私が自分自身の修羅場をどうするか考えていたところで、クラス内で話し合いが始まった。
まず、この試験で有栖が参加できないことから主に康平の言うことにみんな従うことで賛成している。だが私はそれに同意していない。
「零もそれでいいか?」
「嫌だよ。私は今回、単独行動をとらせてもらう」
私がそう言うとクラスの雰囲気が一変した。私が康平に従うと思っていたのだろう。茂や沢田さんも私の方を見て驚愕を隠せていない。橋本君も話が違うとでも言いたそうな目でこっちを見ている。
「勘違いしないでほしいんだけど、私は君の奴隷でも、有栖の奴隷でもないんだ。それに今は無性にむしゃくしゃしているんだよ。とは言ってもリタイアする気はないし点呼をさぼるわけでもない。一週間ぐらいなら自分で何とかできるから、簡易トイレだけもらっていくよ」
「…そうか。そう言うことなら止めはしない」
康平の言葉にクラスメイト達は少なくない驚きを隠せていないが、私は無言で折りたたまれている簡易トイレを一つ鞄の中に押し込んだ。とても全体は入りきらず、上半分が露出した状態だが仕方ないだろう。
「点呼はどうするんだ?」
「午後7時半にここに戻るから一人寄越してほしい」
「それなら、俺が直接迎えに来よう」
「そう」
そのまま彼らに背を向けて海岸沿いに歩いていこうとしたら、再び康平に声をかけられた。
「俺はお前のことを信頼している。お前のことだから考えがあってのことだろうと思っている」
「…ああそうかい。私は初対面のクラスメイトの中で、人見知りの自己紹介を目立たせるような奴は嫌いだよ」
今のは入学初日の日のことだろう。自分でもするりと出てきた言葉に驚きつつも、彼らを見ないように背を向けたまま歩き出した。背中に突き刺さる視線と他のクラスから投げられる視線に辟易するが、今はただ一人になりたかった。
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海岸沿いを歩いて適当なところで鬱蒼と茂る森に入った私は、行き場のない『怒り』にも似た感情をどうするかで必死だった。海に入ることも考えたが、その後のことを考えると気が引けた。木々に『マッハ突き』を打ち込みたくなる衝動に駆られるが、したら自分もただでは済まないうえに環境破壊とみなされて減点対象になるだろう。
「…『無冠刑』」
呟いただけで何も起こらない。当然ではある。私は今過負荷を抑えているのだから。だが、ここら一帯で人の気配はない。こんな状況こそが、私の過負荷を解き放つ最高の環境なんじゃないだろうか?
幾つか、私の過負荷についての推論がある。
その中で最も有力だと思っているものは、全力で過負荷を解き放っても周囲に人がいなければ縁が切れないのではないかというものだ。理屈としては切るべき縁の対象が近くにいないから。施設暮らしの時には、常に垂れ流しにしていた上に同じ施設内の人にしか会う機会はなかった。
だが、この学校に来てから寮の自室で過負荷を解放しているにもかかわらずクラスメイトから忘れられていることはない。もっと言えば、中学校の時にOBの心を折った時も他の人との『縁』は切れていなかった。さらに、少量であれば他の人がいても完全に『縁』が切れることはなくなっていた。
以上のことから、私の過負荷を本格的に解明するには今しかないということだ。それも点呼がある都合上連続でできる時間は限られている。
そう思ったところで、私は過負荷を完全に開放した。私を中心に周囲の空間が落ちているんじゃないかと錯覚しかねないほどのぶっ鉈切られた空気が広がっていく。辺りにいた野生の鳥や、虫が一斉に私の周りから逃げ出していく様すら認識できた。
「…『無冠刑』」
そう呟いたが、何も変化はなかった。これによって少なくとも今は鉈を出すことはできないことを確認する。意識して鉈を出すイメージを作っても見たが結果は同じだった。
次に座禅をして瞑想した。少し前のように、自分自身の過負荷に話しかけるように心の中で言葉を投げる。
…だがいつもなら来る感覚が全く来なかったことに、私は愕然とした。
何で今日に限って…いやまてよ、そもそも何時からこの状態だったっけ?
冷静に考えてみたら過負荷を抑えると決めてから放置しすぎて、自分の過負荷との対話とも言えるものを、ほとんどしていなかったことに気付いた。
そもそもこの学校に入ってから気づいた過負荷との対話だが、初めの方こそ何回かやったがここ2ヶ月ぐらいは対話どころか無冠刑そのものを使おうとしたことがない。
元々、意識して使おうとはしていないし過負荷のオーラとも言えるものを纏う時と寝るときにしか出していなかった。
それだけ自分自身の過負荷を蔑ろにしていたら愛想を尽かされても仕方ないのではないか?
言いようのない喪失感が私を襲った。私は過負荷なら何でもよかったのかもしれない。別に『無冠刑』じゃなくても。
そして、それに気づいてしまったことで辺りの空気は変化する。私が出していたと錯覚していた『無冠刑』の空気ではなく、ただの『過負荷』としてのそれに。ぶっ鉈ぎられるような空気から、ただただ歪んで気持ち悪いだけのものに。
私だけの欠点だったはずのそれが、私の知らない欠点に書き換わっているような気持ち悪さ。
そのことに気付き、本来なら喜ぶべきはずの欠点が消えたはずなのに、自分の両の眼から涙が止まらない。
いったい何時からだったのだろうか、私にただ一つだけ寄り添っていてくれた欠点がいなくなってしまったのは?
他の人たちとの『縁』を紡ぎすぎたせいなのだろうか?
どうすれば、私自身の欠点を取り戻せるのだろうか?
私だけのものだった過負荷はもう戻ってこないのか?
自分の過負荷との決着をつけるつもりが、既に決着はついていたなんてなんという皮肉だろうか。私は取り返しがつかないであろう、自分自身のルーツを知らないうちに手放していた事実に点呼の時間が近づくまで、ただひたすら嗚咽を漏らしなら自己嫌悪と懺悔をするしかできなかった。
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気が付いたら既に日が落ち始めていた。少しずつ辺りが暗くなっている。既に腕時計は6時半を示そうとしていた。
未だに気持ちの整理がついていないが点呼の時間に遅れるのも問題だし、食料はなくても問題ないが水の確保をしなくてはいけない。一週間ぐらいなら水だけでも死にはしない。とても辛いだけだ。死ななければ安い。
今の私に生きている意味があるのだろうか?
わざわざ転生してまで掴んだ過負荷を切り捨ててしまった私に、そこまでして生きる意味なんてあるのだろうか?
このまま死んでしまった方がマシなのではないか?
そんな考えが頭の中をぐるぐる回ってる。試験のことも、有栖のことも、康平のことも、綾小路君のことも、Aクラスのことも、今生きることすら、全てがどうでもよくなってしまっている。
だがここで死んでは文字通り何も残らない。私が転生した意味も、私が知りたかったものも、私が見つけたかったものも見つけられず、全てが無意味になってしまう。
それだけを心の支えに私は水を探した。自分の過負荷を抑えながら歩き始める。何者かわからない過負荷に気持ち悪さを感じながらも、そう遠くない場所で川を見つけた。
そこまで汚くない上に、下の方に続いていることから結構立派なものなのだろう。下に下っていけば他のクラスが拠点にしていてもおかしくないぐらいだ。ただ問題としてここから降りるには少し急だということか。
そう思っていたら、看板が立てかけてあるのを見つけた。「この川はスポットに指定されているものであり、許可のない利用を禁ずる」と書いてある。それを見て川沿いを歩いてスポットを確認することもできたが、リーダーでない以上占拠することもできないので諦めた。
森の中から感覚を頼りに、待ち合わせの場所に向かうと今度は池を見つけた。先ほどの川よりはきれいではなく、大きさもそこまで大きくなかった。池と言うよりも大きな水たまりと言った方が適切だろう。
とりあえず、そこまできれいではないが死ぬよりはマシだと思ったので少しでも水分を取るべく池の水を飲んだ。案の定、おいしくないしジャリっとした感触が少しある。
だが、施設で過負荷を垂れ流して生きたときにいじめの一環で飲まされた劇物の類に比べればまだましだ。醤油を直接飲まされるような喉の痛みではないし、泥水ほど汚くもない。洗剤入りの水なんかは酷かった。冗談抜きで死ぬところだった。
ここ数年はまともな生活をしていたので抵抗感がなかったわけではなかったが、それでも普通に池の水でのどを潤すことはできた。間違いなく他の生徒はやらないだろうが、私は生きていられるのであればよかった。尤も、生きている意味もなくなってしまいそうな私ではあるが。
再び自己嫌悪に陥った私はそのまま待ち合わせの場所に戻った。
森の中を歩いていたので、それなりに時間がかかったが7時半にはついた。最初に降りたところに戻るとすでに康平が来ていた。
「やあ、わざわざ来てもらって悪いね」
「…俺とお前の仲だ。これぐらいなら構わない」
少し戸惑った顔をしているようにも見えたが、すぐにいつもの仏頂面に戻ったので気のせいだったのだろう。そう言って歩き出す康平の後ろをついて行く。結構歩いてきた気もするが、体力づくりを日々していた私にとってはこれぐらいで疲れるようなことはなかった。
だけど、精神的にだいぶ参っていることを自覚している。自分のアイデンティティーが自分の知らない間に消え去っていた事実は、思いのほか私の心は抉りつくしていた。
康平について歩くと洞窟に着いた。既に他のクラスメイト達も中に集まっていて点呼をするまで待っているような状態だった。時刻は7時55分。真嶋先生もいることから、間違いなく私を待っていたのだろう。
「小坂で最後だな」
「そうですか。点呼が終わったのならこれで失礼します」
そう言って後ろを向いて歩き始めた。
「ちょっと待てよ!」
そう言われたのを耳にして歩みを止めた。振り返ってみると珍しく感情的になっているのは茂だった。彼がここまで感情を露わにしているのを見るのは珍しい。
「お前が何に苦しんでいるのかはわからないけど、同じクラスメイトだろ? 一人で行こうとしないでもっと俺らのことも頼れよ!」
「そうだよ。いつも坂柳さんとか葛城君とか、竹本君とかと仲がいいけど小坂君もAクラスの一員なんだよ!? そんなに辛そうな顔をしてないで一緒に来なよ!」
茂のほかにも、あまり話したことのない女子までそう言ってくる。私には何でそんなことを言ってくるのかがわからなかった。
「別に苦しんでることなんかないし、辛いこともない。今はそう言う気分じゃないだけだ」
「嘘をつくなよ。ここ何ヶ月一緒にいたと思ってるんだ? 葛城君や坂柳さんほどじゃないがその二人を除けば一番一緒にいたのは俺だぞ? お前が苦しんでいる時の顔ぐらい見たらわかる」
そう自信満々にいう茂だが、私は彼の前でそんな顔をした覚えはない。それに、これ以上ここにいても時間の無駄だ。私は無言で振り返り、そのまま歩き始めた。
後ろで何か言っているような声が聞こえるが、そんなこと私にはどうでもよかった。
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あいつが行ってしまってからAクラス内は痛いほどの沈黙が支配していた。真嶋先生も無言で立ち尽くすほどの衝撃だった。
あいつは苦しんでなんかいないと言っていたが、それが嘘だということははっきりとわかった。
あいつの両頬に涙の跡がはっきりと残っていた上に、目元が真っ赤だったからだ。
普段のあいつなら、それに自分で気づいて跡を消してから来ただろう。だが、それをしなかったということはそれだけ余裕がないということだ。そんなあいつが苦しんでいないわけがないと思っていた。それに、あいつは時々ぞっとするようなことを平然と言うような奴だがなんだかんだ面倒見が良いところがあった。クラスを纏めたり、孤立気味なやつに声をかけていったのがいい例だ。
さっき俺と言葉をかけた矢野さんも、同じ気持ちだったのだろう。普段ほとんど関わりを持っていない彼女まで言うぐらいだ。恐らく、他のクラスメイト達も全員把握している。今のあいつが何かに苦しんでいて他にわき目を振る余裕などないということを。
普段から付き合いの深い葛城君も沈痛な顔でただ黙っている。何故かあいつに怯えている神室さんも怯えていた雰囲気が消え困惑している。橋本は苦虫を噛み潰したような顔で見ていた。あいつも何か思うところがあったのだろう。戸塚も零のことは好きじゃないのを知っている。葛城君が小坂を呼びに行くと言って行った時には葛城君にこんなことさせるなんてとか言っていたぐらいだった。そんな戸塚でさえ、先ほどのあいつの顔を見てから黙り込んでしまっている。
Aクラス内は葛城派と坂柳派で分かれていて普段はお互いに敵視しあっている。それの間に入っている零がこんな状態では、どっちの派閥にいようがいい気分じゃないのは確かだろう。あいつは派閥に関係なくAクラス全体から好かれていたからだ。全員が全員というわけではないかもしれないが、あいつがいなかったらもっと緊張感の溢れる殺伐とした雰囲気になっているということは全員理解している。
既に二回もクラスの代表格がぶつかっているが、お互いに発言権を失うどころか同等の発言権のままなのが小坂の頑張りを表しているだろう。俺としては人望としては葛城君、策略としては坂柳さんの方が上だろうと思っているが、そのすり合わせを調整していたのはあいつだった。
俺があいつを隠れ蓑代わりにしていることも、あいつ自身察しているだろう。それでもなお、俺と一緒にいてくれるのだから友達の助けぐらいはなりたかった。
真嶋先生がどこかに行くのと同時に、ポイントで得た食料と飲料水を摂ってこの日は寝ることになった。
…そして次の日だった。
あいつの死亡報告が発表されたのは……
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Aクラスから分かれた後、私は適当にぶらついていた。海岸沿いを歩き、崖になっているような場所に居る。もう少しで落ちてしまいそうな錯覚に陥るぐらいだ。
とは言っても、自殺する気はさらさらなかった。
私はもう一度自分自身を見つめ直そうとしていた。
私は何者なのか?
私は何をしたいのか?
私が生きていく意味は何か?
私は過負荷をどうしたいのか?
私はこの学校で何をなしたいのか?
そう言うことを今一度見つめ直していた。
何者なのか、という問いには『小坂零』である。としか答えようがない。前世の自分も同じ名前だったし、私にはこれ以外に名乗る名はない。
何をしたいのか、という問いには過負荷だろうと普通だろうとプラスだろうが、意味のある人生があるということを証明したい。過負荷だろうが、意味のない人生なんかじゃないってことを証明したい。
…今更だが、私は『前世の小坂零』の人生が決して無駄なものじゃなかったということを証明したいのじゃないだろうか?
そうじゃないと、プラスと普通まで対象に入っていることがおかしい。今の私は過負荷なのだから、過負荷でも意味のある人生が送れればそれでいいはずなのに。
…いや、過負荷でも意味のある人生が送れるということを利用して前世のマイナスじゃなかった小坂零が逆説的に意味のある人生を送れたということにしたいのか。
そんな半端な考え方じゃあ、こんな有様になっても仕方ない。私は潔く自分自身の過負荷をただの道具としか思っていないことに気付かされた。自分の過負荷を踏み台に、前世の自分が生きていたことに意味があったと証明する。こんなことを考えていたのであれば、自分の過負荷にそっぽを向かれても仕方ない。
自分自身を切り捨ててまで、私はそんな意味のないことがしたかったのか。改めて自分自身に絶望した。前世の自分にどれだけ意味があったとしても、それは今の私とは関係ないのに。
そんなことを思って、ふと過負荷を出した。いつものぶっ鉈切られるような感覚はなく、ただただ歪んで気持ち悪いそれを確認してまた自己嫌悪する。
……そんな時だった。私が座っていた崖が崩壊したのは。
急に崖が崩れ落ち、左腕を下から突き出ていた岩に打ち付けた挙句、頭を強打し意識が朦朧とする中で私の上に崩れた崖とそれによって生じた土砂が乗るのを感じる。
そうして私の意識は深い闇の中に落ちた。