魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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第百七話 罪を断つ刃

 やらなければならないことは分かっていた。

 それは、目の前に居る最悪の少女へと処罰を行うこと。

 僕は暁美の前まで近付いて、顔を無言で睨み付ける。

 身体を巴さんのリボンで拘束されている暁美は僕に向けて、なおも微笑を崩さずに言った。

 

「政夫に殺されるなら構わないわ。殺人を何より忌避する貴方は私を殺せば、確実に心を痛める……一生消えない傷を付けられる。ずっと、私の事を想い続けてくれる」

 

 暗い、どこまでも暗い光に満ちた瞳には言葉通りに僕しか映っていない。

 艶やかな笑みは病んだ台詞と一緒でなければ、見惚れるほど美しく、一種の退廃的な美術作品のように見えた。もっとも、これが美術作品だと言うのなら作者はまともな人間性は既に保っていないだろう。

 そして、その少し離れた床には紫のソウルジェムが転がっている。暁美はそれを僕が砕くことを望んでいる。暁美を除く、他の女の子また言葉にせずとも許容していることが容易に感じ取れた。

 だから、僕は彼女のアメジストのような瞳から一切、目を反らずに――思い切り殴った。

 握り締めた拳が柔らかな頬を撃つ感触は僕をとても嫌な気持ちにさせる。

 整った桜色の口元から朱色が一筋流れ落ちた。大きく見開いた目の中には無表情の僕の顔があった。

 

「……え?」

 

「……何を意外そうな顔してるの? ほむらさん。こんなことを仕出かして殴られないとでも?」

 

「何故、そんな事しなくたってソウルジェムを……っ」

 

 暁美は言い終わる前に反対側の手で殴る。

 二度目の方がより一層不快感を抱かせた。女の子の顔を殴るという行為はとてもじゃないけど慣れそうにはない。

 

「黙れ。お前に言葉を話す権利なんてない」

 

 そう言って、続け様に何度も何度も執拗なまでに暁美の顔を殴り続けた。

 

「まずは、君が傷付けた織莉子姉さんの分だよ」

 

 傍に居るまどかさんも、暁美に武器を向ける巴さんもそれを唖然とした表情で眺めている。

 殴り続けたせいで、拳の先が暁美の歯に当たって皮膚が切れる。痛みと共にじんわりと赤く染まるが、僅かも力を緩めはしない。

 

「っぐ……うっ……!」

 

 暁美は痛みを切り離すこともせずに黙って暴力に甘んじている。

 

「これは君が裏切って殺そうとしたまどかさんの分」

 

 皆は何も言わずに見ているだけだったが、目の前で起こる生々しい暴行に顔を背けようとしている。

 

「まどかさんも、他の皆も何で目を逸らそうとしてるの……? ほむらさんのことを許せないと思っているんだろう? こうやって殴られても当然だって思ってるんだろう? だから、誰も止めようとしないんだろう?」

 

 淡々と横目で周囲を見回しながらそう言うと、視線を外そうとしている皆の動きが止まった。

 これでいい。彼女たちに人を傷付けることのおぞましさから目を背けさせてはいけない。

 あのまま、僕が暁美のソウルジェムを砕いてしまえば、きっと人を殺すという意味さえ仕方のないものと思わせてしまっただろう。

 暁美もまた、僕の行いを喜んで受け入れてしまったはずだ。

 それでは駄目だ。どれだけの理由があろうとも、人を殺すことが正当化されていい場合なんて存在しない。

 誰かを生命を一方的に奪うという行為の醜さを覆い隠してはいけないのだ。

 

「暁美さんも僕に恨まれたかったんだよね? どうお望み通りに憎まれて殴れる気分は。楽しい? 気持ちいい? 幸せ?」

 

「……ええ。この痛みが政夫の私への想い。私に向けられた感情。それなら愛おしいさしか感じられないわ……」

 

 血の滲む唇から流れ出した言葉は、まだ恍惚の色が色濃く、後悔の思いは微塵も感じられない。これだけやっても暁美は僕への歪んだ執着心に染まったままだ。

 まだ、罰が足りないのか……。自分のやったことに対する悔恨は持ってくれないのか……。

 ――だったら、僕も心を鬼にする必要がある。

 

「美樹さん」

 

 僕は呆然とこちらを見つめる美樹に手を差し出す。

 

「その剣を僕に貸して」

 

 彼女の握る西洋風の片刃剣を渡してくれるように頼んだ。

 

「……え?」

 

「君が持っているその剣を僕に貸してほしいんだ」

 

「わ、分かった。……はい」

 

 驚いた表情で僕の要求に戸惑う美樹だったが、おずおずと己の獲物たるサーベルに似た西洋剣を差し出した。

 僕はそれを受け取ると、暁美の後ろへ回った。

 そして、暁美の長く綺麗な黒髪を一纏めにして握り、自分の手元に引っ張る。

 

「うっ……政夫、何を。まさか……」

 

 髪を強く引っ張られた暁美は僕に質問をするが、僕はそれに言葉では答えず、行動を持って真意を伝えた。

 即ち、彼女の美しい髪を無慈悲に刃で切り裂いていく。

 

「嫌ぁっ! やめてっ、政夫!!」

 

 引っ張られて、張り詰めた髪がちょうど暁美の肩口より少し上の位置で引きちぎられるように切り離されていった。

 それまでは超然と笑っていた暁美も女性の命である髪を切り落とされるのには抵抗があったらしく、悲痛な叫びを上げて首を捩る。

 

「嫌ぁ……いやぁっ!!」

 

 周りにそれを見続ける他の皆も、さっきよりも一層痛ましい目をしていて、暁美を眺めていた。

 僕はそれら全てを一切無視し、固めた無表情で暁美の髪を断ち切った。

 腰くらいの長さを保っていた濡れ羽色の髪は短く乱雑に切り揃えられて、見るも無残な姿を晒している。

 切り取った髪を暁美の顔の前に持ってくる。

 

「あ、ああ……私の、私の髪……」

 

 悲しそうに涙を浮かべる彼女は自分の髪をどれだけ大事にしていたかが、はっきり受け取れた。

 握った手のひらを開き、暁美の目の前で切り落とされた髪の残骸をヒラヒラと床に舞い落ちていった。

 

「殴られるのは受け入れても、髪を切られるのはそんなに辛い? ……馬鹿みたいだね。笑えるよ」

 

 さらにその床に撒いた髪の毛を踏み付ける。まるでタバコの吸殻でも潰すように念入りに足の裏で擦った。

 

「これは君に撃ち殺されかけた僕の分だ。どう? これでも愛おしさを感じられる? 何ならもっと髪を……」

 

「政夫くん、もうやめて!」

 

 とうとう黙って見ていられなくなったまどかさんが僕の腕を掴む。

 彼女の顔にはさっきまでの暁美への敵意はもう影も形もなく、あるのはひたすら同情と義憤だった。

 元来、心の優しいまどかさんはこの光景に口を挟まずには居られなかったのだろう。

 

「もう、これだけやれば十分だよ。政夫くんだって満足したでしょ?」

 

「まどかさんは一方的に理不尽な理由で殺されかけたのにこれだけで許せるの?」

 

「私はこれ以上は見てられないよ……。ほむらちゃんだってこれだけ罰を受ければこんな事は二度としないはずだよ」

 

 この言葉を待っていた。僕以外の誰かがもうこれで十分だと、許してやれと、そう言い出すのを待っていた。

 何の罰もなく、僕が許せば、返って暁美への反感は強くなる。

 だから、傷付け、苦しめて、これだけやればもう十分だと止めさせる必要があった。

 僕はまどかさんから視線を移し、周囲の皆の顔を見回して問いかけた。

 

「まどかさん以外の皆はそれでいいの? これだけの悪事を働いたほむらさんを許せる? もっと苦しめてやりたいとは思わない?」

 

「私は……いいわ。もうこれだけされれば」

 

 織莉子姉さんは真っ先にそう言った。

 

「ボクもこれ以上の報復は要らないと思うよ」

 

 それを皮切りに他の皆も次々に暁美への赦してやっていいとの旨が挙がっていく。

 一番の暁美の被害にあった織莉子姉さんは、この中で誰よりも暁美の危険性を熟知している。

 その彼女が赦しを述べたのだ。他の皆からも次々に同意する意見があがるのは当然の帰結だった。

 もはや、彼女たちに暁美への憎悪の感情は一片も残っていない。殺した方がいいと目で語っていた彼女たちは暁美に対して同情的な眼差しすら向けている。

 これで暁美を殺した方がいいなどとは思えなくなったはずだ。後は最後の仕上げをするだけ。

 美樹へ剣を返してから、侮蔑に満ちた目で僕は暁美を見る。

 

「よかったね。優しい皆は君のこと、赦すってさ。……でも、僕は君が僕らにしたことを絶対に忘れないからね」

 

 憔悴(しょうすい)した暁美の顔に僕は唾を吐きかけた。飛んだ唾液は彼女の頬を汚し、より一層惨めさを演出する。

 

「……政夫くん!」

 

「巴さん。ほむらさんを縛っている拘束を解いてあげてください」

 

 僕を批難するように叫ばれたまどかさんの声を無視し、巴さんへと話しかけた。

 一連の暴行を見て、少し唖然としていた巴さんは僕の言葉を聞いてようやくハッとした後に躊躇い気味に頷いた。

 

「え、ええ。分かったわ」

 

 その後、もう一度周りへと目を配るといつの間にか、旧べえは忽然と姿を消していた。

 余裕があれば『計画』の最終段階に移るために捕獲しておきたかったのだが、状況が状況のために今回は致し方ないと諦めた。

 

 *

 

 僕はマスコットの姿に戻ったニュゥべえと共に薄暗い夜の中、帰路に着いていた。

 他の皆とは織莉子姉さんの家で解散し、僕はまどかさんも家まできちんと送り届けた後に分かれた。だが、その際にはまどかさんとは一言も会話を交わさなかった。

 僕に対して言いたいことがあるようだったが、彼女はそれをうまく尋ねる方法が分からなかったのだと思う。

 最後に彼女の家の前で僕に向けた視線はとても悲しげな思いが含まれたものだった。

 

「政夫」

 

「何? ニュゥべえ」

 

 ずっと何も喋らずに僕の肩の上に乗りかかっているニュゥべえが唐突に口を開いた。

 

「君は悪くないよ。全てはほむらが招いた事だ。君の対処は決して批難されるべきものじゃない」

 

 どうやら、ニュゥべえはまどかさんとの溝ができてしまったことを慰めようとしてくれている様子だった。

 かつてのインキュベーターとは思えない人情味のある配慮だ。

 僕はそれに僅かに頬を弛め、彼女の頭を優しく撫でた。

 

「ありがとうね。でも、気にしなくていいよ。僕がやったことは全部こうなることまで考えてやったことだから」

 

「でも……」

 

「大丈夫だよ……ぐっ!?」

 

 心配そうにするニュゥべえに笑いかけようとした、その時、身体中に激痛が走る。

 今まで生きてきた中で感じた痛みとは質があまりにもかけ離れている痛みだった。全身の身体の脳、内臓、筋肉、皮膚、その全てに均等に削られていくような常軌を逸した感覚を感じた。

 直立していることさえもできなくなり、アスファルトの大地に膝を付ける。

 

「政夫っ! どうしたの!?」

 

 崩れ落ちる前に僕の肩から飛び降りたニュゥべえが僕にそう叫ぶが、答えることもできずに身体をくの字型に折り曲げてもがく。

 

「あぐぁ……ぐぅづぅ……」

 

 食い縛った歯の隙間から、苦悶の声と唾液が漏れ出す。

 無意識に顔の前に持ってきた両手を見て、僕は指に嵌った指輪へと視線を向ける。

 織莉子姉さんの家から出る時に魔法少女たちと同じく、指輪状にしたソウルジェムだ。

 その指輪から、まるで気化していくドライアイスのように黒い光の粒のようなものが立ち昇っている。

 

「これは……まさか、政夫のソウルジェムが……」

 

 ニュゥべえの言葉を理解する前に指輪状だったソウルジェムが、宝石の形状に戻る。

 クリアブラックの宝石はその体積を僅かに減らしながら、夜の大気に変えるように黒い粒子を舞い上げていた。

 

「ソウルジェムが削れている。そんな、そうして……?」

 

『それはきっと、政夫のソウルジェムが劣化品だからだろうね』

 

 ニュゥべえの問いに答えたのは傍の塀の上に現れた旧べえだった。

 旧べえは塀から飛び降りて、(うずくま)る僕の近くに寄ると、僅かに楽しげに聞こえる声で僕らに言う。

 

『政夫のソウルジェムは本来の工程を無視して、無理やり生み出されたものだ。はっきり言って、従来の魔法少女システムから完全に外れている。ボクたちの見立てによると、魔力を使う事はおろか、その魂を維持する事もできないだろうね』

 

「そんな……。じゃあ、政夫は?」

 

『恐らく、そう長くは持たないんじゃないかな? あと、五日、いや三日持てばいい方だね。ただ、ソウルジェム自体が消滅して行ってるから残念だけど魔女化する事はないと思うよ』

 

 大きな尻尾を左右に振りながら、無表情に答える旧べえ。

 この激痛の正体は僕のソウルジェムが消滅しつつあるからだと親切にも教えてくれる。いや、あえてそれを教えて僕に話を持ちかける気なのだろう。

 いつもよりも声のトーンに起伏があるように聞こえる声で旧べえは思った通り僕に尋ねる。

 

『ねえ、政夫。このままじゃ、君は魂があと三日程度で消滅して死んでしまう。でも、一つだけその滅びを回避する方法がある。賢い君なら分かるだろう?』

 

 ずいと顔を近付けて、一拍空けた後に言った。

 

『まどかにソウルジェムの安定を願ってもらう事だ。そうすれば、君の命は助かる……もっとも、最初から君を救えるようにまどかが願っていればこんな手間が省けたんだけどね』

 

 僕は旧べえの言葉を聞ききながら、激痛に支配される思考の中で視線をニュゥべえに向ける。

 

「ニュ……べ、え。ほ、かく……」

 

「……分かったよ」

 

 僕に罪悪感を感じて俯くニュゥべえにそう伝えると、彼女はその役目を思い出し、旧べえのすぐ隣に移動する。

 

『何をする気だい? ボクに頼らなければ、政夫はどの道死ぬんだよ?』

 

「……そうだろうね。それはボクの責任だ。でも、今は政夫がボクに願った事をするだけだ」

 

 旧べえの半分くらいしかない尻尾を伸ばし、ニュゥべえは旧べえを捕まえる。すると、背中の(ふた)を開き、その背中の穴の中に旧べえを押し入れた。

 蓋が閉じると、あの忌々しい声は一旦消え去る。

 それを終えると、ニュゥべえは僕に申し訳なさそうに小さく萎んだ声で謝った。

 

「ごめん、政夫……ボクが力不足なばかりに……」

 

「構わ、ない……よ」

 

 激痛が少しだけ治まり、地面に手を突いて立ち上がる。

 強烈な眩暈を感じながら、ふらふらつく身体を傍の塀に傾けながら、どうにか再び真っ直ぐに立つと顔を引き締めた。

 

「僕はあそこで死んだと思えば、三日も寿命が延びたんだ。お礼を言うことがあっても、責める理由なんてないよ」

 

 元より、奇跡なんていらないと僕は思っている。

 人間は死ぬ。それは避けようのない道理だ。それを覆そうなんて、真面目に死んでいった先人たちに失礼以外の何物でもない。

 やるべきことをやった後に死ぬのなら、それでいい。

 例え、僕に未来がなくても、まどかさんたちの未来は守ってみせる。

 




読者の方々は私が政夫を嫌っていると思っている方もいるようですが、私は彼の事を嫌っておりません。むしろ、思い入れのあるキャラクターです。
好きだからこそ、苦難に合わせてしまうのです。嘘ではありません。

次回『理解されぬ少年』

作者の悪意を打ち払え!

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