何処かの鎮守府であった、提督と村雨のお話
私達はずっと待ち続けていた。
今日、この日を──。
◇◆◇
年が明けてから少し経ち、潮風の寒さが一層増してきたとある日。
私は工廠の扉の前まで来ていた。普段から秘書艦として開発任務などで足を運んでいたが、今日は特別な要件ということもあってその扉がより大きく、そして厚く感じられた。
「はぁ……緊張するなぁ」
艦娘は改造を受けることで能力を上昇させることが出来る。
一部の例外を除き、通常で受けられる改造は一度まで。そこから先の第二改造──通称"改二"は大本営から改造プランを用意され、それに相応しい練度を得た艦にのみ許される。
私の姉妹も既に三人が改二となって、これまでいくつもの作戦海域を潜り抜けてきた。特に、双子の妹である夕立は駆逐艦とは思えぬ火力で海域突破の要を担ってきた。
改二とは、艦娘の憧れなのだ。
まさか、自分にその改二が来るなんて思いもしなかったのだけど。最初に聞いた時は信じられず、思わず聞き返してしまったくらいだ。
けど、練度は十分あったし、提督はいつ私に改二が来てもいいように必要な資材は取っておいていた。
「おっ、来た来た」
私が意を決して進むよりも先に、扉の方から開く。中から出てきたのは工廠の常連である軽巡洋艦"夕張"さんだ。
そして、工廠の主である工作艦"明石"さんも夕張さんの後ろから顔を覗かせて来る。
「白露型駆逐艦"村雨"、改造のために来ました。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。そこまで緊張しなくとも大丈夫」
「資材は用意してあるから、戦闘詳報だけ預かるね」
緊張している私とは裏腹に、明石さんと夕張さんはとても落ち着いた風に私を迎え入れてくれた。
きっと、こうして何人もの艦を改造してくれたのだろう。
「じゃあ早速始めるけど、いい?」
「はい。お願いします」
確認を取る明石さんに深く頷き、私は大きく深呼吸した。
まるで、これから生まれ変わるかのような気分だ。果たしてどんな改造を施されるのか。先に改二になった夕立達に追いつけるだろうか。提督は気に入ってくれるだろうか。
小さな粒のような考えをぼんやりと浮かばせながら、私は意識を遠くへ委ねた。最後には、好きなあの人の下へ帰って来れますようにと願いながら。
提督との出会いは随分昔、彼が着任してからすぐのことだった。
お互いに練度の低い状態で必死に頑張ってきた。途中で、時雨や夕立が改二になっても私を一線から外さず、多くの時間を秘書艦としていさせてくれた。
だから、そんな提督に報いたかった。ちょっとなんて言わず、村雨のいいところを見せたかった。
「長い間、待っちゃったね」
ようやく報われる。私達が共に過ごした時間が──。
「村雨、おめでとうっぽい!」
「村雨姉さん素敵です、はい!」
「おめでとう!」
改装を無事に終え、工廠から出てきた私を待っていたのは"第二駆逐隊"の皆だった。
夕立、春雨、五月雨。三人とも、私の可愛い妹達でもある。
「ありがとう、ただいまっ」
そのまま、皆がお祝いパーティーの準備をしているとのことで連れて行かれそうになった。けれど、私にはまだどうしてもこの姿を見せたい人がいた。
手を引こうとする妹達を制して、提督を連れてくるから先に行くよう伝える。
「……分かりました。ご武運を、村雨姉さん!」
「ぽい?」
「ふぇ? どういうこと?」
何かを察した春雨は私に敬礼をして、夕立と五月雨を連れて行ってしまった。こういう時、あの子は私の言いたいことを汲んでくれるから助かる。まぁ、妄想が過ぎるところもあるのだけれど。
……さて、いよいよだ。きっと彼も待ちくたびれているだろう。
「この姿を見て、なんて言うかな?」
夕立や江風ほどではないが、改造前と姿が変わっているので提督は驚くかもしれない。
私は気に入っているのだけど、彼のお気に召さなかったらどうするだろう? 格好だけでも前に戻そうかしら。
「あ……」
執務室の前まで来て、私は再び立ち止まる。工廠では夕張さんが扉を開けてくれたけど、ここでは私が前に踏み出さないと。
小さく息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。
大丈夫。私も提督もずっと待ち焦がれた改二だもの。絶対気に入ってくれる。
「失礼します」
軽くノックをして、私は提督の待つ執務室へ入った。
◇◆◇
村雨の改二が来ると知った時、仕事中にも関わらず叫び声を上げてしまった。おかげでその時秘書艦を務めていた山風には怪訝な視線を向けられてしまったが。
彼女とは着任したての頃からの付き合いで、挫けそうな時は何度もその面倒見のいい性格に助けられてきた。
辛い時には相談に乗ってくれたり、肌寒くなってきた頃にはマフラーを編んでくれたり、秋刀魚漁という一見可笑しな任務でもノリノリで参加してくれた。彼女のおかげで、毎日が楽しかった。
「村雨は大丈夫だろうか」
工廠のある方角を見つめてはそわそわと落ち着かずにいる。
村雨が改二になって、より強くなるのは願ったり叶ったりだ。が、それ以上に彼女がより魅力的になって帰ってきたらどうしようかと。
「いや、それ以上にこれを受け取ってくれるかどうか……」
ズボンのポケットから青い小箱を取り出し、溜息を一つ零す。
長い間一緒にいて、村雨への好意を自覚するのにそう時間はかからなかった。
「なんて言って渡すか……改二おめでとう、ケッコンしてくれ。では素っ気なさ過ぎるし……」
いや、そもそも受け取ってくれるかどうか。何処かの鎮守府ではケッコンお断りをされた提督もいると聞いたし……。
「失礼します」
悶々と考えを巡らせているところへ、ドアをノックする音とよく知った声が聞こえた。
俺は慌てて指輪の入った小箱をポケットに隠し、平静を保つように直立姿勢をとる。
「白露型駆逐艦"村雨"、改造完了しました」
「ああ。ご苦労さ──」
先程ぶりの村雨の姿を見た瞬間、俺は息が止まったかのようなショックを受けた。
ツインテールからツーサイドアップに変わった彼女の髪形には、他の白露型改二のように犬耳を思わせるはねっ毛があり、余らせて後ろに流した長髪は何処か夕立を思わせる。
被っている帽子は春雨のものと色違いとなっていて、前髪の髪留めも夕立や春雨とお揃いのものを付けている。そして制服は五月雨のようにノースリーブであり、まるで他の第二駆逐隊のメンバーの意匠を至る所に含めているようであった。
何より、目を引くのが右の瞳の色。左は今まで通り茶色だが、右は夕立改二のように赤くなっていたのだ。夕立に近くなっているのは、二人が双子だからだろうか。
「どうかしら? 村雨の改二姿は」
「……綺麗だ」
多くの艦の要素を足しつつ村雨らしいお洒落な雰囲気で調和している。それでいて、改造前からの駆逐艦らしからぬスタイルの良さは損なわれることなく、色香を増したお嬢様のようにも感じられた。
月並みな表現しか出てこなかったが、それでも村雨は誇らしげに頷いた。
「ありがとう。お待たせ、提督」
「ああ、お互いに長いこと待ったな」
「ごめんなさいね」
「謝ることじゃないさ」
二人で歩いてきた道だから、苦ではなかった。
「でも、これから村雨のうんといいとこ、見せたげる!」
「ちょっと、じゃないのか」
「だってもう改二ですもの。これからの村雨にも、期待してねっ」
改造して、容姿が多少変わっても村雨は村雨のままだ。
俺は少し安心し、ポケットの中のものを取り出す。村雨が一歩踏み出したのだ。ならば、自分も同じく踏み出さねば、これからも一緒に歩み続けるなんて出来やしない。
「村雨。俺もお前をずっと待たせてしまったことがあるんだ」
「あら、何かしら?」
小箱を目の前に差し出し、中身を見せる。これだけで村雨に意図は伝わったようで、色彩の違う両目は驚きで見開かれた。
「俺と、ケッコンして欲しい」
◇◆◇
新しい門出を祝う声。
昨日とは違う自分と、隣にいる愛しい人。
ずっと待ち続けていた日を経て、私達は結ばれる。
これから二人で進む時間が、幸せでありますように──。
村雨嬢流行れ……流行れ……