魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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今回はR-15かもしれません。


ほむら編
第九十七話 魔法少女の口付け


 夜も更けてきた午後十時、僕はパジャマ姿で勉強机に向かってノートへシャーペンを走らせる。

 最初は、明日の授業の予習と前回までの復習のためにやっていた。……やっていたのだが。

 

「いくら何でも色ボケ過ぎだろ……」

 

 ノートに描かれていたのは、まどかさんの似顔絵だった。

 目を細めて僕に笑いかけてくれたあの笑顔が忘れられず、さっきからずっとこうやって彼女の絵ばかりを描いてしまう。

 考えごとをすると、どうしてもまどかさんの顔が浮かんできてしょうがない。

 そして、何よりそんな自分が嫌ではなかった。誰かのことを同情でも、義務感でもなく、想い馳せることが今の僕が嬉しかった。

 初めての感覚だから、どうにも感情を持て余してしまう。頬が緩むほど幸福に包まれているのに、同時にほんのりと切ないようなそんな気持ちだ。

 仕方ない。今日は一旦、勉強は終わりにしてもう寝よう。

 勉強机のスタンドライトを消して、まどかさんの似顔絵で溢れている予習・復習用のノートを閉じた。

 椅子の背もたれに寄りかかり、身体を反らせて大きく伸びをする。

 

「うう~ん」

 

 小さく(うめ)き声を上げていると、窓を外側からノックするようなくぐもった音が聞こえてきた。

 多分、ニュゥべえだろう。今日は彼女だけは当初の予定通り魔女退治に付き合い、魔女を調べに行ってもらったからいつもと違ってしばらく会って居なかった。

 しばらく会って居なかったと言うのも変な言い方だな。たった七時間程度の話なのに。

 この五日間は父さんと食事をする時を除いて、四六時中ずっと一緒に居たからそんな風に感じてしまうのかもしれない。

 椅子から立ち上がって窓の鍵を開けるべく、そちらに近付く。

 

「今日は随分と遅かっ……」

 

 窓の外に居る人物を見て、言葉が途切れた。

 そこに居たのはニュゥべえではなく、思い詰めたような顔をした暁美だった。

 ……ものすごく既視感(デジャヴ)を感じるのは僕の気のせいだろうか。

 嫌な予感がしたが、無視する訳にもいかず、鍵を解除をして窓を開いた。

 

「君は本当に玄関から入りたくないんだね。まあ、取り合えず、上がりなよ」

 

 相変わらず、僕の部屋の窓が入り口か何かだと勘違いしている愉快な友達を部屋の中に招き入れる。

 靴を外で脱いで窓の(さん)(また)いで、無言で部屋に上がるとそのまま僕のベッドに腰を掛けた。何かもう暁美の定位置とかしてきたな、そのベッド。

 少しだけ呆れながらも、深刻そうな彼女を表情をじっと見つめる。

 僅かだが目が赤くなり、目蓋(まぶた)も腫れている。明らかに涙を流した跡だった。

 

「何があったの?」

 

 僕がそう聞いても、暁美は何も答えない。

 俯いた彼女の顔は前髪のカーテンに遮断され、表情が隠された。

 何も言ってくれないのでは僕も手の出しようがない。

 少し話でもして誘導してみようかと考え始めた時、暁美はようやく言葉を発した。

 

「……隣に来てくれる?」

 

「隣? うん、いいよ」

 

 唐突なその一言に疑問を持ちつつも、彼女の隣に座った。

 そう言えば、まどかさんとも一緒にベッドに並んで座ったな。あれは彼女のベッドだったけれど。

 ひょっとしたら、あの時からまどかさんは僕の核心の一端を理解していたのかもしれない。

 

「政夫……今、まどかの事考えていたわね?」

 

 暁美は僕の方に向かずにそう言った。

 低く、どろりとしたよく分からない感情を含んだような粘性のある声だった。

 一瞬だけ言葉に詰まったが、ここで隠すのもおかしな話だと思ったのではっきりと答える。

 

「うん、ちょっとね。織莉子姉さんの一件で貸した制服を返してもらいに行った時も、まどかさんとこんな風に並んでベッドに座ったなって」

 

「……まどか(・・・)、さん?」

 

 静かにこちらを向いた暁美はまるで幻聴でも聞いたのように再度聞き返す。

 

「名前で呼ぶようになったのね」

 

 責められているようなその言い方に少しだけ、心を痛めつつ、僕は理解した。

 暁美がなぜ今日僕の家を訪ねてきたのかを。

 ――この子はまだ僕に異性としての好意を持ち続けている。

 あれだけ決定的に振った僕をまだ愛してくれているのだ。

 真っ直ぐで健気で、同時にとても哀れで悲しく映った。

 

「杏子さんやほむらさんのことだって名前で呼んでるだろう? ……それほど変なことじゃないよ」

 

「いいえ。杏子や私の時とは明らかに違う」

 

「どこがどう違うって言うのさ?」

 

 言いがかりにも近い暁美のその台詞に僕は少しだけムキになって尋ねる。

 すると、暁美は口の端を引いて小さく笑った。

 

「……呼び方に()められた意味が違うわ。まどかのだけ、特別な想いが籠められている」

 

 酷く悲しげで、自嘲気味な笑みに僕は言葉を失った。

 いや、答える意味がないから口を開かなかったと言う方が近いだろう。

 彼女の言葉は何一つ間違っていないのだから。

 

「何も言ってくれないのね」

 

「何か言う必要があるの?」

 

 言ったところで余計に暁美を傷付けるだけでしかない。

 そんな言葉に意味はない。肯定も否定も今の彼女にとっては心に突き刺さるナイフへと変わる。

 僕は黙って暁美の瞳から視線を逸らさずにじっと見つめた。僕にできることは彼女の言葉を真正面から受け止めることだけだ。

 

「政夫。貴方は本当に優しいわね。よく嘘を吐くくせに呆れるくらい誠実だわ」

 

 不意を突かれて、いきなり押し倒され、暁美は僕の腰辺りに馬乗りになる。彼女の制服のスカートが(すそ)が広がって、潰れたくらげのように見えた。

 両腕の手首を握られて、身動きを取らせないように押さえ付けられていた。

 

「殴りたいなら殴られてあげるし、死なない程度ならどんな暴力だって受けてあげてもいい。……でも、何で僕を押し倒したの?」

 

 暁美の気持ちを結果的に踏み(にじ)ってしまったことについては、謝罪のしようもない。彼女の気の済むまでサンドバッグになることも覚悟はしていた。

 だが、押し倒されることは(いささ)か予想外だった。

 

「そんな事はするつもりはないわ」

 

「じゃあ何を」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 暁美は顔を寄せ、僕の口を自分の口で(ふさ)いだ。

 彼女の唇の柔らかな感触が僕の唇と触れ合う。

 まどかさんの時とは違い、貪るような激しい口付けだった。

 それはまるでまどかさんとの口付けの記憶を塗りつぶそうとするかのようだった。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 僕の口内に濡れたような感触の温かく柔らかいものが侵入して来た。

 それが暁美の舌だと気付いた瞬間、目を見開いて驚愕し、僕はもがくが彼女は僕の両手の手首を握ったまま離さない。

 暁美の舌を追い出さそうと、自分の舌を使って押し返すが、逆にそれがかえって舌を絡ませ合う結果になってしまう。

 お互いの唾液を交換するようなディープキスに脳のどこかが熱を上げて、気が狂いそうな気分に(おちい)る。

 呼吸も忘れて、お互いの舌が擦れ合う湿った音だけが耳に響いた。

 あまりにも脈絡のないキスは現実離れしているように感じられ、頭がぼんやりとしてくる。

 

『そんなの……政夫くんが好きだからに決まってるでしょ!』 

 

 そんな曖昧な意識の中で、まどかさんの告白が頭の中でリフレインした。

 はっと正気に返った僕は暁美の舌を噛み付いてでも止めさせようとして――彼女が涙を流していることに気が付いた。

 頬からこぼれたその雫はきっとまどかさんへの罪悪感なのだと僕は感じた。

 この行為がどれだけ罪深いことかは僕以上に分かってやっているのだろう。

 ならば、彼女の気が済むまでさせてあげればいい。

 僕は目を(つむ)り、暁美が満足するまで彼女の要求するがまま、与え続けた。

 

 ようやくお互いの唇が離れた時、僕の口内に恋しかった酸素が雪崩(なだ)れ込んで来る。

 僕と暁美の舌を結ぶ唾液の糸がつうーと伸びて、途切れた。同時に両腕の手首から暁美の手が離れ、拘束が解かれる。

 

「はぁ……随分とワイルドなキスだったね。最近の魔法少女の口付けって皆こうなの?」

 

 暁美が気に病まないように、あえて少しふざけた言い回しで笑う。

 しかし、彼女は沈んだ表情で俯くと、言った。

 

「怒らないの? 私は無理やり貴方を……」

 

「……怒れないよ。君をここまで依存させてしまったことは多分、僕のせいだから」

 

 ずっと一人でまどかさんを救うために生きてきた暁美。彼女は限界まで張り詰められた一本の糸のような人間だった。

 視野が狭かったのも、他人を拒絶していたのも、ひとえに自分の心を守るための防衛手段だった。

 言ってしまえば、『暁美ほむら』という人間はそうしなけらば戦えないほど、普通の弱い女の子でしかなかった。

 暁美がまどかさんに執着していたのは、依存させてくれる居場所がそこしかなかったからという悲しい理由だ。

 もしも、違うなら今僕に感情の矛先を向けているなどありえないだろう。

 

 そして、彼女のアイデンティティを壊してしまったのは間違いなく僕だ。

 『鹿目まどか』は暁美の中で「自分を理解してくれる依存先」と言う名の偶像だった。

 人間ではなく、ある種の記号のようなもの。個として死にはしても、存在としては決して消えない暁美が目指す目印のようなもの。

 だが、僕は『鹿目まどか』が、一人一人が「限りなく似ているだけの別人」であると言ってしまった。

 その瞬間、偶像としての『鹿目まどか』は壊れてしまった。

 なぜなら、彼女の憧れた『一番最初の世界の鹿目まどか』も彼女と友達になった『次の世界の鹿目まどか』もこの世界に居るまどかさんを助けたところで助けられないということなのだから。

 求める依存先がもう絶対に戻ってこないと理解した暁美は、あろうことか、その時に暁美の抱える秘密を共有した僕に依存先を変更した。

 

 これが今やっと分かった「暁美が僕にここまで執着してしまった理由」だ。

 暁美が求めていたのは、まどかさんでも僕でもない。

 ――都合の良い依存先なのだ。

 そして、これを暁美に伝えたところで意味がない。これ以上、依存先が潰れたら、それこそ彼女は絶望してしまう。

 言える訳がない。

 君は『鹿目まどか(ともだち)』を救うためではなく、依存先を取り戻すためだけに戦ってきただけだ、なんて。

 

「ほむらさんは……まだ僕のことが好きなの?」

 

「……ええ。貴方の事が諦め切れないほど好きよ。誰よりも……誰よりも政夫の事を愛している。まどかにも負けないくらいに」

 

 僕の頭の後ろに手を伸ばし、身体を密着させて抱きついてくる。

 暁美のその抱擁は、親に見捨てられないようにしがみ付く幼い子供のように見えた。

 この子は巴さんが比較にならないくらい、孤独に耐えられない人間だ。

 僕が半端に手を差し伸べてしまったがために、僕に依存してしまった。

 だったら、責任を取らなくてはいけない。

 

「なら、いいよ」

 

 言葉と共に暁美の背に優しく腕を回して、抱きしめる。

 

「君の恋人になってあげる」

 

 にこっと可能な限り楽しげに笑ってみせる。

 

「本、当……本当にまどかよりも私を選んでくれるの!?」

 

 不安そうな表情を浮かべる暁美に力強く鷹揚(おうよう)に頷いた。

 

「もちろん。大事にしてよね」

 

 頭の中でちらつくまどかさんの顔を振りきり、胸の中で輝いていた初恋を握り潰した。

 強く、強く、強く握り潰す。

 この想いが二度と顔を出さないよう念入りに。

 ――ごめんね。まどかさん。

 誰にも聞かれない心の底で謝罪した。

 ――僕はこの子を突き放すことなんてできない。

 ここで暁美を見捨てるような人間は、それこそ誰かを愛する資格なんてない。

 きっとこれで正しい。きっとこれでいい。

 

「ほむらさん」

 

「な、何?」

 

 少し涙混じりの声で暁美は僕に聞き返す。

 どうやらまた涙腺の防波堤が崩れそうなようだ。最初に会った頃の鉄面皮は影も形も残っていない。

 

「さっきのあれってまさかとは思うけど、ファーストキスだったりしないよね?」

 

「……私は貴方以外に唇を許した事はないわ」

 

 僅かにむっとしたように答える暁美。

 僕はそんな彼女に内心で頭を抱えた。

 あんな強引で乱雑なのが、女子中学生のファーストキスなんてあんまりだ……。

 いくら何でももっとソフトで歳相応の女の子らしいものにしてあげたかった。

 

「あれが最初なんて悲しすぎるよ……。もうファーストじゃなくて、セカンドだけど、改めてキスをし直そうよ」

 

 そう僕が言うと暁美は急にもじもじし始めて、忙しなく髪を弄り回す。

 

「その……いいの? キスしてもらって」

 

「いきなり押し倒して、舌まで入れてきた女とは思えない発言頂きましたー。……大丈夫か、君。主に頭とか脳とか精神とかが」

 

「あれは、その」

 

 言い訳を始める暁美の頬を両手で挟み込むように触れる。

 何をしようとしているのか察した暁美は恥らうように視線を逸らした後、両目を閉じた。

 僕は彼女の顔に自分の顔を近付け、優しくそっと口付けをした。

 あの貪るような悲しいキスが、罪悪感しか感じられない不快なキスが暁美の記憶から少しでも早く取り除けるように願いを込めて。

 せめて、この子が幸せになれますように、と。

 




はい。という訳で今回は皆様がアンケートで選んだほむらルートに入りました!
どうだったでしょう? ほむらルートに投票して下さった方々は楽しめましたでしょうか?


そして、政夫は結局、自分の幸せよりもほむらの幸せを優先してしまいました。
あそこで「知るかボケー!」と突き放せば自分の幸せを守れたでしょうに。まあ、それができないから政夫なんですけど。

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