「駆け落ち……って、まどかさん何言い出すのさ?」
突然の台詞に僕は戸惑いを隠せずに彼女に問い返す。
駆け落ちというと、意味するところは両親や周囲の人間から離れ、二人で遠い場所へ行くということだろうが、なぜ彼女がそんなことを言い出したのか皆目検討が付かなかった。
しかし、まどかさんの口から出てきたのは質問への返答ではなく、確認のような問いだった。
「政夫くん、もう時間がないんだよね……? あと、ちょっとで死んじゃうんでしょ……?」
「……そうだよ。僕の魂はあと二日で完全に消えてなくなる」
「それなのにまだ皆のために頑張ろうとしてる……そんなのっておかしいよ! 政夫くんが何もかも一人で背負わないといけないなんて間違ってる!」
まどかさんのその言葉に僕は
「別に何もかも背負おうなんて考えちゃ……」
「違うよ。政夫くんはいつもそう……美国さんの件から、ううん……本当はもっと前から……病院で孵化寸前のグリーフシードを抜いた時から思ってた。この人は何もかも自分で解決しなきゃいけないと思ってるって」
真剣な彼女の視線は僕の瞳のさらに奥に問いかけているかのように深くに突き刺さってくる。声もいつもの穏やかな声音と違い、叱る付けるような厳しさを伴っていた。
僕はそれに何も反論できず、じっと彼女の顔を見返すことしかできない。
「政夫くんは誰かに一方的に親切にされた事がないんじゃないかな? 甘えたり、自分を
「それは……」
幼い頃は母さんにしてもらった。けれど、母さんが亡くなってからはそう言ったことには縁がなかった。
泣き言を言っていた弱い自分と決別するために、人に甘えるようなことは極力避けて生きてきた。友達にはもちろん、父さんにさえ何か頼み事をしたのは二度か三度程度だった。
甘えず、頼らず、自分で物事を捉え、その中で信じられるものを選択して今まで歩んできた。
「今は……ない、けど。でも、それが何だって言うのさ?」
「だからだよ。だから、政夫くんは自分が辛くたって誰かに助けを求めたりしない! 全部自分で片付けちゃおうとするの! ……それなのに、政夫くん自身は周りの人のために身を削ってる!!」
「別にそんなつもりはないよ。自分にできることをできるだけやってるだけだから」
別に聖人君子になろうなんて思ってはいない。それに自分の限界だってちゃんと理解している。
僕がするのはいつだって手の届く距離にあることだけだ。身の丈に合わないことには端から手を出したりはしない。
だが、まどかさんは僕の答えに納得してはくれなかった。
「違う。政夫くんは周りに困ってる人がいれば、余裕がなくても助けようとする。自分のことは守ろうともしないのに、傍に居る人たちを命懸けで守ろうとする。だから、皆が周りにいるだけで政夫くんは幸せになれないよ……」
ようやく、最初の僕の質問の答えが分かった。
まどかさんは僕を連れて行きたいのだ。傍に困っている誰かが居ない場所へ。自分の友達や家族を捨ててまで。
僕がこれ以上命を他人のために使わないように、ここから離れようとそう言っているのだ。
理解した瞬間、目の奥が熱くなるのを感じた。それは今まで感じたことのないうまく言葉にできない感覚だった。
泣いているのかも分からない。ただ、ひたすらに胸を突くの温かい感情の波だけ。
「馬鹿じゃ、ないの……だから駆け落ちだなんて……」
「馬鹿でもいいよ。私はさやかちゃんやマミさんたちよりも、パパやママよりも、政夫くんがずっと大切なんだから」
そう言ってまどかさんは僕を抱き締めてくれた。
「やめてよ……そんなこと言われたら……」
今まで抑え込んでいた気持ちが堪えきれなくなる。
我慢していた想いがマグマのように噴き出して止め処なく溢れ出てくる。
「政夫くん……私は何があっても、政夫くんだけの味方だよ」
もう駄目だった。彼女に縋りつく自分を抑えられない。
母さんが死んでから、初めて僕は弱音を誰かにぶち撒けた。喉から流れる死の不安と恐怖をまどかさんへと吐き出す。
自分よりもずっと背の低い小さな身体にしがみ付き、寄り掛かった。
「……死にたくないよぉ……」
それを彼女は黙って受け止めてくれる。優しい慈母のような微笑で僕の顔を見つめながら。
「もっと、君と一緒に居たい……。寄り添いたい。抱き締めていたい……明日も明後日も、明々後日も君と一緒に過ごしたいよ……死にたくない。初めて誰かを好きになったのに……別れたくないよ」
怖くなかった訳じゃない。本当は誰よりも死ぬのが怖い。
でも、弱音を聞いてくれる人なんて僕には居なかった。だから、胸の中に押し込んで何でもない振りして誤魔化していた。
甘えられる相手は誰一人として居なかった。不安も怯えも皆、自分で解決して次に進むしかなかったから。
本当はずっと彼女のような存在を求めていたのかもしれない。
「私も政夫くんと一緒に居たい。最期の時まで……ずっと」
「まど、かさん……」
「二人で居ようよ。政夫くん誰よりも頑張ったもん。もう、誰かのために苦しまなくていいよ」
与えるだけだった温もりが、僕を包む。
心の中を常に占拠していた圧迫感が溶けるように霧散していくのが分かった。
ここまで穏やかな気持ちになったのは何年ぶりだろうか。
ただ頭にあるのは自分の目の前にいる女の子への愛しさだけだった。
「いいの、かな……?」
「うん」
柔らかく、けれど誰よりも力強いまどかさんの笑みが僕に安らぎをくれる。
ほんの僅かな残りの時間を自分のために使ってもいいのだと、彼女はそう言ってくれた。
僕もそんな彼女の思いに答えたいと心から思う。
――僕は何もかも捨てて、彼女と共に駆け落ちすることを決めた。
~ほむら視点~
これで良かったのかしら……。
何度目かになる自問自答を繰り返す。
その度に「彼」は心配そうに私の顔を覗き込む。
「大丈夫? 暁美さん……」
「ええ。平気よ、大丈夫」
私は彼――上条恭介にそう答えた。
彼は先ほどからずっと私の事を気にかけてくれていた。いつもなら名前を呼ばれた瞬間に答えられる問題にも詰まってしまうほど、私の心は上の空だ。
空虚と言い換えてもいい。政夫とまどかの席、その二席が教室から喪失してしまったように感じる。
「でも、あんまり食欲もなさそうだし……」
「元々、食は細い方だから」
まどかを救うためにループしていた時は不安とストレスで食べ物が喉を通らなかった。まともに食事を取るようになったのはこの時間軸からだ。
政夫と出会ってから、彼と共の屋上で学校で……。
食事だけじゃない。睡眠も碌に取れなかった。いえ、そもそも時間が経つ事さえも政夫と出会う前は不安で胸が一杯だった。明日が来る事が怖くて仕方がなかった。
その恐怖から解放されたのは私の隣で一緒に考えて、問題を解決してくれる政夫が居てくれたおかげ。
駄目……。考えれば考えるだけ彼の事が頭の中を駆け巡る。
身勝手にも裏切って、傷付けた癖にまだ彼への未練が捨て切れない。
「暁美さん!」
「……え?」
「また、ぼうっとしてたよ? 今日は午後の授業は受けずに早退した方がいいんじゃない? 僕、送っていくよ?」
気遣ってくれる上条君に私は何も言えずに視線だけを返した。
こんな私を好きだと言ってくれた彼にまだ答え出せずに、一方的に優しさを受けている自分自身に嫌気が差す。
上条君だけではない。彼に思慕している志筑さんも私を気遣って、何も追及せずに黙って教室から姿を消してくれている。
政夫のあの態度や、上条君の告白も耳にしただろうに授業中は慰めの言葉を掛けて、昼休みには私と上条君を二人きりにしてそっとしておいてくれた。
マミたちもそう。私を許した訳ではないはずだけど、これ以上責めたりせずに不干渉を貫いてくれている。
私は可哀想な女を装って、周りの温情に縋っている。
何の償いもしないまま、弱さを許され続けている。
まるで、魔法少女になる前の私のようだ。
「……そうね。今日は早退させてもらうわ。でも一人で帰れるから大丈夫」
そう言った後、食べかけの惣菜パンを袋に入れて片付け、帰り支度を始めた。
上条君は何か言いたげに私を見つめていたが、目を一度閉じた後に再び、瞳を開くと優しく言ってくれた。
「分かったよ。でも、無理はしないでね」
「ええ。それじゃあ、さようなら」
「うん。さようなら」
別れの言葉だけを交わして私は教室から出て行った。
彼は無理に私を追おうとはしなかった。きっと、彼も分かっていたのだろう。
私の心の中に居るのが誰なのかを……。
一人廊下を歩き、靴箱まで進むと見慣れた白い動物がふらりと姿を現した。
キュゥべえ……インキュベーターだ。
『随分と暗い顔をしているね。何かあったのかい?』
「失せなさい。今は貴方の相手をしていられる気分じゃないの」
インキュベーターを無視して靴箱から自分のローファーを取り出す。
『ひどい言われようだね。ボクは君に一つ情報を教えてあげようと思って来たのに』
「情報……?」
インキュベーターはその忌々しい顔を私に向け、頷いた。
『政夫はまどかと二人でこの街を出て行くつもりらしい』
「え……!?」
指先で摘まんでいたローファーの踵から驚きで指が離れ、スノコの上を転がった。
呆然とする私にインキュベーターはさらに私に追撃をかけるように驚愕の発言を続ける。
『残り僅かな時間を政夫はまどかと共に逃避行に費やす気のようだね。ボクとしては、まどかに魔法少女と契約して延命を願うように頼んでほしかったんだけど』
「それ、どういう事!?」
目の前で緩やかに尾を振るインキュベーターを掴み上げ、声を荒げた。
政夫の時間が残り僅か? 延命? 意味が分からない。
けれど、胸の中で
久しく感じていなかった最悪の状況が近付いてくるような、嫌な感覚。
『ああ。その様子だとやっぱり知らなかったようだね。政夫のソウルジェムには重大な欠陥があったんだよ。本来と違う方式で作られたものだから仕方ないと言えば仕方ないけど』
赤いビー玉のような眼が私の顔を反射して映している。映り込んだ顔は徐々に怯えて歪んでいく。
『政夫の劣化ソウルジェムは少しずつ磨耗していっている。あと、二日もすれば完全に消滅するだろうね。つまり――政夫は』
死ぬだろう、とインキュベーターは言った。
目の前が暗くなっていくのが分かった。足から力が抜け、スノコの上に膝を突く。
政夫が死ぬ。その事実は私から急速に活力を奪っていく。
彼がそうなったのは紛れもなく私のせいだ。あの時にまどかを庇った彼を撃ってしまったせいで彼は死ぬ。
後悔などという言葉では到底生温い悔恨が脳髄を焼く。胃の縁が締め付けられたような痛みを感じた。
『暁美ほむら。ボクは君と頼み事をしにここに来たんだ』
「頼み、事……?」
強烈な悔恨の念に押し潰さそうな私にインキュベーターは話し出す。
こいつの語る、頼みなどという言葉がどれほど信用ならないかは分かっていたが、今はそれを聞く以外にできなかった。
『まどかが魔法少女になるように彼女を追い込んでほしい』
「なっ……! それは」
『君にとっても悪い話じゃないはずだよ? まどかの契約時の願いで政夫の延命を願わせれば、彼は助かるんだから。それとも……それ以外に政夫を助ける方法があるのかい?』
私はずっとまどかを魔法少女にさせないために戦ってきた。インキュベーターとの契約を邪魔し続け、彼女が最悪の魔女になる要因を潰してきた。
その私にあろう事か、彼女を魔法少女にする手伝いをしろと言う。
「……正気なの? 私にそれを頼むなんて」
『君以外に適役は居ないよ、暁美ほむら。それで、どうする? 頼まれてくれるかい?』
私が断るとは微塵も思っていないようなその口ぶりに私は笑った。
感情がないと
返答は決まっている。私はもうまどかではなく、政夫を選んだのだ。もはや、天秤に掛ける必要さえない。
「いいわ。やってあげる」
もしも過去の私が今の私を見れば、絶叫をあげて殺そうとするかもしれない。
それでもいい。私は魂を売り払ってでも生きていてほしい人が居る。
嫌われても、憎まれても、生きてくれていさえば十分だ。
「私がまどかを魔法少女にしてみせるわ……」
政夫の最大の過ちはほむらを殺さなかった事ですね。彼の優しさはいつだって、自分の役に立った事はありませんでした。