――これはひとつの昔話。
在る所に、一人の少女が裕福な家庭に生まれた。少女は何不自由ない生活を送ったが、しかし、何一つ自由のない生活を送った。将来、彼女は親の選んだ家に嫁入りし、言われたままに人生を過ごすことになる。
少女はそれが少しだけ嫌だった。別にわがまま放題というわけでもなく、ごくごくおとなしい少女であったからこそ、命令に従うだけの自分に、どこか嫌気が差していた。
そんなある日、彼女はある艦娘と出会う。当時、艦娘は日本の誇り、象徴そのものであった。出会ったのはその中の一人、“聯合艦隊旗艦”武蔵。当時、少女はその名前すら知らなかった。必要がなかったからだ。
数奇な偶然から邂逅した両者は、それから何度も交流を持った。その中で、少女は自分自身に誇りを持ち、戦場という場所で華々しく戦う艦娘に、どうしようもない憧れを抱いた。武蔵はそんな少女の芯の強さを見ぬいたか、とりわけ少女の事を気に入った様だった。そして、あるモノを少女に渡した。
「――それが、深海棲艦の残骸、か?」
「そうです。その後私達の棲む港が深海棲艦の襲撃を受け、それを皮切りにあの大戦が火蓋を切るわけですが――」
その際、雪風――少女は一度死亡した。海に呑まれて、抗うすべもなく。――だが、深海棲艦の廃材を手にしていたことで、彼女は一時的に深海棲艦の狂気から逃れることができた。
「本当に数分の間でしたけれど、私はその間、がむしゃらに動きまわって――この換装を見つけた」
それは、保存されていた軍港が破壊されたことで海の中へ紛れ込んだのか、はたまた流れに流れ、その場所に辿り着いたのか。
「……それが、駆逐艦雪風のルーツ、か」
「激動、といえばそうなのでしょうけれど……まぁそういうことです。そして私は雪風となって、初めて“自分で考える権利”を手に入れたんです」
それはまた、今の時代では考えもつかないことだ。満は良くも悪くも自分で考え、行動し、邁進し続けた。
そのたどり着いた結果が、今という時間にある。
だからこそ、考えを止めるということはしなかった。雪風とは、対極であると言えるはずだ。
「そうして今回、雪風――当時は“電”であった君は、カスガダマでの異変を察知し、それを解決することを計画した」
「はい、そのために多くの策を弄しました。今にも勝手に沈みそうだった赤城さんを助けたり、その方向性を貴方の元へ誘導したり――島風達に手を出したりもしました」
南雲機動部隊は、ある種この雪風が作り上げた部隊だ。島風、赤城、龍驤に多大な影響を与え、北上の元いた基地を解体し、南雲機動部隊に割り振るよう、愛宕と併せて持ちかけた。
そして――
「異界との門に近いあのカスガダマから、自分のおメガネに適う“魂”を君は引き寄せた。……少し聞きたいんだが、どうやって僕をこの地位に付けたんだ?」
満がこの世界に訪れたことは決して偶然などではなかった。雪風が、こうして目的を果たすために、満をわざわざ呼び寄せたのだ。
しかし、それは解る。だが、だからといって偶然“提督”という地位に付くはずもない。
「それ自体は別に難しくはないですよ、ようは世界そのものを書き換えるわけですから、その指向性は私が要望したとおりになります」
「すべて、雪風の思うがままというわけか」
「そうでもないですよ」
満の嘆息を、以外にも雪風は否定した。
ほう、と興味深げに促した満に、雪風は応えた。
――とても、優しげな笑みで。
――とても、嬉しそうな声で。
「……私の誤算はひとつだけ。それは、響を救えたこと、ですよ」
いつの日か、電はカスガダマの海に沈むつもりであった。
ただ、それが潜水艦から響を守って、という結末にするつもりは毛頭なかったのだ。だからこそ、それだけは雪風――“先代”電のたった一つの誤算。
嬉しい誤算だ。
――そして結局のところ、何かをした結果、満が提督になったのではなく、最初から満が提督になるよう、この世界に雪風は引き寄せたのだ。
「これが、この世界をめぐる、貴方の旅の真相、すべてです。つまり雪風は、黒幕さんな訳です!」
そう、雪風は楽しそうに笑った。
これが、カスガダマ沖海戦の後、配属された雪風と満の会話。
雪風は南雲機動部隊に配属された。新鋭の駆逐艦ではあるものの、恐ろしいほどの練度を有する天才として、多少有名になっている。
「そうだ雪風、お前はこれから――どうするんだ?」
さて、
「……それは、まぁ未来になってから考えます」
――それでは、南雲機動部隊の、これからの話しをしよう。
♪
カスガダマ沖で勝利したことにより、満の名声は大きく高まった。結果、数年後に隠遁の決まっている現行第一艦隊提督の後継に、という声が少なからず生まれてきている。とはいえ、それはまだ大分先の話だ。
その前に、幾つかの海戦で経験と実績を、という声のほうが大きい。
満自身、第一艦隊総司令という、今の自分よりも明らかに一つ上の地位は、少し気後れがしてしまう。
また、南雲機動部隊そのものにも大きな変化が見られた。
まず第二艦隊だ。既に決まっていたことではあるが、本格的に現行の第二艦隊は解体、旗艦天龍と新たに新設される第三艦隊の旗艦となる雷以外は、他の基地への転属が決定した。
「……今後のことぉ? うーん、私は大丈夫だけど、天龍ちゃんがちょっと心配かなぁ」
「んだぁ? そもそも俺より水雷戦隊を率いるのが下手な龍田のほうが俺としちゃあ心配だぜ? 頼むから変な事故を起こさないでくれよ?」
天龍はどちらかと言えば相変わらず。龍田は、どこか不安があるようだ。それでも、彼女たちは今後も優秀な水雷戦隊旗艦として、働きまわることだろう。
そして、第六駆逐隊はといえば――
「こうして暁は、レディとして認められるってわけよね! ……でも、やっぱり皆と離れるのはいやだよぉ」
「……私もよー!」
暁と、雷が、そんな風に抱き合って泣きだしてしまった。全員、どこか子供らしい部分があるとはいえ、一人前の駆逐艦であることは間違いない。
「……そうそう、私は新しく改装されることが決まったんだ。名前まで変わるらしい、確かロシア語で――信頼できる、だったかな?」
「はわわ、響ちゃんがロシアの娘になっちゃうのです!」
こちらもこちらで、いつもどおりといえばいつもどおり。ただ、この慌ただしさがもうすぐ見納めというのは、どこか寂しい風にも思えた。
とはいえまぁ――天龍が言う。
「別に何処に行ったって、この第二艦隊は永遠だ。それだけは、忘れんなよ?」
いつになく可愛らしい――どこか泣きそうな声ではあったが、つまりはきっと、そういうことなのだろう。
そして、北の警備府。
「ワハハー! この利根さまのお通りじゃ! そこのけそこのけ御馬が通る!」
「わー、お利根さんかっこいい! お利根さん超ラブリー!」
利根と青葉はいつもどおりだ。愉快な利根とその仲間たち。不知火曰く、部下の駆逐艦が真似をするから控えてほしい、とのことだ。
普段であれば鎮守府が愉快になる関係上、黙認されることが多いのだが、今日ばかりはそうもいかない。
「ねぇあなた達――ちょっとうるさいわ?」
――榛名と同期にあたる歴戦の軽空母、その殺気が存分にこもった一言であった。即座に利根青葉が萎縮し、涙目になる。
どうにも、随分と瑞鳳も、艦隊に馴染んだようだ。既に、利根と青葉の制御法はほとんど理解していた。
そして、そことは別室。メンバーは夕張に、木曾、そして第二艦隊旗艦、不知火。
「あの、不知火は一体何故ここへ呼び出されたのでしょう」
「まぁまぁ、ゆっくりしていってくれよな」
「それじゃあ、今日の講義を始めるわね」
――げ、と漏れた。そこにいたのは、今にも長話を始めますというふうの気力満タンな夕張であった。つまるところ、不知火は木曾の道連れとしてここまで連れて来られたのである。
また、司令室。
「ふふ、今日もいい天気ですね提督。……おや? その手紙は何ですか?」
「加賀さんからよ。……そろそろ提督になれそうですって。まずはどこかの基地の福司令として赴任するらしいけれど、うちに来るといいわね」
北の警備府旗艦榛名と、元空母にして提督の山口龍飛。二人は楽しげに司令室にて歓談していた。彼女たちの日常が激動に変わるのは、まだ先の話だ。
「PS.長門と陸奥は相変わらずです。……すごく疲れた筆跡で書いてあるわ」
山口のそんな声が、平和な警備府へと響いた。
そして――南雲機動部隊。
戦艦金剛。歴戦にして最古参の、日本海軍所属戦艦。
「……これから? ですか? ふふ、金剛はずっと提督とともにありますヨー」
ただ、と続ける。
「もうそろそろ、私の“後継”が建造されるかもしれまセーン。そうしたら、きっと私は……いえ、何でもないデースよ?」
そうして微笑んだ少女は、どこか寂しさを浮かべているように思えた。
日本に一隻どころか世界にただ一隻しかいない重雷装艦、北上。
「そうそう、大井っちがまた遊びに来いってうるさくてさー。今度はできれば南雲機動部隊の皆で行きたいな。次の艦隊休息日、施設への訪問とかどう?」
そして、
「あたしのこと? あはは、まぁいつもどおりだよ。まだまだ色々あるけど、それも全部、いつもどおりにしかならないなぁ」
北上は、まだ答えにたどり着いたわけではない。答えは、その道の先には無いのかもしれない。ただ、彼女はそれずブレず前に進んでいく。自分が選んだ道だ、責任をもってその上を歩いて歩いて生き抜いて、生ききってしまうのが、いいのかもしれない。
重巡愛宕。この艦隊の新参にして、成長株。
「うふふ。まぁそれは上の意向っていうのがありますし……まだわかりませんね」
小首を傾げながら、愛宕は言う。
「でもやっぱり、南雲機動部隊は私が一番大切にしたい場所。もうちょっと、この部隊にいたい、かな?」
愛宕はこの艦隊で建造されたのではないにしろ、この艦隊に所属してから大きく成長した。だからこそ、大きな思いがあることは、想像に難くないのだ。
軽空母龍驤。この艦隊が機動部隊たる所以、空を支配する一翼だ。
「今後ー? そんなこと言うても、機動部隊にウチみたいな空母は必須やし、今後もなにも、全然変わらないんとちゃう?」
そう言って、しかし自分から否定する。
「あーでもやっぱり、ウチ、そんなん全然考えたこともあらへんかったわ。……ごめん、やっぱ何も思いつかへん」
てへへ、と頬を掻きながら、少女は子供らしく照れながら笑った。
そして、
「今後のこと? 提督も、変なこと聞くんだね!」
島風。
「まぁそうはいっても、なるようにしかならないんじゃない?」
駆逐艦にして――
「私達は私達なんだから。私も提督も、それから仲間たちもね」
南雲機動部隊の旗艦だ。
「これから、いろんなことが起こるとは思うよ。でも、悪いようにはならないんじゃないかな。確証なんて全然ないけど。私達はあの戦いを切り抜けた――だから、」
不敵に、島風は笑う。彼女と初めて出会った時のように、自身に満ちた声で持って、
「南雲機動部隊は、――私達が凱旋する限り、永遠なんですよ!」
高らかと宣言してみせた。
♪
「……や、こんな所にいたのか――赤城」
「満さん……いえ少し、風にあたっていまして」
そこは、鎮守府の港。波止場である。
「ここは風にあたるにはいい場所だ。ただ、潮風だから髪を痛めないように気をつけろよ?」
「ふふ、艦娘には不要な心配ですよ」
冗談めかした満の言葉に、赤城は同じく冗談めかしてわざわざ生真面目に返す。そのほうが、赤城らしいといえるだろう。
「それで、どのような用でしょう」
「……これから――――」
言いかけて、止めた。
赤城の表情を見れば、彼女が何をいいたいのは明らかだ。まだまだ満は、色々と未熟な面はあるものの、少なくとも赤城のことに関してだけは、言葉にせずとも理解が及ぶようになっていた。
島風達は、からかうように、大きな進歩だというのだが。
「あぁいや、なんでもない」
苦笑して話を打ち切った。言葉など必要なくとも、もう満と赤城は分かり合えるのだ。
――これからも、多くのことが南雲機動部隊に起こるだろう。そして、それには多くの思いと信念がつきまとうことだろう。
それらを否定することはできない。それらは理解することしかできないのだ。理解した上で思う、それこそが人と人が思いを交わすということであり、だからこそ対極にある人間の思考も理解することができるのだ。
この世界には、多くの思念、思想、思考があって、それと同じ数の人間がいる。思いは数多、海へと散って、そして個という存在を作る。
深海棲艦が、怨念という思いを引き連れるのであれば、艦娘は、人類は、信念という思いを引き連れる。引き連れて、行く。
この世界の理は、そんな思いの顕現であると――満は思う。
――空に暁光が差し込んでいる。
「なぁ――赤城、……好きだぞ」
二人が見やる太陽は、海に光を散りばめて、そして光は数多に別れ、世界を照らし続けているのだろう。
「……私もです。――満さん」
きっとそういう陽光こそが、信念と呼ぶべき代物なのだ。
――――誰かが願い、そして光へ手をかざすように。今日もまた、世界は誰かの思いを刻みつづける。
だれでもある誰かが、この世界に語りかけるのだ。
戦いが終わり、南雲満は勝利を刻んだ。多くの信念、多くの人。辿り着く先は、ひとつの結末。そう、それは端的にもって表される。
――南雲機動部隊の凱旋、と。
――これは、水平線の向こう側、海に沈んだ魂が辿り着く、ひとつの世界の物語。
少年と、艦娘達と、海の敵。
――――願いを巡る、物語。
『艦隊これくしょん -南雲機動部隊の凱旋-』
fin.
南雲機動部隊の凱旋、これにて完結でございます!
途中、何度かの休憩をはさみつつ、これまでお付き合いいただき誠に感謝であります。
南雲満と、赤城と、南雲機動部隊。それぞれの信念を巡る物語はここまで。
きっといつまでも続いていく彼らの戦いの結末が、凱旋であることを願って。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
よろしければ、本作全体の感想などをいただければ、至極幸いにございます。
それでは、またどこか、別のお話でお会いすることができれば光栄です。