「ふふ……無事に戻ってきてくれて嬉しいわ、アカネ」
「あっそ」
座したまま、閉じた両眼でこちらを見上げるラプンツェルに、アカネの反応はいかにも素っ気ない。
そんな彼女にラプンツェルは、あらあらとさほど困ってもいないように右手を頬にあてる。
「あの二人のことで怒っちゃったかしら?
ごめんなさいね。 少し心配性なだけで、悪いコたちじゃないのよ」
「そんなのはどうでもいいわよ。 ……とっとと仕事を終わらせましょ」
アカネはそう言って、オオカミに目配せでこちらに来るよう促す。
オオカミはしかし逡巡して、アカネとラプンツェルを交互に見る。
と、眼の見えないはずのラプンツェルが彼の視線に気づいたかのように微笑みかける。
「こちらに来てもらえるかしら?」
その呼びかけに、それでもオオカミは動かない。
むしろ微かに腰を落として彼女を見据えている。
それは見ようによってはラプンツェルという人物に怯えているかのようだった。
………或いは、本当に。
「おめでとう」
ふと、オオカミに向けてラプンツェルがそう言った。
唐突な祝福の言葉に一同がそろって怪訝な表情を浮かべる。
しかしそんなことなど文字通り見えていないかのように、彼女はオオカミへとまっすぐに言い放つ。
「―――これで、貴方は恐れを……【恐怖】の一端を学べたのね」
その言葉に、オオカミは今度こそ本当に怯え畏れて飛びずさる。
同時に、傍らにいたミヤザの手から剣を奪い―――
「おっと」
「うっ!?」
―――叶わず、手を空振らせて体勢を崩す。
床に足裏を滑らせながら、ギリギリ転ばない程度でその身を静止する。
ミヤザを見るオオカミの表情は予想外の驚きに染まっていた。
対するミヤザは先ほどと同じように困ったような苦笑を浮かべている。
平然としている辺り、どうやらただの冴えない中年男性ではないようだ。
そんな二人に向けてか、ラプンツェルが可笑し気にクスクスと笑った。
それに合わせて瞼の鈴もシャラシャラと鳴っている。
「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったのだけれど」
しかし、そんなあどけない様子にもオオカミは警戒しか抱けない。
いよいよこめかみに冷や汗を一筋流すほど、彼の内心の緊張は高まっていた。
と、その時だ。
「オイ」
「きゃ」
アカネが、おもむろにラプンツェルの額をピンと指ではじく。
勢い強めだったのか、ラプンツェルは存外に可愛らしい悲鳴と共に首を小さく仰け反らせる。
それに対するアカネの眼差しはひどく据わってやさぐれている。
「いらんことでいらん時間を延々と使わないでくれるかしら。
こっちはとっとと終わらせてゆっくり休みたいのよ」
「……フフフ、ごめんなさい。
そちらの貴方も、本当に何もしないから来てくれるかしら」
気まずげに笑って、ラプンツェルは改めてこちらを手招きする。
アカネの行動からか、それともラプンツェル自身が意識しているのか、先ほどのような緊張感は霧散している。
オオカミは僅かに逡巡して、ゆっくりと彼女のもとへ歩み寄っていく。
「………なんか、野良犬を手懐けてるみたいだな」
「尻尾が生えてたら丸めてそうだな、アレ」
「ふ、二人とも失礼ですよ」
そんな会話が聞こえるが、オオカミ本人は頓着せずにラプンツェルの傍までたどり着く。
と、ラプンツェルがツイとオオカミの頬にその両手を当てる。
その手はなにかを確かめるように、彼の輪郭をなぞっている。
頬を撫でると同時に、親指の腹が鼻筋や瞼にも触れる。
「むぅ」
オオカミはそのことに擽ったさと煩わしさをない交ぜにした表情を浮かべるが、それでもとりあえずは大人しくしていた。
「……これ、あれだよな。 ワンコがいやいやだけどとりあえず大人しく撫でさせてやるてきな」
「ああ、そういうのって調子乗るといきなりキレて吠えかかってくるんだよな」
「あの、ここで変に会長に危害が加えられますと、外のお二人がお怒りになって色々大変なことになってしまうのですが……」
そんな会話が後ろで静かに繰り広げられたが、オオカミは不満げではあるものの大人しい。
やがてどちらが慣れたのか、オオカミの体から少しずつ力が抜けていく。
彼の体から緊張が抜けきるのと、ラプンツェルの手が引かれるのはほぼ同時だった。
「―――ありがとう。 もういいいわ」
終わってみれば、外野の心配は杞憂ですんだ。
ミヤザはそのことに胸を撫でおろす。
その一方で、アカネは不機嫌な表情のまま、今度はコムギのの持つ包みへと視線を向ける。
「一応、そっちの剣も同じところから出てきたものだけど」
「そうね……一応、見せてくれるかしら」
「は、はい」
言われ、コムギがやや慌てつつラプンツェルへと寄っていく。
重さは大したことはないとはいえ、それなりに大きさはあるので抱えたまま身を沈めるのにやや四苦八苦する。
どうにか角度を調整しつつしゃがみこみ、包みの一部を解くように開けて刀身の一部を露出させる。
「切れ味は良くないですけど、気を付けてください」
「ええ、気遣ってくれてありがとう」
言って、黒く硬質な表面に指先を滑らせる。
と、一撫でしてすぐに手を引っ込めてしまった。
「なるほどね……面白いものを見つけたわね」
「それだけでナニかわかるの?」
「さぁ、どうかしら」
嘯くように楽し気に笑う妖しげな姫君に、アカネが隠すつもりもなく思い切り舌打ちを響かせる。
傍らのコムギがオロオロと慌てるが、ラプンツェルに気にした様子はない。
最早そのことで改めて苛立つのも馬鹿らしくなったアカネは、早々に話を切り上げんと本題に移る。
「ともかく。 依頼はこれで達成ってことでいいわね」
「ええ、よくってよ。 ―――ミヤザ」
「はい」
と、前に出たミヤザが剣を脇に挟んでから二人に差し出したのは、懐から取り出した一枚の紙だ。
それは依頼の達成を確認する書類で、上三分の一に依頼の内容、真ん中に報酬について書かれており、そして下段に依頼主と依頼を請け負った者の双方が名前を書くスペースがある。
書類は樹脂でできたボードに固定されており、ボードにはペンと赤いインクの染みた朱肉収められたケースが備え付けられていた。
まずラプンツェルがそれを受け取り、瞼が塞がっているのか疑わしいほど自然で澱みのない手つきでサインをする。
そしてケースの蓋を開けて右の親指を朱肉に押し付け、自身のサインの隣に拇印を刻む。
次にアカネが書類を受け取ると、ガリガリと荒々しくペンを走らせ、インクを付けた親指をドンと叩きつける。
最後にミヤザに返された書類には、美しく刻まれた上司の名と、ややワイルドに踊っている顔なじみの名前、そして双方の右親指の指紋がしっかりと記されている。
「はい、依頼の達成を確認しました。
―――改めて、お疲れ様です。 報酬は後ほどしっかりと振り込ませていただきます」
「ええ、お願い。 ……はあ~、これでようやく肩の荷が降ろせたってことね」
「ふふ、ほんとうにお疲れ様」
アカネは深い溜息と共に肩をぐりぐりと回して首を鳴らす。
ラプンツェルはそんな彼女を微笑んで労うが、当のアカネは見向きもしない。
先ほどから一貫して礼儀を知らない振る舞いをしているアカネだが、立場で言うなら上であろうラプンツェルはその無礼を一顧だにしない。
その辺りに、仕事上の関係以外の何かがあることを伺わせる。
もっとも、それが良好なものか険悪なものかは傍目では判断がつかないが。
「さてと」と呟き、ラプンツェルが両の掌をポンと打ち鳴らす。
「早速だけど、次のお仕事の依頼をさせてほしいのだけれど」
「………………………は?」
ちょうど踵を返そうとしていたアカネが動きを止め、信じられないといった様子でラプンツェルを見る。
ニコニコと微笑むラプンツェルに驚愕の目を剥けるのは、コムギやエル、ソニアの三人も同じだった。
「ちょっとまって……ねぇ、お姫様?
アタシたちたったいま仕事を終えたばかりなの」
「ええ、相手をしてたから知ってるわ。 依頼人だし」
「そうよね。 それとアタシたちはここで引き籠ってるアンタと違って思いっきり跳んだり跳ねたり駆けまわったりしてたの」
「ええ、報告を聞いてたから知ってるわ」
「そうよね。 ………つまり、アタシたち思いっきり疲れてるの。 ぶっちゃけ無理したら冗談抜きで倒れそうなくらい」
「ええ―――触れてなくても、空気から伝わる感じでなんとなく解かるわ」
しれっと言い放つラプンツェルに、アカネは必至で自身に冷静になるよう呼び掛ける。
別段、目の前の女を殴り飛ばすのを躊躇しているわけではない。
そうした場合、外にいる二人が怒り心頭に殴りこんでくるだろうことを気にしているわけではない。
ここで理性のタガを外して盛大にブチ切れた場合、それだけで憤死してしまいかねないと思ったからだ。
そんな彼女の様子を見越してか、瞼の鈴を歌わせながらラプンツェルがコテンと小首を傾げる。
「ふふふ……心配しなくても、そういう今すぐ動いてとかそういう類の依頼ではないわ。
ただ、期間としては長期になるでしょうけれど」
「…………もういいわ。 ほら、さっさと言いなさいよ」
アカネは諦めと開き直りを半々にした態度で溜息をつく。
それに対し、ラプンツェルは僅かに佇まいを直して表情を引き締める。
「アカネ。 これから先の仕事に、そこのオオカミさんを同行させてほしいの」
「――――はあ?」
言ってることの意味を図りかねて、思わずアカネが間の抜けた表情になる。
言葉の意味が解らないのではない。
その意図が把握できないのだ。
なぜなら、彼女が言っていることはつまり。
「それって……コイツを仲間にしろってこと? アタシたちの!?」
「そう取ってくれて構わないわ。
そしてその為の費用を、定期的にあなた達に提供するわ。
もちろん、依頼も含めて多めにね」
と、ここで彼女たちへと踏み出す者が居た。
エルだ。
彼女はアカネの隣に立つと、彼女を手で制止しつつさらに一歩前に出る。
「お話に割り込ませていただきますが、それはつまりオオカミを私たちの所へ派遣するという形になるのでしょうか?」
「派遣、とは少し違うかしらね。 彼、協会の職員というわけではないし」
「……なら傭兵として彼を雇い、それを私たちの所に回すということで?」
「そうねぇ、それが一番近いかしら」
なるほど、とエルは頷く。
と、そこへ再びミヤザが近づく。
彼が再び懐に手を伸ばし、取り出したのは先ほどとは違う書類の挟まれたボードだ。
それに対し、ラプンツェル以外の面々は「いったい服の内側はどうなっているんだろうか?」と素朴な疑問を抱えたが、あまり関係のないことだ。
「彼の派遣に対する依頼の契約書がこちらです。
諸々の条件なども記載されているのでお読み下さい」
「………成程、最初から予定通りだったっていうわけね」
アカネが睨むが、ミヤザもラプンツェルも笑って返すばかりだ。
アカネはあきらめてエルが受け取った書類を彼女の肩越しに目を通していく。
一通りしっかり読み終えて、まずはエルが開口一番、
「―――私としては反対する理由はないな」
賛成を表明する。
それに対し、アカネは露骨に嫌そうな表情を浮かべ、二人の後ろでコムギは驚きつつ不安げに眉根を寄せていた。
エルは横のアカネに対し、肩をすくめて見せる。
「考えてもみろ。 諸々の諸経費が追加でかかることを考慮してもこれだけの金額が継続してもらえるなんぞそうはないだろう。
ただでさえ基本は根無し草なんだ。 安定した収入に魅力を感じないとは言わせないぞ」
「それは、そうかもしれないけど」
言い淀むあたり、アカネもエルの理屈に頷ける部分があるのだろう。
アウトローにとってお金は文字通り生命線なのだ。
無論、それだけに囚われても命とりなのだが。
と、アカネはちらりと後ろを振り向く。
他の者の意見も聞きたいのだろう。
それで真っ先に口を開いたのはコムギではなく、その隣のソニアだ。
といっても、彼女は肩を竦めながら困ったように笑ってみせている。
「ちなみに、あたしはこの問題にはノータッチだ。
この場にこうしているけど、あくまでもあたしは雇われだからね」
「ぐ……」
正論に言葉を詰まらせるアカネ。
そのまま滑るように視線をずらせば、コムギと目が合った。
彼女は自身への視線にビクンと身を竦ませると、おずおずと意見を出していく。
「え、えっと……正直、私はあまり賛成できません。
よく解からない男の人が一緒だと、怖いですし」
それは予想したいた通りの言葉で、それだけならただの反対意見だ。
だが、彼女は「けれど」と続ける。
「入れることで、私たちにメリットがあるのも解りますし、感情だけで判断してい良いってわけでもないことは解ります。
だから……どちらの結論でも、反対はしません」
最後はまっすぐな視線と共にそう締めくくる。
存外の意志の強さを垣間見たためか、オオカミの彼女を見る目は驚きが混じっている。
一方で、押し黙るアカネにラプンツェルがシャランと鈴を鳴らしながら首を傾げる。
「さぁ、意見は出し切ったわね。 あとは貴女の判断よ」
「―――わかってるわよ」
諦めではなく、決意を滲ませるアカネ。
その様に、一同が固唾を飲んで見守りはじめる。
彼女は「フン」と両腕を組んで、皆を睥睨する。
そして力強い眼差しで力強く言葉を放った。
「決めたわ―――答えは、『保留』よ」
瞬間、予想外の答えに場の空気が一気に弛緩した。
注意しないと各キャラの一人称や口調を間違えそうになることがたまにあります。
特にソニアは注意しないと気づけばボクっ子になりそうになる……(汗)
ちなみに、しばらくは日常パートが続く予定。
何事も下準備は大切ですよね。