楽園爆破の犯人たちへ 破   作:XP-79

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16. 俺はお前よりギアスを使わなかったからな

 行政特区日本設立記念式典は富士山麓にある巨大なドーム会場で行われた。

 数万人のイレブンが詰めかけた会場は混雑の極みにある。人の群れが押し合いへし合い、騒めきが波をうっていた。騒めきの声は殆どがユーフェミア、スザク、そしてゼロという言葉を含んでおり、人々の眼は時折空に向けられた。

 あまりの人込みに、会場警備のKMFを設置する場所も限られていた。ユフィの警備さえもが限定され、選任騎士の枢木スザクのみがユーフェミアの警備として檀上に上がっていた。

 落ち着きなく曇天を見上げるユフィに、スザクも焦燥が沸き立つ自身に言い聞かせるように報告した。

「ユーフェミア殿下、あと30分で開会致します」

「ええ……」

 ユフィは視線を空から動かすことなく、気もそぞろな様子で返事をした。薄曇りの空は広く、ゼロが現れる気配は無い。

 

 焦れる気持ちを押し込みながらユフィは貴賓席を見やった。キョウトの桐原を筆頭としたイレブンの名士、そしてエリア11の政治の中枢を担うブリタニア貴族が並んで座っている。たとえゼロが来なかったとしてもこれだけの面子を待たせる訳には行かない。

 焦りと緊張から汗が零れる。しかし程なくして、ユフィは空に小さな黒い一点を見た。その一点は徐々に大きくなり、会場へと迫ってくる。

『見えました!ゼロです!!』

 会場中に響いた放送にユフィは頬を紅潮させて、その黒い点に向けて大きく手を振った。

 

 来てくれた、ゼロが来てくれた。それだけでユフィは何かを達成したような気持になった。まだ何も解決していないと知っているが、ゼロというブリタニアに反旗を翻すアイコンがこうして姿を現してくれただけで何かが報われたような気がした。

 それはきっとゼロがあまりに強大な存在だからだろう。ただそこにあるだけで畏怖を払わなければならないものがこの世界には存在する。素晴らしい絵画であったり、天才的な音楽家の演奏であったり、美しい舞踊であったり。

 ある種の暴力的な魅力を持つそれらに抗うことは困難だ。ゼロも、そういった存在に類するものなのだろう。その立ち振る舞いや弁舌は常識を取り払って人を従える力があった。

 

 ユフィと同じように、多くの人々がその一点を指さして歓声を上げた。

「ゼロだ!」

「ゼロ様だ!」

「来て下さったんだ!」

 上空から黒いKMFが飛んでくる。遊覧飛行のようなゆっくりとした軌道を描き、KMFは危なげなく檀上に着地した。

 コックピットがKMFの背後から飛び出し、ゼロが姿を現した。

 いっそう大きくなる歓声の中、ゼロはひらりと飛び降りた。

 ユフィは直ぐさまゼロに駆け寄った。こうして相まみえるのは初めてだが、その雰囲気には覚えがあり、初対面とはとても思えなかった。

「ゼロ!来てくれたのですね!」

「……お招きして頂き光栄です、ユーフェミア皇女殿下」

 ゼロは足を少し引き、貴族のように優雅な所作で頭を下げた。それが日本式のお辞儀だと気づき、ユフィも日本式にぺこりと頭を下げた。

 

 こうして近くて見ると、ゼロはとても大柄とは呼べない体格だと気づく。自分より幾分か身長は高いものの、パイロットスーツ越しにも分かるほどに痩身で、筋肉質のスザクより一回りは小さいようにさえ思えた。

 だが威圧感のようにも取れる重苦しい存在感がゼロを実際よりも大きく見せている。

 こうして近寄ると彼が誰なのか、分からない方がおかしいとユフィは思う。ここまでの覇気を湛える、長身痩躯で耳に響きの良い声色を持つ人物などあまりに限定的だ。

 

「ゼロ、ここに来て下さったということは行政特区日本に参加して頂けるということでよろしいのですよね?」

「……そのことで殿下、少しお話があります。二人きりで」

 ユフィの背後に控えていたスザクが眉を顰めた。

「ゼロ、失礼だが、」

「いいのですスザク」

 ユフィは笑顔を浮かべてスザクを制した。

 ゼロと二人きりで話したいのは自分も同じだった。これから開会式までの30分程度ではとても足りない程に、話したいことは山ほどある。

「開会宣言までそう時間がありませんが、それでもよければ」

「結構です」

 

 ゼロの返答に、ユフィはすぐに式典会場に隣接して設置されている会議所の人払いをした。

 急なことであり警備の人員もまともに揃えられなかったが、彼が誰なのか察している身としては警備の必要性も感じなかった。

 会議所の表にはユフィの護衛が数名、そしてスザクが控えることになった。

 

 ユフィは会議所に入り、その後にゼロが続こうと歩みを進める。しかしゼロをスザクが呼び止めた。

「ゼロ……来てくれてありがとう」

「感謝される筋合いは無い。私はあくまで日本人のために行動しているだけだ」

「それでも、ありがとう……すまない」

 スザクは首を振った。

 

 ルルーシュは仮面の下で目を細めた。スザクはこの行政特区日本が黒の騎士団にとって最悪な戦略であることを理解しているらしい。

 自分で気づいたのか、もしくはシュナイゼルに言われでもしたのだろう。

 

「生憎と再起するための策はいくらでもある。謝罪するのはお門違いだ。むしろ諸君らは私に利用されることを警戒するべきではないかな?」

「君は怖いな。ゼロ、一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな」

「時間が無い。手短に頼む」

「うん。……ユーフェミア皇女殿下を皇帝にしたいって言ったら、君はどう思う」

 スザクを見やる。緊張のあまり頬が引き攣っていた。

 

 

 突拍子も無いことを言っている自覚はあるらしい。

 何よりそんなことを、よりにもよって黒の騎士団の総帥に訴える行為は、現在のブリタニアへ異を唱えていると捉えられかねない愚行だった。

 しかしスザクとは裏腹にルルーシュは仮面の下で安堵した。馬鹿は馬鹿なりに考えている。少なくとも、あのシュナイゼルを皇帝にして全てが解決すると考えていたスザクの発言とは思えない、現実的な策だ。

 シュナイゼルの性格上、現状維持以上の結果を望むことは無い。だからあの男を皇帝にしたところで日本はエリアとして支配され続けるだろう。

 日本を取り戻すためには、ブリタニアの政治システムを抜本的に作り直す必要がある。

 そしてブリタニア国民が納得できる形で行政を再構築するためにユフィ以上のお飾りはいない。

 

「成功する可能性は低い。しかし———悪くない策だ」

「……そっか。ありがとう」

 ゼロの言葉にスザクは胸を撫で下ろし、静かに目を閉じた。

 時間が無い。ルルーシュは足を再度動かし始めた。

「その話についてはまた後で聞こう」

「うん。また後でね」

 手を振って応える。しかしルルーシュは、スザクの言う後が二度と来ないことを知っていた。

 

 

 

 

 

 会議場は薄暗く、肌寒い。喧噪が鳴り響いていた会場と反対に人気が無いせいか、沈黙が耳に痛い程だった

 ルルーシュは会議所に入るなり端末に潜めているドルイドを起動させた。

「半径50m以内に通信機器が無いか検索しろ。あるようであれば通信をカットしろ」

「用心深いのね。カメラならオフにしてあるのに」

「……あなたを信用していない訳ではありませんよ。習慣のようなものです」

 画面にNo existの文字が現れる。ルルーシュは端末を懐にしまった。

 

 ユフィの性格上何か策を講じているとは考えにくいが、この世に絶対というものは存在しない。何よりユフィが純粋無垢であっても、その周囲までもがそうであるとは考え難い。

 むしろユフィの純粋さは、周囲が彼女の分まで汚名を被っているからこそ保たれているものでしかない。その筆頭がコーネリアだ。

 コーネリアはリ家の期待を一身に背負い、戦場で得た武勲でもって、ユフィが皇宮の暗部に触れることが無いよう必死になって守っている。そうしてコーネリアは魔女と呼ばれるようになった。

 そして行政特区日本を設立したことで、ユフィは慈愛の姫と呼ばれている。

 無意識とはいえ、周りの人間に嫌なことを押し付けて慈愛などと。

 薄っぺらい仮面だ。実態を伴わない、覚悟も無い。その気になれば簡単に剥げる薄皮一枚の慈愛など、何の価値があろうか。

 

 小さく嘲笑を浮かべたルルーシュに気づかないのか、ユーフェミアは満面の笑みでゼロの仮面を覗き込んだ。

「それでゼロ……いえ、ルルーシュ、話って何なの?」

 悪戯が成功した子供のような喜色を浮かべる。ごまかされないぞ、と言わんばかりにユフィは目をきらきらと光らせていた。

 

 ルルーシュは突然の事に言葉を失った。ユフィの観察眼に驚かされたのはこれで幾度目だろう。

 ルルーシュは一瞬息を止め、眼を閉じた。徐に仮面を脱ぐ。

 直接にユフィと相まみえると、笑みを浮かべたユフィは薄暗い会議場の中で陽光のように光って見えた。

 

「やっぱり、ルルーシュだ」

「ユフィ、いつから」

「何でかしらね。気づいちゃったの。だって私、ルルーシュが大好きだから」

「そうか」

 ルルーシュの声は冷ややかだった。懐から銃を取り出す。

 そのまま銃口をユーフェミアに向けた。

 ユフィは銃口とルルーシュの顔を交互に見やって首を傾げた。驚愕のあまり事態が呑み込めないというよりも、下手な冗談でも言われたような、困ったような笑みを浮かべていた。

「何の冗談なの?ルルーシュ」

「冗談じゃないさ、ユフィ。いや、ユーフェミア皇女殿下。セラミックと竹を使用したニードルガン。検出器では見つからず、十分に人を貫通する威力がある」

 銃口をユフィの心臓に向ける。ゆっくりと撃鉄を下ろし、引き金に指をかけた。セラミック製の部品が擦れて、耳障りな金属音が部屋に反響する。

 

 無論、撃つ気は無い。

 ユフィを殺すようなことはできない。

 

 ゼロとして、ここでユフィを殺してしまうと正義の味方としての体面が崩壊してしまうからではない。ましてや騎士たるスザクに遠慮をしてのことでもない。

 まだルルーシュはユフィが好きだった。いくら愚かであっても、許しがたいほどに傲慢であっても、5年前に抱いた柔らかな感情は未だルルーシュの中に小さく残っていた。

 今この時ほど自分が甘いということを自覚したことはなかった。もう破れた初恋のために、こんなにも精神が揺らがされる自分が情けない。

 

 しかし銃口に乗せた憤怒のみは本物だった。

 

「……あなたは撃てないわ」

 ユフィは銃口に向かって微笑んだ。嘲笑ではなかった。

 年少の悪戯っ子を見る母親のような、深い慈愛を湛えた笑みだった。

「だって、あなたは優しいもの」

 変わらない柔らかなユフィの声に、ルルーシュの声色は更に冷たくなる。感情を削ぎ落すように、より無機質になる。それはゼロの声だった。

「もうこれまで何百人と殺した。クロヴィスを殺したのも俺だ。優しいだと?それはお前の押し付けだ。5年前と同じでありたいというお前の願望だ。

 もう5年も経ったんだよ。綺麗なままなのは君と―――ナナリーだけさ」

「でも、撃てないんでしょう?」

 ユフィは銃口を迎え入れるように手を大きく広げた。

 

 そんなユフィに怒気がじりじりと湧き起こる。裏切られたことが無いからこそ、ユフィはこうして気安く人を信じられるのだ。

 そうしてユフィは人を追い詰める。あまりに綺麗なユフィのありようは、ユフィのように綺麗でない、人を信じることができない、薄汚い感情を捨て去ることができない人間の存在を否定してしまう。

 性質の悪い女だ。ルルーシュはユフィに向けた銃口が震えていることを自覚してしまった。

 

「ルルーシュ、一緒に日本を取り戻しましょう。皆でまた一緒に過ごすの。だから、もうそんな物を持たなくてもいいのよ」

「俺を憐れむな!!」

 ルルーシュの声が会議場にわんわんと響く。

 物理的な重みさえ感じるような戦慄きに、ユフィは全身を強張らせた。

 

「施しは受けない!俺は自分の力で手に入れて見せる!!自分の力で成し遂げてみせる!!押し付けられた平和に価値などあるものか!!ユーフェミア・リ・ブリタニア、お前のやっていることは慈愛ではない!!自分なら武力無くとも平和を齎すことができるという、ただの傲慢な思い上がりだ!!」

「その名は返上しました!!」

 

 強張る体を振りほどき、ユフィは負けじと声荒く言い返す。

 会場に響くユフィの声に、ルルーシュはその言葉の意味が分からず眉根を顰めた。

「……どういうことだ」

「皇位継承権を返上したのです。行政特区日本を設立させるために、それなりの対価は必要だと皇帝陛下に言われたので」

 淡々と続けられたユフィの言葉をようやく理解し、ルルーシュは一瞬思考を止めた。

 

 ありえない。絶句し、思わず銃口を床に落とした。そのことにさえ気付かなかった。

 幾度も暗殺されかけ、皇族としての利益不利益を12年間かけて身をもって知ったルルーシュからしてみれば、ユフィの選択は信じられないことだった。

 

 皇位継承権の消失は、皇帝に即位する可能性が潰れたということだけを意味しない。

 皇位継承権を失った皇族は皇族としての特権全てが剥奪される。贅沢な衣食住、身辺の安全、執政に携わる権利、そして選任騎士を持つ権利さえユフィは失った。

 皇位継承権を返上した時点でスザクは選任騎士としての資格を剥奪され、ただのユフィの私兵でしかなくなる。

 いや、シュナイゼルに命じられて特派に戻ることになるかもしれない。皇族でないユフィはシュナイゼルの命令に否を唱えることは許されない。

 もしそうなれば、ユフィは全てを失うことになる。

 

 あまりに愚かと言わざるを得なかった。この行政特区日本の象徴に皇族であるユフィがいるからこそ、多くの日本人が安心して集まってきたというのに。当のユフィが皇族でなくなってしまったら、行政特区日本は総督であるコーネリアの支配下に収まってしまう。

 

「君は、随分と簡単に捨てられるんだな……俺のためとでも言うつもりか」

 最早嘲笑さえ浮かばなかった。自分を憐れんでの行動だったとしても、あまりに愚かな選択だ。行政特区日本を始めることばかり考えて、その後を考えようとしない。

 

 何もかもに恵まれてきたユーフェミアは、これまでその後の事など考えなくてもよかったのだ。何も考えなくても、何もかもを与えられる生活をしてきたから。だから皇位継承権を捨てても飄々としている。

 そう考えるとユフィの挙動全てが傲慢であるように映った。溢れんばかりに沢山のものを持つユフィが、自分を憐れんで皇位継承権を捨てて手を差し伸べたなど、屈辱でしかなかった。

 

 しかしユフィは首を横に振った。

「相変わらずの自信家ね。違うわ。ナナリーのためよ?」

 ユフィは当然と言わんばかりに笑った。

「私、ナナリーに会いたいの。話がしたいし、また遊びたい。5年前みたいに。そのためにはナナリーが何も心配せずに暮らせる場所が必要だわ。ルルーシュとナナリーが一緒に暮らせて、私も会いに行けて、スザクも一緒にいられる場所が」

「……そんなことで」

「私にとっては、何よりも大事なことよ」

「コ、コーネリアはどうなるんだっ」

「別に会えなくなるわけじゃないわ。皇族じゃなくなっても、私はお姉様の妹だもの」

「皇位継承権が無くなればスザクは選任騎士じゃなくなるんだぞ。スザクはどうするつもりだ!」

「元々スザクはシュナイゼルお兄様の部下だったもの。だから、またお兄様の部下に戻るだけよ。私の選任騎士だったっていう肩書が増えればスザクの待遇も良くなるでしょう?」

「っ、お前は誰が護るんだ!何も無くなるんだぞ!金も、身分も、部下も!」

「―――――5年前、あなたのことは誰が護ってくれたの?」

 

 ユフィは5年前、たった2人で飛行機のタラップに上ったルルーシュとナナリーのことを覚えていた。

 今の自分よりもずっと小さいルルーシュは、何も信じないという鉄のような色をした瞳でじっと前を見据えていた。握りしめた手は小さく震えていた。

 あの時のルルーシュはたった12歳の子供だった。

 いくら今、彼女がゼロという天才的なテロリストであろうとも、あの時のルルーシュが幼く、小さい、大人の庇護を必要とするか弱いものであったことには変わりがない。

 ナナリーのことはルルーシュが護った。しかしルルーシュを護ってくれた人はいたのだろうか。

 やはりルルーシュは優しい。声を荒げるルルーシュにユフィはそう、心から思う。

 自分はただ、5年前の、たった12歳だったルルーシュと同じ場所に立っただけなのに。

 

「大丈夫、大丈夫よ、ルルーシュ。私、本当に大事なものは何も捨ててないわ」

 ユフィは5年前と何も変わらない笑みを浮かべた。

 

 声が詰まる。何を言っていいのか分からなかった。単純な感謝の言葉では足りないと思ったし、不適切であるようにも感じた。

 ルルーシュには理解できない程に、ユフィはあまりに無垢であり、美しかった。

 その一言でルルーシュはユフィの全てを許してしまった。

 その愚かさも、ひたむきさも、優しさも、傲慢さも、呆れる程の純粋さも、自分が恋をしたユフィそのものだった。

 ルルーシュは心地よい敗北に首を振った。完敗だった。

 

「――――君は馬鹿だ、ユフィ」

「もう。確かに私はルルーシュみたいに勉強はできないけど、でも私だって頑張って、」

「違うよ。そういう意味じゃない」

 ルルーシュは声を立てて笑った。先ほどとは別人のような、柔らかな笑い声が会場に響く。

 その笑顔にユフィもつられて笑みを浮かべた。

「君は馬鹿で、だからこそ一番に何が大事か分かっているんだな。でもそのためにどれだけの犠牲を払ったのか分かっているのか?」

「確かにもう取り返しはつかないかもしれないけれど………いいのよ。だって私が私のためにしたことだもの」

「5年前と同じように、3人でいたかったから?」

「そう。でも3人じゃなくて、今度はスザクを加えて4人でね」

 ユフィは心底嬉しそうに微笑んだ。ああ。そうだ。ルルーシュは眼を細めた。

 

 花が咲き乱れるアリエスの庭で、ユフィとナナリーはよく一緒に遊んでいた。自分も二人に花輪を作ったり、本を読んだりしていた。遠い記憶だ。

 そして自分達の警護をいつもしていた男がいた。

 

 そうだ。3人ではなかった。

 

 ルルーシュの笑みは崩れるように溶けて無くなった。

 ユフィは5年前を思い出して胸を暖かくするのだろう。しかし自分は同時に熱が込み上がる。

 心臓がじりじりと焦げるような熱量は焦燥感を呼び起こし、脳が沸騰するほどに追いつめられる。ルルーシュは熱の籠った息を深く吐いた。

 自分だって5年前、本当に大事なものを何も失ってなどいなかったのだ。

 失ったのはほんの数か月前のことだった。

 

 あの時ならまだ自分はユフィと、ナナリーと、ジェレミアと共にアリエスの離宮に帰れたのだろうか。

 もしもの話には何の意味もないと知っている。しかしおそらくは帰れたのだろうと思う。

 だがもうそれは過去の話でしかなく、仮定に意味など無いのだった。

 

 心地よい敗北感はそのままに、しかし自分にはユフィの思い通りになることはできないのだと、その価値すら失った事実を噛みしめる。

 胸底から這い上がる怒気と殺意、復讐心が、敗北しかけた体を突き動かす。

 

 床に落ちた拳銃を拾う。

 そのまま流れるような動きで銃口をユフィに向けた。

「ユフィ、あの頃から4人だったんだよ」

「ルルーシュ?」

「いただろう?いつも、俺達の警護をしていた男が」

 ルルーシュの眼は優しく瞬いていた。その表情と、真っすぐユフィに向けられる揺らがない銃口のアンバランスさにユフィは戸惑いながらも記憶を探った。

 

 皇族の子供が遊んでいて警護がいないわけが無い。ルルーシュとナナリーとアリエスの離宮で遊んでいた時も、周囲に何人もの大人が警護として立っていた記憶がある。しかしその内の誰のことをルルーシュが言っているのか分からない。

 だが、もう何年も前の記憶で朧げではあるが、ルルーシュの傍にいつも控えていた騎士が一人いたような気がする。長身の、ちょっと怖そうな顔をした人だった。何人もの選任騎士候補を持っていた自分と違ってルルーシュには彼一人しかいなかった。そのためにルルーシュとナナリーの警護はいつもあの人が担当していた。

 

「ええと……あの、ルルーシュの選任騎士候補だった人のこと?」

「もう候補じゃないんだ、ユフィ」

 ルルーシュは拳銃を掌でくるりと回し、グリップをユフィに差し出した。

「あいつは俺の騎士なんだ。あいつがいないと、俺はアリエスの離宮には戻れない」

「じゃあその人も呼んで、」

「ユフィ、覚えておくといい。善意は悪意より人を傷つけることがある。そして綺麗なお前にはどうしても理解できない、醜いと分かっていても絶対に譲れない感情がこの世界にはあるんだよ」

 ルルーシュの右眼は煌々と光っていた。

「時は戻らない。俺も君も、明日に進むしかないんだ。―――――さようならだ、ユフィ」

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 スザクは会議場の外でユフィとゼロが出てくるのを待っていた。

 開会式まであと数分しか時間が無い。そろそろ戻って来てくれないと、タイムスケジュールに影響を及ぼしかねない。

 扉が開く音がしてようやくかと振り返ると、ゼロが立っていた。

「ゼロ、話は終わったのか?」

 スザクの問いに答えず、ゼロは走り出した。

 走り出した先は式典の檀上だ。

「ゼロ、どうしたんだ!?」

「スザク、ゼロを捕まえてください!!」

 会議場から今度はユフィが走り出てきた。

「ユーフェミア殿下!?どうしたのですか!」

「いいからゼロを捕まえてください!!命令です!!」

「スザクを捕まえておけ!!」

 常にないユフィの様子にスザクは戸惑いながらもゼロの後を追った。しかし他の警護をしていたメンバーがスザクの手足に縋りつく。顔を見ると、眼の淵が赤く染まっていた。

 もしやゼロのスパイだったのかと、スザクは数発拳を叩き込んで彼らを黙らせた。何が起こっているのか分からないまま、しかし主君の命を全うするためスザクは会場へ向かって走った。

 

 その隙にゼロは式典会場へと辿り着いた。ゼロが檀上に現れると会場のイレブンから歓声が上がった。

 しかし走り込んできたゼロの様子にどうしたのかと戸惑いの声も同じく上がった。

 スザクはゼロを捕縛するべく近寄るも、ゼロに触れようとすると手が勝手に逃げてしまう。

 自由にならない体に焦れながら、何が起こっているのか分からない状況にスザクは困惑の声を上げた。

「くそ、ゼロ、どうしたんだ!」

「それはこちらの台詞だ!行政特区日本の真意とは、こんなことだったのか!!」

「……ゼロ?」

 ゼロの言葉にスザクは眼を瞬かせた。スザクの傍を、重たそうなドレスを引きずりながらユフィが走る。

 ユフィは懐から銃を取り出した。銃口をゼロへと向ける。大きな瞳の淵は真っ赤に染まっていた。

「ゼロ、私は貴方を撃ちます!!」

 ユフィの高らかな宣言に会場は声を無くした。

 

 あまりに理解できない状況に晒されると人は動きを止める。数万人がひしめく会場は、その一瞬時を止めた。

 

 沈黙した会場の中で銃声が響いた。

 ユーフェミアの撃った弾丸はゼロの肩を貫いた。血飛沫が放射線を描きながら地面に散る。

 ゼロの痩身がその場にどうと倒れた。

 

 激痛のあまり身を捩りながら呻くゼロに、ユフィは更に銃口を向けた。銃口は心臓に向かっている。

「ゼロ、私は貴方を撃つんです!だから動かないで下さい!」

「っ、ユフィ!!」

 スザクは咄嗟にユフィに飛びついた。銃口は逸れ、ゼロの左腕の肉が抉れた。

 ゼロは痛みに悶えながら、しかし会場中に反響する程の声量で言い放った。

「ユーフェミア・リ・ブリタニア、それに枢木スザク!この度の行政特区日本はこのためか、黒の騎士団を壊滅させるため………私を殺すために仕組んだことか!」

「っ、違う!ゼロ、僕たちは!」

「ゼロ、私は貴方を撃つんです!」

 ユフィの声も為政者として相応しい声量を誇る。

 スザクに押さえつけられながらもユフィは銃口をゼロに向け、何度も発砲した。四方八方に銃弾が飛ぶ。ほとんどは外れたものの、数発の銃弾がゼロの服を裂く。裂けた服から血が流れ、隙間から赤い肉が見える。

 とうとう銃弾を撃ち尽くし、ユフィはカチカチと音が鳴るばかりになった拳銃を放り投げた。

「もう、スザク、拳銃を貸してください!早く!」

「ユフィ、止めてくれ!これでは、」

 暴れるユフィをスザクは押さえつける。

 ゼロは震えながら立ち上がった。足が痙攣しているかのように震えながらも、しかしゼロは何故か倒れなかった。意思の力のみで、ゼロは震える足を強いて歩を進める。

 檀上で、民衆へと足を向けるゼロを止める者は誰もいなかった。

 

 カメラがゼロを映す。エリア11全土に、血塗れになったゼロの姿が放映された。

 

「キ、キャアアアアア!!」

 会場のあちこちから空気を切り裂くような悲鳴が沸き上がった。

 悲鳴を合図として、時を止めた会場が爆発するように喧騒を巻き上げた。

「ゼロ!ゼロが!」

「ユーフェミア皇女殿下がゼロを殺そうとしたぞ!」

「最初からこれが目的だったんだな!」

「偽善の皇女め!」

「逃げろ!俺達も殺されるぞ!!」

「う、動くなイレブン共!ユーフェミア皇女殿下からのお言葉があるまで動くんじゃない!!」

「俺たちはイレブンじゃない!日本人だ!」

「煩い!!イレブンの猿共め!!!黙れ!!」

「テレビを止めろ!!ゼロを映すな!!」

「お願いですから子供だけでも外に出してください!」

「ゼロ!ゼロ!大丈夫ですか!?」

「ゼロ!ゼロ!!」

 ゼロを呼ぶ声が会場中に響く。会場中が喧噪に塗れていた。ゼロは傷口がよくカメラから見えるようにと体を捩る。

 何をしているのかと、警備をしていたKMFが銃口をゼロに向けた。スザクは顔色を変えて声を張り上げた。

「止めろ!ゼロを攻撃するな!!」

「しかし枢木卿、」

「ユーフェミア皇女殿下はいかなる戦闘行為もこの行政特区日本において許可していない!それよりすぐに医療班を呼んでゼロを病院に連れていけ!」

「黙れ!この裏切り者が!」

「そうだ!ゼロを返せ!」

「ゼロを連れて行ってどうするつもりだ!」

 その場にいた数万人の民衆は声を荒げてゼロの名前を呼んだ。エリア11における英雄が目の前で銃殺されようとしている光景は、その場にいた全ての民衆が冷静さを失うに十分な効果を持っていた。

 

 警備の人員は、そもそもがイレブンへと好印象を持っていないブリタニアの騎士である。パニックの原因であるゼロへと銃口を向けることで人質にとり、イレブンを黙らせようとした。

 KMFの銃口がゼロに向いていることに気づいた民衆が、ゼロを守ろうとKMFに纏わりつく。そのまま素手で警備のKMFを殴り、石を投げつけ、喚き散らす。

「っ、五月蠅い、猿共が!!」

 一機のKMFが空中に向けて威嚇射撃を行った。乾燥した銃声が会場中に鳴る。それが合図になった。

「う、うぁあああああ!!」

「撃った!KMFが撃ちやがった!」

 喚き声を上げながらイレブンは会場の外へと走り出した。しかし数万人の人間が一斉に移動できる筈も無い。

 さらに警備のKMFも、突如として喚くイレブンと威嚇射撃の音に錯乱する。

 威嚇射撃のためと撃った銃撃が、周囲に纏わりつくイレブンにより手が滑り、人込みの中心へと向かった。

 

 血がぱあ、と散る。

 KMFの装甲をぶち抜くに十分な威力を持つKMF専用対物ライフルで人を撃つと、掠っただけでも体が吹き飛ぶ。

 運悪く銃弾の犠牲となった日本人の人肉がそこら中に巻き散らかされ、騒ぎはさらに強大化した。

 周囲に巻き散らかされた腸に、血液、骨。それを正面からかぶってしまった日本人が、発狂したかのように喚きながら拳を周囲に振り回す。その拳に殴られた人がまた叫び声を上げ、逃げようとなりふり構わず走り出す。

 人の波がうねりになり、悲鳴と怒号の混じった声が台風のように巻き上がる。

 

 もはや正気を保っている人間などほとんどいなかった。何が何だか分からない。ただ動物的な逃走本能のままに足を動かし、助けて、助けて、誰か、と声を上げる。

 誰もが助けを欲していた。この事態をどうにかしてくれる人を。

 

「や、やめろ!!撃つんじゃない!!」

 スザクの声は喧噪の中では誰にも聞こえなかった。貴賓席に立ち並んでいた行政特区日本への参加者も足早に会場を去っていく。

 特にキョウト六家の動きは早かった。元から行政特区日本にあまり期待もしていなかったのだろう。会場が騒然となるなり、我先にと逃げだした。

 残ったのは一人。コーネリアの代理として出席したダールトンのみであった。

「枢木卿、ユーフェミア様を早く避難させよ!」

「しかしこのままでは行政特区日本は、」

「最早そのような問題ではない!こうなればユーフェミア様の安全だけを考えるのだ!さあ、早く!」

 ダールトンがユーフェミアの腕を掴む。それまでスザクに抗うように身を捩っていたユーフェミアは、その瞬間に動きを止め、眼をパチパチと瞬かせた。

「……スザク?」

「ユフィ、すぐに逃げよう。もうここは、」

「え?でも、行政特区日本の開会式があるんでしょう?」

 ユフィはこてんと首を傾げた。

「ゼロも来てくれました。それに沢山の日本人の方々も。ゼロが一緒に協力してくれれば、日本人の皆さんに権利と自由を返してあげることができます。それなのに、逃げるだなんて」

「……ユフィ?」

「私は逃げません、スザク。皆さんが待っていてくれるのですから」

 

 スザクはどう言えばいいのか分からなかった。何故ユフィがゼロを撃ったのかも、分からなかった。

 ただユフィは、日本人のことを思ってくれていたのだということを信じた。

 だからこそスザクはユフィの言を退けなければならなかった。日本のことを思ってくれている人が、こんなところで暴力に晒されて良い訳がない。

 

「駄目だ、ユフィ。逃げるんだ」

「でも!」

「もう行政特区日本は失敗する……ゼロの術中だったんだ。会場では暴動が起こってる」

「じゃあ日本人の皆さんを護って下さい!」

 ユフィはスザクの服を掴んだ。

「私はいいんです!それより、日本人の皆さんを護りに行ってください!暴動を止めるよう、私も皆さんに話に行きます。だから、スザク、」

 ユフィはスザクの腕の中で身じろいで、その眼をこれから式典が開催される筈だった会場へと向けた。

 

 警備のKMFの銃口は未だにイレブンに向いている。喚き声や、痛みに悶える声が響いている。

 スザクも、この事態を収めるためにはユフィが必要だと分かっていた。いや、事態を収めるだけならばゼロだけで事足りるだろう。

 しかしそうすると、ユフィが行政特区日本を実行したのはゼロを暗殺するためだということを認めることになってしまう。

 そうなれば行政特区日本が失敗する程度の騒ぎでは収まらない。下手をすれば、エリア11全土が戦争状態になる。そのためにどれだけの人が死ぬのか想像すらつかない。

 

 日本のためを思うのならば、スザクはユフィを民衆の前に立たせ、ブリタニア兵に銃を収めるよう訴えさせ、ゼロへの謝罪をさせなければならないのだ。

 

 しかし。視線をイレブンに向ける。最早完全な暴徒と化した彼らが、こんな事態を引き起こしたユフィの言葉を聞くとは思えない。むしろ下手をすればユフィは彼らに殺されかねない。

 

「スザク!早く!」

 ユフィの訴えと重なるように、ルルーシュの言葉が脳内で木霊する。

 

 日本か。ユフィか。

 

 どちらの方が大事だろうか。

 首相の息子か、それとも騎士か。

 

 どうして自分は悩んでいるのだろう。スザクは不思議でならなかった。

 そもそも自分がブリタニアに渡ったのは、日本をより平和的な方法で取り戻すためだ。そのために5年間を費やした。

 それなのに出会ってまだ数か月しか経っていないユフィを日本と秤にかけて、悩むだなんて。

 その理由が分からない。

 ふとスザクは5年前の、生まれて初めて遭遇した騎士との会話を思い出していた。彼は優しくて誠実な大人だった。しかし少し怖かった。どうして怖かったのか今では分かる。

 彼はルルーシュを、主君を護ろうと必死だったんだ。騎士とは、主君に寄り添う者だと。

 

 スザクは一度目を瞑り、覚悟と共にユフィを抱き上げた。

「スザク!」

「ここで君が死んだら全てがお終いだ」

 スザクは出口に向かって駆け出した。背後から石が飛んでくる。庇うために強くユフィを抱き締める。

「でも、それでは日本人が!」

「ゼロがなんとかする。それよりユフィは早く本国へ逃げるんだ」

「嫌です!本国なんて、そんな、私のせいでこんなことになったのに、」

「君のせいじゃない……いや、違うな」

 スザクは悔しそうに唇を噛んだ。

「僕は、行政特区日本は失敗すると分かっていた」

「え?」

「君が錯乱したのはきっとゼロの仕業だし、シュナイゼルは行政特区日本は失敗すると分かっていて君の案を支持した。コーネリア殿下もシュナイゼルから聞いていて、失敗すると分かっていたのに君を止めなかった。僕も知っていて、君に話さなかった」

 だから、とスザクは声を絞り出した。

「だから……ほんのちょっとしか、君のせいじゃないんだ」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 檀上に残ったのはゼロ一人だった。

 

 会場では警備のKMFが数台立往生となっている。

 元々数ではイレブンがブリタニアを圧倒しているのだ。周囲を取り囲んでしまえば、攻撃を許可されていないKMFはただの巨大な人形でしかなかった。

 会場を勝手に出て行こうとするイレブンを撃っていいものか、ユーフェミアもダールトンも避難してしまった現状で誰の指示を仰ぐこともできず、KMFは威嚇射撃を繰り返すことしかできない。

 混乱したKMFは威嚇射撃の方向を誤り、既に数名のイレブンが射殺されていた。

 

 予想以上の混乱具合だった。そしてユフィの射撃の腕前も予想していなかった。

 ルルーシュは肩を抑えた。血が掌にべっとりと付着している。貧血のせいか動悸が治まらず、足もふらつく。

 しかし幸いにも銃弾は骨を掠めたものの貫通しているらしく、肉と骨が少々抉れただけだ。神経は傷ついておらず、まだ手は動く。

 ふらつく足を叱咤して、前へと踏み出す。息を吸い込む。目を見開く

 

「静まれ!!」

 

 頭蓋を揺さぶるようなゼロの声がエリア11に響く。

 イレブンもブリタニア人も動きを止めた。銃声が止む。

 エリア11のテレビ、ラジオ、全てのメディアにゼロの声が響いた。

 ルルーシュは静まり返った会場の中心部にできた血溜まりを見やった。血飛沫の中に数人の死体が浮かんでいる。

 こうなることを予測していなかったわけではない。むしろこうなるだろうことを強く予想していたからこそ、そのための準備を行ってきた。

 罪科無い民衆を危険に晒すことは主義に反するし、気分が良くないことではある。だがそれが最善手であると判断したのだ。そう判断したのであるのならば、そうすべきだ。

 ルルーシュは仮面の下で目を細め、しかし声を張り上げた。

 

「私を暗殺しようとした行為、そして日本人へと銃口を向けた行為、最早行政特区日本は信ずるに値しない!!ブリタニアの兵は即刻この場から立ち去れ!!最早この場にブリタニアの騎士が護るべき者は存在しない!!」

 

 ゼロが手を振り上げる。同時に周囲に潜伏させていたKMFが式典会場の上空に現れた。

 警備のKMFとは比較にならないスペックの、フロートユニットを組み込んだ完全武装のKMFが会場を取り囲んだ。

 威嚇射撃を繰り返していたブリタニアのKMFへ、黒の騎士団のKMFの銃口が向く。

 

 ブリタニア側のKMFは、警備のための最低限の数しか動員していない。黒の騎士団との兵力差は圧倒的だ。

 警備のみの任務だと思っていた兵士の戦意は低く、さらに徹底抗戦を指示する上司もこの場にはいない。

 さらに民衆が密集した会場内で戦闘に縺れ込むのはあまりにリスクが高すぎる。この場で戦闘が起これば、末路は虐殺だ。そんな事態になったとして責任を取れるような立場にある者は既にいない。

 ただの一般兵がそんな決断を下すことはできまいというルルーシュの予想は的中した。

「っ、くそ、撤退だ!撤退しろ!」

 蜘蛛の子を散らすように、ブリタニア側のKMFは会場から次々と退いていく。その代わりに黒の騎士団員が迅速に会場へと入った。銃弾に当たった怪我人を次々と会場の外へと運び、救命活動を行う。

 ゼロは檀上で血を流しながら、高らかに声を張り上げた。

 

「日本人よ!ブリタニアの虐げられた全ての民よ!!私は待っていた、ブリタニアの不正を影から正しつつ、彼らが自らを省みる時が来るのを。しかし私達の期待は裏切られた!!」

 

 声と共に、裂けた肌から血が流れる。ゼロの足元は既に真っ赤に染まっていた。

 会場に突入したKMFの一つからカレンがガーゼと包帯を手に飛び降りた。

「ゼロ、血が、」

 カレンは足を縺れさせそうになりながらもゼロに駆け寄った。しかしゼロは手を振り、カレンを遮る。

 

 いくつもの人命を犠牲にし、ユフィを陥れて手に入れた機会をこの程度のことで棒に振る訳には行かない。四肢が千切れ飛んでも今この場では立っていなければならない。

 ゼロにはそれだけの責任があることを、ルルーシュは理解していた。

 

「日本の名を取り戻すと銘を打ちながら、ユーフェミア、そして行政特区日本への賛同を示したシュナイゼル・エル・ブリタニア、そしてコーネリア・リ・ブリタニアは行政特区日本を利用し、黒の騎士団、そして日本人を殲滅せんとしたのだ!!彼らは暴挙を以て、我々の期待を裏切った!!」

「そ、そうだ!!あいつらのせいだ!!」

「あいつらのせいで俺の母さんが……」

「人殺しめ!!」

「ブリタニアを許すな!」

 血を見て興奮状態になった民衆からの声が上がる。熱気が会場中に充満し、怒気がはちきれんばかりに湧き起こる。

 

 行政特区日本への期待から、ブリタニア兵に銃撃された絶望への落差が民衆を興奮状態へと追いやっている。血塗れになったゼロが演説をしていることによる効果もあるのだろう。

 民衆は血と怒りに酔っていた。目も眩むような怒気が会場を衝き、それはテレビを通してエリア11に広がっていた。感染のように蔓延する怒気は今やエリア11全土に広がっている。

 これほどまでの好機はそうは無い。ルルーシュは手を振り上げる。

 

「私は今ここに、ブリタニアからの独立を宣言する。だがそれは、かつての日本の復活を意味しない。歴史の針を戻す愚を私は犯さない。我らがこれから作る新しい国は、あらゆる人種、歴史、主義を受け入れる広さと、強者が弱者を虐げない矜持を持つ国家だ!

 その名は、合衆国日本!!」

 

 はちきれんばかりの歓声が上がる。ゼロの名前が声高に叫ばれる。

 しかしそこまでがルルーシュの限界だった。激痛と貧血に膝をつく。傍に立っていたカレンが思わず駆け寄った。

 カレンだけでは運べないだろうと、近くのKMFから藤堂が飛び降りて足早にゼロに近寄る。

「ゼロ、もう限界だ」

「駄目だ、まだ」

「こんなに血が出ているんです!!死にますよ!?」

「カレン」

 ゼロはカレンの肩を押した。

「俺は死なん。目的を果たすまではな。………藤堂、肩を貸せ」

「っ、ああ」

 藤堂の肩を借りてルルーシュは立ち上がった。そのあまりの軽さに藤堂は瞠目した。

 

 華奢な体格だと思ってはいたがそれにしたって軽すぎる。接近すると年若いと言う言葉だけでは説明できない程に骨格が細い。身長は確かに高い方だろうが、細くて肉の薄い体は少女のようだ。

 しかし耳元で張り上がったゼロの声は、少女と思うにはあまりに力強かった。

 

「我々はこれより総督府へ向けて進軍を開始する。我々は最後までやるつもりだ。どんな犠牲を払おうとも、我々はこの国を護りぬいてみせる。

 我々はこれより先、海で、野で、空で戦うこととなるだろう。そして我々は決して降参しない。もし我々がここで倒れることとなれば、今まさにここで起こった殺人が、日本全土で、そして世界中で起こることとなるからだ!!

 従って我々はブリタニアと、ブリタニア以外の全ての世界との境目に立つ者として、戦うか、逃げるかという決断を下さなければならない!!

 そして私は確信する!!今こそ日本の名を取り戻す時である!!」

 

 怒気と興奮が渦を巻く。圧倒的な熱量を持った民衆の歓声が空を衝いた。

 ゼロ、ゼロ、ゼロ。

 幾度も叫ばれるゼロの名に、ようやくゼロは全身から力を抜いた。

 ここまで戦意を高めればトウキョウへ進軍することも十分可能だろう。薄らぐ意識の中、ルルーシュはそう判断して崩れ落ちる体を許した。

 

 藤堂は今にも倒れ伏しそうなゼロの体躯をカレンと共に抱えて壇上から舞台裏へと引きずった。薄暗がりの中、焦った顔をしたC.C.が立っていた。

「怪我を見せろ」

「あなた怪我を診る事なんてできるの?」

「仮面を剥がさずに治療はできんだろう。こいつを蜃気楼の中に運べ。手当はそこで私がする」

「手当程度でなんとかなる傷じゃないことぐらい分かるでしょう!?」

「医療スタッフは手配している。それまでの間くらいなら、」

 C.C.の言葉は途中で途切れた。カレンとC.C.に挟まれ、床に倒れていたゼロが爪先で肌を掻き毟り始めたからだ。よく見ると全身が震えている。裂けた服から見える肌は白を通り越して青く変色していた。

「っ、失血し過ぎたか!」

「ゆ、輸血、輸血しないと、」

「蜃気楼の中に一式用意している。早く移動を、」

「それより早く点滴を、」

「……失礼する」

 藤堂がゼロの服の袖を引き裂いた。

 

 細い腕だ。それに直に見ると男にしては脂肪が厚く、触れると張りがある肌に柔らかく指が沈む。指は細く、形の良い桃色の爪が指先を飾っている。

 まさかと思っていたがここまでくると決定的だ。

 

 ゼロは女だった。それもかなり若い。おそらくはまだ成人もしていないだろう。

 しかし藤堂はその事実があまりに信じられず、何かの間違いではないかと疑った。しかし何度見ても、その腕は女のものでしかありえない繊細な造りをしていた。

 ブリタニアにいくつもの勝利を重ね、奇跡のような快進撃を続けながら堂々と歩み続けるゼロは女だった。

 信じるにはあまりに重い真実だった。もしそうであるのならば、奇跡の二つ名でさえ背負いきれない程に重く感じていた自分が、あまりに情けないではないか。

 

「ちょ、藤堂さん!」

「……静脈ラインを取るだけだ。軍事講習でそのぐらいのことなら習っている。C.C.、蜃気楼から輸血のセットを取って来てくれ」

「ああ」

 C.C.はちらりとゼロを見やり、すぐさま蜃気楼に向かって駆け出した。カレンは包帯とガーゼで出血している個所の止血を始めた。傷に触れた先からガーゼが真っ赤に染まり、藤堂は顔を顰めた。

「肩の傷がかなり深いな。すぐに病院に連れて行かねば」

「C.C.が手配していると言っていました。輸血を始めてから蜃気楼で運びましょう」

「……寒い……」

 痙攣するように震えるゼロの身体に、カレンは顔面を蒼白にした。

 ここまで頼りないゼロの声は初めて聴いた。まるで子供のような声だ。

 呼吸もなんだかおかしい。浅く速い、荒い呼吸が続いている。血液を失ったせいで酸素も足りなくなったのかもしれない。

「ゼ、ゼロ、ゼロ、しっかりして下さい」

 ゼロの手を握る。あまりに冷たい。手は酷く震えていた。

 段々と震えは全身に波及し、ゼロはとうとう仮面を掻き毟り始めた。全身をばたつかせる。

「呼吸ができないのか!?」

「そんな、」

 苦し気に喉を掻き毟るゼロの腕を抑えて、カレンは仮面をぺたぺたと触った。

 

 この仮面の向こうは不可侵だ。誰も暴いてはいけない領域なのだ。

 ゼロがゼロ足りえるために、ゼロは誰であってもいけない。そんなことはカレンも知っている。

 しかしゼロの正体が誰であれ、その事実はゼロの命と天秤にかける価値があるのだろうか。

 そんな筈はない。カレンは震える手で仮面に触れた。触れた手を、仮面を引っ掻こうとするゼロの指が振り払う。

 

「っ、もう!」

 一瞬の躊躇の後、カレンはゼロの仮面を取り払った。

 

 仮面の下から短い黒髪が零れる。荒く呼吸を繰り返して汗で額を濡らした、蒼白の少女が仮面の下から現れた。

 普段よりもいっそう可憐な弱々しい様子は痛ましく、しかし目を奪われるほどの美貌を讃えていた。

 カレンは驚愕のあまり口をかくんと開いた。

 見知った顔だ。それどころか、好きな人だ。

 

 カレンは傷を押さえつけていた手から力が抜けるのを感じた。傷口から血がぼたぼたと流れ出したが、そのことにさえ気づかなかった。

「……ルルーシュ、」

「なんだと!?」

 藤堂はあまりに整ったルルーシュの容姿に眼を瞠っていたが、それよりカレンの零した名前に驚愕の声を漏らした。

 

 ルルーシュ。忘れもしない。日本が開戦することになった原因の皇族の1人の名だ。確かによく見ると顔の造形も5年前と大きく変わらず、幼げな色味を未だ残していた。

 だがルルーシュはどこからどう見ても女だった。皇子ではなかったのか。

 

 驚愕する藤堂に気づかず、カレンは全身を脱力させて目を見開く。徐々に、その事実が体を這い上って来る。

 ルルーシュがゼロだった。

 手の先から震えが走る。それはあまりに受け入れがたい事実だった。

 カレンは心からゼロを信じていた。まごう事なき英雄だと、神聖視さえしていた。

 だからゼロの指示に従って戦場を走り、何人もの人間を殺した。仲間が何人死のうとも、これが最善策だと迷いなく走り抜くことができた。

 

 それが実はブリタニア人で、同い年の女だったなんて。

 

 勝手にゼロの理想像を作り上げ、勝手に壊された。自分勝手だと分かっている。しかし裏切られたという気持ちが今のカレンを支配していた。

 

 ルルーシュの存在を否定するかようにカレンは首を振るった。

「……嘘よ。ルルーシュ、そんな。なんで」

「何をしているカレン!!傷から手を離すな!!そいつを殺したいのか!!」

 輸血のキットを抱えながら走ってきたC.C.がカレンを叱咤した。カレンの膝元に仮面を外したルルーシュが転がっているのを見て舌打ちする。

 ユフィに自分を撃たせるという無謀な策を取ったルルーシュの完全な自業自得とはいえ、面倒なことになった。

「仮面を外したのか」 

「う、うん……呼吸が苦しそうで、仮面のせいだって思って、」

「……動揺したか」

「そ、そりゃあそうでしょ。ルルーシュは、ブリタニア人で、クラスメートなのよ!?それが、こんな、」

「じゃあこいつを殺すか」

 C.C.は冷徹な目でカレンを見下ろした。

 

 愛は尊く、脆いものだ。特に女の愛ほど儚いものはない。

 事実を知り、裏切られたと被害者面をして、掌を返すように裏切るのはいつも女の方であることをC.C.はよく知っていた。

 

「え?」

「ゼロが女で、ブリタニア人で、自分の理想と違っていたからこのまま殺すつもりか、お前は」

「そんなこと、」

「じゃあ止血する手を止めるな。お前の手にこいつの命の一端がかかっているんだぞ。呆けている暇があるとでも思っているのか。なんのためにこいつが、死ぬギリギリまで立って叫んでいたと思っているんだ。日本のためだろう。お前は、お前の動揺のせいで全てを台無しにするつもりか。それでも騎士か!!」

 普段飄々としているC.C.がここまで声を荒げているのを見たのは初めてだった。

 C.C.の叱咤に、カレンは歯を食いしばってルルーシュの傷口を再度圧迫し、手慣れた手つきで包帯を巻き始めた。

 

 未だ何も納得していない。

 しかしゼロにも、ルルーシュにも、死んで欲しくないと思っていることはまごう事なき真実だった。

 

「説明は、してもらうわよ!」

「するさ。多分こいつがな」

 C.C.はちらりと藤堂を見やった。動揺は既に収めて静脈に点滴を繋ぎ、輸血を開始している。

「……より説明しなければならないのはお前かもしれんがな」

 華奢な美しい少女を見下ろしながら、藤堂は自分の手が震えていることを自覚せずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

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