サダハルが転生超人となって一月あまり。
少しの落ち着きを身に付けたものの、その生活の様相はあまり代わり映えしていなかった。
「王子! お待ち下さいっ!
待って! 待ってってば! 早すぎますって!!」
マッスルガム宮殿の中庭を駆け回るサダハル。
それを必死に追い掛けるハラミ。
今では見慣れたいつもの光景。
以前と違うのは、走るサダハルが座学を終わらせているので追う必要がなくなった家庭教師に代わり、目を離してはいけないハラミが追い掛けている事だろうか。
「ハラミが遅いんだって!」
人の身では決して出せない速度で走り、決して跳び越えられない障害物を易々と飛び越え、どこまで走っても疲れない。
(超人ってスゲぇ!)
サダハルは身体を動かす度、感動を覚えずにはいられなかったが、実はコレ、凄いのは超人だからではなくサダハル自身のスペックだったりする。
その事実にサダハルが気付くのは、もう少しだけ先の話となる。
◇
自身のハイスペックに気付かぬままに5年の月日が流れ、サダハルは齢10歳の春を迎えていた。
前世で云うところの小学5年生に相当する年齢だが、162センチ64キロ。全身が筋肉の鎧で包まれているかのようなサダハルを見て、小5と見抜ける地球人は少ないだろう。
ともあれ立派に成長しつつあるサダハルは、そろそろ自分の考えを兄に伝えておこうとハラミを従え、タツノリの執務室へと足を運んだ。
「兄さん、話があるんだ」
ドアを開けるなり要件を切り出すサダハルに、ハラミの顔が青くなる。
キン肉大王の名代であるタツノリの執務室と言えば公式も公式な場所である。
例え肉親であってもアポを取らずフラッと気軽にやって来て良いはずもなく、その証拠にタツノリお付きの役人達からの刺すような視線がハラミに向けられている。
(だって、言っても聞いてくれないんだもん。私にどうしろって言うのよっ!)
サダハルは、人としての気配りや挨拶ならある程度は出来るくせに、王族としての立ち振る舞いは幾ら言ってもやってくれない。
むしろ、分かった上でやらない節さえあるとハラミは常々思っていた。
「どうした、サダハル?」
「超人レスラーになりたいんだ」
「ずいぶんと急な話だな」
執務を行う動きを止めたタツノリは、顔を上げてサダハルへと視線を向けた。
「急なんかじゃないよ。ずっと前から考えていんだ……王族としての仕事なんかやりたくないし、かと言って何もしない穀潰しに成りたいわけでもない。自分に何が出来るか? そう考えた時に超人レスラーに成りたいって思ったんだ」
「そうか……」
サダハルの真剣な訴えを受けたタツノリは、ペンを置くとテーブルの上で肘を突き手を組合わせて考える。
子供が言う“ずっと前から”がどれくらい前かは定かでないが、少なくとも昨日今日の話ではないだろうと。
すると、この子はもっと幼い頃から兄である自分を気遣い、王族として振る舞うわけにいかないと、別の道を模索していたことになる。
(サダハル……お前は本当に良く出来た弟だ)
ほぼ正確にサダハルの真意を読み取ったタツノリは、何処かの三男が聞けば怒り狂うであろう想いを抱いた。
そして、ゲンコツを落として叱りつけていた昔を懐かしく思う。
思い返せばあの日を境にサダハルの我が儘はなりを潜め、その代わりとばかりにわんぱく具合が度を増した。
今も部屋の隅に控えるハラミの心労具合を考えれば、頭が下がる想いだが、それもこれもサダハルなりに身体を鍛えていたということだろう。
「いいだろう。明日から衛士の者達の鍛錬に加わってみると良い」
「えー? 今日からじゃないの?」
「今日の今日では衛士の者達が戸惑うであろう。先ずは通達を出し、お前を受け入れる体制と心構えを整えてからだ」
「分かってるよ。王族は面倒くさいっ、てさ。じゃあ明日からだね」
用は済んだとばかりにサダハルは、背を向ける。
「サダハル! 超人レスリングとは厳しい世界だぞ」
去り行くサダハルを呼び止めたタツノリは、無用の心配とは思いつつも覚悟を確かめた。
「知ってるよ。いっぱい負けるかもしれない。でもキン肉族として恥じない超人レスラーになれるように頑張ってみるよ」
振り返り気味に俯いたサダハルは自信なさげな言葉とは裏腹に、その瞳には強い決意の光を灯していたのだった。
◇
明けて翌日。
サダハルは衛士の中でもエリートが集う室内鍛錬場へとやって来ていた。
「王子、ようこそお越しくださいました。我々一堂歓迎致しますぞ」
居並ぶ衛士の中でも、一際立派な体躯の持ち主、隊長が一歩歩み出て社交辞令的な口上を述べる。
それに合わせる様に衛士達が一斉に足を揃えて姿勢を正す。
「あぁ、今日から宜しく頼むよ」
一糸乱れぬ歓待を軽やかにスルーして自然体のままで挨拶を返すサダハル。
ただの子供なら自分は偉いと思い上がってもおかしくないが、転生超人であるサダハルには通用しないのである。
強いて感想を述べるなら、宮仕えは大変だね、だろうが敢えて口にすることでもなかった。
「で、では、こちらにどうぞ。先ずは基本となるパンチから身に付けていきましょうぞ」
「ん…………そうだね」
サダハルとしては超人レスラーならではの必殺技を早く試してみたいところであったが、前世を含めて格闘技を学んだ経験がない。
基本を身に付けるとの言い分は納得がいくものであった為、隊長の勧めに従い、吊されたサンドバッグの前へと移動する。
「まずは思いのままにパンチを放ってみてくだされ。少しアドバイスをするならば、この様に脇を締め……腕だけでなく腰の回転を使って…………打ち抜くっ!!」
実演を交えて隊長がサンドバッグを打ち抜いた。
派手な音を立てたサンドバッグがギシギシと音を鳴らして振り子のように揺れている。
「なるほど……こう、かな?」
見よう見まねでサダハルはパンチを放つ。
ぱふっとした情けない音を立てただけで、サンドバッグは揺らがない。
「ハッハッハ。王子、こうですぞ」
「分かってるから。ちょっと黙っててくれない?」
もっとシャープに。
もっと全身を使って。
全体重をぶつけるイメージで。
サダハルは試行錯誤をしながらパンチを一発、二発と放っていく。
一発毎に響く音が大きくなり、サンドバッグの揺れが大きくなっていく。
そして、10発目。
サダハルのパンチを受けたサンドバッグは揺らぐ事無く、静かに砂を流れ落としていた。
「随分と脆いサンドバッグだね」
サンドバッグから腕を引き抜いたサダハルは、手をハタキながら呆れた様に穴の空いたサンドバッグに視線を送る。
「は? ハッハッハ………そ、そうですな。老朽化が進んでいたのでしょうな」
隊長の口から乾いた笑いが漏れる。
確かこの一角は兄馬鹿を発揮させたタツノリの指示の元、徹夜で新設した区画のハズだった。
「兄さんに頼んで新しくしてもらおう。こんなんじゃ君達だって鍛錬に身が入らないでしょ」
「お、お願い致します。で、では、次はキックですな」
きっと不良品が混じっていたのだろう、そうに違いない、と考える事を放棄した隊長は、気を持ち直して下段、中段、上段へとキックを巧みに蹴り分け放ってみせた。
「なるほど……こう、かな?」
それを見たサダハルもキックを放っていく。
今回は口を挟まないで隊長は黙って見ていた。
パンチの時と同じように、サダハルのキックは一発毎に鋭さを増していくのは誰の目にも明らかだった。
(て、天才だ……ま、間違いない。この御方はまれに見ぬ天賦の才を持っておられる)
衝撃を受ける隊長。
いつしか他の衛士達も鍛錬の手を止め、サダハルの動きに目を奪われていた。
そして、多くの衛士達が見つめる中、サダハルの蹴りでサンドバッグが上方へと持ち上がる。その勢いでサンドバッグはチェーンを引き千切り、床へと落ちた。
「コレもダメみたいだね。こんなんじゃ危なくって君達も安心して鍛錬に励めない……そう、兄さんに伝えておくよ」
「さ、左様ですな。お心遣い、痛み入ります」
「サンドバッグはダメみたいだけど、次はどうしよう? スパーリングでもやる?」
サダハルの言葉を聞いた周りの衛士達はサッと目を逸らす。
スパーリングなんかやったら死ぬ。
頑張れ、隊長! と、衛士達の心が一つになった瞬間だった。
「い、いえ。それは早う御座います。シャドーレスリングというのはご存知ですかな?」
「シャドーボクシングなら知ってる」
「それはよう御座いました。それのレスリング版と考えて頂ければ宜しいかと。王子はまだまだ子供ですからな。今は無理をせずシャドーを相手にしっかり基礎を固めるのが肝要かと。あ、そうそう。忘れる所でしたが、受け身というのも御座いまして、この様に…………こうやって衝撃を逃がすのです。これならばお一人でも励めますぞ」
タツノリ直々に宜しく指導してやってくれ、と言われていた隊長だが、彼とて命は惜しい。
武を生業に生きるハズの隊長の舌は、文を生業に生きる者達以上に良く回り、身体も回転させて受け身を教え、サダハルの反応を伺った。
これでサダハルが納得したならば、一応は指導の役目も果たした事になるとの算段だ。
「ふーん…………ま、それもそうか。基礎は大事だ。でも、いつまでやれば良いと思う?」
「そ、そうですな……2年。2年の間はシャドーレスリングに励んで基礎を身に付けてくだされ」
隊長は2年を表すピースサインをサダハルに向けて超人の神に祈った。
問題の先送りだとは分かっていても、サダハル相手にスパーリングをやるよりはマシに違いない。
「うん。まぁ、そんなもんかな? じゃあ手間を取らせて悪かったね。後は自分で頑張ってみるよ」
サンドバッグが相手とはいえ、実際にパンチやキックを放ってみたサダハルは手応えを掴んでいた。
超人としての本能か、動けば動く程どうすれば良くなるか自然と理解が出来たのである。
これ以上は税金で雇われる衛士の手を患わせる事も無いだろうと、隊長の言い分を受け入れたのだった。
「ハッ!」
敬礼して離れた隊長は胸を撫で下ろした。
残されたサダハルはスパーリングが出来ない事を少し残念に思いながらも、黙々とシャドーレスリングを続けた。
今のサダハルにとって何より大事なのは、自分が超人レスラーを目指していると周知させることにあったからだ。
◇
「王子、お疲れ様でーす」
「あぁ、ありがとう」
たっぷりの汗を流したサダハルは、少しの休憩を挟もうとベンチに向かい、ハラミからタオルを受け取ると腰を下ろした。
「王子ってあーゆーのはやらないんですか?」
退屈そうに足をブラブラさせてベンチに座るハラミが指差す先では、衛士達が腕立て伏せや腹筋、スクワットを行っている。
「ん? 筋トレか。あれはまだ必要ないかな。よく考えたら僕って10歳だし、付きすぎた筋肉は成長に良くないって聞くし」
「よく考えなくても王子は10歳です。王子ってたまに可笑しなこと言いますよね。それに、手遅れじゃないですか? もう凄い筋肉してますよ」
サダハルに並んで座るハラミはそう言って、盛り上がる肩の辺りの筋肉を指先でつついている。
「コレは勝手に付いた自然な筋肉だから別に良いんじゃない?」
「え? 筋肉って勝手に付くものでしたっけ?」
アゴに指先を当てたハラミが、少しあざとい位に小首を傾げている。
「さぁ? でも、キン肉族なんだからコレで普通だよ…………多分」
「私は違うような気がしますけどね。あっ!! そう言えば! 私のこれ、どうしてくれるんですか!? 絶っ対、王子のせいですよ!」
急に何かを思い出したかの様に立ち上がったハラミは、服をたくし上げると綺麗に割れた腹筋をサダハルへと披露する。
毎日毎日サダハルを追って走り続けた結果、ハラミは見事なボディを手に入れていたのである。
「へー、凄いじゃん」
「凄くないですっ。こんな筋肉してたらお嫁に行けませんっ。私はきっと王子のお世話で振り回され、一人淋しく死んでいくんですっ」
ハラミは両手の甲を目に当て泣き真似をしながら、チラチラとサダハルを見ていた。
「そう思うなら辞めれば良いよ。別に宮仕えを辞めたからって死ぬ訳でもないからね。人は好きな事、やりたい事をやって思いのままに生きられたらそれが1番だ」
これは、サダハルの本心だった。
そして今の自分は、可能な範囲で自分のやりたい事をやるためだけに生きていられている。
それもこれも、兄であるタツノリが身を粉にして王族としての責務を果たしてくれているからだ。
やっぱり兄には頭が上がらない……サダハルは、ひょんな事から兄への尊敬の念を再確認する。
「それが出来れば苦労はしませんっ。って、そうじゃなくって私が言いたいのは、責任取って欲しいっていうか、いつかお嫁さんになりたいなぁ…………って、何処行くんですか、王子!?」
「ん? 走ってくる。走り込みは基本中の基本」
一人身をくねらせ始めたハラミを放置したサダハルは、渡されたタオルを首に巻いてベンチを離れていた。
転生超人であり難聴ではないサダハルには、ハラミが何を言おうとしているのか十分に理解出来ていたが、今はそれに応える気はなかった。
問題の先伸ばしである。
「ま、待って下さい。
待てって言ってるでしょ!?
王子に万一のことが有ったら私が怒られるんだからぁ!」
叫びを上げたハラミはスカートを捲り上げて硬く結ぶと、サダハルを追って掛け始める。
言うまでなくハラミはスパッツを着用しているので見られても問題なく、それを知らない衛士達がガッカリしたのは余談となる。
そして、あっという間に2年の月日は流れ、いよいよサダハルはスパーリングの時を迎えるのだった。
初のスパーリングでサダハルが繰り出す大技とは!?