「王子……。ボク、先に行って待ってますから、絶対来て下さいっ」
キン肉マン、ハワイ滞在二日目。
与えられたコテージで一晩休んだミートは、何も答えず背を向けたままベッドで寝そべるキン肉マンを残し、約束された場所へと向かった。
あれから……キン肉マンが目を覚まし、ミートが落ち着くのを待ったカメハメから二人は提案を受けた。
カメハメ曰く。
ネメシスは自分が見知った誰よりも強い。
だが、ネメシスとキン肉マンの実力の差は完成度による所が大きい。
ほぼ完成されたネメシスに対してキン肉マンは未だ発展途上の未熟な超人。
自分が鍛えてやれば、或いはあの男の領域にまで辿り着ける可能性がある。
特訓に励む意志があるなら、翌日の日没までに浜辺に用意したリングに来てくれ。
以上がカメハメが語った内容であった。
それを聞いたキン肉マンは、一言も話すことなく現在に至っている。
しかも、カメハメ自身が“或いは可能性がある”としか言っていないのだから、特訓なんてやるだけ無駄で、やはり綺麗に拭いたチャンピオンベルトをネメシスに差し出すべきではないか?
キン肉マンの心中は穏やかではなく、すんなり提案に乗って特訓に励む気になれないでいた。
だが、何故だか分からないが、尻尾を巻いて逃げ出す決断も下せない。
「うぅむ……おかしいのぅ」
そう呟いたキン肉マンは、幾度となくベッドの上で寝返りを打つと上体起こして伸びをする。
それから、首を左右に傾けもう一度「おかしいのぅ」と呟いた。
◇
「どうしてお前がここに居るんだっ!?」
浜辺のリングにやって来たミートは、そこで待っていた人物を見て驚き腰を抜かしそうになる。
カメハメが居るのは当然として、居ちゃいけない人――ネメシスまでもがリングの上で待っていたのである。
「カメハメが課す特訓とやらに興味があってな。見学にきたというわけだ」
ミートの驚きを意に介さないネメシスは、どこかズレた言葉を返す。
「ミート君や。この男にその手の機微を言うても無駄な事よ。キン肉マンには口出しも手出しもせぬと言うておるし、無害と考えてくれてよい」
短い付き合いながらも、ネメシスが敢えて他者に対して無頓着に振る舞うと知ったカメハメが揉めそうになる前に仲裁に入った。
実際、ネメシスに悪意はない。
これは、言葉の裏に隠された真意を探っていては身がもたない環境下で育ったネメシスなりの処世術であり、大抵の場合は表層の言葉を聞き流す。
「そ、そういうことなら……」
「それでミートよ。 キン肉マンはどうした? 尻込みでもしているのか?」
「お、王子は、その……じゅ、準備に時間がかかっているんです。後からきっと来ます!」
「ふむ……ならば待つとしよう」
そう言ってリングから降りたネメシスがトレーニングを開始する。
待つんじゃなかったのか、との突っ込みは入れたら負けなので気にしてはいけない。
「な、なんなんですか、この人?」
「何、と言われてものぅ。ワシもつい先日出会ったばかりじゃからな」
実際、ネメシスの正体が掴みきれていないカメハメは困り顔をみせる。
完璧超人に違いはないのだが、そうだとすれば何故ハワイに居るのかが分からない。
何らかの目的があると考えるにしても、ネメシスには全く怪しい行動がみられず、こうして時間が許す限りトレーニングしかしていない。
(出奔したと考えるのが自然かの……)
と言っても出奔の理由までは判るはずもなく、どこかモヤモヤしたものを残しながらも、カメハメはネメシスに対してそう結論付けた。
当たらずも遠からず。
この微妙なズレが後にとある超人を産み出すこととなるのだが、それはほんの少し先の話となる。
(ほ、ホントに一体何者なんだろう?)
一方のミートは初めて見たトレーニングに励むネメシスの姿に目が釘付けとなる。
その動きのひとつひとつにキレが有って洗練されており、ミートが超人オリンピックを通じて見知った超人達、ロビンマスクやテリーマン、ラーメンマンと比較しても上回っている。
何故これ程の超人が無名なのか?
独力だけでこれ程の力が身に付くのか?
超人史に詳しくなく、完璧超人の存在を知らないミートでは情報が足りず答えが出せない。
ミートはただ時間が経つのも忘れてネメシスの動きを追い続けるのだった。
◇
「どうやらキン肉マンは来ない様だな」
「その様じゃな……」
「ま、待って下さいっ。ボクが王子を呼んできますから」
気付けば太陽が傾き、辺りを紅く染めている。
約束の時間が迫ってもキン肉マンは現れない。
「ミートよ、無駄な事は止めよ。
それでは駄目なのだ。超人レスリングとは素晴らしいものであると同時に過酷なものであるとは知っていよう? 我ら超人にはその過酷なレスリングに耐えうるだけの力が備わっており、超人ならば力や技が優れているのは当然なのだ。従って、勝敗を左右する決め手は心の強さにこそあるのだ」
「えっ……?」
言っていることは間違っていない。
間違ってはいないのだが、この男の口からそんな言葉が飛び出るとは思ってもいなかったミートは目を丸くする。
というか
あなたは何言ってるんですかっ! と叫びたくなったミートだがカメハメが言っても無駄とばかりに無言で首を振るのを見て諦めた。
「苦難を恐れ、二の脚を踏むのは良かろう。だが、苦難に立ち向かう決断を下せる強き心がなければ、この先超人レスリングを続けていけまい。やる気がない男に無理にトレーニングを積ませたとて何も身には付かぬ」
言っている事は間違っていない。
間違っていないのだが、ミートには納得がいかなかった。
「王子の心をへし折った貴方がそれを言うのですか!?」
「ふんっ。貴様は何を言っている?」
ネメシスにキン肉マンの心をへし折ったつもりは毛頭なく、キン肉マンが来ないのはカメハメの地獄の特訓を恐れてのことだと認識している。
しかし、キン肉マンがカメハメの特訓を地獄と認識するのは特訓を受けた後であり、特訓を受けていない今のキン肉マンが特訓を恐れる理由はない。
転生超人であるが故の勘違いをしているネメシスは、ミートの叫びを一笑に付すと、リングを降りてジムへの帰路に付くのだった……が、その足は直ぐに止まる事となった。
「何をしている?」
リングから程近い林の木の影から様子を伺うキン肉マンを見つけたのである
「お、お前こそなんでここにいるんじゃい!」
実はキン肉マンは昼頃には浜辺のリングへとやって来ていたのだが、打倒すべきネメシスの姿を見つけて尻込みしていたのである。
キン肉マンは悪くない。
多分誰もがこうするだろう。
ミートとカメハメが待ちぼうけを食らった原因は、ネメシスの無神経さにこそあると言えた。
「貴様を待っていたからに決まっていよう。随分と待たされたが…………よく来たな、キン肉マン」
待つ原因を作った男はやはりどこかズレた言葉を返し、キン肉マンの肩を叩いた。
(ま、またじゃい)
この恐ろしく強い男の手に不思議な安心感を抱くキン肉マン。
怖いのは怖い。
だが、この男に敵意や殺意が無いことは試合をしたキン肉マンが誰よりも知っていた。
後に残るダメージがないのだ。
キン肉バスターは別名“五所蹂躙絡み”とも呼ばれ、首や股、背中に多大なダメージを与える必殺技。
それを上回る技を食らいながら、後に残るダメージがないのだから絶妙に手心を加えられたのは明白だった。
何故、手加減されたのか?
何故、不思議な安心感を覚えるのか?
そして、新たな疑問として、何故かネメシスから期待の籠った視線が送られている事に気付いたキン肉マン。
分からない事が多すぎる。
しかし、この男からの期待には応えないといけない――何故だかそんな気がしたキン肉マンは、カメハメの元に弟子入りする決意を固めた。
こうして地獄の特訓が開始されるのだった。
◇
明けて翌朝。
「うぉぉぉっ!」
腰に結んだロープで重りを引き、雄叫びあげて浜辺を走るキン肉マンと、その前を走るネメシスの姿があった。
「あのぅ……カメハメさん。どうしてネメシスさんも走ってるんですか?」
カメハメがキン肉マンに課した走り込みは、あくまでもキン肉マンに対しての課題である。
走り込みで下半身を鍛え、余分な脂肪を取り除き、キン肉マンの名に相応しい鋼の様な筋肉を身に付ける為の土台作りだろう。
しかし、既に完成された肉体を誇るネメシスがこなした所で大した効果は得られない。
明晰な頭脳を持つミートはそう分析し、ネメシスが走る理由が理解出来ないでいた。
「ワシに聞くな。あやつがやりたいと言うなら好きにさせてやるしかないのじゃ。ほれっキン肉マン! もうへばったのか!? 前を見てみよ! そんな調子では追い付けはせぬぞ!」
そうは言いつつネメシスを
こうして午前中はひたすらに走り込み、昼食を挟んで午後からキン肉マンをリングに上げたカメハメは、マンツーマンの指導に入る。
「キン肉マンよ、超人レスリングとは先ずは基礎じゃ。基礎を固めてこそ大技が映える。ほれっ、そこの男を見てみよ。延々と基礎に励んでおるわい」
「ぐ、ぐむぅ~」
キン肉マンとしては早く大技を学びたいのだが、リングの外でネメシスが飽きもせず細かな動きをチェックをしていては文句も言えない。
徹底的に基礎を叩き込まれる。
(ま、まさかこの二人……カメハメさんが指導してネメシスさんが見本を示すことで、王子のサボり癖を封じ込めてるんじゃ……?)
明晰な頭脳を持つミートはそう推測し、ネメシスに対して僅かに感謝の念を抱いたのだが、これは大きな間違いである。
ネメシスの行動は単にカメハメの猛特訓を受けてみたかっただけのミーハー気分が8割、残り2割がかつてスパーリングパートナーを務めたが為に本気の試合ですら味気なく終わってしまった苦い経験からくるもの。
あの時は勝利を目的にしていたが為に善しとしていたが、時を重ね思い返すにつれ“惜しいことをした”との思いが強くなった。
下手にキン肉マンのスパー相手を勤めれば、癖を見抜いてしまい本気の試合がつまらなくなる。
出来るなら本来の歴史通りに成長したキン肉マンと五分の条件で心行くまで闘い、キン肉マンが存分に火事場のクソ力を発揮した上で勝利を収めたい――そんな考えが“口出しも手出しもしない”発言に繋がる。
つまり、ネメシスの行動はほぼ自分本意にすぎず、偶々キン肉マンの役にたっているだけで、ミートの感謝の想いは全くの見当違いなのであった。
とまあこんな感じでキン肉マンの猛特訓の日々は続いた。
◇
キン肉マンの特訓が続くある日のこと。
「王子! 牛丼が出来ました!」
キン肉王族はお金持ちである。
ミートはその財力を使い、日本から空輸した食材を使って牛丼を作り上げた。
それは、特訓に励む
「ほう? 牛丼とな」
だが、ミートの言葉にいち早く反応したのは、何故か居続けるネメシスであった。
転生超人であるネメシスの魂の源流は日本にあり、久しく食していない日本食の名を聞けば捨て置く事が出来なかったのである。
「は、はい。良かったらネメシスさんも食べてみますか?」
普段のネメシスはメイビアのジムでVIP会員が催す“ネメシス様を囲む会”なる場にて食事を摂る。
言うまでもなくネメシスは金を払っていないのだが、ここ場に居られるだけで女性会員は喜び、勇気を出して聞くことさえ出来れば、人間の脆弱さを考慮に入れた的確なトレーニングのアドバイスが貰えるとあって、男性会員からの評判も上々。
意外な活躍を見せるネメシスの一面だ。
要するに、ここで牛丼を食べなくとも食事の場があるのだから断るだろう――ミートは瞬時にこう考え社交辞令として一応聞いたのである。
「良かろう」
しかし、言葉の表面だけを捉え、それを自分の興味で判断するネメシスには通じない。
100%の社交辞令のはずが、ネメシスにも牛丼を振る舞う事になったミート。
口は災いの元である。
因みにミートはネメシスが嫌いではない。
ただ、本能的にキン肉大王と接する時の様な緊張感を覚えるので、何となく苦手なだけだ。
この苦手意識はネメシスの正体を知ることで払拭されることになるのだが、頑なに「俺は最早キン肉族ではない」と思い込むネメシスが過去を語ることはない。
つまり、今暫くミートの苦難は続くのであった。
閑話休題。
丸太を加工したテーブルセットにネメシスとキン肉マンが並んで座る。
あっという間に熱々ご飯に
(あ、あれ? 変だぞ?)
時にブタマンと揶揄されるキン肉マン。
前髪に隠された素顔は完璧なる造形美と噂されるネメシス。
二人の容姿はかけ離れている筈なのに、いただきますと手を合わせ、ご飯粒を飛び散らせながら掻き込む様に食べる二人の姿が、ミートにはどこかダブって見えた。
でも直ぐに気のせいだと頭を振った。
明晰な頭脳を持つミートでも、現時点でネメシスとキン肉マンの関係性を看破するのは不可能だった。
「ふむ……これではダメだな」
キン肉マンと互角のスピードで食べ終えたネメシスは、どんぶり鉢を丸太のテーブルに置くと徐に呟いた。
「えっ……? お口に合いませんでしたか?」
「ミートよ……貴様のこれは牛丼を牛丼足らしめる三大要素を満たしておらんのだ。キン肉マン、貴様なら牛丼の三大要素のなんたるかを理解していよう」
「そんなの決まっとるわい!」
牛丼のことなら任せろ! とばかりに立ち上がったキン肉マンが、どこからともなく聞こえてくる音楽に乗って牛丼音頭を披露する。
大いなる力が働き、その内容を記すことが出来ないのだが、牛丼音頭の中にはネメシスが考える牛丼・三大要素が確かに含まれていた。
「な、なるほど! 私にも分かったわいっ。ネメシスさんや、これにいち早く気づくとは中々やるではないか。お主には牛丼愛好会、名誉会員ナンバー029を授けようではないか! 是非とも貰ってくれ」
ネメシスの牛丼に対する拘りに感銘を受けたキン肉マンは、何処から出したのか紙切れの様な会員券を差し出した。
それを受け取り際に両手でがっちりキン肉マンと握手を交わすネメシス。
二人のキン肉族が長い長い時を越え、友好を結んだ歴史的な瞬間だ。
「ふっ……有り難く貰い受けよう。牛丼愛好会会長直々の頼みでは断る訳にもいくまいからな。
ミートよ、これで分かったであろう?」
「えーっと……」
分かったかと言われても、ミートの眼前で繰り広げられたのはキン肉マンが踊り、何の価値があるのか分からない会員券をネメシスが嬉しそうに受け取っただけだ。
というか、何故この人は王子が牛丼愛好会会長だって知っているのだろう?
そちらの方が気になって仕方がない。
「判らぬか? ならばヒントをやろう。
牛丼の三大要素とは早い、旨い、そして安い。然るに貴様のこれはどうだ?」
「そ、そうかっ! ボクは美味しい牛丼を作ろうとすることばかりを考えて、食材に掛かる費用のことまで考えてなかったんだ。日本産、高級黒毛和牛を使えば高く成って当然……明日からは安いアメリカ産の冷凍牛肉を使って美味しい牛丼を作ってみます!」
「判れば良い…………」
満足そうに頷いたネメシスは、空になったどんぶり鉢をミートに突き出し、当然の様に叫んだ。
「おかわりだっ!」
その言葉を聞いたキン肉マンとミートが盛大にずっこけた。
「何をやっとるんじゃ……」
少し離れて食すカメハメは呆れた様に呟き、「旨ければ何でも良かろう」と思った。
だが、牛丼愛好会なるタッグを組んだネメシスとキン肉マンはめんどくさそうなのでそれを口に出す事はなかった。
流石カメハメ、実に賢明な判断である。
そして……。
その様を少し離れて見ていた男が一人。
食事時になっても姿を見せないネメシスを探しに来たハワイチャンピオン、メイビアである。
「あ、アイツ……本当に立ち上がったのか」
しかも信じられない事にあのネメシスの肩を叩き、楽しげに語らっているではないか。
尚、メイビアには聞こえていないが、語らっている内容は、つゆの量がどうのこうのと至極どうでも良い話である。
面白い――メイビアは素直にそう感じた。
ヤツの狙いはきっと自分が持つベルトだろう。
だが、みすみす奪われてなるものか。
自分には到底出来ない芸当をやってのけたキン肉マンに対抗心が沸き上がる。
化け物や伝説が相手ならともかく、元はドジでマヌケなキン肉マンには負けられない。
「午後からの予定はキャンセルだ! 地下のリングを用意しておけ。スパーリングパートナーもだ!」
久方ぶりに闘志を燃やしたメイビアは、付き従う女秘書に指示を飛ばすと「負けてやるものかっ」と力強く呟いた。
サブタイと煽りが思い付きません