Fate/cross wind   作:ファルクラム

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第11話「ガリア危急」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネロは少しふらつく足取りで、城壁の上へと出る。

 

 心地よい酩酊感が全身を包み込み、火照った体が内側から温められていくのが判る。

 

「陛下ッ 足元にお気を付けをッ」

「いや、よいよい、気にするでない」

 

 ふらつくネロを、慌てて支えようとする兵士。

 

 だが、ネロはそれを制して歩いていく。

 

「宴はまだ続いておる。そなたらも戻って楽しむが良い」

「はッ しかし・・・・・・・・・・・・」

 

 階下では、まだ華やかな楽曲の音色が聞こえてくる。

 

 大広間では、立香達カルデア特殊班を交えた宴が続けられているのだ。

 

 そんな中、主賓であるネロが中座するのは、どうかとも思ったのだが。

 

「いかん、やはり少し、飲み過ぎたか・・・・・・」

 

 頭を押さえながら、大きく息を吐くネロ。

 

 久しぶりの無礼講と言う事で、ネロも少し、羽目を外しすぎた様子だった。手にした原初の火(アエストゥス・エストゥス)が、今は少し重く感じる。

 

 思えば、これほど楽しい宴は、いつ以来だっただろう?

 

 突如として現れた連合ローマとの戦いで、戦場と首都を往復する日々。

 

 ネロに心休まる間は殆ど無かったのだ。

 

 だが、

 

 こうして騒ぐのも、今日が最後になるだろう。

 

 この次の戦いは、連合ローマ軍との決戦となる。そしてその後は、真っすぐに連合ローマ首都へと進軍する事になるだろう。

 

 戦いは間もなく終わる。

 

 否、何としても勝って、終わらせなければならないのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・さて」

 

 ネロは傍らの剣を取りながら立ち上がる。

 

 その視線は、城壁の先にある暗がりへと向けられた。

 

「望み通り、余1人になってやったぞ。いい加減、出てきたらどうだ?」

 

 呼びかける声。

 

 ややあって、

 

 闇の中からにじみ出るように、その人物は現れた。

 

「剣を持ってきた時点でそうではないかと思いましたが、やはりばれていましたか」

 

 両手に構えたナイフが鋭く光る中、

 

 外套の下から、美しい女性の素顔が現れる。

 

「貴様であったか。相変わらず、殺気を隠すのが下手よな」

 

 相手の顔を見て、飄々とした声で告げるネロ。

 

 相手は以前、宴の席でネロの首を狙ってきた女座長。

 

 アサシンだった。

 

 連合ローマにて、レフからネロ暗殺の指令を受け、再びこの首都へとやって来たのだ。

 

 その隠しようもない殺気。

 

 感じたからこそ、ネロはこうして1人でやって来たのだ。

 

「またもや余の前に再び現れるとはな。その執念は驚嘆と言うべきだが、余程、余に対する恨みが強いと見える」

「別に・・・・・・」

 

 ネロの言葉に対し、アサシンは黙って首を横に振る。

 

 互いに武器を構える両者。

 

「あなたには何の怨みもありません、皇帝ネロ。ただ・・・・・・」

 

 言いながら、

 

 アサシンは、一足でネロの懐へと斬り込んだ。

 

 真っ向から急所を狙った一撃。

 

 その攻撃を、

 

 ネロは原初の火(アエストゥス・エストゥス)を横なぎに振るって打ち払う。

 

 後退し、着地をするアサシン。

 

 しかし、

 

 その鋭い眼差しは、変わらずにネロを見据えている。

 

「前にも言った通りです。我が主君を真なる皇帝とする為。邪魔者には全て消えてもらいます!!」

 

 駆けるアサシン。

 

 迎え撃つネロ。

 

 振り下ろす大剣が、アサシンの攻撃を阻む。

 

「笑止なッ!!」

 

 後退するアサシンを追って、斬り込むネロ。

 

「いかなる事情があろうとも、今代のローマ皇帝は余1人ッ このネロ・クラウディウス以外の皇帝などあり得ぬ!!」

 

 袈裟懸けに振り下ろされた剣。

 

 その一撃を、辛うじてナイフで防ぐアサシン。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・クッ」

 

 手に感じる痺れ。

 

 ネロの戦闘実力は、サーヴァントであるアサシンを確実に上回っている。

 

 奇襲が失敗し、正面戦闘になった時点で、アサシンの勝機は既に下がっていたのだ。

 

「さあ、次で終わらせてもらうぞ。そなたの主君とやらには聊か興味があるが、しかし、これ以上、この場での戯言を許す気は無い」

 

 言いながら、

 

 己の内で魔力を高めるネロ。

 

 対して、

 

 アサシンはスッと両腕を下す。

 

 一見すると、全てを諦めて覚悟を決めたような態度。

 

 だが、

 

「終わる・・・・・・ですって?」

 

 女の鋭い眼差しが、真っ向からネロを睨み据える。

 

 同時に、

 

「終わらせるものかッ 私が・・・・・・私の罪が許される、その時まで!!」

 

 次の瞬間、

 

 アサシンの魔力が高まる。

 

「ぬッ これはッ!?」

 

 その様に、驚きの声を出すネロ。

 

 溢れ出すすさまじい魔力に、皇帝は一瞬、気圧された。

 

「無駄だッ」

 

 吼えるアサシン。

 

 その姿は、

 

 一瞬にして、

 

 ネロの背後へと回り込んだ。

 

「しまったッ!?」

 

 ネロが驚愕の声を上げるが、既に遅い。

 

「あなたが『王』である限り、私には決して敵わない!!」

 

 鋭い眼差しでネロを射抜くアサシン。

 

 手にしたナイフが怪しく光る。

 

 唐突に、ネロは悟る。

 

 この女に、自分は勝てない、と。

 

 実力は、間違いなくネロが上。普通に戦えば、ネロが負ける事などありえない。

 

 だが、

 

 もっと根本的な部分、

 

 あえて言うなら「概念」的な要素の差で、目の前の女は自分のような存在に対する「天敵」になり得ると悟った。

 

 突き込まれる暗殺者の刃。

 

我が愛しき主君に死を(メア・ドミナス・モース)!!」

 

 発動される宝具。

 

 対して、

 

 ネロの対応は間に合わない。

 

 魔力を帯びた刃が繰り出され、

 

 次の瞬間、

 

 少女の背中を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女を貫いた衝撃。

 

 ナイフを握るアサシン。

 

 その刃は、確実にネロの背中を捉えていた。

 

 タイミングは完璧。

 

 威力は十分。

 

 手応えはあった。

 

 いかに常人離れした能力を持つネロとは言え、サーヴァントが放った宝具の直撃を受けて無事でいられるはずが無い。

 

 今度こそ、確実に仕留めた。

 

 その確信をアサシンは抱いた。

 

「・・・・・・・・・・・・見事、だ」

 

 低く呟くネロ。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・響」

 

 言われて、

 

 気付く。

 

 ネロのすぐ傍ら、

 

 彼女とアサシンの間に割り込むように、

 

 小柄な暗殺者の少年が、刀を振り下ろした状態で立っていた。

 

「ん、間一髪」

 

 息を吐くと同時に、

 

 響は刀を跳ね上げるように一閃。アサシンに斬りかかる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、後方へ大きく後退して回避するアサシン。

 

 刀は女の額を霞め、髪を数本断ち切って宙に舞わせる。

 

 見れば、ネロに対して繰り出したナイフは、刃の半ばから斬り飛ばされている。

 

 アサシンの勢いを止められないと判断した響が、とっさに刃を刀で斬り飛ばしたのだ。

 

 ネロを守るように、刀を構える響。

 

 その幼い視線が、鋭くアサシンを睨む。

 

 そんな響の背後に、ネロは立つ。

 

「大儀である響。しかし、なぜそなたがここに?」

 

 ネロは誰にも告げず、この城壁へとやって来た。それなのに、響が現れたことが疑問だったのだ。

 

 と、

 

「わたしが呼んだのよ」

 

 声に導かれるようにして振り返ると、そこには妖艶な笑みを浮かべた幼い外見の少女が佇んでいた。

 

「ステンノ?」

「このわたしの目を晦まそうなんて、あなた、ずいぶんと大胆ね。けど無駄よ、女神からは逃げられない」

 

 そう言って、アサシンを睨むステンノ。

 

 対して、アサシンは悔しそうに舌打ちする。

 

 ネロと同様、ステンノはアサシンが侵入した時点で、彼女の気配を察知していたのだ。

 

 この時点で、敵が城内の人間を暗殺するとすれば、狙いはネロ以外にあり得ない。

 

 相手が普通の人間ならネロが後れを取る事は無いだろうが、サーヴァントとなると話は別である。「万が一」が起こる可能性があり得る。

 

 そこでステンノは、響に声を掛けてネロ救援に駆け付けたと言う訳である。

 

 と、

 

「ちょ、ちょっと2人とも待ってよ。わたし、そんなに早く、走れない」

 

 息も絶え絶え、と言った感じに登って来たのは凛果だった。

 

 宴席を楽しんでいた中、むりやりステンノに引っ張り出されて来たのだ。

 

「ん、凛果、来るの遅い」

「運動不足よ。もっと精進なさい」

「サーヴァントと一緒にしないでくれる?」

 

 理不尽な事を口々に言う響とステンノに、口を尖らせて抗議する凛果。

 

 とは言え、

 

 城壁の上で対峙する、響とアサシン。

 

「宝具は?」

「ん、いい」

 

 凛果に答えながら、響は刀の切っ先をアサシンへと向ける。

 

「これで、充分」

 

 響が告げた瞬間、

 

「舐めるな、小僧!!」

 

 片手のナイフを繰り出して、響に襲い掛かるアサシン。

 

 迎え撃つように、響も地を蹴って斬り込む。

 

「暗殺者のこの身とは言え、貴様如きに後れを取る私ではない!!」

 

 繰り出される鋭い刺突。

 

 対して、

 

 響は刀を横なぎに振るって、アサシンの攻撃を弾く。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちして、後退するアサシン。

 

 響もそれを追って、前へと出る。

 

 身軽さ、と言う点においては、両者ともにそれなりである。

 

 城壁の上を高速で駆け抜けながら刃を交わす。

 

「フッ!!」

 

 短く息を吐きながら、ナイフで斬りかかってくるアサシン。

 

 対して、響は刀を振るってその斬撃を回避。

 

 同時に、懐にまで飛び込む。

 

「ッ!!」

 

 逆袈裟に刀を斬り上げる響。

 

 駆け上げる銀の閃光。

 

 その一撃が、

 

 アサシンの袖を僅かにかすめて斬り裂いた。

 

「チィッ!?」

 

 舌打ちしながら後退するアサシン。

 

 響の攻撃が予想外に鋭かった為、押し負けてしまったのだ。

 

「響、今だよ!!」

「んッ!!」

 

 言葉を交わす主従。

 

 同時に凛果は礼装に施された魔術を発動。

 

 響の身体能力に強化を掛ける。

 

 敏捷が強化される響。

 

 その圧倒的な機動力は、開いた距離を一瞬にしてゼロにする。

 

「なッ 速い!?」

 

 響の第一撃を辛うじて防ぎながらも、アサシンは舌を巻かざるを得ない。

 

 マスターである凛果の援護を受けた響の戦闘力は、格段に跳ね上がっている。

 

 思えば、響には相棒と呼べる存在が2人いる。

 

 前線における相棒は、共に剣を揃えて戦う朔月美遊だ。

 

 そしてもう1人、言うまでもなくマスターとサーヴァントと言う関係性において、響と凛果は決して別個にはできない相棒同士であった。

 

 攻勢に出る響。

 

 既に少年の戦闘力は、アサシンのそれを完全に凌駕している。

 

 重く、鋭い斬線が、連撃となってアサシンへと斬りかかっていく。

 

 対して、アサシンは防戦一方だった。

 

 今や打撃力も手数も、響に圧倒されている状態である。

 

 一撃ごとに、押し込まれていくのが判る。

 

「さっきの宝具が効いて来ているのかッ!?」

 

 響の斬撃を辛うじて防ぎながら、悔しそうに呟く。

 

 先程、ネロに対して宝具「我が愛しき主君に死を(メア・ドミナス・モース)」を使ったアサシン。

 

 あれが決まっていれば、戦いは彼女の勝利で終わっていただろう。

 

 だが宝具の発動は響によって阻止され。ただ魔力を浪費しただけに終わった。

 

 そのせいでアサシンは、全力発揮できる状態ではないのだ。

 

 連戦が仇になった。せめて、もう少し時間をおいてから戦っていれば、また状況は違っていたかもしれないのだが。

 

 だが、響もこの好機を逃す気は無かった。

 

 響が繰り出した鋭い横なぎの一閃が、アサシンを襲う。

 

 その一閃が、アサシンの手からナイフを弾き飛ばす。

 

「クッ!?」

 

 武器を失い、とっさに後退しようとするアサシン。

 

 だが、

 

「んッ これで!!」

 

 刀の切っ先を真っすぐにアサシンへと向けた響が、床を蹴って一気に失踪する。

 

 対して、もはやアサシンには防ぐ手段が無い。

 

 次の瞬間、

 

 響の刀は、

 

 真っ向からアサシンを刺し貫いた。

 

「がッ!?」

 

 激痛と共に喀血するアサシン。

 

 響の刀は、彼女の胸を確実に捉える。

 

 手に感じる、確かな感触。

 

 確実に、アサシンの心臓は刺し貫かれていた。

 

 勝負はあった。

 

 だが、

 

「ま・・・・・・だ、だ・・・・・・」

 

 絞り出すように言うと、

 

 アサシンは響の肩を掴み、そのまま強引に押し剥がす。

 

「ん・・・・・・・・・・・・」

 

 思わず刀を手放して、数歩後退する響。

 

 その間に、何とか立ち上がって見せるアサシン。

 

 だが、

 

「まだ、やる?」

 

 どう見ても、既に死に体だ。それ以上、彼女が何かできるとは思えない。

 

 借りに襲い掛かって来たとしても、素手で倒せる自信が響にはあった。

 

 対して、

 

 アサシンは荒い呼吸を繰り返しながら、響を睨み据える。

 

 その手は自分の胸に刺さっている響の刀を掴むと、渾身の力で引き抜いた。

 

 途端に噴き出る鮮血。

 

 英霊と言えど、死因(消滅する原因)は普通の人間と変わらない。心臓を貫かれれば大抵は死ぬし、出血多量でも同様だ。

 

 命が、秒単位で失われていく。

 

 だが、

 

 アサシンは響の刀を床に投げ捨てると、城壁にもたれかかるようにして立った。

 

「まだ、だ・・・・・・まだ、終われ、ない・・・・・・・・・・・・」

 

 うわごとのように呟くアサシン。

 

「あの方を・・・・・・皇帝に・・・・・・そうで、なければ・・・・・・わたしの、罪は・・・・・・・・・・・・」

 

 言った瞬間、

 

 アサシンは、城壁から身を躍らせた。

 

 その姿は、夜の闇に溶けて、すぐに見えなくなっていった。

 

「仕留めたの?」

「ん、半々。けど、手ごたえはあった」

 

 尋ねて来たステンノに答えると、響は落ちていた刀を拾い、血振るいして鞘に納める。

 

 霊核である心臓を潰した。致命傷だったのは間違いない。仮にこの場で死ななかったとしても、長く保たないのは明白だった。

 

 あのアサシンが自分たちの前に現れるのは、二度とないだろう。

 

「仕留めたか。しかし、奴の執念はいったいいかなる物なのか?」

 

 響の傍らに立ちながら、ネロは感慨深げに夜の闇を眺めながら呟く。

 

 一度失敗したネロの暗殺を、再び行ったアサシン。

 

 暗殺と言う行為は、戦いを進めていく上で確かに効率がいい。成功すれば少ない戦力で最大限の成果を得る事ができるからだ。仮に暗殺者自身が殺されたとしても、暗殺その物が成功すれば収支はプラスと見れる。

 

 その一方で、一度失敗すれば2度目のチャンスはほぼ皆無と言っても良い。暗殺対象者も、暗殺に対して警戒するからだ。今回のネロは例外中の例外だった。

 

 常識的に考えて2度はできない暗殺。

 

 それを2回続けて行ったアサシン。

 

 そこに、想像を絶するような執念が感じられた。

 

 その時だった。

 

 足早に駆けあがってくる慌ただしい音が聞こえてきた為、一同は振り返る。

 

 そこで、兵士の1人がネロの姿を見つけて駆け寄ると、跪いて首を垂れる。

 

「申し上げます皇帝陛下。ただいま、ガリアより火急の使者が参りました!!」

「ブーディカよりの? して、如何した?」

 

 ガリアの統治はブーディカに任せている。

 

 ローマの統治状態の確認と、いくつかネロ自身が決裁する必要がある事案が終われば、ネロは再びガリアに戻り、連合ローマに対し決戦を挑む予定だった。

 

 それがわざわざ報せをよこしたと言う事は、何か不測に事態が起こった可能性がある。

 

 ガリアで反乱がおこったか、あるいは・・・・・・

 

「それが・・・・・・」

 

 兵士は躊躇うように言った後、意を決して口を開いた。

 

「使者として来られたのは、荊軻将軍と呂布将軍なのです!!」

「何と、あの2人が戻ったのかッ!?」

 

 ネロが驚きこの声を上げる。

 

 一方で、事情が分からない響と凛果は首を傾げる。

 

「誰なの?」

「うむ。ブーディカやスパルタクス同様、そなたらが来る前からいた客将でな。その実力の高さゆえに、余も頼りにしていた故、連合ローマ領の探索を命じていたのだ」

 

 名前の漢字からして、西洋ではなく東洋の人物だろうと推察できる。

 

 となるとやはり、普通の人間ではなく英霊の類かもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネロが立香、凛果を引き連れて謁見の間に入ると、2人の人物が待っていた。

 

 あまりにも対照的な人物である。

 

 1人は白装束を来た華奢な印象の女性。端正な顔立ちには刃物のような美しさを感じる。

 

 そしてもう1人は筋骨隆々とした、見るからに武人然とした男だ。甲冑に身を包んだその体躯は、スパルタクスと比べても遜色ないだろう。

 

「よくぞ戻った2人とも。待ちわびたぞ」

 

 ネロは玉座に座る事もせずに2人に駆け寄ると、それぞれの手を取って、労を労った。

 

 対して、荊軻と呼ばれた女性は、笑みを浮かべてネロを見る。

 

「苦労をしただけの甲斐はあったぞ。おかげで、連合ローマの首都の場所も探り当てた」

「まことかッ それは上々ッ」

 

 報告を聞いて、満足げに頷くネロ。

 

 今まで斥候を放って連合ローマ首都の位置割り出しに努めてきたネロだが、その斥候が悉く返り討ちに会ったせいで、敵の首魁がどこにいるのか、未だに判明していなかったのだ。

 

 だが、荊軻たちのおかげで、それを割り出す事が出来た。

 

「だが、事態は楽観視できん。敵の本隊がガリアに向けて進軍を開始した」

「何とッ」

 

 荊軻の報告に、ネロは思わず目を剥く。

 

 予想では、敵の本軍が動くのは、もう少し先になるはずだった。

 

 そしてその間にこちらも軍を再編成し決戦に臨む、と言うのがこちらの作戦だったのだ。

 

 だが、その前提が崩れた。

 

 敵は予想よりも早く、ガリアに侵攻してきたのだ。

 

「それで、ブーディカは? スパルタクスは如何した?」

「判らぬ。わたし達は、戦闘開始よりも先に離脱を命じられたからな。あるいは、ブーディカの力であれば、持ちこたえているかもしれぬが」

 

 由々しき事態だった。

 

 正統ローマ軍はまだ、先のガリア会戦から立ち直っていない。

 

 そこに来て、敵の主力軍と激突すれば敗北は必至である。

 

「立香、凛果、疲れている所すまぬが、明日一番でガリアへ発つ。供をしてくれ」

「ああ、もちろんだよ」

「船でなければね」

 

 頷く立香と、苦笑する凛果。

 

 急な話ではあるが、ブーディカやスパルタクスの危機とあっては、見過ごす事も出来なかった。

 

 と、

 

 そこで荊軻が、立香達に視線を向けてきた。

 

「お前たちがカルデアの者か。ブーディカから話は聞いているぞ」

 

 そう言って、荊軻はフッと笑う。

 

 荊軻(けいか)

 

 中華秦代の武術家で、優れた剣術の使い手。

 

 武術家らしく、若い頃から権力に興味が無く、もっぱら学問と剣の修行に明け暮れた。

 

 しかし当時、強大化する秦王政(後の始皇帝)暗殺依頼を受けたことで、彼女の運命は動き始める。

 

 様々な献上品を手に政に近づいた荊軻。

 

 気をよくした政が、荊軻に近くに寄るように申し渡した。

 

 次の瞬間、

 

 献上品の地図の中に隠しておいた匕首を手に、政に襲い掛かった。

 

 荊軻の機敏さはすさまじく、政も、そして近衛兵たちも、誰も反応する事が出来なかったと言う。

 

 もし、この暗殺が成功していたら、世界史その物が様変わりしていた事だろう。

 

 だが惜しいかな、トドメを刺すべく荊軻が掴んだ政の袖が千切れた為に取り逃がしてしまい、荊軻は駆け付けた近衛兵によって滅多切りにされて殺されてしまった。

 

 まさに、「歴史を変え損なった女」である。

 

 一方、

 

 彼女の傍らで無言で立つ男は呂布奉先(りょふ ほうせん)

 

 こちらは三国鼎立時代、所謂「三国志」における中華武人だ。同時代最強と言われる男であると共に、再三に渡って主君や味方を裏切った「反骨の将」でもある。

 

 桃園の三兄弟、劉備、関羽、張飛の3人を同時に相手にして、一歩も退かなかったのは有名な武勇譚である。

 

 元々は并州刺史の丁原と言う武将に仕えていたが、董卓の台頭に伴い丁原を裏切り、董卓の配下となる。

 

 董卓は武勇に優れる呂布を寵愛し、養子にすると同時に常に自らの傍らにおいて自分を守らせたと言う。

 

 しかし、美姫「貂蝉」を巡って董卓と対立した事で、彼の運命は大きく崩れていく。

 

 董卓を裏切り、惨殺した呂布。

 

 その後の彼は、各勢力を転々としながら放浪の旅を続けていく事になる。

 

 裏切りに裏切りを重ねた呂布。

 

 その最後は、彼自身が裏切られて命を落とす事になる。

 

 最強の武勇を誇り、ある意味、最後まで己の為に生きる事を貫いた男。それが呂布奉先と言う男だった。

 

「よろしく頼む」

「あ、ああ」

 

 そう言って差し出した荊軻の手を、立香は握り返す。

 

 華奢に見えて、触ってみるとゴツゴツとした印象が伝わってくる。

 

 見た目は華奢でも、やはり彼女も武人、英霊なのだと言う事が伝わってくる。

 

「私はここに来るまでに3人の連合皇帝を殺してきた。お前たちとは、何人の皇帝を殺せるか競い合いだな」

「いや、そんな物騒な」

 

 苦笑する立香。

 

 何にしても、決戦を前にして頼もしい味方ができたことは、喜ばしい限りだった。

 

 

 

 

 

第11話「ガリア危急」      終わり

 


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