先ほどまで仕事をしていたのに、ここはどこだろう。
ここ最近着っぱなしのゼロの衣装ではなく、ルルーシュは貴族の子弟が着るような華やかな服を身に纏っていた。しかも体がずいぶんと縮んでいる。10歳かそこらの幼子のように、手足は細くしなやかで、肌は水分豊富でもちもちとしていた。
戸惑いながら周囲を見回すと、色とりどりの花が咲き乱れている。花畑のような景色は視界全てが鮮やかで、空気すら甘く感じられた。記憶にある光景だ。
そうだ。ここはアリエスの離宮の、広大な庭だ。
そう理解すると、ああ、これは夢かとルルーシュは一人頷いた。今の自分はもう17歳で、住んでいる場所は日本であり、こんなに豪奢な皇宮で暮らすような身分は既に失った。今のこの光景と幼い自身の体躯を説明するとすれば、夢か、リフレインによる幻覚作用でしかありえない。
そして皇子として暮らしていた時期への望郷を寸分も抱いていないと自負しているルルーシュにとり、自身の最も幸せな過去を見せるというリフレインが自身をこの光景へと誘ったとは考え難かった。
過去への羨望というより、単なる懐かしみから木造のベンチや噴水へ目を走らせる。よく6年近くも経っているというのに細やかに覚えていると自分のことながら感心する。
当て所も無く、生命力豊かに生い茂っている花の隙間を縫うように歩いていると、きゃあきゃあという笑い声が聞こえた。目を向けると花畑の中をナナリーとユフィが走り回っていた。
あまりに優しく、温かく、懐かしい光景にルルーシュは頬を緩めた。
ルルーシュは自然と2人の方向へと足を向けた。草を踏むさくさくという感触が心地よい。
だがあと数歩というところで背後から無遠慮に肩を掴まれて、無理やりに後ろを向かされた。
気分が良いところに水を差されて苛立ちながら誰だと見上げると、肩を掴んでいたのは自分の騎士だった。
顔は仏頂面で、眉間に深い皺が寄っている。決して醜男という訳ではない。むしろ鼻は高く、目元は鋭く、彫の深い顔立ちは全体的にバランスよく整っている。しかしこう厳めしい表情をするとマフィアのように見えてならない。
その顔を見るなり苛立ちは吹き飛んだ。なんだかとても懐かしいような気がして、ルルーシュは胸を熱くした。どうしてだろう。ここはアリエスの離宮で、ここで暮らしている間ジェレミアと長いこと顔を合わせなかった期間なんて無かった筈なのに。
ようやく見つけた、とルルーシュは眼に涙を浮かべてジェレミアに抱き着いた。
しかし抱き返してくる腕は無く、ジェレミアはじっとルルーシュを見下ろしていた。
その瞬間、ジェレミアの顔が歪んで溶け落ちた。
驚いてルルーシュはジェレミアから離れた。
長身の鍛えられた体は膨らみ、さらに巨大になる。碧色の少し癖のある髪が白髪に変わり、どんどん伸びてくるくると渦を巻き始めた。溶けてなくなった顔の下からは、巌のような無骨な顔が浮かんできた。
シャルルの顔だ。老いながらも充実している巨躯を前に、小さなルルーシュは尻もちをついて後ずさった。
シャルルは人間の可聴範囲の底を探るような低音を響かせた。
「やりおったなぁ、ルルーシュよ。しかしこれで終わりとでも思ったか」
手がルルーシュに伸びてくる。
その手はルルーシュを捕まえようとしたのか、頭を撫でようとしたのか定かではなかった。
しかし幼いルルーシュはただ父が恐ろしくてたまらず、少しでも離れようと地面を這いずるように後退した。
宙を切ることになった手のひらをじっと見据え、シャルルは寂しげに呟いた。
「王の力は人を孤独にする。お前もまた―――――」
がばりと起き上がる。ルルーシュは全力疾走でもした後のように呼吸を荒く繰り返した。
ここはどこかと焦りながら周囲を見回すと、1か月前に政庁に設置したゼロの執務室だった。大量の書類が机の周囲に整然と並べられ、圧死せんばかりに迫ってきている。 時計を見るともう夕暮れ時に差し掛かっていた。ルルーシュは顔を手で覆った。
なんて夢だ。最悪だ。無造作に額に浮かんでいた汗を拭う。
ジェレミアを探しに行きたい思いと、ナナリーに会いたいという願望と、ブリタニアへの復讐を終わらせようかという迷いが、仕事のストレスと化学反応を起こしてとんでもない夢になった。ここ最近で1番の悪夢だ。
顔を覆うルルーシュにソファでごろ寝しているC.C.が欠伸交じりの声を出した。
「何をやっているんだお前は」
また勝手に部屋に上がったのだろう、C.C.は呆れ顔だった。
「寝ながらにやにやしていたかと思えば、いきなり唸って飛び起きて。悪夢でも見たか?」
「……そんなところだ。俺はどのくらい寝ていた」
「30分ぐらいだな。すやすやとよく眠っていたよ」
「くそ、時間オーバーか。C.C.、暇なら中華連邦との交渉議題を再チェックしてくれ。あとインフラの予算もチェックを」
「ピザ2枚」
「好きにしろ」
ルルーシュは視線を机の上に落とし、再び書類と格闘を始めた。
C.C.はソファの上で書類をぺらぺらとめくる。重要書類がそこらに適当に積まれており、まさにここが日本の中心地点なのだということを無言で訴えていた。
その書類の中心でせっせこせっせこ仕事をする、今や英雄である筈のゼロを前に、C.C.は嘆息とも溜息とも言い難い息を吐いた。
「……人間は4日で30分しか寝なくても生きていけるものなんだな、長い間生きているが初めて知ったよ」
書類片手にもぐもぐとピザを食べながら、C.C.は眼の下に隈を作っているルルーシュに今度こそ溜息を吐いた。
ゼロはつい1か月前に史上初めて神聖ブリタニア帝国から領地を奪還し、国としての名前を取り戻した英雄であった。
世界で唯一ブリタニアを後退させた奪還者として、その勇名は世界中に轟いている。国籍、年齢、容姿不明のミステリアスな雰囲気も相まってゼロへの関心は否応なく高まり、その仮面の中身へありとあらゆる憶測が立てられた。憶測の多くは30代前半のアジア系の男性だろうという安直な結論に終わっていたが、中にはE.U.系の白人だとか、実はブリタニア人だとか、はたまた実はティーンエイジャーの女の子であるとか、勝手な憶測が蜘蛛の巣上を走っている。
無論何の証拠も無く、噂は噂でしかないためルルーシュも放置してなるがままに任せていた。ゼロ本人が否定する価値もない、春先に降りる霜のような噂話だ。夏が来れば勝手に溶ける。
それよりルルーシュには片付けなければならない案件が山のようにあった。文字通り、山のように。
世界中から熱い視線を集めている英雄ゼロは現在瀕死の状態にあった。
功績甚だしいゼロを瀕死まで追いやったのは戦争ではなく、その後に待っていた戦後処理である。
戸籍管理に法律整備。国会の整備から不当な裁判のやり直し。ブリタニア人に奴隷同然の条件で雇われていた日本人の保護。民間企業への政治介入。食料配布とインフラの整備。合衆国日本となった後も日本に残ると決めたブリタニア人への対応に、今すぐ本国に帰りたいというブリタニア人への対応。そして戦争の余波で各地に湧き起こる暴力沙汰と殺傷騒ぎ。日本人に暴力を向けられるブリタニア人の保護。その他諸々。以下省略。
それらのとんでもない仕事量は全てキョウト六家から押し付けられたものだった。
日本をようやく奪還したというのに、彼らは日本再建のために足る人材を持っていなかったのだ。
日本再建のため一時的に権力と、権力に付随する夥しい労働の預け先を求めた結果、皇神楽耶に猛烈にプッシュされたゼロに白羽の矢が立った。
ルルーシュが嫌々ながらも白羽の矢を受け取ったのは、現在合衆国運営を担っている高貴な血を継ぐ日本の首脳陣が、恥も外聞も無く武装集団の司令官でしかないゼロへ取り縋ることを厭わない様子に絆された、という訳では無い。
合衆国日本はルルーシュが企画し、ルルーシュが先頭に立って作り上げたものだ。言わば合衆国日本はルルーシュの作品だった。
完成したから後は自分でなんとかしろ、と放り投げだすことを、ルルーシュの高いプライドは良しとしなかった。
そのままゼロは一時的ながらも日本の最高権力者として采配を振るうこととなり、この1か月辣腕を振るいに振るっている。
結果としてゼロの公平・迅速・適格な政治能力が明らかとなり、ただの軍略家ではなかったと更に名声が高まる状況とは裏腹に、ルルーシュは溜息が絶えなかった。
ジェレミアを探しに行きたいのに、ゼロの仕事が邪魔をする。元々ジェレミアを殺された復讐とナナリーの身の安全のためにゼロとなったというのにこれでは本末転倒だ。
状況が落ち着き次第藤堂と話し合ってゼロの仮面を誰かに譲り渡すべきなのかもしれない。
それはゼロの正体が藤堂とカレンに知られた時から考えていたことだった。
日本が取り戻された以上、近いうちにゼロはもう必要とされなくなる。日本以外のエリアはどうするのだと言われると耳が痛いが、元々黒の騎士団の構成員は日本人が殆どであった。大半の騎士団員の目標は日本奪還であり、日本が返ってきた今、他国のために命を賭して戦おうとする程に意気の高い者は少ない。
そして何より、ルルーシュの目的はジェレミアの復讐とナナリーを守るためだった。
しかしジェレミアは生きていた。そして合衆国日本の政治に携わる中でナナリーと自分、そしてジェレミアの戸籍を偽造することは簡単にできた。戸籍があれば身分が発覚する恐れは著しく減少するだろう。むしろゼロを続ける方が高リスクだ。
何故これ以上戦う必要があるのだろうか。その質問に対する明確な答えを持たない以上、ルルーシュは戦端を開くつもりはなかった。
無論ブリタニアへの怒りはまだ燻っている。だがそれよりも、穏やかな日々への希求の方が強い。
「………すぐに、というのは無理だろうが。しかし中央政府さえできればゼロは象徴としての英雄でしかなくなるだろう。そうなりさえすれば……」
PC端末に通信が入る電子音に、思いに耽っていたルルーシュは顔を上げた。
なんだと思いPC端末を開く。枢木スザクの名前が表示されていた。ゼロとしての端末ではなく、ルルーシュの端末にかかってきている。
通信をONにすると画面に青白い顔をしたスザクが映った。酷い顔だ。無精ひげを生やし、顔には血の気が無い。眼はどことなく虚ろで時折宙に浮いていた。
それも当然だろう。ルルーシュはスザクの心中を思うと、なんと言っていいのか分からなかった。
『ごめんこんな格好で。ルルーシュ、久しぶり』
「ああ……ユフィは見つかったか?」
『ううん。あちこちをコーネリア殿下と一緒に虱潰しに探しているけど、それらしい手がかりも無い』
力なさげにスザクは首を振る。その返答にルルーシュも肩を落とした。
ユーフェミアはブリタニア本国に帰還後、リ家に到着した直後に誘拐されていた。
誘拐された現場を目撃していた者はいなかった。リ家の者、そして警備兵は一人残らず皆殺しにされており、血まみれの屋敷の中でユーフェミアの死体だけが発見されなかった。
皇族に対してあまりに大胆不敵な犯行は、エリア11奪還と合わせて、ブリタニア皇族の大きすぎる失態として世界に知られた。
コーネリアによる必死の捜索活動にも関わらず、1か月経った今でもユフィの居場所どころか誘拐犯の正体、誘拐した目的さえ未だ分かっていない。
皇族の暗殺、誘拐未遂は日常茶飯事とはいえ、要求の1つもなくこうまで長期に渡る誘拐事件はブリタニアの歴史上初めてだった。
『ルルーシュ、そっちも』
「全世界中の反ブリタニア組織に探りを入れてはみたが、ユフィの誘拐に関わっていそうな組織は無かった。それに状況から見ると犯人はブリタニア側にいる可能性の方が高いだろう」
『コーネリア殿下もそう言ってたよ。世界中で皇族の誘拐なんてできる反ブリタニアの集団は黒の騎士団とE.U.ぐらいしかないし、もしこの2つが関わっているなら犯行声明なり要求なりとっくに出している筈だって』
「皇族はブリタニアの象徴だ。身柄を引き渡す代わりにエリア1つぐらい要求してきてもおかしくはない。今を以てしても動きがないということは、」
もう殺されている可能性が高い、とはルルーシュは繋げられなかった。
スザクの顔はあまりに悲痛だった。
『……言わなくても分かってる。でも僕は、』
「ああ、言わないさ……ジェレミアだって死んだと思っていたけど、生きていたんだ。ユフィだって生きているよ」
スザクは一瞬目を輝かせ、しかしすぐに俯いた。
『うん。そうだね。そうだよね……ジェレミアさんについての手がかりはあったの?』
「何も」
ふるふると首を振る。
ブラックリベリオンの後、ルルーシュはジークフリートの信号を逆探知し行方を捜索した。しかし途中で信号が切れてしまい、ジェレミアの行く先は分からず仕舞いだった。
その後もジークフリートのデヴァイサーについてブリタニア軍に探りを入れて調べてみたものの、全く情報が出てこない。ギアス教団の本体がどこにあるのか未だ分からないが、ブリタニア軍の奥深くまで根を張り巡らせていることだけは間違えようもなかった。
「でもまあ、生きていることは確認できたから。大丈夫だよ。あいつは頑丈だし」
『うん。そうだよね。見つかるよ、きっと』
「そうだな。ユフィも、きっと」
『――――ねえルルーシュ、ちょっとお願いがあるんだ』
「なんだ?」
『……学校に、これを渡しておいて欲しい』
スザクは通信にファイルを乗せて送ってきた。
端末の画面に開く。
そうだろうな、と思っていたが、実際に見ると物悲しくなる。
ファイルは、スザクの名前が入った退学届けだった。ルルーシュは一瞬目をつむり、ファイルをプリントアウトした。
「自主退学するのか」
『うん。もう学校に行く余裕は、無いと思うから』
無理に笑みを浮かべて、スザクはいいんだ、と言葉を続けた。
『本当に楽しかった。ナンバーズの僕が普通に学校生活を送ることができるなんて思ってもみなかったよ。学校は賑やかで、優しくて、平和で――――でも、もう十分だよ………生徒会の皆に、迷惑ばっかりかけてごめんって言っておいて欲しい』
「何を言っているんだ。退学しなくても休学扱いにしておけば、」
『いや、もういいんだ』
スザクは手を握り締めた。
ユフィの騎士になって嫌という程に味わった無力感は、スザクの体に滓のように燻っていた。
自分にもっと力があれば、と思う回数のなんと多い事か。
学校に悠長に行く暇があるのなら政治の勉強をするべきだった。考えが甘かったのだ。その考えの甘さが行政特区日本の失敗を招き、ユフィの誘拐という事態に繋がってしまった。
『僕の手はルルーシュみたいに大きくない。一番大事なものを掴んでいるだけで精一杯なんだよ。僕はユフィの騎士だ。これからはもう、二度とユフィの手は離さない』
「……スザク、」
スザクは疲れた顔をしながらも、瞳を苛烈に光らせてルルーシュを見据えた。
『ルルーシュ、僕はユフィを皇帝にする。確かに理想論ばっかりの、お飾りの皇帝になるかもしれない。でもそれでもいいんだ。実務は、』
「ユフィとゼロが選んだ政治家がやる。そしていずれは選挙制度を作る。同時に皇帝の形骸化……悪くないシナリオだが、やはり理想論だ。そもそもユフィを皇帝にするという時点で問題があり過ぎる。皇族を皆殺しにしたとして、ユフィが素直に血塗れの玉座に座る女だと思うか?」
『でも、』
「それに、」
プリントアウトされた退学届けにルルーシュは目を落した。
「全てはユフィが戻って来てからだ。そうだろう?」
『……うん。そうだね』
これ以上の問答は無意味だと悟ったのだろう、スザクはそれ以上に言葉を続けることを止めた。
その代わりにスザクは先日シュナイゼルから任ぜられた仕事のことを口にした。
『そういえばルルーシュ、合衆国日本の国家承認のために明後日中華連邦に行くんだよね。もう知ってるだろうけど、僕もシュナイゼル殿下の護衛として行くんだ』
「ああ、知ってるよ」
ルルーシュは苦み交じりの笑みを浮かべながら首を捻った。
主権、領土、国民が揃おうとも国家としてすぐに認められるわけではない。国際的に国家としての権利を得るためには他国の承認を必要とする。
他国とはつまり、神聖ブリタニア帝国、ユーロピア共和国連合、そして中華連邦のことだ。この世界には他にも多くの国々があるものの、3つの大国の顔色を窺う小国ばかりである。この3つの大国に認められれば国家としての地位を得たも同然であった。
そして3つとは言わず、2つに認められればそれなりに国家としての体裁は整う。
E.U.からは既に合衆国日本設立の承認を得ていた。「東の果てに合衆国日本という国らしきものができたらしい」というぼかした言い方であったが、ブリタニアへ媚び諂っているE.U.の現状を鑑みればこれが限界だろう。
そして中華連邦から承認を貰う為に、ゼロは明後日中華連邦に向かう。中華連邦以外にも多くの小国から使者が出向き、合衆国日本の承認を同時に行う予定だった。
無論のことルルーシュはブリタニアにも招待状を出した。合衆国日本の承認などする筈も無いだろうが、外交上の礼儀というものがある。来ないだろうし、来ても外交官が数名だろうと予想していた。
しかし何故かシュナイゼル本人が式典への参加を表明してしまった。
意味が分からない。多忙を極めているシュナイゼルが、承認などする気も無いだろう合衆国日本と中華連邦の会合のために何故時間を作るのか。
護衛にスザクを連れてくる意味も分からない。ユフィの死が確認されていない以上、スザクはまだユーフェミアの騎士だ。選任騎士を持たないとはいえシュナイゼルほどの権力者が、他者の騎士を護衛役に連れてくる理由は無い。
シュナイゼルの意図が読めず、今を以てしてもルルーシュは頭を悩ませていた。
「どうしてお前が護衛に選ばれたんだか。シュナイゼルの選任騎士候補は山ほどいるだろうに」
『分かんないけど、特派の代表として来て欲しいって言われて……僕も中華連邦地方の捜索がしたかったから。それにルルーシュに会えるのは嬉しいよ』
「俺も嬉しいさ。まあ、せめてその無精ひげは剃っておけよ」
手で顎を指し示すとスザクは苦笑いを零した。
『そうだね。恥ずかしいな、君に会うのにこんな格好だなんて』
「無茶をし過ぎるなよスザク。お前が倒れたらユフィも悲しむ」
『……大丈夫だよ。僕はそんなに簡単に倒れる程軟弱じゃない。じゃあルルーシュ、また明後日ね』
「ああ」
通信が切れると同時に、ルルーシュはスザクの退学届けを手に部屋を出た。C.C.はひらひらとルルーシュの背中に向けて手を振った。
■ ■ ■
「ルルーシュ、家に帰るの?」
「カレンか」
ゼロの服を着替えて私服になったルルーシュを見つけ、カレンは小走りに近寄った。
合衆国日本となった現在でも政庁でブリタニア人を見かけることは珍しくない。
エリア11であった時代に移住してきた大勢のブリタニア人の処遇を決めるため、多くのブリタニア人が日々入れ代わり立ち代わり登庁している。
ルルーシュもその内の1人だと思われているのだろう、声をかけられることもなく悠々と政庁から外に出ようとしていた。
「ああ。スザクからこれを預かってな」
ひらひらと退学届けを見せる。カレンは安堵したような悲しいような複雑な顔をしたまま目を落とした。
「そう……まあ、そうよね。もう本国に帰っちゃったんだし」
「分かってはいたが、残念だ。生徒会も寂しくなる」
懐に退学届けを戻したルルーシュについてカレンも歩き出した。
「そうね。私たちも3年生になるし、ミレイ会長はもうあと数日で卒業しちゃうのよね」
「そう言えば会長の進路について聞いたか?」
え、とカレンはルルーシュを見上げた。
「そういえば聞いてないわ。どこぞの貴族と縁談を組まされたって噂は聞いたけど」
「ロイド・アスプルンド伯爵と婚約していたが、破棄したそうだ。ニュースキャスターになるらしい」
「………あー、なんだか納得。美人だし、しっかりしてるし、声もすごく通ってるし」
「生徒会から何かお祝いでも送ろうかと思っているんだ。まだリヴァルとニーナとシャーリーには話していないんだが」
「いいわね。あんまり時間が無いから何を送るかすぐに決めないと」
ルルーシュの隣を歩き、政庁のエントランスを抜ける。
戦争を終え、合衆国日本となった国でクラスメートとしてルルーシュと何気ない会話をしていることがカレンには不思議でならなかった。
ルルーシュがゼロと知りカレンは酷く困惑した。戦争の終わった今でもカレンは困惑を引きずっている。ゼロに強い敬意を抱き、神聖視さえしていた分、動揺は大きかった。
しかしこうして日本が戻ってくると、ゼロが嘘をついていた事実は些末な事だったのではないかと思う。
ルルーシュが嘘をついて自分たちを騙したからこそ、こうして日本が戻ってきたのだ。そう思うとルルーシュをカレンは許すことができた。
いや、許す、なんていう上から目線な態度こそが間違っていたのだろう。結局自分たちはゼロの言う通りにしてきただけだ。それなのに文句を言うなんて、お門違いではないか。
ゼロは人間で、自分と同い年の少女だ。
それなのにゼロは誰の助けもなく、全ての責任を背負い、道筋を照らしてくれた。
戦争の真っ最中にジェレミアという男を前にして混乱を来し、ゼロとしての役目を放棄しそうになったルルーシュを目の当たりにして、カレンはようやくゼロが他者の助けを必要とする人間であると知った。
今から思えばそれは当然のことなのだが、ゼロがあまりに完璧だったせいで、カレンはゼロが人間であるということを忘れていたのだ。騎士としてあるまじき失態だった。
騎士は主君の言うとおりにするだけではなく、主君の間違いを諫めるためにも存在するというのに。
大失敗した行政特区日本を諫めることのなかったスザクと同じ轍を踏もうとしていたと思うと、カレンは今更に身震いした。
政庁から出ると戦争の傷跡が未だ生々しいトウキョウが目の前に広がる。しかし道を歩く人々の顔は明るい。問題は山積みだが、一応の活路が見えた影響は計り知れなかった。
壊れた街並みを多くの人々が直そうと奔走している。それは1か月前の戦争だけではなく、5年前の戦争の跡地も同じように復興の兆しを見せていた。
「ねえルルーシュ、ブリタニア人にも合衆国日本の国籍を与えたのは何故?」
学校に向かって歩く道の上で、ふとカレンはルルーシュに聞いた。
合衆国日本を造るにあたり、ゼロは1つのことを宣言していた。合衆国日本の国民はこの日本の土壌に住まう全ての人々であり、いかなる差別も許容しないと。
人種に拘らないその定義はブリタニア人も日本人の括りに内包しており、手続きを煩雑化させていた。
「二重国籍になったら管理が面倒なんじゃないの?ブリタニアに帰国するブリタニア人はわざわざ合衆国日本の国籍を捨てなきゃならないし、それに犯罪者が国籍を不当に得ることにもなるしれないのに」
「今の合衆国日本を構成している人種は日本人と、多くのブリタニア人だ」
ルルーシュは、トウキョウ租界の外縁部を崩壊させた時の影響だろう、ひび割れた地面の上で走り回って遊ぶ子供達に目を向けた。ブリタニア人と、日本人の子供達だ。
子供に差別的感情はないというのは嘘だ。大人よりも、むしろ子供の方が差別に対しては敏感と言える。眼や髪、肌の色の違い、育ちの違い、言語の違い。そういった目につきやすい違いは子供にとりあまりに大きい。
しかし子供たちは人種の違いを気にせずはしゃぎ回っている。
「合衆国日本に住んでいるブリタニア人の大半は、仕事や住居の関係もありすぐに本国に帰ることが出来ない者が多い。それに今すぐに全てのブリタニア人に退去されては労働力が減って合衆国日本も困る。国籍を取得させて引き留める必要があるんだ。それに、」
「それに?」
「……俺とナナリーと、あとジェレミアの国籍がこれで手に入れられた」
子供達はきゃあきゃあと笑い声を上げながら走って行った。
崩壊した街並みとじゃれるように駆けていく。髪の色より目の色より、戦争後の埃臭い、しかし胸が躍るような非日常の空間の方がよっぽど子供達にとっては重要らしい。
「結局は俺自身のためさ――――カレン、俺は近々ゼロを辞めることになるだろう。藤堂に知られたから、というだけではない。俺の目的のために、ゼロという肩書は邪魔になるからだ」
カレンは予想していたとばかりに微笑んだ。
「ええ。分かっているわ」
「………俺にはゼロとしての責任があるんじゃないのか?」
「日本は返って来たもの。それにすぐ辞めるって訳じゃないんでしょ?」
「ああ。政府が設立され、合衆国日本がゼロの助けなしに国として確立するまでは続けるつもりだ」
「ならいいのよ。そこで十分責任は果たしたことになるもの」
ルルーシュの隣を歩き、カレンは息を吐いた。
こうして一緒に歩くことができるのも高校を卒業するまでだろう。
ゼロを辞めたらルルーシュは大学に行くに違いない。進学先はE.U.か、それとも中華連邦か。
いずれにせよ彼女が未だまともに大学が整備されていない合衆国日本に留まる器ではないことは分かる。
あと1年先には訪れる未来だ。寂しい。しかしルルーシュを止める術をカレンは知らなかった。
「……ねえ、ルルーシュ」
「なんだ?」
「その、ジェレミアさんって、ルルーシュの大事な人なの?」
「――――うん」
恥ずかし気にルルーシュは目を伏せた。照れる、というルルーシュの初めて見る表情にカレンは瞠目した。
人間離れした美貌を持つルルーシュはひやりとする空気を含有した皮肉気な表情をすることが多い。だが今の笑みはひたすらに温かだった。氷の彫刻が命を得て動いたような感動をカレンは感じた。
「俺の騎士だ。ブリタニアにいた頃からの腐れ縁で、もう家族みたいなものさ」
「へえ。どんな人なの?」
「そうだな……優秀な奴だよ。戦闘能力だけじゃなくて、事務面でも優れていた。真面目で、でも融通が利かないっていう訳じゃなくて、それなりに思考に柔軟性はある。でも思い込みが激しいかな。それに年齢の割に落ち着きが無くて、心配性で、ちょっと夜間に外出したらすぐ電話をかけてくる」
「信頼してるのね」
「どうしてそう思うんだ?」
「だってルルーシュ、笑ってるもの」
指で顔を差されて、ルルーシュは無意識の内に自分が微笑んでいることに気づいた。
気まずげにルルーシュは頭を掻いて顔を逸らした。
「あいつのことを喋るのは、カレンが初めてだ」
「――――そう、ねえ、ルルーシュ」
「なんだ?」
「その、他に騎士を持つ気は無いの?」
ルルーシュの服の裾をカレンは握った。
カレンはその指先に、心臓が止まりそうなほどに振り絞った勇気を乗せた。
服を引っ張る指は白くなるほど強張っていたが、しかし少し振り解けばすぐに離れるほどに弱弱しかった。
何もルルーシュに知られてはならなかったからだ。
自身の思いも、覚悟も、ルルーシュの足枷にしかならないだろう。好きな人の、そして主君の足を引っ張ってでも、と思う程にカレンは強欲にはなれなかった。
軽い口調で、何ともなさげにカレンは微笑んだ。
「大学に行くにしても仕事をするにしても、きっと忙しくなるでしょ?たくさん部下がいたゼロを辞めて、部下がたった1人になるなんて大変なんじゃない?護衛だって多い方が良いだろうし、」
「そうかもしれないが……カレン、実はな」
ルルーシュはカレンに向かって微笑んだ。
綺麗な笑みだった。もしかするとこの瞬間に、初めてカレンはルルーシュの素顔を見たのかもしれなかった。
17歳らしい飾り気のない笑みは、これまで見たどんなものよりも美しかった。そしてこれから先の人生で、これほどに美しいものを見ることも無いだろうとカレンは確信した。
天使のような壮麗さと世慣れぬ少女のようなあどけなさが混ざり合って、ルルーシュの笑みは紫水晶でできた宝石彫刻のようだった。その笑みにカレンはこれまでの自分が何も間違っていなかったと確信した。
この笑顔を見ることができたのだから、ここに至るまでの道はきっと間違っていなかったのだ。お兄ちゃんの敵を討とうとテロリストになったことも、ゼロを信じたことも、KMFに乗って敵兵を沢山殺したことも。
カレンは自分の全てがその笑み一つで肯定されたような気がした。
「俺はジェレミアを見つけたら、E.U.に移ろうかと思っているんだ」
「E.U.に?」
ルルーシュはこくんと頷く。
「世界で最も義足の開発が進んでいるのはE.U.だから。それに心理療法もE.U.なら世界最先端の治療が受けられる。E.U.ならブリタニアの手も届かないだろうから、他の騎士を持つ必要もないだろう」
ああ、自分が好きになった人はこんな人なんだ。
カレンは誇らしい思いがした。妹のためにここまでできる、捻くれているけれど心優しい人なんだ。
気付かれないように目を擦る。
自分はルルーシュについて行くことはできない。黒の騎士団のエースとして、生まれたばかりの弱弱しい赤子である合衆国日本を守るためにこの国で生きていくことになるだろう。
ゼロの残したものを護るために、戦い続ける。終わることのない初恋を胸に。
「性質が悪いのに惚れたのね、私も」
「どうした?」
「何でも」
カレンは首を振った。
いつか自分が、この人以外を好きになることがあるのだろうか。難しいような気がした。初恋の思い出のハードルが凄まじく高すぎる。
いずれジェレミアという騎士に出会うことがあったら力いっぱい殴らせて貰おうとカレンは心に決めた。
■ ■ ■
久しぶりに登校した学校は、生徒の数が4分の3まで減っていた。
これから先はもっと減るだろう。ルルーシュが職員室へスザクの退学届けを出しに行った時、同じように退学届けを手にした生徒が数名見られた。
退学届けを出した後に生徒会室に向かうと、カレンとシャーリーが雑務をこなしていた。
奥ゆかしい令嬢としてではなく、ゼロの前にいる時と同じような髪型でカレンはシャーリーと並んで座っている。
もう少しで卒業式だ。名物生徒会長のミレイが卒業するとあって、イベントが盛り込まれた卒業式になることは想像に難くない。その分去年と比較すると仕事は多いだろうが、ゼロとしての仕事量を思えば鼻で笑える少なさだった。
ルルーシュの姿を認めるなり、シャーリーは紙束を差し出した。
「ルル、これが卒業式プログラムの草案だって」
「ありがとうシャーリー。会長とリヴァルと、あとニーナは?」
「リヴァルは、会長が卒業する前に告白してくるー!って」
「………本気か?」
「多分。玉砕しなきゃいいけど」
「玉砕しそうね」
カレンの辛辣な意見にルルーシュは内心で同意しながら、友人の儚い恋に早くも黙祷を捧げた。
「それでニーナは?もう授業も終わってるだろうに」
シャーリーは小柄な同級生がいつも座っている席に目を向け、寂しげに肩を落とした。
「ニーナは、本国に帰るんだって」
「……そうか。寂しくなるが、しょうがないな」
エリア11が合衆国日本の名を取り戻したことで、多くのブリタニア人が次々に本国へと帰国し始めている。これまで散々にイレブンを差別したという自覚がある分、ブリタニア人の行動は早かった。
合衆国日本の国籍返還手続きは毎日長蛇の列を作り、ブリタニア行きの飛行機は予約で全て埋まっている。
予想していたために驚きはしない。だがこうして生徒会のメンバーまでいなくなる現実を見ると、スザクが退学届けを出した時と同じ寂しさが湧いてきた。
「ニーナはシュナイゼル殿下の科学研究所に誘われていたから、それもあったのかもね」
「そうだったのか?」
「そうよ。ウランか何かを使った研究が認められたって」
「ニーナってそんなに凄かったの?」
「あんまり目立たないけど、ニーナは本当に天才なのよ。ユーフェミア殿下から直々に賞を貰ったこともあって、ルルだって物理学だとニーナには敵わないって言ってたでしょ?」
「ああ。科学分野におけるニーナの発想力には敵わないよ」
「ルルーシュがそう言うなんて、相当ね」
皇族直々に賞を貰うというのも凄い事なのだろうが、それ以上にカレンはルルーシュが素直に負けを認めたことに驚いた。
ゼロの発想力は尋常ではない。そのゼロをして敵わないと言わせるのだから、ニーナは正真正銘の天才なのだろう。
ふとカレンが顔を上げると、シャーリーがじっとカレンを見ていた。
「カレン……ルルーシュとなんだか仲良くなった?」
「え?」
「だって。なんだか2人の雰囲気が前と違うから」
「そ、それは。もう黒の騎士団っていうことを、隠さなくてもいいから……」
「それだけ?」
「そ、それだけよ」
しどろもどろになるカレンを庇うようにルルーシュは微笑した。
「一緒にこの前買い物に行ったんだよ。ジェレミアの快気祝いに、何を買ったらいいのか分からなくて」
ルルーシュの流れるような嘘にカレンは一瞬混乱の表情を浮かべたものの、すぐにこくこくと頭を上下に振った。流石に嘘が上手い。ゼロを辞めたら女優にでもなったらいいんじゃないだろうか。
ルルーシュの嘘をシャーリーは疑問に思うことも無く、表情を明るくした。
「ジェレミアさん治ったの?」
「退院はまだらしいけれど、大分回復してきたらしい。快気祝いに何か送ろうと思ったんだけど何が良いのか分からなくて。カレンに協力して貰ったんだ」
「良かったね。ジェレミアさんが治ってナナちゃんも喜んだでしょ?」
「ああ。まだ帰ってくるのは先になりそうだがな。それでカレンと話したんだが、会長にも卒業プレゼントを渡してみないか?」
「いいね!みんなで割り勘すれば結構良い物買えそう!」
「候補はもうリストアップしてあるんだ。リヴァルが帰ってきてから選ぼうか」
「じゃあそれまでに仕事を終わらせなきゃね。ルル、卒業式に必要な備品を見に行こうよ」
「分かった。カレン、こっちの書類を頼んでいいか?」
「任せて」
ルルーシュは立ち上がり、シャーリーと共に生徒会室を出た。
黒の騎士団に一時的に占拠されていたが生徒には被害は無く、建物も破壊されず、アッシュフォード学園は戦争前と同じ様相を保っていた。
ルルーシュはシャーリーと共にキャンパスを横切り、講義室の横に備え付けてある倉庫へと向かう。
「スザク君がいなくなって、ニーナもいなくなって、会長も卒業して。寂しくなるね」
「でも新しい生徒会メンバーが入ってくるだろう。またすぐに賑やかになるさ」
「うん……男子が入ってこないと、バランスがちょっと悪くなるかもね」
「男子がリヴァルだけだからな」
「ね。力仕事できる人が欲しいな」
倉庫に入り、備品をチェックしていく。手慣れた手つきでルルーシュとシャーリーは作業を進めていった。
単純作業の中で、シャーリーはふと頭に浮かんだことを口に出した。
「ねえルル。彼氏できた?」
いきなりの言葉にルルーシュはきょとんと眼を見開いて、いや、と返事を返した。
「別にいないが。どうしてそう思ったんだ?」
「なんだか雰囲気変わったから。ちょっと前まですごいキリキリしてたけど、今はなんだか安心してるっていうか。柔らかくなった感じがするから」
「――――そうかもな」
「好きな人でもできたの?」
何故か心配そうな顔をしたシャーリーがルルーシュの顔を覗き込む。
年頃の少女というものは、何事も恋愛に変換する体質でもあるのだろうか。
そういった短絡的な面も少女という生物の可愛らしい所なのかもしれないが、自分が所謂女子トークをするに相応しい人物ではないという自覚はある。シャーリーが楽しめそうな女子同士の会話の応酬は自分にはできないだろう。
ルルーシュは苦笑を滲ませて首を振った。
「いや。ジェレミアが快方に向かっているし、それに戦争も終わったから安心したんだよ。好きな人ができたとか、そういうことじゃない」
「……ねえルル」
「何だ?」
「カレンちゃんが好きなの?」
ルルーシュはぱちくりと瞬きして、首を捻った。
「カレンは女だろう?」
「うん。でもルルって男の子みたいなところがあるから」
「カレンは友達だよ。友達としては好きだけど、それ以外の好意は無い」
「そう………ねえルルーシュ」
シャーリーはルルーシュへ向き直り、両手を胸の前で組んだ。
祈るような仕草を可愛らしい容姿のシャーリーがすると、どこか儚げに見えた。罪の告解でもするかのように両手を強く握りしめている。
唇を震わせながら、シャーリーは声を絞り出した。
「私、本国に帰ることになったの」
目を一瞬大きく見開き、ルルーシュはしかしすぐに表情を戻して小さく頷いた。
エリア11が合衆国日本となった以上、成田連山の地質学を研究していたシャーリーの父がこれ以上この地に留まる必要は無い。合衆国日本の成田連山にサクラダイトがあろうとなかろうと、ブリタニアにとってはもうどうでもよい事だ。
「そうか」
「それだけ?」
「……寂しくなるな」
「―――それだけ?」
「また会えるさ。別に死ぬわけじゃない」
「でももう、こんなに簡単に会えなくなるのよ?あの生徒会室で、みんなで集まることも無くなるのに」
「でもまた会おうと思えば会える。みんなちゃんと生きているんだから。ずっと一緒にはいられないけど、でもまた会えるのならそんなに悲しい事じゃない。大丈夫だよ、シャーリー。またみんなで集まれるさ。その時は花火をしよう。会長がやりたいって言っていたし、」
シャーリーはそれ以上の言葉をルルーシュが言う前に、細い体に抱き着いた。
「シャーリー?」
戸惑うルルーシュを気にせず、力いっぱい抱き着く。
身長は高いけど、やっぱり女の子だ。ウエストは細くて、胸だって小さいけどちゃんとある。手足は自分よりも細いかもしれない。
ルルーシュの容姿は毎日顔を合わせる度に綺麗になり、今では神様が氷で作った彫刻が動いているようだとさえ思う程だった。女性らしい柔らかい美と、男性のような硬質の美が完璧に噛み合わさって、半神のような超絶した美を体現している。
しかしその繊細な容姿を裏切るようにルルーシュはひねくれ者で、神経は非常に図太い。素行も良いとは言えなくて、学校だってしょっちゅうサボる。
ルルーシュは欠点の多い人間だった。
シャーリーはそんなルルーシュに恋をしていた。初恋だった。
ルルーシュが一体何をしているのかぼんやりと理解していても、それでも好きだった。
絶対に叶うことは無いだろうと分かっていて、だからこそいつか思い出話にするために。いつか何でも話し合えるような親友になるために、シャーリーは初恋に区切りをつけようと勇気を振り絞った。
「私、ルルーシュが好き。友達としてじゃなくて、ずっと一緒に生きていきたいっていう意味で、好き」
「……シャーリー」
「女の子って分かってる。でもそんなことどうでもいいぐらいに好きなの。大好きなの。ルルが大事だから、私はあなたの力になりたいの。ルルがやりたいことの手助けをしたいし、ルルのことを守りたいの」
シャーリーは耳元で友情が崩れていく音が聞こえた。
しかし後悔は無かった。これから先に後悔する時が来るのかもしれないけれど、今この瞬間に後悔が無いのならばそれでいいのではないかと思った。
一度しかない初恋なのに、ぶつからなくてどうするんだ。
馬鹿なことだと分かっている。何もない振りをして、友達として傍にいる方が利口な選択なのだろう。
だからシャーリーは告白したのだった。
賢い大人になる前の今でしか、こんな馬鹿なことはできなかっただろうから。
「お願いルルーシュ、誤魔化さないで。イエスでも、ノーでもいいから。応えて」
自分に抱き着いて震えるシャーリーの頭を撫でて、ルルーシュは小さく微笑んだ。
自分はどれだけ鈍感なのかと呆れる思いだった。精神の半分は男だなどと、よく言えたものだ。
ルルーシュは小さな子供に言い聞かせるように柔らかな声を出した。
「シャーリー、俺は君が可愛いと思う。性格も真面目で明るくて、芯が強くて勇敢で。とても素敵な女性だと思う」
「うん」
「部活動を一生懸命に頑張っていることも知っているし、生徒会でも雑務を一手に引き受けてくれていてとても助かっている」
「…うん」
「君は俺の安寧の象徴だった。シャーリーがいる学園に帰るといつも安心できた。君がいる生徒会はとても居心地が良くて、楽しかった。でもな、シャーリー」
「……うん」
「すまない」
「分かった」
シャーリーは背伸びをしてルルーシュにキスをした。唇の表面が触れる程度の、子供のお遊びにも劣るキスだった。
一瞬戸惑ったものの、ルルーシュは黙ってシャーリーの唇を受けとめた。だが自分から求めることは無かった。
そのことに気が付いてシャーリーは涙を零した。
恋が砕け、崩れた友情に降り注ぐ音が耳元で反響する。
体を離してシャーリーはルルーシュに向き直った。ルルーシュは慈母のような優しい笑みを浮かべていた。
その顔に、きっとルルーシュが自分を好きになることはありえないのだろうとシャーリーは悟った。
自分はルルーシュの守るべき対象なんだ。ルルーシュが他人との間に築いている壁の高さを考えると、それは喜ぶべきことなのだろう。しかしそれ以上に悔しさがあった。
カレンはルルーシュと一緒に戦っている。しかし自分はここにいる。そしてルルーシュの背中を遠くから見つめることしかできない。
そうしていつかその背中も見えなくなって、自分はルルーシュとは違う道を歩くのだろう。
いつかの未来でルルーシュと道が交わった時、自分は笑っていられるだろうか。
シャーリーは目を伏せて、明るい笑顔を浮かべられる良い女になりたいと願った。
「――――ルルーシュ、私、あなたを好きになってよかったわ」
「ありがとう。俺も君と友達になれてよかった」
「これからもまだ友達でいてくれる?」
「勿論だよ。ずっと友達さ」
シャーリーは、その言葉が嘘でないことを願いながら微笑みを零した。