艦隊これくしょん -南雲機動部隊の凱旋-   作:暁刀魚

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『06 木曾』

 木曾の知るある艦娘は言った。理想に現実は追いつかないが、現実に理想は追い付いてくる。その当時、木曾はその意味を全く理解できなかった。今も、理解できずにいる。

 

 確かに理想と現実の違いに苦しむなんてよくあることだ。理想を抱えて何かの世界に飛び込んだ人間だって、数年もしない内に理想というものは砕け散るものだ。

 理想を持ったまま人間は成長しない。理想を捨てて現実を受け入れることを、人は大人になると呼ぶのだ。

 

 だが、現実に理想が追いつくとはどういうことか。理想は先行する未来への天望だ。現実は今と過去にあるが、理想は未来にしかない。どうやったって、理想というものは現実に追いつくはずもない。

 ならばそれはつまり目標ということかといえばそうでもないようだ。訪れた現実を前にして理想を方向転換する、という話でもないらしい。

 

 とはいえ、自分には関係ないことだろうと、当時の木曾はそんな艦娘の言葉を切って捨てた。今もそれに後悔はない。そもそも自分に何故彼女がそんな言葉を残したもわからないのだから、後悔のしようがない。

 

 それでも、わかったことがある。自分には関係ない。そんな思いは、結局のところ幻想に過ぎず、――要するに木曾は“慢心”していたのだと。

 

 少なくとも、木曾はある理想を信じていたのだ。妄信していたと言ってもいい。だがそれは、木曾に言葉をかけた艦娘が轟沈するその時まで、気がつけなかったというだけの話。

 

 かの駆逐艦、先代の電は不滅であるのだと、心の何処かで妄信していた。今の自分の居場所が、駆逐艦電によって作られたこの空間が崩れ落ちるなど、これっぽっちも、思ってはいなかったのだ。

 少なくとも、木曾はそう考えるほどその空間が好きで、また絶対性を感じていたのだ。

 

 ――たとえそれが、誰に対してであろうと。

 

 

 ♪

 

 

 K字型の爆雷投射機が、唸りを上げて空へと跳ね上がる。落石の後、噴出した飛沫の如く。飛び上がった爆雷は、寸分違わず狙い定められた場所へと向かう。

 木曾の顔が凶悪に歪んだ。一点を、ただひとつだけを思いへ向けて、見据える。

 

「沈めッ! シズメェェッッ!!」

 

 直後、怒涛を伴う水柱の噴出が、数多の方向へと吹きすさぶ。

 

 爆発したのは、夕張のソナーが正しければ、すでに大破に置かれていた潜水艦。北上の一撃を受けた無印の潜水カ級。

 ままにあることだ。ままにならないことだ。

 

 歯噛みする。夕張に届いてくる木曾の声はあまりに悲痛が篭っているのだ。聞いていられない。耳をふさいでしまいたい。だのに、世界はそれを許さない。

 

 木曾のそれは無茶が大いに含まれている。しなくてもいいことを彼女はしている。だが、しなくてはならないほど彼女は今、困り果てているのだ。

 島風との間に何が合ったのかは知らない。自分に何か言えることもない。せめて、せめて少しでも早く、この二人の状況に変化が訪れることを祈る。

 

 爆雷を振るう投射機が、唸りを上げて左右に吹き上げられた。

 

「……左舷! 魚雷来てる!」

 

 直後、島風が大いに船体を揺らして、狙い定められた雷跡から自身を引き剥がす。艦隊を切り裂いた白の泡吹が、どこかへ散って消えてゆく。

 

「この! 我が艦隊に手を出すな! 潜水艦風情が!」

 

「敵残り三。無理はしないで! 後一隻落とせれば私達の勝利なんだから!」

 

 言いながらも、夕張は勢い紛れに爆雷を振るった。艦隊戦において、六隻の艦隊を相手にする場合、四隻落とせば凡そ勝利と呼ぶことができる。完全とは言わないまでも、双方の優位性がそこに明らかにされるのだ。

 

「それじゃあ結局、敵の潜水艦を落としきれない! 落としきれなかったら、潜水艦は残ったまんまなんだよ!?」

 

「そりゃあそうだけど、っていうか、まったくもってその通りなんだけどさ」

 

 そういう話ではないだろう。たしかにそれは正論だ。しかし、正論は人の意志で時にたやすく曲げられる。理不尽だ。そして夕張は、その理不尽を自分の中で感じざるを得ない。

 ――声を上げたいのに、声を上げられない。その感覚を夕張は味合わされているのだ。

 

「そんなことをしても結局意味は――いえ、いいデス。とにかくこの海域を離脱しましょう! 長居は無用! 潜水艦隊など振り切るのがベターデス!」

 

「だがベストではない!」

 

「一つのベストにかまけている時間はありません。それはいついかなる時も同様デース」

 

「なら――」

 

 木曾の反論へ、金剛は即座に遮った。声など、聞くまでもなく理解しているように、自身の言葉を乗せた。

 

「一つのベストは、ベターで補えるのデース、ならばそれをベストに変えるのは、結局のところ個人のスキル次第ではないデスか?」

 

 金剛の言葉は彼女らしくどこか軽く、しかしそれゆえに毒気がない。金剛の言いたいことは簡単だ。そこまで言うのなら、自分のチカラでやってみせればいい。離脱するまではベストは作れる――そのベストを、作れるのならば文句の一つも金剛は聞く。だができないのならば、最初から無駄口を叩く必要はない。

 要するにそういうことだ。金剛自体に木曾を責め立てる理由がない以上、金剛は木曾に言葉をかける。あくまで優しげに、叱咤することなく激励してみせる。

 

 それができるのが金剛だ。伊達に日本海軍の最古参というわけではない。

 

「……ッ! いいだろうやってやるさ!」

 

 その言葉にようやく少しは冷静さを取り戻したのだろう、ニヒルに笑みを浮かべて木曾が肯定する。

 一度だけ両手を顔に張り手して、そのまま振り上げるように爆雷の軌跡を描く。狙い通りにたたきつけられた爆雷が、海へゆっくりと消えていった。

 

「島風!」

 

 最後方、龍驤が島風へ向けて声をかける。離脱を促すそれに、一瞬ためらってから島風は頷く。

 

「撤収するよ! 同時に潜水艦を撃滅。一隻だってこいつらを、残してなんかやるものか!」

 

 言いながら、島風の振り上げた爆雷が海の深淵へと呑み込まれかき消されてゆく。そして――

 

 

 ――島風達は無傷で戦闘を終了。敵艦隊を壊滅させ、海域を離脱。戦果は旗艦ある潜水ヨ級を除く全深海棲艦の撃滅。

 判定の必要もなく、島風達の勝利となった。

 

 

 ♪

 

 

 ――カレー洋制圧戦。

 “深海墓場”カスガダマに近づくにつれ、敵の戦力が強大になると同時に、ある傾向が見えてくる。それはカレー洋周辺には多くの資源回収地帯があるということだ。これは何もカレー洋だけの話ではなく、西方海域には何かと資源を手に入れられるポイントが多い。

 これは要するに、“深海墓場”と呼ばれるカスガダマの特性とも呼べるものだ。

 

 ――“深海墓場”とは。

 

 簡単に言えば、敵の深海棲艦が轟沈した後、海に攫われ行き着くポイントである。その訳には諸説あるが、このカスガダマこそ、深海棲艦の元となる怨念が最初に通る場所なのである、というのが現在の定説だ。

 つまり、一度沈んだ深海棲艦は新たなコア、行動原理である異世海の怨念を求めここに惹き寄せられるというわけだ。

 また、艦娘達に使用される資材の元は、こういった深海棲艦の廃材だ。それを回収加工することで、艦娘は海上でも行動が可能となるわけだ。

 

 こういった別世界と何がしかの交信を行うとされるポイントはこの世界にもいくつかあるが、そのほとんどが深海棲艦の本拠地とされている。その中で唯一、人類が拠点とすることができたのがこの場所、カスガダマだ。

 結果としてカスガダマは重要な資源採掘地帯となり、また深海棲艦がたどり着くことから付いた名が――

 

 ――深海墓場、というわけだ。

 

 現在、その深海墓場は深海棲艦の手中にある。これは何も非常事態というわけではなく、何年かに一度、敵の攻撃が激しくなった際にカスガダマがその標的とされることはよくあることなのだ。

 今回はある非常事態もあってか、カスガダマを守護していた艦娘達はむざむざ西方海域を明け渡すほか無かったわけだが、その奪還のため、白羽の矢が立ったのが満達というわけだ。

 

 そうしてこれは西方海域進出作戦の第二戦。カレー洋制圧戦だ。作戦の要旨はごくごく単純、ストレートに突っ込んで、ボスを殴って敵を追い払う。それだけだ。

 ただし、コレに加えてここはカスガダマ沖周辺。豊富な資源地帯を確保することも目的となる。

 

 ルートとしてはカレー洋中央の資源地帯がうちどちらかを通り、直線的にボスの元へ向かう方法か、迂回して敵艦隊をよこなぐりにする方法だ。

 奇をてらい、迂回することは場合によっては間違いではない、しかし今回の場合正解は直線ルートだ。理由は簡単。そちらのほうが戦闘回数が少ないのである。

 

 迂回して、資源も確保できず戦闘も増えるのではあまりに無駄が多すぎる。結果、今回の進撃で奇策は必要を為さず、ストレートな進撃作戦が取られることとなった。

 

 面子は前回と変わらず、旗艦島風に金剛、北上、龍驤。そして北の警備府から木曾と夕張だ。

 

 ジャム島攻略作戦と同様のメンバーで出撃した島風たちは、何ら問題もなく進撃、カレー洋をニンゲンの手へと取り戻す――はずだった。

 

 問題は先の潜水艦隊との戦闘から少し、敵主力艦隊を目前にした、空母機動部隊との戦闘で起こった。

 

 

 ♪

 

 

 ――ありえない。心の何処かで誰かが告げた。

 ――ありえない。自分を見る誰かの瞳がそう告げていた。

 

 愕然としながら島風は、ありえないと考えてから改めて、自身の状況を認識した。認識してからもう一度、繰り返すように思考した。

 

 こんなはずはない、と。

 

 痛み。そう、これは痛みだ。衝撃に揺さぶられた感覚と、同時に吹き上がる体中を襲う痛み。その痛みは、ただ痛みとして島風を襲っているわけではない。

 

 心の痛みだ。自分の中で生まれた、心の臓をかきむしるかのような激痛。意識すらおぼつかないほどの悲鳴に、しかしそれだけではない。

 感じるのだ。

 もがきを、無色の海に引きずり込まれ、意識すら、思考すら溶かされるような痛み。

 

 それは、口元にまでせり上がった記憶が、最後何かに引っかかり、結局でてこないもどかしさ。その痛みは、そう、

 

 

 ――“解らない”という痛み。

 

 

 島風は、大破した。

 そんな折、彼女はどうしようもない感覚を覚えたのだ。痛みと喉元をかきむしりたくなるようなもどかしさ。わけのわからないまま何かに答えをぶつけたがって、しかしその矛先が見いだせない、そんな痛み。

 

 本来ならば、回避できるはずだった。無数の集中砲火の中であれ、致命傷を負うような艦娘では島風はない。どんな一撃も回避する。回避した上で敵を撃滅する。それが“できる”のが本来の島風なのだ。

 今も、そんな島風と変わらない、はずなのに。

 

 いったい何が間違っていたのか。

 いったい何処で間違えたのか。解らない。何故ならば答えがないからだ。運が向いていない、といえばそれはそのとおりなのだろう。

 

「――し、島風ェェェッッッッ!」

 

 木曾の絶叫が海域に響く。爆撃の雨あられ、無数の爆撃と艦載機が飛び交う海の上で、しかし彼女の言葉ははっきり島風に届いた。

 

 今の島風には、木曾の状態は解らない。確認するすべはない。それでも、木曾が一体どんな行動を起こそうとしているか、島風にはなんとなくではあるが、理解できた。

 

「待って、来ちゃダメッ!」

 

 ――だが、その声は木曾に届くことはなく。

 

 海をそのまま震わせる爆音。島風の耳は、襲いかかったそれを、認識するに苦痛が伴うのだった。

 

 

 ♪

 

 

『撤退だ』

 

 満の言葉は簡潔であり、そして端的であった。

 

「……解り、ました」

 

 島風は一瞬躊躇いを覚えながらも頷く。理解していた。このまま進撃しても勝てない。自分の中にある違和感と、この艦隊が抱える不和。それをどうにかしない限りは。せめてどちらか片方は――

 

「待て! まだ俺は戦える! それに島風は旗艦だ。轟沈の危険は――」

 

『……木曾』

 

 反論しようとした木曾に、満は名を呼んで止めた。続けて、諭すように言葉をかける。

 

『君が何かしらの問題を抱えていることは理解している。それを僕に話してくれ。言い方は厳しいが、これは命令だ。拒否権はない』

 

「――俺はッ!」

 

『繰り返す。これは命令だ。――問題は起こってしまった。である以上、僕は行動を起こす義務と権利がある。たとえ愛宕に止められたとしても、君の言葉を聞かなければならない』

 

「……、」

 

『…………島風、入渠のさい高速修復剤は使用するな。ゆっくり休んで、意識を切り替えておけ』

 

「分かりました。……艦隊帰投」

 

 島風が身を翻し、満の待つ鎮守府へと足を向けた。心配そうな金剛がそれに続き、北上が呆けたようにしながらそれを追った。夕張、木曾がそれぞれ動き出し、最後に龍驤が一瞬敵主力艦隊が待ち構える先を見て、そして船体を動かし始める。

 

 島風が大破していた。そのために艦隊の移動速度は著しく低下していた。しかし、その速度はあまりに遅く――そして遅いと感じる理由は、決して島風が大破していたという理由だけではないように、思えた。

 

 

 ――最後尾、龍驤は一人決意を固める。木曾と島風、二人が“こう”なってしまった原因に、少なからず自分が関わっている。そう、決めつけた。実際にそうであったとして、そうでなかったとして、それはどうでもいい。

 だが、自分が原因であるのなら、解決のために動かなくてはない――義務感は生まれる。

 

 龍驤の思い。そして木曾や島風の感情。それらをカレー洋へ置き去りにして、南雲機動部隊は、カレー洋制圧戦、最初の出撃を終えた。


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