「のう、青葉よ」
「なんですか? 利根さん」
重巡青葉と重巡利根。北の警備府に古くから籍を置く艦娘両名は、なんともヒトコトでは言い表しにくい関係であった。
両者は親友でもあり、同じ重巡として競い合う者同士でもあり、その姿は、家族のようにも、姉妹のようにも、恋人のようにすら見えるのだ。無論、恋人というわけではないし、せいぜいが誰かをからかうためにその“ふり”をするという程度のもの。
「思ったのだが、お前さん、最近太ってきていないか?」
「嫌だなぁ利根さん。ぶん殴りますよ? じゃなくて、私達艦娘の体型が、変化するわけ無いじゃないですか」
そんな両者の関係を、最も的確に表すのなら、――もっとも、端的に表そうとするのなら、きっと、
――悪友、というのが正しいのだろう。
「まぁそうは言うがな、それを言ったら青葉、いま我々が食べているのは何だ? 食事じゃないか」
「そうですね、利根さんのカロリーがやばそうなピザに、私のヘルシーな天ぷらうどんです」
利根のそれは、いわゆる四種のチーズピザと呼ばれる、チーズにチーズを重ねがけし、さらにそれをチーズで蓋をして、そこにチーズをトッピングする、チーズ究極体とでも言うかのような代物だ。
見れば、利根は円盤になっていたピザのすでに半分を胃に収め、したり顔で舌なめずりをする。とろけるようなチーズが、そのまま口元から喉へ流れ落ちてゆくのだ。チーズ独特の“濃ゆい”味わいが、下を楽しませたまま、リズムの良い感触に変わり喉元を通りすぎてゆく。
同時に、弾力を持ってチーズの染み込んだふわふわの生地が舌を踊る。一噛みするだけで、チーズの味がピザ生地と融け合い、いじらしいほどやわらかな味が激流のごとく襲い掛かってくる。
「っっっんーっ! 旨い! こいつはな青葉、トンデモカロリーの乙女の敵だ。だが、吾輩達は乙女ではない、艦娘だ。乙女ではないのだから、いくら食べても問題はないのだ」
「貴方は肥満症のピザにでもなるつもりですか。……いえいえ、そうはなりませんがね、では利根さん、こういった食事を消化する私達の器官は一体何です?」
ふむ、と手を止めて利根は思考にふける。そういえばその通りだ。艦娘は艦娘であるかぎり体型が変化することはない。成長することもないし、そうであればそもそも食事によって得られるエネルギーを得る必要がないのだから、食事は必要ないはずだ。
「疑問だな。青葉よ、お前は答えを知っているのか?」
「利根さんは私達艦娘のレントゲン写真というものを見たことはありますか?」
「いや、無いぞ?」
「私は昔提督に見せてもらった事があるのですけれどね、実は私達、中身は空洞なのですよ」
――提督、とはこの場合北の警備府司令、山口のことだ。満の場合は苗字が提督の前に付く。これが満の鎮守府に行けば逆転することになるわけだ。
「さもありなん、吾輩達艦娘は魂の存在だ。陰陽寮の奴らにして言わせれば、私達は意思を持つ式神そのものらしいな」
「正確には“神”そのものですよ。式神の“式”は彼らが神を扱う上でのプログラムですから、私達艦娘は“神”そのもの、かつては信仰の対象であったわけですからね」
「さながら――神定娘。神と定められた娘、言い換えて艦艇娘」
「略して艦娘。って所ですね」
神であったのが艦娘で、艦娘とは人類とはまた別の存在であるとも言えるが、人ではないと呼ぶには、些か人と密着しすぎている。
「……神、か。なるほどな。そういうことならつまり、さながら食事は貢物か。それなら話は簡単だな。神への捧げ物は捧げた者の腹の中へ消える。この場合、捧げた側は世界というわけか」
「とはいえ、どうやら換装などの維持にもいくらか使われているようですね。艦娘が食事をする文化が無かった頃よりも、換装の寿命は長いそうです」
かつて、艦娘は人ではなかった。正確には今も人ではないが、かつての艦娘は“神”であったのだ。故に、艦娘は人と同様に食事を食べるということはなかった。元より必要はなかったのだ。
しかし、近代以降、“魔導工学”の発達と、艦娘という存在が研究対象になり始めると、思うの他、艦娘は人間に近い存在であると認識されるようになり始めた。
結果として、艦娘と人間の関係は、現在のような軍隊の関係に落ち着き、今日までそれは一切崩れること無く続いている。
とはいえ、一般市民にとって艦娘はやはり憧れの対象で、その眼差しは史実の軍人ヘ向けられるものでもあり、信仰の対象に向けられるものでもあった。
「ふむ……今と昔、どちらが良いかなど考えるのは野暮というものだが、青葉よ、お主は神であった艦娘と、軍属である艦娘、どちらが良いと思う?」
「どっちでもいいんじゃないですか? でも、強いていうならやっぱり軍隊でしょうか。……んぐ。こうして、食事ができないのはやはり寂しいですからね」
つるつると、音を立てながら天ぷらうどんの麺をすすっていく。出しの効いた汁をよく啜っている、コシの強い良い麺だ。
「美味しいです。すごく。食べるというのは……言うなら私達が人間である証拠を示すということ。今更、私達は神なんです、ていっても、誰も信じてはくれないでしょう?」
「信じないさ。少なくともウチの提督や、南雲の提督なんかはそれがよく解っている。“身にしみている”からな」
満は人間として扱われてはいるが、その実は艦娘としての機能を持たない艦娘の同存在だ。そして北の司令山口という軍人も、艦娘が人であることを文字通り“身にしみて”理解している。
「だがな青葉よ、我々艦娘は人ではない。正確には、人類と吾輩達との間には、思いの外溝というものがあるのだよ」
促すように、利根は言った。青葉から、一つの論を引き出そうというのだろう。
「人を解するには客観は要らない。あるのは己の主観だけでいい。――思うのですがね、利根さん」
「何だ?」
「人って、主観で生きるモノだと思うんです。例えば大衆受けする映画をつまらないという人はいる。でも、それを批判する上で、“客観的に否定する言葉はない”んですよ?」
――つまらない。
――面白くない。
――見劣りする。
どれもこれも主観によって生まれる言葉だ。それはまた逆もしかり。どれだけ自分が面白いと思うものでも、決してそれは客観的な言葉ではない。
たとえ客観的に“改善点”を指摘したとして、その改善を面白いと思うかどうかは個人の主観、決してその指摘は絶対の正解とはなりえない。
青葉はそうして、利根の言葉を否定する。あくまで、ごくごく当然の反証として、――理解している。ここで利根が引き下がる相手ではないということくらい。
さすがにおだててしまえば完全に手玉を取ることはできるだろうが、それをするには“理由”があまりにも足りなかった。
「だからこそ、我々と人類を決定づけるのは主観による隣人感覚だと吾輩は言いたいのだ」
「と、言いますと?」
「人は我々を神ではないと知った。そこから生まれたのはなんだ? 親近感だよ。今まで異人だった存在が、その位階を取り替えたことにより、大きくその距離を近くした。人の認識を変革させるほどに」
そうして生まれるのが、利根の言う“隣人感覚”の錯覚だ。単純に言えば、テレビの向こう側の人間に感情移入し、まるで自分が彼らと親しいかのような感覚。
「そういう場合、我々の人格など人類には関係はない。結局吾輩達は、彼らにとっては娯楽に必要な玩具なのだ」
「ならば、神の方がよかったと?」
「そんなわけがなかろう。吾輩とて食事ができんのは論外だ。それに吾輩には意思というものがある。誰が何を言おうと吾輩は重巡利根であるのだ」
「まぁ、そこに行き着きますよね。人であることと人でないことなんて、言ってしまえば些細な違いなわけですから」
――加えていれば、そもそも青葉や利根にとって、艦娘が神であった時代など歴史の産物、実際に知り用はないし実感しようもない。
「そもそも、今も昔も我々が良い立場にいないことは事実なのだ。かつて吾輩は人ではなかった。しかし、今は人として見ていない者もいる。この違いは大きいぞ?」
「摩擦ですねぇ。まぁ我々はどう見積もっても全うではないですし。それこそテレビの向こうのスターと同じですよ。自由がない」
望む、望まないにかかわらず、生まれてしまった以上はその役割に艦娘は縛られる。
「では青葉よ、我々艦娘にとって――幸せとは何だ?」
艦娘の立場も、存在意義も、その生き方も解った。材料は揃った、そう言い換えてもいい。つまり、後に控えるは大本命、たったひとつの純粋な問い。
幸せとは何か。
ここまでの会話はそこに帰結する。
事実とその相対的な感覚のあり方、神であるか軍人であるか。では、そのどちらがより正しいのか。幸福とは? 不幸とは? 利根は青葉に投げかける。
「――ありません」
即答であった。
青葉の答えは幸福の否定。
「そもそも幸福というのは主観的評価ですが、本人の主観がどれだけ幸福に満ちていても、周囲がそうとは思ってくれないのです」
「……まぁ、我々は短命だからな須らく」
結局の所艦娘の不幸は、自身が死と隣合わせであるという事実にある。どれだけ花形の存在であろうと、どれだけ人々に想われようと、その行き着く先は多くの場合死だ。もしくは、戦えないほどに心を痛めつけられるかの、どちらか。
「死したものは、誰もが不幸であると私は思いますよ、死とは平等で、そして絶対的に不幸なのです。滅びの美学なんて言葉はありますがね、滅びは負ですよ正しくない」
「正しくない、か。言い得て妙だな。まぁ吾輩も、死を美しいと思う感性は持ってはいないのだが……」
一瞬、沈黙があった。
思う所はひとつだろう。轟沈した艦娘といえば、ここ数年で名の聞く艦娘はただ一人。そしてその一人は、青葉達の立場では口を出しかねる。
「――ましてや、自分自身から死を望むなど、馬鹿げているわよね」
ふと、隣から声が聞こえた。話に集中していた青葉達は、その女性の接近に気がつけなかったのだ。
姿は青葉や利根より幾つか年上。ローティーンとはいかないが、童顔故か年齢を感じさせない顔つきをしていた。
「ひ……提督!?」
思わず浮かべようとした名前を言い直して、即座に青葉は言い直す。利根も危うくその名を口にしそうになったが、口をつぐんでそれを止める。
青葉達の司令官、北の警備府をまとめる提督だ。
「あら、面白い話をしていたから、すこし私も混ぜてもらおうと思ったんだけど、だめだった?」
「い、いえいえ全然そんなことはないですよ!」
急な出現に思わず焦ってしまっただけで、別に青葉も利根もそれを否定するつもりはない。大仰に声を大にするようなないようではないが、こそこそと誰かにはばかるような内容ではない。
――そもそも、利根に取っても、青葉にとってもこれは単なるたわ言の応酬なのだ。事実、彼女たちは一切感情を言葉に乗せず、単なる雑談として会話を為していた。
「後ろめたい、というわけではないですけれど、あまり関心はしないわね。少なくとも南雲さんを前にして話せることではないです」
「それはまぁ、そうですけれど」
「でも、彼も本心から同意する話ですね。……彼にとって、“アレ”は今でも無念ですから」
直接言葉に出すことはない。そも、出すには山口にとって、“アレ”はあまりに彼女の心情を叩き過ぎる。満を例に上げるのも、結局のところ意識をそこにずらすためだ。
「……ただ、やっぱりあの人はひどい人です。加賀さんを置いていっちゃうのもそうだけれど、若い男を拐かして、勝手に自分で袖にしちゃうんだから」
それでも漏れ出す感情はあったのだろう、思わずと言った様子で本音が零れる。
「それは……不謹慎ですけれど、なかなか面白そうな話ですね!」
「あの人のことは、まぁそれなりに吾輩達も解っているつもりだ。しかし、彼奴のことは――あの人とともにいた彼奴の情景は、なかなか想像がつかなんだ」
「聞かせてくださいよ、提督! あの人と提督の馴れ初めとか!」
「馴れ初めは……少しいいすぎね」
ポリポリともち肌を掻きながら、山口は苦笑して嘆息する。見れば二人は、前のめり気味になって山口へと顔を近づけている。こういった時の彼女たちの息の合い方はもはや伝統芸能のレベルだ。
戦闘でもこれと同程度の連携を見せるのだが、その場合彼女たちは無駄口を叩くので、見ていてハラハラしてしまう。
「……まぁ、そうね。三年前、初めて会った彼は“若かった”でも、それだけだったの。なんていうのかな、“自分”っていうものが定まり切ってなかった」
――無理もない、当時の彼は提督歴一年と少しの若輩であり、確固たる信念を持たない子どもであったのだから。
「けれど、今彼を評するなら……そう、“剣”かしら」
「――剣」
「そう、直線的で堅い剣。見違えたわね、本当に」
ようやく、人間として地に足がついたのだと、山口は言う。三年という年月、そして“あの”事件。彼を変える要因は幾つもあった。
「……だが、どうにもそれは危うく見えるぞ? なぁ提督よ。結局、なの字はなんだ……大丈夫なのか? その“剣”と化して」
「――さぁ? それは私が決めるものではないから、どうにも」
「どうにもって……また曖昧ですね」
まだ、彼は終着点を見つけたわけではない。いくらでも、彼の有り様は変化する。それは山口にも、利根にも青葉にも手助けはできても手を出すことはできない。
結論はきっと、そこにあるということだろう。
幸福も、不幸も、今はまだ見えはしない。志半ばで倒れるかもしれず、本懐を遂げ大往生するかもしれず。
そう利根と青葉の会話を帰結させ、山口は一言「いただきます」とつぶやくのだった。