両親の心がめちゃくちゃに破壊されたという事実にぶち当たったとき僕はいつもある時点で思考を停止させていた。
おばあちゃんはパパを立派な戦士だと褒めそやし、ママを慈愛に満ちた魔女だと言い聞かせた。繰り返し繰り返し。(もちろん、それは疑いようがない事実だ!)けれども語られることによって立派な両親というのはおとぎ話の主人公たちのように思えて、出来の良くない僕とは乖離していくようだった。だから本当は、おばあちゃんの語り口はあんまり好きじゃなかった。
僕の一番古い記憶はおばあちゃんの腕から亡霊のような人へ渡されそうになり泣き叫ぶというもので、たまに夢に見る。亡霊のような人はママだった。ママとパパは死喰い人に拷問されて心を壊された。
その思い出は残念ながら心の中の恐怖の棚にしまってあるようで、時折悪夢として何度も登場した。5歳くらいのときはいつも泣き叫んで飛び起きた。もちろん今はそんな事はないけれど、子供心に罪悪感を持った。だってママは悪くないのにあんな夢を見るなんて…それもあって僕の夜泣きはひどかった。今でもおばあちゃんは文句を言う。
「今年はね…アーニーの自主連クラブに参加しているんだ」
返事をくれたことは一度もない。この病室で話すのはいつも僕とおばあちゃんだけ。でもそれでいい。
ネビル・ロングボトムにとっての家族の団らんは柔らかい白い光に包まれたこの瞬間だった。
カーテンで仕切られた狭いパーソナルスペース。膝がベッドの縁にくっつくし他の人の話し声や叫び声が聞こえる病室。両親と唯一触れ合える場所。
見る人によっては哀れんだり悲しんだり励ましたりするだろう。ネビル自身はこれを悲しい光景だなんて思ったことはない。しかし、そういう感情を掻き立てる光景だというのは嫌というほどわかった。だから誰にも話していない。
「僕なんか足手まといだ、って言ったけど快く受け入れてくれて、もう三回も盾の呪文に成功したよ」
おばあちゃんが売店から戻ってくる足音がした。院内はクリスマスのせいもあって慌ただしいが、おばあちゃんの車輪が転がるような謎の足音だけはすぐわかる。僕は話を切りやめて、さっきママがくれたガムの包み紙をそっとポケットにしまった。
「ネビル、話はできたかね?」
「うん。おばあちゃん」
「それじゃあ、行こうかえ」
「うん。ママ、パパ、またね」
病室を出るとき、奇妙な鉢植えがおいてあることに気付いた。病床の机の上に、鉢植えに適さない形の植物が無理やり鉢に入れられラッピングされていた。ベッドの主はじっと天井を見上げて動かなかった。
「あの、すみません…」
「はい?」
シーツを畳んでいた看護士にひっそりと尋ねる。
「あの、あそこのベッドの患者さんは…」
「あっ。ごめんなさい。患者さんのプライバシーは話せないの」
「あ、いや。そうじゃなくて…鉢植えがあるじゃないですか。あの鉢植えがちょっと変というか…」
「鉢植え?…ああ。あるわね。変って?」
「見慣れない種類だったもので」
「植物好きなの?詳しいんだ!」
「あ、いや。まあ…」
違う。本当に伝えたいのはその鉢植えが妙だってことで…。僕はいっつもこうだ。おばあちゃんも不審そうにこっちを見ている。早くしないと余計面倒なことになるので話を切り上げる。
「なんだかやな感じがして。それだけです。すみません…」
「ふうん?まあ様子、見ておくよ。ありがとうロングボトムさん」
「え…名前…」
「あっプライバシー…ごめん。よく顔見るから、つい」
「いえ。大丈夫です。えーと、じゃあ、僕はこれで」
「うん。ボードさんはちゃんと見とくから!」
「ありがとう!えーと」
「ジェーン。ジェーン・シンガー。じゃあね、孝行息子さん」
シンガーと名乗った看護師はシーツをたたむと、ボードと呼ばれた患者のベッドの方へ行ってくれた。おばあちゃんはやり取りを聞いていたらしく色気より勉強はどうなんだえ?と嫌味を言った。
休みが開ける前に自主連クラブでやった呪文の復習をしなきゃいけない。ハーマイオニーが教えてくれたわかりやすい教本を借りてきたのだ。それに教授たちが出した狂った量の宿題も。苦手なこととやりたくないことだが、やってると何だか自分が強くなっていくような気がした。
アーニーの自主連クラブはそこそこ大きな規模になっていた。ハッフルパフの生徒7名ほどとレイブンクローの監督生とパチル姉妹。そしてハリー達3人組と僕。全員5年生で、ふくろう試験で出題される呪文の練習が主だった。
ハリーは一番防衛術がうまいのでみんなに呪文を教えていた。ただ、攻撃的な(というと誤解が出るんだけど、要するに本格的に身を守るための)呪文をやらないことが大いに不満そうだった。
アーニーとハリーはよく話し合っていて、時々ハーマイオニーもそれに加わっていた。ザカリアス・スミスは不満そうだったが会の主催者がハリーを歓迎している以上表立って文句を言うことはなかった。
とても平和な会だと思う。教育令が発行されてから、会を黙認してくれていたプロップ先生に迷惑をかけないように必要の部屋でやっていた。必要の部屋は疲れたらふわふわのクッションもあるし、座り心地のいい椅子と高さのちょうどいい机も、防衛術の本もあって快適だ。
プロップ先生ははじめこそ魔法省のスパイだのやる気なさすぎだの言われていたが、嫌われているわけではない。むしろレイブンクローやハッフルパフの生徒からは好かれている。どうやら授業後に自主的に質問しに行くと相当丁寧な指導を受けられるらしい。アーニーからそれを聞いた時に「あの人、あんまり仕事をしたくないから内緒にねって言うんだよ。おかしいよね」と笑いながら話していた。
僕自身も悪印象は持っていない。確かに授業はつまらないけど、その間宿題もできるし、自主連クラブでの呪文の予習もできるし、そこまで悪い時間ではない。尋問官になってからも仕事は全部パーシーにやらせているようで本人は未だ誰からも減点していない。
ハーマイオニーはプロップ先生はこれから本腰を入れるのだと言っているが、ロン、ハリーたちからは鼻で笑われている。僕もハーマイオニーは心配し過ぎだと思うけど、ハーマイオニーが間違ったことはないのでプロップ先生とは距離をとっている。…とはいえ、僕が距離をとっても取らなくてもあんまり意味はないんだろうけど。
新学期早々、パーシーがプンプンしながら廊下横切っていて僕は苦笑いした。パーシーは尋問官助手として熱心に職務を熟しているが、監督生時代とやってる事は変わらない。ただフレッド、ジョージは心境複雑のようで前のように進んでからかいに行くことはなかった。
休暇明けの晩餐はやっぱり美味しくて満足。ルーナとばったり廊下であって二三世間話をした。その後アーニーが嬉しそうに僕に新しく仕入れた防衛術の本を見せてくれた。実家の本棚にあったものらしい。談話室に戻るといつもの三人が深刻そうに何かを話し合っていた。
ハリーへのバッシングは本当にひどくて、秋から日刊予言者新聞を読むのをやめている。それでも普通に生活してれば自然と紙面に踊るひどい言葉の数々を目にしてしまう。
すごく酷いことだと思う。休暇前からハリーに対して酷い手紙が届くようになっていた。これから毎日美味しい朝食にあんな手紙が届くのだとしたら、今年はハリーにとって最悪の一年になるのは間違いない。
案の定、新学期初日のふくろう便の時間、ハリーはとても憂鬱そうだった。
僕は大抵この日に忘れ物が届く。が、今回は忘れ物はゼロだ。(5年も経てば僕だって進歩する)だがかわりに見慣れない手紙が一通届いた。
薄紫の封筒には丸っこい文字でホグワーツのロングボトムさま、と書かれている。これで届いてしまうのはいいことなのか、悪いことなのか。差出人にはジェーン・シンガーと書かれている。
一瞬誰だかわからなかったがすぐに思い出した。聖マンゴで妙な鉢植えについて話した看護師だった。
優しいロングボトムさんへ。
クリスマスの日に話した看護師です。覚えていますか?
貴方が教えてくれたちょっと妙な鉢植えなんだけど、実はあれはとっても危険な植物だったの。ニュースになってないのはオフレコ…っていうかもみ消したわけだから、あんまり人には言わないで欲しいんだけどね、あれは悪魔の罠の切り株だった。
貴方がいなかったら大変なことが起きていたわ!本当にありがとう。貴方は命の恩人よ。
今院内はこれの調査でてんてこまいでお礼を用意する暇もないけれど、すぐにでも貴方に伝えたかったの。
本当に本当にありがとう!
読み終えてとても嬉しいと同時に、ここまで礼を言われたのは初めてだったので照れくさくなった。自分が役に立てて本当に良かった。
けれども悪魔の罠の切り株がなぜ丁寧にラッピングされてプレゼントとして置かれていたのだろうか?奇妙だ。いや、明らかに変だ。
悪魔の罠は触れたものを皆絞め殺す危険な植物で、取引はおろか栽培も厳しく規制されている。そんなものが見舞い品の鉢植えと間違えられたりするはずがない。
まさかあの患者を殺すために…?
そう考えると背筋がゾッとした。
一日中罠を仕掛ける理由について考えてしまっていた。そのせいで魔法薬でまた大ぽかをやらかし、新年早々減点されてしまった。今日は自主連クラブもないし気分は沈んでいく一方だった。
暗殺…だとして、悪魔の罠を使ったものなんてあるんだろうか?あまりいい方法とは思えなかった。だがあれは明らかにプレゼントに偽装された罠である。なぜあの患者は狙われたのだろう…?
そう考えて廊下を歩いていると、プロップが教室の前で大きな家具を蹴ってるのを目撃してしまった。棚のような古めかしい何かだった。
変なの見ちゃったよ…と踵を返そうとしたとき、運悪くプロップと目があってしまった。
「手伝いましょうか?」
こういうときに無視を決め込められないのが自分の弱点だ。
「ありがとう」
そう言ってプロップは紅茶を入れてくれた。いただきものらしい茶菓子も。がらんどうだがそれなりに調和した研究室に古ぼけた家具がどっかりと置いてある。
「この棚は…」
「モンタギューが最近トイレで見つかっただろう?彼いわく、トイレとこれは繋がってるらしい。闇の魔術の防衛術の教員として調べろとのご命令でね」
「へえ…変な棚ですね」
「面倒だがまあ仕方がないよな」
プロップは自分のぶんの紅茶を飲むと僕を見た。ひょっとして名前を覚えられてないんじゃないかと思ったがプロップはちゃんと名前を呼んだ。
「ロングボトム。せっかくだしレポートについて質問とかはない?」
「あ、いえ!僕のは教科書をまとめてるだけですから質問のしようがないっていうか…」
「ああ、確かに。…でも最近のレポートは良くなってきているよ」
プロップは本棚からファイルを取り出してめくる。提出されたレポートをまとめたものらしく、とても嵩張っている。
「マクミランのクラブの調子はどう?」
「とっても楽しいです」
「それはよかった。マクミランに任せて正解だった」
プロップは本当にホッとしているかのような表情をしている。ちょっと意外に思って、思わず質問してしまった。
「先生はクラブを好ましく思ってるんですか?」
「どうして?」
「だって…魔法省は僕たちに杖を振らせたくないって…」
「グレンジャーの説は根強いね。まあ事実そのとおりだ。だが僕本人は別になんとも思ってない」
「そうだったんですか。なんだ」
「まあ尋問官になってからは流石に忍んでやって貰ってるけどね」
プロップは想像していたより気さくで僕はなんだか拍子抜けする。紅茶と茶菓子のおかげもあって会話は楽しく進んでいった。
「あの、先生はハリーに闇の魔法使いの起こした事件について課題を出しているんですよね」
「ああ。本人の希望でね」
「闇の魔法使いって暗殺、とかはしていたんですか?」
「暗殺?そりゃするよ。闇の魔法使いじゃなくてもね」
「例えばなんですけど…悪魔の罠を使ったりするんですか?」
「悪魔の罠を?…例はないわけではないが。何故?普通は毒とか考えつくと思うんだけれども」
「ええっと…実は…」
クリスマス、聖マンゴであったことを伝えた。もちろん両親のことは伏せて。奇妙な送り主不明の鉢植え。無言の患者に贈られた悪魔の罠。
「……ふうん。その患者の名前はわかるかい」
「えーと、なんだったかな…ボード…さんだったような」
「そうか。へえ。悪魔の罠を鉢植えにねえ…なかなかユニークだ」
「うまく行くんでしょうか?」
「ああ。行くだろうね。あの植物は触れたものだけ絞め殺すわけではなく時として自ら周囲のものを絞めに行く」
「そうか。密閉された袋のなかにいると…」
「そう。切り株となれば尚更栄養を欲するだろうね。君が気づかなければ近いうちにそのボードとかいう人は縊り殺されていたよ」
「やっぱり闇祓いに知らせるべきだった」
「手紙をくれた看護師によるともう調査をしているんだろう?任せておくべきだ。面子はむやみに潰さないほうがいい。癒師の奴らは根に持つからね」
「でも…」
「安心しなさい。暗殺は一度失敗したら暗殺じゃなくなる。聖マンゴも警戒の方法は心得ているさ」
プロップはなにかを思案するような表情をしてから本棚に飾られている黒電話を見た。そしてまた僕に視線を戻すと「今日はありがとうね。」と言って部屋から追い出した。
プロップはああいうが、僕はボードという人が心配でたまらなかった。シンガーさんに返事を出し、ボードの身の安全を守るべきだと忠告した。
そうこうしているうちに、周りは大きく変化していた。
まず尋問官親衛隊なるものが設立され、パーシーの取締が強化された。続いて占い学のトレローニーが停職になった。
ハリーは最近夜中に飛び起きて叫んだりするし、いやがらせの手紙が爆発した日にはアーニーと喧嘩してしまった。
アーニーのクラブは保守的すぎるとハリーやザカリアスが文句をつけ、結果的にアーニーも怒り出したのだ。アーニーは尋問官親衛隊に抜擢されているから会の長にふさわしくないのではないか、とまで言うせいで議論は泥沼化し自主連クラブは過去最悪のギスギスっぷりを呈している。
確かに放課後の自主練習クラブはその名の通り教科書に出てくる呪文を授業で使えないぶん使ってみようという、極めて平和なお勉強サークルだった。しかしハリーたち一部の生徒(主にあとから加わったハッフルパフ以外の生徒)は戦うために学ぼうとしている人たちだった。
僕はどっちかというとアーニーのスタンスに同意していたが、心境としてはハリーによっていた。
どちらに付くべきか悩んでいたところで、最悪の事態が起きた。
「一体!どういうことだね!!」
パーシーは生徒たちが全員振り向くような大声で晩餐から立ち去るプロップに呼びかけた。
「どうとは?」
プロップはいつもどおりの調子で答えた。
「生徒から密告があった。君が申請のないクラブの顧問をしていると!」
パーシーの言葉に生徒たちに動揺が走った。自主連クラブについて知ってるのは極僅かで、全員メンバーとして署名していた。僕は胃がギューッと締め付けられる感じがした。
「ああ。そうだ。うっかりしていたよ」
「うっかりで済むことではない!君は魔法省に歯向かうつもりなのか?」
「そんなつもりはないよ。ただ僕は最大の利益について良く考えるのさ。彼らの行為はたとえ非公認だろうと、地下活動だろうと存続させるべきものだ」
「武装することがか?」
「そうだ」
二人の声はホールにわんわんと響き、教職員テーブルからも席を立って見に来る教師がいるくらいだった。マクゴナガルもとめるべきかどうか迷ってるようだった。
「武装する必要などない。これは反体制的な違法行為だ」
「いいや。武装する必要はある」
「何に対して!」
プロップは間をとった。言うか言わまいか逡巡しているように、葛藤しているかのように視線が地面の数センチ上をさまよっている。
「ヴォルデモート卿だ」
生徒の中で悲鳴が走った。パーシーの眼が見開かれる。どよめきを掌握しきってから、プロップは言葉を繋げる。
「彼らが戦うのは、ヴォルデモート卿に、対抗するためだ」
ゆっくりと、言い聞かせるように行ったプロップの声はホールに重たい沈黙の蓋を被せた。そして数秒後、パーシーはプロップの頬を殴った。
「バカを言え…!」
「僕はハリー・ポッターを信じている。いずれ君にもわかるさ」
僕は思わず群衆からハリーを探した。
ハリーは感激しきった様子でプロップを見つめていた。
どこからか拍手がおこった。拍手はまばらだったが、パーシーが退場しプロップが立ち去るまで続いた。