魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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今回のみ、15禁表現があります。


第百十五話 僕の最高の恋人

 楽しい。こんなに楽しいのは生まれて初めての経験だ。

 好きな人と一緒に居て、こうやって他愛もない話をして、当たり前のように笑う。

 幸福を感じる反面、今まではずっと重い感情を抱えていた自分の人生が途轍もなく愚かだったように思えた。

 一瞬だけ、街に残して来た人の顔が脳裏にちらついたが、まどかさんの笑顔を見ていると、それすらも洗い流されていく。

 今日は何をしよう。まどかさんとニュゥべえを連れて、このあたりの街で買い物でもしようか。

 そう考えた時、ぐらりと視界が(かし)いだ。平衡感覚を失った身体が強風でも煽られたように崩れ落ちる。

 

「政夫くん!?」

 

「政夫っ!」

 

 近くに居るはずのまどかさんとニュゥべえの声がやけに遠く、耳に響いた。大丈夫だと笑い、上体を起こそうとするが、身体の中身が焼け付くような強烈な激痛が走る。

 

「がづっ、ぐぅ……」

 

 この痛みは覚えがあった。僕の不完全なソウルジェムが少しずつ消滅していく時の痛みだ。

 指に嵌った指輪をまた卵型の宝石に変化させる。透き通るような黒の宝石は前に見た時よりも一回り小さくなっていた。

 ……ああ、やっぱり。

 もう既に僕の半透明のソウルジェムは親指の第一関節くらいの大きさにまで縮んでいる。この感覚で小さくなっていけば明日の昼までには完全に消滅しているだろうことが察せた。

 視界がまた揺らいだ。ジーンと鈍い耳鳴りが脳裏に響いている。激痛と眩暈で自分で立ち上がることはできなかった。

 まどかさんが部屋の隅に畳んであった布団を広げ、ニュゥべえが僕を担いでそこに寝かせてくれる。

 ありがとうと口に出そうとしたが、痛みが滲んでうまく声にはならなかった。

 

「政夫くん、しばらく横になって」

 

 その言葉に頷き、僕は少しだけ目を伏せた。いつの間にか、じっとりと浮かんできた汗をまどかさんが手拭いで拭ってくれる。

 

「ごめんね。せっかくの遊びに来たのに」

 

 申し訳ない気分が沸いてきたが、まどかさんは僕に怒った調子で尋ねた。

 

「もし、倒れたのが私の方だったら、どうする?」

 

「それは……まあ、看病するけど」

 

「その時に申し訳なさそうにしていたら?」

 

「気にしないでほしいと思う」

 

「なら、そういう事だよ。政夫くんは人に優しくするのに、自分には厳し過ぎるよ」

 

「…………」

 

 すっかりやり込められてしまった。二の句が継げない。

 部屋にあった冷蔵庫からニュゥべえが氷を取り出し、ビニール袋に入れて持ってくる。

 持ち手の辺りを縛ったそれタオルで覆い、僕の額にゆっくりと乗せてくれた。

 

「ニュゥべえもありがとうね」

 

「気にしないで。ボクが好きでやってることだから」

 

「政夫くんはゆっくり休んで」

 

 二人とも僕を気遣ってくれる。優しい子たちだ。お言葉に甘えて、少しだけ眠るとする。

 すぐに僕の意識は手から離れ、眠りの中へと落ちていった。自分の身体が溶けて夢の中に沈んでいくように感じる。

 

 

 目を開くと、窓から差し込んで顔を照らす日の光は白から、オレンジ色へ変わっていた。

 ほんの一、二時間だけ眠るつもりだったのに思った以上に長く寝ていたらしい。少し、残念な気持ちで外の景色を眺めていると傍に居たまどかさんが気付いて、僕に話しかけた。

 

「起きたんだね。気分は大丈夫?」

 

「うん。ゆっくり眠ったから随分楽になったよ」

 

 上半身を起こして、まどかさんに微笑んだ。

 彼女の後ろからニュゥべえも顔を出し、僕の方にぴょんと飛び付いて来た。

 膝の上で丸まって甘えてくるニュゥべえの顎の下を撫でてあげる。くすぐったいよと無邪気な声で喜んでくれた。

 二人ともどこにも行かず、僕が目を覚ますまでずっと傍に付き添っていてくれたようだ。お礼と言っては何だけど、今からでもどこかに連れて行ってあげたい。 

 

「そうだ。僕ももう元気になったし、どこかに遊びに行こうか?」

 

 僕が提案すると、彼女たちは喜んで応じてくれた。

 近くにある僕のリュックから携帯電話を取り出して、この旅館の周辺にある施設を調べる。

 マップの中に目を落として探すと、水族館があることに気が付いた。

 

「科学博物館と水族館が近くにあるけど……」

 

「水族館か。私、行った事ないから行ってみたいな!」

 

 まどかさんの弾んだ声を聞き、水族館に決定した。僕としては若干、科学博物館の方が気になっていたのは秘密だ。

 

 

 ***

 

 

「わあー、見て見て。政夫くん、お魚さんがいっぱい居るよ!」

 

 いつになくはしゃぐまどかさんの後ろを僕はゆっくりと追いかけた。ニュゥべえはマスコット形態のまま、僕の頭の上に乗って(くつろ)いでいる。水槽の中を泳ぐ魚には興味がなさそうだった。

 

「こう見ると壮観だよね」

 

「海の中に居るみたい」

 

 トンネル型の大水槽では小さな回遊魚がゆったりとした動作で泳いでいる。百八十度、魚の放っている水槽は初めて生で見るとなかなかに神秘的だった。それを眺めるまどかさんの瞳はきらきらとしていて、ここに来てよかったと素直に思える。

 テレビでしか見たことのない大きなサメやエイが凄まじい速度で水の中を駆け抜ける様などは僕も見ていて楽しい。

 海の中と言ったまどかさんの言葉は的を得ていた。ふわふわと自分の足が地面の上に立っていることさえ、不思議に思える。

 薄暗く、厳かで神秘的だが、魔女の結界の中とは違う、人の作り出した温かさの感じる場所。

 

「政夫くん」

 

 ぼうっと魚たちの動きを目で追っていた僕の手をまどかさんが引いた。

 

「薄暗いからはぐれないように手を繋いでいようよ」

 

 握った手のひらから感じる彼女の小さく優しい感触に心の奥がじわりと熱くなる。緊張や動悸が起きるような浮ついた感情ではなく、もっと自然に嬉しくて救われた気持ちになった。

 ああ、本当に僕はこの子が好きなんだと思わされる。

 

「うん。一緒に行こう」

 

 どこまでも。彼女となら。

 君が僕の手を握ってくれる限りはずっとそうして居たいと願った。

 

 水槽の中の魚を眺めながら、まどかさんと共に奥へと歩いて行くと世界中のクラゲを集めたというコーナーに着いた。

 一際暗い部屋の中で水槽を舞う、色とりどりのクラゲたちは僕の目には宝石のように映る。

 美しさからか、まどかさんは小さく感嘆の声を漏らしていた。

 彼女の横顔を見ていると、悪戯心がくすぐられて、冗談めいたことを口にする。

 

「あ、あのくらげ、まどかさんに似てるよ」

 

「え? どのクラゲ?」

 

「あのピンクの奴」

 

 ふよふよと水中を泳ぐ大きめのクラゲの一匹を指差すと、まどかさんはちょっとだけ頬を膨らませた。

 

「それ色だけだよね? 私のアイデンティティって政夫くんにとって色だけの?」

 

「うん」

 

「もー!」

 

「嘘だよ。あはは」

 

 からかうと思ったとおりの反応をしてくれるのが嬉しくて、つい声を出して笑ってしまう。

 怒っていたまどかさんもそれにつられたのか、次第に僕と同じように口元を弛めた。

 そして、水槽に目を戻すと、今度は彼女が青色のクラゲを指差した。

 

「それなら、こっちの青色のクラゲは……」

 

 そこまで言いかけて、次の言葉を放つ前に口を閉ざしてしまった。

 ……まどかさんは本当にとても優しい女の子だ。その言葉を言えば僕が気にすると思ったのだろう。

 だが、彼女の配慮を無視して言葉を継いだ。

 

「美樹さんみたいだね。その隣の水槽の黄色い奴は巴さん。お、こっちのベニクラゲっていうのは杏子さんかな?」

 

 捨てて来た街に居る友達の名を口に出す。隣のまどかさんはそんな僕に顔を強張(こわば)らせた。

 

「白いオーソドックスなのは織莉子姉さんで、紺色のは呉先輩……それで、向こうにある水槽の薄紫のクラゲは……」

 

「政夫くん!」

 

 強い声で名前を呼ばれ、押し黙った。

 彼女の顔を見れば、僕に何を言いたいのか簡単に理解できた。

 けれど、それはこちらも同じだ。

 

「まどかさんは残してきた皆が気になる?」

 

「……ならないって言ったら嘘だよ。でも……」

 

 僕の方が大事だと彼女の瞳は訴えている。それでも、そんな風に割り切れているようには僕には見えなかった。

 この優しい女の子が置いてきた友達や家族を本心から見捨てられるはずがない。

 目的を失った暁美はもう見滝原市を守ろうとはしないだろう。他の魔法少女は徹底抗戦するかもしれないが、それでも『ワルプルギスの夜』を彼女たちだけで倒せるとは思えなかった。

 ならば、街はどうなるのか。そこで戦う魔法少女たちはどうなるのか。

 簡単な話だ。

 誰も助からない。大勢の人間は意味も分からずに死んでいくだろう。見滝原市の先にある街や施設に住む人たちも同じように命を落とす。

 それを知りながら、彼女は僕と過ごしていて耐えられるのだろうか。

 

「もう、出ようよ……」

 

 まどかさんのその提案に僕は頷いた。彼女はその後、俯いたままでいた。

 無言で手を繋いだまま、出口へ向かうそんな僕らに頭に乗っているニュゥべえは一言も口を挟もうとはしない。

 

 

 ***

 

 

 味のしない夕食を食べ、温泉に浸かった後、僕は部屋でずっと考えていた。

 考えて、悩んで、想いを巡らせて、そして、その上で答えを出した。

 布団を引き直していた浴衣姿のまどかさんに向き直り、話しかける。

 

「ねえ、まどかさん」

 

「何? 政夫くん」

 

「明日さ、僕と一緒に死んでくれる?」

 

 さも軽い口調で飛び出した台詞にまどかさんは首を縦に振ってくれた。

 

「うん」

 

 元々、そのつもりで僕と一緒に来たようで、彼女の返答には逡巡(しゅんじゅん)はない。

 込み上げて来る熱い想いを堪えて、努めて冷静に僕は話を続けた。

 

「それなら明日、この近くにある崖から飛び降りよう。なんでも自殺の名所らしいから」

 

「いいよ。政夫くんと一緒なら私、どこにでも行くから」

 

 そう答えたまどかさんの表情はあまりにも優し過ぎた。堪えていた感情を抑えきれずに、僕は彼女を布団の上に押し倒した。

 彼女の髪を結っていたリボンを解くと、布団の上に桃色の髪が流れ、広がる。肌蹴(はだけ)た浴衣の肩口から白い肌が見えていた。

 

「……どうして、そんなに君は僕のことを想ってくれるの?」

 

 僕の問いには答えず、まどかさんは僕の頬を撫でた。

 

「私ね、自分の事が嫌いだった」

 

 穏やかな表情でとつとつと話し出す彼女に僕は黙って耳を傾ける。

 

「私って鈍くさいし、何の取り柄もないし。だからね、魔法少女にならないで誰かのために何かをするなんてできないって諦めてた」

 

 そんなことないと口を挟みたかったけれど、彼女の話を遮ることはせずに視線だけで否定した。

 それに気付いて、まどかさんはクスリと小さく微笑む。

 

「そう思ってたから、政夫くんに憧れた。魔法とか奇跡とか、そういうものに頼らずに自分の力で誰かのために頑張る政夫くんが格好良く映った……すぐに好きになったよ」

 

 彼女の瞳に反射して映る自分の顔を見る。その表情はとても居心地が悪そうだった。

 

「でも、政夫くんはどんなに傷付いても、自分が損する事になっても全然に気にしなかった。誰にも言わないで独りで全部抱え込んで、持ってちゃう。それを見て、私は思ったの」

 

 そこで言葉を区切り、目を細めて慈愛に満ちた眼差しで僕を見つめた。

 

「この人だけのために何かしたい、自分ができる事なら何だってあげたいって」

 

 ああ、本当にこの子は……。

 どこまで僕の心を締め付ければ気が済むのだろう。

 

「じゃあ、まどかさんの全部を……僕に下さい」

 

「はい。喜んで」

 

 

 ***

 

 

 一組の布団の中、僕は旅館の天井を眺めて、穏やかな声で呟いた。

 

「不思議だな……」

 

「何の事?」

 

 隣に寄り添ってくれているまどかさんがそれに反応して尋ねてくる。お互いに生まれたままの姿を晒しているが気恥ずかしさはあまり感じなかった。

 そのせいか、いつもよりも口が軽くなったようで彼女にもあっさりと答える。

 

「僕はね、昔色々あって他人を信用できなかったんだ。優しさとか慈しみとか、そういうのに憧れながらも現実にはどこにもないって思ってた。だから、例え見返りがなくても自分が他人に親切にすることで世界がちょっとだけ優しくなったらいいなって考えて生きてきたんだ」

 

 それが今ではこんなにも心を許せる人が居る。横目でまどかさんの顔を覗き込むとくすぐたそうにはにかんでくれた。

 満ち足りている今なら分かった。僕は『人間』が嫌いだったのだ。その人間が寄り集まった『社会』が嫌いだった。そして、社会を大きく纏めた『世界』が大嫌いだった。

 欺瞞や悪意が蔓延(はびこ)るこの世界を心の奥では常に憎んでいた。

 だが、それが嘘のように思えるほどこの世界が好きになっている。

 

「まどかさんにあって、僕はこの世界が好きになったよ。君が居る世界が、君を育んでくれたすべてが好き」

 

「政夫くんにそう思ってくれて嬉しいよ」

 

 布団の中で肌と肌が触れ合う。彼女の体温が僕の身体に()み込んでいくような、そんな心地にさせられた。

 僕たちは寄り添った。夜が明けるその時まで、互いの存在を確かめ合うように。

 

 やがて、窓の外に光が差し込む頃にはスウスウと小さな寝息を立てる愛する人の姿があった。

 彼女の桃色の柔らかい髪を二、三度撫でると、彼女を起こさないようにして、静かに布団から抜け出す。脇に置いてあった服を身に纏うとリュックから札束の詰まった茶封筒を枕元にそっと置いた。

 そっと窓を開くと、ベランダにずっと居たらしいニュゥべえがこちらを向く。

 

「行くのかい? まどかを残して」

 

「うん」

 

 頷いて答える僕にニュゥべえは呆れとそれから優しさを滲ませた声で言う。

 

「政夫。君は頭がいい癖に愚かだよ。でも、君がもし利己的で冷徹な人間だったら、ボクは好きになっていなかっただろうね」

 

「ありがとうね」

 

 ニュゥべえはその身体を僕が背に乗れるほどの大きさになると、それに乗るよう促した。

 再び、頷くとそれに従い、彼女の大きな背に搭乗する。うっすらと白い魔力の膜が僕を覆い、風や光から守るように張り巡らされる。

 そして、窓の中で眠るまどかさんに心の中でお別れを呟いた。

 

 ――さようなら、まどかさん。この世で一番大切な女性(ひと)

 

 ニュゥべえは僕が窓から顔を戻したのを確認すると、ゆっくりと飛翔を始める。気圧や空気抵抗は感じなかった。

 雲の上までやってくると、ニュゥべえはまっすぐ一つの目的地を目指して加速する。

 目指す場所は当然、見滝原市。『ワルプルギスの夜』が降りる街。

 そして、僕の愛する人の『明日』がある場所。

 

 まどかさんには明日を生きてほしい。色んなものを見て、色んなことを知って、色んな人たちと出会ってほしい。

 もし、君がいつか命を落とすとしても、魔法や奇跡なんて馬鹿馬鹿しいもののせいじゃなく、ありのままの世界を感じてからにしてほしい。

 君は僕の出会った中で最も素晴らしい人なのだから、こんなにも早く最期を決めていいはずがない。

 たった一つの我儘(ねがい)のために僕は行く。

 

 ――彼女のための明日がほしい。例え、そこに僕が居なくても。




残り三話くらいです。多分、忙しいですが、どうにかこうにか暇を見つけて書いていきます。
それにしても、まどかのヒロイン力が高いですね。

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