人を壊したことはあるか?
殺したじゃあない。壊しただ。壊れた人間がどうなるかも、まあ予想が付くだろう。ただ、一つだけ言えることは、まともな人間に戻ることはほとんどできないってことだな。
人を見捨てたことはあるか?
ない人間なんていないだろう。本当にないっていうんなら、今すぐにでも国を出て人々を助けるために奔走すると良い。ああ、別に強要するわけじゃあないから勘違いしないでほしい。今ここで言いたいことは、本当に誰一人として見捨てたことのない人間がいるのかということだからな。
人を憎んだことはあるか?
鬱陶しく思ったと、憎んだではだいぶ意味合いが違うのだが、それに気が付かない人間も少なくはない。本当の憎しみを胸に抱いていたと思っていた人間が、その憎しみが実は嫉妬だったなんてこともあるだろう。
人との縁を切りたいと思ったことはあるか?
ある人間は数あれど、ない人間を探すのは至難の業だろう。こいつが気に食わない、こいつなんて二度と顔も見たくない、こいつがいなければ、そう思ったことはないか?
まあ、そうは言っても、それに折り合いを付けて生きていくのが人間だ。
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DクラスとCクラスとの間で起こった件に決着がついた。
とは言っても、審議で決着がついたわけではない。審議は一度行われ続きは明日と言うところでCクラスの生徒が訴えを取り下げたのだ。
それに伴って無事に私達にもポイントが支給された。正直、そこまで貧窮していなかったが労働者的立場としては遅いと言わざるを得なかった。審議が終わるか結果が出るまで待たされていたが、七月も半分が過ぎる頃に支給されるのはいくらなんでも遅すぎるだろう。
そんなことを言っても、文句を言うことしかできないのが現状だが。
このことを盾にCクラスを弾劾することはできるかもしれない。だが、それをやるには手札が弱すぎる。それに何より、私達はポイントの支給が遅れると困る無能ですなんて言いふらしていることにもなりかねない。別に私自身は構わないが、他のクラスメイトは嫌がるだろうし、坂柳さんも康平も間違いなくそんな方法はとらない。
メールでどうなったのか綾小路君に聞いてみたところ、Cクラスの生徒が突然訴えを取り下げてきたからよくわからないと返ってきた。嘘だと思うが、確認するのも面倒だし特に意味もないので適当に返しておいた。
この前、Dクラスに行ってから綾小路君たちとは会っていない。私自身Aクラスの友人たちに誘われる機会が多いということ、Dクラスで過負荷を撒き散らかしたのでDクラスの生徒たちがそもそも私に近づこうとしないことの二つの点が合わさり、彼らと会う機会はなかった。
審議の時も、Cクラスのやつらを見て我慢したままでいられるかわからなかったので行かなかった。この前にDクラスに行った帰りに櫛田さんに言ったように、私はCクラスの生徒に対して嫌悪感が募っていた。
理由としては自分では何もしないくせに、他人を見下すことだけは一人前な連中が気に食わないから。その中に、エリートと言ってもいいのが何人かいることも拍車をかけていた。Aクラスの友人たちは友人と呼んでいることからもわかるように、そこそこの付き合いをしている。その上、彼らはリーダーに基本方針を任せているが自分で何も考えないほど無能じゃない。
いや、訂正しよう。自分で何も考えていない無能もいないわけじゃあないが、きちんと考えているやつもいるということだ。私がよくカラオケに行ったりしている、ボッチ組の茂や沢田さんあたりがいい例だろう。彼らは決して無能じゃない。
むしろ、私なんかよりもはるかに優秀なエリートであることに間違いはない。自分たちが派閥争いにかかわりたくないから、私を隠れ蓑にした立ち回りを上手にしているのだ。派閥争いにはかかわりたくない。でも、このクラスで発言権を完全に捨てないために、中立で発言権をなぜかそれなりに持っている私との関わりを強くすることで自分たちの立ち位置を周りに示しているのだ。
これに気付いたときは素直に驚いた。気づいたのは彼らが両方の派閥の人と話していたのを見ていたときだが、私との付き合いにそこまでの打算を組み込んでいたとは気づかなかった。しかし、現に彼らはクラスで誰とも対立することなく平和に日常を謳歌している。
他のクラスメイト達が派閥争いで常に緊張感を出しているのにも拘らず。これが私の勘違いだったらそれはそれで面白いが、Aクラスに配属された以上偶然とは言いにくいと私は結論付けた。
まあ、別にどうでもいいことだが。
今の私は、放課後に康平の相談を受けてから自室に帰ってジャージに着替えていた。
康平からの相談はいつも通りクラスのことに関することだった。派閥争いにはかかわらないと、康平にはあらかじめ言っているので彼が私にそういうことで相談することはない。今回の件は、他のクラスのクラスポイントの伸びが思ったよりも大きかったことについてだった。
彼自身としてはあまり下手に動きたくないと思っているようだが、他のクラスメイトから、この伸び方だともしかしたらまずいんじゃないか、と言われたので対策を練る必要があるかというものだった。
康平自身も、そのことにはすでに気づいていたようだがまだ問題にはならないと割り切っていたらしい。だが、クラスメイトにそう言われたことで対策を練るべきか相談しに来たということだった。
私としては今更感が強いが、現状維持に回る保守的な考え方の彼が動き始めるべきなのかと言ってきたことに少し驚いた。彼の変化に驚きつつも、それを決めるのは君であってクラスメイト達だ。必要だと思うならするべきだろうし、必要ないと思うならそのままでいいんじゃないか、と返しておいた。
そう言うと康平はこっちを見て、そうだな。確かにその通りだ。と言って満足そうにしていたから、彼自身の中で踏ん切りがついたのだろう。
まあ、そんなことはどうでもいいけど。
それと、最近は坂柳さんとの付き合いが減った。お弁当を作ってくこともなくなった。おかげで、最初の一日は昼と夜がお弁当だった始末だ。そのせいか、周りのクラスメイトからは喧嘩でもしたのかと思われているみたいだが、喧嘩はしていないとだけ言っておいた。
恐らく、この前の過負荷のことを話したからだろう。話すだけではなく、物理的にどう考えても不可能なプラスチック製のさいころを8つとも粉々にしたのが一番の原因だと思う。これによって、過負荷というものの存在を証明するようなことになったからだ。
私自身、これが本当に過負荷と呼んでいいものか怪しいと思っていたし、他の人から教えてもらえない以上確かめる手段もないと思っていた。だが、思いがけないところで私が過負荷であるということの証明ができたのだ。
原作では、過負荷の人がさいころを実際に振るシーンはなかったはずだ。だが、さいころの出目がなくなる結果なんて、それこそが過負荷を過負荷たらしめる証明だと私は思ったのだ。
私がそう思ったのと同じように、彼女も私が過負荷であることを実感したのだろう。私が時々出した、気持ち悪い雰囲気の正体が過負荷であるということで理解しているはずだ。そして、過負荷は人の心を折ることに特化しているものだということも。
自分の欠点を認めて受け入れる。ここまでは普通の人間でも理解できる範囲だ。だが、欠点を認めて受け入れた上で他人に見せびらかすなんていうことは普通の連中には理解したくもないほど気持ち悪いことだ。
私自身、前世の記憶があって、そこでは普通の一般人だった。恐らく、前世の私が今の全開の私を見たら気持ち悪さで卒倒するかもしれない。
しかし、私が他の過負荷の人たちと違っているところは過負荷をひた隠しにしているところだ。ところどころで出すことはあれど、常に垂れ流しにしているわけでもなく、普段は普通の皮を被って生活している。
そしてなにより、私自身が私自身の欠点を認めてはいるもののさらけ出していないということだ。ただ、これに関しては仕方ないとも言える。なにせ、さらけ出したら相手が私のことを忘れるのだ。『縁』が切れるとはそういうことだ。そして前世の記憶があり、今生の幼少期で過負荷を制御できなかったことによって受けた苦しみがあるせいで、過負荷を全面的に出したくはないと思っている。
私の過負荷のルーツは前世からの気質によるものだと予想しているが、後天的に過負荷になった身だ。当然、普通の一般人だった時の記憶もある。そして、恐らく私以外の過負荷はこの世界にいないということも理解している。過負荷なんて言う概念はそもそもこの世界には存在しないものだ。
もし、私以外の転生者と呼ばれる人がこの世界にやってきたら話は別だが、この学校にいなければそんな人物はいないだろう。学園ドラマもの、それも限りなくクローズドサークルであるもので、学校外に転生者がいて何になるのか。どのみち、学校外にいるなら私と関わることはないから関係ないことだ。
ようするに、何が言いたいかっていうと、私が過負荷を垂れ流しにすると、他のスキル持ちがいない以上私はひとりっきりで生きていかなくちゃいけなくなるということだ。
私のことを忘れないような特殊な能力がある人がいない以上、私が過負荷を垂れ流すと誰もかれもが私を忘れていく。流石に、知り合いに毎度毎度忘れられるような思いはもうごめんだ。それに、俗物的なことを言うとお金を稼ぐこともできない。
それなら、もっと過負荷を調整できるようにしようとも思った。だが、下手にやって制御不可能になるのが怖くていまだにその試みを結局してこなかった。
そうして今に至る。半端者の過負荷の誕生ってことだ。
そんなことを考えながら、寮の自室を出て走り込みをしていた。油断するとすぐに階段から落ちたり、車に轢かれそうになったりする過負荷体質なので、暇があれば基礎身体能力を高める鍛錬をしている。
中学校時代の空手を思い出して型の練習もしたりもするが、型の練習よりも体作りの方に重点を置いていた。理由としては、咄嗟のことに反応できる体を作ることが目的であり、現在空手部に入らなかった以上空手に固執することもないからだ。
最近、最初は肩を外してしまった『マッハ突き』がいい感じに仕上がってきてテンションが下がっている。『マッハ突き』とは、簡単にいうと体全体の関節に回転をかけてその回転力を貫手に集約し、貫くといったものだ。前世の漫画で見た技でやってみたいと思っていた技である。
前世の漫画にあった技がいい感じに仕上がったのに、なぜテンションが下がっているのかというと様々な問題に直面したからだ。
一つ目に、腕にかかる負荷が尋常じゃないこと。最初に肩を外してしまったことからもわかる通り、上手くいっても日に2回が限界といったものになってしまった。それ以上やると腕が壊れる。比喩抜きに。
そして、突きを当てたところがとても痛くなる。例えるなら、授業中に窓ガラスを突き破ってテニスボールが後頭部に直撃した痛みの倍ほどの痛みが手を襲う。とても使えるようなものじゃない。
二つ目に、人体に使えるものじゃないことだ。威力としては、普通の木を貫く程度。……何を言っているかわからないかもしれないが事実なのだ。試しに、坂柳さんの見張りを撒いてから、監視カメラのない位置の普通の木に打ち込んだら木を貫いて貫手が貫通した。
私の手はかなり痛いですんだのが奇跡と思えるものだった。こんなものとても人体に使えない。間違いなく重症、普通に死亡まであり得る。
そして、最大の難点がここが学園ドラマ物の世界だということ。グラップラーがいるようなバトル漫画の世界でも、世紀末な世界でも、奇妙な冒険の世界でも、海賊王な世界でも、目安箱な世界でもない。ようするに、できたはいいが使う機会はないのだ。
ほとんど自己満足でやったことだから、仕方ないと言えば仕方ない。むしろ、なぜこんなにまで痛い思いをしてまでやってしまったのかと今更ながら冷静になって考えている。
恐らく、バトル漫画の世界ならそこまで腕にかかる負荷も多くなかったのではないかと予想している。この程度の完成度と威力でインフレが激しいバトル漫画の世界で、こんなデメリットをもっていたら使い物にならないモブキャラにしかならないだろう。
前世で読んだ漫画のキャラも、そういうデメリットがあるのは完全に完成した『マッハ突き』の時だけだった。いや、イメージで関節を増やすような世界と一緒だったらそれはそれで問題ではあるけども、ここまで取り回しが悪いと使い物にはならない。
因みに『マッハ突き』完全版は体の関節をイメージで増やし、その関節を含めた回転力を用いて繰り出すものだ。手の先から、真空波が生まれるほどの速度で打ち抜かれた貫手は空振りだけで部屋のガラス全てを破壊する衝撃を生み出す。
そして、多用すると腕が物理的に内側から弾ける。とても現実的にできるとは思えないし、できたとしても使う機会はないだろうし、できたところで腕にかかる負担が大きすぎる。
そんなわけで、漫画の技の習得はこれ以上しないことを心に決めた。現実にできるものが少ない上にできたとしても、ほとんどがデメリットになるようなものを進んでもっと作ろうとするほどマゾ体質じゃない。おとなしく、初心に帰って体作りをすることにしたのだ。
走り込みを終え、柔軟運動をしてから、スクワット、腕立て伏せ、背筋、腹筋、30mダッシュ、反復横飛びを時間の許す限り繰り返す。手を抜くと次にいつできるかわからないから今日はいつもより長めにやると決めていた。汗水たらすこと2時間、4セット目の反復横飛びをしているうちに私を見張っていた人が消え、私のすぐ近くのベンチに坂柳さんが腰かけていた。
「いつの間にいたんだ?」
「今さっき来たばかりですよ。トレーニングしながらでも構わないので、今一度話をしたくて橋本君に居場所を教えてもらってきました」
「ふーん」
そう言ってトレーニングに戻った。坂柳さんの近くでスクワットを始める。50回ほどしてから、腕立て伏せ、背筋と続けるつもりだ。
「まず、最初に謝罪をしようと思います」
「何についてだい? 別に謝るようなことをされた覚えはないけど」
「ここ一週間、小坂君に過負荷のことを聞いてから小坂君を避けたことについてです。私から聞きたくて聞いたのに、避けるような真似をしてしまい申し訳ありませんでした」
そう言って彼女はこっちに向かって頭を下げた。
だが、頭を下げたのはわかるのだが、なぜ彼女が私に謝っているのか、それが私にはわからなかった。
「別に謝るようなことなんてないと思うよ。あんなこと言われて気持ち悪いと思わない方がおかしいし、そもそも私は過負荷だぜ? 人に避けられるのは当たり前さ」
「…そうだとしてもです。私は、私の持てる全てであなたを叩き潰すと決めてました。なのにもかかわらず、あなたから目を背けるようなことをしてしまった。それが私にとって一番の屈辱でした」
そう言って頭を上げた彼女は、ここしばらくの私を避けて怯えていたような彼女とはまるで違った。教室に入って隣の席なのに挨拶しか会話がなくなっていた彼女とはまるで違い、いつぞやの私が勝負を挑んだ時と同じ意志の強さを秘めた瞳をした彼女の姿があった。
「だからこの謝罪はけじめです。勝負から目を背けようとした、あなたを怪物か何かだと思って怯えていた私に対するけじめです。小坂君が過負荷だろうが、異常だろうが、怪物だろうが、化け物だろうが、私はもう逃げません」
「私の全てをもってあなたを叩き潰すことを今一度宣言します」
そういう彼女は特別の皮をもう少しで破ってしまいそうなほどプラスで、ちょっと前までマイナス気味な空気に変わるかもしれないと期待していた彼女とは大違いだった。
「…そこまで過大評価してくれるのは嬉しいけど、そんなに頑張らなくていいんだぜ?
どうせ過負荷とプラスの勝負なんてプラスが勝つに決まっているんだから」
「小坂君の中ではそうだとしても、私はそうは思いません。この前の時から自分が負けるイメージが頭から離れませんでしたから」
「まあ、好きにすると良いよ。私も過負荷故に勝てないとしても、勝つことを望んでいる身だ。あの人みたいに、過負荷だって主役を張ることができるって証明したいのかもね」
恐らく、彼女はこの前話した時に私の過負荷に当てられたことと現実離れした現象によって一時的に私というものに対してファンタジーの世界からやってきた怪物か何かと錯覚していたのかもしれない。
普通はそこまでいったら心が折れたり、過負荷とは絶対にかかわらないようにしようとしたり、過負荷気味になったりしてもおかしくない。それなのに、彼女はあろうことか自力で元に戻った。
これだけで、彼女の精神力がどれだけ高いのか思い知らされる。
また勝てなかった。と心の中で呟くと同時に、彼女の精神の強さを内心で称賛した。
「それで、用事はそれだけかい?」
「いえ、もう一つ。明後日からの旅行についてはご存知ですよね?」
「ああ、無駄に金をかけたやつだろう? そんなことに金をかけているからエリートどもが調子に乗るんだよ。差別社会をなくしたいなら、そういうところから変えていかないといけないと思うよ」
そう、この学校の一年は明後日から豪華船での旅行とかいうとても必要とは思えない行事がある。普通なら浮かれて楽しみにするであろうこの行事だが、生憎とこの学校は普通ではない。十中八九、何かやらされるのだろう。
そのために、馬鹿みたいに金をかけて豪華船を用意するなんてとてもエリートが好きそうでイライラする。別に普通の旅行船で十分だろうが。わざわざ高校生が豪華船とか、どんだけ金を持っていることを見せびらかしたいのかが窺える。
「差別社会の話は置いといて、私は本来それに参加することはできなかったのですが、お父様に無理を言って参加させていただくことになりました」
「お父様…?」
「そういえば言ってませんでしたね。私の父はこの学校の理事長を務めております」
「へー」
「…それだけですか?」
「だからどうしてってこともないだろう? 君が私が過負荷だろうと関係ないって言ったのと同じだよ」
自慢気に言った彼女にそっけなく返したからか、彼女は少し不機嫌そうだった。
…だが、こんな会話すら彼女とここ一週間してなかったと思うと少し感慨深いものがある。
「それで? それを言いに来ただけ?」
「…私はこの通り身体が弱いので付き添いの生徒を常に1人、最低3人用意してローテーションさせるようにと言われました」
「ああ、それで神室さんと橋本君と私に白羽の矢が立ったってことか…。何で私?」
「一つは、ここしばらく喧嘩みたいな感じになってしまっていたので他の方々に仲直りしたと思わせるため。二つ目に、小坂君の監視をする手間を省きつつ、小坂君のことをもっと知るため。三つ目に、神室さんにも過負荷のことについて知ってもらうため」
「神室さんに?」
なぜそこで神室さんが出てくるのだろうか?
「小坂君のことを神室さんが怖がっているのは知っていますね?」
「それはこの前聞いたね」
「このまま3年間怯えられたままで過ごしたいのなら別に構いませんが、早いうちに仲直りしてもらった方が私としても楽です。小坂君の監視に使える人が同じようにどんどん減っていくのは面倒ですから」
「それで、神室さんに過負荷について説明しろと」
「彼女も過負荷について知ったらいろいろ考えが変わると思いますし、小坂君のことを怯えなくなるかもしれません」
…確かに彼女の言っていることも理解できなくはない。知らない気持ち悪い何か、よりも、過負荷という正体のある気持ち悪い人の方が受け入れやすいかもしれない。そこさえ受け入れることが出来れば、私と神室さんの仲が今よりは改善されることにつながる可能性はある。
だがそれはあくまで坂柳さんの都合だ。
「悪いけど坂柳さんの付き添いをするのは構わないけど他の人に過負荷のことを言うつもりは今のところないよ」
「どうしてですか?」
「こんな荒唐無稽なことを信じてもらおうとは思わないし、そもそも私が話したのは坂柳さんだったからだからね」
「!!? そ、それはどういうことですか!?」
私の言葉を聞いた瞬間に、顔を少し赤くして焦ったように坂柳さんが詰め寄ってきた。何をそんなに焦っているのかは知らないが大した理由じゃない。
「他の人がいきなり過負荷だのなんだのって言われても受け入れられるとは思わないし、この前見せたさいころが砕けたなんてのを見せたら発狂してもおかしくない。その点、坂柳さんは発狂するほどやわじゃないし、他の人に言いふらすような人でもないからね」
こんなに早く復活するとは思わなかったけど、と内心で付け足す。
「ああ…そういうことですか…」
説明した途端に彼女は見るからに気落ちしていた。ここまで露骨に気落ちしている彼女を見るのは初めてだったので、少し新鮮な気分だ。
「ま、そんなわけだから今のところ信頼してる坂柳さん以外には話すつもりはないよ」
「…私のことを信頼しているんですか? 勝負をしているというのに?」
「勝負をしているからこそさ。そもそも、過負荷相手に正面切って啖呵切れるような人はいないよ。そんな坂柳さんだからこそ、私は勝負を挑んだ。そんな君が、こんな非科学的なことを他の人に言うわけないじゃないか。メリットが欠片もない」
「…そうですね。その通りです」
そう言うと坂柳さんは少し不機嫌そうだが納得したみたいだった。
実際、こんなことを言ったら狂人認定される。仮に受け入れられたとしても、今度はそんなやつ相手に勝てるのかという疑惑が生まれれば自身の信用を落としかねないだろう。
「私はもう少しトレーニングしてから帰るけど、坂柳さんは?」
「もう少し見ています。それと、せっかく仲直りしたのですから…有栖と呼んでください」
「……」
一瞬、何を言っているのかわからなくて腹筋をしている途中で固まってしまった。
「? どうかしましたか?」
「…いや、女子を下の名前で呼ぶようなことなんてなかったからね。前世でも、施設にいたときもそんなことなかったから少し驚いただけだよ」
「(昔…?)意外ですね、小坂君なら沢田さんあたりとは下の名前で呼び合っていてもおかしくなさそうでしたけど」
「私は男子でも打算込みじゃなかったら基本的に苗字呼びをしている。女子に対して下の名前で呼ぶことなんてなかったし、呼んでほしいとも言われたことはなかったからね」
前世の時はそもそも女子とそこまで関わることはなかった。施設にいたときも、名前呼びするほど親しくなった人はいない。中学校もまた然りだ。そもそも、中学校では保険医の先生以外の人はもうほとんど覚えていないけど。
「まあ、坂柳さんがそう言うなら別にいいけど本当にいいのかい?」
「他の人から何を言われようとある程度操作することはできますから」
そう言って黒い笑みを浮かべた坂柳さん…もとい、有栖。ようやく、元の調子に戻ったみたいだ。
「じゃあ、私のことも零でいいよ。その方がわかりやすく仲直りしたって感じに見えるだろうしね」
「わかりました。…零君」
そう言って彼女は私に手を伸ばす。私はそれに応えるように、腹筋の体勢から立ち上がって手の汗をタオルで拭ってから彼女に手を伸ばす。
「これからもよろしく、有栖」
そう言って私と有栖は握手をした。お互いに倒すべき敵を睨むように、お互いに相手のことを理解しようと探るように、お互いに信頼しているからこそ相手を叩き潰すべく不敵な笑みを浮かべていた。