けませんネー!」
砲撃戦。金剛の轟砲が海にたたきつけられる。水紋は幾重にも重なり、もはや海はその青を忘れてしまったかのようだ。
戦艦ル級周辺に烈火の閃光が駆け抜けてゆく。聴覚を切り裂く音はル級ではない、その周辺島風たちへと届いていた。
「オップス! あんまり危ない砲撃なナンセンスヨー!」
直後、ル級の轟砲を見て取った金剛が、一気に右方へ旋回する。巨大な換装が即座に回頭。金剛の在った先をル級の主砲が駆け抜けていった。
一瞬の判断だ。避けてから、通り抜けるまでコンマ一秒。思考が緩慢であれば、そも気づくことすらできなかった一撃。だが、金剛は避けた。
「戦艦が避けた? スッゴーイ!」
島風の感嘆が海域に響く。直後その島風が右手を横に振るって照準をあわせる。発破。――直撃したのは重巡リ級。一気に装甲を貫くと、そのまま海へと沈めてしまう。
すでに北上、愛宕が大破に追い込んでいた物を、ダメ押しとばかりに島風が決めた。
残るは二隻――戦艦ル級と重巡リ級。そのうち、ル級は金剛の主砲を少なからず貰っている。小破と言ったところか。
そして残るリ級も――
「後はよろしく、一航戦!」
独特の訛り、龍驤だ。飛行甲板がはためき吹き上がる人型の艦載機。直後に妖精が現出。まっさらの式神は艦上爆撃機『彗星』へと姿を変じる。
高速。島風の横を当たり前のように駆け抜けて、そのまま空中へと姿を消す。対空が弱いこの部隊に、それを追う力はない。
直後、悠々とリ級の直上を取った艦爆が、一息に爆撃を叩き込む。一発で中破に追い込まれた。そして、
「――決めます」
赤城の声。
一直線にリ級へ向かった艦攻『天山』が、リ級に止めを叩き込む。
これで残るは、ル級一隻。
「オーライ! 後は全部任せるネ! 一撃で全部決めちゃいマス!」
砲撃の止んだ一瞬の空白、金剛の勝利宣言が響き渡る。海に彼女を邪魔するものはいない。ル級も、敵艦隊も、そして島風達も邪魔をしない。長距離のそのまた先。金剛の狙う砲塔が一直線にル級を穿つ。
直線上に、それが“合った”。
「全砲門――! ファイア!」
爆煙が上がるのに、時間は一切かからなかった。
♪
「ここまでは、なんだかんだ順調ねー。このまま何もないといいんだけど」
洋上の北上。隣に立つ愛宕へ向けてのんきに言葉を一つ漏らした。今現在のところ戦闘はない、この海域に突入しすでに二回砲撃を構えて、そしてそのどちらもほとんど無傷で突破している。
とはいえ、そうとは行かないことくらい、北上だって理解している。
「偵察からの報告です。この先、フラグシップクラスが確認されました。そちらはできることなら迂回して周りましょう」
「了解。赤城はこれからもよろしくね?」
偵察を、と言うまでもないことを省略し、語った島風に赤城は返さない。真剣な表情を見て取った島風もそれ以上は言葉をかけなかった。
「にしても、随分静かな海やね。ひと泳ぎしたいくらいや」
「それは自分の通った後を見て言ったほうがいいんじゃないかな?」
島風が言いながら振り返れば、艦娘達にさんざんかき回された海が、青さを失い果てていた。波のように広がるそれは、どこかミルクのように透き通っている。
「泡吹で海が真っ白ネー! ちょっとエッチな感じデス」
『……何を言っているんだキミは』
満の呆れが、無線越しに聞こえてくる。言ってる本人が頬を赤らめているような風だ。人生経験はそれなりに豊富だろうに、まぁ兵器として戦場を駆けまわっているのであればさもありなん、というところか。
――そこに、
赤城の轟くような声が海を震わせた。
「……敵影確認!? 帰還して、状況を報告!」
それは、妖精に対しての言葉だっただろう。しかし、唐突に飛び出した危険信号に島風達の表情が険しくなる。
無線越し、満の声が、そこに続いた。
『全艦戦闘配備! 敵艦隊を撃滅せよ――!』
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13
一人、海に赤城は立っている。
振り絞った弓の弦から、最後の艦載機が空へと舞った。後はおそらく、もう誰も帰ってくることはないだろう。妖精は不滅だ。たとえ海に艦載機が墜落しても、それを駆る妖精は、偶然漂流しどこかにたどり着くという可能性がある限り元より所属する港に帰港する。
だからこそ、その生死を一切気にすること無く、全ての艦載機を空に浮かべた。
後は、その練度を信じる他にない。
離脱しようと全速で後方をゆく赤城は、これでようやく回避に専念することが可能となる。後方から迫るタ級の砲火が一層強さをました――ような気がした。
空に、そして海に向けられた砲塔が、艦載機と、赤城を狙う。
それに対し赤城は何度も振り返り、砲弾の向かう位置を確認しながら離脱を続けた。
思考の片隅に、数分前までの状況が鮮烈に蘇る。中破した加賀と、赤城の会話。
『――赤城さん。待って』
中破し、その衝撃に耐えているであろう加賀から、溢れるように言葉が漏れた。その一瞬、加賀に痛みによる苦渋に歪んだ表情はなく、唖然とした様子で、しかしまっすぐに赤城を見つめた瞳とともに、それがあった。
『行かないで下さい。これ以上の犠牲は必要ありません。私たちは、まだ……』
『それは、できません。加賀さん、ごめんなさい。少しだけ我儘を言わせて』
我儘と、赤城は加賀にそう言った。赤城の判断は決して間違ったものではない。このタ級達が猛威を振るう激戦の地から、抜け出すためには囮が必要で、それは長門であってはならない。
日本の心を、こんなところで、置き去りにすることはできないのだ。
『――それから、ありがとうございます』
あくまで正面から加賀の瞳を受け返した赤城の言葉に、反論できる者は誰も居ない。だからこそ赤城は一人、タ級達との追討戦を演じていた。
「……必ず沈める。ここで、私の敵を、作るわけにはいきません」
その瞳は、殺意――覚悟によって塗り固められた純粋培養の敵意――によって彩られていた。
艦載機が駆ける
空は青く、しかし朱に染まり藍に変わろうとしている。水平線の向こうにはどこまでもまばゆい黄金の如き暁が十字を描き現出していた。
その十字、縦の一文字と艦載機の直前がリンクして、緑の翼を赤にすり替える。
十数に及ぶ艦爆と艦攻の攻撃隊。それら幾つかが、タ級の対空砲火によって爆発、海へと散る。
降り注ぐ爆撃と爆発音。赤城に耳元をそれらが、そしてタ級の砲弾が貫いていく。
タ級の人間を失った意思なき瞳が、映すは果たして恨みかつらみか、はたまた赤城の艦攻か。二隻のタ級が、全ての砲門を全開にし周囲へ構える。
駆動音が無数に鳴り渡り、一斉に、一同に介し、振り上げる。その中に、赤城へ向けられた物も、いくつかあった。
クライマックスだ。全てが終わり、海へと還る時が来た。
爆発、そして――
「――提督」
ぽつりと、赤城の声が響く。
「なぜ、貴方は私に意味のある死は、無意味だと説いたのですか?」
世界が無音に変じたような、そんな感覚であった。
幾つもの致死的火力を持った一撃が赤城を襲う。艦載機を襲う。しかし、それら全てが必殺を持って赤城に殺到するはずもない。海が無数の柱によって跳ね上がり、荒れ狂い、踊り狂う。
その中の幾つかが、赤城を襲った。艦載機をたたき落とした。残り幾ばくもない赤城の全てが無に帰り、海へと還る。
「なぜ、貴方は私の目の前で、意味のある死をもとめたのですか?」
身をかがめるようにして、回避する。降り注ぐ弾幕を、身を躍らせるようにして身体を回転させて回避する。くるくると、くるくると。
ただ、どこかに迷い、戸惑うように。
「わかりません。私には何も。何が正しいのか、何が間違っているのか――何も」
対空砲火の火中を抜けて、艦爆が飛び上がり、降り注ぐ。
――タ級へ、
彗星が――
――天から、
海上へ――
――雲を切り裂き、
爆音を伴って――
直上、タ級の元へ殺到するように、
衝撃、海が空がそして誰かが――
爆発を、理解して観測する。
それは三つだ。
同時に起こった。
タ級ウチ一隻の砲弾。そして赤城が二隻を狙う同時爆撃。
気がつけば、赤城の目の前には砲弾が迫っていた。迷路を駆け抜けるように走りぬけ、そして行き着く先に、それがある。
行き止まり。出口のない迷路であることは、最初から赤城は知っていた。
「提督……」
繰り返すような言葉は音に飲まれて、元より消え去りそうな細さで在ったことすら忘れて、どこにも届かない海の向こうへ、消えていった。
赤城はその一撃で大破した。
後一瞬、タ級の轟沈が早ければ、そう悔やむことは可能であろうが、しかし結局後の祭り、そしてそも、ここまで回避が続けられたことそのものが奇跡であったのだ。
刺し違える形とはいえ、タ級二隻を赤城が轟沈したことも。
赤城は海に倒れこむように、失った浮力もあってか、半身を海に沈めながら浮かんでいた。立ち上がろうにも、そうするだけの気力がもう、赤城には存在していないのだ。
もはや五本の指で数えられるほどに数を減らした赤城の艦載機が、敵影を見つけたと感覚に対して報告を告げる。
再び敵の水雷戦隊が浮かび上がったのだ。先ほどまで三方を囲んでいたものではない。新たに浮かび上がったものである。
「まだ、最後にこんな隠し球を……」
その数は、思わず赤城がそう漏らしてしまうのもうなずけるほど。少なくとも、先ほど赤城達を囲んでいた水雷戦隊のウチ、一方のみと比べた場合なら遜色が一切ないほどだ。つまり、これを抜けようと思えば大破するのは免れず、もしもそうでないというのなら、それこそ天才的なセンスで、砲撃を全て回避するしか無い。
今の赤城には、全て不可能なシロモノだ。
「でも良かった……これで全部、打ち止め見たいね」
しかし、それはつまり、敵艦隊にはもう、タ級を生み出すチカラはないということだ。水雷戦隊とはつまり、重巡すら生み出せないという意味でも在る。赤城がここで沈む以外に、被害が生まれることはないだろう。
「提督……答えは、わかりません。何も、何もかも。でも、もうどうでもいいんです」
何もかもが海に溶けるような感覚。そばに敵艦が浮かび、逃げられないという事実の理解と、現実への絶望。それはきっと――
「――――あぁ。これが、沈むという感覚なのですね」
砲撃の音が聞こえる。
耳をかすめる。身体をかすめる。もう、後は残されていないだろう。何せ、赤城はもう、一歩もその場から動けないのだから。
赤城は誰にも望まれて生まれ。望まれるがままに戦場をかけた。
それは一つや二つではなく、大海戦も、今回のように中核を担うものではなかったにしろ、主力の一つとして参加したことも在った。
栄光の空母、正規空母赤城。
決して長い人生ではなかった。提督のような経験も、長門のような栄誉も得ることはできなかっただろう。それでも、きっとここで自分が失われることは、誰もの記憶に残るだろう。
意味のある死。
提督が、最後に求めたもの。それが、赤城が最初に求めていたもの。
――本当にそうなのかは、もう誰にも、解ることはない。
ただ在るのは、
海と、
空と、
空を掻き切る、艦載機。
――――だけ、
のはず、
だった。
「――さん。赤城さん! 聞こえていますか!?」
聞こえるはずもない声。しかし、赤城はしかとそれを聞いた。幼い、年端もいかぬ少女の声だ。戦場には場違いであり、そしてこの一瞬には、特に場違いとも言える。
それでも、事実だ。
目を見開いた先に、彼女はいた。
――姿に、見覚えはない。しかし、声には聞き覚えが在る。誰かの通信越しに聞いた声だ。そう、たしか数時間前――
「第一駆逐艦隊旗艦、“電”。正規空母赤城をこの海域から救出するべく、ただいまこちらに到着しました!」
提督の皆さん、あけましておめでとうございます!
第一部最終決戦。どどんと四話構成となっております。
次回更新は1月6日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を。