キン肉大神殿地下深く。
静かに幽閉生活を続けるサダハルの元にも時には来訪者が訪れる。と、言ってもその大半はタツノリだ。
忙しい執務の合間を縫って訪れるタツノリは、婚姻を結んだ、子供が生まれた、父親が死んだ、大王に即位した……等々、身の回りの出来事を少し話したかと思えば、不甲斐ない兄を許せと涙にくれる。
兄の足枷に成るまいと始めた超人レスリングが原因で、兄タツノリの心に深い傷を負わせてしまったサダハルは、自らの迂闊さを恥じいるばかりだった。
それと同時に一般庶民的感覚を併せ持つサダハルは、タツノリが話す一連の儀式に自分が全く呼ばれない王族の異様さを恐れた。
幽閉の憂き目に合っているとは言え、実の父の葬儀にさえ呼ばれないとか、庶民的感覚で言えば有り得ない。
自分に王族は無理だ。
この幽閉生活から抜け出る日が来るならば、それはキン肉王族を捨てる日になるだろう、と密かにサダハルは決意する。
しかし、キン肉王族を捨てたとして、どうしていけば良いのか定まらない。
幽閉される前は“自分は凡夫である”との誤った認識があったからこそ、何度スパーリングで勝利を重ねようとも驕ることなく、漫画・キン肉マンで描かれていた強豪超人達を思い描いてシャドートレーニングに励む事が出来ていた。
しかし、自分は既に強者に成っていると否応なしに気付かされた今、虚しい達成感に包まれている。
時代が悪い。
あの日、メンチが語っていた事は真理だった。
王族から抹消され、王族を捨てると決意した今、キン肉星に自らの居場所はなく、前世で過ごした地球は未だ未開の辺境惑星。
自分はここから抜け出たとして、どこに向かい、何をすれば良いのか?
目標を見失っていたサダハルは、外の世界への渇望もなく、兄への贖罪を胸にただ静かに幽閉生活を過ごしていた。
とはいえ、そこはサダハル。
ただ無為に過ごしている訳では無い。
自身の置かれた今の状況は正に窮地であると考え、窮地の時にこそ発揮出来る“あの力”をコントロール出来ないものかと禅を組むのである。
◇
「む……?」
いつもの様に禅を組んで静かに過ごすサダハルの耳に聞こえてくる二つの足音。
聞き慣れない足音に、招かれざる来訪者がやって来たかと立ち上がったサダハルは、意識を戦闘モードに切り替える。
タツノリ以外の来訪者ならば、それはほぼ暗殺者であると経験則から学んでいた。
そして、暗殺者ならば例外なくスパーリングパートナーを勤めた上でお帰り願う。お陰で幽閉されているのに実戦練習に事欠かない。
暗闇の奥に目をこらし、来訪者が姿を現すのをしばし待つ。
「バ、馬鹿なっ!? お、お前はっ……キン肉真弓かっ!?」
現れた二人の小さな来訪者を見たサダハルは、彼にしては珍しく驚きの表情を浮かべて取り乱す。
「そ、そうだけど、おじさん誰?」
「マユミちゃん、帰ろうよ。やばいって」
二人の来訪者、幼きキン肉真弓とハラボテ・マッスルは、迷子と探究心の果てに囚人がいるとは知らずにサダハルの元に辿り着いていた。
立ち入り禁止区域の地下牢。
そこで、頬は痩けてるのに筋肉ムキムキの囚人服の男に出くわせば及び腰にもなるが、僅かに好奇心が勝った二人はこの場に踏み止まる。
「すまんが少し黙っててくれ」
(何故キン肉真弓がここに居る!? タツノリからは子供が出来たと聞かされていたが、それが真弓なのか!? だとしたら、キン肉タツノリはキン肉スグルのご先祖様ではなく祖父ではないか! 何処の世界に祖父をご先祖様と表現する奴がいると言うのだ!)
心の中で誰ともしれずに罵倒するサダハル。
転生超人であるサダハルは、漫画・キン肉マンを知っているが一字一句を完全に覚えているわけではない。
あくまでも漫画・キン肉マンを読んだイメージが前世の記憶の中にあるだけで、そのイメージが間違っている事は十分に有り得る話だ。
もし手元にキン肉マンのコミックスが有るなら直ぐにもページをめくり、真弓が“ワシのパパのタツノリ”と発言していると確認出来るのだが、それは今のサダハルには無理な芸当だ。
しかしこれは、サダハルにとって嬉しい誤算となる。
(この真弓が後のキン肉大王ならば、あの時代はもう直ぐそこまで来ているということではないか。後30……いや、40年か)
正義と悪が激しく争い合う時代。
あの時代ならば自分と闘えるだけの強者にも巡り会えるに違いない。
諦めかけていた超人レスラーとしての、血湧き肉躍る闘いが直ぐそこにある。
そう考えただけで、自らの身体が武者震いに震えるのが分かった。
(これは……オレ自身がキン肉スグルやアシュラマン、ネプチューンマンといった強者達と闘ってみたいと願っているのか?)
ここに転生超人キン肉サダハルは、十数年の時を経てようやく自分自身がやりたい事を見つけたのである。
「だが……オレは保つのか?」
40年として考えても、自分はその時には還暦を超えている。
漫画・キン肉マンの中ではプリンス・カメハメがベテラン超人として活躍する一幕が見られるも、年齢からくるスタミナ不足から往年の実力を発揮出来ていないのは明らかだった。
来たるべき正義と悪の戦いの前に立ちはだかる、加齢との闘い。
「何か、何か有るハズだ……」
目的を得たサダハルは、何か手は無いものかと、二人の来訪者を放置して思考の海に没頭する。
「マユミちゃん、もう行こう」
それを見ていたハラボテは、真弓の手を引きこの場から逃げ出そうと考えた。
横縞の囚人服を着たキン肉ムキムキのおじさんが、驚き、固まり、震え、ついにはブツブツと独り言を呟き始めたのだ。
これではハラボテでなくとも帰りたくなって当然だろう。
「待ってよ、ボテちん。この人多分、サダハルおじさんだよ。絶対そうだよね!?」
「何故オレの名を知っている!?」
自らの名が出た事で驚き、思考の海から這い出たサダハルに幼き真弓が得意気に語る。
父であるタツノリから叔父サダハルは強く、優しい、いい人であると聞かされている、と。
それを聞いたサダハルは、内心の喜びを隠して静かに首を振った。
「それは違う。オレは弱い。オレとお前の父であるタツノリが弱いからこそ、オレはここに居る。オレ達はこの星に巣くうゴミ共! 元老院に負けたのだっ」
「えっ……だって……」
自分の父親は大王で、この星で1番偉い人。
それなのに、この叔父は父親が弱いと言う。
幼い真弓にはサダハルが何を言っているのか理解が出来ないでいた。
「キン肉真弓よ……強くなれ。キン肉王族たる者は強くならねばならんっ」
「でも、僕はあんまりレスリングは得意じゃないし」
「超人レスリングだけが強さの全てではない。いや、宮廷闘争においてはレスリングだけではダメなのだ。政治力、権力、財力、派閥の力学、そして時には非情とも言える決断力! それら全てが合わさってこそ、王者の力と言えるのだ!!」
いつだったか、兄が自分にそうしてくれたように、腰を落として真弓と目線を合わせたサダハル。
王族を捨てようとしている身で、王族の心得を話す自分を滑稽に思いながらも、これは叔父として伝える甥への教訓でもあると力強く話す。
もしも、キン肉王族が真に強かったなら元老院如き外野が何を企もうとも、自分が幽閉の憂き目に合うことなど無かったのである。
「全てが合わさって……王者の力?」
「そうだ。だが、それだけではまだ足りん」
「えっ? まだあるの!?」
「なに、最後の一つは簡単だ。キン肉王族たる者、正しくなくては成らない……父であるタツノリを見ているキミになら分かるだろ?」
「う、うん! うん! キン肉王族は強く、正しくなくてはならない!!」
サダハルの言葉は幼い真弓には難しかったが、要するに叔父は“父の様な男になれ”と言ってくれていると解釈出来た事で、目を輝かせ何度も元気に頷いた。
「あ、あの……僕には?」
それを見ていたハラボテも遠慮がちにサダハルに教えを請う。
幼なじみがたった今、急激に成長したとハラボテには分かった。このまま帰ったら自分は真弓に置いて行かれてしまうとの危機感を持ったのだ。
「そうだな……ボテちん。キミは公正であれ。いずれ大王になる真弓も時には間違うこともあるだろう。そんな時にはキミが公正な目で苦言を呈してやるんだ」
漫画・キン肉マンを参考にするなら、この少年が成長した姿であろう委員長は、時に公正さを欠いていた。
だからこその教えだが、幼いハラボテの心には確かに響いた。
「うんっ、うん!!」
真弓と同じように元気よく頷く。
「さぁ、もう行くんだ」
こうして二人の招かれざる来訪者を見送ったサダハルは、新たに得た課題に対する解決策がないものかと、禅を組んで静かに考えるのだった。
◇
「む……?」
珍客が去り変わらぬ日々を送っていたサダハルの耳に届いた聞き慣れた足音。
その足取りは重く、よくない事が起きたと察するに至る。
「お前の処刑が決まった……10日後だ」
沈痛な面持ちでやって来たタツノリは、しばらく牢の前で佇むと重い口を開いた。
それを聴いたサダハルは、喜怒哀楽を表現できるキン肉族のマスクは凄いな、と場違いな事を考えていた。
タツノリがわざわざ足を運び処刑の予定を伝えに来たのは、暗に逃げろと言っていると直ぐに察する事が出来たからだ。
地下牢に入れられ幽閉されていたサダハルだが、それは物理的に捕らえられていたからではなく、兄への想いが見えない鎖となって縛り付けていたからである。
その兄が逃げろと伝えに来たならば、サダハルには地下牢に留まる理由も、大人しく処刑されてやる理由もなかった。
「そう、か…………元老院はそれ程までに手強い相手か」
サダハルが大人しく幽閉されていた理由の一つに、タツノリならばいずれは自分を真っ当な方法で救い出してくれるとの想いがあった。
それが果たせないのはタツノリが不甲斐ないのではなく、よほど元老院が厄介な相手だとサダハルは考える。
「すまない……敵が誰だか判らぬ今、大王になったばかりの私ではどうすることも出来ん」
多くの政敵は、自らを政敵と吹聴しない。
味方のフリをして実は敵。
味方のフリをして実際にタツノリに利益をもたらす献策をしながら、やっぱり敵。
マッスルガム宮殿には、そんな海千山千の手練がゴロゴロいる。
「良いさ。オレなら相手にもしたくない連中を向こうに回し、闘う兄さんの苦労は判るつもりだ。それで? 話はそれだけか?」
「これは極秘の話だが、5度目となる発展期を迎えた地球に、無人の探査機を送る事になっている。詳細はこの端末に記されているのだが、うっかり落としてしまっては大変だな」
そう言いながら端末を取り出したタツノリは、地下牢の前に慎重に置いた。
「全くだ」
短く呟いたサダハルはニヤリと笑う。
ここまでされては言葉を交わさなくとも、探査機を奪って逃げろと言われていると誰にでも判る話だった。
「今日でお前と顔を合わせるのも最後となろう。これは、兄の最後の言葉として聞いてくれ。力も技も、心さえも備えたお前に一つだけ欠けているものがある……それは、好敵手だ。超人レスリングとは一人で行えるモノではないのだ。二人の超人が揃う事で初めて人々の心に響く闘いとなる」
「ライバルか……確かにそうだが、それはオレのせいではないだろ?」
サダハルにしては珍しく、少しおちゃらけた風にお手上げのポーズを取るのは余裕ゆえの事だった。
兄には言えないが、その問題を解決する青写真がサダハルの中で既に描かれていたからである。
「居ないなら導き育てる……お前にならばそれが出来るであろう」
「冗談は止してくれ。オレは人を育てられる様な出来た超人ではない。ま、話は聞いておく」
自分が見出した答えとは違う解決策を提示するタツノリに、軽く答えたサダハルであったが、この言葉はしっかりと心に残る事になる。
「そうか……では、さらばだ」
名残は惜しいが何時までも話しているワケにもいかないタツノリは、後ろ髪を引かれる思いで背を向けた。
「待て、兄さん…………コレを受け取ってくれ」
「バ、馬鹿なっ……サダハルっ……それはっ」
呼び止められ振り返ったタツノリが目にしたのは、顔を発光させるサダハルの姿だった。
そして、突き出された手にはキン肉族の命とも言えるマスクが握られていた。
「万が一の話だが、オレがここから居なくなれば兄さんの責任問題になる。だが、これが有ればオレが死んだ証となる」
「お前はっ、キン肉族であることを、キン肉王族であることを捨てるというのか!?」
捨てるも何も、既にサダハルの存在はあらゆる記録から抹消されているのだが、それとこれとは話が違う。
優れた人格者であるタツノリの欠点を上げるなら、それは王族であることだろう。庶民の気持ちを知ろうと務めるタツノリと、庶民の気持ちを知っているサダハルとの決定的違いがここにある。
王族に産まれ、王族として育ち、王族としての責務を背負って逃げないタツノリには、サダハルのこの行動は理解の及ぶ範疇になかったのである。
「キン肉王族の事は兄さんに任せる。名も無き一人の超人となったオレは、他の誰でも無い、オレ自身の為に偉大な超人レスラーになってみせる」
「……よく似ているな」
自分の為にその身を犠牲にさせてきた弟が初めて話した偽らざる願いと、初めて目にする弟の素顔。
それは、鏡に映る自分の素顔によく似ていた。
「それはそうだろ?
オレ達はたった二人の兄弟なんだ。
貴方の弟に産まれた事を、オレは誇りに想う」
実の弟さえも救えない大王。
そんなものに誰が成りたいと思うのか?
サダハルは自分が投げ出した王族としての責務を背負い続けるタツノリを、心の底から尊敬していた。
それが言動になって現れた瞬間だった。
「サダハルっ……」
自分が泣く度にこの弟は心を傷めている。
それをひしひしと感じていたタツノリは、今日は泣くまいと決めてここに来ていた。
しかし、それも限界だった。
深々と一礼したサダハルを見たタツノリは、冷たい地下牢の柵を握って崩れ落ち、止めどなく涙を流し続けるのだった。
それからタツノリが泣き止むのを待ち、ただの一度も面会にこなかったハラミの近況を聞きだしたサダハルは、兄との今生の別れを済ませた。
その翌日。
簡単に地下牢を抜け出たサダハルと名乗っていた転生超人は、兄が落としていった端末を頼りに探査機を探し出すと、魂の故郷とも言える地球に向けて旅立つのだった。
物語の舞台は地球へ!!