魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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ぎりぎり連日投稿ならず……。


新編・第二十七話 彼女の望んだ絶望

~ほむら視点~

 

 

「おまけだよ。受け取るといい」

 

 完全に崩壊した私の結界の中、黒一色で塗り潰された空間に白い花が咲く。

 ゴンべえが投げたステッキから咲いた一輪の真っ白い雛菊に似た花。宙で投げ出されたその雛菊に似た花は六枚しかない細長い花弁を一斉に散らした。

 花弁は奈落へと落ちていく私のソウルジェムに触れ、黒い布へと姿を変えた。開いた布の中には夜の砂漠の景色が広がっている。

 最もゴンべえの近くに居たまどかは、真っ先に黒い布へと包まれた。

 

「まどかっ!」

 

 黒い布は小さく縮小すると跡形もなく、消えてなくなる。

 私も彼女と同じように布の中へと呑み込まれそうになる中、落下を続ける他の魔法少女たちを見た。

 彼女たちもまどかや私と同じように布に包まれ、次々と姿を消していく。

 その中でただ一人だけ底へと落ちていくゴンべえが見えた。

 身体の部位をいくつも失い、ソウルジェムを矢で射抜かれてなお、彼は微笑みを浮かべていた。

 それが私には許せなかった。

 だから。

 彼に手を伸ばした。

 落ち行く彼に残った右腕を、布の中に吸い込まれる前に掴み取る。

 

「……!」

 

 驚いた顔で私を見つめる彼の黒い瞳。

 そこに映った私は必死な形相をしていた。

 彼の手を強く握り締め、残った力を振り絞り、引き擦り上げる。

 ゴンべえは何も言わなかったが、困ったような、呆れたような表情を浮かべていた。

 

 

 *********

 

 

 意識が浮上する。

 目を開くと天井はなく、代わりに星空が映った。

 星々が輝く満点の夜空と見渡す限り、砂で覆われた砂漠のような場所。

 肌寒い空気が顔に触れる度、思い知らされる。

 ここはもう夢の中じゃない。

 現実なのだと。

 身体の上には毛布の代わりに黒い布が覆い被さっている。

 布を跳ね除け、横になっていた上体を起こしてから、胸に置かれていたソウルジェムを掴み上げた。

 手に取ったソウルジェムをしばらく眺めた後、横になっていた身体を完全に起こすと、私は“この辺りに転がっているはず”のものを探す。

 そして、すぐ近くの砂の上に倒れている二人の少女を見つけた。

 佐倉杏子と巴マミ。二人とも黒い布へと包まれ、ミノムシのように転がっている。

 目を瞑り、熟睡したように動かない彼女たちの口にそっと手を(かざ)した。

 呼吸をしている事を確認した後に、巻き付いている布を剥がして、彼女たちのソウルジェムを確かめる。

 ……やっぱり。

 彼女たちも私と同じように(・・・・・・・)穢れが完全に除去されている。

 現実世界の私のソウルジェムは浄化も不可能なほどに穢れ切っていたはずなのに、初めて魔法少女になった時のように澄んだ紫色をしていた。

 剥がした布を戻して、私は自分の周囲を見渡した。

 まどかの家族やさやかの知人、それから学校の先生。

 見知った顔が並んでいたが、皆、マミたちと同じように布に包まれて眠っていた。

 しばらく、捜索を続け、ようやく私は半ば砂に埋もれるような形で転がっているそいつを見つけ出す。

 

「起きなさい。貴方にはまだ聞きたい事があるの」

 

「……ダンスのお誘いかな? ご覧の通り、手も足も出ない。他を当たってくれる?」

 

 そこに居たのは左脚と右腕、そして、顔の半分を欠損した一人の少年の姿だった。

 普通の人間であれば、失血死しているほどの悲惨な状態。挙句に首元のブローチ状のソウルジェムまで二つに割れている。

 けれど、そんな頭陀袋(ずだぶくろ)よりも惨めな姿を晒しているにもかかわらず、飄々とした態度で笑った。

 ゴンべえ。魔法を嘲る手品師。否定の魔王。

 どれも彼を表わす名前でありながら、彼の本質を表わすには足りない。

 

「貴方の本当の名前は?」

 

「さあ。そんなものとっくの昔に忘れちゃったよ」

 

「なら、いいわ。それよりもどうして私のソウルジェムが浄化されているの? 貴方なら知っているんでしょう?」

 

「さあね。お前の結界の中で魔女になったお前を僕が消したせいじゃない?」

 

「それなら私以外の二人のソウルジェムも浄化されている理由は?」

 

「うーん。最後にソウルジェムごとを消してやろうとしたのが、中途半端に終わったからじゃないかな? 濁った部分だけ削れたんだよ、きっと」

 

 (とぼ)けたような態度で答える彼に業を煮やして、私は激昂した。

 

「そんな偶然起こるはずないでしょう! はぐらかすのもいい加減にしなさいっ!!」

 

「おや? 都合の良い偶然を『奇跡』と呼んでありがたがって、はしゃぐのがお前たち魔法少女のトレンドだろうに」

 

 ……くっ、この男は。

 相変わらずの太々しさを見せ、小馬鹿にしたように口の端を吊り上げるゴンべえに歯噛みする。

 そもそもの話として、ソウルジェムが半壊しているにもかかわらず、平然と生存している事が意味不明だ。

 何故、死なないのか全く以って理解できないが、聞いてもはぐらかされるか、馬鹿にされるのが目に見えているので敢えて質問は胸に留めておく。

 それよりも聞いて置かなければいけない事は別にある。

 まどかの攻撃を受け切ったゴンべえが彼女のソウルジェムへと狙いを定め、ステッキを突き出した時。

 あの瞬間、否定の魔法に押し潰されそうな中で、私は自分の本当の願いを思い出した。

 『まどかを守れる強い私になりたい』。

 最初に強く願った想いが空っぽの私に力をくれた。

 願いを思い出した私の手には弓が握られていた。

 そこまではいい。問題はその後。

 残った魔力で矢を放った私をゴンべえは見ていた。

 弓を引き絞る私と目が合った。

 にもかかわらず、この男は――。

 

「何故、私の矢を受けたの? 貴方だったら、(かわ)せていたはずよ」

 

「覚えてないねー。ほら、僕、今頭が物理的に欠けちゃってるから」

 

 溶けて黒ずんだ方の顔を指差したゴンべえは、冗談めかして言う。

 本当にこの男は……。駄目だ、ここで逆上すれば奴の思うつぼだ。

 相手を怒らせて、思考力を奪い、自分のペースで会話を推し進める。それがゴンべえの手口。

 苛立ちが頂点に達しそうになるものの、感情を抑えて、努めて冷静に尋ねる。

 

「なら、あの時、貴方はどうして笑ったの?」

 

「あの時って言われても分かんないよ。多分、お前の顔があんまりにも愉快だったからじゃない?」

 

「どうあっても真面目に答えるつもりはない、と……?」

 

「仕方ないだろう? 覚えてないんだから。それで、消滅しかけの僕をわざわざ結界から引きずり出した理由は、そんな下らない質問のため? それなら僕はもう消え……」

 

「待ちなさい。まだ聞きたい事が残っているわ」

 

 会話を一方的に切り上げて、勝手に消えようとする彼を私は引き留めた。

 彼のその言葉自体には嘘はないのだろう。身体の欠損部分からは常に液状に溶けた魔力が砂の上に零れ続けている。

 砕けたソウルジェムに意識を縛り付けていられるのは、この男の異常な精神力故の事。魔法少女であれば、一秒だって持たない。

 ゴンべえの意識は、いつ消えてもおかしくない。

 その前に必ず聞いて置きたい事だけ、尋ねなければならない。

 

「これは大切な質問だから真面目に答えて。貴方には……心の底から愛した人は居たの?」

 

「『居る』よ。今も愛してる」

 

 懐かしむような目で彼は遠くを見た。

 その眼差しの向こうにどんな人が映っているのか、私には想像も付かない。

 けれど、その人を愛している事だけは私にも分かる。

 

「じゃあ、もう一度その人に会えるとしたら――会いたい?」

 

「……それは言えない」

 

「貴方、またそう風に誤魔化しを!」

 

「あー……ごめんごめん。違うよ、そう意味じゃない」

 

 また韜晦(とうかい)のような答えかと思い、文句を言おうとするが、手で制して謝った。

 ふざけたような態度ではなく、自分の感情をどう表現したものかと悩んでいる様子だ。

 少し額に手を添えて黙り込んでから、とつとつと語り出した。

 

「もし、それを口にして叶ってしまったら。きっと僕も彼女も困ると思うんだ。声に出せば感情が、願いが言葉に宿ってしまうから。だから、それを言うことはできない。どれだけ想っていても……言葉にしちゃいけないんだ」

 

 そう吐き出した彼の顔は、私たち魔法少女を手玉に取って、窮地に追いやった百戦錬磨の魔王ではなかった。

 どこにでも居る幼い少年の、今にも泣き出しそうな弱々しい表情だった。

 その顔を見て、私は初めて彼から納得のいく返答をもらった気がした。

 同時に自分の中で(くすぶ)っていた感情にも折り合いが付けられた。

 

「そう。そうなのね……」

 

 どれだけ願ったとしても。どれだけ望んだとしても。

 決して、叶えてしまってはいけない『願い(ゆめ)』がある。

 そんな当たり前の現実を受け入れられずに、私はずっと悪夢を見続けていたのだ。

 

「聞けて良かったわ。話してくれて、ありがとう」

 

「どういたしまして。それでお前はどうする? 絶望と向き合って、答えを得た今のお前ならソウルジェムも前より濁り辛くなってると思うよ。定期的な浄化を繰り返せば、十年くらいは人として生きていけるかもね」

 

「ふふ……」

 

 思わず、笑みが零れた。

 全くもって、この男は素直じゃない。

 浄化をしたのは偶然だと言い張るくせに、こちらの今後について心配している。

 見ず知らずの赤の他人のために、割に合わない苦労を重ね、今も消えてなくなろうとしている寸前だというのに……。

 本当におかしくてしょうがない。一体誰、こんなどうしようもないお人好しを魔王などと呼んだのは。

 

「大丈夫。もう、私の願いは決まったから」

 

 手のひらに紫色の弓を新たに作り出す。

 この魔女の居ない世界で、私が手に入れた魔法。

 それを握り締め、持っていたソウルジェムをそっと砂の上に置いた。

 紫に輝く宝石は淡い光を放ち、暗い砂の上を明るく照らす。

 

「私のやらなきゃいけない事はこれよ」

 

「……正気なの? 新たな願いを探す猶予だってできたはずだよ?」

 

 ゴンべえは僅かに難色を示すが、私は首を横に振って答えた。

 

「もう決めた事よ。わざわざ穢れを消してくれた貴方には悪いけれど、それでも考えて決めた事なの」

 

「そうかい。じゃあ、好きにするといい。君の選んだ、君の道だ」

 

「ええ……そうさせてもらうわ」

 

 私の言葉に納得したのか、彼はもう口出しはしなかった。

 地面に置いたソウルジェムから数歩だけ離れ、私は弓を射る。

 狙う的は私のソウルジェム。

 弦を引くと、摘まんだ指先の間に紫の発光する矢が生まれた。

 

「これで――」

 

 終わり。

 そう口に出そうとした瞬間、まどかの声が上から聞こえた。

 

 

  *********

 

 

 どうして……。どうして、そんな結末を選ぶの?

 ほむらちゃんも希望を抱いていたのに。

 絶望を乗り越えたのに、自分から死のうとするなんて、そんなのおかしいよ……。

 お願い、ほむらちゃん。目を覚まして。

 

『駄目だよ! ほむらちゃん!!』

 

 驚いた顔でほむらちゃんは、私を見上げている。

 彼女が私を認識しているという事実に私も愕然とする。

 

「まど、か……」

 

『ほむらちゃん、私の声が聞こえるの?』

 

「ええ、聞こえるわ。貴女の姿もはっきりと見える……」

 

 本当に奇跡みたいだ……!

 概念になった私の声は生きている魔法少女には届かないのに、今だけは彼女には私の声も姿も認識できるようだった。

 一度、ほむらちゃんのソウルジェムが孵化寸前まで濁り切ったおかげかもしれない。

 これなら、彼女を止められる。ううん、彼女を連れて行ってあげられる。

 

『ほむらちゃん……。もう生きる事に耐えられなくなったのなら、私と一緒に行こう』

 

「…………」

 

『辛かったんだよね? 大丈夫。もうずっと一緒だよ』

 

 彼女が味わった孤独も、彼女が私と共に居る事を望んでいるのも知っている。

 もう二度と彼女を一人になんかしない。絶望なんて私がさせない。

 ほむらちゃんを理解できなかった頃の私とは違う。今度こそ、本当の意味で彼女の心を救ってみせる。

 

『さあ、手を伸ばして』

 

 私が彼女に向けて手を差し伸べた。

 彼女もまた私の手を握ろうと、手を伸ばそうとして……その手を降ろした。

 

『ほむら、ちゃん……?』

 

 ほむらちゃんは視線を下に落とし、小さく首を横に動かした。

 

「……できないわ」

 

『どうして!? ほむらちゃんはずっと、私と一緒に居たいって、そう思っていたんじゃなかったのっ!?」

 

 彼女の結界の中で零した言葉は嘘だったの?

 あの涙は真実ではなかったっていうの?

 分からない。分からないよ、ほむらちゃん……。

 再び、上を向いたほむらちゃんの瞳は濡れていた。

 

「私も、貴女とずっと一緒に居たいって思ってるよ」

 

『だったら!』

 

「でも、駄目なのっ……私の、望みは……貴女を独り占めにしたいって事なの……」

 

 耐え切れず、しゃくり上げて泣き出す彼女は、私に胸の内を話してくれた。

 

「私の望みは……っ、まどかの願いを踏みにじってしまう! 壊してしまうのっ! だから、貴女とは一緒に行けない!」

 

 それは、ほむらちゃんの偽りのない本心からの声だった。

 すべての魔法少女を救う事、それが私の願い。私の望み。

 彼女はその願いを壊してしまうから、私と一緒にはいけないのだと。

 

「まどかの事が、大好きだから……」

 

『……そんな、そんな事って……』

 

「だから、私はここで終わりにするの……私の、本当の希望とお別れするの」

 

 弓を握った彼女の手が震えている。

 ほむらちゃんにとっても辛い決断なんだ。

 

『でも、こんな結末、私はやっぱり認められないよ……だって、それじゃほむらちゃんが幸せになれない』

 

 だったら、認めちゃいけない。

 ほむらちゃんも私が幸せにしたい魔法少女の一人で、私の大切な友達なんだから。

 彼女の降ろした手を無理にでも掴まえようと、さらに手を伸ばす。

 だけど、私の手が彼女へと伸びるその前に、別の手が遮った。

 

「もう止めてあげなよ」

 

『……ゴンべえ君。邪魔しないで。これは私たちの問題だよ』

 

 ボロボロの今にも崩壊しそうな身体を起こした彼は、残った片目で私を睨んだ。

 かつての圧倒的な強さも今は見る影もない彼は、変わることない意志の籠った眼差しを向けている。

 

「いいや。お前の邪魔をするのが(ぼく)の役目だよ」

 

『今のゴンべえ君にはもう何もできないよ』

 

 全力のゴンべえ君ならまだしも、今の彼はソウルジェムを無理やり固定化し、この世界に辛うじて留まっているだけ。

 結界の中とは力の差は逆転している。どう足掻いても彼に勝ち目はない。

 それが分からない程、彼だって考えなしじゃないはずだ。

 

「随分と舐めてくれるね。確かに消えかけの僕じゃあ、お前を消滅させるほどの余力はない。僕にできるのはちょっとしたゲストを呼ぶくらいだ」

 

『ゲスト?』

 

「インキュベーター! 聞こえてるんだろう? さっさと姿を見せてよ!」

 

 ゴンべえ君が声を張り上げると、周囲の砂が小刻みに震え、もぞもぞと白い小動物が這い出してくる。

 円環の理になった私としては、久しぶりに見る姿。

 

『聞かせてもらってはいたよ。君が消滅するまでは姿を現すつもりはなかったけどね』

 

 赤い眼に、身体と同じくらい長くて大きな尻尾を持つ、真っ白いマスコット。

 キュゥべえ。

 願いと引き換えに魔法少女を作り出す存在。

 一匹じゃない。見渡す限りの砂漠の中から大地を何百もの彼らが次々と顔を出す。

 その中の、一番先頭に居る一匹のキュゥべえに向けて、ゴンべえ君は親し気に喋りかける。

 

「インキュベーター、これから僕がこの円環の理に残りすべての絶望の力をぶつける。どのくらいのレベルの傷を付けられるかは分からないけど、それでもそう簡単に修復できないくらいには破壊できるはずだ。そうなったら、君はどうする?」

 

『決まってるじゃないか。目下、障害であった君が消え、ここまで近距離で観測できた円環の理が損傷したなら、ボクらはそれを支配する。そして、より効率のよくなった魔法少女システムを作り上げるよ』

 

 キュゥべえが私を、支配する……?

 効率のいい魔法少女システム……?

 それが実現してしまったら、また魔女の居る世界に戻ってしまう。

 私の願いが消されてしまう。

 ゴンべえ君は、私の方へと向き直り、頬を引いて笑った。

 

「だ、そうだ。選べよ、女神サマ……たった一人の友達を取るか、それともそれ以外のすべての魔法少女を取るか。選べるのは二つに一つだ」

 

 顔の皮が溶けて崩れ、頬がなくなった顔で、悪魔のように笑った。

 どこまでも残酷で、どこまでも親切な彼はこの局面で選択肢を突き付けた。

 彼の右腕が歪み、大きく膨らみ、黒い巨腕になる。

 あれは、否定の魔王の腕……。

 

「さあ、どうする!? 友達一人のために、インキュベーターの餌になる覚悟はあるかって聞いてるんだよ!?」

 

 ハッタリじゃない。ゴンべえ君は私がほむらちゃんを無理やり連れて行く事を選ぶなら、本当に私をキュゥべえに明け渡すつもりだ。

 忘れていた。彼の強さは魔法の有無では変わらない。

 

『私は……、私には……そんなの……』

 

「選べない? でも彼女は選んだよ。お前の願いと、自分の望みを天秤にかけて、それでお前の願いを取った。それを否定するなら、彼女と同等の覚悟を見せなよ」

 

 気圧される。

 力の差も完全に私の方が上なのに、その気迫に圧倒されている。

 怯えているんだ。彼の覚悟に。

 私は……選べない。どちらも大切すぎて、片方を捨てるなんてできない。

 

「もうやめて、ゴンべえ!」

 

 二言目も紡げなくなかった私の代わりに、ほむらちゃんが会話を断ち切った。

 

「もういいの。まどか、お願いだから、もう私には関わらないで……お願いだから、私のせいで傷付かないで」

 

 もう一度、ほむらちゃんは弓を構え直した。

 

『ほむらちゃん!』

 

「逝かせてやれッ!」

 

『…………っ』

 

 我慢できずに手を伸ばしかけた私に、ゴンべえ君が一喝が飛んだ。

 筋肉が委縮して、伸長した腕が止まる。

 

「彼女は選んだんだ。自分の絶望を。たとえ、お前が神だろうとそれを止める権利はない」

 

 何もできない私に向けて、ほむらちゃんは薄く微笑を浮かべた。

 

「今度は、まどかが私の事を覚えていて。ずっと忘れないで。私が願うのはそれだけだから」

 

 紫色の光が矢の形に形成される。

 視線を私からゴンべえ君へと移った。

 

「貴方は自分の源を“絶望”だと思っているようだけれど、それは誤りだわ。貴方の力の源は……」

 

 輝く矢がソウルジェムへと向かって飛んだ。

 

「……“愛”よ」

 

 砕けたソウルジェムが即座に紫の粒子状の魔力に変換され、風に乗って消える。

 ほむらちゃんの身体が、ぐらりと傾いで倒れていく。

 それを受け止めようとしたけれど、触れる事も叶わずに彼女の身体は私をすり抜けた。

 代わりに受け止めたのは、ゴンべえ君の巨大な腕だった。

 巨腕の指先が被り物のように剥がれ落ちると、たちまち一枚の広い布へと変形する。

 腕を元の大きさに戻した彼は何も言わずにその布で彼女を包むと、私の方へ視線を向けた。

 唖然として立ち竦んでいる私は、ほむらちゃんのソウルジェムがあった場所へと降りて、何もない砂の上に手を置く。

 ……救えなかった。

 大切な友達を、見殺しにしてしまった。

 でも……。

 

『選べないよ……私には』

 

「それでも選び続けなくちゃいけない。それがお前の役目だろう」

 

 容赦のない台詞が私へと突き刺さる。

 これ以上、私に何を望むというのだろう。

 

「まだ、分からないの? お前は今、インキュベーターに狙われているんだよ? 嘆いている暇なんてあると思うの?」

 

 顔を上げた先には大量のキュゥべえが赤い眼を私に向けていた。

 無機質で、無感情のその瞳にはさっき彼が言ったとおり、餌のように映っているのかもしれない。

 彼らはまだ私を支配する事を諦めていない。

 そうなれば、またあの魔法少女が苦しみ続けるシステムが復活してしまう。

 飄々と他人事のようにゴンべえ君は語る。

 

「今はまだ、僕を恐れて近寄って来ないが、僕が消滅した瞬間、狙いを定めた獣のようにお前に群がるだろう。そうなれば」

 

『また、魔女の世界に逆戻りする……』

 

「そう。観測された以上、逃げることは不可能だろうね。であれば選べるのはたった一つ、インキュベーターを寄せ付けない方法を見つけること」

 

『そんな都合のいいもの……』

 

 ある訳ないと言い掛けて、私はやめた。

 理解してしまった。

 ゴンべえ君の言う“キュゥべえを寄せ付けない方法”を。

 ずっと彼は提示し続けていた。ヒントも与えられていた。

 残酷だ……。一体、この人はどこまで残酷なら気が済むんだろう。

 

『あなたを私に……円環の理の中に取り込めっていうの……?』

 

 魔法を打ち消すその魔法が、もしも私に宿るのなら……さやかちゃんたちを永遠から解き放ってあげられる。

 私に従い、どこにも行けない魔法少女の魂に終わりを作ってあげられる。

 でも、取り込まれた彼の魂は……?

 

『ゴンべえ君……。あなたはそれでいいの?』

 

 彼は私の問いに難なく答えた。

 

「嫌だよ。死ぬほど嫌だ。僕は魔法少女が嫌いだ。魔法も、奇跡も、女神(おまえ)も吐き気がする。触れられたくもない。心の底から嫌悪してる。それを永久に味わうなんて絶対に御免だね」

 

 彼の言葉に偽りはない。

 敵として、ぶつかり合ったからこそ分かる本心からの言葉。

 だからこその、選択。

 言わなきゃいけない。言葉を、願いを紡がなきゃいけない。

 膝を突いて、肘を曲げ、両手と額を砂の上に付けた。

 

『お願い、します。……私たち、魔法少女のために、魂をください』 

 

「僕はお前の何? 友達か家族だとでも思ってるの? お願いしたら何でも聞いてくれると、そう考えてるの? 馬鹿じゃない。僕は『敵』。お前の『敵』だよ。それが『敵』に言う台詞?」

 

 虫でも眺めるような冷徹な目で彼は、頭を下げる私を見下ろした。

 ここまで。ここまで彼にヒントを言わせてしまった。

 それなら、私は彼の『敵』として相応しい態度と台詞で示さないとならない。

 選ぶという事。

 選択するその覚悟と意志の重さを。

 立ち上がり、彼を上から見下ろして言い放つ。

 

『あなたは……』

 

 声が震える。

 全身が今から口に出そうとしている言葉を拒絶する。

 

『私に負けたの……! だからっ、私のためにその魂を…………寄こしなさい! 今すぐに! これは命令だよ! もしも、渡さないのなら、力ずくでも奪い取る……!』

 

 生まれて初めて誰かを恫喝する。

 どの時間軸でもした事のない、他者から奪うという行為。

 野蛮で、理不尽で、不愉快な台詞。

 他人を苦しめても、それでも助かりたいから行う最低の理由。

 だけど、私が選ばないといけないただ一つの選択肢。

 

「はははっ。人相が悪くなったね。前より女っぷりが上がったんじゃない? ……外道の顔だ。前の吐き気がするような聖女面よりよっぽどいい面構えだよ」

 

 一頻(ひとしき)り、私を嘲ると彼は答えた。

 

「好きにしなよ。ただ、忘れないことだね。お前は僕を犠牲にして、自分と魔法少女たちを助けたんだ。片方を切捨て、片方を救った。その選択をね」

 

 彼の首元の蝶ネクタイの中心に付いている欠けた黒いソウルジェムを、震える指先で摘まむ。

 私はほんの小さな錠剤程度の大きさにまで縮小したそれを口元へと運んだ。

 不意に彼の右手が私の頬を撫でる。

 

「最後に魔法を掛けてあげる」

 

『……どんな?』

 

「お前がどれだけ罪深い存在なのか忘れないための“おまじない”さ」

 

『うん。お願い』

 

 ゴンべえ君は私の瞳をじっと見つめて、呟いた。

 

「“永遠に呪われろ、魔女め”」

 

 ああ、本当に。

 本当になんて残酷なまでに、親切なんだろう。

 

『……うん。永遠に呪われるよ』

 

 もう私は迷わない。

 誰かを救うという事は、誰かを救わないという事。

 誰かを守るという事は、誰かを守らないという事。

 誰かの女神でいるためには――誰かの魔女になるという事。

 願いも、呪いも同じもの。恩恵を受ける人と、被害をもたらされる人が居るだけ。

 私は誰もかもを救う事はできない。

 だから、選び続ける。

 永遠に。

 そうして、私は彼の魂を食べた。

 ゴンべえ君の身体はその瞬間に黒い液体となり、砂漠の砂に染み込むように溶けていく。

 熱い。

 煮えたぎる鉛を呑み込んだように、焼けるような痛みが喉に走る。

 これがあなたの感じていた痛みなんだね、ゴンべえ君……。

 

『これで邪魔者は居なくなった。円環の理はボクらのものだ』

 

 彼の言っていた通りに、砂漠の上で待機していたキュゥべえたちが動き出す。

 列を成して、白い波のように私目掛けてやって来た。

 でも、遅い。遅いんだよ、キュゥべえ。

 

『これでボクらが新しい魔法少女システムの支配者に……』

 

『残念だったね。それは叶わない望みだよ』

 

 纏わり付いてくるキュゥべえを払いのけ、その内の一匹を捕まえる。

 状況が掴めていないのか、目を見開いたまま、もがく彼にそれを見せた。

 『私』の魔法——黒いステッキ。

 

『これは……ゴンべえの……。君は彼の力を奪って……』

 

 愕然とするキュゥべえにその先端を突き付け、私は言った。

 

『さあ、選んで。私に支配されるか、それとも……』

 

 私は選び続ける。

 すべての魔法少女を救うために。

 たとえ、それ以外のすべてを犠牲にする事になろうとも。

 たとえ、私の中でどれだけ彼の魂が苦痛に(さいな)まれようとも。

 私は彼女たちの女神(ねがい)で、彼女たち以外の魔女(のろい)なのだから。

 どう足掻いても、“幸せの王子さま”の愛する“つばめ”にはなれはしない。

 




最終話です。
これでようやく彼と彼女たちの物語は終わりです。

すごくどうでもいい補足。
新編映画本編のほむらが神に叛逆する悪魔ルシファーだそうなので、ゴンべえは神の敵対者、試練を与える者として悪魔の王サタンをモチーフに据えました。
作中でやたら魔王扱いされるのはそのためです。

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